魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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自負と矜持

 確かに闇祓いは優秀だ。それは誰もが認めるところだろう。この魔法省では――いや、世界的に考えても闇祓いは狭き門だと言われている。おそらく、魔法省大臣になることよりも、闇祓いになることの方がずっと難しいはずだ。闇祓いは決して運では選ばれない。OWLやN.E.W.T試験の結果に表れているように、すべてにおいて秀でていなければならない闇祓いは、時に何年もの間採用者が出ないこともあった。

 だから、このキングズリー・シャックルボルトという男も酷く優秀であろうことは、疑うまでもないのだろう。しかしながら、ルーファス・スクリムジョールという前例があることも忘れてはならない。スクリムジョールは優秀な闇祓いだったのかもしれないが、魔法省大臣としての適性は持ち合わせていなかった。その両肩に圧し掛かる負の重責に耐えることができず、現実を直視することもできずに、魔法省の失態を隠し続けた。

「事実を告げれば国民の不安を必要以上に煽るだけだ」

 スクリムジョールはそう言っていた。闇の帝王の復活が認知された後の襲撃の多くは、こうしたスクリムジョールの意向によって伏せられていた。だが、たとえ事実を知らされずとも、そこには間違いなく、事実が事実として存在している。

 魔法省の職員とその家族は、そろそろ本格的に危ないかもしれないという、漠然とした焦燥感に駆られていただけよかった。当の国民たちは、満足な準備をすることもできないまま、突如として奈落の底に突き落とされたのだから。

 

「私は、生きるか死ぬかの選択を迫られる度に、より生き残る可能性が高い方を選び取ってきました。たった今脅かされている自分自身の命を護るための行為です。そこに私自身の善意や悪意が反映されたことはありません」

「では、君はあくまで自らの正当性を主張すると?」

「正当であるかどうかはさておくとしても、自らの命を護る行為に罰則を与えるというのであれば、魔法省の陥落後に自らの職務を放棄し、逃亡した職員にもまた、同じように罰則を与えるべきなのではありませんか?」

 怒号が飛んだ。罵声が降り注ぐ。狼狽しているのだろう。だが、責任転嫁だと怒鳴りつける者ほど、強い後ろめたさを感じているのだ。ジェーンは思わず緩みそうになった頬に手を触れ、軽く目を伏せた。吸い込んだ息をゆっくりと吐き出しながら、心を静めていく。

 ジェーンは自らの行いに正当性など感じてはいなかった。そこに正義などはない。だが、悪に染まったつもりもない。

 諸悪の根源は魔法省大臣なのだ。魔法省大臣が選択を誤ったが故に、イギリスの魔法界はこのようにお粗末な結果を迎えることとなった。そう、魔法省大臣が選択を誤らず、万全の準備を整え、ヴォルデモート卿に備えていたとしたら、結果は違っていたはずだ。

 法廷内は一時騒然としたが、シャックルボルトが軽く手を挙げると、波が引くように静かになっていった。

「魔法省から一時的に退去した者を逃亡者とは定義していない。踏み止まった者も、そのすべてに反逆の疑いがあるとは考えていない。先程告げた通り、君の場合は数名の告発者が出現したことを踏まえ、こうして査問を行っている。なお、君に掛けられている嫌疑は以下の通りだ」

 シャックルボルトはそう言うと、手元の料紙をはらりとめくる。その指先の動きを細部まで模写できるほど凝視しながら、ジェーンは続く言葉を待った。

「死喰い人への資金提供、マグル生まれ登録委員会への荷担、前魔法省大臣パイアス・シックネスが何者かに服従の呪文で操られていると察知していながら、その事実を黙認し、救済を怠った罪――魔法省大臣が正気を取り戻せば、打開のチャンスは皆無ではなかっただろう」

 最後の一つにかんしては、事前に認めてしまったことが仇となったようだ。ジェーン以外にも、パイアス・シックネスが服従の呪いにかかっていると気づいている者はいたはずだが、そうと認めさえしなければ罪に問われることはない。そのくらい大目に見てくれてもいいのではないかと思うものの、馬鹿正直に話してしまったのが悪かったのだと自分自身に言い聞かせながら、ジェーンは真正面にいるシャックルボルトを見上げた。

 より問題視されるのは前者の二つだ。ドローレス・アンブリッジがジェーン・スミスの名前を裁判で発言したというからには、魔法省大臣はそれを無視するわけにはいかない。その他にも幾人かの告発者がいるという話だが、正直なところそれには心当たりがありすぎて、ジェーンには目星をつけることも難しかった。

「まずは死喰い人への資金提供についてだが、何か申し開きをしておきたいことはあるか?」

「いいえ、大臣」

 ジェーンの即答にシャックルボルトは一瞬だけ驚いたような表情を見せた。形の良い眉をぴくりと動かし、手元の書類に落としていた視線をジェーンに向ける。反論の一つでもすると思っていたのだろう。だが、このことにかんしては最初から口を噤むつもりでいた。事情を話せば、この罪は父親のユアン・スミスにまで及んでしまう。いくらもういい、やめてくれと頼んでも、ユアンはまったく聞く耳を持たなかったのだから。

 ユアンは進んで家財を売り払い、資金の提供を惜しまなかった。少なくとも、周囲にはそのように見えていたはずだ。

「……君は死喰い人に協力を乞われ、資金を提供することでそれに応じていた」

「はい」

「なぜだ?」

「金貨で命を買ったのです」ジェーンは臆せず口にする。「金貨を差し出せば命は助けてやるということでしたので」

 そう平然と言ってのけるジェーンの姿を見て法廷内は再び騒然となった。方々から投げつけられる糺弾の言葉は聞くまいとするものの、ヒステリックに叫ぶ声が、まるで鋭いナイフのようにジェーンの鼓膜を突き刺した。

 恥知らず、と誰かが言った。ああ、そうだ、恥知らずだ――ジェーンはそう心の中で答えていた。

 死喰い人がジェーンを殺すことは容易かったはずだ。なにせ、ジェーンはルーファス・スクリムジョールが拷問の末に殺される様を、目の前で見ていた。だが、そうはしなかった。まだ生かしておくだけの価値があると考えたからだろう。

「記録によると、君はホグワーツの創設者の一人であるヘルガ・ハッフルパフの子孫だそうだが」

「そう聞いています」

「ヴォルデモート卿は純血や君のような特別な血統の者を殺そうとはしなかったはずだ」

「仕えるべき主人に隠れて私腹を肥やすような輩がいても何ら不思議ではないかと」

 金貨で命を買うことに何の問題があるというのか。もしそれが不純だというのなら、もっと有用性のある手段を教えてもらいたいと思う。そうした者たちは皆往々にして、やれ杖を持って戦え、やれ屈するくらいなら死んだ方がましだ、などというようなことを口にするのだ。

 誰かが恥知らずと言った。全身が震えるほどの恐怖に耐えながらも、杖を構え、戦って死んでいった者たちに対して恥ずかしくないのか、と。では、あなたたちは何をしていたのだと、ジェーンは問いたい。

 あのとき、あの魔法省で、一体何をしていたのか。まだ逃亡していた者の方が可愛げがある。純血という鉄壁の盾を構え、自分は殺されることはないと高を括っていた者は、マグル生まれの者たちのために何をしてやったというのだ。

 だが、ジェーンがその思いを口にすることはなかった。これはジェーン・スミスの査問会だ。他の者の罪をつまびらかにするための場所ではない。

 けれど、そうした者たちが罪に問われることがないのは確かだ。この魔法界に蔓延る純血主義は、決して消え去ることはない。いくらヘルガ・ハッフルパフの末裔だと言って聞かせたところで、マグルの血が多分に含まれていれば、それはほとんどマグル生まれと変わらないのだ。そして、純血であれば些末な問題であると片付けられる事柄も、大きな罪として裁かれることになる。

 何も変わらないではないか――ジェーンはそう改めて思った。

 ヴォルデモート卿と死喰い人が支配していたあの頃の魔法省と何が違うというのだろう。純血ばかりが贔屓される風潮は時代錯誤だ。純血主義そのものが争いを生み出す種という事実から目を逸らし続けた末路が、今この瞬間なのだ。純粋な純血の家系など、今やひとつもありはしない。真実に蓋をしているだけだ。

「富を持たぬ者は死ね、ということか」

 誰かの声がそう口にする。大声ではなかった。ジェーンには囁くような声に聞こえた。

 だが、その刹那、ざわざわとしていた法廷内が一瞬にして静まり返る。ジェーンは顔を上げて法廷内を見回すが、誰がその言葉を口にしたのかは分からなかった。

 確かにそれなりの富はあった。グリンゴッツの金庫はユアンが出版した書籍の報酬で満たされ、住んでいた屋敷は本家から譲り受けた別宅だったので、家族三人で住むには大きすぎるくらいだった。調度品の数々は古く、どれも骨董品としての価値が高かった。本家に比べれば裕福とは言い難かったが、中流階級程度の暮らしは送ることができていた。しかし、金貨が湯水のようにあったわけではない。ヴォルデモート卿が滅ぶより早く資金の底が尽きていたら、殺されていた可能性は多分にある。

「おっしゃるとおり、私は金貨で命拾いをしました。ですが、それは一つの手段にすぎません。他により有効な手段があったというのなら、それがその人にとっての最善だったのでしょう。私には考えの及ばぬことではありますが」

 人はジェーン・スミスが恵まれているという。その血筋はヘルガ・ハッフルパフに通じ、本家と同じ名を名乗ることを許され、父親はそれなりに高名な作家というだけで、嫉みを買うことがあった。だが同時に、ハッフルパフの末裔だという理由で、レイブンクローでは後ろ指をさされていた。

 とはいえ、スミス家に生まれた自分を恨んだことも、不幸だと思ったこともない。本家はいつもよくしてくれた。文献に残されているヘルガ・ハッフルパフの人柄そのものの人々だ。母親が闘病の末に命を落とし、父親が意気消沈していたときも、進んで葬儀を手伝ってくれた。

 家財を売り払い、家を手放すと言っても、腹を立てることもせず受け入れてくれた。唯一、理解を示してくれた。何か手伝えることはないかとさえ言ってくれたが、ユアンとジェーンは首を横に振り、その申し出を拒んだ。きっと、こうなることが分かっていたからだ。本家に迷惑をかけるわけにはいかなかった。

「逃げる者は逃げ、戦う者は戦い、恭順する者はそれを貫けばいい。私はそのどれもが認められて然るべき権利だったと主張します。私は戦った者の意思を称えません。逃げた者の罪を問いません。ただし、恭順した者の罪のみを裁くというのであれば、私はそれを断固非難します」

「だが、君が恭順したことによってマグル生まれの魔女や魔法使いたちは、その大勢がアズカバンに投獄されることとなった。内何名かは獄中で命を落としているだろう。吸魂鬼のキスを執行された者もいる。それでも、君は自分に罪はないと、裁かれるべきではないと、そう言い切れるのか?」

「私のような些末な者にも自負と矜持があります、大臣」ジェーンは僅かに曲がっていた背筋を伸ばし、毅然と頭を上げた。「私は私自身の弁護を惜しみません。必要とあらば、反論の一つや二つはいたしましょう。ですが、自らの非を認めるつもりは毛頭ありません。私は私のやるべきことをしたのです」

 分かっている。逆らえば逆らうほど、反論を重ねれば重ねるほどに、立場が悪くなっていくということは、分かっているのだ。それでも、自分のために戦って敗れるのなら、それはそれで本望のようにも思える。

 恥ずべきは己に嘘を吐くことだ。自分の正しさは、自分だけが知っていれば、それでいい。

 キングズリー・シャックルボルトは、おそろしく煩わしそうなため息を吐き出しながら、額から頭にかけてをゆっくりと撫でた。書類を読んでいるふうを装っているが、実際には思考を巡らせているのだろう、眼球が活発に動いているのが分かる。

 その様子を目の当たりにしたジェーンは、この魔法省大臣を酷く困らせてやりたいという衝動に駆られながら、小さく咳払いをした。


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