魔法省大臣は人使いが荒い   作:しきり

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暇、暇、暇

 驚くべきことに、ジェーン・スミスは魔法省にいながらにして、有り余る暇を持て余していた。

 査問会を終えて三日後、ロンドンの自宅にて自身の処分が通達されるのを待っていたジェーンのもとに、一通の封書が届けられた。人生の終末を告げられるにしては酷く薄っぺらい封書だと思ったが、レターナイフで封を切り、中身を確かめると、予想とは違った内容の文章が記されていた。たいして長いものではないが、それを要約するとこういうことだ。

 

≪魔法生物規制管理部 動物課 ケンタウルス担当室への人事異動を発令する≫

 

 てっきりクビを切られるものとばかり思っていたジェーンにしてみれば拍子抜けだったが、嫌味なほど丁寧な短い文面を何度か読み返していくうちに、少しずつ自らの置かれた立場を理解しはじめた。

 

 魔法生物規制管理部、動物課のケンタウルス担当室というのは、その名の通り、イギリスに生息するケンタウルスにかかわるすべての業務を担う部署のことだ。

 人間を嫌い、ヒトとして分類されることを嫌悪したケンタウルスたちは、自分たち種族を動物として定義した。人間と同じ言葉を操るが、動物として原始的に生きていく方が、気高く美しいと考えているらしい。

 このイギリスに生息しているケンタウルスのほとんどは、いくつかの群れを作り、それぞれが魔法省の管理する森で生活をしている。ホグワーツの敷地内にある禁じられた森もその一つだ。生存数は年々減少し続けているという話で、マグルによる自然破壊が原因の一つに数えられている。ケンタウルスは清浄な水や森がなければ、生きてはいけない生き物なのだ。

 実際のところ、イギリスでこれまで通りにケンタウルスたちが生きていくためには、解決しなければならない問題が山積みだった。

 いくら森に立ち入り禁止の札を立てたところで、マグルたちはそれを無視し、アウトドアだとかキャンプだとかいって足を踏み入れ、ごみを放置し、土や水を汚していく。魔法で結界を敷けば、マグルの遭難者が後を絶たず、警察部隊の捜索隊と忘却術師たちの仕事が無駄に増えるばかりだった。

 なぜ本格的に立ち入り禁止にしないのかといえば、そうした森のいくつかはマグルが国で管理している公園の中にあるので、双方の主張を受け入れていくと、いずれは互いに妥協しなければならない着地点が必要だったからだ。要は、マグルが管理する国立公園の中に、魔法省が管理するケンタウルス保護区があるという図式が、このイギリスの至るところに存在しているということだ。

 だが、この部署の大きな問題は、もっと他にある。それは、魔法省がケンタウルス担当室を立ち上げて以降、当のケンタウルスが担当室を一度も利用していないということだった。人間嫌いのケンタウルスが人間を頼るはずもない。人間の面倒になるくらいならば、滅びの運命さえ受け入れようというほどだ。

 故に、このケンタウルス担当室送りにされた者は、実質解雇を言い渡されたも同然の扱いを受けたことになる。

 職務としては間違いなく必要不可欠であり、絶対になくてはならない部署なのだが、与えられる仕事といえば、現われもしないケンタウルスを席について待ち続けるだけという、拷問めいた日々だけだった。

 

 地下一階にある魔法省大臣室の隣の部屋で忙しく働いていたジェーンは、あっという間に地下四階に落とされ、段ボールが積まれた薄暗く埃っぽい廊下の先にある、窓もない小さな部屋に押し込まれた。ちょっとした不満を口にしても許されそうなものだが、残念ながらそれを聞いてくれる相手は一人もいない。

 ケンタウルス担当室の前任者は魔法法執行部に栄転したという話だ。そこに空いた穴を埋めるために、ジェーン・スミスは丁度良い存在だったのだろう。これはいわば左遷だ。一種の島流しだ。解雇よりもたちが悪い。

 

 ケンタウルス担当室は給湯室のような作りになっていて、部屋の隅には簡易的なキッチンが付属されていた。その奥には木の扉があって、先の部屋にはいくつかの本棚にケンタウルスの資料が保管されている。異動当日に確認したかぎりでは、棚は良く整頓されていて、後任者にも分かりやすいようメモ書きまで貼り付けてあった。そうした一つ一つの細やかさと几帳面さが、前任者の真面目な仕事ぶりを窺わせた。

 そのおかげというべきか、それ故にというべきか、僅かな資料にさえすべて目を通し終えてしまったジェーンは、異動数日にしてやるべきことを失ってしまった。仕事をしに来ているのに仕事がないというのは何とも奇妙なもので、これで本当に月々の給金をもらってもいいものなのだろうかという、罪悪感を覚えてしまいそうになる。

 普通であればこの罪悪感に押し潰されて、自ら魔法省を離れる選択をするのだろう。だが、これまで安月給で散々こき使われてきたジェーンは、これを天の恵みと思うことにした。先のことは、またそのうちに考えればいいのだ。

 そのため、今日は自宅から本を何冊か持ち込み、ランチボックスの他にアフタヌーンティーの準備も万全に整えてきている。目を通しそびれていた数日分の朝刊と夕刊、週刊誌もあるので、これでしばらくは時間を潰せるはずだ。

 だがしかし、正午を知らせる放送が聞こえて間もなくすると、ケンタウルス担当室に近づいてくる足音があった。

 バターと粒マスタードに少量の蜂蜜を混ぜたものを塗り、新鮮なレタスに薄切りのトマト、今朝削いだばかりの生ハムを挟んだサンドイッチを食べていたジェーンは、読んでいた新聞から顔を上げ、その足音に耳を傾ける。それが馬の蹄の音ならば気分も高揚しただろうが、残念なことに、聞こえてきたのは人間の足音だった。

 一体誰が貴重な昼休みを使って、魔法省内の辺境にある部署を訪ねてくるというのだろう。

 ジェーンが呆れながら手にしていたサンドイッチをブリキ缶に戻し、机の上に広げていた新聞を折りたたんでいると、その足音はケンタウルス担当室の前でとまった。そのすぐあと、扉がノックされる。

「はい、どうぞ」

 ジェーンがそのように返事をすると、取っ手はくるりと回るが、扉はがたがたというばかりで一向に開かなかった。

 建て付けが悪いか、もしかしたら扉自体が呪われているのだろうというのが、ジェーンの見解だった。時々足の小指を何かの角に強打する現象が起こるが、あれも大抵は呪いの類だ。古い木工の家具には呪いが宿りやすい印象がある。骨董品に囲まれて暮らしていたジェーンには、さほど珍しくもないことだった。

 ジェーンは席を立つと、机を回り込んで扉の前まで向かった。そして、がたがたと揺れている扉に、足で強く衝撃を与える。取っ手を掴み、それを押し込むようにして動かすと、扉は驚くほどすんなりと開いた。それと同時に、ごつん、と鈍い音が聞こえて、ジェーンは首を傾げる。

 何事かと思いながら開いた扉の向こう側を覗き込むと、一人の男が自分の頭を抱えてしゃがみ込んでいる姿が見えた。ジェーンはまさかと思い我が目を疑うが、何度瞬いてみても、それが魔法省大臣であることに変わりはない。

「……大臣、こんなところで何を?」

 呻くような声が聞こえ、ジェーンは「はい?」と訊ね返す。すると、キングズリー・シャックルボルトは額を押さえたままゆっくりと立ち上がり、心なしか恨みがましそうな目でジェーンを見下ろした。

「大変失礼いたしました、大臣」ジェーンは悪びれもせずにそう言うと、扉を更に大きく開いた。「どうも前々から建て付けが悪いようで。中へお入りください、今氷を用意します」

 懐から取り出した杖を一振りし、ジェーンは机周りを手早く片付けた。氷嚢などという都合の良いものは用意がないので、ランチボックスを入れてきた巾着に魔法で作り出した氷を入れ、それをシャックルボルトに向かって差し出す。

「どうぞ」

 そう言って椅子を指し示せば、巾着を受け取ったシャックルボルトは、無言のまま腰を下ろした。

 あまりの痛みと衝撃に言葉を失っているようだ。もしくは、苛立ちや腹立たしさといった感情を、必死で抑えつけようとしているのかもしれない。

 いずれにせよ、話を急かすことはしない方が良さそうだと考えたジェーンは、席には着かず簡易キッチンに立つと、家から持ってきたティーセットで紅茶を淹れることにした。さすがに今朝ポットに注いできた紅茶を、魔法省大臣に出すわけにもいかないだろう。

「……あ、」

 不意に思い立って、前任者が残していってくれた壁掛け時計に目をやったジェーンは、そのまま額を冷やしているシャックルボルトに視線を向けた。

「食事はお済ですか、大臣」

 ジェーンがそのように問うと、シャックルボルトは僅かに首を横に振る。そんなことだろうと思っていたジェーンは、淹れたての紅茶を机に運んでから、端に寄せてあったブリキ缶の蓋を開けた。食べかけのサンドイッチをナプキンの上によけ、缶ごとシャックルボルトの方へ押し出した。

「よろしければ」

「いや――」

「父が皆さんで食べるようにと言って作ってくれたのですが、この通りケンタウルス担当室は私一人きりなので、食べきれないと困っていたのです。一緒に食べていただけると、非常に助かります」

 そういうことならばと思ったのだろう、シャックルボルトは片手で紙ナプキンを広げると、その上に具が溢れんばかりのサンドイッチを一つだけ取り分けた。ジェーンは机を挟んで向かい合うように座り、食べかけのサンドイッチを口に運ぶ。

 魔法省内でこれほどまでに静かな場所をジェーンは他に知らない。音という音が遮断され、どこか遠い場所に隔離されているかのような錯覚を覚えるほどだ。そんな場所に魔法省大臣と二人きりとはぞっとすると思っていると、シャックルボルトは手に提げて来たらしい紙袋を、机越しに差し出してきた。

「君のお父君から借りたローブだ」

「ああ、ありがとうございます」

 あの日、ユアンがシャックルボルトに貸したローブは、ユアンが持っている中では最も上等で、高価なものだった。原稿の執筆に没頭するあまり、身なりに頓着しなくなった夫を見かねた今は亡き妻から、クリスマスプレゼントとして贈られたものだったのだ。

 母親が亡くなってからは一度も袖を通すことなく、大切にしまっていたことをジェーンは知っている。だが、あの父親のことだ、魔法省大臣に適当なものを着せるわけにはいかないと思ったのだろう。手持ちのローブの中で最も上等なものをと考えたとき、これを惜しげもなく貸し与えてしまうというのは、人柄の良さをよく表している。

 魔法省大臣室付きから外され、他の部署へ移ることになったと伝えたときも、ユアンは異動先を問うこともせず、娘からの報告を嬉しそうに聞いていた。出世街道を突き進んでいたはずの娘に向かって、大臣室付きの仕事は忙しすぎた、これからは自分の時間を楽しみなさい、などというようなことを平気で言うのだ。

 それが父親なりの励ましであることは重々承知しているのだが――ジェーンはそう思いながら苦笑いを浮かべそうになるが、正面に座っているシャックルボルトがカップを置く音で我に返り、顔を上げた。

「わざわざこのようなところまで出向いていただかなくても、呼びつけていただければすぐ受け取りに行ったのですが」

「君を大臣室に呼びつけるとウィーズリーがうるさいだろうと思ってな」

 自分が机の荷物をまとめている間中、魔法省大臣に対する恨みつらみを吐き出し続けていたパーシー・ウィーズリーのことを思い出し、ジェーンは少しだけ笑ってしまう。だが、他の補佐官たちが何とかなだめすかしてくれなければ、大臣室に殴り込みにでも行っていたのではないだろうか。

 仕事の負担が増えてしまうことについては素直に申し訳なく思うが、こればかりは慣れてもらうよりほかにない。一週間もすれば、ジェーン・スミスがいたことすら遠い記憶になるはずだ。むしろ、そうなってもらわなくては困る。

 

 査問会はそう長引かなかった。ジェーン自身はもう少し粘っても構わなかったのだが、どうやらキングズリー・シャックルボルトがそれを望んではいない様子だったのだ。正しい査問会が行われることなど、当初から期待していなかったジェーンだったが、シャックルボルトが結論を急いでいるように感じられ、内心では大きく首を傾げていた。

 シャックルボルトはジェーンにいくつかの質問をしたが、その返答に対して反論をするどころか、否定さえしなかったのだ。方々を飛び交う野次を拾い集め、それに賛同することもしなかった。その時点で、ジェーンはこの魔法省大臣に不審感を募らせていたが、何か意図あってのことだろうとは察していた。


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