血液由来の所長   作:サイトー

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 所長が好きですので、オルガマリーが主人公&ヒロインな作品を書いてみました。ついでに、フロムも好きなのでクロスさせてみました。
 読み初めて頂き、ありがとうございます。


序章
啓蒙0:ずっと先の赤子まで


 彼女には、生まれた価値などなかった。今を生きている意味などなかった。呼吸するだけで息苦しくて、歩くだけで押し潰されそうで、目を開けるだけで瞳が焼かれそう。

 ―――生まれるべきではなかった。

 無能力者と言う訳ではない。忌み子でもなく、呪われている訳でもない。障害もなく、健康な精神と肉体を持ってもいる。容姿も両親と同じく、人並み以上だろう。

 しかし――世界全て、私に興味がない。

 彼女はそう感じ、そう生きた。誰からも期待されず、誰からも特別だと思われない。ただの人間、そこらの魔術師。オルガマリー・アニムスフィアとは、そんな存在でしかなかった。

 だから愛など知らず、故に愛されず、誰も愛せず。

 親に関心など持たれなかった。けれども、関心を引こうとも思えなくて、魔術師の貴族としてのみの自分が作られていった。

 だからか、何もかもが記号に過ぎなかった。アニムスフィアと言う価値が名前に付加された記号。魔術師と言う記号。貴族と言う恵まれた身分。国連組織を私有する資産家の娘と言う境遇。何より、魔術協会時計塔ロードの次期当主となる一人娘。そんなもので、生物として遺伝子の素となる両親はいるが、誰かの子でもなく、誰かの友でもなく、誰かと家族になったことも一度もない。

 それが、一体何なのか?

 魔術師としての当たり前な苦難はあったが、自分に語るような不幸もなかった。冷えきった家庭ではあるが、金に困ることは一度もなく、ある意味好き勝手に生活していた。

 オルガマリーは、野放しだったのだ。

 教育係は居たけれども、あの広い屋敷で飼われていただけの人間に過ぎなかった。

 果たして、それがまともなのか。

 どうして、こんなに哀れなのか。

 空しくて、心の中には何もない。

 脳が、酷く疼いた。頭の、頭蓋の、その中身の脳味噌が蛞蝓みたいになった気分だ。

 何もない苦しみ。

 心の中に在るのは、何も無い虚しさ。

 悪夢から覗かれて、人の営みから除かれて、オルガマリーは全身が蛞蝓に生まれ変わった夢を見た。獣に生まれ変わりそうな自分が炎に焼かれ、おぞましくも愛らしい小人まみれになって、血の中に幾万幾億の虫が寄生して、人間以外の軟体生物に作り変えられる夢のような悪夢。宇宙からの啓示。空にあった宇宙の真実。彼方からの呼び声が、脳の中に反響する。し続ける。呪い声が絶えず祝福し続ける。

 

 彼方から、私に呼びかけて頂けた。

 彼方から、私に夢を与えて頂けた。

 彼方から、私に啓蒙して頂けた。

 

 

 生まれるべきではなかったこんな私を―――――――

 

 

「―――……」

 

 夢から覚めた。悪夢でしかない生まれ変わったあの日は、しかして今の彼女からすればただの過去の記憶でしかない夢だった。

 もはや儚い夢だったのだ。

 今となっては、人間だった頃を懐かしむべきだろう。

 生まれるべきではない無価値な存在―――だが、そもそも夢を見ない者に価値など皆無。

 ならば、そもそも生まれなどに意味はない。意味を持つのは生まれた末に、どんな夢を見て、どんな存在へ成長するのか。完成する過程にある幼年期こそ、人間を人間足らしめる人間性に意味を見出せるもの。

 そう言う意味では人理保障継続機関フィニス・カルデア所長、つまりはロードを受け継いだ時計塔の魔術師オルガマリー・アニムスフィアは、あの両親から生まれるべきではなかった。しかし、今の彼女は夢を抱いていた。だからこそ、カルデア所長として実に有意義な毎日を送っていた。

 

「……あ、所長。おはようございます」

 

「えぇ、おはようございますロマニ。しかし、“あ”とは何よ、“あ”って。私と朝会うと、そんなに驚く訳?」

 

「そんな事はないよ、うん本当」

 

「ふぅーん……まぁ良いでしょう。普段の私、重役出勤してる自覚あるもの。そんな腰が重くて有り難くない上司が、朝からこうして自分の職場にいるのを見れば、貴方からすれば良い気分じゃないものね?」

 

「え”。いやだなぁ……―――と言うよりも、所長、何故ここへ?」

 

「……はぁ。本当、貴方、医者でしょ?

 そしてここは、私が貴方に任せたカルデアの医務室よ」

 

「そうだね……え、ウソ。あの所長が病気に!?」

 

「――――――」

 

「ウソウソウソ!? 指をワシャワシャしながら近付かないで!!」

 

 獣化しかかった血管が浮かび上がる手から力を抜き、所長はちょこんと椅子に座った。ロマニ、態ととは言え場を和ませる失言を行ったが、逆に所長の方の冗談が怖かった。ユーモアに理解がある自分より年下の上司とは言え、いや……だからこそか。この人、ぶっちゃけ悪乗りが酷いしなぁと彼は思いつつ、何時も通り苦笑いを浮かべる。とは言え、彼女は自分をある意味で“人間”にしてくれた人の娘である。死んだ恩人の一人娘が責務を負わされて苦労しているとなれば、ロマニの人間性を考えれば無関係は装えない。

 まぁ、今となっては、カルデア所長に失礼なことを言う人間も、ロマニ・アーキマンくらいしかいない。人じゃないなら、このカルデアにもう一人いないこともないのだが。ついでに、皮肉混じりで地味に反論してくる夜に髪がモジャモジャ動きそうな男と、何か全ての返答が御意とか御意のままにしか言わない男もいる。正確に言えば、一人見た目が美女とは言え、全員所長以外男ではあった。それなりに自分の所長と言う立場を抜きに話せる相手が、たったの四人しかおらず、友人となる同性が皆無な南極蛸部屋暮らし。何て無様な逆ハーレム状態。

 あぁ、せめて同性のお友達が欲しいと願わずにはいられない。二十歳を超えても、ずっとこのまま大人になるなんて。思春期って結構大事。そんな事を考えている所長であった。

 ……とは言え、最近は一人だけ、同性のお友達らしき何かが一人いる。

 父親が死んで権限が与えられたので、新しいAチームメンバーにして酷使する予定の女だった。このカルデアに来る前は聖職者をしていたとか言ってはいたが、何処まで本当なのかは分からない。何せ、Aチームの通称クリプターの連中は経歴詐称だらけ。

 特にあの芥とか名乗る不審日本人。ドラ〇もんも、ナ〇シカも、仮〇ライダーも、スレイ〇ーズも知らなかった。ついでに、エヴァンゲリ〇ンも知らなかった。交流しようと思って話を振った時、「ハ?」みたいな顔をされたのを所長は絶対忘れない。絶対にだ。職場でアニメを話題にするのは、とても勇気が要る行為なのに。所長は地味に傷付いた。何時も変なタイトルな本を読んでいるから、話題に乗ってくれると思っていた。しかし何故か、ペペロンチーノを名乗るパスタマンは反応してくれたが。奴は多分、あんな名前だが十中八九日本人か日本育ちだろう。

 

「―――で、どうしたんだい?」

 

「お薬よ、お薬。気持ち良くなるお薬頂戴、お医者様」

 

「言い方ァ!」

 

「何よ。だって、注射って気持ち良いじゃない。こう血管から異物が入って、そこから液体が中に入り込んで、血の中に薬品が溶けて、混ざって、流れ込んで……はぁ、良いわね。血に融ける感覚って、貴方分かる?」

 

「やだ。ド変態。分かりたくもないですね」

 

「良く言うわね。私のパピーとは深い秘密の関係だったんでしょ。私、知ってるんだから。あの人、奥さんと娘だっていたんだから。その上、ロマニ、ちょっとあの性同一性障害でもないのに美女が好き過ぎて自分が美女になった性転換したオジサマとも、何か凄く如何わしい雰囲気じゃない。

 ……不潔よ、もう凄い不潔。

 何と言うかあれよね、女に飽きて男に手を出し始めた王様みたいな感じよ」

 

 それにロマとロマニって何か名前が似てるしね、と無駄なことを考えている所長。ちょっと、いや半分くらい、名前的に白痴でも不可思議ではない。

 

「ちょっとヤメてよね、そう言う誹謗中傷って根が深くなるんだからさ!」

 

 不意に過去を思い出すロマニ。嘗て人間性が薄かった時は華麗にスルーしていたが、住んでいた場所でも悪口陰口噂話は絶えず行われていた。今思うと、妃と妃の会話の中で、王様はあれが巧かったとか、王様は女性のあれを責めるのがお好きなのよとか、王様は何回まで求めて来たとか。そう言う女同士の牽制が何かと見えてしまうこともあれ、無視して暮らせていたのはある意味で有り難かったのかもしれない。

 しかし、今じゃ穴に入って引き籠りたい気分になる。人間味がないヤツだったが、男としても中々に性根が腐っていたのだろうと今は後悔中。なので、地味にケモノ耳な女王様へ当時の女性関係を今になって懺悔したいと思っていた。まぁ、思うことしか出来ないが。

 

「はいはい、良いから。アニムスフィアお抱えの医者なら、とっととその当主に薬物注入するように」

 

「分かりましたよ。仕事なんだし、ちゃんとやるから」

 

「当然よ……―――ハァハァ」

 

「だから、それ!?」

 

「五月蠅いわね。少し興奮した程度でしょ」

 

 事実、注射はただの医療行為に過ぎない。しかし、血の医療行為だ。今のオルガマリーには、それはもう気持ちが良いことだ。魔術師なので色々と経験自体はしておいていたが、注射の方が気分が良い。出来れば、もうずっと輸血していたい程である。

 そして自分が所属する組織の所長が、この変態だ。軽くロマニは絶望した。未来を知るが故に足掻いた果てに来た南極のカルデアで、そこのトップがコレだった。しかしながら、オルガマリー・アニムスフィアが此処までヤバい人間性である事を知っているのは、医療部門統括であるロマニだけ。多分だけど、死んだ親さえ娘がこうなのは知らないことだろう。彼だけが知っている秘密である。嬉しくないことだ。辛いだけ。

 なので、この絶望は自分の胸の内だけに仕舞っておこうと言う悲壮な決意を、彼はほぼ毎日味わっている訳だった。酷い話である。

 

「それが嫌なんだよ。ボク、本当に医者としての技術を求められて、ここに居るんだよね。と言うよりこれ、もう普通にパワハラでセクハラだよね?」

 

 と言いつつも、薬品を注射の中へ素早く入れ、準備を整えている。無表情を装いつつ、所長は相変わらず素晴らしい技巧のロマニを内心で称賛する。

 ただの天才ではない。天才となるべく努力を無駄にしない天才だ。

 そして、医療の技術と知識も軒並み素晴らしいが、この男の本質は魔術関連の技術。

 魔術回路はないが、それ以外の才能がぶっ飛んでいる。人類で最も優れた魔術師となるべく生まれた才能と素質の塊なのに、何故か意図的に魔術回路だけに恵まれていないかのような状態。オルガマリーはロマニの才能を一目で見抜き、医者として魔術に関わる仕事を新しく所長として彼に与えていた。

 何せ、彼の血に融けた名―――魔術王だった者、アーキマン。

 そんな名前を啓蒙されたら、それはもう父親との関係性から何から何まで、全て見通して仕舞えるのは普通の思考回路を持っていれば、当然と言えば当然の話。しかし、今の所長は人のプライベートな仕事理由には突っ込まない余裕があった。ついでに言えば、こうしてマスターだった男の遺産で働いている姿を見ると、此処で自分から白状しないのであれば、アレの娘として黙り続けるのもまた、カルデアの所長の責務。

 後、普通に相手はあの魔術王。

 本気を出せば、普通にカルデアとか滅び去る。

 なので、父が命を預け合った自分の相棒を雇っていたのなら、黙って父の意志を継いでその人を大切な人材として扱い、丁重に激務に落すのが人情だ。それはそれとして、色々と父と怪しかった部分は問い詰めてはいたのだ。オルガマリーとて人の娘、プライベートとして聞くべきことは聞かねばならない。

 

「んー……――ッん。はぁ、本当、ロマニって注射が上手よね」

 

 そんな無意味な思考をしている内に、注射針が所長の皮膚をスルリと突き破り、血管に突き刺さり、押された薬品が流れ込んで来た。

 実に良い仕事。ロマニから薬品を貰えば自分でも出来ることだが、彼のこれを味わう為に所長は態々毎日彼から注射をして貰っているのであった。

 

「いやボク、注射が巧いって医者仲間に言われたことはあっても、ここまで注射するだけで変な気分になったことないよ。

 本当もう、毎日の事とは言え、君のそれには慣れないね」

 

「健康マニアなのよ、私って。所長が元気じゃないと、職員も不安になるじゃない?」

 

「その職員であるボクは、毎日不安になってるんだけど?」

 

「耐えなさい。そう言う意味では、レフも貴方の仲間よ」

 

「―――……はぁ。最近レフさ、ちょっと疲れてるみたいだよ」

 

「良いのよ、別に。私に気を遣わず、レフがロマニに溢した愚痴を私に言ったって」

 

「そう言う訳にはいかないよ」

 

「真面目ねぇ……―――ふぅん。

 同僚に上司のことで愚痴られた程度、些事でしょ。そんな程度のことで、私があのレフを閑職なんかに追いやる訳ないのに」

 

「ハハ。まぁ、聞かなかったことにして」

 

「そうね、分かったわ。今は人類史が観測出来ない緊急事態だし。でも、これが終わればシバに続く第二観測レンズ、ソロモンの隠し目を開発して貰わないと。これがあれば、未来の消滅を観測したカルデアを、過去の時点で予め観測するなんてことも可能になる訳。

 やっぱりダブルチェックは基本中の基本よ。

 私がもっと早く所長になっていれば、この人理消滅騒ぎも早目に発見出来ただろうしね」

 

「レフェ……ま、彼には彼なりに頑張って貰うのが一番だろうね。勿論、そこは所長も分かってくれてることだけれども」

 

「そうねぇ……ふふ。でもレフって、あのレンズのこと何故か嫌ってるのよね。そんなものに何故、あのシバって名前を付けたのか、実に不思議じゃないロマニ?」

 

「そ、そうだね。何せ、シバだもの。不思議と言えば不思議かも」

 

「そうそう。まぁ、参考にしたのは分かるわよ。世界の未来と過去を見通すオーバーテクノロジーな人工物―――つまりは、文明技術による完璧な千里眼。それこそ、グランドに選ばれるキャスターの素質よ。で、中でも分かっているのは三人。

 勿論のこと最初の魔術師、ソロモン。

 次は神代と人代を分けた古王、ギルガメッシュ。

 それと稀代の宮廷魔術師であった混血児、マーリン。

 この三人って、揃いも揃って凄まじく女癖が酷い英霊なのよね。ソロモン王は言わずもがな例のラブレターで有名で、挙げ句自分の宮廷に父譲りのハーレムを築いて、父から継いだ国家資産を湯水のように使っていた王よ。ギルガメッシュは処女権使い過ぎて国民から顰蹙買い捲った挙げ句、エルキドゥに正面からぶん殴られた王。最後のマーリンなんて、もう誰これに手を出した挙げ句、ヤバい女に監禁されたランスロット並の間男野郎。

 ―――うん、確かに。

 人間に対して潔癖が強いレフが、そんなヤツらを参考にして作った道具を好む訳もないもの。まぁ、直ぐにでも浮気野郎の第二千里眼を作って貰うけど」

 

「はは、あははははは―――……はぁ」

 

 医者から注射をされて少し恍惚とした笑みでそんな事を言う所長に、ロマニは苦笑いしか浮かばない。何せ、もう本当にその通りだったからだ。

 

「はい。もう大丈夫だよ」

 

 注射痕を消毒しつつも、何時も通り完治した所長の皮膚を見る。ロマニからすれば、この所長の怪物性が奇怪ではあるも恐ろしくはない。そんな異常性など、世界では有り触れたもの。魔術刻印がある魔術師ならば、内臓がないまま生存する者もいなくはない。

 

「うむ、感謝するぞ。ロマニ・アーキマン」

 

「偉そう」

 

「ここで一番偉いのよ。トップよ、トップ」

 

「はいはい、そうですね」

 

「冷たいわ」

 

「このやりとり、何回目だと思っているんだい?」

 

「ルーチンよ、ルーチン。これ込みでロマニのお注射なの。分かってね?」

 

「分かりません」

 

「―――……ま、これも今日で最後じゃない。当分は忙しくなって、そうそう出来なそうだし。明日、やっとメンバーが到着して揃うもの」

 

「人理修復かぁ……―――うーん?」

 

「貴方、本当に素直そうに見えて懐疑主義者よね。むぅ……いえね、そう言う所もパピーのお友達感あって怪しいんだけれども」

 

「パピー……―――あ、じゃなくて、ボクってそんなに疑わしいのかな?」

 

 しかし、パピー。あのマリスビリーをパピー。この二人の親子関係、冷め切っている筈なのにそう言う所は不可思議だ。マリスビリーも所長のことを紹介する時に真顔でマリーちゃんって呼んでいたし、もしかしてそう言う趣味なのか。あるいは、マリスビリーの奥さんが結構愉快な人で、そう呼ばせていたのか。今となっては、その真相をロマニが知ることはない。

 

「ええ。でも、駄目じゃないのよ。誰にだって隠し事はあるし、私だって隠し事はあるもの。ついでに、隠し事とか大好きだしね。

 ……だからこそ、人の隠し事は見たくなる。

 愚かな好奇心が自分を殺すまで、魔術師ってヤツは暴きたくなる衝動を抑えられない。抑えるつもりもない。そんな自分を恥じる事さえない」

 

「―――……ま、別に所長はそれで良いと思いますよ。何だかんだで、ボクに興味が有る訳じゃありませんからね」

 

「知るべきことは知っているから、私はそれで良いのよ。所長としてすべきことはきっちりしっかりと、やれるだけのことはやってますので」

 

「ドライだねぇ」

 

 そこでフと所長は壁に掛けておいた時計を見た。既に始業時間は過ぎており、明日の為に忙しいのでもう職務を始めなければならない。その為の薬物はロマニから摂取出来ており、ならばもう仕事をする準備は万全。

 

「―――ん。じゃ、まぁ今日はこれでいいわ。何時もありがとう」

 

「うんうん、どういたしまして。頑張ってね」

 

「ええ」

 

 気分はそこそこ。やはり上位者(グレート・ワン)の意志が混ざる血液と比較すれば快感とはならないが、それでもロマニ製の造血薬物は素晴らしい。所長は血の気が増え、その思考もまた冴え渡る。脳を苗床にする瞳が月明かりのように眼光を宿し、世界全てを丸裸にする快楽を伴った強い万能感に身を震わせる。

 あぁ、やめられない。止められない。

 そんな歓喜を隠す事もせず、しかし所長は確かな歩みでドアを抜けて退出した。ロマニは、彼女の主治医は、血に酔う女へ憐憫の情を向けそうになるも、それだけは今も昔も関係無く捨てた筈の人間性だと思い出し、何時も通りの仕事へ戻るべく書類と向き合う。

 遂に明日、レイシフトが実行される。であるならば、マスター達とクリプターらの健康状態の把握と管理をしなければならない。ロマニはカルデア医療部門トップとして、為すべき事を為すだけであった。

 

「あら、所長。ごきげんよう」

 

 扉を潜り、少しだけ歩くと所長は声を掛けられた。

 

「ええ、おはよう。ディール」

 

 その女は実に普通だった。整ってはいるが、美人ではない。愛嬌はあるが、可愛くはない。何と言えば良いか、実にそう普通としか形容出来ない顔立ちだった。過不足なく、特徴がなく、パーツパーツは良い形で悪くないのに、奇跡的に美女とは呼べない女だった。

 そのカルデアのマスター―――いや、Aチームメンバーのクリプター。

 先代所長から運用を引き継いだクリプターではなく、彼女自身が新たに選んだ者。

 

「ふふ。おはようだなんて、可笑しいですね。だって所長、もうずっと寝ておられないのでしょう?」

 

 名を―――アン(Ann)ディール(Deal)

 英語圏内では世間一般的な女性名を持つ元聖職者の魔術師。とは言え、だからこそ魔術師らしくなく、実に偽名臭い。古い名を受け継ぐのであれば、同時に古臭い名字であり、親から付けられる名前も魔術的に家独特の韻を踏むのが自然。

 しかしながら、ディール家など知らない。聖堂教会に所属する一族にもいない筈。となれば、恐らくは突然変異の一代目。しかし、父が呼んだ魔術師なので、所長が深く考えても仕方なし。何せ、ロマニと同じく名前など見るだけで啓蒙できる。

 本名を、原罪の探求者。

 ただただソレだけ。人の名前ではなく、それでは称号でしかない。

 スカラー(SCHOLAR)オブ(OF)ファーストシン(THE FIRST SIN)。そんなモノが(ソウル)から実の名前を上書きする程に、彼女はただただソレとして生きていた。見るだけで容易く啓蒙された。見た目通りの年齢ではないことは確かだろう。今まで見て来たあらゆるモノの中で、最も古い神秘の怪物であるのだから。本当に自分のパピーって人材ハントが悪趣味過ぎ、とカルデアに来た時に所長は苦笑いを浮かべたのを思い出す。

 

「そうね。まぁ、私も皆とレイシフトするか不安に思うかもしれないけど、大丈夫。今日もちゃんとさっきロマニから太いのぶっすり打って貰いましたから。

 それにね、今日はもうしっかり寝ます。

 悪夢さえ見えない程、やっと深く眠れることでしょう」

 

「凄く深くぶっすり打って……――あ、じゃない。そう言う言い方、アーキマンさんが誤解されまして、どうかと思いますよ?」

 

「別に、エロい意味じゃない。エロく聞こえるのなら、それは聞く人が色欲塗れなの」

 

 と言うか、凄く深くなんて言ってない。そう思う所長であった。

 

「あら、そうなのですね。でしたら私、確かに溜まっているのかもしれませんね」

 

 はふぅー……と、溜め息を吐くディール。美人ではないが、だから妙に色気が凄まじい。もう何と言えば良いか、変な気分になる所長であったとさ。

 

「いや別に、男なら紹介しても良いわよ。合コンとか社内恋愛も禁止していないもの。基本ここってフリーダムが主ですからね」

 

「いえ、ごめんなさい。恋愛も肉欲にも興味ないですよ、私。このカルデアで期待しているのは、未知の世界を探求すること。その一点だけですからね。まさかこの世に異空からなる世界が泡のように生まれては、泡のように消えて逝くなんて……えぇえぇ、実に不可思議。それに見た事もない化け物や敵も、その世界に溢れていると想定されています。

 カルデアのレイシフトなんて眉唾だったけど、あの男の無駄に高い話術に乗って、こんな寒いだけの土地に来た甲斐があるものです」

 

「そうなの。まぁ、私も戦闘狂と言うか、自分の技術を試したくなる気持ちもあるから、貴女の欲求は否定しないけれど。魔術で吸血鬼共を宇宙から絨毯爆撃するのとか、凄く気持ち良かったもの。

 けれど、それ、所長の私に言うこと?」

 

「いけませんか?」

 

「いいえ。その戦闘能力を買ってクリプターに捻じ込んだんだもの。それに実際、貴女はカルデア最強のマスター。

 その意気込みを挫くような無意味な行為を、所長のこの私がする意味もなしってこと」

 

「ふふふ。最強ですか……」

 

 強いと言うか、この女はそう言う次元ではない。只管に巧い。身体能力も高いが、それ以上の能力を持つ怪物など死徒連中では珍しくなく、だがそれらをいとも容易く抹殺する。核弾頭に匹敵する化け物や、サーヴァントさえも恐らくは。

 聖職者を名乗る魔術師は、そう言う類の怪物であった。

 

「そうよ。その為の特攻特異点Aチームなの」

 

「その言い方、他のクリプターの皆様方は酷く嫌そうな顔を浮かべますよ。ゼムルプスさんとか特に」

 

「え~……だって、本当のことだしね」

 

 何度か起動実験は行ったが、まだ人体実験を行っていないレイシフト。それを本番当日で行い、人類史を救いに行く八名のクリプターと、他四十名のマスターら。

 所詮、人類を救うと嘯いたところで、カルデアとて魔術師の為の施設。

 目的、言うまでもない。行き着くは根源以外の到達点に何ら価値無し。

 等と、考えれば、あるいはこの人類史消滅も父が聖杯か何かで仕込んだ人理実験かもしれないと思いつつ、なればこそアニムスフィアの本懐だろうと嗤わずにはいられない。所詮、未来を語ったところで、魔術師の狂気が行き着く実験に過ぎぬなら、もはやこの二千年のアニムスフィアが人類を有意義に消費する者となる。

 

「けれど、漸くね。カルデア運営の無駄金とされたマスター達が、明日やっとその有能性を示すことになるわ」

 

「そうですね。確かに、何事もなく訓練だけをしていましたから」

 

 人材の珍味。それが特攻特異点を見た所長の感想であった。建前のチームワークは守りはすれど、信頼と信用はない。同じ場所で共同活動をしていたので、ある程度は互いに理解はしてはいたが、人となりが分かっていた程度。

 ……まぁ、そう言うのはこれからか。

 所長はそう考え、これから命を預け合う最低限度のラインは超えていると判断はしていた。よって問題はない。多分ではあるが、あの個性派集団は自分の個性を爆発させて、あらゆる問題を乗り越えるだろうと、そんな期待さえ所長は抱いているのだから。

 尤も、そんな風に考えているのは所長だけであったが。大多数の職員が、カルデアで一番弾けた人物を質問されれば、まず最初に所長の名を挙げるくらいだ。これまでマリスビリーが開くことなどなかった新入職員歓迎パーティにおいて、運命力が低い籤運皆無なカドック・ゼムルプスは意味も無く一発芸を披露させられ、芥ヒナコはコスプレで露出“強”なチャイナ服をずっと着せられていた。

 

「でしたら、何も問題にはならないです。是非、私共に期待して下さい、オルガマリー所長」

 

「ええ、分かってるわ。アン・ディール」

 

 今日が、当たり前なカルデア最後の一日。その朝の出来事であった。

 







 アン・ディールの正体は後程に。また英語表記ですと原罪の探求者アン・ディールはAldiaとなり、Aldia, Scholar of The First Sinとなります。ここのアン・ディールとは別人となります。このアン・ディールは名前を受け継いだ不死でしかありません。

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