血液由来の所長   作:サイトー

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啓蒙26:生ける薪

 襲撃より一日後、灰は独り静寂に佇んでいた。今はもう闇に満ちた心の中で自分自身と問答を繰り返すだけ。長い二千年の旅を振り返り、だが今も尚、彼女は旅の途中である。

 ―――……この世界に由来するダークソウルは失敗だった。

 魂を貪り、死に臨み、天寿を迎えた人間のソウルからダークソウルは生み出されなかった。憎悪のまま死に、無念に朽ち果て、呪いに染まり堕ち、そんな人々の魂を自然と集めたが、そこから新たなる火種の闇は作れなかった。それは、ただただ悪性情報に過ぎなかった。純粋なる闇とはならなかった。

 この空の魂は炉となり、死者の想いの―――受け皿にしかならなかった。

 だから、せめて闇に落ちれば良い。暖かい暗黒が死の苗床となれば良いと思った。やがてこの魂そのものがあの世と呼べる程の膨大なソウルの渦となり、器の中身は腐り果てたが、闇と火は何一変わらず。闇は全てを在りの儘に受け入れ、火は在りの儘を照らした。そこから湧き上がる腐った感情は生きた人間性となり、灰に動く心の代わりとなったが、所詮は仮初の集合意識塊。

 絵画世界を全て焼き、この世界に来たが―――ソウルの業など何処にも無かったのだ。

 天寿を許された人間の魂はソウルの糧となったが、灰の人間性が無ければ人の闇とならない。闇を拠所にする意志に過ぎない。呪いを叫び、死に喚くも、それは悪であって闇ではなかった。そして、闇は悪でもなかった。灰のソウルとなった魂は、腐ったソウルに堕落した。亡者の王として至った暗い魂には程遠い。暗い魂に染まったのに、人間性には溶けたのに、火の薪となるには不純な闇だったのだろう。薪の燃料にはなるが、薪にはなれない腐った闇こそ、天寿を持った悪性の運命であった。

 

「……―――――」

 

 だから、何時もで良かった。何処でも良かった。既にソウルは十分に収集した。この心を消費するのも、既に中身となった全員が嬉しいと喜んでいた。儀式の生贄となることを、世界を焼いても足りない程に尊んでいた。

 儀式とは―――火継ぎの儀。

 灰が生まれた世界は、神が火継ぎしたことで差異が生まれた。

 命が無い故に、死も無い灰の世界。灰の他にあるのは、樹と霧と古竜だけ。そして、深く沈む場所にある命を生み出した闇だけだった。闇から新たな生物が生まれ、最初の火を見付け、そこから王のソウルを見出すまで、命亡き不死の古竜が支配する霧に覆われた灰の樹林でしかなかった

 ―――最初の火の炉。

 火の時代は其処から始まり、神が支配する太陽の世界となった。

 古竜が駆逐された末、闇から這いずり出た神々が自分達と同じ闇の生物全てを統べる神都を建国した。故に、最初の炉によって始まった火継ぎは、あの世界における一番最初の儀式であった。火から太陽を作り上げた錬成こそ、神の時代を作った神秘であった。

 

「――――火よ、此処に」

 

 追放者の錬成炉を広げ、灰そのものが二重の炉となる。膨大なソウルに反応し、まだ生きている灰の魂が錬成炉に反応する。そして、亡者の暗い穴と、その中にある最初の火が、互いに錬成の触媒として機能し始める。

 

「甦りながらに、空の器。何も無い魂こそ、灰の本性」

 

 ソウルより呪文が流れ出る。絵画より漂着したこの人理が支配する新たな世界にて、灰はソウルの業とは別種の神による力を学んでしまった。その神秘が彼女に新たな叡智を与え、火継ぎを唄い直す呪文と魔術を魂に呼び起こす。

 ならばこそ、火継ぎの儀に相応しい姿が望まれる。

 最初の火で解けた上級騎士の鎧。火継ぎの果てに薪となった思い出(ソウル)の集合体。彼女は黒ずんだ鎧を身に纏い、その右手に捻れた螺旋剣を手に持った。

 首を―――裂く。

 血液が刀身に纏わり付き、燃え上がり、血の炎が刃を捩り焼く。

 

「亡者の穴を開け、それを炉に火を奪い、しかし我が魂は全てを受け入れる。火も、炉も、霧も、命も、死も、何もかもを身の内に。

 全てを我らの魂は貪り、何もかもが深淵より暗い闇に溶けて逝く」

 

 アッシュは元に戻って行く感覚を、灰らしく何の喪失感もなく理解していた。何かを苦しいと思う事も、何かを嬉しいと思う事も、刺激を受けて反応する中身が無ければ魂には響かない。

 火の無い灰(アンキンドレッド・ワン)とは―――亡者ですらない人型の器。

 灰の方(アッシェン・ワン)とは―――中身を枯らした空の不死。

 ソウルによって亡者は動くが、灰はそのソウルさえも必要ではない。何も無くとも、魂が覚える使命の為に動くだけ。重要なのは魂ですらなく、人間の闇でさえなく、嘗ての魂から生まれた意志だけだ。

 空であるとは、器であること。

 入れ物に過ぎない灰はソウルを渇望するが、何かを望むのにソウルなど要らなかった。だから今の彼女は、アッシュ・ワンと名乗ることにした。灰になった人ではなく、人になった灰で在るのだと。

 

「―――私は灰。燃え滓になった薪の末路」

 

 誰もが無意味な勘違いをしている。ソウルを喰らえば、それを得た個々人のソウルは元のままで在るのか―――否。違う情報を取り込めば、そこから魂は違う別に転生している。その時点で、もはや別人の魂である。喰らえば喰らう程、亡者になりたくないと願う元の自分から作り代わり、やがて忘れたくない自分自身から掛け離れる。

 ……多くの、思い出がある。

 記録も残っていて、肌で感じた記録がある。

 灰となる前の彼女の始まりは、ただの白教の教会に仕える聖職者に過ぎなった。当たり前な日常を過ごしていて、不幸な出来事で偶然死んでしまって、亡者となって生き還った。人々に迫害されて、生まれ育った村を焼いて、初めて人の魂を貪った。目的もなく彷徨い、死んでは魂を失い、怒り狂って敵となった人々を皆殺しにしながら放浪を続けて、やがて噂で目的とすべき土地を知った。

 ―――ドラングレイグ。

 湖に隠された骸の渦にて、階層に分けられた国。亡者の聖職者は、何も無いのが耐えられなくて、救われたくて、答えを欲して旅を続けた。

 

「行くしかないんだよ、死ぬことも出来ない旅にね」

 

「貴女は……継ぐ者ですか?」

 

「私の名はソダン。あなたと同じ……全てを失って、ここへ来ました」

 

「気持ちってもんがあんだろ!? 常識ねえのかよ!」

 

「まったく、お前もあのバカ娘と同じか。フラフラするのも、ほどほどにしておけ」

 

「貧弱なる呪われ人よ!

 我がストレイドのスペル、オヌシに使いこなせようか?」

 

「そなたの道を行くが良い」

 

「死ねばよかったのに……」

 

「ああ……どうして……? もう離さない……」

 

「貴公とは、幾度も死地を超えた仲。友よ、これを持っていくがよい」

 

「私がまだ、正気でいれられるのは、おまえのおかげだからな」

 

「おのれ……気付かれたかよ……却って遠慮なく殺れるというものか、ハハハッ!」

 

「求めようとすることが、生の定めならば」

 

「火を求める者、王たらんと欲する者よ。

 力を手にするがよい。そして、汝が望むままに……」

 

「私の名は、シャナロット」

 

「不死よ、試練を超えし不死よ。いまこそ、闇とひとつに」

 

「光さえ届かず、闇さえも失われた先に……何があるというのか」

 

 原罪の探求者を引き継ぎ、旅をし、灰は世界の真実を知って眠りに着いた。しかし、彼女の墓は暴かれ、何時かの為に灰として墓所に置かれ、鐘の音によって死から目が覚めた。その時、答えを得た筈の亡者は空の器となり、王を玉座に戻す灰に再誕してしまった。

 ―――ロスリック。

 最初の火継ぎを再現する為に建国された呪われし国。使命しかない灰は、空っぽの魂のまま終わらぬ火継ぎを彷徨い続けた。

 

「篝火にようこそ、火の無き灰の方」

 

「ケチな盗人だが、育ちのいいバカよりは余程役に立つ」

 

「じゃあな、無事でいろよ。鍛えた武器が無駄になるからな」

 

「何れすべておわかりになる、我らの王よ……」

 

「そうだ、貴公、共に食事はどうだ?

 ジークバルド特性のエストスープが、丁度できあがったところなんだ」

 

「エルドリッチを、あの人喰らいの悪魔を、殺すために」

 

「無事でいるのだぞ。貴公、私の弟子なのだから」

 

「……貴公は、彼の魂を救ってくれた。

 ありがとう。友人として、礼を言わせてくれ」

 

「いってらっしゃいませ、英雄様。偉大な使命を、お果たし下さい」

 

「だから君も自分の意志で選びたまえよ……それが酷い裏切りならば、尚更ね」

 

「……私たちのことは、もう放っておきなさい。

 貴方はもうロンドールの王。導くものがあるのですから」

 

「……ああ、あんた、それでこそ世界を焼く者だ。アリアンデルに火を。腐れを焼く火を」

 

「精々祈ってるぜ。あんたに暗黒の魂あれ」

 

「ああ、これが血か。暗い魂の血か」

 

「新しい絵が、お爺ちゃんの居場所になるといいな……」

 

「さようなら、灰の方。貴女に寄る辺がありますように」

 

 他者であろうとも、喰らった魂は例外無く灰の自我境界より内側に存在した。薪の王となった数多の不死達の思い出は、灰に喰われ、その魂もまた薪として亡者の孔へと捧げられた。薪の王となった全ての生贄のソウルが空の魂に刻まれ、彼女は最初の火継ぎを行った大王グウィンと、その大王を殺して薪の不死となった英雄を始めて知った。

 ―――ロード・ラン。

 神都アノール・ロンドが置かれた神々の世界。そして、世界蛇と暗月の神が始めた輪廻の元凶。

 

「目覚ましの鐘を鳴らし、不死の使命を知れ……」

 

「俺はアストラのソラール。見ての通り、太陽の神の信徒だ」

 

「人を殺して奪うのが、一番人間らしいかもしれねぇなぁ……ハハハハハ」

 

「良し、いってこい。馬鹿弟子が、亡者になんてなるんじゃないぞ」

 

「……貴公は筋が良い。無駄死にするでないぞ」

 

「なぜ、そっとしておいてくれないのです。

 ……そのための、このエレーミアス世界なのでしょう?」

 

「哀れだよ。炎に向かう蛾のようだ」

 

「太陽‥…俺の太陽よう……」

 

「竜に挑むは、騎士の誉れよな」

 

「姉さん。ねぇ、姉さん、泣かないで。

 私はずっと幸せよ。姉さんがいてくれるから……」

 

「どうか、皆を、救って下さい……お願いします」

 

 終わらせた世界と辿り着いた世界。足掻いた果てに灰はこんな世界で現代まで生きて、死ねぬ故にソウルを貪り続けた。そして娯楽としてこの文明を学び、とある思考実験を知って、疑問が一つ湧いてしまった。実験を考えた哲学者曰く、スワンプマン。本人が死んでいようとも全く同じ人間が泥より生まれ、何も変わらず生活するならば、その人間は生きているのか?

 しかし、嘗ての亡者だった自分は、終わりの残り火の時代にて―――灰として再誕した。

 もはや何も変わることさえ出来なくなった。ソウルを幾ら渇望して貪ろうとも、亡者にもなれなくなってしまった。灰はテセウスの船でもなければ、スワンプマンでもない。灰は、それこそ体が燃えて灰になろうとも、灰のまま魂を維持するのだろう。そして、灰はまた集まって火の中から生まれ出るのだろう。

 

「さようなら―――私の二千年。

 こんにちは―――私のソウル。

 おめでとう―――私の人間性。

 我が器から死に行く全てに、どうか焼き焦げる残り火の導きを―――」

 

 胸に空いた巨大な虚。暗い穴は亡者の王が抱く闇。その奥底に燃え上がる光こそ、灰の世界から生まれ出た最初の火。生命の色がない灰から火は始まり、そして灰の亡者の穴に還り、やがて火は一人だけの魂に堕落した。

 炉に再び、捻れた螺旋の剣を。

 篝火から、世界を焼く火炎を。

 さすれば、またこの世にてあの太陽が昇るのだろう。

 

「―――人で燃える太陽に、闇の寄る辺がありますように」

 

 暗い亡者の孔に螺旋剣が突き刺さった。炉として火を引き起こし、孔から魂を焼く最初の火が漏れ出した。魂と闇を燃料にする赤い火は、やはり空の器に溜まったソウルを焼いて燃え上がるのみ。そしてサーヴァントと竜血騎士に留まっていた人間性の膿も亡者の孔に吸い流れ、深く暗い炉に全てが収束した。

 ―――故、灰は黒い血の涙を流す。

 涙は黒く発火し、瞳は闇の洞となって黒く燃え上がり、ソウルを貪る口からは黒炎を吹き出した。そして肉体全てが指先まで紅蓮に包まれて炎上し、頭髪も全て燃え剥げ、樹木と似た古竜よりも更に良く燃える薪となった。全身が血液よりも真っ赤に燃えているのに、黒い涙と黒い目と黒い口だけはそんな炎も燃料に暗く燃えていた。

 亡者の孔より、闇が薪のように焼かれていた。

 暗い炎が、火の炉から漏れる炎を喰らって燃えていた。

 この腐った世界で誰かに殺されて死んでいった人々のソウルと、死者の憎悪と怨念に染まった人間性を燃料に、最初の火の炉に魂と闇が投げ込まれた。螺旋の輪廻は、捻れた刃より解きは放たれた。

 

〝どうか、火の導きのまま良き旅を”

 

 人理が支配し、文明と共に人もまた腐ってしまう世界にて、人に殺された誰かの魂もまた腐れ逝く。灰は人のソウルを貪ったが、空の器となった自分の魂に貯め続けた。命亡き魂のプールは、しかして流れなく不動のまま、けれども器の中からずっとこの世界を見詰め続けた。空の魂でしかない灰と共に居たのに、憎み過ぎて腐ってしまった自分達。忘却を失くし、人類に捧げた怒りと恨み。それでも誰かに命を奪われた誰かの魂は、灰の器へと漂着していった。まるで憎しみだけに染まる地獄へと落ちたようだった。ならば、腐ろうとも命の最期に上げた絶叫の意志だけは忘れまい。

 せめて―――憎悪の儘に、悪で在れ。

 腐るほどに忘れ、魂は澱み、暗い闇を深く腐敗させ続けるのみ。

 

〝ありがとう、灰の人。家族を殺されて悔しかったが、人の家族を殺せて良かった”

 

〝ありがとう、灰の人。愛した人を屑に犯されたけど、誰かの愛を穢せたよ”

 

〝ありがとう、灰の人。平和だった街を焼かれたのに、今度は村を焼き返せた”

 

〝ありがとう、灰の人。国の為に戦ったけど殺されて、誰かの為に戦う人を一杯殺したぜ”

 

〝ありがとう、灰の人。玩具みたいにされて死んでね、自分と同じで皆を玩具にしたの”

 

〝ありがとう、灰の人。男共に貪られて穢れましたが、その男を陵辱して殺せました”

 

〝ありがとう、灰の人。国に民族を虐殺されたからさ、人を殺し尽くせて楽しかった”

 

〝ありがとう、灰の人。魔女狩りを受けて処刑されて、だから聖職者は拷問したんだ”

 

〝ありがとう、灰の人。奴隷にされて餓死したけれど、大勢の人を食べて殺せました”

 

〝ありがとう、灰の人。戦争で降参したのに殺されて、無抵抗の人を殺して上げた”

 

〝ありがとう、灰の人。生きたまま楽し気に屠殺され、次は楽しく人を死なせたよ”

 

〝ありがとう、灰の人。苦しいだけの人生のまま終り、でもこの宴は凄く愉しめた。

 

〝ありがとう、灰の人。無念のまま憎悪に満ちたけど、大勢の魂を道連れに出来た”

 

〝ありがとう、灰の人。このおぞましい腐った世界を、皆と一緒に焼けたんだ”

 

〝ありがとう、灰の人。私たちは不要な邪悪ではなく、死ぬべき悪として死ねました”

 

 人を殺させてくれて―――ありがとう。

 魂を火に焚べさせて―――ありがとう。

 腐った魂は、人の魂を最期に殺せた事がどうしようもなく嬉しかった。腐った悪として、世界に忘れられない邪悪が為せた。そして、そんな腐った穢れを灰に変えてくれる彼女の意志が嬉しかった。望みを果たし、芯まで腐敗する憎悪も闇の薪として殺してくれる。

 誰かの魂を奪って死ねることを、全員が皆を祝福して、灰に感謝を捧げていた。

 

〝だから―――ありがとう、空の魂で皆の闇を受け入れてくれて。

 この世界からすれば小さな悪で、残り滓に過ぎない憎悪なのかもしれないけど、それでも私達は自分の為に悪を為せずに消えたくなった”

 

 ……消えてしまう。

 器の灰を満たしていた暖かい闇が消えてしまう。

 取るに足らない有象無象に過ぎないと今を生きる人間共は、死んだ人間を哀れんで記憶から消して、社会にとってただの情報として記録されるだけの残骸で、それでも灰は目に付く残り滓を救い続けた。死んだ人が家族なら、身内なら、死ぬまでは記憶し続けるが、人にとって赤の他人の死に価値はない。

 だから、彼女は魂を収集した。

 誰かに殺された魂を、空の器を満たすソウルとして貪った。あの世界を焼く為に何もかもを失い、それでも闇は人間性として人々の苗床となった。

 ―――集合意識体。

 暗い器を拠所にしたソウルの渦。故人らが持つ個別の意志は全て溶け、だが数多の憎悪が持つ一つの塊に成り果てた。もはや個人としての意識はなく、在れるのは灰がこの世界の人間共を観測することで形を妄想し、悪性の仮人格として存在する死に際の断末魔。憎悪が渇望する意志の形を、抜け殻の人間性に灰が与えていただけ。その悪心は真実ではあるも、本当の人格では非ず。

 本質はソウルの業と闇による魔術、追う者たち(アフィニティ)と同じ。穴から涌き出るソウルの意志を、生きた人間に宿らせるもの。即ち、与えられる意志はこの世界で生まれた人の闇。本来の人格は闇に消え、分かり易い悪性の心しか持ちえない腐った魂の使徒に過ぎなかった。子供のように簡略化された精神のまま、邪悪を愉しむ腐った心しかソウルの渦はもう生み出せなかった。人を殺せれば嗤い、人を苦しませて哂い、地獄を作って笑うことしか出来ない腐り人にしかなれない意志だった。そこに個々人の意識はなく、そう腐っただけの現象でしかなかった。

 

〝私からもありがとうございます。

 こんな灰を、アナタ達は火から守ってくれる闇になってくれました”

 

 ずっと、ずっと、こんな腐った世界に来てからずっと、彼女の魂の中に居たソウルが喜びながら無に還る。ソウルが灰となる太陽の炎に燃やされ、残り滓もなく消えて逝く。

 元より神代だった人理の世界に来た時、灰は灰だった。その魂の中にソウルはなく、火の簒奪者となって絵画世界を焼く時に、魂にあったソウルを全て使い尽くした。何も無い灰のまま、空っぽの魂となって、究極の器はこの世界に漂着した。

 だから―――喜んでいるのは、この世界の人々だった。

 それは人間が滅ぼすべき悪なのかもしれない。人類全ての闇なのかもしれない。けれど、この悪意が生まれる前に消える事だけは、闇に堕ちた魂は絶対に許せなかった。自分達が悪でない事が、世界を焼き滅ぼしても良い程に許せなかった。

 魂の産声を、この特異点で全員が上げられた。

 灰から這い出た暗い意志は人に憑き、人となり、人を超えた深淵に変貌した。

 ―――祈れ(Pray)

 全て無駄だった。

 闇は火の光に炙られようとも闇だった。

 生まれなければ無価値となり、生まれ出れば不必要と人間に切り捨てられた。

 

「だから、奴らに祈りの意志を―――」

 

 些細な魂の脱け殻が、人に牙する人類悪となる。やがて滅ぼされる悪となる。けれど、灰の空に悪はなし。在るのは火と闇だ。

 

「―――されど、闇こそ魂の母なれば……」

 

 獣にも成れない闇は、人類を愛していた。殺しても、殺しても、殺し足りない程に認めて欲しかった。此処に悪が生まれたのだと、悲劇で以って世界を焼いても分かって欲しかった。

 闇は、理解されぬ。

 人は、湿っている。

 魂は、乾いている。

 火は、薪を欲する。

 

「……人の火よ、暗い私に死の温もりを」

 

 死は―――命を望んでいた。

 何もかもが渦となって空の器が渇いて逝った。

 灰はソウルを貪る渇望を本能とする亡者の末路だが、だから魂の願いを叶えるのなら自分が腐るのも良しと出来た。彼ら全てを火を甦らせる生け贄として燃やすため、更に人のソウルを貪って腐らせることを厭わなかった。

 

〝火から見出すは王のソウル。闇は神となり、人は薪となった。故に薪に燻る火を簒奪した私は神でも人でもなくなり、薪を持つ灰となりました。

 ならば―――残り火を再誕させた私は、灰のまま何を見出せると言うのだろうか”

 

 辿り着いた世界にて、彼女はソウルの根源に邂逅した。嘗て神だった古い獣から授かったソウルの業は、アッシュ・ワンに新たなる神秘を見出させ、灰の不死を薪の不死へと再誕させる儀式を夢見させた。

 寿命がデザインされた不死ならざる魂。

 命と言う熱い断末魔が約束された人間。

 人間性は闇に過ぎない。思いのまま人を変態させる小人の業。

 ならば人の形を魂に変質させるのではなく、これ程に人の心を悪に変異させるのは、亡者の王である灰が持つ闇たる人間性ではなかった。

 ―――闇は悪ではない。

 死した人が悪で在れと闇に希っている。死人の想いが、闇を悪に染めたのだ。

 

〝さようなら。貴方達の魂は、死なねばならない”

 

 最初の火はその邪悪なる人間性を残さず浄化し、炉に焚べられた燃料として焼却し切った。器の魂は腐らず、だが彼女のソウルは腐り果て、しかし終着は訪れた。

 

〝あり……が……とう……―――”

 

 邪悪な人間性の意識は、最後まで感謝を唄っていた。火に注いで殺してくれて有り難うと、腐った闇をこの特異点で生んでくれて有り難うと、最期の一欠片まで満たされたまま燃えて逝った。

 個々人の意志などない。在ったのは、清算された断末魔。

 人間性に成り果てた死したこの世界の亡者共は、怨念を晴らし、火によって無へと還ることが出来たのだろう。

 

「―――火よ」

 

 灰の世界が燃え上がる。残り滓だった最初の火は始まりに戻り、それを収める炉は深淵を超えた闇に至った。

 

「残り火よ。我らは火によって灰となり、闇を越え、また人を取り戻す」

 

 ―――雷。即ち、力。

 ―――光。即ち、影。

 ―――熱。即ち、死。

 ―――薪。即ち、闇。

 グウィンが見出した業。イザリスが見出した業。ニトが見出した業。小人が見出した業。そして、灰が見出した火を宿す暗い穴の炉。ならば、灰はあらゆるソウルが持つ渇望を果たした。

 ―――炉。即ち、火。

 それこそ灰の業。故に差異の無い世界から生まれた最初の火の炉は、三柱の神が作り上げた一番最初の錬成炉に他らない。闇である薪の権能が欠けた神の奇跡は、こうして完成する瞬間を迎える事が出来た。

 

「私は―――亡者の王である」

 

 螺旋を抜き取り、炎が迸り、だが火が闇の孔に吸い込まれる。太陽のように世界を輝かせていた薪の火炎は消え去る。

 焼かれる薪の王は消え、そして新生した。

 灰は火の簒奪者を超え、しかし渇望した。

 理はもう消えた。灰はまた空っぽの不死に再誕され、残るは火と闇の炉だけ。自らが器となって補完した魂の渦は消え、過去は全て炉の中へと焼却され尽くした。新たなる深化を経た筈のダークソウルの欠片達は、しかし今この瞬間を以って燃え殻となった。闇を受け皿にした不死ならざる天寿のソウルは薪に変質し、今は器でもある暗い魂は火に炙られ、また純粋なる腐れ亡きダークソウルに生まれ直した。

 

「―――――――……」

 

 灰は、全てを終わらせた。錬成炉を自分の魂に戻し、目を瞑って内側を俯瞰する。

 ―――火と闇だ。

 残り火は闇を燃やし、薪の王を焼く力を取り戻す。

 彷徨い繰り返したの火継ぎの儀と同じく、彼女はまた世界を一つ焼き滅ぼした。アリアンデルを焼いた火は、まだ灰の炉で火種となって闇を焼き、こうして火の炉へと戻って行った。

 

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

 

 黒い血の涙が流れ出た。殺して欲しくて堪らないのに、人を殺す為にまだ生きなければならなかった。魂の中で蠢いていた意志が消え、残ったのは人間性の闇だけで、その残滓だけが魂を染め続けているだけだった。

 魔女は、涙が出るのを止められなかった。

 灰から受けた人間性―――その闇が、唄っていた邪悪の声が途絶えた。

 魂の腐敗は止まり、変質した魂がこれ以上に蠢くことはない。変わり果てた霊基に変化はないが、呪いの声をもう聞くことはなくなった。

 

〝―――あぁ、復讐だけしかなかった。憎悪だけで良かった。

 あの人が魔女となった私に、こんなどうしようもない人間性を忘れさせてくれたのですね。望んでいたことで、甦る事は分かっていたのに、人が人を殺すのはこんなにも、取り返しがつかない罪だったとは”

 

 憎悪は変わらない。目的も変わらない。ただ、呪いの声で塗り潰された倫理が戻っただけ。それは人道でもあり、道徳と呼ばれる感情でもあった。

 そして黒い血の涙は、暗い魂から漏れ出た感情。

 人間性はそのまま魂にあるのに、その人間性を通じて聞こえていた腐った魂が泣き叫ぶ声がなければ、その闇が邪悪に変わることもない。

 

「―――ジャンヌ。大丈夫でありますか?」

 

「問題ないわ。憎しみ以外に、また人の心が甦っただけだもの」

 

「お辛いのでしたら、また私めがアッシュに懇願しても―――」

 

「―――止めなさい、ジル・ド・レェ。

 契約は契約です。何より今の私は憎悪の裁定者ではなく、一人の人間から生まれた復讐者で在れば良いだけです」

 

「畏まりました。貴女がまた祈りを覚えたのでしたら、神ではなく自分の魂にこそ、その啓示で以って意志をお聞き下さいませ」

 

「…………心配性ね。分かってるわよ、そんなこと」

 

「それだけは、仕方が無い事だと受け入れて頂ければ。まこと、貴女に仕えるサーヴァントとして幸いであります」

 

「けれど、貴方は平気みたいですね?」

 

「私は元より呪いを受けておりません故に。霊基を蝕むこの狂気に、他者の断末魔は不必要でありますれば……ええ。このジル・ド・レェ、復讐の意志に陰り無し」

 

「そう……―――なら、良かったです。

 他のサーヴァントはほぼ腑抜けになってしまわれましたから。傀儡の儘なので問題はないですが、獣性は人間性を喰らいますが、そのまた逆に作用するのが我らの精神です」

 

「まこと、その通りかと。しからば、最後の戦場にて捨て駒にすれば宜しいでしょうな。

 ……あぁ、それと我が魔女よ。遅くなりましたが、これを」

 

 ジルは王に従う敬虔な臣下のように、懐からハンカチを取り出した。

 

「貴女に黒き涙はとてもお似合いですが……このジル、ジャンヌの泣き顔は好きではありません」

 

「―――……どうも。受け取っておきます」

 

 この世に呼び出された時、喪失していた筈の感情。フランスを焼き尽くした故に立ち戻ることなど許されないが、優しい言葉をジャンヌは素直に感謝する機能が戻った。だからジャンヌは血涙を拭くも、黒い涙は止まらず、布を黒く呪いで染めるだけ。

 止まらない涙は、誰が流す泥なのか?

 現代まで死に続けた人間達か、この特異点で虐殺された民か、それとも闇に溶けた魂の集合意識か。あるいは、死にたくないと叫ぶ皆の涙が悪性に染まる人間性と成り果てたのか?

 

「誰かが……あの時に手を伸ばす誰かが居れば、こうはならなかったのかもしれませんね」

 

「しかし、そうはならなかったのです。ならなかったのですよ、ジャンヌ。涙を流す貴女に、誰も手を伸ばさなかった。

 その結末が―――このフランスです!

 故に私は、侵略者と故国を犯す復讐の機会を与えられました!

 さぁ……我らの首魁、竜の魔女ジャンヌ・ダルクよ、最後まで共に殺し尽くしましょうぞ。涙の対価でフランスを焼き、そして全人類は燃やして払わせるのです」

 

「―――当然です。罪悪なんてもう無価値です。

 何が憎いのか分からなくなるまで、私は魔女として焼き払いましょう」

 

 玉座から立ち上がり、魔女は何時も通りに歩き出す。元帥はその背中を愛おしそうな瞳で見詰め、しかし口元は狂おしい笑みで歪み切る。

 オルレアンの魔城にて―――絶叫は木霊した。

 ジャンヌ・ダルクがそうで在るならば、他のヒューマニティ・サーヴァントも同様だ。

 人間性(ヒューマニティ)受霊匣(サーヴァント)の名に相応しく、全ての英霊が本来持つべき人間性を取り戻してしまっていた。呪いの声で憎悪と怨念に錯覚していた倫理と人道が、その魂に再び獣性から人らしさを与えてしまった。

 

「殺して、ころして……誰か、私を―――私の魂を、灰に変えて消してくれぇ……」

 

 廊下の隅で丸まり、女が一人でジャンヌと同じ黒い血涙を流していた。彼女との違いは、誰もそんな女の涙を拭こうとする者がいないことなのだろう。

 

「哀れですね。罪悪感を取り戻し、倫理と言う人間性が甦り、しかし獣性は人間らしく残ったまま。だから、貴女は憎悪の黒い炎で魂を焼いて欲しいのですか?

 私とて元は人間なのですから、人並みの倫理観を持っているのですよ?」

 

「お願いだ……―――ジャンヌ・ダルク。

 殺してくれ、殺して……私を燃やしてくれ。こんな罪に、耐えられない……ッ―――!」

 

「獣のまま―――戦って、死ね。

 贖罪なんて、我ら英霊に存在しない。何に変貌しようと、罪に押し潰れるしかないのだから」

 

「あぁぁ……ぁあああああああああああああああ!!

 私は、私は―――殺したんだ。殺して、しまったんだぁ……気持ち良かったんだ。あんなに復讐が気持ちいいなんてしらなくて、魂があんなに美味しくて、快楽のまま食べたくて……誰か、だから誰も良いから、魂の腹を裂いてくれ。

 私の中から、子供たちの魂を―――毟り、出してぇ!」

 

「御可哀想に、アタランテ。このジル・ド・レェ、貴女様の気持ちは良く分かりますとも」

 

「う……ぅう―――ぁあ、あああ……貴様に、貴様に何が……!?」

 

「人で遊ぶは楽しくも、やはり罪業は積み重なるもの。ですので……ほら、聞こえましょう?

 貴女の魂の中で、貴女を決して許さないと皆が死ねと叫んでおります。私にも、貴女が食べた子供達の叫びが、貴女のその胎内(ハラワタ)から聞こえて来るようですぞ。

 ―――……私も、そうでした故。

 耳を澄ませば、何時でも聞こえてきます。そして幼子の断末魔を思い出し、静かにワインでも飲むのが通の楽しみになりましょう」

 

「―――違う!

 違う違う違う違う、違う違う違う違う……違う、違うんだ。違うんだ私は、私は気持ち良く何てなりたくなった、貪りたくなんてなかった、お願いだぁ……違うんだ。責めないで、思い出させないで!

 聞こえる……声が、聞こえる―――あぁ、子供たちの声が……腹から、聞こえる……アハ。

 ははは―――はは、あっはっははははははははははははははははははあははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!」

 

「……ジル、壊れたわよ?」

 

「仕方ありませんねぇ……ま、手段を問わねばどうとでもなるでしょう」

 

「そう」

 

「はははははははははははははははは!!」

 

 罪悪の血涙に顔を濡らし、壁に寄り掛かって座り込む。両手で涙を幾度拭き取ろうと止まらず、腹から貪った魂の断末魔が止まらずに、だが耳を塞いでも意味はない。呪いの声は彼女の脳髄へと直接響いていた。

 そんな笑いながら黒い涙を流す女だった獣を置き去り、二人は足を進める。

 

「余は、余は……―――吸血鬼ではない。ないのだ!

 楽しんでおらぬ、遊んでおらぬ、人を弄んでなぞおらん。故、違う……余では無い。オスマンの外道共を殺しただけだ。あの鬼畜共を根絶やしに……余は、この我が故国を守る為に―――竜の子として……違う!!

 オスマンでは、ない…………?

 あやつらは余の騎士団では、ワラキア公国軍ではなかった?

 ならば、ただの人でなし……―――化け物。人喰いの化け物ではないか……吸血鬼では、ないのか?

 余は、ただの吸血鬼だったの……か?

 有り得ない、有り得ない有り得ないのに―――黒い血が……泣いておる。魂を喰らった余の血が、余の全身で……あぁ、狂おしい。余は、吸血鬼だ!

 ふふふ、ふはははははは……―――殺してくれ。心臓を、誰ぞ串刺してくれ……!!」

 

「マリーを殺した。殺した、殺した。僕がまた……また、違うんだ。マリー、違うんだ。フランスが望んで、薄汚い民衆が求めて、やつらが血濡れた虐殺を愉しんでいたんだ……!

 さぞ楽し気に、奴らが喝采して人殺しを喜んでいたんだ!

 僕は全てを見届けた。殺して、殺して殺して、処刑台の上から見届けた!

 気色の悪い人民共、腐れた狂う愚衆共、処刑を求める屑を今度は僕が―――処刑する!

 人の死を嘲笑う国民に死を与えたい。特異点こそ人類の首を斬り落とす断頭台なれば、この僕が処刑の紐を斬り落そう!!

 だから、だからぁ……―――誰か、僕の首を……斬ってくれ」

 

「ゴロジ……ワレラガキシオウ……キッタ。ダカラ、ワタシハテキヲキッタ。ワタシハ、ツミガ、タマシイノナカデ、タマシイガ……ダンザイヲ。ダレガ、ワダジニダンザイヲォォオオオオ!」

 

「誰も教えてくれなかった、誰も何も言わなかった、誰も死体を気にしなかった、誰も私の所業に関心を向けなった!!

 アナタは喜んでくれた!!

 子供達も受け入れてくれた!!

 召使い共も笑って協力してくれた!!

 何で、どうして、誰が惨たらしく死んでも興味なかったじゃない!?

 家畜を殺して何が悪いのよ、私が育てた動物じゃない、私達以外の人間なんてペットじゃない。私と同じ訳はない、虫と同じで痛いだなんて思わない!!

 血よ、血だけが私を美しくする。もっと、もっと浴びないといけないわ。

 伯爵夫人なんだもの。血の伯爵夫人で在るのだもの。あの御方に相応しい美貌にならないと、血を吸ってならないと……うふ!

 ふふふふふ、あはははははははははははははははははあははははははははっはは!!!

 だから、もっと捧げなさい。捧げて、捧げて―――私を、殺しなさい。そうよ、殺せ、殺しなさい。何で、あんな暗闇に閉じ込めて……ころせ、ころせ、私を殺せよぉ……あの娘らみたいに、惨たらしく殺しなさいよッ!!!」

 

 自分の従僕を集めていた大広間。アタランテは発狂の末に廊下に飛び出て、罪悪感に悶えていたが、他のヒューマニティ・サーヴァントは絶叫のまま頭を掻き毟っている。

 ジャンヌとジルは、ゆっくりと見回して微笑んだ。

 計画通り、サーヴァントは精神を崩壊させた。意志を持たない殺戮人形として、有効に使い潰す事が出来るだろう。無論あの竜血騎士団も自分が吸血鬼に成り果て、殺戮を尊んだ罪科に苦しみ、この英霊達と同じ存在になっていることが予想出来る。初期の吸血鬼は囚人を運用しているが、今やその大部分は一般人を吸血鬼化させただけの連中であるのだから。

 何より、そもそも彼らには悪に染まる人間性の意志が、その意識に干渉していた。殺戮に酔い、女子供を喜んで犯し、愉し気に人々を処刑する。そのような分かり易い邪悪な人格に変貌していたのも、悪の受け皿となった闇の意志によるもの。大元からの呼び声がなくなれば、その魂が闇に染まっていようとも、元のカタチを取り戻すのは必然だった。

 誰かを、恨んでいるのではない。ただ憎いだけ。

 人類種と言う生命と、そして人間が生きる世界にとって―――罪で在れ。

 その役目と終えたサーヴァントと騎士は、人間が人間に悪として仇為した罪業から解放された。闇に染まる魂は変わらないが、あるべき善性を全員が取り戻した。結果、快楽のまま獣となった己を罰する自責の念により、皆は精神を崩壊させた。

 

「阿鼻叫喚。酷い物ですが……英霊に、罪悪と言うものは良く効くのでしょうね」

 

 だが、まだまともに喋る英霊が二人。

 

「アタシゃ、アンタらの手口にドン引きじゃよ」

 

「そう言う貴女は余り聞いていないようだけど、デオン?」

 

「否定したいのじゃが……老化した上、そもアタシは亡者化した魂喰らいの化け物よ。魔女さん、アンタほどの怪物じゃないがの」

 

「だからアッシュからはババアになったって聞いたけど、老化に亡者が関係しているのですか?」

 

「アタシゃ灰女に与えられた人間性を拒否し、そして奴らの呪いが霊基に溜まって枯れたのじゃ。そうよなぁ……強いて言えば、半分英霊、半分亡者じゃな。

 ……半端な亡者となった故、こうして顔が百合のように枯れたのよ」

 

 得た人間性は、望めば知識を容易く与えた。脳の中で、数多のヤツラが囁いている。闇はまるで仲間を求めるようにデオンを誘い、だが不死ではない為、枯百合の騎士は老化によって亡者へと近付くのはさけられない。

 

「じゃが、そもそも人間と国家に失望したのが老いたデオン(アタシ)だ。端から全て諦めておる。辛いし、苦しいが、まぁ普通に狂っておるだけじゃよ。

 取り敢えず死ぬまで戦えれば―――それで良し。

 佐々木何某、アンタもアタシと同じでそれだけで良いじゃろうよ。ま、そっちはまだまとものようじゃがな」

 

 涙を流す老婆。男は皆と同じ黒涙を流しながら、その女に頷き返した。

 

「元より、明鏡止水。そして、端からだたの人斬りよ。私は、私を打ち破った契約者の指示に従うまでだ」

 

「頼もしい限りじゃな。じゃが、そんなアンタでも涙は抑えられぬか」

 

「ふ。人ならば……人の心を持つ者ならば、人に狂っている故に耐え切れぬ。我らの罪悪を超越するものではなく、償いによって背負う悪ならざる罪なのだろう。

 無の境地に至る私も、お主らと同じく例外ではない。人斬りの罪科は逃げられぬ業で在るべきだ」

 

 鼻で笑う侍。そして、静かに女がその場に現れた。

 

「―――予想以上ですね」

 

 狂った連中を見守る中、灰は何の気配もなく皆に近付いていた。儀式と称して何かを行い、こうしてサーヴァント達が発狂する程の自体を引き起こしたのに、彼女は何も変わっていなかった。

 膨大な魔力もなければ、英霊ですらない―――人間。

 傍目から見れば、カルデアのマスターである藤丸立香と何ら変わらない存在感。

 しかし、魔女たちはこの灰こそが最も狂った生命体であることを第六感で察していた。

 そんな人間でしかない彼女は、しかし静かに阿鼻叫喚を見ているだけだった。それこそ何でもない日常の一風景が視界に映っただけのような、平穏に日々を生きる一般人と変わらない気配で立っているだけ。

 

「おぉ……アッシュ殿。我が友よ。目的は、果たせましたか?」

 

「はい。問題なく」

 

「素晴しい。何よりも、友として大いに祝福を!」

 

「ありがとうございます、ジルさん。全ては私の我が儘を聞いて頂けた貴方と、そしてジャンヌさんの御蔭でしょう」

 

「……契約です。気にしない様に」

 

「ならばこそ、その契約を果たしてくれた貴女に感謝を」

 

「ふん……―――で、何も変わってない様にしか感じないけど?」

 

「ええ。ですが、それで良いのです」

 

「あっそう……その割に、嬉しそうでもないし、達成感も無い訳ね?」

 

「肯定します。もう空っぽですから」

 

 感情がごっそりと抜けた希薄な笑み。文字通り、心の中には何も無い。空の魂に、炉だけが存在するただの不死でしかなくなった。

 とは言え、火無き亡者の灰にそんな人間らしさを求める事が可笑しいのだが。

 使命を忘れぬ灰ならば、まだ心情は残っていよう。しかし火を簒奪した灰であるなら、その強固な器の自我以外は全て燃え尽きて当然である。全てを失った空の魂に、そんなモノを見出す方が哀れであろう。

 

「ねぇ、アッシュ。気になることが一つあるのですが?」

 

「何でしょう。分かる事でしたら、答えましょう」

 

「私は、ジャンヌ・ダルクです。召喚者であるジルに望まれ、復讐の側面としてこの世に呼び出されました。そして、貴女が私に捧げた人間性の呪いは、この身を邪悪な魔女として在るべき確かな楔を与えました。

 竜を使役する聖女と反した力。

 黒竜の瞳を得た私の黒い火炎。

 けれども、けどね……余り、この憎悪は変わらないの。聖女としての私が僅かでも戻った筈なのに、フランスを愛する心が私には欠片も無い」

 

「そうですか。けれど、ジルはそう願ってジャンヌ・ダルクを召喚しました。だから、貴女にはしかと生前の記録が魂に刻まれております。

 共にフランスを焼く、復讐を願う聖女を……と。

 愛など貴女が貴女として召喚された時に不要だと、魔女たるジャンヌが捨てたのです」

 

「でも、それでも疑問に思うことがあるのです。確かに、私は狂い果てた霊基により、旗の聖女から竜の魔女に堕ちました。けれど私は本当に、あのジャンヌ・ダルクが変質した存在なのか?

 本当は、何もない零から、今の私と言う壱が産み出されたんじゃないかって?」

 

「いいえ。貴女には原型が存在しています。誰かの妄想で形を得たのではありません。望まれて、貴女は貴女のカタチとなってこの世に呼び出されました。ジャンヌ・ダルクから落とされ、ジルと私に願われてこの特異点(セカイ)で生を受けました。

 偽物ではなく本物の魂を持ち、魔女として聖女から産み出たサーヴァントが貴女なのです」

 

「そうですとも、我が魔女よ。貴女は決して偽物ではなぁい!

 聖杯を得た私は確かに復讐を共に行う聖女を望み、その奇跡によって貴女はこの世に生まれたのですから!!」

 

「―――……はぁ。そうよね。この悦楽と苦痛は、私が感じている真実だもの」

 

「はい……しかし、ジャンヌ。貴女が不安に思うのも仕方なきこと。聖女である貴女は愛に満ち、決してフランスを憎まないでしょう。裏切られ、火刑に処されても、私が憎んで欲しいと懇願しても、復讐を選ぶ事はないでしょう。実の母を竜の炎で焼き、それでも復讐を鈍らぬ決意で遂行することは……彼女では、出来ますまい。

 ―――だが! それでも! 貴女だけは違う!!

 貴女は確かに、ジャンヌ・ダルクではない魔女たるジャンヌに他なりません。求めた私が、貴女に誓って断言致します!!」

 

 その狂信、確かに嘘はない。真実であるとジャンヌは啓示された。同時に、隠している事があるとも察していた。嘘を容易く見抜くが、聖女ならざる魔女としての啓示は巧妙に隠蔽さえも見抜いてしま得た。

 

「……良いわよ。騙されて上げる。

 我が復讐には不必要な知識だと分かりました。

 けど、ジル・ド・レェ魔導元帥。最期には貴方が私にするその隠し事、明かさなければ、あのジャンヌを―――私が、焼きます」

 

「ジャンヌ、それは……―――ですが!?」

 

「………………」

 

「……宜しいでしょう。約束は、確実に」

 

「だったら、良いわ。でも、全ては焼き終えてからです」

 

 ジルは苦渋の決断だった。彼女には嘘は吐けない、吐きたくない。自分の信仰を偽ることだけは、絶対に。だから隠すことに決めた。最後まで隠し通そうと決めた。アッシュにも、それに協力する契約を結んだ。

 けれど、深くあの聖女と関わり合えば、気が付くのも必然だった。

 そうだと分かっていたのに、それでもジルは出来なかった。火刑から救われた聖女は、魔女と共に生きるべきだと願っていた。

 

「賢しい娘ですね、ジルさん」

 

「アッシュよ、私は間違っていたのでしょうか?」

 

 広間を過ぎ去るジャンヌの背中を見詰めながら、ジルは懺悔よりも深い後悔を吐露した。それは未練でもあり、同時に復讐心でもあった。

 

「何も。悪行だとしても、人の為に生きて死ぬのが人の証ですから」

 

「―――自己犠牲ですか……下らない。実に、下らない感傷です。そんな言葉を、まさか貴女が言うとは……いや、まさかそう言うことなのですか?

 貴女は、願われたから目的に決めたのですか?」

 

「貴方も賢しい狂人ですね。否定はしませんよ。それでも私は魂を求める化け物ですから、誰かを殺すのに人らしい理由は要りません。ソウルを貪りたいなら、自然とそうするだけです。

 ただ……―――真実が、知りたいのです。

 皆が苦しんでいたから、最期までまともだった私はせめて、私達の最後を知りたいだけです。

 今の私からすれば、貴方の願いも同じです。私自身には何も有りませんが、託されたからには結末が欲しい。灰の業を誰かが望むならば、世界を焼くのを躊躇うこともありません」

 

 原罪の探求者は望んでいた。誰もが何も分からぬままに苦しみ悶え、死ぬことも出来ずに枯れる世界。せめて、光も闇も届かない不死が死ねぬ答えが欲しかった。

 火防女は望んでいた。太陽が沈んで全てが終わりを迎えた筈の残り火の時代、それでも不死と同じく続く世界。せめて、灰が火継ぎの役目を果たして終わって欲しかった。

 奴隷騎士は望んでいた。歩みを止めて穏やかに腐ることを選んだ者共の拒絶、だが画家のお嬢様が描く世界。せめて、自分自身が顔料となって彼女の助けになって欲しかった。

 灰に望みなどない。

 託された願いがあるだけだ。

 中身の無い器の灰は、誰かの為ならば自己犠牲も厭わず死に続けた。目的の為にあらゆる悪行を何も思わず行い、人助けの為ならば自らの死に関心を示ず死闘を強行した。始まりは王を玉座に取り戻すため、彼らの首を断頭して集めたことだろうか。

 灰は―――王殺しの処刑人。

 勝手に墓を暴かれ、それでも誰かに死を与える空っぽの英雄だった。不死である薪の王のソウルを喰らい、動けなくし、そして死なぬ灰の首を落す為だけの傀儡だった。

 

「そうですか……」

 

 それを知るジルではないが、今までの灰が消えたのは理解出来た。結局は、邪悪であることが誰かにとっての善行であったのだろう。そして、たまたまフランスが地獄に落ちただけに過ぎなかったのだろう。

 

「……ですが、託された何かが貴女の願いになったのではないでしょうか?」

 

「―――はい」

 

「ならば、何も無いなんてことはありますまい。真実を知りたいと貴女はおっしゃった。求めるモノがある限り、我らの探求に限り無し」

 

 灰になる前、亡者だった自分の願い。その疑問はまだ忘れていない。

 

「改めて、私は貴女に願いましょう。どうか我らと共に、怨讐を果たす―――火を」

 

「ええ、その様に。私は私の求道により、人を焼く死を作りましょう」

 









 灰さん、やっとカンスト状態から抜け出せました。設定気的には、光と闇が合わさってガチでチート化。錬成によって火と闇を再誕させ、ソウルの注ぎ先を得ることが出来ました。カンスト灰で火の奪還者なので、まだまだ設定を椎骨みたいに積んでいきたいです。



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