啓蒙1:星見の狩人
閃光と、高熱。
飛礫と、爆音。
下半身が四散するだけには留まらず、散らばった自分の肉片が燃えている。頭部が付いている上半身もまた、炎に焙られて燃えてしまっている。
「――――――…‥」
つまるところ、見たままの爆破テロ。死にはしなかったが、痛いものは痛いのだ。
「…………悪い、夢ね」
そう呟いてしまった。喉も焼かれ、掠れた声が出た。
下半身が消えて無くなった女―――オルガマリー・アニムスフィアは、更に残った上半身を焼かれ焦げ、熱と炎で融けた服が彼女の肌と融け合わさりながら、頭部も全て黒く焦げて焼死体と変わらない姿になってしまっているのに、意識を失わずに口を開いた。独り言を、何でも無いかのように洩らしていた。狩り殺した聖職者の獣が、半身を失っても死に切れなかったように、狩人もまた同じなのだろう。重要なのは、生存を諦めぬ意志。生きた狩人として、血を流し続ける意志。それが続く限り、生きる意志が死に逝く肉体へ活力を与える。
とは言え、だ。オルガマリーは獣ではない。人だ。例え脳が蛞蝓みたいになって瞳が幾つもあろうとも、その体は赤い血が流れる人のもの。死ぬべき時、容赦なく、奇跡なく、ただ死ぬしかない。
「あぁ…………ァ――――」
だがしかし、ドバリドバリと内臓が溢れて、一緒に血流が零れ落ちる。切断された胴体から全てが流れ落ちて、なのに―――彼女は、まだ生きている。意志を宿している。
まだ―――死ぬべきではない。
普段は持ち歩いている輸血液だが、彼女は自分の夢の空想として、脳内部の異空間と融けた血液の中から、自分の血液を溶かし入れた輸血液の瓶を取り出すことが出来た。この身は既に人からは程遠い“何か”であるため、特別な血さえあれば何一つ問題なく肉体を再生可能。とは言え、狩人の夢にある工房なら兎も角、血の中に同じ血を保管するのは少し血同士で反発し合う。同じく、血を溶かした液体である水銀弾も同じ反作用性を持つ。なので輸血液入りの瓶も無限に体内保管出来ると言う訳ではなく、しかし今は緊急事態なので致し方ないだろう。
注射針が付いた瓶―――その先端を、心臓へ直接打ち込んだ。
戦闘中ならばやり易い太股の脈へ素早く打ち込むのだが、今はもうそもそも足がない。ならば、心臓を選択したのは実に正しく、死に際で薄れ掛かる意志がまだ甦るのを彼女は実感した。
「だ……大丈夫ですか、所長―――?」
「貴女も…‥ね、マシュ?」
近くだった事もあり、所長とマシュは同じ方向へ吹き飛んだようだ。マシュはまだ肉体を所長のように欠損した訳ではなかったので運は良いのだろうが、しかし―――運悪く、下半身が瓦礫の下敷きになっていた。あの質量に押し潰されたとなれば、助かったとしても二度と歩けない。そして、今早く助けなければ、直ぐにも死ぬことだろう。
「でも下半身がない人に大丈夫かだなんて、言うものじゃないわよ?」
「そう、ですね。でも、もう……何も見えな、くて」
「そう……――――けれど、やっと漸くね」
「―――……え?」
「何でもないわ、マシュ。余り喋らない方が良いわよ、多分貴女は助かるだろうしね」
「―――――ふ……ふふ。そうですね。ありがと…‥ぅ、ござ‥…いま―――ゴホッ、ぅ―――ァァ」
マシュにとって、所長とはただ単に悪い人だった。人に優しく出来る悪人だった。けれども、彼女のことを一度も嫌ったこともなく、まるで夢を見る子供のように楽し気な所長は好きでもあった。恐らくはカルデアの所長として悪事に手を染めているのだろうが、それでも所長はロマニとはまた違う保護者であった。
彼女には―――とても所長は、普通の人間らしく優しかったのだ。
まるで姉妹を見るかのようなとでも言うべき瞳。無条件の慈しみ。
その所長が明らかに助かる見込みがない自分に助かると言う。気休めにしかならないのだとしても、マシュは所長が喋る普通の人間の当たり前な優しい嘘が、確かに今味わっている死の恐怖が少し薄れたことに感謝した。
「ほら、無理しないで」
「は……ぃ」
しかし、所長は見抜いていた。マシュの体内、その中に眠る意志がまた目覚め始めているのを。漸くかと軽口が漏れるのも無理はない。そして、自分の考えが間違っていた訳でもない事も理解した。
―――聖杯の騎士、ギャラハッド。
あの円卓の騎士が復活する。アーサー王伝説において、唯一無二の偉業を為した聖者。
マリスビリーにとって、この英雄は触媒に過ぎなかった。今のマシュと言う“ヒト”はもはやこのカルデアの職員であり、職場を同じとする皆にとっても大事な同僚となったが、カルデアと言う組織からすれば何処まで行ってもシステムの一部分。マシュがその道具を使う為に生み出された人材であるのもまた、事実。
ありがとう。
本当に、本当に―――ありがとう。
終わりのピースが埋まるのを所長は実感した。この先の未来もまた、見通すことが出来た。もし本当に抑止力が働くのだとすれば、やはり世界とは悲劇なのだ。今起きた束の間の虐殺劇もまた、人が人の世界を救う為に必要なことに過ぎないのだと、カルデアの“
所長は、直ぐにでも助かる。血の意志も甦った。
マシュも同様、直ぐ助かる。盾の意志が宿った。
そして、このまま強制レイシフトが発動することだろう。
カルデア初のレイシフトによる特異点攻略―――ファースト・オーダーが、今これから始める。それはもはや避けられぬ未来へ続く一本道となった。
しかし、職員を虐殺した憎悪は忘れない。その事実は本当の感情だ。まだ見えぬ敵。しかし、見定まった敵を、必ず殺す。それでも尚、私の部下、私の職員、私のカルデア、私のカルデアスが、壊れた。そう思いつつ、一人一人全ての顔を覚えており、名前も覚えている所長は、この恨み辛みを受け入れた。復讐は必ず遂げる。
所長の血へ意志を与えた小さな
「――――少し……眠るわね、マシュ」
「……はい」
だが、蘇生には輸血した血液では足りず、入れた血液も消費してしまった。脳に血が回らず、脳の活動が途切れそうになる。今は喋る気力もない。
―――夢へ、落ちる。
しかし、まだだ。意識ははっきりしている。脳が機能停止しようとも、所長にとって何一つ問題になどなりはしない。頭蓋が砕けて脳味噌が零れ落ちようとも、血の意志によって魂を明らかとする狩人は、その生きる意志が途切れぬ限り生き続ける。しかし、別に死んでも良いのも事実。
死ぬならば、生きる意志を手放せば良いだけ。
所長にとって死はもはや普遍。死んでも良い。
だが、この状況で死ぬのも悪手だった。夢となれば、レイシフトの発動に巻き込まれない。そうなれば、マシュが一人送られてしまうだろう。本来の戦力が一つも足りていない状況を考えれば、マシュは死ぬ。同時にマシュの死はカルデアの死へ直結する。人理保証において必須のパーツであり、もはや替えも利かぬと所長は正しく現状を理解していた。泡沫の身に過ぎぬサーヴァントではなく、生きたギャラハッドの写し身として、人間の生身で生きるマシュが居なくばならないのだ。
「…………」
そんな静かな時間、僅かな静寂へ少年が一人迷い込む。人為的な破壊工作が成された危険地帯へ、誰か一人でも助けられればと、そんな淡い望みを持って少年は走り―――既に、手遅れなのだと、一目で理解した。
彼の前に居たのは、下半身が瓦礫で潰れた少女と、上半身だけが残った黒焦げの焼死体。
「……はい。ご理解が早くて、助か……ります。所長も私も、もう……だから、早く藤丸さんも、逃げないと―――」
『―――観測スタッフに警告。カルデアスの状況が変化しました。シバによる近未来観測のデータを書き換えます。近未来百年までの地球において―――』
そのアナウンスがマシュの言葉を消した。
『―――人類の痕跡は発見できません。
―――人類の生存は確認できません。
―――人類の未来は保障できません』
悲劇より、更なる悲劇が生み出される。機械から告げられたのは、嘘偽りのない人間の結末だった。人の世が今この瞬間、終わりを迎えたのだと。
『コフィン内マスターのバイタル、基準値に達していません。レイシフト、定員に達していません。該当マスターを探索中…………―――発見しました。
適応番号48藤丸立香をマスターとして再設定します』
ああ、と所長は音にせず呻いてしまう。藤丸立香、それがそうなのかと。一番遅くに見付かった人類が許される限界の適性を見せたマスター候補。そして、今やたった一人戦うことを使命にされるだろう最後のマスター。もしレイシフトから飛んだ特異点から生きて戻ったとしても、逃げる事は出来ない。無論、所長ももう彼を逃がすつもりもない。
だが、これは何と言う偶然だろうか。
最後の説明会において体調が明らかに優れておらず、レイシフトの安全を考えて休ませるように指示を出したあの少年が、まさかそれで破壊工作から生き残る事になろうとは。
『アンサモンプログラムスタート。霊子変換を開始します。
―――全行程
やっと所長は、肉が甦るのが分かった。得た血が骨肉に作り変えられ、全身に意志を抱く血流が巡り始める。僅かでも生きていれば彼女はその場で甦る事が出来るが、この状態から意地でも意志を途切れさせず生き抜いたのは初めてであった。普段ならば、直ぐ様輸血も出来ず追撃で死ぬか、そのまま潔く死んで夢に帰っていた。だが、彼女は生き残った。
そうして、最後の言葉が告げられた――――
―――始まりは唐突だ。そして炎の中から、獣狩りは始まる。
星見の瞳を持つオルガマリー・アニムスフィアは、血に酔う一人の狩人として己が死へ微笑んだ。
『ファースト・オーダー。実証を開始します』
今回はプロローグでした。キャラも余りクロスさせていませんでしたが、これから出していきたいです。