血液由来の所長   作:サイトー

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啓蒙28:葬送

「いやはや……教師役、サリエリみたいにはいかないなぁ」

 

「死ね。死ね、殺してくれ、死なせてくれ、アマデウス。何故、立ち上がらない……アマデウス?

 まだ生きているんだ、早く、早く早く……罰してくれ、アマデウス。僕は、マリーを屑共の娯楽の為に公開処刑した薄汚い処刑人だぞ……違うのか、アマデウス。憎いだろう、裁きたいだろう、懺悔させたいだろう?

 ならば、アマデウス……膝を着くな。死ぬまで挑め!

 ヴォオルフガァング、アマデェエウスゥ―――モーォオオツァルゥゥウトォオオオオオオ!!」

 

「―――グゥ!」

 

 処刑剣を振い、その首を狙い、ギリギリで音楽家は回避する。奏でる音楽魔術が波長となって空気を流れ、処刑人を音撃するもその悪を裁く処刑剣が斬り捨てた。

 

「マシュに、先輩サーヴァントらしいところを見せたかったけど……!?」

 

 獣の如き身のこなしで宙へ飛び上がり、処刑剣を突き落とそうとする処刑人(アサシン)音楽家(キャスター)は落ちて来る死を音と共に視認し―――カキン、と音が鳴った。自分が殺される直前に、そんな有り得ない金属音が耳に響いた。

 音楽家の眼前に、盾の乙女の影が一つ。それが、その音の答えであった。

 

「……え、なんで?」

 

「マシュ・キリエライト、只今参上。パリィからの、全力全開―――シールドバッシュ!!」

 

「うわぁ……―――凄い、何か臭い決め台詞まで。でもサンソン、めっちゃ飛んでるなぁ……」

 

 肉と骨が潰れる生々しいエグい音を優れた聴覚で聞き取ったアマデウスは、弧の字を描いて跳ね飛ばされたサンソンを見つつも茫然と一言。更に恐ろしいのは、マシュの口上と彼の独り言が終わるまで、処刑人は地面に落下せずずっと宙で乱回転しながら落下中だった事実であろう。

 ドグシャ、と地面に骨付き生肉が落下した音。

 何処か遠い瞳をした音楽家は、口をポカンと開けたまま乙女の背中を茫然と見るしかなかった。

 

「大丈夫でしたか、アマデウスさん……?」

 

「死ぬ寸前」

 

「そんな!」

 

「でも、生きている。感謝するよ、マシュ・キリエライト」

 

「はい!」

 

「―――アァァアアアアアマデウスゥ……そうだ。もっとだ、もっともっと僕を苦しませろ!!」

 

「ええ、倒させて貰います!」

 

「ははは、良いぞ良いぞ。この魂にクルゥゥ激痛ッ……!

 僕を惨たらしく、おぞましく、醜い腐った塵蟲のように苦しませろぉ!!」

 

「行きます……ッ―――ハァ!」

 

「グフゥ……はぁはぁ、何と言う一打だ!」

 

 十代半ばの少女(マシュ)に凄まじい内容を叫びながら、処刑人(サンソン)は処刑剣を構えながら疾走。受けた人間性から抽出された殺戮技巧の残滓が処刑人の戦闘技術を変質させ、だが同じく所長直伝のVR仕込の殺戮戦術を学習したマシュは、処刑の剣技と同等に渡り合う。

 ―――十字盾だけでは、確実に守り切れなかったとマシュは実感した。

 武器は盾だけで良い。何があろうとも膝を着かない決意を、身に憑いた英霊が加護を与えよう。

 だが、それでもあの悪魔殺しの悪魔(デーモンスレイヤー)に斬り落とされた左腕の代わりがなくては、二十手に届くことなく死んでいた。音楽家のアマデウスがサンソンの猛撃を凌げていたのは、音楽魔術を節操無く使い込み、悪辣過ぎる精神攻撃に専心していたからだ。

 並の人間が聞けば精神崩壊からの発狂死は逃れられず、鼓膜から直に脳髄へと響く魔音波長が全脳細胞を焼き切っている。その邪悪とも言える魔性の音楽を防御以外に使わず、一度でも攻勢に移れば、一瞬で首を撥ねられていた事だろう。

 

「痛い、辛い、苦しい―――素晴しいィイイ!

 僕に耐え切れない罰を、絶望に満ちた激痛の死を与えてくれ!!」

 

「―――く……ッ」

 

「貴女の盾、楯、タテ。重く鋭い良い一撃だ。骨に効く、内臓にも響くぅー!」

 

「それはどうも、ありがとうございます!」

 

「それは僕の台詞だとも、盾の乙女。さぁ、更なる罰をこの身に下してみせよ!」

 

〝絶妙に噛み合わない煽り合いだなぁ……傍から見てると、ちょっと関わり合いになりたくない雰囲気。しかも、戦闘中だっているのに口から洩れる雑音が凄い。五月蠅過ぎる。マシュも律儀に返事するから、あのハイな処刑人も盛り上がっちまうのかね。

 ……にしてもあいつ、ちょっと性格変わり過ぎじゃないかな?

 魔女の呪い、ヤバいな。本気で、本当に、かなりネッチョリした部類の呪詛みたいだ。黒化して精神汚染されるのは兎も角、変態になるのはごめんだねぇ……―――マジで”

 

「なんて、冗談を考えてる場合じゃない。どうしたもんか……」

 

 音楽家(アマデウス)は凡そ一秒で変態的視点から見た感想を思いつつ、その戦闘を垣間見る。楯を振るい、義手と仕込兵器も使い、しかし処刑人が全てを弾き防ぎ、攻め切りに転じる。亡者の霊体となる処刑人はおぞましくも、だが荒々しくも痛々しい。

 その姿を見て、彼は精神に響く何かがあった。清姫から聞いた情報―――人間性(ヒューマニティ)

 音楽家アマデウスは、英霊を汚染する一種の呪詛だと思っていたが、サンソンが狂う様相から本質は呪詛ではないと直感してしまった。あれは、ただそう言う存在であるのだと。人がそう呼ぶから、あの暗い闇は呪いにも成り得てしまうのだと。

 

「ま、そうだね。やれることはやらないと……マシュ、すまない!

 そいつの相手を暫らく頼むよ。僕は僕でちょっとピアノでも奏でてみるさ―――」

 

「え……え、エ―――あ、はい。お任せを!!」

 

「―――では、一曲!」

 

 彼は背後でピアノを出現させ、それをマシュは疑問に思うも言葉にせず内心で封殺。必要だから具現したと察し、仲間の行動は信用すべし。その上で、マシュはアマデウスを信頼していた。先に死を迎えた人生の先輩として、彼は彼女にとって今を生きる人間であるマシュ・キリエライトに言葉を与え、その感情に一色を塗った色彩の音楽家だった。

 ―――穏やかで静かな葬送曲(ホウグ)が今、始まる。

 誰かの為の鎮魂歌(レクイエム)。死した(ソウル)を鎮める音楽家(キャスター)鍵盤楽器(ノーブル・ファンタズム)

 

〝魔力が―――ない?

 でもこの音色は何故でしょう、私の霊基に良く響きます……”

 

 ピアノから流れる鍵盤の音に魔力は含まれず、しかし魂を揺るがす確かな曲。ある意味で、まだ人生を歩み始めたばかりのマシュ・キリエライトは葬送されるべき魂に持たず、逆にシャルル=アンリ・サンソンからすれば死神を渇望する祈りを鎮魂する死者への捧げもの。

 償いたい、と願う処刑人の瞳が晴らされる。

 死にたい、と望む重罪人の魂が捧げられる。

 まるで視界から霧が消え失せたように、サンソンは錯乱しない意識で世界を認識した。灰の炉から炎上した火は醜さを全て焼き、悪性が消えた故に、魔女の従僕達は自分の悪行を許す善悪の天秤を失っていた。敢えて残された善なる心でしか、この特異点で犯した罪科を認められない状態だった。

 

〝……綺麗。本当に、なんて綺麗な音で―――何で、涙が出そうになるのでしょう?”

 

 無垢な少女は、理由もなく涙が流れそうだった。そして、目の前で戦っていた筈の死臭を纏う男は涙を流し、この特異点で数多の首を斬り落とした処刑剣を手から零れていた。

 カランと刃が落ちた音。レクイエムが流れる中、戦いは終わってしまった。

 

「僕は……そうか。あぁそうだとも。

 人は天使にはなれない。悪を知りながら善を為せるからこそ、座に召された魂に過ぎない英霊はそれでも―――人間、だった……」

 

 自覚することは有り得なかったが、それを可能するのが英霊(ニンゲン)宝具(キセキ)。アマデウスの音楽は人間性を真正面から刺激し、罪業が正しく罪科なのだと認める善悪の秤を魂から甦らせ、処刑人に責務を全うする為に必要な悪行を許す悪性を認識させた。

 善だけでは、罪は罰に成らない。発狂するのみ。

 悪だけでは、罰は罪に還らない。悦楽するのみ。

 人の意志は、善と悪の秤である。啓蒙が開いた。

 悪徳もまた人間から生まれた意志である。正しいだけでは、善性だけでは、自らの罪を償うことは決して許されない。

 

「ふぅ……やっと御目覚めかい、処刑人(アサシン)

 

「目覚ましには丁度良かったよ、音楽家(キャスター)

 

「それだったら良かったとも。僕の宝具はちゃんと、善性だけに曇った君の暗い瞳を晴らせたようだしね」

 

 膝を地面に着く男。

 椅子に座り込む男。

 二人を見て、全てを少女は察した。必要以上の言葉はもう不要で、これから話す事は、その二人にとってただの確認作業。マシュは自分の役目が終わったことを理解して、これで良かったんだと納得した。

 

「そうだな……あぁ、本当に、そうだったよ―――殺してくれ」

 

「うん、そうだね。あぁ‥…分かっているさ―――死んでくれ」

 

 トーン、と完璧な音楽家らしからぬピアノの音色が一音だけ鳴る。マシュにとって耳触りが良い綺麗な音に過ぎなかったが、それは魔力となって大気と太源を揺らす振動であり、柔らかな脳髄を焼く魔の波長でもあった。無防備なサーヴァントであれば、霊核である頭部の中身が焼ける程、音楽家が奏でる音色は死神のように美しい。

 

「君らが、僕の終わりかぁ……―――ありがとう。大嫌いだけど、良い鎮魂歌だったよ」

 

 肉体が光の粒となって消えて逝った。人間性の天秤を最期の最後で取り戻した処刑人は、一握りの慈悲だけを報酬に人間として死んだ。

 

「霊基消滅、確認しました……」

 

「全く、馬鹿な奴だな。ありがとうだなんて冗談じゃない。でもまぁマシュ、君もあいつの聴きっぷりを見ていてくれただろう?

 大嫌いだなんて言いながら、結局は僕の鎮魂歌(レクイエム)が好きだったんろうぜ?」

 

「……はい」

 

「それにしても助かったよ。マシュは僕の命の恩人だね」

 

「い、言え……そんな」

 

 ピアノに肘を置いて顎を手の甲に置き、完全に脱力した音楽家。ワイバーン共は竜殺しやマスターを集中狙いしている所為か、此処は空白地帯になってはいるも戦場である。しかしその聴覚は結界の如き感知能力を持ち、肺の呼吸音、心臓の鼓動音、布が擦れる音、鎧の金属音など、あらゆる音を聞く為にアマデウスに隙はない。その事もマシュは理解しているので、彼が脱力しているのなら、危機が直ぐに来る訳ではないとも分かっていた。

 

「動けますか? なんでしたら、私が抱えて運びますけど……」

 

「大丈夫大丈夫……で、マシュ。僕を助けに来てしまったみたいだけど、向こうは大丈夫なんだよね?」

 

「――――――――」

 

「実に形容し難い表情……うん。あれだね、干からびた亡者みたいだよ。もしかしなくても、勢いで来てしまったと見えるね。何となく、君の深層意識が分かってきたな」

 

「……大丈夫です。ちゃんと、多分……きっと。カルデアは、無敵です!」

 

「そうだね、きっと。でもさ、それは君が居てこそだ」

 

「ァ"―――――」

 

「サーヴァントの耳でも何とか聞き取れるレベルの、可聴波長を越えた唸り声―――うん。早く、戻りなよ。皆が君を待っている。特に藤丸君はね。

 僕は大丈夫さ。でもちょっとだけ、休んでから行くよ。君のお陰で助かった」

 

「―――はい、アマデウスさん。貴方が無事で良かった。私は先に戻って、皆と一緒に待ってます!」

 

 土煙りを上げながら足音を立て、凄まじい速度で自分の戦場に戻る背中。音楽家は周囲を警戒しながらも、刻まれた肉体が動けるようになるまで、少しだけ休もうと静かに思考へと入り込む。

 人間を醜く穢いと断じる自分みたいな人でなしを助けられた事を喜び、自分の感謝の言葉を聞いて本当に嬉しそうな表情を浮かべる少女の後ろ姿を見て、アマデウスは笑みを少しだけ溢してしまった。

 

〝こちらこそ、君は本当に魅力的な娘だったよ。マリアがいなければ、君にプロポーズをしていたかもしれないな……なんてね。

 多くのものを見て、多くのものを知り、多くのものを選び、そうやって君の人生は充実していく。その中で君は自分が世界に存在していた証を残し、その証が世界を巡って成長していく。

 だからマシュ、君は選び続けるんだ。

 自分の未来を恐れることなく……―――人間になるとは、そう言うことなのだから”

 

 そう思い終わり、アマデウスはピアノの椅子から立ち上がる。ふと聞き慣れた凄まじい雷鳴以上の雑音が鳴り響き、キンキンとした声高な勝利宣告が耳に入る。音楽家は内心で溜め息を吐きながら、まずはうっかりで失敗しそうな仲間の援護をしようと考えていたが、上手く勝てたのを悟ったので違う人物の所へ行こうと考えた。

 遠くから聞こえる足音からして、まず助けようと思った仲間のランサー―――エリザベート・バートリも、その女性の元へ急いでいるのを聴き分けた。取り敢えず、聖女とあの侍の相性は悪く、十分に持ち堪えるは出来るだろうが、勝つのは厳しい。しかし、そこへアマデウスとエリザが参戦すれば戦力比は一気に傾く。

 そして、また光輝く竜殺しの極光。

 竜血騎士団とワイバーンが再度纏めて消え去った。

 ジークフリートの魔剣による殲滅戦線はマスターになった藤丸が死力を尽くし、命を擦り潰す魔力供給によって問題なく維持されていた。

 

〝ジャンヌがあのサムライ、狼が倒錯者の老剣士、エミヤが女狩人で、最後のドラ娘が自分殺しって雰囲気だったけど。

 さて……今はどんな戦況になっているか、しっかり耳で把握しておかないとね”

 

 とは言え、音楽家が心配していたのは、あの侍に狙われたジャンヌくらい。エミヤも厳しいだろうが、所長を名乗るあの女怪が指示したとなれば、恐らくは勝てるのだろう。逆に狼に対しては、まるで心配をしていなかった。

 事実、老剣士を相手に狼は攻勢を維持していた。

 時を同じくし、マシュがアマデウスの援護に到着した頃。忍びと老剣士の斬り合いは佳境を迎え、どちらかが死の敗北に喫しようとしていた。

 

「―――老婆を少しは、労わらんか。セキロ……だったかの?」

 

「……………」

 

 老剣士は正真正銘、全力を本気で絞り出していた。特異点で召喚されて以来、今までは逆に全力で手を抜いて、なるべく人もサーヴァントも殺さない様に抗っていたが、もうそんな感情も焼けて消えてしまった。足掻きを失くし、だが眼前の忍びはそれでも殺せない神域の怪物。

 佐々木小次郎にも並ぶ剣豪として、老いたデオンは斬り合いに専心するのみである。

 

「敵は殺めるのみ、か……―――はぁ、なら死合おうか。どちらかが、死ぬまでな」

 

「……――――――」

 

 交わる殺意。日本刀とサーベルの刃が合わさる度に高音を発し、残像もなく剣戟が乱れ振われる。しかし、既に老剣士は致命傷一歩手前の怪我を負い、何とか精神力だけで戦闘を行っている状態。忍びも勝つ為ならば致命傷を負おうが戦い続け、服毒による死んだふり、特に意味のない土下座、にぎり灰からの目くらまし、爆竹による視覚と聴覚の撹乱、殺した相手の傀儡化など、薄井の忍びは本当に手段を選ばず。ワイバーンと竜血騎士も面倒な敵かもしれないが、忍びの忍術によって容易く傀儡による戦力化も出来よう。

 殺される敵側すれば卑劣且つ下劣な男。

 同時に、死した命を弄ぶ外道でもある忍び―――隻狼は、そのような戦術を厭わないからこそ、相手の手の内も透き通るように見通せた。戦術的な非道具合であれば、契約した主である所長も超えることだろう。

 

〝やり難い男じゃなぁ……ふむ。外道の輩であり、且つ戦術に誇りは持ち出さぬ。

 その上で剣術が神域なのじゃから、始末が悪いのう。アタシの故郷で生まれた世界初の、あのテロリスト共でもまだ節操を持っておる”

 

 幾度斬りかかろうとも、老剣士は忍びの構えを崩せなかった。いや、斬りかかる度に自分の平衡感覚を崩され、巧みに此方の隙を作ろうとしているのを彼女は心眼にて察していた。剣術勝負においてもし眼前の忍びに勝つ為には、剣の神域を超え、空と無の境地を越し、魂が至れる果ての何処かに達した業が必要。そして、自分ではこの忍びの剣術を、老年まで鍛え上げた自分の剣術でも上回れないとも。

 それを見抜いた故に、そもそも斬り合い自体が悪手。

 忍びの本質は忍術でも、奇襲でも、暗殺でもなく、剣術による城壁と化したその守り。

 老剣士は選ばないとならなかった。まずは敵の堅牢な守護の構えを崩す手段が無くば、掠り傷一つ付けられない。

 竜騎兵隊隊長として愛用していた短銃―――偽装宝具、百合散らす革命の火(カービン・ド・リス)

 灰に竜と人間共の魂から作らせた妖刀―――人造宝具、眩み舞う幽百合(エペ・ド・リス)

 半亡者の英霊となった故に、新たに取得したそのカービン銃を構え、弾薬加工された魔力を連続発射。そして、神域の鍛冶技能を持つ灰の加工により、透明化能力を持つサーベルの能力を使用。

 

「ぬぅ……!」

 

「―――――」

 

 発射数―――五発。その全てを一歩も動かず、斬り捨てた。

 不可視―――十斬。真正面から刃を受け止め、弾き逸らす。

 最後の一斬、デオンは次に斬れば死ぬと先読み。咄嗟に後退しながら連続発砲し、防御に徹する狼も攻勢に転じる―――と見せ掛け、忍義手から手裏剣を瞬間投擲。

 避ける間もなくサーベルで投擲物を弾くも、斬り飛ばせず。あろうことか、手裏剣がサーベルの刃と鍔迫り合いを行い、デオンをその場に縫い付けた。直後、忍びは既に踏み込みを終えて斬り払い。もはや格好に拘る気など彼女には欠片もなく、死の気配を察したのと同じく地面に飛び込み、土塗れになるのも構わず転がった。

 だが、此処からだ。忍びは相手に一切の隙間も与えず、呼吸する時間も、体幹を整える作らせない。一対一の殺し合いにおいて忍びは邪悪を超えた悪鬼であり、攻撃すれば死に、守りに回れば斬られ、回避に徹しようが逃げる時間も存在しない。

 

〝しからば、全て試させて貰おうか……”

 

 回転(ローリング)回避から直ぐ様、デオンは片膝立ちで射撃。即座、次弾発射。楔丸で容易く二連を弾き、即座に剣の間合い。だがデオンは後退しながら短銃の引き金を引き、ならばと忍びは義手より忍具を一つ。

 仕込み槍―――火走り。火炎を纏う鋭い槍は、刃であって火器でもある。

 老婆を乱れない無表情のまま刺突焼殺せんと槍は義手から伸び、忍びは躊躇わず発火。とは言え、伸びて不意打つ長物であろうと、デオンは心眼にてある程度の予想はしていた。その燃え盛る刃から、鋭い槍は火器でもあるのだと。

 

〝こやつ……ッ――!?”

 

 だが、鎧剥ぎこそ仕込槍の真髄。装備を剥ぐ引っ掛けの刃が絡繰りが飛び出し、老剣士の首を焼きながら引っ掛けて引き寄せようとした。それを寸前で何とか対応した彼女はサーベルを後ろ手に回して防ぎ、しかし衝撃を殺し切れず忍びの間合いに吸い込まれた。

 

「―――ッ……!?」

 

 緊急時、即座発砲。忍びが刀を振う間合いに入る前、眉間を狙って弾丸を撃つ。それと同時に目視不可の透明刃を振い、銃弾と斬撃が忍びを襲う。だが、そもそもその間合いに老剣士を誘ったのは忍び。引っ張ると同時に仕込槍は一瞬で内蔵されてしまい、交換するように忍具――仕込傘が飛び出した。

 回る鉄扇は、広がり傘となる。

 銃弾と斬撃を忍びは全て弾き飛ばし、更に近距離より煽られた扇より火の粉が舞った。

 目くらましと熱波。何の躊躇いもなく忍びは、敵対する老婆の顔面に朱雀の紅火を浴びさせ、一瞬だけだが感覚を遅延させた。

 

「―――――」

 

 忍術(サツイ)に言葉は不要。傘を扇に纏め、更に折り畳み、燃える。火は楔丸の刃に纏われ、忍びは眼前の老婆をバツの字に切り裂かんと炎を斬撃と化した。

 即ち、忍びの体術―――放ち斬り。

 だが、超越の技巧だろうと対抗してこそ―――剣士(セイバー)英霊(サーヴァント)

 剣と銃を老剣士は交差。左手に持つ短銃を鈍器代わりに扱い、忍びと同じく二刀による十文字斬りで斬り返した。

 

「ぬぅぅう……ッ―――!!」

 

 四刀交わり、極点にて炸裂。爆ぜた衝撃に逆らわず、老デオンは後退り、狼もまた残心。まだ熱気が空気に漂い、火の粉が舞う。

 一秒、僅かな膠着状態。

 互いに隙を窺うが故の隙無き隙間。

 

枯百合散る(フルール)―――」

 

 老いたデオンが決意をし、準備を終えるのも充分。宝具の解放を躊躇えば―――死。

 

「―――幻刃舞踏(ド・リス)

 

 幻惑される忍びの視界。艶やかに誘惑される精神。緩やかに四肢と体幹が始動し、霧の如き真っ白な世界にて、黒い枯れた花弁の影が舞い落ちる。

 見る者の心を奪う美しい剣舞。亡者と化した老境の精神が百合の花散る剣の舞踏(フルール・ド・リス)を一人の剣客が振う剣技として昇華させた宝具が、この剣技の正体。見た者に刃の軌道を錯覚させることで第六感と経験則の両方を完璧に狂わせ、相手の防御行動を素通りして一方的に斬殺する。

 

〝これは幻術……だが―――”

 

 師の十八番。隻狼となる前、狼が殺した忍びの忍術。そして、人の心に幻影を魅せる幻術は、薄井で育った忍びにとって慣れ親しむ業の一つに他ならない。見るだけで、触れるだけで、精神を崩壊させ、魂を奪い取る怖気の幻覚を見極める忍びであれば、同じ様に老剣士の幻術も見極めるのみ。

 壱の先――零に圧縮された体感時間の中、忍びはその目で技術を読み取った。

 忍びとしての技術と、サーヴァントとして備えられた常識と、召喚された後で学んだ知識が、止まった時間を認識する彼を答えへと導く。枯百合の老剣士は鮮やかに剣を振い舞うことで対象の五感と〝第六感”さえも幻惑し、筋力・体力・敏捷のパラメーターを低下させることが可能。

 即ちこれは、精神攻撃に物理攻撃が加わった連帯必殺(コンビネーション)

 目視不可の刃と斬り合える達人であるからこそ、老剣士の剣舞からは逃れられない。

 

〝―――剣士の奥義。強き者が至る秘伝が一つ”

 

 咄嗟に楔丸で防ぐも、忍びは剣を弾き逸らせず。辿り着いた無念で向かい、神域を超える精神防壁でその幻惑を見抜こうとも、剣技の鋭さは真実。忍びの目を持つ為に、その業による感覚が狂わされる。

 本質は―――錯覚。

 第六感で認識しようとも現実の刃は錯綜し、経験則で鍛えられた戦闘論理が乱れ誤った。

 

「―――――」

 

 目視不可の刃で無ければ、強引に視認して第六感のズレを修正出来たかもしれない。しかし老婆の魔剣は、無音にて無影。極致に辿り着く剣技を、至った業に合わせた妖刀で振うとあれば、相手の心技体と武具に不備がなくば、それ即ち――無敵なり。

 灰は、だから半狂いの亡者に止めた。剣士の最盛期である老デオンに、宝具化したサーベルとカービン銃を与えた。生前からデオンは、死合と戦争に生きた兵士。スパイであれど生粋の殺す者であり、あの時代におけるヨーロッパ最強の剣聖。

 宝具――枯百合散る幻刃舞踏(フルール・ド・リス)

 老いた剣士が到りし業。幻惑剣舞なる心眼錯綜。

 千分の一秒か、万分の一秒か、達人でなければ認識さえ不可能な時間の誤差。そして認識と数センチ、あるいは十数センチもズレ込む斬撃の軌道。

 

「―――ぬぅ!」

 

「シッ―――!」

 

 しかし、あらゆる危機を通り抜けてこそ―――暗殺者(アサシン)英霊(サーヴァント)。そして彼は、御子の忍びである隻狼。相手の剣技が老デオンのように無の境地に辿り着いた殺人の頂きだろうと、術理の根底を察する戦闘思考と、剣神と称するに十分な無念の観測視点を持つ。

 確かに、肉を切り刻まれた。

 だが骨までは達せず、内臓が零れ落ちる事もなし。

 答えは単純明快―――隻狼に、空の術理は通用しない。既に生前、神を斬り超え、数多の奥義を踏破した故に。

 

「おぉぉおおおおおおおお!!」

 

 老婆の叫び。刃の高鳴り。十一の剣戟後、錯綜する幻刃の綻び。それを忍びの目が見逃さず理解し――キィン、と楔丸は不可視の刃を弾く。決死にして絶死の業を破られ、僅かながら剣士の体勢が崩れた。

 真正面から打破された事実―――愉快に思わぬ老デオン(セイバー)に非ず。

 霊核となる首に刺し込まれ―――されど、彼女は生存(勝利)を諦めず。

 

「―――――」

 

 刺殺はならなかった。首元に貫通し、霊核を砕いた訳ではなかった。それでも並のサーヴァントでは死ぬ寸前であり、声を出そうものなら吐血し、もはや宝具の真名解放も不可能な状態。

 ならば、宝具の解放は維持でも続行。

 止まれば死に、意地で剣を舞い踊る。

 そして臨死を前に生き足掻く者を、忍びは殺し慣れていた。一つしかない命を、本当に全て斬り潰さねば、どうしても死ねぬ者がこの世にはいる。

 叩き付かれる義手忍具―――瑠璃の斧。

 清らかに澄んだ瑠璃の音色がサーベルで身を守る老婆を吹き飛ばし、その幻惑(まぼろし)を掻き消した。

 

「……か―――!?」

 

 だが、老デオンは耐えた。血液(イノチ)を吐き流しながらも立ち上がり、だが眼前には一気に踏み込んだ忍びの姿。青く燃える仕込み斧と楔丸を、まるで二刀流の剣技の如き構えで強襲。

 忍術―――連ね斬り。裂かれる老婆の胴体。

 構えを維持する体幹は完全に崩れ落ち、隙だらけの格好が忍びの前で晒される。その上で斬り上げ、完全に動作を微塵も出来ぬように身体機能を停止させ、老婆の背後へと回り込む。

 忍びの背後には、老婆の背中。

 逆手に持つは楔丸は一切の抵抗なく―――するりとデオンの心臓を貫いた。

 

「御免……」

 

「……見事だ。あぁ、実に良き技で―――」

 

 声は血飛沫と共に吐き出され、言葉は最後まで言われなかった。だが、忍びの口から零れ出た僅かなかりの慈悲は、確かに老婆の耳に入り、自分が看取られて死ぬのだと悟らせた。

 ―――忍殺の刃、かく在るべし。

 殺しの悦楽に溺れそうになる隻狼は、だが教えを守り修羅には落ちず。

 

〝主殿、これより参りまする―――”

 

 強者の殺害を為し、傷薬瓢箪を一口。そのまま忍びは疾走。近場の騎士らを手早く殺し、ワイバーンを忍殺し、その脳髄に傀儡の術を仕込む。彼は飛竜を容易く操り、仮初のドラゴンライダーとなり、周囲の竜騎兵を殺しながらも急いで飛んで行った。

 しかし、まだ戦いは続いている。戦局はどちらにも傾いていない。

 とは言え、既に藤丸立香と契約を結んだ弓兵(アーチャー)英霊(サーヴァント)――エミヤは、王手(チェックメイト)の寸前までアタランテを追い詰めていた。

 

〝俊足なる女狩人、アタランテ。貴様には伝承に基づく弱点がない。私の投影魔術ならば、明確な死因を持つ英霊を的確に始末出来よう。

 だが、生存を厭う死兵に……―――戦意を挫く必殺の意志は、要らんだろう”

 

「まるで病を患った獣だな、貴様」

 

「死ね、死ね、死ね……アーチャー、殺せ。私を―――殺せェェエエエエエエエ!!」

 

 意志と反するエミヤの台詞。勝つ為ならば、敵の誇り高さも道具として扱う戦争屋。あるいは、心情を消した無慈悲な殺し屋。こと私情を挟まない戦闘において、エミヤの戦闘論理は鉄である。

 アタランテの状況――狂化も混ざった獣性の精神汚染。

 他のサーヴァントは“解析”した所、泥よりも黒い闇によって変質したようだが、このアタランテは更に宝具による獣化で人格と精神が諸共に発狂したとエミヤは把握した。

 

「私は、人喰い……魂を貪る獣。貴様が人類を救う抑止の守護者(カウンター・ガーディアン)ならば、どうか惨たらしく、血塗れに解体してから、殺してくれ。

 男も、女も、子供も、みんな―――殺して食べた、この私を……どうか!!」

 

「ふむ。そう卑下する事でもあるまい」

 

 叫びながら放たれる獣性の魔矢を、エミヤは投影した矢を射り、空中で撃ち落とした。敵の狙いは精確無比、且つ必中必殺であったが、弓の弦を放す殺意が乱れている。エミヤはアタランテの発する殺意と意識から先読みを容易く行い、射られた矢を射落とす絶技も可能にしていた。

 何よりも一度は殺し合った強敵。投影魔術によって技術は既に修得し、エミヤの固有結界にはアタランテの弓も登録済み。彼女が持つ弓術を一から十まで把握し、現実と変わらないイメージトレーニングを幾度も行い、専用の戦術と戦略を構築した上で戦闘に臨んでいる。

 

「貴様、何を……」

 

「憐れな事だ。女子供を殺したか……で、それがどうした?」

 

「―――あ?」

 

「我らは人理を守る者。そして、人の世を脅かすのは何時だって人間だ。この身は霊基の一片までも人類の為に消費される阿頼耶の走狗であれば……無論、私は皆殺すとも。必要であれば赤子も関係なく、人間社会が助かる人命を正確に数を計ってから殺す。

 生前はそう生きた。

 死後もまたそう在った。

 救われぬ貴様も同じく処分しよう。

 カルデアに人理を救う為に召喚されたが―――……変わらんよ。貴様も私も、所詮は人喰いの人殺し。己の思想を語り、その上で人命を粗末にする人でなし」

 

 心に、皹が入る音を幻聴した。狩人は現実を認識し、黒い涙を流すのみ。

 

「あぁ……そうだな。汝の言う通り、全てその通りだったよ。壊れてしまった」

 

 叫んでも無意味だった。絶叫は善なる心から生まれた罪悪感であり、悪性が“焼”失した弊害。善性の膿である。

 人間性は、善悪両立。

 罪を持つ者が悪を亡くせば、罰には耐えられない。

 

「……ならば、せめて呪いの汚染に足掻け。

 その技巧が狂うまで精神を壊し、私に殺され易くなりたまえ……アタランテ」

 

「あ……ぁ、ぁ―――ぁぁあアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 変化と変態による霊体の変身。良心が枷となっていたが、闇を留める蓋はもう取り払われた。エミヤの言葉がトリガーとなり、自己変態が始まり―――心臓と頭部に、投擲された干将と莫耶が突き刺さる。肋骨で守られた心臓と、頭蓋骨の中身である脳を確実に破壊した。

 頭と胸から剣を生やす女性の不気味な死骸。確実に死んだ姿を見たエミヤは、だがそれでも安心はしなかった。視覚による解析魔術は怠らず、相手の生死を見抜くのだろう。

 

壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 直後、爆破。暴走によって周囲の警戒がなくなったアタランテを、エミヤはあっさりと殺し、その上で内部から破壊。戦闘続行による死に際の足掻きを防ぐ、彼なりの徹底したサーヴァントの殺し方。

 土煙りが晴れると、其処にあるのは胸に穴が開く―――首なし。

 胴体も半分以上が吹き飛んでおり、首がないと言うよりかは、腹部から上が消え去り、かろうじて両腕が付いているだけだった。

 エミヤがその認識を終えた瞬間―――アタランテは飛んだ。

 

「ッッ―――――――!!!」

 

 溢れ出る黒い何か。闇としか形容出来ず、それが肉となって塊り、理解出来ない生命体が生まれ出た。しかし、それに口はなく、鼻もなく、耳もない。そして、目さえもない不出来な無貌。

 あるのは闇―――暗い穴。

 黒色の空洞しかない。獣とも人とも呼べず、まるで貌を孔に吸い込まれたような……あるいは、その黒い孔が本当に顔を食べたのか。

 

〝あの顔は一体……いや、それよりもまずは自己変態。あれは聖杯の泥か?”

 

「……淀みが、動き……始めた。また移り行くのか。逃れ得ようはずもない。

 求めようとすることが―――生の定めならば……だが、だからこそ…………あの霧の中に、霧を吐き出した古い獣を薪とし、燃やし、炉に作り変えん。

 我らは、あぁ……人の泥になり、それでも魂の根源を求められるのか?」

 

「貴様、一体……いや、英霊なのか?」

 

「全ては繋がっていた。阿頼耶識の契約霊よ、汝―――世界を抱く贄とならん。人の魂は、食餌と足らん。死は、闇を育てるのだよ。

 おぉ……おぉぉ、顔を失くした空洞よ、暗い月よ、無貌の神よ。何故?」

 

「―――――――――……!?」

 

 宙を飛び、滞空し、貌無しの孔から呪いの声を発する何者か。そのアタランテだった霊体にエミヤは矢を射るも、その何かは何の反応も起こさない。

 

「何故だ。何故、まだ滅びぬ。世界は消えたのに、何故我らは死に戴けぬ?」

 

 周囲に光の槍が浮かんだ。アタランテだった無貌の天使は、足が根っこと絡まり、意味不明な呪いの声を上げ―――槍が放たれた。

 

「クッ……!?」

 

「我らは闇より生じた。火も同じく、闇より燃え上がった。神など無用にて無能。だが、故に数多の神が生まれた。

 ―――無価値、為り。

 ―――無意味、生る。

 汝ら人間、物語を紡ぎ給え。奇跡は唄われ、崇められ、形を得られるのだ。

 人間と契約を結んだ人間よ、人を超え、人となり、人を失い―――人の何を啓蒙された?」

 

投影(トレース)完了(オフ)―――!」

 

 迫り来る光る槍を、エミヤは投影した宝具で迎撃。空中で担い手のいない何十もの剣戟が鳴り響き、だが無貌の天使は腕と融合した弓で狙撃を始める。その狙撃光矢を干将と莫耶で弾き守り、しかし尚も攻撃は一瞬たりとも停止しない。

 その上で、その天使は呪いの声を止めなかった。

 何も無い口だけの貌から、呪詛に塗れた闇の言葉が鳴り響く。

 

「憐れな阿頼耶識の眷属よ、闇の深淵に還れぬ我らへの憐憫を頂きたい。獣性もまた人間性より生まれたならば、人は人類となりし獣でもあった。

 ―――虫よ。

 獣性も亡くした暗い虫よ。

 羽生やす樹が燃える蝶と化すならば、蛹から生まれた天使は人を失った。進化は深化となり、より深い淵の闇の底から人の眷属は生まれ出る。では、その者らは何なのか?」

 

「――――!」

 

 天高くより降り注ぐ光槍の雨。そして、同じく無数の光柱が世界を照らし、地面を蹂躙し始めた。

 

〝正体が分からない。宝具でもなく、魔術でもない。

 呪いの泥でもなく……あれは、一体何なのだ。どうすれば―――いや、殺し得る手段はあるのか?”

 

 既に聖剣も魔剣も敵の肉体を切り刻んでいる。しかし、アタランテから変身した無貌の天使は、致命傷も気にせず宙を舞うのみ。

 正体不明の化け物。魔獣でなければ、死徒でもなく、英霊にも非ず。

 エミヤは未知との遭遇に対処しなければならない。精神を煽り、技術を封じ、狩人を殺害する戦術から一気に変更しなければならなくなった。

 

「汝、人の闇を見た者。汝、暗い死を知る者。守り手よ、その手から枷を放し給え……―――」

 

詩的(ポエム)な説法だな。聞くに堪えんぞ!」

 

「―――……暗い穴を見よ、人狩りの守護者よ。我が脳髄に繋がる貌の孔は、魂の瞳となって汝の闇を鎮めよう。闇に魂を沈めよう。

 幻想が、外なる空より漂着した。繋がりは既に作られ、故に魔王の悪夢は消失した。

 おぉおおおお……おおぉおお、外なる神性、もはや魂の夢に堕落せん。全ては悪夢にて統合されたのだろう。故に我らの王は、霧を統べる悪魔の魂の主と邂逅した。なればこそ始まりを創造した古い神を見出すは必然であり、我らの王より生まれた血の眷属は魔王が夢見た外なる宙を滅ぼした」

 

 更なる空中剣戟。天使の光槍と投影の武具が衝突し続ける。

 

「だが、所詮は無限に連なりし夢幻。

 滅びもまた当然の摂理。世界一つ失えど、奴らの営みは永久なる神の仕掛世界。

 この世もまた夢の一幕となれば……―――あぁ、聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。道などありはしない。光すら届かず、闇さえも失われた先に、何があるというのか?

 だが、それを求めることこそが、我らに課せられた試練……」

 

 灰の魂から生まれた無貌は、炉の眷属。あるいは、闇の残り滓。炉となった亡者の王の手で最初の火に焼かれた世界は消え、それでも尚も残る何かがあるならば、それこそ焼かれた後に残る世界の灰と呼ぶに相応しい。

 故に、そのアタランテだった者が唄う歌は妄言でしかない。

 事実と真相であろうとも、人間性が啓蒙された者でなければ価値は生じない。

 しかし、分からずとも呪いは魂に響き轟く―――だが、エミヤは一切何も動じない。彼の理想は既に枯れている。

 

「―――投影(トレース)開始(オン)

 

 殺せないならば、あるいは殺せる手段を直ぐ様に見出せないならば、相応の神秘を模倣するだけで良い。どれ程の異形に果てたとしても、所詮はサーヴァント。使い魔であることに違いは無い。

 

破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)

 

 何も無い貌の中心に突き刺さった矢は、魔術殺しの宝具。サーヴァントは、そもサーヴァントと言う存在である事が弱点となる。敵の攻撃は全て受け止める不死の輩であり、だからこそエミヤの選択は最善であった。例えあの闇が魂に取り憑くのだとしても、アタランテ自身の霊基をこの時代に繋ぎ止めるのはまた別のもの。魔女と繋がるラインは“破戒”されるとなれば、現世に存在を維持する事は不可能だ。

 崩れる肉体。膨大な魔力で保たれた闇ならば、当然の結末。

 この世での霊体維持に必要な魔力を一瞬で消費した貌の無いアタランテは、表情一つ変える事も出来ず、ただただ消え去るのみ。

 

「人よ、人間性を捧げ給え。我らはただ……新たな世界にて、人の時代こそ――――」

 

「…………」

 

 終わりは実にあっさりとしたもの。エミヤは容易く不死の天使もどきを撃破した。しかし、それでも死体が残留思念と化して動く可能性は高い。寄生相手の霊基が消滅した程度で、あの闇が晴れると思う方が頭が悩ましい人物と断じられよう。

 

投影(トレース)完了(オフ)――――」

 

 未だ消えながらも宙を飛ぶ天使。それを囲むように展開された投影宝具が剣先を相手に向けて具現化し、不可視の弓に装填された矢のように射出された。

 一つ残さず、アタランテの死骸に突き刺さる。心臓と頭部には無論、肉片からでも甦ると想定すれば四肢一つ残してはならない。余す所なく仙人掌のような姿に、投影宝具で以って敵を処刑する。遠慮も慈悲もなく、エミヤは冷徹な戦術として完全なる消滅を求めるのは当たり前な結果であった。

 

「―――壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)

 

 何も残さない幻想の光。幾十も重なった爆炎が闇を焼き払い、空に浮かぶ何かは消え去った。魔力の反応もなく、残留するエーテルもない。

 残心のまま、その何もない虚空を彼は睨む。

 契約も途切れ、姿も消えた……死んだ、と判断しても良い。

 エミヤは聖杯から漏れる泥よりも尚、あのおぞましい気配が容易く無くなったことを疑問に思い、それを忘れず、そのまま立ち去った。

 

「……食……餌の………」

 

 最後にそんな声を聞く事もない。エミヤは仲間の窮地を救うべく、迷うことなく戦線へと疾走し続けた。

















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