血液由来の所長   作:サイトー

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啓蒙37:過ぎ去らぬ者

 だが、所長の意志は鈍らず―――バン、と銃声が鳴った。

 とある女の名を銘した血族の短銃(エヴェリン)は水銀弾を放ち、獣とは正反対の在り方をする聖女を撃ち殺す為に火を吹いた。

 

「…………マシュ」

 

「……ぁ―――クッ、オルガマリー所長」

 

 鈍重な大盾を持ったままでは踏み込みが間に合わない。そう察したマシュは武器を持たず飛び出し、義手から発動させた機械魔剣(ゲッコウ)で薙ぎ払う。彼女が込められるだけの魔力を充填したエーテルの刃は水銀弾とぶつかり、炸裂し、液状破片が広がり、だが魔力防御で身を守ることで水銀の炸裂作用から生き延びた。

 

「退きなさい。貴女はジャンヌを、自分自身の手で自分を殺させるの?」

 

「……嫌です」

 

「私達カルデアが出来るせめてもの償いは、ジャンヌを自害させないことしかないの。自分殺しの罪人として、魂を鎮魂させる訳には……いかないのよ」

 

「嫌です……――」

 

 殺意も敵意も、オルガマリーにはなかった。けれど、所長ではないオルガマリーをマシュは初めて見たのかもしれない。

 まるで―――夜空のような瞳。

 死も、呪いも、善悪も、全てを受け入れてしまう静かな目をした人。

 故にそれは戦友である筈のジャンヌ・ダルクの最期さえ、自身の感情を排除して合理的に許容する人外の精神性でもあった。

 

「マシュ。結末は変わらないわ……―――退きなさい」

 

「―――嫌です!!」

 

 無言のまま所長は手を下した。銃口は地面を向いている。溜め息さえも、もはや吐き出す気力が残っていない。

 

〝マシュがそうなのは分かっていた。だって、カルデアがマシュを育てて、純粋無垢なままで良いと成長させたのだから、そう在るのでしょう。藤丸も、此処でジャンヌの死に抗わないような男じゃない。そうじゃなければ、自分が死ぬ時だって言うのに、マシュと一緒に死ぬ意志を持って、彼女の手を握って冬木にレイシフトなんてしないことでしょう。

 手落ち。無様、無能。使えない、要らない女。誰の利益にもなれない。誰にも必要とされない。人間としても不出来な塵。死ねば良いのに、人みたいに死ぬことも出来ない価値無き思考する愚か者。

 だから、誰にも―――愛されない。

 所詮、私は私か。狩人なんて大層な存在になっても、何も変わらない。

 クソ、クソッ……クソォ……ッ―――――あぁ、オルガマリー・アニムスフィア。見なさい。啓蒙されていたのに、殺すべき時に殺せないと、世界が悪夢に堕ちるだけだと言うのに”

 

 最初からこうなると分かっていたから、ジャンヌにオルガマリーは問うていた。どう足掻こうとも、二重の意味でカルデアが彼女を殺す事になる。

 特異点を直せばフランスは修復され、ジャンヌは火刑にされて終わる本来の歴史に戻って死を迎える。だがそもそも聖処女ジャンヌに憑依された聖女ジャンヌを殺さなければ、ジル・ド・レェが願った聖杯の奇跡を破壊しなければ、あの獣の祈りより生まれた特異点は崩壊しない。

 抑止力は最後の手段として、聖杯から生まれた特異点の核に狙いを付けていた。

 人理のカウンターとして聖処女が召喚され、ジル・ド・レェに救われた聖女に啓示を下したのであれば、これが滅びを厭う人間の無意識が望んだ結末でもあったのだ。

 

「……オルガマリー所長、すみません。俺には出来ません。

 貴女がジャンヌを殺すところを黙って見ているなんて――――出来ません、絶対に!!」

 

 魔力で強化した四肢で十字盾を拾い、藤丸がマシュの下に駆け寄っていた。マスターから無言でマシュは盾を受け取り、先輩と呟く事も今は出来る気力が湧かない。しかし、所長や隻狼を見ていたマシュは、自分が為すべき事を感じて、それに殉じる意志を持っている。

 

「あぁ……でしょうねぇ―――っふ、ふふふふ。ええぇぇ、構いませんよ。構いません。知り合いが、知り合いを殺そうとしているんだものね。

 事情を分かっていても、友となれた者の為に……それは、止めるべき所業でしょう?」

 

 どうすればいいか、何も啓蒙されなかった。すべき手段の答えを得ても、人間は葛藤からは逃げられない。オルガマリーは狂気ではなく、苦悶によって意志を歪められている。

 ―――嗤うしか、なかった。

 マシュと藤丸が立ち塞がるだけで、引き金を迷う自分自身の無様が、可笑しくて堪らなかった。

 

「―――主殿」

 

「隻狼、貴方は見ていなさい」

 

 直後、遠くより叫んでいた男―――ジル・ド・レェが惨劇に間に合った。

 サーヴァントが憑依されているとは言え、その自覚が薄い生身の人間。一キロ以上は離れた場所に全力で走っても、数十秒は掛ってしまう。最後の生き残りであるジルは単身で馬にも乗らず走り出し、マシュと藤丸に守られているジャンヌの下に辿り着く。

 

「御無事で……御無事で、良かった。貴女が生きていてくれて、私は私はぁ……ック―――決して許さんぞ、そこの者。何故、この方を殺そうとした!!?

 彼女こそ、フランス最後の希望!

 人で無しの侵略者から国を取り戻したオルレアンの乙女であるぞ!」

 

 憑依したサーヴァントから知識が啓蒙されるのか、ジルは所長が持つ銃の能力と神秘性を漠然とだが理解していた。あの兵器は小型化した大砲であり、威力もそれに相応しい殺傷能力。肉体に掠っただけで、ただの人間は木端微塵となって肉片と変わるだろう。

 それで聖処女の眉間を狙うなど―――許される事ではない。何よりも、許してはならない。

 

「ジル・ド・レェ元帥……どうも、あの夜以来でしたね」

 

「貴様ァ……裏切ったか。仲間だと思っていたが、ジャンヌを誑かしていただけか!!」

 

 祝福が為された聖剣を鞘から抜き、ジルは今度こそ何を犠牲にしても守らなければならない。救世の戦乙女の為、自分では手出し出来ない敵が相手であったとしても、戦わなければならない。

 名も知らぬ女――狩人は、死よりもおぞましい血の気配の持ち主。

 だが、彼はそれでも……自分が死ぬと分かっていても、聖女を目の前で死なせる訳にはいかないのだ。

 

「―――ジル」

 

「ジャンヌ……」

 

 背後から聞こえる聖女の声は、彼がずっと聞きたかった筈のもの。しかし、あらゆる不吉が含まれた絶望のように思え、所長と向き合う剣の切っ先が定まらない。

 

「私は、死ななければならない。彼女は、私が自害を選ぶのであれば……―――せめて、と思って殺してくれるのです。

 主の下へ……フランスの為に、そう在れかしと召されるなら」

 

「何を、馬鹿な事を……ふざけるな、ふざけるな―――ふざけるなぁッッ!!

 貴女が死んで何となる、何が救われる、誰も救われないではないか。神が、主が、人に祈った貴女にそう在れかしだと……有り得ん。在り得てはならない。

 そんな神は、神ではない――断じて!!

 人の魂を貪る獣と、もはや何も変わらん汚濁ではないか!!?」

 

 怒りだった。聖女に死を選ばせる、この世の何かもに対する憎悪から生まれた憤怒だった。ジルは生命を使って魂を焦がす怨念が、自分の身の内から生まれる発火音が確かに聞こえた。

 

「それでも尚、私が死ねば―――この惨劇は、なかったことになるのです。何もかもが、彼らに燃やされる前に戻り……いえ、違いますね。失った命は元に戻らなくとも、私達の故郷は今まで通りです。

 何よりも、私が生きていると人理は戻らない。

 遥か未来に訪れる世界の終焉を、カルデアが防ぐには―――」

 

「―――滅べば良い!!

 獣が人を貪る世界など消えてしまえ……何処でなりと、無様に終われば良い!!」

 

 人理など―――知らぬ。

 救済など―――要らぬ。

 ジル・ド・レェは人々の営みで処刑されるジャンヌ・ダルクを救いたいだけ。

 

「その二人も、だからこそ貴女を守る為に……そこの女に、立ち向かっているのでしょう!?」

 

 所長に背を向けて、彼がジャンヌに振り返る。そして、ジャンヌを所長から守る様に立つ少年と少女が、ジルの視界に入っていた。

 ―――悲痛な貌を、していた。

 今直ぐにでも死にそうな顔面蒼白となり、少年と少女は握り締める拳から血を滲み出ていた。もうジルは理解したくなくとも、白痴でありたかった脳を真実が啓いていた。

 

「ジル……」

 

「やめて下さい……―――ジャンヌ・ダルク」

 

「私はもう……―――生きるべきではない」

 

「嘘だぁぁぁあああああああああああ!!」

 

 剣を向けていた所長に背後を見せ、持っていた聖剣さえも地面に投げ捨てた。ジャンヌは救われなければならないのに、それなのにジャンヌ自身が救われる自分の未来を拒絶する絶望。どう足掻いても、ジル・ド・レェが願う聖女の幸福は訪れない。

 幸福を祈る善なる人々の無意識も、罪科を犯す悪なる人々の無意識も、明日を生きたい全ての人にとってジャンヌ・ダルクが―――ただ生きているだけで、殺されるべき邪悪となってしまった。人々が未来を生きるのに邪魔となってしまった。

 

「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ――――ならば、私が貴女の為に祈る!!」

 

 もはやジャンヌは呼吸することさえ許されない。ジルはそんな世界を許せない。

 

「生きている貴女をまた、殺すなど……!!」

 

 ジルに憑依する英霊の記録が侵食を終えていた。絶望を前に膝を折れず、心も折れず、何もかもに足掻くと決めた。抗うのだ、最後まで。

 灰が最初の火より流す死の瘴気を受けた彼は、今この瞬間―――霊基を覚醒させていた。

 サーヴァントと言う結末を終えた後のジャンヌの死であれば、まだこのジル・ド・レェなら受け入れなくとも、ジャンヌの願いとして抵抗を諦めたことだろう。

 

「人間共……―――醜い、生きたいだけの人間共め!」

 

 だが―――ジャンヌ・ダルクは生きている。人間と言う寿命を全うしなくてはならない。そして、此処で彼女がカルデアに殺されれば、人理は修復され、また異端審問官共に陵辱された後に、火刑に処されて焼かれ死ぬ。

 そんな未来を許すことを、一欠片でも出来るものか。

 有り得ない―――世界を焼いてでも、否定すべき愚劣さだった。

 やっとジルは全てを理解出来た。あの狂った自分は、本当は全く狂っていなかった。確かな正気を持ち、一人の人間として醜い世界を正す為に人理に挑み、そしてフランスを焼き払った。侵略者共は皆殺しにされなければならず、故郷も燃やされなければならなかった。

 ただ―――それだけの話。

 誰かか……誰でも良いから人間は間違っていると叫び、紅蓮の聖女を救わないといけかった。

 

「うぅ、ぅ……ぁぁ」

 

 両手が地面に堕ちる。涙も土に吸い込まれる。ジルは願いの為に何をすれば良いのか分からず、人を救うべき願望器である聖杯が聖女を死に追いやっている。

 

「貴方の真心は嬉しい……でも、ごめんなさい」

 

「――――――」

 

 彼は肩に置かれた聖女の手を感じ、もう叫び声さえ上がらなかった。彼女の手が……静かに震えているのに、旗の聖女を守る騎士が膝を折るなど、ジルにとっても許される醜態ではない。それでも尚、ジャンヌが目の前にいるのに立ち上がれず、絶望を告げる彼女を直視する事も出来ない。

 

「人理は、それを望むのですか?」

 

「―――はい」

 

「貴女が死んでまで、守るべき未来なのですか?」

 

「―――はい」

 

「戦争が終わって、故郷を救って……そんな幸せな貴女の未来よりも、人理は尊いのですか?」

 

「―――ええ、きっと。未来は尊いのです。

 私たちが抱いた希望も……絶望でさえ、未来で生きる人々が紡いでくれますから」

 

「だが、それでも私は――――貴女に、生きていて欲しい」

 

 跪くジルはジャンヌを見上げた。否定の言葉を願い、聖女に祈る。でも暖かくて、暗くて、優しい黒い血の涙が、焦げた聖女の片目から流れていた。

 

「―――私は、そんな人たちの為に死ねるのです」

 

「ううぅぅ、ぁ……あっ―――あぁぁぁああああああああああああああああああああ!!」

 

 人の為に死ねる等と、聖処女ジャンヌ・ダルクに言わせる全てが憎くて堪らない。絶望が深過ぎて、彼女が悲しくて、心が可笑しくなって、叫ばざる負えない。

 

「ジル。どうか貴方にも、安らぎがあらんことを……すみません。オルガマリー、最後をお願いします」

 

「……………――――」

 

 その瞬間、ジル・ド・レェは自分の願望を捨て去った。彼女の祈りを受け入れた。同時に、オルガマリーの意志をも圧し折った。

 狩人になる前の少女だった頃に、彼女の時間が巻き戻る。

 殺したくない―――と、自分がカルデアの所長である事を憎悪させたのだ。

 

「えぇ、ジャンヌ・ダルク。貴女に感謝を。

 カルデアも人理も関係なく、オルガマリーとして―――貴女の死を、永遠に悔み続けます」

 

「背負わせて、ごめんなさい」

 

 拳銃がまた、向けられた。藤丸立香は動けなかった。もう自分が為すべきことが無いことを知り、ジャンヌの祈りに彼も心が折れていた。死んで欲しくない、と言う藤丸の願いを上回る彼女の献身に負けたのだ。

 けれど、マシュ・キリエライトは尚も駄目だった。

 最後まで戦い抜いた聖女への報酬が、眉間を水銀弾で撃ち抜かれ、脳漿を吹き飛ばされ、苦痛なく一瞬で死ぬことのみだ何て―――……あぁ、とマシュは本当に血反吐を口内に流す。歯軋りの余り、歯茎からも血が出ていた。叫び声を上げそうな自分の声を抑えつける為に、口元を押さえていた右手に血液が付着していた。

 何故ならそれを思い付いた自分の思考回路に、マシュは吐き気を感じていた。

 

「ジャンヌさんを、銃で殺すのは止めて下さい」

 

「マシュ、今更何を……いえ、いいえ。貴女、まさか―――駄目です!?」

 

 苦悶とは、オルガマリーの貌だろう。

 痛みとは、耐え切れなくなって初めて苦しいと実感出来る。

 

「最初から所長は分かっていたんでしょう……?

 そして、ジャンヌさんも本当は、それが一番苦痛のない死に方だって、分かっていた筈です。だから、二人は私に頼まなかった」

 

「いけません。貴女が……貴女だけは、誰かの為にそんな―――!」

 

「カルデアで私は、霊媒治癒が一番上手いです。

 所長にそう教えられましたから……だから、カルデアで一番、私は人を眠るように殺せます」

 

『――――――――――』

 

 何も言えなかったロマニは、もう何も言うべきではないと悟る。ジャンヌと向き合うマシュを見て、何を言うべきか分かる訳がなかった。果たして一体何を決心させてしまったのか、それが分からないロマニでもなかった。

 そして、マシュがオルガマリーの射線からジャンヌを守るように移動した。

 言葉なく、視線だけが交差する。他の者はマスターである藤丸も、最期をただただ見届けるべきだと悲壮な決意が出来るだけだった。

 

「マシュ―――」

 

「―――ジャンヌさんは、温かいですね」

 

 人殺しの義手を肩から垂らしたまま、しかし生身の右手だけで聖女を抱き止める。右手は背中から心臓の上にあり、対魔力で抵抗されなければ鼓動を静かに止めることだろう。そんなマシュにジャンヌは優しく笑みを浮かべて、まるで家族を抱き締める母親か姉のような顔で、自分に死を与える少女に涙が流れそうになる。

 死ぬのは、怖い。震える腕と肩をジャンヌは意志の力で止め、マシュを両腕で抱き締めた。きっと、人を殺すマシュの方が怖い筈だと思っていた。

 

「あぁ……マシュも、とても暖かい。それ……とね、何だか、とても眠くて………」

 

「はい……」

 

「痛くないの……痛く、ない―――母さんに、子守唄を唄って貰って……それ、で……眠っていた頃、みたない……懐かしい気持ち、で……本当、です……よ?」

 

 コクリ、とジャンヌの顎がマシュの肩に落ちる。力が抜けて、体を委ねて、瞼を開けるのも難しい。本当に、眠るみたいだと聖女は欠伸さえ出そうにある程に、自分を殺すマシュの魔力が暖かく感じた。しかし、確かに彼女の命は冷たく静まり、全てがマシュの送る優しい夢だった。

 

「……はい」

 

「あぁ、眠いです……みんな、が家で、待ってます……おうちに、かえらないと……かあさん……?」

 

「―――はい」

 

「みん、な……ごはんのまえに、ちゃんと……かみさ、まに……おいのりを、して、たべないと……てんご、くにいけま、せん……からね?」

 

「―――……はい」

 

「だか、ら……だか……ら、みんな……わた……しも、みんなの、ばしょ…………いく、よ?」

 

「はい、ジャンヌ……さん……はい、はい!」

 

「……あり、が……とう…………」

 

 力を失ったジャンヌ・ダルクを、マシュ・キリエライトだけが支えていた。眠るように死に、顔は安らぎに満ち、でも心臓はもう二度と動く事はないだろう。

 絶対に放さない。離れたくない。

 まだ暖かい人の体は、しかし直ぐに硬くなってしまうだろう。

 でも、マシュは自覚していた。ジャンヌから命の火を消し去ったのは―――この右手だった。

 

「――――――――――――――――――――――――――っ……」

 

 

 

 マシュの流す涙が、聖女の死を告げていた。

 

 

 

「ロマニ………」

 

『…………特異点、崩壊を確認。

 時間は掛るけど、一時間もしないで消えると予測できた』

 

「そう、ありがとう」

 

『いえ。では、レイシフトの準備を始めます』

 

「うん、お願い」

 

 仕掛け武器と銃器を夢の内に入れ、所長はまだジャンヌを抱き続ける少女を見た。そして、ジャンヌがもう喋らない事実も確認してしまい、溜め息さえ吐き出せなかった。

 

「主殿……」

 

「なに?」

 

 忍びの優し気な声も煩わしい。嘗ての自分に戻った感覚が残る所長は、他人全てが敵に見えて仕方がない。

 

「……我らは、為すべき事を為したまで。

 マシュ殿も貴女と同じ、未来への意志を持っておられます。聖女殿のお気持ちも同じく……そう、思いまする」

 

「分かってるの。そんなのは、分かってるのよ……隻狼、でもだって、じゃあジャンヌの意志は何処に行くの?」

 

「何処にも、行きませぬ。

 聖女の御意志は、今を生きる人が……継がねばならない」

 

「……貴方は、強いのね」

 

「……………………」

 

 何を言うべきか悩み、しかし狼は口を閉じる。これ以上、言うべき想いはない。感傷はジャンヌを殺したマシュに許される懺悔であり、見守った者は意志を継ぐことだけが許される。

 

「―――マシュ」

 

「エミヤさん……」

 

「彼女を、もう眠らせて上げよう。此処に、寝かせてくれ」

 

 真っ白く綺麗な厚い布を投影した彼は、更に投影した地面の上にそれを置き、その上にジャンヌを置くようにマシュに頼んだ。

 ……後は、厳かにエミヤが進めた。

 布の上に置かれた聖女は今にも動き出そうだったのに、包まっていく姿が彼女が遺体であることを理解させる。マシュはエミヤにそんな事をしないでと叫びそうになり、でもそれを我慢する為に震えるだけで、藤丸に手を握られても止まらなかった。

 だって残った唯一の生身の手で、マシュは生きていたジャンヌを殺したのだから。

 むしろ、そんな手を握る自分のマスターが人殺しの手で穢れそうで、本当は振り払いたかったのに、ジャンヌと同じように暖かい彼の手を放すことは出来なかった。

 

「あぁ……やっと、貴女は御休みになられたのですね。

 ジャンヌの遺体は私が責任を持って、彼女の故郷に運びます。例えドン・レミ村が焼き払われていたとしても、きっと……最後は、家族の思い出と近い場所で、眠り続けたいでしょうから」

 

「はい、ジル・ド・レェさん」

 

 白い布に巻かれた聖女の―――マシュに殺された、その遺体。ジルは優しく、誰よりも丁寧に、震える両腕で彼女を抱き上げた。

 

「―――カルデア。貴女たちに、感謝を。

 そして、マシュ・キリエライト。痛み無く、ジャンヌを眠らせて頂き……っ―――ありが、とう、ございました」

 

「…………どうか、御無事で」

 

「はい。そちらも、御達者で」

 

 マシュとカルデアにジルは頭を下げた。殺した憎い相手だが、ジャンヌに安らぎを与えた恩人でもあった。表情を歪ませる事もなく、聖女と共に戦場を走り抜けた騎士として、カルデアの前から最後は立ち去る事が出来た。

 ……そんな騎士の後ろ姿を、マシュはずっと見守り続ける。

 きっとジルは、ここが特異点だと分かっている筈。残り時間を思えば、数十分で崩壊してしまう世界だ。ジャンヌの故郷には辿り着けない。そうだとしても戦場のオルレアンから離れた場所で、一歩でも故郷の村に近い場所で終わるべきだと、マシュとジルの二人はジャンヌにそう思っていた。

 

「マスター、藤丸立香……―――これから先、別れは続く」

 

 エミヤは、ただ空を一人見上げる自分のマスターに告げた。

 

「うん……」

 

「誰かを助けるとは、誰かを助けないということ。それは誰かを殺さねば、何も救えないと言うこと。カルデアで人理を直す為に戦い続けるとは、ジャンヌ・ダルクをそうした様に我々が人を死に追いやる事に他ならない」

 

「………ッ―――それは、そうだけど!

 エミヤはそれでも人理修復の為に、カルデアのサーヴァントを続けてくれるんだよね……?」

 

「あぁ、そうだ。私は戦い続けられる。この身はアラヤの走狗である故、世界を守る為ならば地獄を住処としよう。

 だからこそマスター……君は幾度悪夢を見ようとも、努忘れるな。戦おうと決めた理由は、決して忘れるな。例えこの先、今と違う動機を覚えたとしても、英雄のように人を救う為に戦う事があるのだとしても、戦うと決めた現実から目を逸らすな。

 君は―――自分の人生の為に、生きる為に戦え。

 それを手放さなければ、藤丸立香は必ず自分自身を見失わずにいられるだろう」

 

「―――分かった。この先が地獄でも、俺は絶対に忘れない。

 ジャンヌの事も、清姫の事も、フランスで出会った皆の事も……俺が殺した敵の事も、全部忘れずに進んで行くよ」

 

 何もかもが終わり、特異点は解決した。カルデアの管制室が準備を終え、特異点崩壊に巻き込まれない様に、消滅する前に転移は始める事だろう。

 そんなカルデアを祝福するように―――パチパチ、と拍手の音が誰もいない筈の空間から鳴り響く。まるで宴会が終わった後のように、とても喜ばしい娯楽が終わったように皆を祝っていた。拍手で手が叩かれる音がする度に、精神を覆う理性の皮が引き剥がれそうな錯覚を、マシュは怒りの儘に実感していた。

 

 

 

「素晴しい結果です。ええ、とても素晴らしい結末です。

 カルデアの皆様……本当に、本当に、魂から心を込めて人理修復、御苦労様でした」

 

「―――生きていたのね、アン・ディール?」

 

 

 

 何一つ色の無い植物のような貌で、灰は灰らしく理性的に表情を作り変えていた。所長は感情が死んだ無表情で、その女と対峙する。

 だが、攻撃を仕掛ける事はしなかった。

 忍びにも手を出さない様に命じていた。

 今のカルデアでは、灰を相手にするのは非常に危険。今は静かなマシュと藤丸だが、一つでも灰が煽れば、冷静であろうとする二人の枷を一瞬で消し飛ばすことだろう。

 

「無論ですとも。宝具と言う概念が届きません。ソウルより巨人の王から見出した闇術の業の前ではね。

 それとアン・ディールではありません。私の名はアッシュ・ワンですからね。その人、今回のフランス特異点観光をする前に葦名で甦らしているので、そろそろ定着して欲しいです」

 

「知るか。最初からね、偽名使う方が愚かなのよ」

 

「仰る通りで。しかし、それは貴女のお父様がいけないのですけど」

 

 闇術の一つ―――反動。灰はカルデアに語らないが、英霊の宝具を無傷で処したのがその業だった。

 

「それで貴女は、何で現れた?」

 

 戦意だけでなく、殺意が高まり出す。あの藤丸でさえ、灰には怒りしか抱けない。

 

「お話をしておきたく思いまして」

 

「良いわよ。聞くわ、無駄話」

 

「では、世界を救うのに必要かもしれない……そんな無駄な長話を一つ。動機など下らないと、話が要らないのでしたら、もう私は帰りますが?」

 

「聞くわよ。言え」

 

「宜しいです。興味が無いなら無いで、それもまた喜ばしい。ですが、在るなら在るで答えを話す喜びもありますから」

 

「煩わしい。回りくどい会話の仕方ね……っ――――」

 

「歳のためです。それに、戦闘以外はゆったりするのが人の嗜みでしょう。老婆の娯楽を蔑むのは悪趣味ですよ……で、何かあれば答えますが?」

 

「―――っは、知ったことか!?

 貴女のそれ、人間性だったかしら。ふん、悪性の聖杯から生み出した泥って訳じゃないわよね?」

 

 そのクドさに所長は我慢出来ずに銃を向け、灰はそんな所長の姿を喜ぶだけ。震える腕では狙いは定まらないので静かな射殺の型は冷静そうに視えるだけで、もはや殺意に瞳が溢れ返っていた。

 

「さぁ……何とも。けれど、私の人間性は悪ではありません。だたの闇に過ぎません。それにただただ、人間の魂を混ぜ込んだのが、特異点で召喚したサーヴァントたちに流し込んだ誰かの心。

 英霊の魂を狂わせたヘドロは、まぁ……腐った人間性です。

 この世界の人間共の死んだ多くの魂は、英霊の心さえも狂わせる程に、私の闇を腐らせてくれたのです。膿が出来ても尚、魂は闇を腐らせ続けました」

 

 なのに、その銃口を灰は気にしない。むしろ、他の者が攻撃してくるように挑発的声色を高める程だ。

 

「自分の魂が望む唯一つだけの願望に、何もかもを捨てられる者。自分で決めた使命を、自分の為に準じられる者。世界を終わらせる事も、世界を救う事も、それが出来るのはそんなソウルを持つ人間だけでした。

 故に、腐った人間性を克服出来た英霊は―――……清姫だけなのです。

 何かの為に自分の魂を焼ける彼女だけが、我ら不死と同じ薪となる資格をソウルに宿していました」

 

「人理焼却……いえ、魔女を作った訳を言え。言わないなら、袋にして嬲り殺す」

 

 全員が武器を構えている。灰を倒すのに欠片も躊躇いはなく、その殺意が灰にとって心地よい。怒りに震える人間は魂を炸裂させる輝きに溢れ、人理の人間性に相応しい力を漲らせる。強烈な想いなくして、幻想が編まれない。

 

「何でと言われましても……ん―――ま、ジルさんの頼みでしたしね。

 いやはや、協力者のローレンスさんには良い結果をレポートに纏められてよかったですよ。暗い血の赤子実験とでも言いますかね。なので強いて言えば、共同研究における現場での実施調査ですかねぇ……ふふふふ。

 なので、ジャンヌが母親になることも喜ばしかった訳です。

 竜の魔女とは、彼女を特異点の巫女にする楔でありました。

 その為に聖杯の所有権を彼女に渡し、聖処女を奪われた聖女を特異点の核にし、まずは彼女が救われると言う因果律をジルの願望で固定させたのです。その後に聖杯をジルに譲渡させ、魔女に胎の中に入れて、彼女を最後の所有者になるように聖杯を設定した……と言う、シンプルなカラクリです。

 ……正しく、世界とは悲劇でありましょう?」

 

「アン・ディール……ッッ――――貴女はそれでも、私達の味方だったんですかぁ!?」

 

 跳び掛れば、死ぬ。自分が死ねば召喚システムが終わり、カルデアの人理修復が不可能となり、聖女の死が無駄になる。

 ジャンヌの死が、逆に怒りを得たマシュの重石となっていた。

 

「勿論ですとも。全ては人間が辿り着ける可能性を、人の手で啓く為の実験でした。即ちこの特異点の正体は、私が人間共の魂で描いた実験施設でありました、とさ!」

 

 ―――正真正銘の邪悪とは、この世全ての悪さえも道具にする人の意志。

 神も人も、世界も背負える筈なのに、私利私欲にのみ邁進する腐れ外道のカタチであり、実験と称して人を死に追いやる化け物だった。

 

「嘘ね……―――いえ、嘘ではないわね。

 魂から、貴女は本当の言葉を吐き出した。けれど、その魂を偽っている。本心を幾つも持つだなんて、意味もなく面倒臭い女よ」

 

「……ほう?」

 

 笑みを浮かべたまま、灰は表情も変えずに所長を見る。先程の邪悪に満ちた外道の雰囲気は何故か消え、楽し気な気配もなく、その落差に何故かカルデアの皆は心が冷える。

 忍びだけがただ殺す滅私の儘に、隙を窺っていた。

 そして、所長は鎮まる怒気に比例して狩人の意志が湧き上がる。

 

「本音の本心だから、貴女のその戯言はそれっぽく聞こえる隠れ蓑に過ぎないわ。何処ぞの屑の精神性を利用してるのか知らないけど、貴女の意志はその悪意に何一つ無い。

 ただの、人の知識を真似て行った所業でしょうに」

 

「……カルデアは、良い組織ですよね?」

 

 別人だった。悪意も何も、気配から消えていた。何処か、今の灰はおぞましい。

 

「はぁ……?

 何よ貴女は急に。どう足掻いても殺すし、もう居場所もないわ」

 

「不死なる狩人である貴女なら、人の魂の在り方も理解していますよね?」

 

「………だから、なに?

 人の魂の在り方に文句を言える程、私も貴女も聖人君子からは程遠い」

 

 特異点崩壊まで、まだ時間はある。灰の様子を監視しながらも、より多くの情報を引き出す為に所長は会話に乗った。マシュや藤丸も、エミヤでさえ本当はこの女を黙らせたかったが、すべきことではないと自制するしかない。

 

「愚かな事です。どう足掻こうとも、人間は不滅。故に、果ても無く不死です。

 私は確かに……この様で、もはや数え切れない無限を乗り越えましたが、それはこんな人理と言う箱庭の絡繰に捕えられた人間共も同じことだというのに。

 私と違い、此処の人間は寿命を持ち、死ねば、死にます―――で、どうなりますか?

 肉体は死んで、魂がこの世から消え、結局はまた輪廻する為にあの場所に、星幽界に戻るだけ。根源とやらの、この宇宙と言う巨大な絵画の外側の、誰かがこの世界を描くのに必要とした叡智が啓蒙される世界であり、所詮そこもこの世と繋がった同じ世界でしかありませんでした。

 根源の渦など―――文明の延長でした。

 誰もが、永遠と成り果てるのです。人の死が、死では無いのです。無に還ろうとも、人間として生まれた以上は……いや、魂と言う存在を持ち得てしまった以上、誰もが本当の意味で死ねないのです。空も無も死も、人の繰り返される輪廻を断つ事はなく、寿命で死んでも魂は永遠に囚われています。地球と言う惑星で誕生したこの霊長でさえ、星と言う箱庭が為され、そこの人類が死ぬ度に記憶が消え、思い出もなくなり、なのに全てを忘れた亡者の赤子となって魂は繰り返す。

 全ては、理なる力で繋がっています。

 我ら人の業は、そんな何かしらの理を解する為の技術。

 ならば……あるいは、魂を蝕す我ら不死が魂が廻る根源たる星幽界へと流れ着けば、あらゆる生物の情報炉であるあの場所で闇を為せば、面白そうではありませんか。それとも、この宇宙で発生した一番最初の魂も、そこで見付けられるかもしれません。さすれば、魂の総てが啓蒙されることでしょう。

 ふふふぅ……良いですね、良いですね。果たして、如何程の魂を貪れるものでしょうね?」

 

「その理を破る為に、人理焼却を?」

 

「まさか、です。あの人類悪(ケモノ)に、そんな思想は持ち得ませんよ。

 むしろ逆ですねぇ……フフ。そもそも世界を焼いたところで誰の魂も滅びませんし、正しい意味で虫一匹消滅してません。虐殺をしたところで、誰もが消えることは出来ないのですから。

 私が特異点で殺した人間も大勢が死にましたが、誰もが不死。どうせ人理が終わったところで、魂が生まれた場所に帰るだけですしね。

 この世における不死性とは―――魂、であることなのです。

 何処の世界だろうと……全く、人間と言う生き物は哀れな生物でした。寿命を持って死ねる、と言う無価値な幻想に捕えられた不死の存在です。

 我らが個別に輪廻する永劫の不死ならば、人理の者共は死後に統合することで輪廻する不滅の共同体なのでしょう」

 

「だから、隠し事は良いのよ。貴女からすれば、そんな道理も所詮は知識に過ぎないじゃない。この長話も、手段と用法をそれっぽく聞かせているだけで、本当の事を本心だと相手に錯覚させているだけ」

 

 人は、こう言う話を真実だと感じると灰は考えている。魂の底から、この世界の人間も永遠を延々に繰り返される箱庭の理に埋葬された人類種だと思っている。平行世界と言う数多の絵画が描かれ、その世界で生命が発生する度に魂が具現し、死なばまた無空へと戻る。そして、その平行世界も所詮は大きな絵画の中で作られた一枚の絵に過ぎず、それがまるで本の頁のように連なっているだけ。魂の観点を持つ灰からすれば、人理の人間とは、死ぬ度に赤子からやり直す自分とは違う形に至った不死の亡者だと理解していた。

 それを如何にかする技術を得たいとは考えてもおり、だがその技術も灰からすれば目的ではない。業とは魂に使われるのではなく、魂から生まれた自分の為に使われるべきである。

 

「……………―――成る程。

 貴公もまた、死を超える者であったな。あぁ確かに、蓄えた不死者の含蓄に過ぎず、私は目的をこの世で一度も明かした事はない。

 ならば、何も言うまい。好きに告発すれば良いだけだ」

 

 灰は、本当に空のような目を向けた。彼女が元からいた世界からすれば、余りに一般的過ぎる存在理由。彼女の世界において、亡者の王となる灰は彼女唯一人であったが、別世界が無尽蔵に在る様に、世界を終わらせる魂を持つ灰など所詮は唯の人間に過ぎない。

 亡者の王など―――一般人と何も変わらない。

 残り火の世界を飽きることなく輪廻させる。繰り返される無限の地獄を、不死の魂が永遠に生きる極楽として人生を謳歌する灰の人だけが、世界の輪廻を愉しんでいた。最後を通り過ぎても無数の灰が別世界で生きていたように、この灰もまた無限に連なる世界の楔となった灰の一人に過ぎないのだ。

 

「……―――」

 

 オルガマリーは、それを理解していた。既に魂と魂で意志が混ざり、何でもない人間の欲望しかあの女にないことも分かっていた。

 

「―――強くなる事。

 貴女にあるのはそれだけよ。世界や他者に、望みも恨みもありはしない。一存在としての進化も、業を鍛える為の知識と経験も、その為だけに使われた」

 

 灰は為すべき事を全て為した。それでも尚、終わりを許さなかった理由。

 

「―――素晴しいです。

 貴女が初めて私の渇望に辿り着きました。私と同じ不死以外では、ね」

 

 火継ぎも、簒奪も、終焉も、深海も、幾度も同じことを繰り返した。万か、億か、不死故の不滅のサイクルを踏破した。その果てに最初の火の簒奪者となり、絵画を燃やす答えを見付け、亡者の王として人間の時代を新たなる世界に創造した。

 なら―――死んでも、もう良かった。終わっても良かった筈。

 残り火を終わらせる薪の王の使命を超えて、灰となる前の唯の不死だった頃の使命も叶え、人間たちが闇を厭わぬ人間として生きる為の新世界を描いたのだから、人間としてやるべき事を全て終えたと言えるだろう。終わりのない神々の足掻きに最期を与え、何もかもに結論を出した亡者だった。

 

「絶望を焚べた不死として……――唯の人間として、もはや使命を果たしました」

 

 全ての責務を終え、使命を果たし、残り火の時代まで終われなかった全ての不死は、亡者となって救われた。絶望を焚べる者は、人間性の根源へと辿り着き、最初の火さえ絶望でしかないと理解して、亡者ですらなく魂を枯らして、死ねぬ故に永劫の眠りに着いた。なのに、彼女は薪の王の火で焦げた血液によって墓から暴かれた。空の灰となっても意志を継ぎ、絶望した疑念の先の、答えの向こう側に到達した。

 絵画を描いた―――亡者の王。

 火の簒奪者となりし灰の不死。

 亡者に意志を与え、魂に暗い血を施した者。

 絵描きの少女を母として、人が人として生きる闇―――ロンドールの絵画世界は、灰のソウルの中で今も尚、暗い魂を安寧とするべく収められている。

 

「されど、墓から暴かれたこの身は火の無い灰。古い獣の理に過ぎないソウルを脱する意志が、この魂から生まれてしまったのだから。

 ―――オルガマリー・アニムスフィア。

 貴女にならば、理解出来る価値観でしょう?」

 

 魂が終わりを迎えて、灰となって、空の器となったとしても、彼女だけは永劫に終われない。何故なら、灰の魂がもう生き死にを不必要としている。故に全ての業を極めた末、魂の限界を超えて強く、より前へと進み、強くなる為に人間の進化と言う可能性を無限に繰り返したい。新たな限界を迎える度に、越えて進みたい。だから、自分たちの絵画世界を焼いて外側に飛び出し、この世界でもそう在らんと彼女は業を繰り返した。

 正しく、オルガマリーの言う通り。

 最期を繰り返した灰が、全ての責務を果たしたのであれば、それしかもう残されない。魂が要らぬ意志を抱き、気が付けば業が意志となっていた。

 ……悪夢より根源を見た貴女なら、と灰はオルガマリーに微笑んだ。

 

「そうね……私も、貴女みたいに個別の生物として完成していれば、そう思った事でしょうね。人理の人間もまた、貴女が言ったように、世界の外側で泥沼みたいに無色の混沌となって融け合わさり、全体としては滅びることのない不死の霊長類。世界が一つ滅びようとも、他の平行世界は運営されて、様々な時間軸で無数の人理が生き延びる。

 人の命に寿命があるだけで、魂は貴女みたいに永劫でしかない。

 あらゆる世界の人々と繋がった人類全体で行う魂の回帰と、無限循環の運営。それを一個人の魂だけで完結させた輪廻転生こそ―――貴女の不死性の正体でしょう。

 人理を焼く程度の炎では……魂を滅ぼす程度の理ならば、本物の不死は幾度でも甦る」

 

 ダークレイスの業より、唇と唇で魂の意志を交わした仲である。所長が灰の内面を理解することなど容易かった。

 亡者となり、灰を越え――簒奪者となった、その不死性。

 全人類が廻り巡る輪廻が、個人で規模を変えずに運営される悪夢なれば、確かに自分の魂など転生に価値はなくなるだろう。重要なのは、魂から生まれた自分と言う意志の存在。それのみが、霧と闇の理を飲み干す確かな導となるのだろう。

 

「けれど御愁傷様。私は別に、貴女のような個別の存在じゃない。ただの魔術師で、人間よ。

 私こそ人理保証機関カルデアの所長―――オルガマリー・アニムスフィア。人の世に仇為す者ならば、例外なく討ち滅ぼしましょう」

 

「ふふふ……本心でしょうが、詭弁ですね。一番の望みと言う訳でもないでしょう?」

 

「でも、本当のことですので」

 

 所詮は何処まで行っても悪夢に魅入られた魔術師だと言う自覚があり、狩人の業を何処までも極めたい血の貪欲さを持つことも認めている。

 だが、力を求めた根底の願いを忘れる気も所長にはなかった。

 事実、悪夢を巡った彼女が得た業は人理を護る技術となった。

 

「―――成る程。なら、次はより……素晴しき世界を用意致しましょう」

 

「此処から、逃がすと思うの?」

 

「まさか。全てがですね、もう遅いのです。

 私とジルで救った筈のジャンヌ・ダルクをマシュさんが―――殺したから、残り時間は既に無い訳です。人理の為に、カルデアの為に、人を守るべき手でマシュさんがジャンヌさんを眠らせましたから、この特異点も眠りに付く時間がやっと訪れました。

 憐れな聖処女だった聖女と共に、悪夢には覚めて貰いましょう。

 赤子が夢見た世界は、母親が殺されたことで現実を得てしまいましたからねぇ……ふふふ」

 

 その瞬間―――特異点の崩壊が始まった。過去の世界にとって異物である灰と、そしてカルデアの皆は時空の崩落に逆らえない。まだ崩落までの時間はあったのに、そのタイミングを管制室が読めず、故に緊急的にレイシフトを開始せざるをえない。

 カルデアは、何でと疑問を叫ぶことも出来なかった。

 逃げるのに間に合わなければ、世界の狭間を彷徨うことになる。

 

『―――レイシフト、緊急開始!』

 

 だが灰は、特異点に絵画を燃やす火をそもそも仕込ませていた。最初から、何もかもが掌の上だった。好きな時に、好きな様に、世界を崩落させる事が出来たのであろう。

 オルガマリーと、藤丸とマシュは、特異点の外側へと送還される灰を見る事しか出来ない。

 殺すことも止めることも出来ず、カルデアに還るレイシフトの流れに身を任す事しか許されない。

 

「カルデアの善き人々よ。貴女たちは、期待を裏切りませんでした。

 是非とも私の為に強くなって、裏切り者のアン・ディールを殺して下さい―――何度でも」

 

 暗い魂から、そんな呪いの声を聞きながら、カルデアに還るしかなかった。そんな自分勝手な願望を聞いた藤丸は怒りの余りに雄叫びを上げ、マシュは魂が捻れる絶叫を行う。だが時間流に音が掻き消され、しかし灰と所長には聞こえていた。

 狩らねばならない―――絶対に、暗い魂を。

 オルガマリー・アニムスフィアの意志が人理修復ではなく、その決意に定まった。ジャンヌ・ダルクの意志を利用した女を、決して許しはしないのだ。

 

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 

 何もかもが終わり、静かな争いがない時間。二人の故郷は平和になった。飛竜の影が空に一つもなく、竜血騎士も土地を徘徊せず、狂った英雄共が街を焼かなくなった。

 このフランスで誰もが忘れようとも、ジルだけは決して忘れまい。

 侵略者から国を守り、その献身で生き残った民を全て守り抜いた聖女の自己犠牲。

 

「……………………」

 

 彼は馬車に乗っていた。聖女の遺体を荷台に乗せ、彼女が生まれた故郷を目指していた。誰かの為に死んだ希望を野晒しにするなど神だろうと絶対に許さず、その希望を絶望に変えた腐れた神を許すつもりもない。冒涜など、この世には何処にも無い。

 王家と貴族共が、土地と民衆を―――いや、人間が人間を支配する世界。

 でも、本性が薄汚い獣であるのだとしても、ジルは聖処女が何の為に戦ったのか知っていた。

 

「……………………」

 

 パカパカ、と馬が進む足音がする。

 ギリギリ、と車輪の軋む音がする。

 

「……………………」

 

 ジルは思わずジャンヌに話し掛けようと思い……あぁ、と聖女がもう死んでいる事を思い出す。彼女が眠りに付く瞬間を見ていて、でもその光景が余りに静かで自然だったからか、本当に眠っているだけだと今でも勘違いをしたくなる。

 生きているのだと、錯覚したかった。

 呼吸をしているだけで、息苦しい現実を忘れたかった。

 そもそも受け入れられる訳がなく、もはや神も人々にも何ら価値を感じる事が出来ない。

 

「すみませ~ん……そこの騎士様。出来れば、僕も馬車に乗せてくれませんか?」

 

「……どうしたのだ、少年。こんな場所で」

 

 馬車で街道を進んだ先、この周囲には焼き払われた村落したない筈なのに、ジルは少年を見付けた。道端で馬車を運転するジルに手を振いながら声を上げ、子供らしい笑みを浮かべて、滅んだ国の子供とは思えない元気を出していた。

 だが……ジャンヌは、こういった子供の為に死んだ筈。

 人理など良く分からないが、人が未来を紡ぐとは、その意志を先の世界まで残していくこと。

 

「色々あって皆死んじゃいまして。僕もまさか、こんなことに巻き込まれるとは思わなかったけど、何とか最後まで生き延びる事が出来たんですよね」

 

「そうか……―――そうだな。あぁ、これも神のお導きだろう。

 折角、こうして生き延びたのだ。騎士が、民を見捨てる訳にもいかない。近場の無事な街まで運ぼう。乗って行きなさい」

 

「ありがとうございます、騎士様!」

 

 ジャンヌも此処で子供を死なせるべきではないと思うに違いないと、ジルは何気なく考えた。本当ならば早くドン・レミ村まで行き、眠りに付く彼女を安らかに埋葬して上げたかったが、聖女が守った国の民を見捨てるなど出来る訳がなかった。

 

「では、旅の共だ。私の名はジル・ド・モンモランシー=ラヴァル。貴族ではあるが、今のフランスにもはや家名と血統に価値はないだろう。

 長いのでジル・ド・レェ……いや、その名も今は無用。単にジルとでも呼び給え」

 

「成る程!」

 

「それと、荷台に行くのは駄目だ。戦場で死んだ我が友の亡骸を故郷に送る途中でな、誰であろうと彼女の横にいることは許せない。

 すまないが……狭くとも、街までは隣に腰掛けるように」

 

「わかりました。ありがとうございます!」

 

 ジャンヌが眠る荷台の方に少年を座らせる気は全くなく、ジルは少年を自分の隣の席に座らせた。そして、胡乱気な思考回路で彼はふと思ったことを口に出す。

 

「……そう思えばだが、君の名は?」

 

「名前は、そうですね……家名はプレラーティです。僕の名前は、フランソワ・プレラーティ。好きに呼んで下さい、ジル様」

 

「ああ、宜しく頼むよ。フランソワ君」

 

 全ての運命が、もう定まっている。此処は未来より変えられた過去である。

 終わってしまった出来事ならば尚の事、誰にも変えられはしない。特異点が崩落するのだとしても、二人が出会う運命は人理でも何一つ変わりはしないのだから。

 













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