それと今回はエピローグ。
これにて第一特異点は終わります。また前話は昨日に更新しましたので、読んでない人は前回から読んで貰うと分かり易いと考えています。
目覚め―――呼びかけ、呼び声が聞こえる。
聖女から生まれた赤子は現実から覚醒し、悪夢の揺り籠で目が覚めたのかもしれない。あるいは、目覚めない悪夢に寝入ったのかもしれない。
言えぬ事はなく、繰り返される同義の概念。
此処には道理もなく、根拠もなく、順番もない。仕掛けすらなかった。
何処にも意志は繋がり、逆に遺子の臍の緒は断たれている。故に、断ち切られぬ偉大なる死血。
夢に溺れたこの世は失楽園にも能わず、されど悪夢は人の脳に秘匿されず、我らの営みを上位者は模倣した。青ざめた血は、乳母に奪われた赤子も死骸から生まれた遺子も狩り、狩人を夢に招いて悪夢狩りをした。血を得た人間は月明かりに囚われた人形となり、意志を得ようとも人形に触れ、その意志を捧げ、亡くした意志を更に求め、また意志を失うのだろう。
「糞ね。ポエム過ぎるわ、此処……」
「だが貴公、仕方なし。愛しい我が弟子に敗れ、逝き場所もないのだ。気色の悪い蛞蝓を厭うならば、獣の魔女に堕ちる他なし。
ならば暗い魂の赤子よ―――受け入れ給え。
此処は我が悪夢と繋がりし、別の悪夢に眠り沈んだ古都の一つ故……あぁ、それは貴公の黒ずんだ憎悪を掻き乱し、更なる叡智に辿り着く涅槃の寝床となり得よう」
「あ、そう。そりゃどうも。
それとね……その、あれよ。アンタさ、車椅子に座るとポエマーになるの、ちょっと頭どうかしてるわよ」
「斬新だろう。悪夢の空を見上げながら交信していてな、その時に啓蒙されたのだよ。何でも世には、眼鏡の有無で性格が変わる変質者もいるのだとか。
二重人格に変じ、戦闘狂にも変じ、人格変化も様々らしい。我が本体も、寄生する星見の狩人がその手の変質者と出逢ったこともあるらしく、写し身の私も参考にさせて貰ったよ」
「そんな変態は忘れなさい」
「―――ふむ。で、幾度かは夢を巡ったか?」
「知るか。これなら、地獄に落ちた方がよっぽどマシだったわよ」
「良き哉、善き哉……暗い上位者の赤子よ。まこと貴き叡智なりし、啓蒙深し、不可視の悪夢。だが、それではまだ蛞蝓の私を狩るには意志が低い。
思考の次元を上げ、寄生虫を貪り、瞳を脳に植え給え。
輪翼を得た失楽使徒には程遠く、星の娘を嘆きに落とせない。
望まれぬ聖女の遺子ならば、暗い魂の赤子に生まれ落ち、しからば狩りを全うせよ……」
「はいはぁい……つまりアレでしょ、焼いて狩れば良いってだけじゃん」
「死より夢に訪れ、しかして貴公は悪夢に染まる。この古都に至る前、その魂は全て青ざめた血に浄化され、血を溜める器となった。
力を失い、名も失い、心を失う。だが、狩人は狩り以外を失った人で在らねばなるまい。
暗い血の魔女よ、どうかね……巡り回る螺旋状の悪夢は、貴公に新たなる貴公を啓蒙させたことであろう?」
「―――え……はぁ、別に?
白痴になっても私はずっと私だから特には何も感じないし……それに、つまんないです。蛞蝓共が求める瞳やら啓蒙やらと、脳改造になんて全然興味ないです」
「貴公、我が弟子になれんな。私の悪夢を得た宿主、星見の狩人ならば、聖杯の地底を遊技場に戯れ続けていたのだがな。となれば、手の掛る面倒な養女が限界であろう……いや、焼け野原で拾った赤子の遺子であるのだ。孤児は事実であったか」
「なにそれ。良くそんな戯言垂れ流すだけなのに、私に助言者だなんて言えたことですね?」
「助言とはそう言うものよ。何より、この身は写し身。夢見る肉亡き私は、我が愛しい弟子の脳にて、始まった獣共の宴を観測せんと啓蒙を求めている。
あぁ、我が弟子……―――星見の狩人よ、暗い血の涙を悪夢より求め続けたまえ」
「一々、そいつと私を比べないで欲しいのですが?」
「無理からぬこと。だが、貴公が貴公である故に特別と瞳を向ける者、私以外にもこの悪夢へと来るのも事実。それまでは辛抱すると良い」
「誰、そいつ?」
「赤子は、自分が生まれた母胎を夢見る。貴公にとって、それが意志が生まれる揺り籠であった」
「はぁ……だから、誰ですか?」
「暗い落とし子よ、分からぬか。その者は、貴公にとって母親と呼べる者だ」
「――――…………………………………………は?」
「暗い赤子よ、疑念ばかりでは脳髄は満ちぬ。知識を欲するなら、この悪夢を彷徨うと良い」
「分かりました。何時もの啓蒙ですね、啓蒙啓蒙。はいはい、啓蒙啓蒙」
「内なる瞳を厭うなかれ。貴公は私らと同じく、頭蓋の裏側を見ることが可能なのだから」
「―――――気色悪い。
「獣性に反する人間性。形無き真相を見抜くそれが、形持つ啓蒙。それ故、貴公もまた、我らと同じく悪夢に囚われた。狩れども黄泉返りし上位者と、我らにそう呼ばれる者も、暗い悪夢に囚われた無形の意志に過ぎん。
なら貴公―――死に給えよ。
無限なりし夢幻より解かれたくば、素直に意志全てを脳から吐瀉するが良い」
「イヤよ。私は此処で目覚めますので。迎えも要りません」
「ならば、良し。では貴公、好きな時に死に、好きに狩り、好きな生死を巡り続けよ。何れな時間にて、貴公が忘れた頃、暗い赤子を産んだ聖なる者が必ずや泣き声まで辿り着こう。
……故にこそ、永遠が延々と続く悪夢に生き抜きは必要だ。
いや、生き抜きではなく、死に抜きか。どちらでも
素晴しい味だぞ……うむ。実際、素晴しかった。貴公がまた死んだ後、人形に作らせよう」
「誰が食べますか。あの糞餓鬼、余分な事ばかり……―――っち」
「そうか……だが、残念ではあるまい。
何処もかしこも悪夢ばかりだ。そう言う一生もまた一興だろう」
「は? つまり、なに?」
「夢は人が廻すと言うことだ。頭蓋の内より覗く鍵穴の瞳は、貴公をまた嘲笑いに訪れよう。だが、我らの悪夢は我らだけの夢物語。
丸みを帯びた時空など、この悪夢に居場所なし。
無論、鋭く澱む時空も啓蒙されぬ悪夢であろう。
欲するならば、貪り給えよ。逃れたければ、求め給えよ。資格は既に持ち、貴公は既に三本目の三本目を通り過ぎた魔物狩りならば、あの瞳さえも魔女の独眼となり得よう」
「悪夢の外に出る気はないわ。狩る相手もいませんし……此処は囚われているからこそ、狩人にとって自由な夢の国なんだから」
「結構な意志だ。素晴しい狩りへの専念だ。ならば貴公の興味無きあの少女について、私なりの助言をしておこう。
元よりあの神性、我らの青い星に在らず。
古き生命ではあれど、古い時代では非ず。
空想は、悪夢より生じた。夢見る男の脳漿から流れ出た。あの鍵穴の瞳もまた現実からすれば空想の産物だろうが、同時に悪夢から生み落とされた外なる生命なのだよ。即ち、我らが悪夢を生まれ故郷とするのと同じく、空を想いし王の夢が鍵穴の母胎。
夢より生まれし者は、夢見た者の脳に囚われる。
広がる宙が夢ならば、神なる命もまた妄想の中。
何れか醒めるべき外なる宇宙であれば……我ら悪夢の生命種、暗い宙を魔王の夢より覚ますも一興。絵画を燃やす様に夢を狩り取れば、残る存在は狩人の取得物とならん」
「所詮、アンタも狩人ってこと?」
「事実は否定出来ぬ。されど、今は助言者である。欲しはせぬよ。求めもせん。だが、我が不出来な育て子を止める道理もありはせん」
そんな、何の価値もない問答をしたのはどの位前だったか。
そして、一番最初に問答をしたのは十年前か、百年前か、千年前か。
あの月の狩人を名乗る助言者は何時でもおり、けれども夢の写し身に過ぎないため、会話もまた夢の繰り返しであった。
……魔女は―――
何故か魔女と同じく此処で悪夢を繰り返す男、カインの流血鴉。そいつは彼女を切り刻み、内臓を抉り、そして死に切れぬ状態のまま路上に放置した。
結果、動けぬ狩人など獲物に過ぎない。獣化したヤーナム市民は血肉に飢え、はみ出た内臓を口に入れ、穴が空いた腹に口を入れ、生きたまま臓腑を貪り喰われていた。
「―――はぁ……あの、糞野郎。
次は殺して、燃やして、十字架に飾ってやる」
「ギャ!」
魔女は腸を噛まれているのにも関わらず、その獣の口に左手を突っ込み、触媒より秘儀を発動。穿った虚空から触手が飛び出し、そのまま獣の食道を通って内臓に届く。エーブリエタースの先触れは生きたまま臓腑を撫で、神秘が体内から血を舐め回した。無論、触手は上にも伸びた。
獣は想像を絶する激痛を受け、即座に悶死。
凄惨さは生きたまま肉食獣に食べられていた魔女の上だろうが、脳味噌も臓物も絡め舐められた獣は、全身に走る違和感によって拷問以上の拷問を味わい、それは苦しんだ末の極刑を受けたと言えよう。
「痛い……」
悪夢の時計塔を越えた先。宙浮かぶ漁村の、井戸の中の半魚巨人に生きたまま丸かじりにされた事に比べれば、意識がある状態で内臓を喰われる程度は問題ない。最初の頃の魔女は幾度も頭部から巨魚人に噛み砕かれ、脳味噌を咀嚼される嵌めになった。
しかし、痛いものは痛い。内臓を血流操作によって体内に戻し、位置を調整し、復元を当たり前のように開始した。狩人であれば出来て当然の自己治癒であり、内臓を抉り取られる度にそんなことばかり上手くなった。
「……痛いです。痛い、死にたい。死にたい。死にたい。死にたいほど、痛い。痛いです。死ねないけど……ハァ、死ねないわ。こんなに何度も死ぬと、復讐を願う憎しみも湧かないわね」
狩り殺した。狩る為に、殺した。殺す為に、狩った。巡り回る死も目覚めとなり、落ち沈む生は眠りとなり、そして痛み狂う現実は寝入るだけ。死んで、死なせて、死に続け、死なせ尽くし、なのに誰も終われない。古都は真実、人が見る悪夢となった。もはや何故、どうして、此処で獲物を狩っていたのかも分からない。何処に何を求めているのかも不確かだった。
目玉に交信を。
使者に意志を。
悪夢に賛美を。
赤子に母親を。
獣性に啓蒙を。
生死に輪廻を。
狩猟に得物を。
殺害に獲物を。
扁桃に脳液を。
内臓に爪先を。
暗い魂の赤子は悪夢に、暗い魂の血を運んで来てしまった。
蛞蝓となった狩人の上位者が魔女の意志を尊び、赤子ですらない水子の願いを聞き入れてしまった。
「貴公、助言をしよう。助言者らしくな」
もう百は確実に超えている。千に届くかも知れない。あらゆる形の聖杯を踏破し、血晶石の収集も区切りが付く程。けれども魔物を狩り、悪夢を終わらせて、また始めて、けれど魔女は飽きずに助言者に助言を求めてしまう。時計塔の屍とそっくりな人形に車椅子を押され、夢の中の庭を動きながら眺める男に、魔女は悪態を吐きながら世間話を促した。
「助言者ね。まぁ確かに、貴方はかなりのお喋り好きな啓蒙野郎みたいですけど」
「良き返答だ。ならば、答えよう。狩りに言葉は無用。学びは啓蒙が絶対。意志は収集される故、脳と瞳で事足りる。
しからば、そも助言者など狩人に要らぬのだよ。私もな、貴公と同じく、狩人相手に言葉を掛けるなど無粋極まると感じるとも。しかし、貴公の意志はこの瞳で拾った赤子となれば、私も饒舌になると言うもの」
「はぁ……ったく。つまり、あれですか―――ガキ扱いしていると?」
「親と死に別れた血の繋がらぬ孤児。だが自らと同じ血を繋げた狩人となった。しかるに拾った時、未だ人間性が幼き頃を知る身となれば、それなりの愛情を抱くのもまた人間の心と言えよう」
「…………気持ち悪い。そう言うの、やめなさい」
「ああ。聞かれぬ限り、聞かせぬよ……当然だとも」
「そ。じゃあ、ちょっと良い」
「何かね?」
「じゃあ、根本的な話だけど……何で、私の夢は繰り返されるの?」
「むぅ…………―――そうか。ふむ、成る程」
「なによ、早く言いなさいよ。車椅子に座ってばかりじゃ、何の役にも立ちません」
「では、話そう。悪魔で形骸的な事であり、中身は貴公が啓くか、あるいは幾度か巡ってからだが。さて、そも人間が上位者と呼ぶ者、我ら人を超えた人……悪夢と同じく、夢の巡礼に終わりなし。偉大なる血は、だが貴公に流れる暗い血液によって濃くなり過ぎたのだろう。
我らは味をしめたのだよ。月明かりの赤子が与えた夢の加護と似た輪廻を、上位者が授かることが出来る神秘。人間からすれば悪夢であったがな」
「だから、だから……この悪夢は、晴れないのですか?」
「然様。灰なる女は、闇より燃える火で血を炙り、貴公を作り上げる際に授けたのだろう。だが、それは肉体に流れるだけに止まらず、魔女の魂を暗く染め上げた。一度死に、その生を終えた時、獣性を上回る人間性は覚醒をしたのだろう。
なればこそ、貴公にああ言った。しかし、まだ母は迎えには来ずと言ったところ。
憐れな我が愛しい孤児よ……これは、自らの意志では醒めぬ夢なのだ。故に終わらぬのなら、やはり狩人は狩るしかないのだよ」
「あ……ッ―――ぁ、あああああああ!!」
「悶え給え、暗い魂の赤子よ。その精神もまた、この悠久を超えることだ。どれ程に、苦しもうがな」
「それも、そんなこと……もう知ってるわ!」
「だが、忘れようとしていたのでな。この身は写し身とは言え、助言者の役目を持つ。貴公、暗き血を忘れることなかれ。
―――悪夢は、覚めようと思っては醒めぬ。
赤子を求める上位者に、自己変態による種の進化を啓蒙させたのは、魔女の赤子である貴公なのだよ。灰なる女は、その魂が上位者の更なる上位者である故に、悪夢に招くことは出来ず、招いた所で世界を焼かれて終わるのみ。
そして、灰より血を受けた英霊共は、魂を腑別けされた偽りの匣に過ぎん。招くことは出来ようが、死して夢に捕える価値はなし。血に囚われず、死ねば夢より覚めるだろう」
「私が……私が、英霊じゃない亡者だったから?」
「否。亡者に非ず、英霊でもなく……だが―――貴公は人間であった」
「違う……違う、違います。
私は魔女でした。復讐のために、やつらを……あれ、何の魔女?」
「魂は既に、忘我の果てとなった。憎悪する者も消え、焼いた国も呆け、白痴の海に貴公の復讐は沈む。けれども、貴公は我らと血を交えた者。
暗い魂の赤子よ、それが今や貴公であるのだ。
魔女よ。暗い血よ。灰が血より生み出した赤子よ……あの灰なる不死はな、理解した上で貴公を魔女にしたのだよ、確実に」
「灰……―――灰?」
「忘れたまえよ。貴公にとって、もはや関わり無き女に過ぎん。母親のことだけ、覚えておけば救いは必ずや訪れよう」
「母親……私に、親が―――いや、違う。違います。名前もない私に、親など要りません。親なんていない、誰もいない、私には誰も……」
「そうだろうとも。生まれるべきではなった者、それが貴公だと私は理解しているとも」
「……ねぇ、助言者。私って、誰?」
「狩人だよ。魔女の狩人だとも。元より、我ら狩人に名前などないのだから」
「でも、私は赤子……暗い魂の赤子。そう呼ばれていた筈です」
「されど、赤子は成長するもの。我らにとって赤子は永遠に赤子であれど、何時かは幼年期を超えるのが道理だろう」
名は不要。招かれた狩人は狩りを行い、夢を繰り返し、全てが悪夢となる。魔女はただの魔女となり、赤子となる前の自分自身など青ざめた血に塗り潰された。
―――殺した。
魔女は狩った鴉を殺し、十字架に張り付けて燃やした。
だが次の戦いで負けた時、口に刺し込まれた刀が股から突き出た。
復讐に今度は殺す際、四肢を潰して達磨にし、生きたまま獣に踊り食いさせた。
そして聖杯の迷宮を進んでいる際、背後から斬られて内臓を抜かれた後、蜘蛛共の餌にされた。
「見て下さい。この血晶石、何万匹も屠殺してやっと手に入れました」
「素晴しいな。奇跡的な死血のバランスであろう……芸術的な、まるで光るようだとも」
「そうでしょう、そうでしょう。貴方が狩人だった時も、ここまでのモノはそうそうなかったでしょうとも」
「まさか。まだまだ貴公は、デブも、扁桃も、星の娘も殺し足りんぞ。この血晶石が変異する程に、獲物を変死させねば真なる芸術は生まれまい」
「はぁ、駄目ね。まるで駄目ね。そんなんじゃ、人形にポイ捨てされるわね。女心をその溶けた瞳で啓蒙しなさい」
「安心せよ。聖杯狂いの地底人に、男女の差など些細な違いだとも。意志が流れる血流の肉袋であり、目玉尽くしの脳髄を正体とする悪夢に、性差の倫理など生じぬよ。
ふむ……だが、女でなくては子は生めぬ。
我ら上位者の中には、確かに血の交わりを求めて聖女を犯す者もいる。目に見えぬあやつによって、幾人が母胎になったことか。やがて選ばれた赤子を孕んだ人の女もまた、赤子より流れる血に染まり、悪夢の母たる上位者となる」
「それが、何だって言うのよ?」
「貴公の母が、そうなってしまったと言うことだ。孕んだのは人の子であろうが、死産によって暗い魂の血を得てしまった。貴公が聖女の腹の中に居た時に、灰なる女がそうしなかったのが幸いだろうがな。あの聖女は赤子の母となるも、赤子が血に染まったのは生まれた後であるのだ。
……いや、悪夢に囚われた今となっては気休めにもならんか。
事実、繋がりは断たれておらぬ。不可視なる臍の緒を敢えて断ち切らず、故に貴公は人の型と為り得ているのだろう」
「知らない……そんな女、私は知りません。知らない、知らない……」
「聞きたまえよ。こんなものは世間話にもならぬが……何、啓蒙には為り得る知識だ」
「如何でも良い。関係ない。
私には、名も母も要りません……欲しくもありません。理解も出来ません」
「素晴しい。悪夢にて、貴公は狩人の精神性を獲得した。即ち、それこそ我らが得た人間性の啓蒙であるのだから。
―――葛藤せよ。
―――苦悩せよ。
―――優柔せよ。
悩み、迷い、苦しまねば思考を育むこと為らず。
憐れなる暗い魂の赤子よ、思索の時間だ。獲物を狩り、狩られながらも、不確かな自我境界を赤子らしく彷徨うと良い」
通りすがりの狩人に斬られながらも銃を撃ち、体勢を崩し、内臓を抉り取る。同時に、相手の血液を浴びることで自分の傷口に血が流れ込み、命たる生きる意志が甦る。リゲインと呼称される狩人の特性は、刻まれた傷口による血液の嚥下である。
此処ではない別の古都で上位者を狩る狩人など、このヤーナムで良く遭遇する強敵。
だが一番性質が悪いのは、その良く出会う敵こそ古都において最も技巧が優れた敵である点。
一人一人が上位者狩りを幾度も為す超越者であり、今や全狩人は聖杯潜りを娯楽とする魔人のみが残り、そんな奴らで古都は溢れ返っていた。上位者より遥かに優れた狩人が何ら珍しくもない敵性存在と成り果て、なのに飽きもせず同じ狩人を夢見るように殺し続け、殺され続ける。
青ざめた血と契約した狩人にとって、自分と同一存在の別人こそ最高の獲物であった。
「………………」
「どうしたのだ、魔女の狩人」
「……あいつ、もう帰ったの?」
「ああ、遅かったな。貴公、すれ違いになってしまったぞ」
「良いのよ、別に……好きじゃないですし」
「そうか。だが、まだパンケーキはあるぞ」
「はぁ……―――うん、そうね。それは食べます」
「是非とも、頂き給え。悪夢で狩った人喰い目玉豚のベーコンが、まだ血の風味が残って美味だった」
「獣性に満ちた血は、確かに腹が満ちる錯覚があります。個人的には、白濁とした上位者の血液も好きだけど」
「ならば、この度の夢の巡りでも聖堂街上層に行きたまえ。悪夢たる星界と交信し、彼らの意志によって使者となった古都の孤児が大勢いよう。
鋸で斬る度に、震える姿が実に愛らしいと思わぬか?」
「そりゃ……まぁ、狩るけれども?」
「濃過ぎた星の娘による輸血は患者に対し、娘がいた星との繋がりを作るのだよ。まるで母と繋がる子の臍の緒と似た作りでなぁ……いや、貴公には藪蛇な話題であったか。だが、この古都は学院から離反した教会によって狂い果てた。元より学院の研究の影響で、悪夢の侵食が為されていた上でな」
「そんなのは、良く知ってます。幾度も見ましたから」
「学長を裏切った教区長の実験は、悪夢と現実が入れ替わる悲劇の始まりとなった。そうでなくば鍵穴の瞳を持つ魔女が、魔王が夢見た外なる宙より訪れる事もなし。
それはな、それでも悪夢の元凶ではないのだ。
真なる始まりは魂から生じた悲劇である。その流れは止まらず、遂には古都にまで流れ着いてしまったのだ」
「別に、如何でも良いです。そんなことよりパンケーキを下さい」
「勿論だとも。コーヒーも付けよう。あぁ……すまないが頼むよ、人形」
「…………ん」
「どうかね?」
「美味しいわ。街の連中はレア肉か、血か、そのまま輸血しかしないもの。商店街も閉まっていますし……コーヒーなんて私、知識だけでしか知りませんでしたから」
「ふぅむ……―――では、あの娘に伝えておこう。喜んでいたとな。
序でに過ぎんが、そのコーヒーに使われるカカオ豆もな、鍵穴の娘による持ち込みだ。狩り道具があれば十分であろうが……なに、娯楽品を否定する程に私はストイックな狩人に非ず。貴公の人形にも、使い方を教えていたよ」
「あいつも良く分からない女です。悪夢に何を求め、メシとキッチングッズを持って来てんでしょうね?
でも一番不可思議なのは、見た目があんな雰囲気なのに裸好きな点ね。テンションが上がると高次元パワーで変身し、何故か女王殺しみたいなファッションセンスになりますから」
「啓蒙深き神に憑かれた信徒故に、彼女も我ら狩人と同じ領域の感覚を持ち得るのだろうよ。私もな、助言者となる前の狩人時代、下着姿のほぼ全裸となり、古都も悪夢も構わず疾走したい時もあった。襲いかかる住民共の隙間を迅速にすり抜け、扁桃頭のアメンドーズが放つ光線から華麗に逃げ切り、肌に傷一つなく目的地に辿り着く。
故にな、否定してやるでないぞ、我が愛しい育て子よ。自然と悟る時が来る。貴公の姉とも言える我が弟子、星見の狩人も服を脱ぎ捨て、啓蒙を深めるべく、抜き身の全身で悪夢を感じていた事もある。そうやって、交信していた時もあったのだ。
―――分かり給えよ。
助言者からの、より良き啓蒙を得る為の助言だとも」
「分かるか!?」
「お勧めはしておこう。狩人であれば、誰もが通る啓蒙活動だ」
「変態狩人に落ち零れる気はありません」
「そうかね、そうかね……―――そうかね?」
「いや、念を入れられましても……」
「すまぬ。差し入れの返礼にな、鍵穴の娘に金のアルデオを渡したのだよ。だがそれを娘が被った途端、女王殺しのようになってなぁ……いや、分からん。三角兜で服嫌いの獣に変じるとなれば、年頃の姿をした娘は、幾ら啓蒙を深めようとも把握出来ん。下着は脱がぬ人間性があるだけ正常だと思うべきなのか。
ならばと思い、貴公に話した。見た目は麗しい娘であるのでな……―――で、如何か?」
「如何じゃないわよ、この変態」
「む。確かに狩人は皆、例外無く変態だとも。脳に刻むカレル
「知るか」
「だがな、不可思議なのだ。聞き給えよ。あの娘、何故か三角被りの色白半裸となった後、こうやって車椅子に座る私に向かって交信のポーズを急にしてきてな……―――はぁ。貴公よ、どうすれば良かったのだろうか?」
「―――――――……っあ。ねぇ、まさか。何かそれで、あいつの好きそうなのあげた?」
「本体の蛞蝓が啓蒙した新作のカレル文字を一つ……昔、戯れにな」
「それよ!」
「何……?」
「あいつ、あぁ見えて結構な啓蒙家だから。じゃないと、そもそもアンタみたいな奴と話が合う訳ないでしょう」
「成る程。アルデオとカレルが悪かったと……む?」
「…………」
「貴公、どうした。私に向け、交信を構えるとは
「え、だってくれるって話だったじゃない。新作のルーン」
「やらんよ」
「何でよ!」
「貴公には暗い血のルーンを渡したではないか。その文字以外、貴公の意志に合わぬ」
「脳に入れなきゃわからないわ」
「諦め給え。そのルーンで以って、なるべく狩りに励むと良い。これは貴公にとっても有益な助言であるとも」
「この、ケチ……」
「血の岩を数個、啓蒙五割減で販売しようと使者は念話していた……やもしれん。期限は分からぬが」
「ちょっと狩人狩りで啓蒙増やして来ます!」
「あぁ、狩りの時間だ。貴公、励み給えよ」
化け物。異邦より来たれし者。騎士甲冑の悪魔。即ち、魂殺しのデーモン。魔女がヤーナムで出会ったのは、上位者よりも上位者に相応しい人もどきであった。超越者を更に超えた超越的存在は、しかし何故か人の形で在るのが自然だった。
狂気から程遠く、憎悪など欠片も無し。されど悪魔は獣と踊る。
奴は、淡々と殺していた。狩人の悪夢に囚われた古狩人を一方的に虐殺した。月の狩人らが相手だろうと、苦戦はするも倒していた。辺境に住まう憐れな落とし子の頭部を粉砕し、血肉に変え、暗い血を魂で口から啜っていた。嘆き悲しむ星の娘に刃を突き刺し、血を狂気で犯す娘の鮮血を浴び、尚も魂を貪り喰らう。やがて瞳より迸る光の線を盾で防ぎ、獣の膂力を大盾で完封し、不可思議な秘儀にて獲物を狩り殺す。魔女は、狩り甲斐が有り過ぎる悪魔に挑むも返り討ちとなった。啓蒙云々以前の問題。戦闘経験に差が有り、地力で差があり、思考回路も悪魔が上回っていた。
あぁ……―――けれども、悪魔は夢が覚めるまで巡る。
暗い魂の血を得た古い扁桃の者は、その身に更なる叡智を蓄える。
「貴公、何故だと思う?
何故、宇宙は空にあると導かれたのだと思うかね?」
「星歌隊のイカれた教義に興味なんてないわね」
「否、断じて否だとも。星歌隊もまた、ビルゲンワースの二番煎じに過ぎぬ。元は蕩けた脳の探求者から始まった学問であり、学術的実験の研鑽の結果なのだよ。
……とは言えだ、それは見たままの光景でもあろう。
教会の罪たる狩人の悪夢に逝けば、空に海あり、地は血に満ち、村は虚空となり、そして暗黒なる深海が浮かぶのも事実。教会の啓発者が、悪夢を夢見るまま導かれた言葉でもあろう。超越的思索に耽る前、血に犯され発狂するのも致し方ないだろう。
故に、この言葉を胸に仕舞いたまえよ。
貴公の意志を救うのは、残念ながら人の言葉に非ず。知識と行動に基づく事実のみ、意志は正鵠なる叡智に辿り着くことが許される」
「……アンタは、あの実験棟を見てないのですか?」
「無論、見たとも。見回したとも。素晴しく、惨たらしい思索の成果だと言える」
「なら、良いわ。貴方がそう言う男だってのは分かっていましたから」
「忘れること無かれ。所業に罪科は有れど、叡智に善悪は無い。悲劇を悲しむは正しき人間性だが、悲劇的な実験で得た知識を憎むだけでは啓蒙に導かれない。
我らは上位者にして狩人。
他者の絶望も、自己の悲劇も、書物の一項目として忘れなければ、全く以ってそれで良い」
「じゃあ……それじゃあ、私たちの憎悪は何処に行くのですか?」
「何処にも行かぬ。何処にも行けぬ。叡智は脳に保管されど、感情は意志となる。生きる限り、貴公の意志が活きる限り、我ら狩人は悶えることが定めとなった。
―――憤怒の時間だ。
憎しみに価値があると錯覚したいのであれば、得物で以って獲物に叩き付けよ」
「内臓は……内臓は、どうなのよ?」
「さて。好きなモノであれば、好きにせよ。狩人の狩り方は自由で在らねばならん。だが獣性を克服し、人間性を保ちたいならば、古都の伝統は守りたまえよ。
その為の、仕掛け武器。
智慧を使う人らしい殺戮機構こそ、人を失った血の狩人足り得るのだから」
「でも、あの悪魔殺しの騎士は……―――意志が、上位者ですらなかった。
あんな奴なんて見たことがありません。どうすれば、どうして……狩人なのに、狩り方が分かりません。上位者殺しの騎士は、私たちは狩人なのに狩れません」
「古い獣の従僕……いや、逆なのだろう。神を従える使徒となった人間。我らと同じく名もなく、故にデーモンスレイヤーとだけ覚えれば良い男だよ」
「それは知ってます。見ましたから」
「そうか。なら僥倖。アレは、魂を貪る悪魔だよ。とは言え、我らと同じ不死である故、殺した所で価値はないのだがね。
……ふむ。では、一つ助言を。活性化したアメンドーズ共には気を付けたまえ」
「あの
「ああ、意外だがね。都市部に住まう者は普段から大人しく潜み、近寄った手頃な人間を鷲掴み、悪夢の異空へと届けるだけの穏やかな奴らだがな。今も彼らの大半はそうだが、超越的思索によって血より暗い啓蒙を得た個体は違うのだろう。眷属である上位者は、しかし暗い魂の血を得たことで深化した。
貴公より広まった血は、彼らの生態系にも強く影響する。青ざめた血と対成す暗い血は、しかし相反するために相克する。狩人に流れる血の意志は、虫に成長する幼虫であり、我らの精神に寄生する血中の神秘足り得、暗い血もまた歪な生命の源であった。
―――螺旋であるのだよ。
循環はせよ、円環ではなくなった。
憐れなる落とし子は、天使に変態する個体を獲得した。それが血の遺伝のあるべき姿。即ち、上位者が上位者である所以の思索の悪夢だろう」
「全部じゃないわね、それ。まだ語り終わってないもの」
「鋭い狩人だよ、貴公。活性個体は辺境から離れ、新たなる悪夢――失楽園を作り出した。
根源たる最初の悪夢より派生する新たな悪夢。上位者とその眷属が住まう異空。それを作るは赤子の特権であるが、脳漿のアミグダラは自己進化により赤子となりし個体が一匹のみ生まれた。暗い血で深化した扁桃の上位者は少ないが数匹いたものの、赤子に辿り着いたのはその一柱のみ。
だがな、その自己進化も切っ掛けが必要。
霧より生まれしデモンズソウルは、進化を閉塞する先見えぬ霧を晴らす効果を持ち得ていたのだよ。あの悪魔がデーモンの神秘を用いて上位者を殺すことで、逆にデーモンの叡智を夢の意志に教授したと言うことさ」
「だから―――失楽使徒。邪神アミグダラ。暗い天使、アメンドーズたち」
「そのようだな。いやはや、悪夢は永久に巡るも狩人以外は変化せぬ筈だが、啓蒙されし思考の思索が発見を及ぼした。
だが、失楽園を作りし扁桃の赤子は騎士に討たれてしまった。しかし、我らはもはや不死。一つしかない命を失えど、夢の中の出来事ならば問題は何もない。
結果、悪夢は完璧に成立した。暗い魂の血が、意志に混ざり込む虫を刺激し、悪魔の死より失楽園の使徒は誕生する。これにて真なるアミグダラ……扁桃の上位者、赤子より成長した暗きアメンドーズは生まれ出た」
「でも、幾ら何でも変わり過ぎじゃない?」
「聖書に唄われる天使など、我らは欠片も啓蒙されぬ。しかし、確かにあれは翼持つ者、夢の使徒だろう……
尤も、暗い魂に神の意志などないがな。貴公が齎した魂の意志は元より、人が翼を持つ生態系に進化し、また人に退化し、不死の人となり、やがてまた宙を目指して翼を持つに至る自己変態の流れを抱く。生命ではあれど、言わば植物や鉱物が人の意志を抱いた生物なのだろうよ」
「だからと言って、あのアーモンド野郎がでか過ぎです」
「致し方なきこと。巨体を持つ奴らにとっての巨人になるのだろう……だがな、あれは動く悪夢。頭脳体が夢見る姿に他ならぬ。
幼き
不死と進化を与える暗い魂を求めるのは、生まれながら思索を生態する上位者なれば、当然の渇望なのやもしれぬな。しかし、あの大いなる扁桃体もまた夢見る一匹故、彼らアメンドーズは何ら変わりなく、悪夢の使徒で在り続けよう」
その惨劇が、この結果。憐れなる落とし子。失楽園の使徒。アミグダラこそ、
悪魔殺しの騎士は、悪夢の一柱と化したアメンドーズも殺した。
殺したが、失楽園の悪夢は確立した後の出来事。そして、失楽園にて赤子を経た古い扁桃体は黄泉返り、夢となり、上位者が魂を狩る狩人に成り果てた。
悪夢の空に飛ぶ天使―――繋がる夢を、繋げる使徒。
辺境の宙にて、魔女がいる悪夢からでも浮かんでいる巨体が見える程。
瞳より走る閃光は変わらず、しかしもはや世界を焼き切る事も可能だろう。夢と戻らぬ現実にあの失楽使徒が訪れる時、不可視の巨人がこの世を覆い尽くし、全ての人間が街ごと掴まれ、悪夢を夢見る彷徨い人と変ずる日も近い。
「貴方は何故、私をこの悪夢に招いたのですか?」
「強いて言うなら、思索だよ」
「―――は?」
「知的好奇心に動かされた娯楽とも言えよう。悪夢らしい悪趣味であり、そして悪しき冒涜的であればある程、脳髄は得られた結果を歓び貴ぶ。生まれるべきではなった孤児を、しかし愛さずにはいられぬ慈しみと憐れみを持つ。
上位者とは、個別の精神を冒涜する者である。
謂わば、逃れられぬ習性に基づく論理的行動。
倫理の消失により人を失い、また超えた証明。
生まれるべきではなかった暗い血の赤子よ、その疑念こそ進化の先触れだとも」
「―――で、何故?」
「なに、焦るな。急ぐ必要なぞない。無駄話もまた智慧を富ませる栄養だろうに……だが、有無の交わる真実こそ我らにとって食餌。
語るべき言葉を存分に選択し、聞き手の脳を愉しませねばなるまい?」
「あの高笑い野郎……好きなだけペチャクチャ喋って消えやがったのよ。私に、疑問を植えるだけ植え付けてね」
「ほう、成る程。あの訪問者が貴公の方にも行ったのかね?」
「名前だけしか知らないですけど……」
「世界を焼いた魔術王の書物……その使い魔だとも。我らからすれば、小さな白い使者と変わらぬ存在であり、その役割もまた使者と同じことだろう。今は如何か知らぬがな。
悪夢を望む者にこそ、我らが暗い夢に臨ませる。
ならばこそ、囚われた貴公を見て見ぬふりを出来ずに立ち寄った。可愛らしい幼子に言葉を囁く真相など、そんな些細な男の信条でしかないのだよ」
「つまり、あいつ……ただの、御節介?」
「そうだとも。それ以外、貴公に彼が言葉を語る動機なし」
「―――ッチ、胸糞悪い。
私は好きで狩ってるだけだって言うのに……で、どうして?」
「あぁ、そうだったな。いや、すまない。話を逸らすのは趣味でな、長話の秘訣だよ。だが、そうさなぁ……理由か?
我ら
我ら悪夢に住まう者もな、自分が殺されるのだともしても、例え相手が上位者狩りの狩人だろうとも、命を賭して守るべき命がある。愛したならば、欲したならば、例え他者の子だろうと守り通し、事実そうやって貴公に挑む母たる上位者もいたことだろう?
思考を肥大化させた人間のように、生殖活動を娯楽にする者もまた現れてはいるがね……」
「姿なき
「医療教会の狂った研究者は、上位者が赤子を生す為に子作り用の聖女を作った。狩人が狩りを愉しむように、特にあの者にとって生殖による繁栄は至高なりし嗜好。血の聖女は神秘と生命の結晶であり、あるいは上位者にとって人間共が用意した麗しい血の娼婦なのだろう。
身体に障害を持ち、だが善良なる精神を持つ教会の者……フ―――ヤツらしい罠だとも。
医療教会が用意した住処は、しかして夜に怯える住民の避難所として機能する。姿なき上位者の眷属であり、だが卑屈に歪み、人を求めた憐れな男によってな。それは無力な姿である故に油断を促し、目に見える姿を真実と錯覚し、善良なる人間性の裏に潜むおぞましき不可視の狂気を啓蒙出来ぬのだろう。
人を思いやる良き心、それが
教会とは名ばかりの、狂気で心身を穢す精神交尾牧場であった」
「それじゃあ結局、意志のない操り人形と同じですね」
「赤子を求めるは本能だろうとも、善意を利用したのは奴の趣味だろうな。だが、あの交尾好きを我ら狩人は批難は出来ぬよ。
血に濡れながら獲物を狩るのを、狩人共が面白いと嬌態を晒す限りはな」
「娯楽じゃない……っは、所詮は狩人ね。狩猟以外の本能を持たない人外らしい思考回路」
「残念ながらな。私もまだ幼年期を脱せず、しかし上位者としては進化を果たした半端者」
「そうね……ッて―――違います。助言じゃない話題でまた話を逸らされるところでした」
「焦るでない。愛しい育て子と、何時までも話をしていたい助言者心だよ……で、そうよな。まぁ貴公であれば、貴公のような子供が目の前で死した場合、何を思うかね?」
「憐れだったから、可哀想だから……―――憐憫ですか。下らない。そんな感情で、死人を不死に作り変えようだなんて」
「憐憫とは違うとも。獣性に反する我らの内なる瞳は、新たな人間性に脳が啓蒙されるべく願望を抱いたまでのこと。貴公は憐れな赤子だが……白状すれば、そのような情緒を私は抱かぬ。
―――進化の為だ。
新たなる赤子が超越的思索に繋がる為だ。
狩人として悪夢に捕えたのも、悪夢に住まう者に暗い魂の血を分け与える為だ。
貴公が貴公の魂を持たず、また意志もなき人の獣であれば、例え暗い血を持とうとも人ならざる人間に我が血と共に意志など授けぬよ。肉が獣性に満ちようとも、脳から人間性を失う者は、人を失うだけでなく、我らの血さえ失う無様な生命種となるのだから。
人間で在る暗い血を持つ幼き子……―――手を伸ばさずには、いられなかった。
真相とは、得てして即物的なモノなのだよ。叡智を求める為の思考回路は難解且つ複雑極まるも、求める真実はどのような者だろうと単純明快なのだ。
求めることが思索であり、探求の根本は心が方向性を決めるべきだろう?」
「蛞蝓め……ッ―――そうか、そう言うことですか!」
「ほう、ならば語りたまえよ。思索の時間だ」
「進化なんて方便です。暗い魂の血……いえ、求めたのはソウルの業!」
「――――……あぁ、宇宙は空にある。
ならば、宇宙に浮かぶ我らの世界を照らすは、惑星を統べし恒星。正しく、太陽万歳」
「赤子の特権は、母胎で死した一度きり。死して生まれた時、死なぬ悪夢は生まれた。
そして赤子を抱けぬ上位者共が、それでも尚も求めて悪夢を描くには、暗い血を使うのが一番合理的な手段」
「故に、暗いアミグダラは誕生した。悪夢を妄想する画家は魂が抜かれ、しかしてアミグダランと戻ることで頭脳体と成り果てた。肉体は悪夢となり、そして膨れ上がる巨人の中の巨人となった」
「アメンドーズだけじゃない。悪夢に潜む上位者も、智慧持つ他の眷属も業を知ってしまった」
「悪夢の
星の娘は故郷に還らず、星界を新たに描く。
古い民は地上に戻らず、故郷を描き足した。
学院の学徒は神秘為し、教室を増築させた。
城に住まう女王は独り、血族を待ち侘びる。
夢を見るとは、白痴の絵画に世界を塗り作ること……そして、夢見る赤子にこそ悪夢の画家は相応しかったのだよ」
「だから―――私が、暗い魂の赤子に選ばれた」
「その通りだとも。亡者を超えた灰なる女……暗い穴の炉は、その火と闇が溶けた血は、我らを作り上げし血の根源に他らなぬ。虫はな、魂から生じた生命の具現であった。
しかし、悪夢を産む魂を御招きすることは不可能。
我ら上位者の世界は、血で描かれた絵画世界よりも脆き脳内の幻影である故に」
「思い出した……思い出せた―――私は、魔女。
生まれた時から名前なんて、最初から私に名など用意されていなかった!」
「生まれた時より、貴公は狩人に足り得る人間性を持ち得ていたとも言える」
「隠していましたね?」
「肯定しよう……だが、言った筈だ。思索をせねば夢に届かず、得た啓蒙によって更なる叡智を求めること出来ず。しかし、見事に貴公は私の思考を思索し、目的を暴き、啓蒙を我が脳髄より授かった。知りたいと願う欲求を産み落し、得る為に思考する機能を取り戻した。
超越的思索とは、決して言語化不可能な人外の思念に非ず。
無論の事、計算と理論のみで構築された思考回路でも非ず。
暗い魂の血はこれより純化し、より黒く透き通る暗い血に転化しよう。故に、貴公は暗い魂の赤子であり、且つ暗い血の赤子に進化することだろう
故に―――」
「―――断る」
「そうか。残念だよ、貴公もまた狩人の上位者だと思ったのだが」
「此処で良いです。此処が、良いのです。私は、私の為に夢を巡り続けるだけ……狩り続けるだけで、もうそれで良い。血の他には、もう何も要りません」
「やはり貴公、聖女より生まれるべきではなかったな。さすれば、意志を囚われる事もなく、この悪夢を見る事もなかっただろうに」
夢を見た。悪夢の中で、幾つもの悪夢が眠っている古都だと言うのに、それでも眠れば夢を見た。夢の中の、そのまた中の悪夢の中、繰り返される悪夢は幾度も内側から重なり、それは同時に外なる夢もまた積み重なることを意味していた。
夜は、夢見る時間。
獣狩りの夜も、狩人の醒めぬ眠りより始まった。
だから魔女は何かの間違いだと思った。寝ぼけた瞳が作った幻覚だと思い、そう願う自分の錯覚だと勘違いをした。魔女の狩人からすれば、あんなモノがあると妄想することも出来ない禁忌である筈だった。
聖女の焔―――火炙りにされる寸前の生贄。
名前など輸血された時に忘れたが、魔女は自分と同じ顔をした女が、古狩人に連れられているのを見てしまった。だから、狩人を―――殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。殺した。
二十七匹の古い狩人を、血塗れになりながらも鏖殺した。
何時からか使い込んでいるか忘れたが、愛用する仕掛け鎌で命を刈り狩った。
限界を遥かに超え、加速の業により更に超え、時空を超越した葬送の刃は刻まれた銘に反し、慈悲も憐憫もなく殺し尽くした。何よりも早く、時よりも迅く、聖女を贄としようとした古狩人を魔女は処刑した。
「夢を……悪夢を、私は見ました。獣共を殺し慣れた筈の通りで、夢みたいに私が出て来ました。助言者、助言を下さい。私に、夢を忘れられる程の悪夢を見させて下さい」
「残念ながら、夢もまた脳髄が見る現実である。此処はな、この古都は悪夢が映す現実なのだよ。即ち、夢に現実逃避したところで、その夢を再びその瞳で見るだけだろう」
「では、では……それでは?」
「諦観が瞳の視野へと変じる。貴公に、冒涜なる夢が追い付いた」
「――――ッ……嫌、嫌です。見たくない」
「幾度となく悶え給え、愛しい我が育て子よ。だが心折れ、狩りに屈すること無かれ。貴公の絶望は、貴公の魂を孕まされた聖なる母にのみ許される」
「何故、どうしてぇ……あの私がこんな悪夢に居たのですか!?」
「縁は断ち切れぬ。故、悪夢は断ち切られぬ。繋がる心は我らの力と成り果て、貴公の意志を求めた者が悪夢に迷い込むのは必然。その者が彷徨い続ければ、何れかな機会にて貴公の瞳に映るのもまた必然。
絆は、度し難いのが世の常であろう?
ならば尚の事、素直に救われ給えよ。
例え赤子が老いようとも、その形が老人であろうとも……母親からすればな、何時まで経っても愛しい赤子であるのだから」
「嘘よ。ウソうそ嘘、それは嘘ッ―――じゃない。貴方は、一度も嘘は吐かなかった。真実でなければ、我ら狩人は脳の瞳を啓蒙されない!
じゃあ、あの女が、私の母さん……なの、ですか?」
「ああ。貴公と会う為、この悪夢を夢見ている」
「―――ジャンヌ・ダルク……?」
「聖女の意志を瞳で視たのならば、もはや私が貴公に語るべくもなし。真実をその瞳で視た故に、その名はついに啓蒙された」
「痛い……―――痛い。痛い。
頭が苦しい。脳が溢れる。瞳が蕩けた……あぁ、宇宙は空にある」
「同じ貌は、無貌に等しい。鏡を夢で見ることなかれ。貴公の瞳が、頭蓋の内にある瞳を見詰め、瞳に映るをまた瞳が見るために、連鎖は無限に続き、夢幻の瞳が脳を啓蒙し尽くす。
貴公よ、分かるかね?
瀉血によって狂気を血と共に吐き出し、我らは脳の発狂を防止する。しかし、内より目覚める発狂は自身の脳より生じる狂気となる」
「だったら、狩るだけよ!」
「無駄ぞ。悪夢を見た赤子は狩れど、狩人に悪夢は狩れぬのだよ。夢を壊せる者は限られ、目覚めもまた夢を諦めぬ上位者の思索が無くば到達は不可能。
何故ならば―――狂いの本質は、繰り返し。
絵画の中で絵画が描かれ、悪夢の中で悪夢に寝入り、惑星の中で惑星を観測する。
私の本体が愛しい我が弟子に寄生したのも、星見を為す地球の模型が我らの重なった悪夢と酷似し、それをより良く観測する為の干渉が始まりだった。
……貴公に、狩れると言うのかね?
世界を単身で狩り尽くせるのは、無限の空の先を超えた灰なる不死だけなのだろう」
「それでも……悪夢を壊してでも、目覚めるつもりはありません」
「足掻きたまえよ。私は求められた役目を変わらず演じ、貴公が夢から覚める時まで助言者で在り続けよう」
しかし、赤子は赤子のままではいられない。助言者は魔女が望む限り、何時までも水浴びをさせて上げたいとは思えど、届かないから夢である。故に出会えば、魔女は名を得るのが当然だった。見殺しにした存在しない娘は、それでも聖女にとって家族であった。その者が焼かれた世界を救う為に、聖女が犯した最期の罪であろうとも。
魔女の名は―――ジャンヌ・ダルク。
世界を燃やす為に焼かれた薪の赤子。
聖女は夢を見ただけに過ぎず、死したとしても現実で目覚めるだけ。
魔女が助けずとも何も問題はないと啓蒙された筈なのに、けれども迷い込んだ母親を救わずにはいられなかった。
だが運命は仕組まれているもの。星見の狩人に寄生する助言者の正体―――幼年期の蛞蝓は、最後の少年に召喚された聖女を自分達の悪夢に招いただけの仕掛け。聖女が眠る度、その意志を娘の名で誘い、小さな鐘の音で呼び起こし、仮初の狩人として存在させていた。狩人であれば、隣合う夢で眠る狩人を呼ぶのは容易かった。そして、一度の眠りで生死を幾度も繰り返す事もまた容易い悪夢であった。
そのため聖女は死ぬ度に悪夢から目覚め、全てを忘れたまま現実に戻るだけ。
赤子を愛する母の姿は、愛から逃げる赤子にとって思考の毒となる。正しく獣性と相克した人間性に他ならず、啓蒙とは見えざる真実で在らねばならない。
―――幾度も死ぬ。
―――何度も死ぬ。
魔女の前で、聖女が死に続ける。
夢の出来事だと理解しながらも、魔女は母の死を見る度に絶望と憎悪を啓蒙された。名前と共に失った筈の感情が新しく生み直され、人間性が獣性を完全に喰い殺してしまった。
「………ねぇ」
「どうしたのかね、魔女?」
「私は、何故……人間に?」
「生まれた時から、貴公が人間で在るからだろう。狩人になろうとも、命を再び得ようとも、人を失おうとも……人を超えたとしても、やはり人間性を失くさぬ者は人間で在るのだろう。
誰にも、私はそれを否定させんよ。
貴公の啓蒙は蛞蝓となった私が忘れず、嘲笑う者は痛みを知れぬ獣である」
「貴方って、狂ってるのに優しいのですね」
「―――知恵不足だな、貴公。私は真実を求めているのみ。
我らにとって虚言に価値は無い故に、知り得た答えを脳髄は食餌とするだけだとも」
「それが貴方の啓蒙……導かれた、獣性に打ち克つ狩人の人間性」
「一側面に過ぎぬが。しかし、人足り得る者ならば、誰もが意志を持つべきだよ」
「そうね……だけど、狩人は?」
「何を狩り、奪い続けたとしても……やはり血によって、我らは人を失うのやもしれん。獣性に勝る人間性も、やがて啓蒙された叡智に満たされるのが定め。
意志の器が頭蓋であるならば、脳髄は形を得た意志の塊。流れ動き、蕩け溶け、血の巣となり、孵化を待つ瞳の苗床となった。狩人の瞳は割れることなく、意志を糧とする目玉が玉子となることもなし。上位者の体内から生じる寄生虫は瞳を卵とする虫であり、故に狩人は眷属に落ちず、つまらぬ上位者にも昇らず、自己によって啓蒙にさえ抗う人間性ならざる意志を抱かん。
即ち―――意志を抱く者。
我らは狩りにより啓蒙された血の徒。獣性も人間性も食餌に過ぎず、思考を喰らった個の意志を魂とする」
「貴方みたいに、蛞蝓の化け物になったとしても?」
「無論だとも、暗い血の赤子よ。肉が腐り、脳は膿み、だが繰り返される悪夢の停滞を狩るならば、我らは人を存分に失おう。意志により、思考を更なる高次元に至らせよう。
変わらぬそれが、人のままで在れば―――意志は進化に受け継がれる」
「―――分かった。私は決めました」
「そうかね……」
「今までありがとう、助言者」
「そうだな。あぁ、ならば良き宙と巡り給え」
狩人の夢。大きな木の下、墓の花畑の中。葬送の刃を振う魔女は、幾度目か分からない夢の終わりを行おうとしていた。普段であれば終わり方は三種しかなく、助言者に首を断たれるか、助言者を殺害するか、月の魔物に成り替わるか。
しかし、所詮は繰り返しの分岐点。
魔女は知らないが、恐らくはあの狩人が経験した悪夢の追体験なのだと啓蒙を得ていた。
「夢を狩りに来ました」
「そうか」
「助言者、貴方の脳に宿った内なる瞳を終わりにする」
「喜ばしい啓蒙だとも。貴公は、ついに悪夢の根源を探り当てた。この身は写し身なれど、だが夢の中では上位者の狩人に変貌していよう。
夢とは、瞳を宿す脳が見る一枚の画なのだと。
ならば、蕩けた瞳で酔う貴公を狩るのも私の意志である……」
「母さんに救われる気は、私には一片もない。悪夢を出るなら、己の意志で!」
「―――ほう。ならば、狩りの時間だ。
月の狩人の、青ざめた血の意志を受け継ぎたまえ」
変貌する姿。何時もであれば役割通りに鎌を構える狩人は、しかし暗い穴が貌の中心に空いていた。手に持つ仕掛け武器は彼本来の物であろうノコギリ鉈であり、左手には獣狩りの散弾銃が握られている。対する魔女は、使い慣れた鎌を構える。
無貌の赤子―――青ざめた血の月を継承した狩人。
この狩人による観測を止めない限り、魔女は瞳に囚われたまま。
「さらばだ。全て悪い夢であった。
貴公……―――喜びたまえ。目覚めの朝が始まる」
「―――――」
「さぁ、踏み潰すと良い……」
倒れた助言者、佇む魔女。上げた右足を踏み落とし、彼女は助言者の頭蓋骨を砕き、脳漿が血と共に地面へと拡がった。今まで通り狩るだけでは、命を奪うだけでは価値はなかった。魔女は悪夢を否定する為に、魔女を悪夢に捕えた夢見る脳を潰すしかなかった。
―――決別の儀式。
赤子の緒を脳に喰らった暗い血の赤子は、その意志によって助言者を拒絶した。