血液由来の所長   作:サイトー

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 この回よりローマ編を始めます。今まで読んで貰った読者様には感謝です。
 そして、感想、評価、誤字報告、お気に入りをして頂きとても有り難かったです。何より、またこの二次創作を読もうとクリックして貰い、本当にありがとうございます。


暗帝寵愛箱庭「セプテム」
啓蒙39:沈む薔薇


 手に持つ短刀は腕の震えが伝わって、その刃も震えていた。何故こうなってしまったのか、何故ここまで来てしまったのか、後悔と未練と懺悔に溢れていた。

 何故、何故、何故、と疑問だけが思考回路を圧迫する。

 薔薇の皇帝―――ネロ・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクスと呼ばれる女は、今この時を以って死ぬしかなくなった。

 

「…………………ぅ」

 

 けれども、自刃などどうして覚悟出来ようか。死にたくないのに、死ぬしかないなど、余りに酷というもの。

 

「う……―――っ……嫌だ、死にたくない。余は、死にたくない」

 

 喉を刺さねばならない。そうしなければ、自分の帝国兵士だった者共に捕獲され、拷問され、処刑されるだけ。此処で死なねば、死が救いに思えるような残虐の果てに殺害されるだろう。いや、女の身を考えれば、男共に陵辱された果てに憎悪と怨念を一身に受ける。身も、心も、魂も、全てを穢される。尊厳を破壊される。その上でローマ帝国が誇る残虐な拷問官が更なる苦痛と恥辱を与え、裁判と言う名の私欲に満ちた茶番劇を経て、公開処刑されるのは分かっている。

 死ぬ必要はない。だが、死なねば心身を穢す煉獄が待っている。

 此処で死ぬことこそ、皇帝だったネロが迎えられる最良の―――人生の最期となる。

 彼女は、ローマ帝国と言う狂気を良く理解しているのだから。狂った皇帝の抹殺を願う反逆者共に捕まれば……いや、もはや皇帝が帝国の反逆者と断じた評議会に捕まれば、救いも何もありはしない。何故ならば、自分がそのローマを良しとした皇帝であったからだ。

 

「死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 余は……―――わたしは、どうして死ななくちゃ、ならんのだ………あぁ、イヤだなぁ………」

 

 死にたくない……―――けれど、彼女は自分自身の為に死なねば地獄に落ちるだけだ。ローマ帝国が死んでも良い罪人と定めた者に対する残虐さは余りに惨く、人間性などない凄惨な死が訪れる。何せ、自分が皇帝として市民に娯楽としてコロシアムでの処刑を見世物にすることをローマで許していたのだから、自分の番が来るのもまた失敗した皇帝らしい因果応報なのだろう。

 尋問に拷問。陵辱と処刑。

 皇帝である彼女は人々への疑念はあれど、ローマの規律に疑問を抱かない。

 大帝国は処罰する罪人を逃さず、皇帝を裁く力を評議会は有し、故にネロは帝国に不必要と叛逆される事となった。

 コロシアムで、人が殺されるのを知っている。兵士に人が殺され、猛獣に八つ裂きにされ、女が剣闘奴隷によって衆人の前で犯されたのを知っていた。

 処刑場で、ローマの神を認めぬ異端者が屠殺されるのを知っている。様々な処刑方法により、帝国の神を不要と冒涜する者共が、神聖なる裁きによって死の浄化を受ける姿を知っていた。

 人間の死は娯楽であり、国が演出する舞台劇であり―――何故、捕まった自分がそうならないと言えるのか。

 

〝潔く……―――死ねるものか。

 余の万能なる才能が、こうも容易く世から消えるのか?”

 

 だが―――死なねば、罪人はそうなるしかない。

 ローマがローマ市民に、そして奴隷や敵国の兵士や捕虜、あるいは異端者にして来たように、罪とは帝国にとって不利益なる者にこそ与えられ、権力者だろうと敗北した者に罰は下される。

 ―――暗殺。

 ―――毒殺。

 ―――焼殺。

 ―――他殺。

 ―――自殺。

 情熱の儘に、ネロは殺してしまったのだから。

 母を殺し、妻も殺し、奴隷も殺し、異端者を殺し、敵国の人々を殺し、国家運営の為の咎は、帝国の責任者である皇帝が全て背負うべき業である。

 だからこそ―――皇帝。

 元老院よりも尚、国と民に尊重される立場を頂いた。

 市民の為に、自分の為にも―――愛する者の為に、ネロは負債から逃れる事が出来なかった。

 

「う……ぅ、ぅうう―――」

 

 ニチャリ、と彼女は喉元から肉が抉れる音が聞こえる。

 

「―――ぁ……ぁ、ガァ……ぁ、ぁ」

 

 血が溢れる。肺と胃に赤い血液が流れ、咽る度に、血が口から逆流する。

 

「ぁぁ……あ”ぁぁ……ぁ、あっ―――ェ!」

 

 なのに、死ねなかった。血管を上手く破けず、肺と気管も血が溜まらずに呼吸困難にもなれず、失血死も窒息死も出来ない。

 足掻き、もがき、苦悶する。

 死ぬ為に短剣を決意して刺し込んだのに、苦しいだけで上手く死ねない。

 これなら従者に自分の首を斬り落とさせた方が良かった。首を紐で括って吊り下がった方が良かった。

 

〝死なせてくれ……わたしを、誰か死なせて……―――あぁ、死にたくないのに!!”

 

 もう一度、深く喉を突き破ろうと短剣の柄を握り、しかし血で滑って手から落してしまう。短剣を探す為に地面を見ようと首を下げ、血もまた喉元から吹き上がり、呼吸が苦しくなって視界が歪んで前が見えない。

 なのに、ネロは苦しむだけで死ねなかった。

 一人で死ぬ為に人を連れてこなかった彼女は此処で、最期の時まで死に切れぬ絶望に呑まれて死ぬしかない。

 

「ァァぁぁぁ……ぃぇ……ぁぁ」

 

 地面に仰向けになって倒れ込む。ナイフは何処にもなく、血が流れるだけ。体は動く気力を失い、段々と世界が寒く、暗く、何も感じなくなっていった。

 消え逝く命の最期。

 魂が、闇の底に沈んでいく恐怖。

 人が死ぬ姿を何度も見て来た筈のネロは、それが自分に回っていただけだと言い聞かせた少し前の、あの憐れな女を拒絶して苦悶から逃れたかった。

 

〝死ぬのは、嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。わた、しは……―――余は何故、こんな暗闇で、一人で死ぬのは嫌だ!”

 

 もがき苦しみ、ネロの命が最後まで足掻いていた。生命が、死にたくないと絶叫を上げていた。彼女の意志が生きることを諦めようが、彼女の魂が宿る肉体は欠片も諦めてくれなかった。

 

〝もう、良い……終わりなのだ……なのに、何でなのだ?”

 

 矛盾する二つの意志が、ぶつかり合う。だが、もはや死は間逃れぬ。死にたくない、生きていたい、と望むネロの願いは暗闇に沈み、死だけが彼女を受け入れることだろう。

 

「―――死ぬのは、御嫌でしょう?」

 

 尤も、暗闇は命の苗床。嘆く女の絶望を、亡者は闇から聞いていた。何も見えぬネロだが、その不吉に満ちた声ははっきりと聞こえていた。まるで風に吹かれて運ばれた使者の遺灰のように、ネロの魂を穢そうと囁いていた。

 

「ぁ………ぁぁ……」

 

「新たなる命を与えて上げます。貴女を裏切った元老院も滅ぼす力が、貴女の絶望を焚べる希望の薪となりましょう。

 さぁ―――望む儘に、渇望を。

 貴女の為に、ローマは皇帝を輝かせる太陽の光となるのですから」

 

 気が付けば、ネロは女に膝枕をされていた。僅かに戻った視界には、女の貌。それが暖かな笑みを浮かべ、彼女を見下ろしていた。喉と口から血液が溢れ出て、彼女の血で汚れるのも構わず、皇帝だった女を優しく受け入れていた。まるで敬虔な聖職者のような……あるいは、魂で描かれた絵画から飛び出して来た女神のような、聖人としか例えようのない人間性に満ち溢れた太陽の微笑み。

 ネロ・クラウディウスは―――人を照らす太陽を、直視した。

 その女の笑みが余りに眩しくて、どうしようもなく焼き焦がれて、死の恐怖と苦痛を忘れてしまった。

 

「う―――……ぁ、ぃ」

 

「そうですか。では、良い深淵を」

 

 後頭部を女の太股に乗せるネロに、為す術は最初からない。だが自害を望んだのは自分の為であり、同時に死に際に足掻いて救いを求めたのも自分の未練から。

 ドロリ、と暗い血が垂れる。太陽の瞳から、黒い血が流れ落ちる。

 真下にいるネロは女神の泥を―――灰の涙を、受け入れるしかない。口から、鼻から、両目から、そして風穴の開いた喉から、血涙が体内に宿り、彼女を終わりから癒した。死ぬ寸前である故に動く事も出来ず、そしてその暗い血が新たなる魂となることもネロは理解出来てしまった。

 

「ネロ・クラウディウス……貴女に、我らの暗い魂が在らんことを」

 

 血が流れ込む。流し分だけ、ネロは暗く祝福された。

 

〝暖かい……―――これが女神の、黒い太陽の血……”

 

 元老院に裏切られ、市民にも見捨てられ―――故に、彼女は救われた。死にたくないと言う最期の希望だけは、確かに太陽の微笑みを浮かべる女によって叶えられた。

 皇帝だった女は、優しく手を握られる。

 こんなにも暖かい他人の手を、皇帝になる前も、後も、ネロは知らなかった。

 暗く沈んで逝く肉体と、内側から肉体が作り替わる死に届く違和感も、人の温もりが常に癒してくれる。手を握ってくれるだけで、ネロは今までの自分が亡くなって新たな自分に生まれ変わる自我の恐怖も、母の子宮から生まれ出られる感謝の想いに作り変わった。

 

〝情熱よりも尚、心を癒す……優しい、温もり。なのに、体がとても熱い―――”

 

 溢れる渇望。求める情熱。新たな魂より、ネロは燃える薪と似た人間性を得た。女神のような微笑みをする―――灰は、その答えを得られた彼女の情熱を喜んだ。

 何故ならば、懸命に生きる人間として、死を克服した生命は素晴しいからだ。

 この世に、死ぬべき者など一人もいない。無意識化で繋がる人間共にとって、つまりは人理にとって有益であるだけで、人の死は定められるべきではない。

 故に灰は死ぬべき人の死を―――拒絶する。

 抗う者に無償の救いを与え、求めるならば新たな魂を授けよう。

 ネロ・クラウディウスの煮え滾る暗い情熱は、腐った絵画を焼く良い炎となるであろう―――

 

 

 

 

 

第二特異点

暗帝寵愛箱庭「セプテム」

 

【沈む薔薇】

 

 

 

 

 

 ―――トイレ。それは排泄処理空間。

 生理現象の為の施設であり、隔離空間に人が大量に住まうなら必要不可欠な場所。飲食不要なサーヴァントならばいざ知らず飲み食いしないと死ぬ人間は、食べれば食べた分を必ず排泄しないといけない。またサーヴァントも食べた食料品が完全に消化され、霊体の魔力に還元される訳ではないので、衣食住と言う生前通りの生活をすれば、人間と言う生物の生態活動がある程度は適応され、排泄行為も必要となる事だろう。

 よって、マスター――藤丸立香もまたトイレをするのが必然だ。

 特にVR訓練前は排泄しておこないと、長引けば悲惨な状態となることだろう。

 所長が作るあの擬似霊子虚構世界は現実と全く大差なく、彼が子供の頃に視た救世主やエージェントが登場する電子世界の映画と殆んど一緒だが、それでもそんな異空間で活動するのは魂が投射されたアバターだ。現実の肉体ではない。

 

「……ふぅ」

 

 小便器の前に立つ前に、少し溜め息を吐く。しかし、彼は魔術師見習い。トイレ前とは言え、何でも無い時はイメージで脳トレするのを欠かさない。才能は皆無だが、ならばと無理矢理に所長の良く分からない独自の秘儀により、それなりの魔術師としての機能を搭載されていた。何よりも、歴史や魔術の知識は変態技術者が開発した脳開発装置もあり、知識量だけはそれなりの図書館レベルで無理矢理にでも覚えされられている最中。日本語以外の言語も習得し、少しの間に眠って起きたら英語やドイツ語を覚えていた事もあった。

 藤丸が所長から聞いた技術曰く、凄腕の魔術師の魔術回路を演算回路として応用すれば、人類史において生まれたばかりのネットを乗っ取って第三次世界大戦を誘発する事も容易いと言っていたが、何故そんな事が出来るのかも初心者魔術師の藤丸は良く分からなかった。

 

「お、藤丸。小便か」

 

「あ、ムニエルさん。これからスタイリッシュ人権剥奪タイム……じゃなくて、特異点用のマスター訓練なので。尤も、それもムニエル製のVR訓練ですけど」

 

「いや、すまんすまん。所長に(おだ)てられてな。訓練開発、気張ってやっちまったんだ。その所為でカルデアのマスター候補生にとって、俺が一番ぶっ殺してやりたい奴ナンバーワンになってしまった」

 

「分かります!」

 

 いくら実際に死なない仮想世界だからとは言え、ネクロモーフが徘徊する宇宙基地を探索するのは、ガチ目な地獄であった。その元凶が目の前のムニエルなのだから、マスターたちが殺意の波動に目覚めるのも致し方なし。

 

「まぁ、そりゃ俺も分かるよ。アイデアは自分だもの。でもなぁ……ほら、ニューヤーナムのビルゲンワース大学出身のアイツに比べれば、俺はお手伝いみたいなもんだったしな。本来はコフィン担当だし。

 手当と残業代欲しさにやって、ゲーマーの浪漫がVRになるから弾けただけさ」

 

「ニューヤーナム?」

 

「アメリカの地方都市だよ。昔は何処かから流れ着いた開拓者がひっそり作った新大陸の開拓村ってヤツだったんだけど、現代じゃそこそこな場所かな。そこのビルゲンワース大学は世間一般だと有名じゃないけど、魔術師共の間じゃあ結構悪名高いんだな、これが」

 

「へぇ……」

 

「興味なさそうだな、藤丸。あ、それと―――いや、良いかな」

 

「なにが?」

 

「ビルゲンワース大学について。まぁ、このカルデアには卒業生もいるから、知りたかったらあの変態共から聞いて欲しい」

 

「わかった。良い話題にもなりそうだしね」

 

「そーいうこった」

 

 ニューヤーナム、私立ビルゲンワース大学初代学長ローレンス。

 その名前があの裏切り者のサーヴァントと同じと言う偶然。そんなことをムニエルは思い出したが、もう今のカルデアには関係ないと脳裏から消し去った。

 

「「…………」」

 

 よって無駄話も切り上げ。出すものを出さないと、二人揃って小便小僧となってしまう。

 ふ、とムニエルは何故か気になった。本当に魔が差して、どんな程度かと盗み見をしてしまっただけだった。男の見栄的なものが湧いた。果たして、如何程なのか。隣の小便器の前に立つ人類最後のマスターの、そのマスターレベルを目測で計ってしまいたくなっただけだった。

 何気ない視線移動。

 マジマジと見るのはエチケット違反であり、ただの変質者。尤も、チラ見でも十分アレではあるが。

 

「なん、だと……っ―――」

 

「はい?」

 

「―――巨根の、童貞だと!?」

 

「はい!」

 

 そして何故か、童貞であることを見破られた藤丸。如何なる魔眼で物体の過去視でも出来るのか、あるいはただの負け惜しみで発したのかは分からない。

 しかし、そんな言葉に反応していまった藤丸が、ムニエルに正しい意味で急所となる情報を奪われたのは事実であった。

 

「ほふー……かぁ、熱い!」

 

 一方その頃、所長はサウナにいた。場所はリゾートスペース、スパ・カルデア。

 

「お風呂に、サウナに、水風呂。全く以って、マキシマム休日。人生とは、かく在りけりや。

 子供心を忘れないパピーの南極秘密基地にマイ楽園を増築したけど、こうもゆったりしてると、ふぅ……魔術師の傍ら、趣味でしている資本主義の完全攻略方法が容易く啓蒙されてしまいますわね。今世紀の人類文明は、もはやカルデアの支配下とも言える。

 そんな支配者チックの気分で風呂に入りながら、ニーチェを読んで深淵チックになるのもベネ」

 

 風呂、エミヤ飯、十分な睡眠、魔術研究に、神秘探求。特異点攻略の準備に、藤丸とマシュの悪夢的VR鍛錬。何もかもが素晴しき日常。カルデアの運営は部下に任せ、所長は所長らしく、部下の能力と精神を過不足なく完璧に把握し、寸分の狂いも無い完璧な指示を出し、やるべき事をやり、職員全員の責任を取るだけの仕事。ついでに、同じ趣向の持ち主である変態技術者と、その変態を率いる技術顧問と、新技術や新兵器開発で思索を熱中する。

 ある意味、経営者としてはパーフェクトウーマンであった。

 だからか、こうして浴場のサウナで全裸となって、隣に座っている部下の一人に、自分の近況報告をダラダラと呟く事が出来ていた。

 

「戦場から帰った後の、一時の贅沢極楽三昧。なけなしの我がモラルまで弛緩してしまいます」

 

「所長、そこは弛んじゃ駄目です」

 

「良いじゃないのよぉ……ふはぁ、熱い。頭に空いてるネジ穴がガバガバになって、ちょっと鍛錬方法をゴズミック改竄しちゃう程度のお茶目心。ついでにこの際、脳内螺子をごっそり抜いてしまいましょう」

 

「これ以上は先輩が死んじゃいますよ?」

 

「大丈夫。カルデアの変態共だったら、精神崩壊した人間も一晩でさっくり啓蒙開発!」

 

「意味が分かりません!」

 

「汝……」

 

 召喚された数日後、施設説明を受け、好奇心から先客としてスパリゾートを楽しんでいたアタランテ・イン・サウナverは、つまりはマシュと所長と同じく全裸装備と言う別に装備をしていない状態であり、且つ良識ある筈の二人が珍客化していることに衝撃を全く隠せなかった。

 (ナンジ)ィー、と独り言を伸ばさなかった自分を称賛したかった。

 そう思えば、カルデア生活をさり気なく満喫している知人の魔術師も、稀に遠い目をしているのに気が付いていた。

 

「……そう言う、手合いの者であったか」

 

「やだもう、アタランテ。高名なアルゴーの船員だった貴女なら、女と偶に美男子に鼻の下を伸ばしまくりな男共にも慣れてるだろうし、薄暗くて熱い密室で女同士で裸のお付き合いってのも慣れっこじゃないの? ギリシャ最速的に?」

 

「オルガマリー、良いか。ギリシャの男連中を偏見するのは良いが、私を奴らと同じ括りで見るのは止めるんだぞ。

 ―――マジで」

 

「……マジで?」

 

超本気(マジ)だとも」

 

 超本気と書いてマジだった。江戸時代に使われていた古い芸能言葉に日本語変換され、同時に若者言葉っぽい軽薄さも浮かんでいた。

 カルデアに召喚された英霊は言語翻訳の神秘を搭載されるが、時代も地域も違う英霊が大量に召喚されている現状、変態技術者達はいっそのこと、翻訳と同時に現代言語の知識と発音方法を脳回路に入れてしまえと本気となり、母国語の翻訳を行うと同時に、その他国言語で思考することも可能となっていた。なので自分を召喚したマスターに合わせ、翻訳とは別に日本語を日本語として喋るサーヴァントも結構多い。

 

「メディアめ。汝を気を付けろとは言っていたが、イロモノ道化的な意味合いだったか」

 

「人間関係は、底辺の理解と本音の吐露が大切だと思ってるのよ。私も人は選んで会話内容を考えるけど、何だかんだサーヴァントの皆さんはお祭り体質の芸人っぽさがあって凄く好きよ」

 

「つまり汝、アレか……私はからかっても別に構わないタイプだと?」

 

「エグザクトリー」

 

「……―――いや。まぁ、良いが。

 汝からすれば、我らサーヴァントもカルデアの職員諸君と変わりなく、普通の人間か?」

 

「特別扱いして欲しいなら、魔術師的にそう接するだけ。でもサーヴァントのマスターは藤丸だし、私は彼を雇ってる上司ってだけだから、英霊には頼り甲斐のある上位者として振る舞う必要もないもの」

 

「成る程……」

 

 だから、メディアが遠い目をしていた訳だ。内心を悟られた上に、素の平常心で同じ職場の同僚の様に接して来る相手となれば、自然と警戒心は緩む。相手が魔術師だと分かっていても、組織の支配者が自分の事を魔術師だと考えずに無警戒だとある意味で、どう接して良いか分からない。となると、時間と共に自然体で生活するようになる。

 

「それで話は変わるんだけど、アタランテって……魔法少女に興味ある?」

 

 熱した岩場に水を掛ける所長から、脈絡のない話題が急に飛び出した。

 

「は?」

 

「いやねぇ……あの変態共が、変なステッキを量産しててね。美少女系サーヴァントを出来るだけ貸して欲しいとか、霊基を神秘実験に弄りたいとか、所長の私が言われてるの。

 面白そうだから私がやってみても良かったけど、あいつら所長は粗製だから無理って言うのよ。どう見てもスペクタクル美少女……って年齢じゃないけど、まだ英霊みたいなコスプレっぽい衣装も恥ずかしくない年頃だと思うのよ。

 ほら、年上な英霊のお姉さま方も中々な姿。

 私だって夢を啓ける筈。ペイルに悪夢なムーンで、プリズム啓蒙メイクアップ!」

 

 余りにもアレな所長に茫然としたアタランテはマシュの方を向いたが、彼女は首を横に凄まじく振っていた。阿修羅像のように顔面が分身する程の速度。絶対に拒否して下さい、とジェスチャーだけで訴えていた。

 

「それを……まさかまさかの、粗製女扱いだなんて。もう変態共のド変態を狩り殺すしかなくない?」

 

 内心でミニスカで全力疾走するアタランテに対し、あれは見せパン何だろうかと言う疑問を所長は隠しながら怒りを吐露した。

 

(ナンジ)ィー……」

 

 語尾を伸ばすのを我慢出来なかったアタランテは、どうしたらいいか分からずマシュの方を向くも、彼女は遠い目をして宙を眺めるようにサウナ室の天井を見詰めていた。

 

「マシュ、まさか―――」

 

「―――はい。

 霊基実験の一環だと、騙されました」

 

「そうか……すまない。嫌なことを思い出させた」

 

「構いません。羞恥心が如何に地獄か、人生で初めて理解出来ましたから」

 

 汗が湧き出し、艶やかな肌の上を滑りながら水滴が垂れ落ちる。コミカルな表情を浮かべ、実は中性的な男の娘のような雰囲気な美少年が趣味な所長は、内臓や血液に興奮する理想的な狩り好き淑女であり、女性に対しても普通に性的欲求が湧く性癖上位者でもあった。特にアタランテのようなスレンダーで筋肉質な肉体は、思わず指先を腹筋を触れるか触れないかのギリギリの境界線で撫で捲り、脈動する臓腑を皮膚の上から爪先で感じてみたかった。

 むしろ、脳髄と臓腑が詰まった人間と言う肉体美に昂奮するのだ。中でも獣狩りの狩人として鍛えられたアタランテのしなやかな筋肉は、獣性の濃厚な色香を漂わせる。それに狩人の神経が酷く感応し、どうしようもなく色々と悩ませる。

 

「獣耳も良いけど、獣性溢れる筋肉の太股と臀部と……そこから伸びる麗しき尻尾。あちらの色も金オア緑のどちらか悩ましく、だがついに秘匿は破られた。

 新しき獣の抱擁なる秘文字(カレル)が啓蒙され、私の獣性が爆裂金槌で星の小爆発―――宇宙(コスモス)よ!」

 

「おい、オルガマリー。醜い欲望が漏れているぞ」

 

「おっと、ごめんなさい。神秘が脳液みたいにダダ漏れました。それはそれとして、私と短距離競走しない? 結婚しない?」

 

「ッ―――ふざけるな!

 汝、魔法レベルの加速使いではないか!?」

 

 元より異常な敏捷性を誇る魔人が、魔法染みた固有時制御で移動する。英霊を制御しなければならないカルデアの所長だから本人の武力も高いのは当然とオルガマリーは話すが、聖堂教会の埋葬機関と個人で渡り合う人型核弾頭みたいな魔術師なのは少し違うのではないか、とカルデア職員一同が感想を統一させていた。

 

「良いじゃない。好きでしょう?

 それに最近はランサー……あぁ、クー・フーリンですね。私は見た目だけなら中性的な年下の美少年が趣味なのですが、逆に血腥い男前も嫌いじゃないの。狗っぽくて獣性が濃いので、総合的には心身めっちゃ好みなんですよね。

 けどねぇ……彼とは良い雰囲気手前までイケるんですが、どうも後一歩で逃げられまして。なので、何股かして騒ぐ血の蠢きを治めたいのよ」

 

 サウナ室でダラダラと汗を垂らしながら、獣みたいな目付きで組織のトップがアタランテを見ていた。

 

「何の話をしているのだ……?」

 

「いえ、恋バナですよ。偶に貴女も、メディアと男の駄目さ加減を話題に食堂で盛り上がってるような、そんな雰囲気?」

 

「これが、恋バナとは汝……本当にアレだな。うん、アレとしか言えん」

 

「もぉーやぁーねぇ……ふふふ。殆んど冗談に決まってるじゃない」

 

「そうかぁ?」

 

「そうよ」

 

 真顔で目を瞑ってサウナを楽しんでるフリをし、けれども頭蓋骨を見る内なる瞳でアタランテの肉体美を観賞する所長は、率直に言って人間性が最低だった。

 

「そうなのか、マシュ?」

 

「深く考えてはいけません。狂い始めた頭が、更に可笑しくなりますよ。大切なのは感じることなのです」

 

「汝は苦労しているのだなぁ……」

 

「慣れました……―――本当に」

 

 尤もこのカルデアでマシュに対し、一緒にサウナ入ろうぜ、と気安く誘うのは所長だけだった。今は他に召喚された英霊も気の良い人はそうやって彼女と接するも、恐らくは初めて友人と言う感覚を彼女に与えたのは、父親が死んで赴任して来たばかりのオルガマリー・アニムスフィアが一番最初だった。

 誰よりも頭が良い癖に、身内には自分を余り装飾しない女。ある意味カルデア一番魔術師らしく、人に優しいとは言えないが、仲間に対してのみ凄まじく甘い性格をしているのだろう。同時にその甘さは、カルデアに協力するサーヴァントにも例外なく向けられる。サウナで同室になれば裸の付き合いを行い、馬鹿話を自分から振って話のネタになる程度には関心を抱いていた。

 

「アタランテ、気に障るなら遠慮するわよ?」

 

「いや、構わん。嫌いではないぞ……普通の、そう言うのはな」

 

 とは言え、アタランテは第三者から見るとお堅い女に見えなくもないが、ノリと言う雰囲気を嫌う人間ではない。戦場ではないカルデアの生活は、英霊から英雄らしさを薄れさせる人間性を、死後にまた自覚させる温もりがあった。

 普通であることを許される場所。

 聖杯を巡る特異点攻略の最前線。

 その二つが両立され、召喚されたサーヴァントはカルデアに愛着するのだろう。焼かれた世界を救う組織として、可能な限り理想的な環境であった。

 

「オルガマリー。その、なんだ……色々と勿体ない性格だな。損していると思うぞ」

 

「良いわよ、別に。楽しく生きてるだけだもの」

 

「あぁ……――確かに。それが人間、一番だな」

 

「何だかんだで充実してるし、今は目の前の問題を全力で解決するだけ。人理修復も実際、英霊召喚システムの立証には最適だったし、魔術師としても世界を救うのは不利益じゃなく、私利私欲と言う観点からすれば悪くはない滅びよ。

 まぁ、裏切り者も殺戮者も必ずカルデアが――狩るけど」

 

「汝は建前を覚えた方がよいぞ。明け透けなのは嫌いではないがな」

 

「言ったでしょ、人は選ぶって。潔癖好きには魔術師ムーブは封印します。態々不愉快な気持ちで、人理とか救いたくないでしょうしね」

 

 気の合う女友達になれそうな英霊には、藤丸と契約したサーヴァントでも遠慮しない。相手が男性でも、何ら構わない。自分に自信を持ち、そして組織を問題なく運営する器量がある故に、所長は誰にも何気なく会話を行える――

 

「それでね、アタランテ。セフレってどうやったら作れるの?」

 

 ――会話内容は、兎も角として。

 

「水風呂に潜って、その頭を冷やして来い」

 

「私だって年頃なのよ、明け透けな下ネタトークに餓えてるの。思考の次元がとても低くて、思索を棄てた獣性な雰囲気の馬鹿話もね、人目を気にせずしたい時が大いにある」

 

「なんで汝は、その会話相手に私を選んだ?」

 

「だって、見た目一番貴女が良い意味でエロスに溢れる女性だったから」

 

「偏見と有り難迷惑だ!」

 

 何と言う良い反応。アルゴー船でもきっと、意地の悪い男に揶揄されていたに違いないと、所長は無駄に自信満々に確信。打てば響くとはこのことだろう。

 

「もう、怒らないでよ。神代に生きた貴女にとって、エロスって神の名前だし、凄く良い褒め言葉だと思うの」

 

「あの神は男性だぞ。女に言っても褒め言葉にならんわ」

 

「……確かに」

 

「そこで納得して終わるなよ、汝……」

 

「すみません。その、アタランテさん……?」

 

「うん、どうした。珍しく難しい顔をしているな、マシュ?」

 

「マシュには優しいのね」

 

「汝は黙ってろ……で、どうした?」

 

「セフレって何ですか?」

 

 思えば、その略語をマシュが知らないのも不思議ではない。カルデアの日常生活で、まずは使われない単語だ。

 

「アタランテ。私さ、貴女に言われた通り、ちょっと水風呂で頭を冷やしに行くわね」

 

「ま、待て……待て待て待て待て待てっ!

 いやあのな、オルガマリーよ。汝はこの状況に、人として責任感とか持たぬのか!?」

 

「全然」

 

「狩るぞ!」

 

「ふふん、良いわね。カルデア一番の女狩人を決めるべきだと、常々本当は思ってたのよ」

 

「上等だ」

 

「あのー……それで、アタランテさん。セフレってなんですか?」

 

「そろそろサウナを出るべきだろうな。

 人間である汝らは、ほら……脱水症状とかあると危険だろう?」

 

「そうね。ほら、マシュ。貴女は片腕にまだ慣れてないし、体の届かない所は洗って上げるわ」

 

「うむ。私も手伝おう」

 

「ありがとうございます。で、セフレって何なのですか?

 前にAチームの皆さんが……と言うよりベリルさんが、カドックさんはセフレがカルデアに沢山いるって言ってまして」

 

「ベリル・ガッド、さようなら。まだ幼かったマシュにその言葉を教えた上、カドックに冤罪を擦り付けるとは。奴のコフィンは解凍、即座に爆破しましょう」

 

「何故ですか、所長!?」

 

「それは良いな。そんな男は汚い花火にしてしまえ」

 

「アタランテさんまで!?」

 

 日常とは、そんな程度の積み重ねであった。新たな住人全員とオルガマリーは、カルデアの所長として面談を行い、人格と特性を把握済み。特異点を攻略し、縁が増え、システムで召喚可能なサーヴァントも増加した。ならば、この南極基地カルデアにおける生活人数も増え、寂しかった空き部屋も埋まっていくのが普通の話。

 次の特異点攻略を行う準備期間。束の間の平和な生活は、鍛錬と勉強に明け暮れる毎日で、でも藤丸とマシュにとっては人生で最も充実した生活でもあった。

 

「ふぅー………」

 

 風呂の後は、何故か溜め息を吐きたくなる。所長とアタランテと別れたマシュは、エレベーターで違う階層に移動し、そこから一人でカルデアの廊下を歩いていた。

 

〝成る程。そう言う意味でしたか。ならば、恋人――……いえ、いいえ。マスターは先輩で、先輩は男性で、私は女性。即ち、フレンド。然るに、メイクラブ。

 ……うん、落ち着きましょう。素数を数えるのです。

 自分で自分の頭が、凄くお馬鹿になっているのが分かります”

 

 中身のない左腕の袖が、歩く度に揺れる。義手はメンテナンスに出しており、日常生活用の仮義手を付ける気分にもならなかった。

 

「フォウ……フォウフォウ」

 

「あれ、フォウさん。男風呂の方に行っていたのでは?」

 

「フォウーフォッウ」

 

「なるほど。しかし、何故か分からないですが、所長はフォウさんを女性用の浴場に入れるのを禁止してましてね」

 

「―――……フォ」

 

 疲れたような表情をするフォウは、マシュの体を一瞬で昇り、パーカーのフードの中に入り込む。まるで此処が定位置だと言わんばかりに体を丸め、鳴き声も上げず直ぐに眠り始めていた。

 

「………」

 

 廊下は、静かだった。歩く自分の足音しか聞こえない。そしてカルデアしか知らないマシュは、廊下の窓から外を良く見ていた。

 果たしてあの窓の向こうはどんな世界なんだろうか、と思い馳せていた。だから彼女にとって極寒の雪景色しか映さない窓だろうと、そこには情景と呼べる色彩のない無色の世界が広がっていた。だが特異点を知り、焼かれた終わりの世界を見て、故に彼女は焦げた絶望の中であろうと様々な色彩を知ることが出来たのだろう。

 

「宇宙は空にある」

 

「「「「宇宙は空にある」」」」

 

 尤も今は冒涜的悪夢なる変態衆が、宙との交信のために占拠しているのだが。

 

「…………」

 

 見なかったことにしよう。変態技術者達が、何時も通りに啓蒙的神秘活動をしているだけ。感受性が高いと言うか、脳が叡知に拓かれ易い感応性質とも言えるのか、所長に見出だされた者らは間違いなく狂人であり、関わると録な目に合わない。マシュも面白半分で魔法少女にされた思い出は新しい。

 

「おや。おやおや、おやおやおや。君はマシュではないか。あっはっはっはははははは!

 先程ぶりだね。それで、どうかね……隻腕生活は。辛いなら、是非ともこの内臓触手式軟体精霊義手を移植しないかな……あぁ、そうだね。そうだった。勿論、この義手も取り外し自在さ。今の義手を使える儘にね」

 

「結構です。ミコラーシュ室長」

 

「残念だよ、実に。私は光るような神秘なる悪夢的叡知を啓蒙して頂けた所長に恩があるのでね。その彼女のお気に入りである君の生存率は、更に上げておきたい。そこで副案として高次元霊的存在に深める為、見知らぬ男の魂と神秘的ドッキングを強要された君を、私が培養するアミグダラの子宮炉に入れて進化させようと考えている。

 謂わば―――生み直しの秘儀だとも。

 Wooo……ンンン、マジェスティッック!!」

 

「駄目です。倫理違反です」

 

「おー、そうだった。すまない、どうも。此処が国際組織と言う建前を忘れてしまった。けれど、けれどね、人理焼却で燃えた世界の空と交信していたら、そのような悪夢的思索によって叡知が啓蒙されたのだよ。

 ……神秘学者であれば、思案は原石。

 目玉のような石ころを磨き、神秘となる宝石を求めるのを止められる訳もない」

 

「良いですか。本当に、本当に、何であれ実行に移す前に所長かダヴィンチちゃんと良く相談して下さいね?」

 

「分かっている。フリと言う奴だね……ふむ。今日は日本のコメディアンのショーでも見て、啓蒙でも深めるかな」

 

「フリじゃないですから」

 

「ふふふ、冗談だとも。オバサンは若い娘を揶揄するのが習性なのさ」

 

 どう見てもマシュより幼い娘にしか見えないが、ミコラーシュも立派なカルデア職員。むしろ、幼女ともギリギリで言える年齢であり、良くて十代前半。

 不健康そうな色白な肌。適当な長さのもあっとした黒髪。顔立ちは凄く普通で、だが常に徹夜明けをしたような眠気を超越する薬物中毒者みたいな起伏ある表情。背の高さもマシュより低く、何より特徴的なヘルメットを愛用していた。そして作業の邪魔になる時や、会議の時は外すも、何かを思索して知識を啓蒙される為に、思考を働かせる時は何時でも頭部だけ檻の中だった。

 

「そういう風に暴走して、所長に助けられて、カルデアに就職したって聞きましたけど?」

 

「あっはっはっはははははは!!

 悪夢の召喚だったか。あれで封印指定にされたのは良かった。何もせず、協会や教会がイキの良い実験材料を無料配達してくれたからね。

 まぁ、所長が我が魔術都市に来て、こうして無事に真人間となり、全人類の夢と神秘を守る仕事をする破目になってしまった」

 

「あー……マニンゲンって、真人間ってことですか―――?」

 

「契約だよ。啓蒙されし智恵なる神秘は夢でしか行わず、現実ではカルデアに不利益を与えずに職務を果たす。なればこそ頭蓋の中の、脳の裡でのみ我ら学徒は思索の自由を許され、思考は故に高次元なる悪夢へと至る暗黒の途。

 おぉ、正しく私は正社員。社会規則もまた人獣の妄念。

 我らが高次元的所長は夢破れる私に、妄想を夢で見る自由を授けたのだ」

 

「つまり、つまりぃ……あのーそのー―――あぁぁぁあー頭が可笑しくなるぅ!?」

 

 隻腕である彼女は右手でしか頭部の髪の毛をグシャグシャと掻き回す事しか出来ないが、格好的に空想の左手でも頭の中身まで掻き毟っている様子に見える。本当にマシュは、もう可哀想な程に発狂に耐えている姿だった。

 

「思索の芽生えこそ、思考を啓く鍵だとも。故に狂気を受け入れ給え、狭間に溺れる少女よ」

 

 だがしかし、この幼女にとって狂気は愉悦、発狂は快楽、思考は中毒。思索に悶えるマシュをニッコリと笑う啓蒙少女、ミコラーシュ。多分彼女の頭の中には、良くない悪夢の主が住み着いているのだろう。

 

「そんな事よりミコラーシュ室長。良いアイデアが啓蒙されたんで、研究室に戻って早くビーム開発したい。マシュの義手には火力が足りないの。高次元暗黒より抽出された深淵の輝き、それは大地の魔力と融け合わせり、エーテルの渦と化し、やがてコジマ粒子と成り果てる。

 故、真エーテルを模す機構は生まれた。即ち―――カラサワ。

 だからカラサワさん、感応していますか。アナタが作った光こそビームの歓喜に満ち、小爆発より核が分裂するのよ」

 

「鉛の重さが、カラサワをも重くしよう。つまり、ゲッコウもまた同様だとも」

 

「悪夢的思考実験まだぁ……もう啓蒙が逆流しちゃう。

 夢で死ぬ絶望から重みが欲しいのに、全く。やはり魔術機剣ゲッコウには、絶望的な鉛の神秘が不足している。月モドキの明かりで焼き斬るだけではソウルは斬れず、ならば悪夢より暗い闇と同じ重さを作り上げねばならん」

 

「絶望的悪夢の死こそ鉛の根源、即ち意志の終わり……夢にて命が、終わる時。フランスにて、撃ち、斬り、刺し、潰し、内臓の温かさを知り、殺し殺し殺し……殺し殺し殺し殺して殺して、鏖なる殺戮の業。

 盾の乙女は悪魔に左腕を喰われ、故に身無き空想の手の持ち主。

 故に我らの最高傑作たる義手を意志より、操り骸の腕として支配せし担い手となる」

 

「殺せば殺す程に、模されたゲッコウは鉛の重さを得るのだ。そして、赤子を贄とされた上位者の憎悪もまた宿させ、冒涜的殺戮者となる術を啓蒙されよう」

 

「おぞましき髑髏の怨念が義手に宿り、やがてマシュの意志より湧き出るだろうて」

 

「フィッシュマンめ、冒涜的な殺戮獣の餌にしてくれます」

 

「漁村は良い……生臭く、生温かく、内なる瞳の養殖産地。そろそろ宙舞う人喰い鮫のキメラ遺伝子が成功しそうなんだぁ……―――ッハ、まさかこれも聖女様のお導き!?

 聖女様、聖女様……脳液が足りません。

 まだまだ海の深さが足りず、ピチャピチャと蠢くだけで。あれそう思えば、私の眼孔に瞳が入ってますか?

 また悪夢の何処かに落してしまったかもしれないんだよ?」

 

「内なる瞳は吐瀉するとは。我らは何故か欲していても、人間としての礼儀が不足している……だが愛してるんだ、人間を。例え我らが炎に飛び込む蛾のようであろうとも、人理を超えた智慧が宇宙深淵を深めねば、人類愛の頂きには昇れない。

 ……空想は狂気に侵食された。

 カルデアスなど既に無用の長物に成り下がった。

 観測は瞳より、因果は脳より、だが悪夢は我らが妄想を愉しむ為の失楽園で在り続けよう」

 

「そんなことよりカルデアを空に浮かべたいなぁ……っく、まだ我らの思考では思索が足りん。やはり現実にも異界常識を持ち込むべきなのだよ。さすれば、人は人の儘に妄想を愉しめる」

 

「愚かな。浮かべるなら大陸ごとだろうに」

 

「―――ッハ、抜かった。神に出来た故に、人もまたそれが可能。悪夢の霧を雲海とさせ、そこに島を浮かべれば素晴しい……あぁ、素晴しい夢の国に祝福を」

 

「おぉー良いですねぇ…‥幻想郷(ドリームランド)とか造りたいですねぇ……あれ?

 ふと思ったのですが、マシュの盾に白い神秘なる毒霧を吐き出す武器を付けたいのですが?」

 

「所長……それ、持ってたような?」

 

「星の娘よ、泣いているのですか?」

 

「毒ガス兵器は国際条約上倫理違反では?」

 

「大丈夫。今の科学じゃ成分分析無理。ただの白霧なので」

 

「そっか。でも、そんなことよりもガトリングですよ。群がる敵を蜂の巣の肉片にしましょう?」

 

「言うても近代兵器として完成しちゃってるから、弄れる部分少ない。出来ても、発射速度を早くしたりとか、投影を使用した魔力銃弾システムで魔力充填式にしたりとか」

 

「開発中の巨人兵に装備させようとしてた……あれ、あれです。あの、そうそう……確か、カルデアキャノンとかも良いんじゃない?」

 

「医療教会は火薬庫に似て、ロマンチックが止まらない兵器開発精神でした。なら、我らもまた狩りの浪漫に殉じないと。

 何より文明は進歩しました。虐殺こそ人間が愉しむ猩々狩り。兵器は仕掛けの塊となったのです。ならば人類殺戮の歴史は、きっと狩人の業を今よりも尚に深めて頂けましょう。古都に持ち込まれたガトリング技術は、火薬庫にとって最高の知識だったことでしょう。

 個人砲門タイプのクラスター爆弾とか、いっそのことデイビー・クロケットとか?」

 

「あの娘に核融合式自爆装置を付ける気か? 所長に狩られるぞ?」

 

「エクスプロージョン、エクスプロージョン……文明が爆裂する。文明が、文明を破壊する。

 おぉ……おぉ……大いなる太陽の炸裂なの。

 空想でしかない理論は、だが思索によって現実に結ばれる。我ら理を探る学徒より紡がれた文明とは、夢見た思考の妄想に由来する。だが思索によって空想の理論に昇華し、悪夢が世界を侵食し、文明の技術は積み重ねられるのだ」

 

「太陽万歳!」

 

「それもまた良し。死しても夢に目覚め、だが意志は悪夢を巡るのだ」

 

「そんなことより生物兵器の方を開発しようぜ!

 獣の魂が齎した業もあの特異点の観測情報から結構啓蒙出来たことだし、多分……ドラゴンの生体ゴーレムなら今の設備を応用して培養構築出来そうじゃん?」

 

「ならばいっそ、人工上位者の子宮に獣を入れてみると面白そう。獣血の赤子とか作ってみたい」

 

「ビルゲンワースの学術は万能だ。ニューヤーナムは滅んだ古都の赤子であり、ビルゲンワース大学は学び舎の生み直し。新大陸に獣血教会を創設した学長と、ミコラーシュ教授の……あ、今は室長だった。

 でも、赤い血と白い血は両極端だからねぇ……ま、駄目よ。悪夢の中でしか、神秘と獣血は両立しないもの。現実で語る時点で狂人の空想に成り下がる」

 

「激毒と発狂は互いに作用する効能を持ち、また内的衝突で結局は中和してしまうでしょうに。もう……まだまだ我らには思索が足りな過ぎる。やるなら所長みたいに瀉血出来る不死身生命体じゃないと……はぁ、アン・ディールがいればなぁ……あぁ、今はアッシュ・ワンだったっけ。

 彼女は思考実験に最高の良素材だったのに。

 生き胆、目玉、内臓、遺骨、青い舌に脳髄。

 啓蒙高いわぁ……うひゃひゃひゃははっはっはひゃひゃひはは!」

 

「所長が彼女を捕まえてカルデアに連れてくれば、悪夢に連れて行って実験したい」

 

「無駄な事だ。あの女であれば、意志一つで絵画を容易く焼き払う。特異点など、そもそも灰にとって脆い世界故に、あの獣が仲間に引き入れず、カルデアで在る儘であれば、人理焼却事件など数時間で終わる茶番劇。

 故に、あの女にとって世界などゴミクズよ。

 人理焼却さえ無価値だった全ての悪夢が宙より消え去り、我らは居場所を焼却されてしまう」

 

「おおお、事も無く、されど慈悲もなく。だったら魔女は良いサンプルです。落とし仔が啓蒙させた血の意志を竜に抱かせ、赤子共の遺伝子を混ぜたゴーレムドラゴンの卵とか如何?」

 

「現実ですると所長が怒りますね。脳の夢でのみ許される所業でしょう。しかし、やはり暗い魂こそ根源だわ」

 

「暗い血の赤子の誕生。暗い魂の血は混ざり、全ての者が血を作る意志の生胆を抱くことだ。灰の叡智により、悪夢もまた深化したのだよ。

 あぁ、故に悪夢の生態系もまた進化する。

 我らの自由なる妄想は、神秘なる空想と導かれ、やがて常識が改竄されることだろう」

 

「灰、灰、灰……うはぁ―――うひゃひゃひゃひゃひゃはははははは!

 暗い血より啓蒙された真実こそ上位者が求めた深淵。思索すべき答えなれど、なのに人間の闇は底が無く、宇宙は深海と同じく沈み逝く暗黒。

 そう……全ては、繰り返される。

 何故ならば、悪夢なれば変わりなく、死せども夢でしかなく、因果は廻る」

 

「やはり―――宇宙は空にある」

 

「思索の時間だ」

 

「人類に黄金の時代を。そして、幼年期に終わりあれ」

 

「うわぁぁああああああああああ!!」

 

「智慧を求めねば。我らは白痴を啓蒙され、しかして瞳が足りぬのだ」

 

 ワイワイガヤガヤ、と狂気が廊下に満ち溢れている。しかし、放って置けばマシュ以外の通行人が来るのも時間の問題。それが所長などの諸々であれば大丈夫ではあるが、狂気耐性が啓蒙されぬ職員やサーヴァントが来た場合、その者たちは確実に精神汚染が発現し、異常なる狂気に犯され、治療するのは所長から医療手段を教わったドクター・ロマンとなる。

 つまり所長にも確実に話が入り、技術部に罰として凄まじい無茶ぶりが振られるは確実。楽しいと言えば愉しい所長依頼の仕事だが、鎮静剤をがぶ飲みしながらする研究は変態技術者にとっても凄く辛い。

 

「うむ、諸君。廊下で己が探求欲を漏らすのは止め給え。他の社員の精神衛生に悪いと、私が所長にネチネチと怒られるのだからな。

 ……まぁ、良い。

 今は所長と共に性別迷走者も喜んで話を聞き、理解を示してくれる。共に新たなる理念を作り上げていこうではないか」

 

 カルデアの技術部門。技術顧問はレオナルド・ダ・ヴィンチであるが、カルデア職員として室長を務めるのはチェコの魔術師血統であるミコラーシュ家当主であり、女性なので正式には女系姓のミコラーシュヴァー。なので、皆は彼女をミコラーシュと呼んでいる。

 

「では元気にするのだぞ、マシュ。常に思索を怠ることなかれ。君の優れた脳髄の思考が腐るのは、我らカルデアにとって神秘の損失だ。

 あっはははははははははははははははははは――――!!」

 

「……は、ははは――――」

 

 壊れた笑みを浮かべるマシュは、それが一番だと知っていた。理解しようとすると、無知が啓けて知識を植え付けられる。正にミコラーシュは啓蒙家。

 そして、笑い声が遠ざかる。暗い夜空を見上げるのが好きな、ある意味でロマンチックな研究開発専門の技術者集団は、上司であるミコラーシュに続いて職場に戻って逝った。

 

「―――………ふぅ、ふぅー……はぁ。疲れます。独り言が止まりません」

 

 過ぎ去るミコラーシュとその仲間達を見て、だがなるべく思い出さない様に思考の奥底に封じる。他の職員やマスター候補生にはまともな知識人として接するのに、彼ら彼女らは特定の人間にはあのような狂態を平気で晒す悪い癖があった。まるで知ってならない事を知識を啓蒙されたことで、人が見えない筈のモノを自分だけが見ている妙な気分になる。その違和感がマシュは好きなれず、しかし特に嫌悪することも全く無い。

 今のカルデアだとマシュの他には、所長、先輩、ドクター、狼さん、ダヴィンチちゃん。後は来たばかりのエミヤにはそうでもなかったが、フランスから帰って来た後のエミヤには本性を何故か晒すようになっていた。サーヴァントも殆んどが他の職員と同様で例外がその三名と、キャスターのジル・ド・レェ程度だと彼女は考えた。そしてマシュは知らないが、実は聖女と魔女と清姫も例外に含まれていた。

 

〝所長に相談しても、マシュは啓蒙高いから無理ねとしか言ってくれませんし……”

 

 啓蒙が足りない者は真実が見えないとも所長は言っていたが、マシュには良く分からない理屈。とは言え、これもまた彼女にとって普通の日常風景。爆破テロの前ならカドックを盾に出来たが、もうその手段をマシュは使えない。

 

〝ですが、仕事は完璧ですからねー……はあぁぁ。生身の左腕を捨て、技術部の人達が作ってくれた機械義手が無ければ、先輩を守ることは出来ず、所長の役にも立てませんでしたから”

 

 何も無い左腕。カルデアの技術力なら左腕だけを培養して生身の腕を外科手術で、十分に取り戻せる。優れた人形師でもあるミコラーシュであれば、人の腕と全く同じ“だけ”の義手も作り出せる。

 だが、今の腕を選んだのはマシュ自身。

 冬木で遭遇した悪魔の騎士と戦ったマシュ・キリエライトは、英霊の十字盾が全く無価値になる敵が存在する事を知ってしまった。それは鍛えた業だけで、宝具を容易く超える人の究極へ至る者。同時に、そんな人間がマスターを殺す敵となって立ち塞がる事実。

 

〝足りません。何もかも不足して……私は、心が折れそうです。でも、カルデアの皆さんが私の力になってくれています。ダヴィンチちゃんと技術部の人達の御蔭で、敵を倒す矛を手に入れました。あの人は死ぬしかなかった私を助けてくれて、更に聖剣も防げる盾を与えてくれました。

 居場所をくれた所長の期待に応えないと。

 人間性を教えてくれたドクターを助けないと。

 先輩は……―――マスターは、私だけになっても最期まで、絶対に守り抜かないと”

 

 もはや何も無い左腕を右手で掴む。デミ・サーヴァントである事に関係なく、自分が絶対的に無力な人間だとデモンスレイヤーはマシュに刻み付けた。フランスの特異点で、その想いは更に加速した。鉛を呑んだように体が重くなる絶望感を覚え、悪夢を見る頻度が増えたかもしれない。

 しかし、片腕を奪われた喪失者となり、彼女の右手は左手を補うように業を深める。憑依した英霊の技術だけでなく、マシュは自分自身の技巧を既に持っていた。そして人は他人を真似ることで自分に技術を覚えさせる生き物であり、このカルデアは技巧を鍛える環境として最高だった。

 義手と体術の使い方は―――狼に。

 魔術と知識の使い方は―――ダ・ヴィンチに。

 銃器と機械の使い方は―――オルガマリーに。

 戦術と思考の使い方は―――エミヤに。

 大盾と防御の使い方は―――名も知らない騎士の記録に。

 本当は、オルガマリー・アニムスフィアが考えていることもマシュは察している。また自分が察していることをオルガマリーに悟られているのもマシュは分かっている。これが望まれた在り方で、そう思うように誘導されてもいると。

 だが―――弱者では藤丸立香を守れない。

 これより戦う特異点の敵は、全員が彼女のマスターの死を望んでいる英雄英傑共。

 歴史に名を残すサーヴァントが向ける全ての悪意から護る盾と在る為に、マシュ・キリエライトは今の日常を歩むだけである。








 ミコラーシュはステゴロ最強。あの学派はなんだかんだで、トップがメンシス真拳の使い手で、かなり武闘派なんですよね。ついでに骸人形やらも操れ、ヤハグルのモンスター作成も得意。神秘を求めるのに、遺跡発掘や悪夢での上位者狩りなどで、自然とヤーナムの神秘学者は肉体が発達するのでしょう。個人的には、冒涜アメンをミコはタイマン<素手と秘儀>で倒せる設定。
 それとここのミコはチェコの魔術家系の女当主です。型月とのクロスですので、チェコの人形師をしていたフリーランスの魔術師出身がビルゲン前のミコで、何だかんだ実は子供もいて初代の魔術師になってたりします。
 なので所謂、異世界TS啓蒙転生発狂令嬢モノと言う流行りに乗った主人公的立ち位置にミコちゃんはなってます。ミコラーシュ家の初代当主様は死んでいますが、その意志が何処にあるかはイメージ通りだと思います。
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