それはとても唐突で、だが仕方がない事件でもある。藤丸がまたカルデアと縁を多くの英霊と特異点で結び、冬木で出会った者達と再会した様に、フランスの第一特異点サーヴァントを召喚することに成功していた。
―――縁とは、善悪に関わらない。
つまるところ、人理修復の意志を英霊ならば関係無く、カルデアはサーヴァントとして英霊と契約するシステムを運営している。だから、敵対していた者らもまた召喚されるのが必然。必要なのは、藤丸のサーヴァントとして使役されるのを許すことであり、カルデアの目的に従うか如何かの二点のみ。
―――竜の魔女。真名を、ジャンヌ・ダルク・オルタ。
自らをそう在れかしと許し、聖処女ジャンヌ・ダルクの別側面としてサーヴァント化した者もまた、藤丸立香と契約した者の一人であった。同時に、聖処女も同じく召喚されていた。
藤丸は―――もう本当に、どうすれば良いか全く分からなかった。
二人の結末を特異点で見届けた故に、別々にならそれなりに信頼関係を結べたと思うが、二人揃った状態だと精神が崩壊しそうな重圧感に襲われ、だが皆と契約するマスターとして逃げる事が許されていなかった。清姫が新たにコックとして参加したエミヤ食堂でも、聖女と魔女が揃うと凄い空気になる。
エリザベートとカーミラが揃うとギャグっぽいのに、何故かこの二人は駄目だった。
やはり、ある程度の割り切り合いが必要ではないか、と藤丸は思索する。しかし、啓蒙され過ぎて神秘が高過ぎる脳を持つ所長と違い、彼は思索の次元がまだ低い自覚を持っていた。
となれば、まずは当たってみるのみ。二人の微妙な仲が砕けそうになるならば、彼は自分の身を呈して緩衝材になる覚悟を持っていた。ジャンヌと相談を重ね、何人ものサーヴァントが協力してくれた御蔭で、ある程度の道筋は作れた。
「私には記録がある。カルデアでも見て、記憶を魂から思い返しました。でも……貴女に、私は母と呼ばれる資格はありません。
ですから、その……あれですね、恥ずかしいのです。
私なりに妥協として、貴女からは―――ジャンヌお姉ちゃん、と一人の家族みたいに呼んで貰いたいのです」
結果―――惨劇が、生まれる。
「糞して寝てから寝言はほざきなさい、糞婆」
「
「目がぁぁ……目がッ!!?」
つい生前からの反射行動で、苛つく相手に目潰しをしてしまった。全部、テンション上がると五月蝿いジルがいけなかった。ジャンヌは責任転嫁することを、このカルデアで覚えてしまったのだろう。
「教育が必要ですね。貴女は……そう、これより家族になるのですから」
「ちょっと……アンタ、マジでちょっと―――え、嘘。嘘でしょう……?
こんな
ジル―――ねぇジル、助けて!
ちょっとコイツに効く鎮静剤を早く私に……ッハ!?」
「娘を超えた妹、母を超える姉。これ即ち―――
啓蒙された私の啓示が今この瞬間、光り輝く導きを与えて下さいます。話が通じぬのなら、拳で語れと主は聖者を諭しました。
倫理と道理を違えた天使と人間が……嘗て、互いの拳で認め合ったように。
ならば、想いが異なる妹と姉が理解し合う為に、拳はきっと―――祈りが宿るのでしょう!」
「どんな神様よそれ、絶対違う系統の邪神じゃない!?」
悩みの余り思索し過ぎたジャンヌは、良く分からない事をオルタに告白してしまった。そして、誰が相手だろうと聖女は止まらぬ意志を抱くのだ。まこと傍迷惑な意志だった。
「問答無用!!」
「問答して!?」
「姉パンチ!!」
「当たるか!?」
「姉キック!!」
「殺す気か!?」
「姉ビーム!!」
「何処から!?」
「姉カノン!!」
「大砲狂め!?」
フランスの土地を再現されたVR訓練の中、ジャンヌはジャンヌに追い駆け回されていた。とある水辺の聖女に拳法を学ぶと良いと啓示で思考が啓かれた故に肉体言語を覚えたが、姉ビームは瞳で見てはならない真理を啓いて術理を会得したのだろう。そして大砲は多分、変態技術者が作った兵器の一つをVR訓練に持ち込んだと思われる。
殺しても死なない仮想空間とは言え、ビーム&キャノンが舞う光景―――正に、悪夢。
「良き哉」
「善き哉」
「そう、そうよ……ひゃほう。ふふ、最高じゃない。もっと内角から抉り込むように打つべし、打つべし、仕留めるべし!!
我が弟子、ジャンヌ・ダルク。伝授した拳の教えを今、祈る為に解き放て!!
ふふ、うふふぅふーふふ………このカルデアでついに、後継者を見付けてしまったかもしれないわね。我らがヤコブの拳法を継ぐに相応しい―――次世代聖人の、担い手が!?」
まるで缶ビール片手に格闘技の試合観戦をするおっさんのような、あるいはレディースのような、何とも言えない雰囲気を持つ露出が強めなお姉さん。十字架を模すように首元から下腹部まで肌が見え、胸元が余りにもセクシー。
露出狂ならぬ露出強とでも言うべきかもしれないが、歴とした聖女である。この衣装も英霊としての正装であり、生前とは違ってセンスが死後に爆発したのだろう。
「マルタさん、ステイ。ステイ、モア。ほら、先輩も先輩のサーヴァントなんですから、皆が怪我しないように注意して下さいね」
「弟子の活躍が良いところなのよ、マシュ!」
聖女の名を、マルタ。シャドーボクシングをし、拳を出す度に空気を破裂させ、音よりも早く人を殴るのが得意らしい。そんな聖女は暴れる竜を……多分、きっと、祷りで鎮めたかもしれない英霊の一人であった。
そんなマルタも、実はジャンヌから相談を受けていた一人。しかし、結果的には姉妹喧嘩の役に立って良かったとは言え、ヤコブの闘法は姉なる拳法に深化してしまった。もはや生身で天使を討ち滅ぼす人体理念は、妹を量産する祈りに塗り潰された。
「よかった。良かったよぉ、ジャンヌ。オルタと仲直りが出来てさぁ……マシュ。俺さ、実は不安だったんだよ。何が出来るか、分からなかった。
ジャンヌからも相談されて、だったらこの仮想訓練場で思いの限り、まずは話し合ってみようって」
「犯人、先輩でしたか」
「竜の魔女がオルタとして召喚された時、何でだろうと思ったんだ。でもそれは人理修復をしようと思ってくれたからで、許されない家族との再会はジャンヌの願いでもあった筈。なにか出来れば良いと考えたけど、場所を提案するしか出来なくてね……でも、良いんだ。
俺みたいな奴でもジャンヌにさ、僅かだけどお礼を返せた―――」
「それよりも、私のあの特異点でのトラウマが、それ以上のトラウマで塗り潰されている真っ最中なのですが?」
「―――
「清姫さん、混沌が這い寄ってきますので今は自重して下さい」
「ほほう、でしたら私が一肌脱ぎましょう。家族の記念に、写真を一枚」
「ゲオルギウス、それは良い考えだ。家族との思い出は、残るべき人生の爪痕に違いはない」
「お二人共、それは良い考えだと思う。学の無い私であるが……故に、普通の日常を愛する百姓の一人として、農家の娘だったジャンヌ・ダルクもまた、英雄になる前は一人の平和を生きた娘であるのも良く分かる。ゲオルギウス殿の記念写真は、聖女にとって良き物となることだ」
「フランス竜殺し三人衆……その、あのですね。あんな殺伐とした姉妹喧嘩を見て、和まないで。私、もう本当にどうしたらいいのか分からなくなります」
「マシュ……ふふ、良い事を教えて上げる―――ドント、シンクよ!!」
「エリザベートさん……―――いえ、このエリちゃん」
「エリちゃん!?」
「このエリマキドラ娘。何も考えるな何てマシュに言ったら、誰がこの混沌を鎮めると思っているのですか?」
「清姫、あんた……―――何気に、かなり酷い事を言ってるわよ?」
「
マシュ・キリエライトは、心が折れてしまった。膝を折り、地面にへたり込んでしまう。何がなんだか分からない。現実が悪夢に侵食される。
「マシュ、しっかり。私たちが付いてるわ」
「マリーさん、デオンさん。シャルルさんに、アマデウス仮面」
「おい、マシュ。何でボクだけ仮面なんだい?」
「ふふふ、挫けてはいけないわ。楽しいことは皆で倍にして、苦しいことは別け合いましょう」
「―――無視かい?
でも、そうだぁ……むしろ、ボクは逆だぜ。愉しいことは独り占め、厄介事は他人に押し付ける。人生とは、斯く在るべきだと思うんだ」
「さぁ、マシュ。音楽に魂を売った人間の屑になる悪い話は忘れて、わたしと共に皆を助けましょう?」
「はい、はい……マリーさん!」
「あれ、聞いてるじゃん?」
「そうよ、アマデウス仮面。なので、皆の気持ちを落ち着かせるような、素敵な貴方の曲が聴きたいわね」
「おいおい、マリア。男の見栄と恋心を利用するなんて、あぁ……とても悪い大人の女になってしまったんだね。
だが―――凄く良い。
なので趣味の合う同志デオン、君の蠱惑的な躍りに合わせて、ボクはこのバカ騒ぎに相応しい唄を送ろうか!」
「……は? 私もか?」
「駄目かい?」
「そうね……デオンの舞いは剣の美。
戦いのためのものだもの、仕方ないわね。でも、アマデウスとコラボレーションした美しい白百合の可憐な姿、見てみたかったわ」
「マリー様の願いであれば、勿論です……―――良し。合わせろよ、アマデウス仮面」
「チョロいなぁ……ははは!
ならば皆の者、即興アレンジ曲に聞き惚れると良いさ――俺の尻をレクイエム、始めるぜ!!」
「最悪のミックスじゃないか!?」
実はアマデウスの曲が密かに好きな処刑人の雄叫びが、空しくVR訓練場に響き渡っていた。
「…………」
と、少し前の出来事を仏頂面でマシュは思い返していた。今の状況は、あのドタバタ劇が主な原因であった。居合わせたのが不幸だったかもしれない、とマシュらしくなく現実逃避をしている最中。
場所はカルデアで最もホットな施設―――食堂。
趣味に没頭するエミヤが新作料理を開発する度に話題となり、新たな料理の食材を栽培される度にカルデアの職員と英霊がどんな料理が作られるのか楽しみにする日々の癒しスペースでもあった。
「良いかしら、マシュ。貴女はカルデア職員であり、且つデミ・サーヴァント。更に、藤丸と契約した一番最初のサーヴァント。
……ええ。確かに、特異点での活動が主だわ。
貴女が藤丸と共にいなければ、特異点の攻略は不可能であり、貴女以上の盾もいない。その仕事は、職員としも、サーヴァントとしても、全くもって素晴らしい成果と言えます」
そんなマシュの正面に座っているのがカルデアの責任者、オルガマリー所長。勤務中は基本的に誰にも平等に接し、マシュにも一職員と接するが、どうも子供扱いする過保護な部分がある人でもあった。
「はい、所長……」
「けれど、今回のようば馬鹿騒ぎを止めるには……そうね。サーヴァントの力も、今後もずっと必要になるでしょう」
「……そうですね」
「でもね、今のカルデアは人材不足。本当はマスターが一人一人が契約したサーヴァントと共にいて、ある意味で倫理的な抑止力でもあるわけだったのよ。
でも、今はそうじゃない。本当なら契約した藤丸がするべきかもしれないけど、召喚した全員の面倒を看るなんて絶体に不可能。と言うより、奴は英霊のノリに付いていけるコミュ猛者。サーヴァントと信頼関係を結ぶのが、特異点攻略の次にすべき職務なので、上手くやってる職員に文句とかひとつも言えないの。
だったらせめて、その場に貴女がいる時くらいは、雰囲気の制御をマシュにも頑張って欲しい訳なの」
「はい」
「分かってるわよね?」
「はい……―――絶体に、無理です!」
「お願いだから、マシュがしなさい!」
「私の器量で、皆を止められる訳がないじゃないですか……」
「でも、でもね……じゃないと、私が面倒見ないといけなくなるのよ?
サーヴァントにも有効な風紀組織が必要で、だけどそこの取り締まり顧問はカルデアの職員がしないといけないの。技術部の顧問は契約者がいないから例外に出来たけど、マスターと契約したサーヴァントを顧問にすると、マスターに権力集中が起きて組織的に不健全になってしまうもの」
「嫌です、ノー。絶対にノウ」
「手当て付けるわ」
「では、他の職員に頼んで下さい」
「英霊なんて、全人類史吃驚仰天超人衆なのよ。マシュ以外の職員は無理です」
「技術部の変態に、仕事を兼任させれば良いじゃないですか?」
「コジマ粒子とか、魔法少女因子とか……風紀違反者は未知のエーテルもどきで多分、霊基が改竄されてしまうでしょう」
「そもそも私も、先輩のサーヴァントなのですが?」
「魔術的な契約上はそうだけど、雇用契約としてマシュは一般雇用もされてる職員なので大丈夫です」
「初めて知ったんですけど?」
「あぁ……うん。ええ、その点はあれの娘として謝るわ。パピーじゃない糞親父ムーブをしてましたからね。マシュにならパピーの墓に、エルキドゥみたいに獣の臓物を投げるのも許して上げます」
「成る程……はい。確かに、そうですね。
恩人の所長が、そこまで追い詰められているなら―――でもノゥ、絶対にNO!」
「カルデアのサーヴァントにとって、マシュが一番先輩の古株なのよ!?」
「私の柄ではありませんね。他にもっと適任の人がいますし……きっと、その人も風紀組織に入るんでしょう?」
視線を所長から逸らしつつ、マシュはばつが悪そうな表情を浮かべている。
「――――何よ。ばれていたの?」
「分かりますよ、その位……―――はぁ。確かに、彼女を避けていた私が悪いですし、責任もあります」
自分の目を見て話さず、いじけた歳相応の少女のような反応をするマシュに、所長は此処まで人間味を与えた藤丸や他のサーヴァントには感謝しかない。カルデアにいた職員だけでは不可能だったことだ。世間一般的な倫理観の実感や、世界を生きる実感も、やっと追い付いてきたのだろう。
だから、出来る仕事であるにも関わらず―――拒否したいなら、断りたい。
上司の命令に機械的な反応をするだけではなく、自分で考えて、自分の想いを吐き出す感情。
「ですので、所長が絶対に必要でやって欲しいのなら……私も、断ることはしません。カルデアにとって有意義な職務ですし、それはきっと私の人生にも必要な経験だとも思います。
だけど私はどんな顔で……―――ジャンヌさんと、話せば良いと思っているのですか?」
「棚上げしなさい」
「はぁ! 所長! 貴女ってば何をそんな―――自分でも出来ない癖に!?」
だがしかし、所長にそんな常識は通じなかった。諸々を全て棚上げして、もう荒療治でも良いから、治れば万事が無事に万全だと言わんばかりに断言する。
「良いから、話しなさい! 棚上げよ、棚上げ!」
「取って付けたような良い話をして、実は本気で私に風紀顧問を押し付けたいだけじゃないですか!?」
「嫌がる部下を説得し、どうにか責任感を覚えさせるのも上司の役目です。
それにあの光景を見てみなさい……ほら、もう私だってもうカルデア所長辞めよっかなって位の精神的外傷になったのに、やっとこさトラウマから意志を立ち上げたら、藤丸が速攻でコミュ力が爆発。爆速であの光景よ」
視界に入らない様にしていたのに、マシュは所長の言葉で見ざるを得なくなった。
「良いですか、オルタ。好き嫌いはいけません。肉ばかりではなく、野菜も食べないとちゃんとした大人になれませんからね」
「神託を受けた聖職者みたいな顔で、そう言う家庭的染みた事を私に言うな」
「オルタ……貴女は、それでも農家の娘ですか?
食材は様々な農家の人が自分の農場で生命を人の為に育て、それらは人が生きる為の生きる糧なのですからね。その大切さを決して忘れてはいけません」
「その記録は私の魂にあるけど、実際にしてた訳じゃありませんし……」
「口応えしてはいけません。さぁ、食前のお祈りを……それが嫌なら、マスターの国の文化で良いので、いただきますと唱えなさい」
「やれやれ……ちょっと良いかしら、本当に。
まぁ確かにね、私の魂は聖処女ジャンヌ・ダルクの別側面として、貴女の霊基を間借りする形で現界しました。ですので貴女と言う存在に対して、ある程度の感謝の念を覚えてやっても良いです。地獄だった悪夢の中じゃ、こう言う人の営みに触れることなく、永劫を血塗れた古都で彷徨っていたことしょう。
カルデアに召喚されたのは貴女と言う触媒の楔があり、マスターとも縁が有ったから。
だけど、だけどね……ジャンヌ・ダルクである貴女に―――教育ママされる謂われなんて、私には欠片もないのよ」
「いけませんね。もうこの子ったら、反抗期なのね?」
「ふぁー―――ああ言えば、こう言う!」
「我が儘な妹を持つと、まるで子育てをしている気分になります」
「突っ込みし難いことを言ってくれますね。私の立場が迷子です」
「あらあら、うふふ」
「ムカツク……なんなの、マジなんなの?」
「しかし、私が言うのもあれですが、あんなに捻くれていた貴女が随分と取っ付き易い雰囲気になりましたね。
カルデアに召喚される前、なにがあったのですか?」
「はぁ? ……別に、何も」
魔女はあのポエム蛞蝓と会話を繰り返していた為、実は凄まじく辛抱強いタイプの聞き手になっている。人のボケに対して突っ込む技術も覚えてしまっている。きっとあの狩人はジャンヌに必要になるからと啓蒙されし蛞蝓詩人になっていた、のかもしれない。
―――等と言う、悲劇的トラウマが迷子になる微笑ましい家族の触れ合い。それが所長とマシュがいる席から離れたスペースで行われていた。
「ほら、気にしてると思考が低次元になるわよ?」
「先輩、先輩……心が折れそうです。
あの裏切り者のアッシュ・ワンが言ってた通り、死んだ人の魂は巡るものだったんですね……いえ、それでもあの人のことは許せないのですが。それにカルデアのジャンヌさんは所長の魔術とカルデアの技術によって記憶を奇跡的に魂から夢見ただけで、あのジャンヌさんは人間として死んで魂は英霊の座に逝っている訳ですから……フランスのジャンヌさんとは別人で……でも記録そのものは決して魂から消えずに、記憶にならないだけで座に有る訳でして……あぁぁぁああああああああ!!
―――私は一体、どう接したら!?」
「頭を抱えていても、解決方法は啓かれないの。さぁマシュ、全てを受け入れて、その意志を手放しなさい……っ―――あ。やっぱ凄いわね、あいつ。
良くあんなアネ・トランス・フィールド、略してATフィールドを突破出来るのよ?」
「嘘……先輩が?」
頭を上げたマシュの視線の先、そこには聖女と魔女に話し掛けるマスターの姿があった。二人に発破を掛けて訓練場での惨劇を起こした張本人であるが、その自覚を持ちつつも、ちゃんとアフターケアに向かうので人格が出来過ぎていて所長は、ちょっとではなく大いに藤丸が怖かった。人間強度が負けているかもしれない。
そして普段は真っ当な聖人君子の人格者なのに、ジャンヌ・オルタ限定で深淵を啓蒙されたジャンヌと今のカルデアで渡り合えるのは彼だけだった。所長は狂気を外側に排出する為に瀉血したくなると言うのに、彼は何一つ気にしない男だった。
「やぁ、ジャンヌちゃん」
「ジャンヌちゃん?」
「マスター、藤丸立香。何て素晴らしい呼び方ですか。オルタと妹を呼ぶのは、何処か味気なくていけませんでした。あの子を呼ぶのに良いですね……ふふ。なるほど、ジャンヌちゃんですか」
「やめろ、来るな。アンタまで来ると、この頭の可笑しい聖女様がもっと暴走するのよ……?」
「ジャンヌにそんな事を言うのは酷いと思うな、ジャンヌちゃん」
「ヒェッ……鳥肌、気持ちワル。ちゃん付けするな」
「まぁまぁ、俺もサーヴァントと契約したマスターだからさ。生前に確執があって、当事者同士が今の関係に納得して距離感を計っているのなら何も言うつもりはないけど……ジャンヌとオルタはさ、そう言うのとは違う訳じゃない?
出来れば、目的も一緒だからカルデアに召喚された訳だし、家族仲良くして貰いたいって思うんだ」
「真っ当な事を言っているようだけど……そいつ、私を妹扱いして距離詰めて来てるのよ?」
「確かに。オルタの気持ちも分かる。それはそれで複雑な娘心と言うヤツだ。俺もね、家族との関係は色々と大変だった」
意味が深そうに言っているが、別に藤丸は複雑な家庭環境ではない。大変と言っても、人理焼却で今は会えなくなっていると言うだけで、それを相手に誤解されるような言い回しをしているだけに過ぎなかった。嘘を吐くと嘘吐き警察のドラ娘がいるので、藤丸は自然とこう言う隠し事を上手くする処世術を身に付けている。
「…………………アンタも、そうなのね」
「うん。ジャンヌ・オルタ」
〝チョロいなぁ……”
だがしかし、藤丸は自分のコミュニケーション技術を自覚していた。相手が英霊なので例外は多いが、人の気持ちが分かることに関しては余り例外はない。尤も最初から藤丸を騙そうとしたり、裏切ろうと考えていたりと、表情と仕草や言葉が虚偽で装われている場合は例外となってしまうが。重要なのは、その相手がそれなりに藤丸と関わり合いになろうと考えて、素の部分を僅かでも見せてくれる所にある。
良い様にマスターの話術で踊らされるもう一人の自分に、ジャンヌはただただ微笑んでいる。
〝私の赤ん……じゃなく、もう終わった過去。あの記録とは決別すべきだとしても、でも私はあの私の思いを忘れたくない。きっと、燃やして良い絶望じゃない。
竜になった彼との思い出と同じで、死後だからって忘れられません。
出来ればジャンヌとして―――聖女を継いで、カルデアで私は存在し続けたい"
召喚された時、生前の記憶は人理のままで――だが、サーヴァントとして、人間の自分に憑依した記録は残っていた。そして、カルデアに記録された特異点解決までの情報。
――取り戻さないといけない。恐らくは割り切るべきだと分かっていても、カルデアには彼女の為に戦った魔女が来る可能性があった。その啓示をジャンヌは、召喚された日に夢で見ていた。
自分の答えを得たジャンヌに迷いはない。僅かでも魂に残った記録と、そもそも座から英雄も言う死者の情報を召喚する技術を考えれば、絶体に不可能ではない。何よりも、オルガマリーとその組織の技術力があれは可能だと啓示されていた。
〝あれは良からぬ者の血でしたが……―――構いません。
私の魂は夢を見て、意志を取り戻しました。悪夢を見たとしても、これで良かったのです”
獣性は獰猛で、人間性は狂気的で、啓蒙された悪夢は安らかだった。血は流れ、鎮静剤が啓示を鎮め、だがサーヴァントと呼べる心身から逸脱してしまった。
〝受け入れたこと。カルデアは―――……まぁ、今は大丈夫でしょう。オルガマリーの組織ですから、狂った叡智の技術も健全に応用されているようですし、変態共も飼い馴らされ、ダ・ヴィンチ顧問が統率を取ってます。
なので今の問題は彼女が赤子ではなく、復讐者に堕ちた竜の魔女であり、英霊ジャンヌ・ダルクの別側面と言う歪んだ霊基。なので、ケジメとして彼女を家族として付き合う為に妹にしようと思ったのですが……いやはや、こうも回りを巻きこんでしまうとは。
ですが、我が啓示がこのまま突き進めと途を照らしています。
面倒な彼女の警戒心を取っ払う為に、英霊でも村娘でもない臨界まで意志が弾けた素の私を結構見せたのですが、それが返ってアレな結果になってしまいましたね”
何気にチョロい自分の妹(予定)の姿を見ても、ジャンヌは全く冷静だった。家族として妹が欲しい感情で自分を擬似的に発狂させただけで、それ自体は別に抑えられる個人的なお祭りを愉しむ在り方でしかない。
「そうなのですか。ま、家族関係で悩むのは特別な事じゃないもの。だから私の葛藤も……偽りだとしても、互いに生きている今なら、何時かは晴れるのかもしれないわね」
「向き合い続ければ、きっと」
「あっそ……ったく。アンタってやっぱり誑しの才能あるわね。何時か自分がカルデアに召喚した女の英雄に、餌ばっか与えて放置してると後ろから刺されるわね」
「立香。それに関しては、私の方からもノーコメントで。ですが、貴方に関心を持つ女性の事はしっかりと考え続けて下さいね?」
「え―――――」
「勿論……それは、オルタのことも。
まさかとは思いますが、可愛らしいからと愚かな好奇で……あの子の頑なに閉じられた心を、僅かとは言え開いたと言う訳では―――有りませんよね?」
家族が誰に関心を持っているのか。それが分からないジャンヌではなく、藤丸は大なり小なり、人に好かれ易い好青年だ。英雄のような精神も能力もないが、世界を焼く獣に立ち向かう意志を持った一人の人間。
そしてサーヴァントは、契約を結んだマスターの人間性に直接触れることにもなる。生前や死後にも恋愛と関わり合いがなかった少女がサーヴァントとなれば、第一印象でどんな感情を持つか、ジャンヌは啓示が下るまでもなく分かる。恋愛感情などはなかろうが、悪い気持ちにはならないことだろう。
「――――――――っ……」
シクジッタ。そう思うだけで藤丸は精一杯だった。竜の魔女は知識や知恵を持っていて頭が良く、だが性格が純粋で正直なところチョロいと考えていたのに、カルデアを爆破する核クラスの地雷が自分の直ぐ隣に存在していることを彼は今日初めて実感出来た。
「……も、勿論ですよ。そんな人の心を漁る最低な事を、契約してくれたカルデアの恩人にする訳ないじゃないですか。
死体漁りと同じくらい駄目なことですって、聖女様。ホント、ホント!」
「そうですか……―――ええ、そうですよね」
藤丸はこの時、初めて自分の運命を悟ることが出来た。悩みを解決する為に所長からアドバイスを貰い、それを基にサーヴァントの人柄を良く察し、運命共同体として過不足なく戦い抜けるように日常生活を送り、信頼関係を築いてきた。だが、努力し過ぎた故に此処から先は危険地帯。もはや後戻りは出来ない。例え、また新たな縁を結んで召喚したサーヴァントであろうと、マスターとして新しいサーヴァントだからと古株と差別することも許されない。
これから先の生活、選択肢を間違えるだけで―――死。即ち、滅び。あるいは、絶望だった。
同時に、恐らくは全てオルガマリーの企みだったのではと予感してしまう。あの頭が良過ぎる所長が、藤丸がそう接し続ければ、サーヴァントに好かれない訳がないことも理解していた筈。
「…………」
「ねぇってばマスター……貴方、聞いていまして?」
「……あ、うん。どうしたのさ、オルタ?」
「ちょっとね、風の噂で聞いたんだけど。マスターちゃんって―――巨根の童貞、なんだって?」
瞬間、藤丸立香は男子トイレでの会話が脳内で甦る。
「―――ムニエェェェエルッッ!!!」
「テラヤバす―――!?」
食堂からダッシュで飛び出したカルデア職員を仕留める為、藤丸は席から跳び上がって下手人に向かって疾走を開始した。この時ほど、彼は所長から受けた厳しい強化魔術の訓練に感謝したことはなかったとか。
「貴方は欠片も悪くないわ、藤丸立香。
でもね、最も欲したコミュ力と言う対人技術に優れた……貴方の、その無二の才能が悪いのよ」
「所長、最低です」
「これからサーヴァントを引っ張って戦う男。この程度の修羅場、彼にとって普通の日常になるわ」
「それでは………ッハ、まさか。所長、そこまで外道に!?」
「ふふふふふ……さてはて。まぁでも藤丸の心を守るのに、サーヴァントらの生活は現代倫理に基づく風紀が必要。そして、カルデアに重要な正しい風紀的雰囲気作りに必要とされるのは、そもそもカルデアの空気を知る昔からの職員であり、且つ様々なサーヴァントを説得できる能力と人徳がある者。
即ち、誰が風紀部門の顧問に相応しいのか――マシュ、分からない貴女ではないでしょうに」
「何処まで堕ちれば気が済むのですか、所長」
「超越的思索により、深淵へ辿り着いただけ」
しかし、マシュにとって不利益な情報ばかりではない。出所不明ではあったが、マスターが巨根の童貞と言うハイスクールの噂話並に、思考の次元が低過ぎる話が流れていることを彼女は知っていた。それも今回の事件で凡そ事実だろうことを、マスターのリアクションで察することが出来る。
血の匂いを嗅ぎ付けた獣になれる朗報だった。
マシュは最近、自分が女である事を自覚しつつある自分の精神に驚いていた。
清姫がマスターと接触的コミュニケーションを取るのを見て、今まで味わったことのない嫉妬の感情を思い浮かべていた事実に衝撃を受け、だがジャンヌとの関わり合いにも悩んでおり、色々とマシュはマシュで今はパンク状態だ。
「―――だそうですよ、マシュ」
「ぅ……ぁ――ぁ、あの……ジャンヌ、さん?」
「悩み事ですか……―――って、私が言うのも白々しいですよね?」
ご飯を食べ終えて、オルタはVR訓練で鎌を振り回したいと食堂を既に出て行っていた。所長と向き合っていたマシュであったが、深く悩み過ぎていた所為で、隣の席にジャンヌが座っていたことにも気が付かなかった。
「おっと、私はお邪魔虫。後は若い娘のお二人さんに任せまるのが一番ね」
歴戦の狩人らしく、無駄にキレのある格好良い仕草でジャンヌに右腕を軽く上げ、確かな意志を示した。それを見たジャンヌは所長の思考を啓示するまでもなく理解し、自分をさり気なく避けていたマシュを捕まえる事にも成功した。
〝やれやれ……―――んー、所長をするのも難しい。と言うか、こう言う心理面のサポートってロマニの仕事ですし、マシュの精神医療もあいつの仕事じゃない?
なんで私が部下の仕事をしてるんだか……はぁ―――いや、私が仕事を奪っただけか。ま、あいつ忙しいし、出来るから別に良いけど。こんなんだから、ついつい頑張って部下を助けるお人よしだ何て、馬鹿げたイメージを職員に抱かれちゃうのね”
後はもう、自分が何もしなくても上手くいく。所長はそう思い、食堂を去って行った。背後から話し声も聞こえ、ジャンヌとマシュはしっかり話し合い、ついでにマシュを風紀顧問にすることも出来る。また同じ作業と共に行う仕事仲間になれば、特別な意識をより深めることも出来るだろう。
ならば、見守る必要もない。と言うより、そこまで悪趣味ではない。他のサーヴァントや職員も、そんな食堂の空気を読んで出て行っている程だった。食堂の主であるエミヤなど気配を遮断し、さり気なく二人分の紅茶を置いて厨房へと直ぐに戻っていた。
「あっはっはっはっはっはははははははははははははははは――――!!
誰も彼もが人間性に相応しい意志を持つ事が許され、善良なる人が大勢いる組織か……おぉ、実に悪夢的おぞましさ。まるで運命を嗤う類の者共が、何故か狙われるように丁度良く、獣の下僕に爆殺されてしまったようではないか?
オルガマリー所長、我が救世主。そして、狩人の弟子にして後継者!
悪夢的絶望に自害しか残されなかった我が人生……けれど、けれどね、そなたは私を意志が眠る悪夢の主と邂逅させて頂けた」
「テンション高いわね、ミコラーシュ。少しだけ気色悪いわよ。
それに昔のことを舞台役者みたいに言うなんて……なに、血の酒にでも酔って、昔でも思い出してるの?」
「是であり、否でもある。悪夢に時間は関係なく、私が貴女に感じる恩義もまた薄れない意志である。そして、獣から作られた血の酒に酔う等と、思考の次元が低過ぎるだろう?」
「あっそ。だったら、奴らの白くべたつくので割った蜂蜜酒も要らないのね?」
「なんだと……ッ―――ク、是非とも頂きたい。偶には脳液で頭蓋骨の中を満たしたくてね」
「マシュの義手の褒美。良い仕事だった……――ふん、顧問の言葉はちゃんと聞きなさいよ」
「当然だとも。とは言え、我が頭蓋に住まう主の気分次第ではあるのだが」
ニタニタと嗤う少女――ミコラーシュは、所長が虚空より酒瓶を出したのも気にせず、それを嬉し気に受け取っていた。
「難儀よね。でもだからこそ、人形遣いの業は問題なく子孫にも受け継がれている。悪夢で意志が死んだと思ってたけど、まさか自分の子供に隔離した悪夢を魔術刻印へ通じさせ、仕込んで置くなんて。流石とでも言っておくべきかしら、メンシス学派の支配者。
それともカルデアの職員として、ちゃんと貴女の名前を呼びましょうか?」
「要らぬよ。もはや無意味な徴であるのだから……あはははは、何よりこれもまた本名。私はミコラーシュ家の女当主であるのも現実だからね。悪夢の主は確かに、狩人に狩られて意志が終わり、現実の体も死んでいる。
彼はもう、彼の血と意志が継がれた赤子達の悪夢にしか居場所がないだけ。でも人間は上位者と違って便利な生き物だよ。男が女に遭い、女が男と逢い、さすれば直ぐに赤子が作れるのだから。
……けれどね、彼の意志は血が足りぬ。
私は邂逅したミコラーシュとなって意志を永らえさせ、幸運な事に完全なる悪夢の主に輪廻することもなし」
薬物中毒者が貪るように、所長の蜂蜜酒を少女が飲んでいる。周りを気にせず、呑んでいる。啓蒙無き者では、少女の真なる姿も行動も現実として認識することは出来ないのだろう。学派の知識を利用することでミコラーシュは特殊な認識阻害の暗示を開発し、それを自分や周囲にも構わず使っていた。何より、この少女がカルデアに必要だからと所長も血液由来の神秘で職員を啓蒙する気もなく、安全な生活を送れるように配慮を怠らず、神秘学者である変態技術者共にも怠らせなかった。
特異点での映像も見ているので今更だが、モニターには所長開発の魔術安全弁が施されている。神性が無理矢理にでもカルデアに狂気汚染でもしない限り、職員が発狂することもない。
「それはそうと貴女たち……勝手に外で交信して、マシュを啓蒙させようとしたわね?」
「学徒の性だよ。悪夢の神秘は元より、異界の知識は外側に求めなければならない」
「―――契約は、契約よ?
私がカルデアから消滅したとしても、期間まで約束は守って貰うわ」
「勿論だとも。我が意志に誓って、ね」
所長の言葉を聞いた少女は返答した後、プハァーとアルコール臭い息を吐き出した。
「神性が敵になった場合に備え、マシュの脳髄は私が慣らしてるから……まぁ、別に良いけどね」
そんな所長を胡乱気に見る少女は、だが確かな動作で歩み、食堂の入口から離れたベンチに座る。腰を落ち着かせ、隣の席を可愛らしい手でトントンと叩くことで、所長が自分の隣に座る様に促している。それを見た彼女は溜め息を一回だけ吐き、少女に逆らわずにベンチに腰を下ろす。
「私は君を、学友だと思っている……本当にな。御先祖様の記録の中にも、ビルゲンワースの学友と思索と実験を共に繰り返した良き日常と、冒涜的所業の日々が残されている。何よりも、思考の始まりとなった尊敬すべきウィレーム学長。
私は私で魔術協会の時計塔を叩いたが、あそこに革新も核心もなかった。ローレンスを継いだ者が移民し、新大陸で啓いたニューヤーナムこそ私の居場所でもあったが……まぁ、あそこは聖血と獣血の業が主だ。古きを知識とし、新しきを探索する故に、上位者は形骸化してもいた。悪夢とも繋がってはいたもののヤーナムほどに侵食されず、故に学び舎の二の舞になることもなく、医療教会やメンシス学派のような学徒の暴走が起こることもないだろう」
白い血の酒に酔うのか、笑顔を保って実に饒舌。
「だから君はアン・ディールのように、私が裏切るかもとしれないと思っているのだろう?」
「正解。そもそもビルゲンワースの学徒は裏切り者。思考の敗北者。学長の思索を棄て、自分の思索に嵌り、やがて人を失った奴らしかいないんだもの」
「あっはっははははははははは……うーむ、手厳しい」
「止められなくても、裏切るなら殺す。悪夢に逃げても、肉体から逃げた意志を必ず狩るわ」
そして、所長は血の酒を飲んだ。豊潤な人血が醸した酔いであり、虫が血液中から湧く快楽に身が震え、獣性が昂るのを実感する。医療教会の聖歌隊が星の娘と呼び、輸血液に混ぜた上位者の血液の元でもあり、ヤーナムの血酒は星の娘と人血による地酒であった。
星の娘、エーブリエタース―――意味を、酩酊。
名付けた神秘学者は彼女の血でヤーナムが中毒に陥り、酩酊の果てに悪夢へ寝入ることも分かっていたのかもしれない。
「はぁ……困るわね。獣狩り、狩人狩り、上位者狩り、どれか何て選べない」
血腥い息を吐き出し、隣の少女まで顔が赤くなってしまう。
「ホームのカルデアで血に酔うとは……所長、お疲れと見える。狩人に相応しく、故に魔術師らしくない姿だよ」
「そうね。でも、あの裏切り者が裏切るのも分かるのよ……」
「うむ。私も分かるぞ……まことに、羨ましい。あれほどの意思の持ち主、きっと神秘の業も素晴らしく、思う儘に存在している灰なのだろう」
「……不死狩りと洒落混むのも、別に悪くない。本心からね」
貰った酒を飲み、相手も呑んで酔う。となれば、肴に愚痴を聞くのも悪くない。何より、所長の声は悪夢的に聞き心地が滑らかだ。何時までも聞いていたい。オルガマリーの言葉と仕草は、何処か人を狂わせる妖しさが含まれている。
「だけど、殺し切る方法がない。それは向こうも同じなんだろうけど」
「我が意志も死を超越し、肉体の蘇生も可能となるも、君らのような蘇りは出来ないからね。
殺される時、生きようとする意思を奪われれば、あるいは魂そのものを貪り尽くされれば、君らのようには蘇生はできぬ。魂を焼き尽くされても、転生を否定されても、存在の死を穿たれても、不死を断たれたとしても……君らは死して甦り、半端な私は死ねる手段を抱いたままだ」
「正直、世界の外側……根源にでも落とすしか無さそうだけど、それが出来れば魔術師は苦労しません」
「あるいは、向こう側の叡智を全て学ぶかもしれない。そうなれば、新たなる宇宙さえも彼女は魂で描くことだろう」
「人理焼却どこの話じゃなくなるし、誰もどうにも出来なくなるものね。
観測して、法則を私やあいつは知ってるだけで、法則そのものを根源から自在に生み出せる訳でもないけど、それが不可能がどうか知ることもまた不可能」
「とは言え、何万何億年の歳月がいることだ……恐らくは、だが。それに何より、その手の妄想はあの女の趣味ではないよ」
「カルデアで……いや、私で遊ぶ気か」
「だろうなぁ……くく。冠位も良いが、所詮はそこ止まり。冠に至り、死していても尚、魂を更に進化して強くなり、今を生きる人間として前へ進む個体がいれば別だが」
「獣に過ぎない人類悪じゃ、彼女が欲する人間の果ての業を抱かないでしょうし……はぁ、辛い。何度も殺し合って飽きないのは、私みたいな奴ってことかもね」
「マシュも良さそうだが?」
「それなら魔女の赤子の方が好きそうよ。あのサーヴァント、意志が生きてるから成長する。多分だけど、あいつは魔女の赤子を、あの悪夢に態と逃がしたんだろうし」
「けれど、そもそもあの灰は……あぁ、根本的にだが人理焼却など、火を持つ炉ならば阻止するのも容易い偉業だろう」
「あいつの炉は啓蒙されたから、確かに火を加味すると人理修復をサクっと出来そうだけど。特異点なんて、アッシュをレイシフトして送り込めば、即座で世界を焼いて、聖杯もあっさり手に入るでしょうし」
「んー……少し、思索が足りんよ。そもそも君の父親がカルデアに誘っていなければ……つまり、人理焼却に巻き込まれていればどうだったかな?」
「―――――あ”……いや、いやいや……いやいやいや!
まさか、そもそも殺し返しに直で元凶がいる世界に殴り込んで、肉柱も獣も薪に変えて、カルデアがレイシフトしなくても人理が即行で修復されていた……とか?」
慈悲無く、ミコラーシュは頷いた。カルデアが転移先である冬木を探索している間に、何かもかも終わっていたことだろう。
「可能性の未来を、しかと啓蒙されたようで。だがAチームとなり、出会いを得て、獣に諭されてしまったようだ。恐らくは、人理を見守り続けることで得られる人の業と等価……あるいは、世界をより容易く超える神秘にでも邂逅したのだろう。
前所長は良い人材を見出したが、元より奴は人理に手を出す気はなかった筈。
むしろ、カルデアと出会わなければ……此処の代わりに、業の理想郷である人の世を自分の為に守護していたのかもしれん」
「あのクソオヤジ……」
本当に、本気で、オルガマリーは意志ごと肉体が脱力した。脳が真っ白になり、思考が一瞬だけ完全停止する。天上を瞳で通した夜空の彼方にて所長は、自分の父親が歯を光らせてグッドラックと親指を出しながら娘を応援する姿を幻視した。悪夢にも程がある。
「……はぁ、成る程。結局、親子揃って失敗した訳ね」
「あはははっふはははははは―――ッ!
なのでヤツの対策はアニムスフィアに任せよう。魔人に手を出した責務でもある」
「はぁー……良く言う。自分の思索以外、一片でも思考するのを厭う癖に」
「仕方がないことだ。悪夢を見るには、瞳を求めねばならんのだよ」
オルガマリーが所長に就任した後、つまりはマリスビリーの計画外の人材として集めた一人。封印指定にして人形師、そして悪夢を瞳で見詰める神秘学者。
即ち、学術者―――ミコラーシュ。
真っ当な魔術師の少女だった筈だが、自分の本名が意志から消え、だが悪夢の主には至れない狂人。しかし、技術は積み重なり、思考は悪夢の主に届かずとも、その神秘なる秘儀の研鑽は裏切らず。
「ではな、所長。思索を怠ることなかれ」
「ええ。研究も良いけど、カルデアの規律を重んじなさい。でも我らの脳が見る夢は縛られず、貴女にどうか善き悪夢が啓蒙されることを願います」
「分かっているさ……あぁ、当然だともね」
過ぎ去る部下を見つつ、狂気を御するのは難しいと判断。果たして、恩義と契約で何処まで飼い殺すことだ出来るのか。
忍びは一人、そんな所長と狂人の語り合いを見守っていた。
「主殿……あやつは、狂い仔。やがて人を辞めますれば……恐らくは、意志も邪なる魔と変じるかと」
「大丈夫よ。ここは月の香りがする私の工房。白い使者のフローラが、現実も、悪夢も……問題なく、その瞳で観測していますから。
……でも隻狼、あれに危険な兆候があれば対処してね。安心はしたら駄目な女ですので」
「御意の儘に……それと、すみませぬ。使者とは、此処で稀に見る小さな者のことで?」
「あー……―――うん。そうよ、説明してなかったっけ?」
所長にとって傍にいて当たり前な夢の住人。そして、悪夢と狩人達の
「……は」
「じゃあ、ごめんなさい。貴方が見えてるのを知ってたから、何だかもう説明した気になっててね」
「構いませぬ」
「ふふふ。本当、隻狼は隻狼ね」
「は……」
消える忍びは、所長に言われた仕事を全うすべく目的へと進む。どうやら藤丸に召喚された魔女の狩人に興味があり、戦闘訓練はなるべく付き合うようにと命じられていた。
何処で覚えたのか忍びは知らないが、魔女の曲刀と鎌の狩り捌きは中々の業。黒い炎を纏う独特な戦闘理論は殺し合いの相手に宜しく、相手を殺せる仮想空間での鍛錬は、新たに召喚されたサーヴァント達も考えるとより良く賑わっていた。
しかし―――修羅の狂い火が、湧くのも必定。
所長に召喚されたカルデアでの毎日はとても穏やかであったが、レイシフトが始まってからは怨嗟の火が燻って仕方がない。
〝……だが、もはや呑み干した業だ”
油断も慢心も有り得ず、だが忍びの滅私は戦場の怨嗟を背負う意志である。仏師から託されたこの義手を、私利のままに私欲を満たし、貪欲な殺戮者となる為に使うなど赦されず、御子から再び渡された楔丸を振る度に、義父から教わった僅かな慈悲を以って命を殺める心得が甦る。これからも彼は慈悲なく人を殺すことはないだろう。
オルガマリーに仕える者として、今生も生前と変わらず―――為すべき事を、為すまで。
〝人理と、アニムスフィアの使命。
今でも全然興味ないけど、カルデアは好きだしなぁ……”
取り敢えず、命を賭して頑張ろうと思える理由はそれしかない。自分の為になら幾度でも死ねるが、誰かの為に死ぬ気などなく、だから所長はカルデアが滅びる未来を自分自身が許せないから戦うのだろう。
何よりも、私利私欲の為に在るべき狩人の業。それを人の為に使う矛盾。
だがカルデアに狩られたいと獣が喚くなら、獲物を前に狩人が黙っている訳にもいかないだろう。
「………………」
酔いなど、獣性を拒むだけで直ぐに覚める。狩人の思考とは、現実に干渉する悪夢の神秘でもあった。そして、今日はもう仕事をする気力も湧かず、酒も飲んでしまった。管制室の職員もレイシフトもなくカルデアスの観測作業程度で、カルデア全体として職員は休日と言う雰囲気になっている。
マスターは鍛錬や、レイシフトによる転移先からの物資調達もあるが、今日はもう明日まで自由時間。サーヴァントも同じカルデアが作るスケジュールはほぼ同じで、戦闘とは別で得意分野があればそれ関連で作業の手伝いや、有益となるだろう新しい作業を行って貰っている程度。
〝第二特異点はローマね……―――うぅーん、誰を連れて行くべきか。
まぁ、エミヤ抜きの特異点攻略は有り得ないけど。もう彼の飯なしの生活は耐えられないし、精神的な治癒効果も高いもの”
悩む必要など所長には本来ないが、だがマスターが契約可能な上限となるレベルがある。それを考えると大勢を連れて行けば、カルデアの魔力炉のパス中継となる藤丸が膨らみ過ぎた風船みたいに弾け飛ぶことだろう。
「ふぅー……血に酔いそう」
口に残る血臭にニヤつき、周囲に誰もいないことを確認済み。ここは自分のカルデアだからと煙草を出し、また手持ちの携帯灰皿を取り出す。マナーとして喫煙エリアがあるだけで、実は厳密に禁煙体制を敷いていない所長は、密かに隠れながら煙を吹かす不良みたいな子悪党。それに空調はバッチリなので、匂いを気にすることもない。
良い女は酒と煙草が似合う……と言う誰かの台詞が好きな彼女は、自分の体には無害なその嗜好品が好きだった。そんな雰囲気そのものに酔いながら、故にまだ日常を楽しめる自分を自覚する。
―――……酒の血腥さと、煙草の白煙。
刃物で血肉を切り刻まれて死に、鈍器で潰されて圧死し、生きたまま火に焼かれた獣や住民の死体を思い出す。オルガマリーはカルデアの平穏な生活でも、初めての狩りを忘れないようにしたかった。
主なフロム側の人が揃ったので、主要人物の簡単な説明を挟んでおきます。変態技術者ミコラーシュは、そのままミコラーシュらしき啓蒙系幼女だと今の状態ですと思って下さい。
狩人→車椅子だと蛞蝓ポエマー上位者。
この世全てを知りたい。取り敢えず、今よりも頭良くなりたい。
灰人→最強厨の鍛練ホリックウーマン。
強くなること。その為なら何で覚え、何でも殺し、何でも焼く。
悪魔→旅行先ジェノサイドのデーモン。
ソウルの業を極め尽くすこと。目に付く神秘全てを会得したい。
所長→蛞蝓に憑かれた血晶石ハンター。
啓蒙活動家。まずは自分自身の脳を限界まで啓き、狩りを行う。
隻狼→お米は炊いて食べたいニンジャ。
主に仕えること。召喚した所長の目的の為、その業で敵を殺す。