竜化した清姫に、呂布から投げ飛ばされたブーディカは彼女の口で捕えられていた。第三者視点から見れば、竜種に丸呑みにされる寸前の被害者女性と言えなくもないが、実際は海への落下を防いで貰った形となる。
「畜生。どうして呂布まで、なんでキミはあたし何かを……」
思わず呟く怨念の欠片だが、どうしても何もブーディカ自身が一番良く分かっている。怨念と憎悪は、文字通り何もかもを対価に要求する劇物である。復讐を希い、思う儘に実行へ移れば、自分自身を含む周囲全てを焼き尽くすのが必然。
過去の自分がそう失敗した様に、今もまた失っただけ。
即ち、女王の因果がまた繰り返され、同様に終わりへと辿り着けてもいない事を意味する。
「……あぁぁああ、ローマァァア――――――!!!」
なのに
サーヴァントではなく―――死後の英霊に憑かれた、今を生きる人間で在る故に。
怒りと憎しみは内より湧く混沌衝動。もはや手遅れである。そう在る事しか出来ない理不尽である。暗帝の雑言を耳に入れ、復讐心を我慢することを人間性を持つソウルが許す訳もない。
「
竜化した清姫は少しだけ唸り、ブーディカが海面に落ちないように、だが体を傷付けない様にしっかりと咬む。そして憎悪の中身は違うとは言え、恨む儘に人を殺めた清姫はブーディカの怨讐を良く理解していた。家族を陵辱された上に皆殺しにされ、自身も辱められた事はないので共感は出来ないが、全てを擲つ憎しみを否定は絶対に出来ない。
いや、むしろ
「……………………」
だが、エミヤには分からない。人を数の大小で計って脅威から救い続けた正義の代行者は、人殺しは最後に残された手段である。助ける為に殺さねばならないと強迫観念に突き動かされ、必死に考え抜いた計算の末の、最小限の殺戮で有らねばならない。その業を積み重ねた果て、“エミヤ”と言う錬鉄の因果は完成された。
だから、彼は憎悪を持ちながらも、それを殺人動機にする心理を持ち得ない。
だから、彼にはブーディカに言うべき事もなく、殺人の罪だけを背負うのだ。
負の感情の理解と不理解を、正義の味方は語るべきではない。自己を語れば懺悔と悔恨となり、そんな事を言う場面でもない。
〝……あれが、カルデアで話に聞いた悪魔殺しの騎士。マシュ・キリエライトの左腕を奪った男か”
よって、内心の独り言はとある男への感想だった。サーヴァントとして知覚出来るのは、あの化け物が只の人間の気配しか感じ取れず、把握出来る魔力の存在感さえマスターである藤丸立香と何ら変わらない点である。纏う武器から濃密で重厚な神秘は感じられるも、
だがその魂、果たして―――英霊幾人分なのか?
万か、億か、兆か、あるいは京にさえ届くのか?
一つの
分かるのは人間で在る事と、隠し切れない奇怪で強烈な魂の圧迫感。それは神霊ではない生きた神を何柱も喰らっても満ちないと思える程の、底無しの奈落を連想させる畏怖でもあった。
〝だが、奴がいなければ……―――いや、忍びと所長の戦力であれば、ローマの撃退は不可能ではないだろう。しかし、あの森から逃げるには、私が殿の囮役をする必要があっただろう。
……故に、分かる。
呂布のあの迷いの無さ……あの男、覚悟を最初から決めていたか”
そんな数瞬の思考をする間に、清姫は軍艦までの飛行を終えていた。暗帝と神祖に損傷を負わせ、距離を大きく距離を取る事も出来た。逃走の邪魔になる海面森林も焼き払われ、もはや阻む敵も障害物もない。呂布と言う犠牲を徹底して無駄にしない潔さであり、効率的な行動の極みでもあった。尤もそれは、割り切れる者に限られた理論であり、効率性を冷徹に実践しただけに過ぎないのだが。
「……あ、ぁ……ぁぁ――――ァァアアアア……」
ブーディカは、繰り返される地獄の苦界をまた味わった。
仲間がローマの手で何人も殺され、何よりまた自分の所為で死んでしまった。
「……アァァぁぁ」
内心では留まれない絶望と失望の呻き声。冷徹で在る事と、冷酷で在る事は大きな違いがある。報復に惨たらしく老若男女を屠殺したブーディカは冷酷な冒涜的殺戮者であるが、冷徹な計算的思考が出来るなら感情の儘に虐殺する復讐者に成れ果てはしない。
――殺せ。殺せ。殺せ。
死んでも、殺し尽くせ。
――死ね。死ね。死ね。
殺しても、死で償いを。
憎悪は呪いの呼び水。そして、復讐は怨念の拠り所。
両目から温かい人血の涙が流れる事に、何ら不可思議な事など有りはしない。
黒く、暗く、悍ましく、人間の呪いに染まった血を涙する事は仕方なかった。
人間性に満ちる素晴しき魂が、人の温もりを排出するのだろう。もはや器に入り切らない魂の汚泥が肉体を蝕み、血液と共に
「ローマ……絶対に、何時の日か……あたしが―――」
せめて、人間らしく――そんな風に死ぬことも、ローマは敵対者に赦さない。惨たらしく、破壊し尽くして絶命させる。それこそ人間性に満ちた文化的社会を、闘争と経済で大陸に広めた帝国の在り方である。
戦友の為に死んだ
ならば、きっと―――この憎悪は、せめてもの手向けであれば無価値ではないのかもしれない。何時か必ずこの手で殺してやると呪詛を頭蓋の内に溜め込み、女王は瞼を閉じて今まで死んだ全ての者を思い浮かべる。気を失えば僅かな安らぎを得られると言うのに、憎しみで苦しまない時間などもう彼女は必要としなかった。
◆◆◆◆◆
――邂逅より翌日。魔都ローマ、コロシアム。
「我が主、何の為の集まりなのですかな?」
「此処はコロシアムでありますので……まぁ、見世物ですよ。拳闘や剣闘などの決闘、あるいは多種多様な創意工夫に満ちた処刑の数々です。ネロさんからの、臣下への褒美と言った所でしょう。
―――あ。勿論ですが、演劇ではありませんよ。
それはあちら側の、ネロさん再建の黄金宮殿の方でしますからね」
しかし、此処はまだネロの政権時代に建てられていない円形型のコロシアム。灰により膨大な未来知識を与えられた
「悪趣味ですな、ふむ。ですが、罪人の処刑は民衆にとって数少ない娯楽でもある。
そして、惨く愉しい戦国の世を生きた軍師として、不要な捕虜や敵将の処刑もまた仕事の一環でありますれば……まぁ、私自身もそうして人生を終わらせた身でもあります」
「でしょうねぇ……ふふふ。人の死を最も楽しむ知性体もまた人です。法規と正義に裏付けされた一方的な善なる悪行であれば、何処までも下衆になるのも
我らがローマがそう在る様に、貴方が生きた中華も同様。
とは言え、殺戮の歴史持つ国家に生きる人間である時点で、人間は全ての者が同罪です。
そも、善悪両面を持つ人間では、善いだけの罪無き国など作れません。
そして、同罪故に人はその罪で人を裁けず、社会にとって無色透明な善悪であり、罪科は償おうとも消えずに永劫でしょう。所詮、関わり無き命など損得でしかなく、愉しめる者だけが愉しめば良いだけのことです。尤もだからと言って、罪無き人生が健全であるわけでもありませんが」
「そうですな。しかし、暗帝殿の演劇も悪趣味ですので、私からすればどっこいどっこいでありましょう」
「全くです。まぁ、ネロさんの悪趣味な退屈さも私は好きですからね」
「同意は出来ませぬなぁ……」
改築工事がされた新造コロシアムの、皇帝専用の特別観覧室へ繋がる廊下を、
『殺せ! 殺せ、殺せ、殺せ!!!』
『ローマ! ローマ、ローマ、ローマ!!!』
だが、コロシアム全体が凄まじい歓声で震えている。
「フフフ……人間さん達の、死を喜ぶ絶叫です。何時の時代も、善くも悪くも、命とは最高に感動出来る娯楽品なのですね」
「未来もそうなのですかな、マスター」
「未来も今も、過去と変わりはないのです。結局、外面の文明が進歩したところで、魂は永劫に人は人のままなのでしょう。
文明は進歩し、けれども人間性に進化なしです。
人理が焼かれたあの時代も……この暗いローマも、やはり人の営みです」
灰は暗い笑みを浮かべ、軍師もまたにやつきながら言葉を続ける。灰の脳裏に浮かぶのは、此処数十年を生きた人生の出来事。
処刑とは、何も罪人を殺す事だけではない。行き過ぎたそれは権力者や民衆の娯楽ですらなく、効率性を尊ぶ一種の流れ作業でもあった。灰は学ぶ者である故に、あらゆる蛮行を魂の儘に学習し、過去に行われた同じような殺戮であろうとも厭きる事もせず見定めていた。今このローマで行われているコロシアムの処刑演劇も、人智への勉学をこの世の誰よりも好む灰の成果でもあった。
即ち――模倣。
己が探求に必要であるならば、灰は喜んで何度でも創意工夫を凝らす殺戮を行うのだろう。
「随分と、貴女は人間が好きであるようですな」
「勿論ですとも。こう見えても私、幾つかの世界を幾度も救った元英雄の人間でもありますからねぇ……ふふふ。まぁ人の魂なんて救った所で、そもそも我ら人間には何一つ価値はありませんでしたけど」
「そうなのですか?」
「ええ。空虚な旅路の結論としてはですが」
「成る程。では、貴女もまた救いが欲しかったと?」
軍師は灰の魂の形を見抜いたが、それさえも灰が思い描いたソウルの絵柄でしかなく、救いを求めたいと言う感情自体が本物となった模造品でもあることも悟れていた。本来ならば軍師は見抜ける訳がないが、今の二人にはマスターとサーヴァントとしての霊的ラインによる繋がりがある。灰の些細な偽造感情を、軍師は無感情に只の情報として理解しているだけであった。
「ええ。それもまた当然でありましょう。理不尽に抗う事こそ、人が足掻く一番の動機であり、同時にそれは救いを求める自己への探求でもありますのでね」
そして、歩みを進めたその先―――コロシアムの舞台が二人の眼下に広がった。
死。あるいは、屍。
殺戮。虐殺。鏖殺。
熱狂する愉悦の宴。
臓物と血潮の臭い。
フランスの特異点がそう在った様に、此処もまた変わりなく、処刑と言う生命の選別が行われている。自分が作り上げた狂宴を灰は無感情な瞳で見下し、だが気品ある淑女のように微笑んだ。
「―――実は、私も特異点を盛り上げるテーマがありました」
「ほう……我が主ながら、実に悪趣味なお題と見えまするが?」
「酷い言い草です。言い掛かりではないですが。とは言え――」
磔の姿。そして、そこから始まる串刺し刑。
敵地の女子供を侍共はこうして愉し気に殺し、とても血に酔って殺戮を喜んでいたものだ。
カルデアのマスターが日本人であるからと灰が気を回し、そんなローマより未来で行われた数々の歴史を暗帝に灰が教えたが故に行われている蛮行であった。
「――懐かしい景色ですねぇ……いやはや、人の業は変わりません」
最も実際は、生きたまま串刺しにしない場合も多かった。無惨な死体を晒すのが目的であり、苦しめて殺すのは重要ではない。基本的には捕えた子供を殺した後にその遺体を串刺しにして飾っており、必ず処刑として串刺しで殺していた訳ではなく……だが、灰が見た人間の営みの中、生きたままに串刺しにしている処刑光景を実際に幾度も見る機会は少なく無かった。
無論、成人もしない少年少女が、
「確かに。英霊となった私としても、生前の乱世を懐かしめる狂乱でありますな」
「参考にしたのは貴方が生きた時代のように、戦国乱世になった日ノ本と言う国なのですよ。印象に残っている中で、敵国の民衆をああやって処刑による虐殺していたのは、えぇーと……あぁ、後の豊臣さんでしたか。あれはとても酷い権力者ならではの殺戮劇でしたね。
無力な女子供が捕えられ、生きたまま肛門より矛が貫かれ、悶死されるあの光景。中々に死ねず、尻の孔から突き刺さった槍の激痛に磔にされながらも悶え苦しみ、絶叫しながら死ぬ女と童。命に価値を感じずに処刑を行う侍の皆様に、それを命じた虐殺の張本人。
まぁ、殺して殺して殺し尽くしたその先に己が力を極めるのが人の業。何ら珍しくもない万国共通の惨劇とは言え、そうだからとソウルを得た私が忘れてしまえば哀れにも程が有りましょう」
「どの国家、どの時代でも、人の業は変わりませぬ。
葦名が攻め滅ぼされる前の世。豊臣の時代から徳川が栄華を飾る前後の日ノ本を旅した記録を思い返し、同時に灰は自分が喰らったソウルより戦国で惨たらしく死んだ者共の記憶を掘り起こす。無論、日ノ本以外での記憶も多く連鎖的に俯瞰し、古今東西のあらゆる惨たらしい処刑方法を“実感”と共に彼女は再現可能である。何せ、その魂で苦痛を味わっているのだから。
「はい。ソウルを回収する為の殺戮方法を、少しばかり変えていましてね。フランスではその時代に合わせた……まぁ、言うなれば中世的な鏖殺にしてました。けれどね、このローマでは効率性を尖らせていまして、近代的な利便性に富む虐殺を行っております」
「ふむ……ですが、このコロシアムでの処刑劇は何なのでしょうな。サーヴァントとして近代を理解はしておりますが、あの殺し方は私が生きた時代のやり方に近い」
「殺されている方々は、殺される事で魔術素材になりますのでまた別案件です。アンリ・マユさんの作り方を参考にし、それを量産する為に人々から大いに恨まれながらも、逆に
人々に恨まれながらも、この世全てを憎悪する人間らを大勢作るには処刑が便利だったと言うだけですから」
「――混沌……でしたかな」
「はい。魔女の火炎に融ければ、とても良いデーモンに転生して頂ける事かと。アラヤの抑止力が提供して貰った英霊の皆様方も良い実験材料でしたが、やはりこの世界の悪魔らしいデーモンも素晴しいと思いましたのでね。
随分と歳を取った筈ですが、どうして中々……探求心を抑えるのは、中身の無い灰となっても難業です」
「憐れな。とは言え、確かに効率的な手法ですな」
「ネロさんは民衆に娯楽を提供出来て幸福。私も聖杯と混沌の良い素材を作れて幸福。現代では、こう言う事をウィンウィンの関係と言うのですよ。
やはりどんな絶望的な世界だろうと、日常を楽しむ心こそ希望を灯す活力となりましょう」
「確かに。利害の一致は共同作業において大前提であります故……」
「これこそ人の持つべき尊厳が、根底の礎となる相互関係と言えるのでしょう」
その時、コロシアムの歓声が更に大きく盛り上がった。
『皇帝!! 皇帝、皇帝!!! 皇帝、皇帝、皇帝!!!!』
『ローマ皇帝! 皇帝陛下! 皇帝閣下!! 暗黒皇帝!!』
『インペラートル!! 偉大なる我らのインペラートル!!』
『万歳!! ローマ万歳!! ローマに喝采と栄光を!!!』
磔られたまま串刺しにされた老若男女。死ねずに悶え続ける若い少女や少年の絶叫を掻き消す程の狂乱。喝采。熱狂。狂気と雄叫び。
王は、余りにも自然な仕草で右腕を上げる。
瞬間、狂い猛る民衆の歓声が一斉に止んだ。
「諸君」
その一声。人の心を魅了し、脳髄を支配する暗いカリスマに満ちている。
「ローマ市民の諸君」
生まれ変われし黒き薔薇――暗帝ネロは、声を張らずに静かな言葉のみで、コロシアムで熱狂していた市民達の意識を支配した。
「余は諸君らが―――好きだ。大好きだ。愛しているのだ。
旧きより偉大なるローマが築きし真なる善性に満ち、我らが正義の鉄槌を死すべき悪性の愚民を、こうして下す事が出来るのは、無論のこと諸君らが善なる民で在ることに他ならぬ」
『………ッ――――――』
愛している、と暗帝の言葉を聞いた民衆は涙を流した。絶望の血涙を流す死刑囚奴隷を処刑していた兵士らも民衆と同様に涙し、この静寂を守る為に磔にされた老若男女全員の喉元を素早く槍の矛先で……肛門より突き入れたその凶器で、体内の臓器から無理矢理に突き破った。
ジワジワと殺していた公開処刑であるも、皇帝の言葉より奴隷の命より重い訳がない。肛門より伸びた槍が喉を突き破り、死体は磔にした儘、処刑のショータイムは一時的に中断された。
「あぁ、素晴しきローマの民よ―――どうか、心より喝采を。悪に裁きを下すローマに尊厳を。新たなる正義と我らローマの魂に平等なる安寧を。
そう、即ち……全ての悪は、この者共らの頭蓋より湧き出る悪夢である。
故に見るが良い、この憐れなる罪を積む者共を。全身に刻まれた暗き呪詛の紋様……これこそ、奴らの魂から浮かび上がった邪悪と罪科に他ならぬ」
尻の孔から喉仏まで槍が貫通し、口と喉と肛門から血を吐き出す“無実”の罪人達は、文字通りの“積み”人である。ローマと言う国家が為した悪行を積み重ねられ、同時にローマ全ての邪悪を積み背負わされた故の“罪の器”でしかない。
彼ら彼女らは無実であり、だがその魂を罪科の入れ物にされてしまった。
嘗て何処ぞの拝火教が信仰された村で行われた惨劇を、ローマと言う国家規模に膨張させた魔術儀式。オルガマリーがこのコロシアムを一目すれば、それらの全容を容易く
『死ね、死ね死ね!! そうだ、死んでしまえ!!!』
『罪人め!! この世全ての悪が、死んじまえ!!!』
『皇帝よ!! どうかこの罪人共に永劫の死を!!!』
嬉しさの余り、民衆は歓喜した。自分達の善性を証明する為に、生きる価値のないこの世の
―――善であろうとする人間性こそ、最も醜い汚物を吐き出すとも知らずに。
―――未来を求める希望とは、飢餓を満たす暗い渇望でしかないと言うのに。
そうでなければ、どうして
『そうだ、死ね!!』
『死ね死ね死ね! 死ね死ね死ねね死ね!!!』
『死んでしまえッ!!』
『藁のように死ね! 蜂のように死ね!!』
『死ね!!』
『惨たらしく苦しんで死ね!!』
『罪を懺悔して死ね!!』
『死ね死ね、死に尽くせ!!』
『死ねェェェエエエエエエ!!!!』
その光景を灰は見下し、感情のない貌で微笑んだ。空の器でしかない灰は、殺戮によって
これこそ、灰が知る――人理。
善で在りたいが故に罪を為す。
未来のために邪悪を許容する。
それだけではない事を理解しながらも、そうでなければ存続する事を許されない。まこと、永劫の魂に成り果てた灰から見ても、“此処”は哀れにも程がある魂の営みであった。もし、
「おぉ、
「この生々しい地獄には、私が生きた世界とは違う実感が溢れています。生きるとは、祈りと呪いの相克する螺旋で在り続ける一筋の途なのです。循環し続ける閉ざされた輪の世界だったあの絵画は、全ての存在が腐り果てた上に最期は枯れるしかない空虚な地獄でした。
どうせ、生きるも死ぬも地獄ならば―――……私は、此処の方が良いのです。
善も悪も如何でも良く、先に何もない袋小路な未来こそ、我々の魂は絶対に赦しません。
私が暗い魂の儘に存在するように、どうかアナタ達も根源より生まれた魂の儘に在らん事を、一人の人間として祈るだけです」
「では……―――人理焼却など、貴女にとって所詮は後から修正出来る絵画への落書きでしかない訳ですね。とは言え、獣の偉業は定礎の完全崩壊となりまして、貴女が求める最良の未来からは遠退いてしまいますでしょうに?」
「問題は一切ありません。その為の細工でありますし、故にそもそも阿頼耶識は私の計画を後押しするしかない状態となっています。
抑止力……―――成る程。人々の闇にもなれぬ愚かな想念です。
全人類にとって必要不可欠な存在となれば、アラヤは根本的に私の見方になるしかない訳ですからね」
「ははぁ……―――成る程。悪辣過ぎて反吐が出ますな。
この世の誰よりも、貴女は人の魂を救う事が出来る救世主で在る。ならば、全ての阿頼耶識が貴女の計画を挫く事を阻止するのでしょう。
それ故、今の人類では貴女に誰も勝てない。
正しく、善悪両面からして人類種の天敵となっている」
「目的の為には手段は選びませんよ。全ての人理、全てのアラヤ……無限の宇宙も世界も、必要ならば救う為に永劫を彷徨って戦うまでですからね。
まぁ幸いな事に私は、繰り返しの退屈を苦しむ事も、魂を貪るのに罪悪感を覚える事もありません。なにせ、心の中には何も有りません。
人類種を、闇としても、火としても、最期まで見届ける暴力装置として灰と言う存在は理想的な
「ですが、このローマ……余りにも殺し過ぎでは?」
「それもまた問題ありません。人理崩壊の限界人数は理解しておりますから……えぇ、フランスでもそうでしたが、殺しても問題ない人数しか殺していません。
歴史の中で人間は常に死に続けていますから、
このローマも大虐殺が起きましたが、そもそも人間には寿命があります。当然ですが、生きている人間など結局は死にますので、文明の維持が不可能な人数がその時代に死滅する事に問題があるのです。人理にとって、個人個人の死因など大した価値はありません。無論、阿頼耶識が英霊の魂を作る為に必要となった英雄と言う名の人間は別問題なのですがね」
「命に区別をしないのが私の信条ですが、人理からすればまた別ですからな」
「そうですね。欲を言えばあの獣には、人間が増えに増えた近代に特異点を作って頂ければ、私も人理を気にして人死にを調整する事もありませんでしたのに。
残念ですよ……はぁ―――本当に、無念極まります。
古きより厭々ならがも、補正式だった筈のあの獣が人類種を見限る決意をするのに十分な程、贅沢なまでに命を消費する大量虐殺や大量絶滅ばかりが一気に増加した時代でしたのにね」
「世界の国々の、惨さを窮める大戦乱。一人の軍師として、是非とも参加したいものですな。混沌と殺戮と汚泥の中こそ、我らのような戦争狂が生きる唯一の揺り籠でありましょう」
「それも有りますが、世界は大戦が終わっても戦乱は無くならず、虐殺も殺戮も終わらず、権力者の圧政で更なる大勢の人間が死に続けました。
あの時代、特異点となる国一つで数百万人程度なら殺して魂を貪ったところで、実質的に人理にはノーダメージでしょうね。毎日毎日、数万人殺してもまるで足りないことでしょう」
「ならば尚の事、あの獣はそうしないことですね。それは確かに、貴女にとって都合が良いのでしょうが、定礎の破壊を企む者からすれば、殺せど殺せど届かないのは不都合ですから」
戦死。殺戮。虐殺。餓死。天災。人災。度重なる世界各地のホロコースト。
大戦の被害と、戦後の大混乱。そして、冷戦によって起きた死の代理戦争。
人理定礎を崩す為に、近代は許される死人の数が多過ぎる。第一の獣になった人理焼却の犯人からすれば、特異点とするのに全く利用価値がない。人類史を燃え滓にしても感慨が湧かない程に、人の魂が重かった古き時代よりも神秘面においてさえ人命に価値が無さ過ぎた。故に、灰本来の手段として近代の方が特異点となる利用価値が大きい。地獄を容易く作り上げられる。好きなだけ人間を作って人々を殺戮しても良い。
何故なら、そも歴史がそう歩んでいる。死んだ以上の人命を奪い取るのも苦労する事だ。
何故なら、世界中の人々が人殺しに死力を尽くしていた。灰が独りで企むには大掛かり。
「例えばですが陳宮さん……貴方の故郷である国家は本当に、本当に、あれは一人の人間として凄まじいものでした。とある政治家が農業の改革に失敗し、数千万人が餓死してしまいました。恐ろしい事に、戦場を見て回った世界大戦の兵士や一般人を合わせた被害者数よりも多く……故に、この身もまだまだ人間から学ぶべき悲劇の奥深さに絶望を抱いたものですね。
人間種とは特別な憎しみがなくとも、普遍的な欲望からでも悍ましい悲劇が生まれるのです。
人の幸せな未来を求める希望の心が、惨劇を生み出す元凶に幾度も成り果ててしまいました。
殺戮劇の元凶となった中心人物達は、幸福と利益を願った末に人類悪の原罪へ至ったのです。
尤も、何処の国も悲劇はあります。人の手で、善なる邪悪が為され続けました。多寡の違いはありますが、人間が作る国家と言う機構は死人を礎にしたものです。国民と言う者は、過去の死者を原材料に幸福を謳歌します」
「ほう……―――ですが、貴女はそれを利用した」
灰より知識を得た軍師は、燃やされるまでの歴史も理解済み。自分の生まれ故郷が辿った道程も知っており、世界の歩みも分かっている。
確かに、時代が新しい程に人理崩壊に必要な特異点での殺戮数は多くなる。
人災と天災が、特異点で死んだ命を補正するに足り得る死者を出している。
殺された人間は戦災などの死亡者数に組み込まれ、歴史は微動だにしない。
人の世を混乱させずに、人の魂を貪る事を狙うのならば特異点は好都合だ。
灰のソウルを僅かとは言え垣間見た軍師は、この憐れな状況こそ、あるいは抑止力が灰を人類を救済する道具として利用する為の舞台劇でもあると下らない妄想をし……だが、そんな妄想が現実となって目の前に存在していた。何より灰と言う存在は本来ならば、とある国が人類種を救う為に作り上げた暴力装置であり、ある意味で善悪に関係ない人造の救世主でもあった。
「勿論ですとも。このローマもまた同様に、悲劇なくして国家の幸福的未来はありません。殺せば殺す程、人の国は天の国に近付くと勘違いするものですから。
フランスはとある男の復讐劇でしたが、ローマはただの繁栄の為の殺戮です」
だから、この凄惨な処刑も灰からすると人々の正常な日々の光景でしかない。生まれ故郷である不死の世界ではなく、この世界に生きる人類と言う生命種を見て来た彼女からすると、人間が人間らしく日常を謳歌しているだけでしかない。
天寿ではない人の死とは、人が人の為に作り上げる幸福の素材であるのだと、彼女は二千年以上もそんな営みを見守り続けた。
「せめて、生者は人間らしく―――……私なりに、そう思いましてね」
「成る程。ならば、私も戦争屋の一匹として雇い主に従いましょう。どうせ魂より自我と倫理を改竄され、逆らうと言う思考回路さえまともに機能しないのですからな」
「そうですね。全ての罪を背負うのもまた、呪われ人なら一興です。ですので、何もかもが私の原罪より生まれた悲劇であります。貴方たち英霊の皆様は瑣末な人道など気にせずに操られ、人間そのものを無邪気に楽しんで頂ければ実に幸いです。
所詮この世は、根源の内側に描かれた無数の絵画の一つ。数多ある世界の中の、無尽蔵に生み出た魂一匹程度の物語……えぇ、人間の人生とはその程度のサイズなのですから」
「視野が広いのも、中々に考えものですな」
「とは言え、この処刑演劇に生死の倫理観を悩ませる必要はありません。何故なら……―――」
殺された死刑囚は僅かな時間だけ死体を残し、まるで風に吹かれた死灰のように霧散していった。霊核を砕かれてエーテルが散るサーヴァントのように、あるいは一時の命を散らす不死の灰のように、磔にされていた人々は夢か幻か、凄惨な血痕だけを残して何処かに消えてしまった。
「―――えぇ、
元より無意味である故、我らは尊い価値を宿らせる事が出来るのです。人間はそもそも死ぬ必要など皆無であり、このような儀式的余興の為に人の魂を殺すことなどないのです。
言った通り、これは―――処刑演劇。
最初から誰も死んではいないのですからね。まこと、この世で最も平和な殺戮と言える惨劇でありましょう。焼かれた現代で流行りのエコロジーという概念ですよ。何も誰も消耗せず、魂と言うエネルギーを深化させるには、実に丁度良いソウルの魔術実験です」
「……魂のエコロジスト、でしたか。聞いた時は、この女は頭から蛆でも湧いているのでは、と思いましたが……成る程、確かに。
元より根源より生まれし魂とは、現世において永久機関でありますれば、それを巧く活用すれば斯様に無尽蔵なる呪詛を人工的に精製可能と言う訳ですか」
「知識と感覚は常に多様性であるべきなのが、私なりの探求心であります。ま、半分以上はこの世界を調べるのに飽きない為の娯楽なのですがね」
暗帝が民衆に向けた有り難いにも程がある長話も、灰と軍師の雑談の間に終わっていた。コロシアムには新しく処刑演劇用の不死化奴隷が、奴隷蘇生用の篝火が配置された牢獄よりまた連れ出されていた。
軍師の言葉通り、正しく永久機関。
処刑場で呪詛をばら撒いて死んでは牢獄で黄泉返り、そしてまた処刑場で殺されては牢獄で甦る。
人間として繰り返し死に、その度に呪いが生み出る。この世を全てを呪う紋様は更に深まり、人類全てを憎み殺す呪詛が無限に量産される……謂わば此処は、人間から
〝本当に、本当に……えぇ、実にありがとうございました。燃え殻になった人類の皆様の叡智がなければ、私程度の物真似が限界な女では……学ぶべき知識がなければ、此処までの効率性を考え付く事も出来ませんでした。
しかし、人の邪悪とは斯くもまぁ……いえ、中身が無い灰が断じる事ではありませんか。
所詮、この惨劇も歴史の二番煎じです。特異点など関係無く、好き好んでこの世の人が人間にしてきた営みの模倣でしたものね”
何時も通りの何ら価値のない結論に落ち着いた灰は、無感情に微笑みながら演劇から視線を切った。英霊としてのソウルを侵され、闘争を愛する戦争狂として再誕した軍師は、灰とは逆に幸福そうな人々の営みを見守る賢者のように笑う。
"とは言え、所業など生前と変わりませぬ。あの孔明とて……いや、戦争を営んだ英霊の本質は全てが同類……戦争に愛された冒涜的殺戮者。
故、死して殺し会う我ら一兵に道徳は必要なし。
殺戮に正統性を飾り付ける言葉など、政治屋連中の薄汚い糞の戯言ですな"
だが、もはや彼に人道はない。
彼が生きた戦国乱世にて、暴虐に生きた悪鬼共と大差ない外道に堕ちた。ムシケラのように人を殺していた彼らと自分は同じ穴の狢の自覚は元よりあったが、戦争狂いの軍師にも最低限度の境界線があった筈。自分を処刑したあの男のようにと、保身と我欲で恩人を進んで殺すことさえも、今の軍師なら計算性だけで実行する。
人が人を殺す理由――大層な動機など、何もなかった。
利益になるから。効率的だから。必要だから。
生きているより、死んでいる方が都合が良いから。
闘争に生きたその結果、軍師は人類が歩み続ける旅路の最先端までを英霊としても、未来を知る灰のサーヴァントとしても理解している。
――魂とは、悲劇なのか?
せめて不要になればソウルを霧散するしかない灰の尖兵として、この特異点で消滅する前にそれを理解してから死にたいと軍師は確かな人間性でそう願う。だが、そんな願望も新たに魂に与えられた"人間性"に塗り潰され、暗く深く澱んでしまう。
神だろうと、決して逆らえない業。軍師は自分に取り憑いた暗闇に、自分自身が少しずつ
読んで頂きありがとうございました。前篇です。コロシアムを歩いているだけの話でありましたが、後編で取り敢えずは一通りのローマ陣営は出る予定です。
それと自分なりの考えですが、ビーストが近代の特異点に聖杯を送らなかったのは、近代戦争の死者数が多過ぎ、歴史を崩す為に必要な殺害数が数千万人レベルになるからなのかなぁと思っています。メタ的視点だと国内受けと海外受けを考えれば、近代の政治と戦争を題材にするのは面倒臭い部分も多いにありますが、ビースト的には少ない人間の殺戮で歴史を崩壊出来る方が合理的だったんじゃないかと思ってます。
また灰は抑止力の後押しを受ける為に人類を救済……と言うより、人理の現状維持に必須な事もビーストに隠れて平行的に活動しています。人類全体から見て利益となるように悪事を働いているので、実は抑止力側からすると灰の動きを阻害すると不利益が被るようにされており、人理焼却を隠れ布にしてる雰囲気です。ゲームの原作通り、灰が行う自分が強く成る為のソウルとアイテム収集の大虐殺は世界の行く末を決めるのに重要な事柄になってたりもします。