魔術師にとって障壁が盾ならば、結界とは要塞と呼べる守り。土地を区切り、空間を隔て、如何に自分以外の魔術師に其処が自分の領域であると悟らせないかと、その頭脳で創意工夫することが一流の魔術師の条件。魔力を贅沢に使い込めば、強力な“だけ”の結界を作るのは簡単だろう。
ならば、この孤島は正しく海上城塞。誰の目にも映らず、何処から見ても不可視であり、蜃気楼さえ水面に浮かばない。
「特異点とは、人理焼却とは、聖杯探索とは……―――ふふん。まぁ、この状況もまた異常と言えば異常。そうは感じないかしら、マシュ?」
荒れた都会の厳つい無法者がするような、銀髪美女がするには似合わないサングラスから瞳を所長は晒した。星に輝きを啓蒙された深い色合いの眼を見たマシュは心が何時も通りにざわつくも、その不安と畏怖が混ざった尊敬の念が消えることはない。
……ないのだが、やはり所長は狂人である。
カルデアでのハジケ振りに追随出来たのが裏切者のアン・ディールと、実は意外と悪乗り好きなキリシュタリアだけだったのをマシュは思い出し、特異点活動期間だと自分が所長の玩具にされるのが必然的な流れだと理解した時の絶望感は凄まじかった。ベリルさんやカドックさんやドクターのようにはなりたくないなぁ、と情緒が成長したマシュは人の
「いえ、別段。単純に所長の頭が御幸せになっているだけかと」
よって、マシュは何時も通り所長に厳しかった。それを許す寛容性を理解している故の言動であるも、本質的に彼女の精神は所長に激甘である。その言葉に負の感情は一切含まれていない。
「辛辣だわ。でもね、頭蓋骨の内側に関係なく―――太陽は、眩しいモノなのよ」
「あっそうですね。そうですか。はい。間違いなく、中身が茹ってますよ?」
「輝ける宙の光に啓蒙されるのだから、燃えるように脳が喜ぶのもまた必然」
「あぁ、言えばこう言って……はぁ、良いですか。どうでも良いですけど、早く―――」
太陽が照らす白い浜辺で、蒼い
「―――服、着て下さい」
「ノゥ」
「耳触りが良い声で否定しないで下さい!」
マシュは思った。日焼けしに海に来た観光客じゃないですかコレ、と。
「良いじゃないの。カルデアとの通信は切ってあるし、部下に裸体を晒す変態癖を満たしてるって訳でもないし」
ズズー、とストローを吸う音。エミヤが投影したテーブルに置かれているジュースを飲み、流した汗の分の水分を補給。乾いた喉が潤い、気持ち良さの余り所長は声が漏れるのが抑えられない。
「クゥー……私、この為に生きているのよね。アンバサ」
白濁とした美味なる甘味炭酸水。名前からして啓蒙深い飲料である。何故か自然な空気で仲間になった雰囲気を醸し出すあの
「わたしの前では裸になってますけど……?」
「大丈夫。ちゃんと駄目な所は隠してるでしょ……もう、全く。
此処はヌーディストビーチじゃないし、そもそも私はヌーディストでもない。それに女神の一柱がプライベートで管理してる南の島の観光地……――じゃなく、反乱軍の秘密基地でそんな不遜な事なんてする訳ないじゃないの。
それに、これでも私って一組織を指揮する社会人なのよ?
道徳心も社会常識も欠如した不適合者が多い魔術師なら兎も角、協会も教会も国連も良い具合にカモらせてる私の手腕を知ってるマシュなら、そこまで強く言う必要がないことも分かってるじゃないの」
「それとこれとは無関係です!
それに所長はヌーディストではなくとも、若干の露出趣味はありますよね?」
「―――ふ。これはその……あれよ。ほら、鍛え上げた筋肉を見せ付けたいマッスルと、ダイエットとジムで鍛えた黄金比を披露したいモデルの……なんか、そんな感じの二つの心境が合わさった雰囲気的な?」
「安心して下さい。それ、ただの露出狂ですので」
「違うってば。それに私が露出狂だと、貴女は露出狂が管理する組織の職員になるのよ? 時計塔で爆笑の渦を作る嗤われ者の一人になるのよ?」
「その時は反逆して独立します」
「ヒドい。あんなに良い子だったのに、誰がこんなマシュにしたのか……っ―――成る程。分かった。藤丸ね。女が変わる時って大体が男関連なのよ、やれやれね。私がカルデアどうって誘った頭根源の友人も、遠い世界で婚約者候補が出来たからって断れたし。
あの狂女が断るってどんだけヤバい男なの……と、恐怖が啓蒙されたわ。
だから私はマシュって、脳が緩むと股も弛むタイプだとは思ってなかったのに。残念、一晩ヤッたの?」
「―――違いますから!
それと下ネタ厳禁ですよ。どう足掻いてもセクハラです」
「これオフレコだけど、カルデアに労働基準法は存在しないのよ。
私が何をしても法律に触れない超法規的組織、それがカルデア。何せ、規律が私だし」
瞬間、所長とマシュがいる浜辺に影が落ちた。
「―――反逆と聞いて!」
その男、筋肉の暴力が視覚化した存在。パンツ一丁で女性二人に微笑む姿は、警察官が全力疾走して職務質問する光景であり、だがその男は国家権力に屈する精神を欠片も持たないことだろう。
「ほら、マシュ。そこにもバカンス気分の人がいるわ。人目も気にせず筋肉披露だなんて、正にハレンチ陽キャの勘違いファッション。注意しないの?」
「さぁ、マシュ・キリエライト。私と供に、そこな圧政者に反逆しようではないか。自由とは耐え抜いた先にある楽園であり、まずは己が意志で立ち歩まねば、抗いの旅路を始めることも出来ぬのだから」
「いえ……その、スパルタクスさんはそう言う戦闘着でありますし。自分の信念に従っているだけですし」
「圧政!」
「そうよね。そもそもあんな格好が平気なマシュが私に意見するだなんて、犬がこの犬畜生と犬を罵ってるようなもんだもの」
「なんと。ならば、マシュ・キリエライトよ……この反逆着、貸そうではないか。私は全裸でも一向に構わん」
「構って下さい! 倫理違反ですよ、スパルタクスさん!!」
「自分が憑依した女の子に、臍出し女騎士甲冑でコスプレさせるんだもの。きっとマシュの中の英霊も、スパルタクスの霊衣には喜んで力を貸すわ。違いないわね」
「――ッ……~~~~」
「なんと言う怒りの波動か! やはり我が瞳に狂い無し!!」
マシュが放つ憤怒の感情を狂喜する当たり、バーサーカーはやはり心の底では狂気が渦巻いているのだろう。
――と、まずは日課のマシュの精神観察を所長は終えた。多分に趣味が混ざったコミュニケーション方法ではあるも、ストレスは何であれ吐き出せる時に吐いておくべきだ。これ位の感情を表側で作らせれば、内側にそこまで悪性を貯めることもないだろう。
「……さて」
テーブルに置いてあるのは、
血液はそれだけで素晴らしいが、そも血は内臓によって作られる体液。故、自分の血液さえも好物である狩人の所長が、血を作るオヤツ一つに拘るのも不可思議で非ず。
「エミヤが台所への冒涜と罵るほどのものだけど、油に塗れた汚物も狩人にとって贅沢」
ジャガイモ、チーズ、マヨネーズ。更に油で揚げ、バターとピザソースでも味付け。それまた更にトーストしたパンの上に乗っけ、コンビーフを降り掛ける。脂肪と炭水化物を畏れぬ渇望の精神が可能とする冒涜的暴挙。
その料理に、名など無価値。
求めるものは炭水化物と油。
汝は油、罪在りきとゲオルギウスが叫ぶ反健康思考。
「カロリーの暴力……――否! カロリーがカロリーを打ち消す悟りの精神、それこそが七元徳の節制を尊ぶ神の意志。人はかく在るべきと古い時代より啓示され、その意志で人々は啓蒙されてきたの。
ならね、この料理に罪は無し。
むしろ、原罪を洗い流す贖い。
お手軽で安価に作れ、人の血となって生きる活力となるこの食餌は現代文明の理想でしょう。魔術王に神秘を啓示した神も、日々の節制は大事だって信仰心を啓蒙してるんだしね」
「……太りますよ?」
「おぉ、食事に対する反逆であるな!!」
「大丈夫。音速でマラソンすれば、カロリー消費なんてヘッチャラよ」
「それに、エミヤ先輩が本気で怒りますからね!」
「ダメね、マシュ。現代人の節制とは、不健康を恐れないことなの。自分の血液を脂ギトキドにする油料理は、されど懐と時間に優しく、故にジャンクフードは我ら社会に生きる人類から愛される。
食事で一番大切なのは、他人の目に媚びないこと。
なので、う~んんンンンンン……―――
「うわぁ食べた、食べました!」
胃を殺すギトギトな油塗りの何かを食べた所長は脳内から口より感動が零れ落ち、それを聞いた上に冒涜的咀嚼もマシュは垣間見てしまい、倫理崩壊を引き起こる発狂寸前となった。思わず漏れた魔力防御の圧力でマシュは眼鏡に罅が入り、だがその事に気が付く余裕もない。
「そんなに言うこともないのに……でも、そうね。スパルタクス、貴方は如何?」
「無用」
「真顔で断らなくって良いじゃない。でもま、好みは人それぞれね」
ローマからの逃亡により辿り着いた場所。名は形ある島。そこは隔離されている為に平和であり、同時に世界の悲劇にも無関心でいることが許された楽園でもある。
即ち、平穏が許された避難場所であると言う事。
暗黒帝国の脅威がないならば、特異点だろうと日常は日常であるのだろう。
「……平和だ」
「そ……そそ、そ、そうですね。マスター」
「あれ。何時もみたいに、ねっとりと
「―――ッヒ、そんなネットリだなんて……はしたない。
わたくし、そもそも婚儀の約束もまだな殿方に、そこまで厚かましい態度は取れません!」
「凄い。数日前の清姫に、今の清姫を会わせたいな」
「うわぁぁあああああ! 無理です、無理ですって思い出させないで下さいまし!!」
ラブコメの波動を所長が感じ、そちらの方へ内なる瞳を思念で向けると、何か実際にラブコメ劇場が開催されていた。
――ギャップ萌え。感情の鮮度と、未知との遭遇。
ロマニと食堂で麻婆豆腐を食べながら語り合った二次元視点の新解釈を所長は思い返し、新しい真実を瞳が脳を啓蒙する。カルデアでの赴任したことで所長になったオルガマリー・アニムスフィアは、神秘の探求に不必要なジャンキー的娯楽知識が脳へ凄まじく集積されることになった。とは言え、人と交流することを好む所長なので、何事であれ人生に娯楽要素が増えるのは大歓迎であるのだが。
「先輩……」
ボソリ、と隣の少女から漏れた暗い呟き。深淵を覗き込む遠い目で蒼い宙を見ている所長は、色の無かった筈の純粋無垢な少女に色彩が付くの嬉しく思う。やはり人間であるならば、綺麗な色ばかりではつまらない人間性に育ってしまう事だろう。
「狂女がねぇ……まさかねぇ……いやはや、でも可愛いものは可愛いのだから仕方ない。だからマシュ、もし藤丸の興味を引きたいのなら、貴女もギャップを狙うしかないのよ」
「はい?」
「ほら、そこに良い衣装があるじゃない?」
「圧政!」
「だから着ませんって!!」
マッスルポージングをする反逆の英霊を、マシュは素直な気持ちで否定した。やはりバーサーカーは、狂気の名のままに何処か狂っている。
「ヒヒン、人参有りますか!?」
「ないわね、
「そんなぁ~……って、凄いですね。オルガマリー殿、一体何を食べてるのですか?」
「カロリーの化身よ。最近、私の血って油のノリが少なく思ってね……やっぱり、血液を燃やすには大切なの。燃え易いトゥメルの血筋の秘密を暴く為にも、きっと私はカロリーが匂い立っていなさ過ぎるのが原因かも」
「いけません。いけませんねぇ……油ばかりで人参不足とは、馬的に許せませんね。ヒヒィン!」
尤も、狂っているのはバーサーカーだけではない。自分を呂布だと勘違いしている精神異常馬もまた、相変わらず精神汚染を引き起こす狂気を撒き散らしながらも、そんな自分と平然と会話ができる珍人物――オルガマリーに懐くのは自然な流れだったのだろう。
何より、強き者に引かれるのが赤兎馬である。
「――――――…………なんでさ」
一方その頃、砂浜の方を千里眼で盗み見し、所長諸々の様子を窺っていた
しかし、エミヤはそれ以上に戸惑っている。
果たして、これは夢か、幻か。特異点とは何であったのか。
「ヤァヤァおいおい。レッドマン、何か釣れたかワン? あれだけ自信満々なら、さぞかし大量だと思うのニャが?」
だがしかし、混沌は静かに這い寄る狂気に他ならぬ。独り言を聞かれた事を彼は察したが、その相手も同時に察したので特に気にする事もない。
「大量だよ、タマモ……キャット?」
「何故そこで疑問形ニャんだワン?
だがな、傾国レベルな我輩程のワンダフルキャット&ナイスフォックなら、おまえの煩悩を刺激するのも致し方なし!」
「そうか……――そうか?」
「そうだぞ、アングラー。ふふふ……しかし、おまえの御蔭でこの肉球も唸ると言うもの。我が特技、母の味を存分に皆の衆に御披露目出来るのだからな。
やはり、良い料理は活きの良い命あってこそだワン。紅閻魔先公の地獄の教え、料理上手なレッドマンにも特別に味合わせてやらんこともない」
「まぁ正直なところ、君の話は良く理解出来んが……だが、私の仕事を応援してくれているのは分かった。ならば、その期待に応えるのもサーヴァントの務め。
故に、是非とも刮目したまえ。この記念すべき、大量フィッシュタイムを!!」
―――釣り。それは海洋浪漫。人類の文明と直結した趣味。あるいは、優雅な休日の過ごし方。
何気に浜辺で寝っ転がる所長と似た雰囲気のサングラスを付けたエミヤは、白い歯を陽光で輝かせるイイ笑顔を浮かべ、釣り竿を豪快に振り放った。
「ニャんと驚き、ワンパンチ。警戒心ハイなお魚が、一発ケーオーの釣り放題。我、感動」
「ふははっはっは、フィッシュ!」
サイコな笑い声を上げる赤い釣り人と、犬か猫か狐か人かまるで分らない露出“強”な赤い獣巫女。その隣にて、何故か褌一丁になった忍びが一人。ある意味で所長とお揃いなほぼ全裸ないし少し忍者衣装とも呼べるが、特に意味もなく厳つい天狗仮面が更なる異様さを醸し出していた。
正に、ケイオス。混沌が這い寄るまでもなし。
忍びにとって竿は正道過ぎる。魚を獲るならば、
よって、その姿は忍びにとって正装だった。記憶より思い浮かべた天狗面を被れば、滅私の精神もより強まる。つまるところ、自分は今どうしてこんな事をしているんだろうと言う疑念を押し潰す為に、彼ほどの忍びであろうと形から入る事も大切なのであった。
「むぅ……――――アンバサ」
海中を泳ぎ回る忍びを見て、悪魔は思わず祈りの言葉が漏れた。藁蓑の褌天狗が悠々と魚を人魚のような俊敏な動きで突き獲る光景を見ていると、何だか脳味噌に良く分からない知識が啓かれる感覚に襲われる。カルデアにとって外様の招かれざる厭わしい客であると言う自覚を持つ悪魔は、ただ何もせず成果を待つ人間がどう扱われるのかなどボーレタリアでの悪魔殺し生活で充分理解しており、寄生虫化したファントムなどデーモン以下の無能として塵屑扱いされることだろう。
ならば、食料集めもまた大事なファントム生活の一環。草だけ食べていれば良い悪魔殺し共とは、生身の生きた人間は違うのだろう。だが、あの赤い弓兵のような釣り道具を持っている訳では……いや、なくもないのだが、その手のサバイバル道具を今は持っていない。楔の神殿に預けており、あの異空間に出入りするのも面倒である。
「――――――」
結果、悪魔は無言で海に飛び込んだ。忍びが先達から学んだ薄井流古式泳法を見た悪魔は、それを自分でも出来るのではないかと思った。愛用している騎士甲冑を脱ぎ、晒し慣れた下着姿となっていた。海を泳ぐのに万全となり、金属の鎧で沈む事はない。
何故ならば、人間は水よりも軽い。
海水ならば尚の事、人体は動かずに冷静沈着でいれば自然と浮かぶだろう。
「
筋金入りの
「フィィィイイシュ―――!」
無表情になったエミヤが、しかし一瞬でハイテンションとなって釣り竿を振った。針が狙う先はデーモンスレイヤーの頭部であり、弓兵のクラスに恥じぬ精確さ。見事に突き刺さり、そのまま沖から岸まで引っ張られる。
「デーモンの一本釣りとはな。その腕前、もはやグランド級。もしや釣り人の英霊……伝説のエクストラクラス・アングラーか?」
「やめてくれたまえ。あんなモノを釣るのは本意ではないのでね」
タマモキャットとエミヤの何でもないそんな世間話が、悪魔の耳に入ってくる。しかし、針が頭皮に減り込んでいる筈の彼はとても静かに、海中を引っ張られる儘に揺蕩うだけ。
「痛いぞ。しかし恥も外聞もなく、牢屋に閉じ込めたあの男のように、大声で叫んだ甲斐があったと言うもの」
……無言の儘、エミヤが竿のリールを回し続けてる。
投影した
「刺さっているのだが―――……お、頭血が海に広がって行く。
私の血が海に還る。呪いと海に底は無く、故にすべてを受け容れる」
「…………」
思わず魚獲りをしていた忍びが海中から助けに来たが、無言となる。その対象が変な独り言を呟きつつ、頭に刺さった釣り針に引っ張られて岸に戻って行く悪魔の姿を見れば、如何に滅私の心得を持つ彼であろうとも、宇宙空間に放り出された小動物のように茫然としてしまうのは仕方なき事。
それとなく召喚者の所長から監視するように頼まれてはいたが、これが擬態なら絶対に誰だろうと見抜けない。忍びはそう思い、悪魔が持つ人間としての性根が貴族生まれのボンクラお坊ちゃんであることを理解しつつあった。
「…………」
見なかったことにしよう。忍びはそう考え直し、食料探しにまた海中へと潜って行った。
「―――これが、カルデア。面白そうな奴等って思ったけど、早まったかしら。いえ……これは、確実に早まった判断だったわ」
「良いじゃない、ステンノ。何だかんだ、こんな雰囲気だったような気がするのよね。フランスでも」
「はいはい。ま、別に良いんだけど。反乱軍に島を貸すって決めたのは、私の意志だったものね」
「はぁ……本当、アンタってば貸すだけじゃないの」
「いやね、エリザベート。私はただ単に、人に酔うこの人狂いのローマが嫌いってだけだから」
「女神らしい、とでも言っておきましょうか?」
「別に。私が言いたいのは、命を殺したいなら、人間同士で好き勝手にどうぞ……と、だけ」
「ハ。女神らしいわね。だからこそ、此処は居心地が良いんだろうけど」
何処か人間を冷めた目で見る生粋の神なる
分かるのだが……やはり、常に大真面目と言う訳ではない。パラソルの下で椅子に深く座り込み、涼みながらも海の情緒を愉しむ姿からは、バカンスを満喫する友人同士にしか見えなかった。
「ハァ……可笑しいわね。どうしてこうなったのかしら」
自分を召喚した帝国を裏切ったコルキスの魔女――キャスター、メディアは自分の
現状の、今のこの光景に対して思ったのではない。
純粋に、あの“人間”と敵対する無意味さを理解していたからだ。
勝てる、勝てない、と言う観点を棄てなければ勝負の土俵に立つ事が許されない存在を裏切って、そこから如何に特異点に“勝つ”かなど考えても仕方がない。自分と同じ魔術師に召喚されたアレキサンダーと諸葛亮に口八丁で言いくるめられなければ、反乱軍残党に合流する選択肢など絶対に選ばなかったと、メディアは今でもそう深く実感している。
だが、カルデアを率いるあの女―――悍ましき、業が匂い立つ狩人。
所詮、人間と殺し合うのは人間だ。神も、英雄も、人間が全て狩り尽くし、殺し尽くし、魂を貪り尽くす。
〝人を殺すのは人間。神の命も、所詮は獲物に過ぎないとは……業が深い因果関係ね”
人狩り、獣狩り、王狩り、神狩り、英雄狩り、狩人狩り、上位者狩り……その全ての、人の業。それを解する人間性が融け込んだ神なる御酒を無理に呑まされ、無理矢理にローマで狩り取られた骨肉達のソウルを馳走された
だからか、メディアは期待以上に恐怖した。オルガマリーとそのサーヴァントならば、あの“人間”と同じ土俵に立つ事が可能だが、その勝負に人理を巻き込めば未来などない。
人間の中の人間。灰を名乗る女、アッシュ・ワン。
月に寄生された狩人。機関の長、オルガマリー・アニムスフィア。
はっきり言って、メディアはどちらとも関わり合いになどなりたくはない。カルデアの“マスター”が所長だけならば、余りの不気味さに反乱軍とさえ手を切っていた。
〝魂の暗さ……命に温められた闇……そして、人理によって膿んでしまった人の意志。
灰より這い出た
気が付かなければ、そもそも秘密を嗅ぎ付けない。しかし暴く気がなくとも、瞳を逸らす事は許されず。メディアはこの世の隠されたナニカを闇より啓蒙され、恐怖以上に好奇心が疼いて堪らなかった。それが、余りに愚かな貪欲さだと理解していたとしても。
「よぉヨォ呑んでる、メディア?」
思考の深みに嵌まった彼女へ背後からの奇襲。何者かが慣れ慣れ過ぎる気安さで負ぶさって来た上、顔面に凄まじく酒臭い息が襲って来た。正に悪魔染みた不意打ちだった。当人であるメディアは不快感しかないが、傍目から見ると構図そのものが面白可笑しい状況だ。
「呑んでる訳ないじゃない。馬鹿なの……えぇ、馬鹿だったわね荊軻」
「なんてしょっぱい対応なんだ。ふふふ、酒の肴に丁度良いな。やっぱり塩は酒とつまむと美味い」
酔っ払いが、と毒舌を内心で吐き捨てる。だが、こんな絡まれ方をされたら仕様がないだろう。
「酔っ払いが……」
「ヒドイ。でも残念、邪念が隠せてないぞ。貴殿がもし王様だったら、思わず刺しちゃうじゃないか」
良し、殺そう。メディアは答えを得た。そんな結論を彼女が出すのも仕様がないだろう。
「こら荊軻、駄目じゃない。メディアを困らせないように。昼間から呑み腐って、どうするの。呪われるよ?」
「呪いません。呪うより先に、強化した拳で撲殺よ。こんな酔っ払いに神言の呪詛は勿体無いと思わない、ブーディカ?」
「そりゃ、あたしもそう思うけど。や、でもその発想が怖いな」
「―――え……?」
生粋の
「え……って、どういうこと?」
「……何でも無いわ。後で私が調合した薬を渡すから、ちゃんと飲むように」
「うん。何時もありがと。感謝してるよ」
「くぅー、今日も酒が美味い!」
「飲み過ぎるな、とは言わないけど。ここならメディアの結界もあるし、薬の中和もあるから。実際、そこまで飲まなくても大丈夫じゃない?」
「狂気を紛らわせる為の酒だけど、酒気を紛らわせるのにも酒がいる。はぁ……それもまた、循環を強いる月の狂気と言うことさ。
まぁ、メディアの薬の御蔭で発狂して凶行に走る程、酒にも月にも溺れないでいるが」
「騙されちゃ駄目よ、ブーディカ。あれ、単純に飲みたいだけの酔っ払いの戯言ですから」
「やっぱり?」
「当たり前です」
「嘘ではないさ。全部が本当って訳でもないが。メディアもブーディカも、酔い潰れ扱いとは酷いじゃないか。全く、私の何処が酔っぱらってると言うのか」
「嘘じゃないってさ?」
「どんな偉大な英雄も、酒に溺れるとどうなるか……それを理解出来ない程に、貴女は無智ではないしょうに」
「確かにね……本当。確かに、確かに」
酒に溺れると碌な末路に至らない。どの神話でも、歴史でも、英雄譚でも共通する逸話である。思わず納得したブーディカは、深く深く、それはもう深く頷くのであった。
「ハハッハッハッハッハハハハ! ブーディカ、納得し過ぎだ。
そこまで頷かれたら、落ち込み過ぎて私、霊核から魔力が逆流しそうになってしまうじゃないか!!」
傍若無人とは正にこの事。平気で自分の意志で吐けるようにならなければ、酔いながらも更に酒気に酔い、酒を飲み続ける大酒呑みになどなれない。逆に言えば、そこまで飲み慣れたのなら、酔っている状態でもある程度は自分をコントロールして欲しいものだが。
「別に良いけど。でもさ、あたしに迷惑は掛けて良いけど、他の人には駄目だから」
「―――………あぁ、そう言う返事は酔いが冷める。
仕方ない。自重はするから、心配はしないで良い。無論、狂気にも呑まれはしないさ。丁度良い発狂と酒気の境界線も、メディアからの投薬もあって把握出来そうだからな」
「うん。分かってる」
「はぁ……最初から、そうすれば良いことじゃない」
結界を島に張り、ローマから完全隠蔽された反乱軍残党の新拠点を作り、ローマ帝国の各拠点に繋がる
だが、怒ると本気で怖い魔女で在るからこそ、ある意味で怒りの沸点は高い。本当ならば狂い死にしているモノを、酒気で狂気を薄めながら、そこまでして尚も戦いから逃げない意志。それこそ、本当の意味での傍若無人だと魔女は理解している。高い魔術知識を持つために、荊軻が如何程の綱渡りをしながら正気を保っているのか把握している。
〝面白いわね。だから、世界は守らないといけない……けれど、けれどね悪夢は巡り、そして終わらないものでしょう。
―――我ら夢の狩りなど所詮、蒼褪めた月の思索。
貪欲なる探求心より始めた狩りも、母胎に穢れた蟲を注ぎ込む悪夢の末路。
ならば我ら狩人は狩りを何よりも尊び、だが決して縛られてはなりません。
私を悪夢に導いた狩人……蒼褪めた幼い蛞蝓よ、貪り呑んだ血の遺志を己が意志とする為に、だから私は私を生み出し、瞳に脳が啓蒙されるのでしょう。だから、私は私を啓蒙する”
その全てを、所長は相変わらず“瞳”で愛でていた。カルデアでの生活がそうだったように、カルデアの所長になる前の時計塔時代もそうであったように……ヤーナムで、狩人の狩りが上位者に仕組まれた子孫繁栄の営みに過ぎないと理解した後のように。
全て、全てが幻影と同じ夢だった。
儚くも現実より確かで、混沌より悍ましい秩序が支配する古都。
魔物に血を犯され、魂を玩弄され……しかし、その悪夢さえ“
何もかもに気が付いた瞬間、彼女は己が業が本当に悪夢でしかないと理解し、だが赤子を望んだ彼らの渇望だけが本当に本物だったと自分の意志が自分の魂を啓蒙した。
〝この意志だけを―――私が、私とする。
我らの狩りが魔物の高次元的思索に過ぎなくとも、狩人の業に酔うのは私自身の意志だ”
故に、オルガマリーは決して諦めない。意味も価値も、自分に求めなどしない。血の意志とは、狩り殺された命の遺志であり、ならば狩人である彼女の源でもあった。
悪夢を啓蒙される前の、哀れな狩人だった彼女ならば、人理に興味などまるで湧かず、狩りに血を注ぐだけだった。だが啓蒙された狩人の業を、自分自身に啓蒙する程の高次元思索を瞳にしたならば、きっとカルデアが人理を救うことに価値を彼女は見出すのだろう。
〝だから……もし、こんな血が匂い立つ業に価値があるとすれば。全ての命を狩り殺す事を使命とする私に意味が生まれるとすれば、私の存在理由を示せる人理焼却が救いとなる悲劇。確かにやつしの言う通り、狩人は哀れにも程がある。業を鍛えた私たち狩人は、狩り殺す獲物がないと呼吸も息苦しい。
本当、世界ってモノは悲劇に満ち溢れてる。
私程度の意志では、隻狼が至った慈悲の悟りから余りにも程遠い……”
だから、決してオルガマリーは止まらない。存在理由を、存分に自分自身に啓蒙し尽くすのみである。鍛え上げた全ての業を、己が意志で叩き付けられる獲物を喜ばずにはいられない。
故に、彼女は心の底から隻狼を敬愛する。
その忍びを従者にした幸運を、正しく瞳で
慈悲もなく容易く修羅に堕ちて獲物を狩る狩人は人から程遠く、なのに忍びは慈悲を忘れず狩人に等しい業を一人の人として鍛え上げた。
〝暗い皇帝のローマか……―――まるで悪夢じゃない。人為的なのが忌々しいわね。
復讐の女王がフランスでの彼女のように生きた人間で、結果的にまたカルデアの味方になってるとなれば……いや、完全にあの人間性が腐った灰女の悪趣味。
どうする、私?
今度こそ、部下が精神崩壊起こすぞ?
私だって悪夢を出た後に折角取り戻したまともな精神性が、ただでさえフランスでズタボロだって言うのに。本当の意味で狩人へと逆戻りすれば、所長で在り続ける意志も失ってしまう。
感情移入しないよう無関心の儘に、それこそ魔術で冷酷であるって暗示でも掛ければ手っ取り早いけど。それは私の業への拘りから有り得ないし、部下を無慈悲な
とは言え魔術師としては、ビルゲンワースに連なる冒涜的探求行為は、褒められこそすれ、咎められることじゃない。まぁ魔術師の根源探索が常人の発想に思える程の、猟奇的探求心がないと発狂も思索の一つと学術に専念は出来ないけど”
所長とて魔術師の外道具合と、古都の研究者の狂い具合を比較する無意味さは理解している。違いがあるとすれば、願望による探求か、知識を求める底無しの飢餓か、その二点であろう。人道に対してどちらも成り振り構わないのは同じだが、狂い方に大きな違いがある。
勿論、所長は智慧と業に飢えに飢えた獣である。上位者もある意味で、オルガマリーと同種の思索を捕食手段とする餓えた獣だろう。加えて、貴族的魔術師の思想も持ち合わせ、戦争を営む政治屋としての残虐性もカルデアの所長として育てる必要があった。
それを踏まえると、彼女こそヤーナムが生み出した最も悍ましい狩人だと評価が可能だろう。あるいは、だからこそオルガマリーの召喚儀式の呼び声に幼い夢の狩人は応え、今の星見の狩人へと導いたのしれない……と、所長は啓蒙されたが既に思考は次の段階に進んでいた。
〝……ブーディカ、か。結局、成る様にしか成らないわね。
ローマは一日にして成らずって言うけど、悲劇的な結末も善意の積み重ねによる未来の選択。この特異点でそれをカルデアに意図的に味合わせる当たり、アン・ディールの奴も皮肉が効いてると言うか、何と言うか……はぁ。取り敢えず、狩り殺してから復讐は考えましょう”
きっとカルデアでの生活は、死ねない彼女にとって永遠の思い出となるだろう。人理修復の旅も、このまま続けば同じことだろう。
尤も、特異点が悪夢なのは古都と変わらない。悪夢は巡り、滞りなく循環する。
故に、フランスと一緒でローマもまた同じ結論に至る。所長は藤丸のことをカルデアで最も理解し、同時に何の遠慮もなく一人の人間に対して過大な期待を負わせる事に一切問題ない事実を、正しく啓蒙し尽くし済みである。感情や感傷、罪の重さに比例する罪悪感による憔悴、ないし劣等感と無力さによる傷心も情報として完全把握し、精神構造を見抜いた上で、そう判断する生粋の非道でもあった。
〝英霊とて、人。私はそう言うのを永遠に実感出来なくなったけど、凄く都合の良い人材をカルデアは最後の最後で拉致も同然で勧誘に成功した。
フランスのジャンヌと同じく、ブーディカはローマでの鍵。
今回も、きっとフランスみたいに巧く運ぶ。運ぶだけで皆に傷は付くけど……まぁ、無傷で人理は救えない”
人の死による傷は時間で薄れてはしても、魂が死ぬまで残る傷痕になる。ヤーナムで魂が消える程に擦り切れたオルガマリーにはもう理解出来ないが、藤丸とマシュが苦しむ姿は容易に先読み出来ている。
儘ならないものだと内心で嘆息し、何度目かの再考の結果、灰の早期抹殺が人理修復に必要不可欠だと改めて理解する。あれを野放しにしたままだと、カルデアにとって人材の摩耗が致命的に早過ぎると啓蒙された。
〝今回はまだ守り切れる可能性はあるけど……っ―――次、死ぬわね。
確実に死ぬと把握出来たのなら、このローマこそカルデアに残された最後の分水嶺って訳かしら?”
自問自答の繰り返しをしている時点で、彼女の答えは決まっている。相棒に忍びが付いて来るならば、不可能を可能にするのも容易いと分かっている。
それでも、一握りの不安が脳に残留してしまう。
果たして、カルデアで人類史の最先端を貪欲に学び続けていた灰が、何を特異点で夢見るのか……それだけが、まるで闇に鎖されたように瞳でも見えなかった。
おお、エルデンリング。エルデンリング。新作が待ち遠しくて、今が色褪せてしまう作者です。しかし、褪せ人とは……フロム脳を刺激する単語がまた生まれて、何と啓蒙深い喜びでしょうか。
同じく、六章の映画もマジェスティックでした。全ての戦闘シーンが、クリエイターがノリノリで描いているのが分かる迫力でして、しかも表現方法も違って全て素晴しいとは夢のようでしたね。