血液由来の所長   作:サイトー

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 焚火の前での会話中は、ずっと狼さんが忍びらしく聞き耳を立てているイメージをして下さい。


啓蒙53:血液由来の遺志

 眠る前、オルガマリー・アニムスフィアは外で火を眺めていた。

 裏切り者であるアン・ディール(アッシュ・ワン)が火を好んでいたのを思い出す。

 同時にカルデアでの数年の生活を思い返す事で、彼女をまだ友人のカテゴリーに入れている自身の執着心に呆れ返し、だからこそ自分の手で狩り殺したいと餓える狩猟欲求(ショウドウ)を自分自身の感情だと大事にしている。

 焚火は悪くない……勿論、良くもないが。

 そもそも所長はヤーナムで過ごした時間が余りに長過ぎ、焚火に良い思い出は全く無い。

 火を起こせば薪は燃え殻となり、そして灰となり、何時かは風に吹かれて消えてしまう。

 

「……………」

 

 灰の名の通り、記憶から風化してしまえば気も楽なのに、アッシュ・ワンは太陽のように凶悪な人間だった。

 

「………はぁ」

 

 古都での焚火の薪は人間だった獣。磔にされた獣が焼かれ、纏めて焼死体が焚かれていた。死臭が漂う煙を良く嗅ぎ、所長の嗅覚は生き物が生きたまま焼かれる強烈な悪臭になれてしまった。尤も所長は敵対する相手を一度は焼き殺してきた為、むしろ獲物を焼死体にする側の狩人であったのだが。

 

「で、貴方。冬木で私達と会ったのは覚えているのよね?」

 

 独り言として火に焚べられる筈の言葉。彼女の横でそれを聞く人物が一人おり、静かに火を眺めて居たかった所長の意志を乱す存在が口を開く。

 

「勿論さ。殺せなかった相手を忘れる程、殺し合いに淡白ではないぞ」

 

「それって私からすると2、3カ月前の出来事なんだけど、貴方からするとどの程度前の事なの?」

 

「―――鋭いな、貴公。違和感に賢しい者は、実に好ましい。

 正確な答えは私も定かではないが……そうだな。確実に言えるのは、彼是千年以上は前だ」

 

 世界間を自在に渡る悪魔に時間軸など存在しない。千年前も二千年前も、現在からすれば昨日のこと。

 

「まぁ、そうでしょうね。そんだけ技量が上がってれば、他人の業に無頓着な奴でも気が付くわ。

 霊基を透視しても前と変わらずに、その……それ――殺戮技巧がランクEXってなってる。けど評価限界を超えたEXランクは、その中でも更に多寡がピンキリですものね。

 どれ程の、数多の世界の人々を殺して来た?

 何人の魂を、その魂で貪れば―――英霊の座そのものに匹敵する魂なんて、持てるのでしょうね?」

 

「魔術回路と同様に、殺した相手が魂に保持していた霊基と言う概念を己がソウルに組み足してみたが、敵に計られてしまうのは問題点だな。

 故にしかと隠している筈なのだが……―――いや、内側の瞳による啓蒙か」

 

 灰と同じく、そもそも魂が一つの世界―――あるいは、人型の地獄となった存在。

 真性悪魔や妖精は異界常識を持つも、悪魔殺しはそう言う存在ではない。固有結界としての心象風景を抱いているのではなく、本当に限度なく、世界を貪る悪魔として魂が濃密に深まってしまう。

 

「なによ、知ってるの?」

 

「ヤーナムには幾度か訪れたことがある。彷徨している内にな。貴公は、あの部類の不死だったな……」

 

 人間からは獣血の虫が湧き、上位者には神秘の虫が寄生する。内側から生まれる血液の虫に溢れ返った血腥い古都は、悪魔からしても冒涜的悪夢であった。

 しかし、まだ不死の無価値さを知らない。それを彼女は理解しているようであるが、まだまだ遠い未来の絶望であり、だが不死故に明日も千年後も本質は同じ未来に過ぎない。実感としてソレを味わえば、そもそも人理になど欠片も興味を抱く筈もない。

 ならば、この不死には不死の末路を語る意味がある。どうせそうなる故に未来の話に価値はないと悪魔は理解していたが、何れ成り果てる魂には無意味ではないとも解っていた。

 

「……オルガマリー・アニムスフィア。我らと同類なら、やがて貴公も分かることだ。惑星が消失し、宇宙が冷却し、時間が崩壊し、それでも尚―――死ねぬと理解する。

 眼前に映る全てと、自分自身に、何一つ価値がないと理解する。

 その時にやっと我々のような愚か者は、無価値極まる使命の意味に気が付く。己が心を折る事が出来ない者に、人生における達成感と満足感と、生死の充足を与え、永劫に生きる魂から己が意志を脱却させる最後の手段だと。心をな、やっと失うことがその時に出来る。

 亡者としてでもなく、死骸としてでもなく、魂が霧となって心が―――灰となる。

 数や時間など価値はない。何故ならば、徹底して全てが無価値であり、どのような事をしても一切合切が無意味であるからな。

 分かるだろう―――繰り返すのさ。無限に、永遠に。

 自分自身の全てが無価値であることに何故か耐えられてしまった、我らのような永劫の死骸はな」

 

「そう、分かったわ。全部覚えていて、でも全て如何でも良い位には、殺し尽くしてきたって訳ね?」

 

「その通りだ」

 

「じゃあ、何で貴方は存在してるのよ?」

 

 そこまで、自分にも世界にも価値を見出だせないなら、今直ぐにでも消えれば良い。

 

「理由などない。あの灰もそうだが、徹底して我らは無価値。同時に、無価値であるからこそ、何の意味もない目的を意志として抱いている」

 

「目的……―――アッシュは、強くなる事だって言ってたけど?」

 

「知っているぞ。私も似たようなモノだ」

 

「はぁ、どう言う事よ?」

 

「目的が善だろうが、悪だろうが……その目的に価値を求めていた輩では、この繰り返しには必ず耐え切れない。これまでの苦行、欲した何か……そもそも、そう願って動く自分の心と魂が、無駄で無価値だったと悟る時、意志がソウルから消えてなくなる。

 自分が自分で在る認識しないと存在出来ない魂では――駄目なのさ。

 この不死の業には耐えられない。やがて繰り返せなくなり、そう言うのは自然と繋がりも断たれ、私のような者以外は全員消え失せた。そんな無意味な繰り返しの中、更に何かに満足した場合も、それは生死を止める理由となるからだ。

 この世界で言う英霊のような煌く人間性……そうだな。自分の在り方、魂の尊厳と言った意志の持ち主はな、生きて為し得た何もかもが無価値である事には耐え切れないだろう?」

 

 世界を救いたい。人間を良くしたい。英雄になりたい。恩返しがしたい。誰かを愛したい。神々に復讐したい。人間に報復したい。敵を殺戮したい。安寧に生きたい。安らかに死にたい。

 全て―――無駄。

 愚かであり、無価値且つ無意味。

 神を恨む事に価値はなく、人を憎む事に意味はなく、魂が死ねない不死は徹底して何も為し得ない。そもそも他者や世界に何かを求め、自分以外を寄る辺にする時点で、何れかソウルは霧散し、魂から意志は風化する。

 何故ならば、如何なる結果に辿り着いても、またそれを永劫に繰り返すだけ。どんな動機を持とうと、本当に永劫を存在し続ける不死は、終わりなく全てを永遠に繰り返す。例え世界を救いたい足掻いたとしても、救った直後にまた世界を救い、不死はそれを何百何千何万と繰り返す事になり、あらゆる所業が人生に還らないと悟れるだけだった。

 

「成る程。分かったわ……うん。そう言う奴、私も一人だけ知ってるから」

 

 魂さえも死ねないのなら、そうなのだろう。無に還っても存在出来るなら、死が人生の結果とはならない。世界が終わっても存在し続けるなら、今のこの感情も無駄になる。

 自分と世界に答えがない―――と理解した時、その意志はきっと魂を抜け殻にする自己となる。

 オルガマリーは内なる瞳(インサイト)でデーモンスレイヤーの言葉を噛み砕き、やがてそう成り果てる自分への教訓とした。

 

「あぁ、あいつだろう。確か、狩人だったか?」

 

「会ったこと、あるの?」

 

「昔な。貴公らと邂逅した後、悪夢で邂逅した。その脳内にいる蛞蝓とは別の、夢の分身として活動する意志の幻影では在ったがな。

 故、殺し合う果てにこのソウルで奴を食したさ……あぁ、大変に美味であった」

 

「―――ハ?」

 

 ―――上位者(グレート・ワン)古狩人(オールド・ハンター)

 悪夢から生まれ出た悪夢が、新たな悪夢を夢見る瞳の絵画。悪魔は貪り尽くしたが、そもそもヤーナムが濃霧に呑まれたところで―――……夢だった。

 全てが死んで終わりに出来るなど、所詮は悪い夢に過ぎなかった。奴らと同様、真に不死であれば獣の霧に消えるなど、そんな救済は有り得ない。汎人類史から完全に隔離された古都で在れば、特異点にも異聞帯にもなれず、歴史に濾過される事も許されない。

 

「貴公の師は、良い魂の味である。生まれるべきではなかった無能者……狩人となる前は人以下の獣と扱われていた哀れな男だ。差別と不理解と理不尽で、心身を人間社会の手で苦しまれていたそこらに生きている普通の人間。

 つまるところ、私と全く同じ、悪魔や狩人になどそもそも為る必要のない常人の成れの果て。この世の英雄と比較する意味も無い程に、変哲もない一般人だろうよ」

 

 狩人にとって、生まれなど意志で作り変わる。記憶など、あの場所で目覚めてから全てあやふや。しかし、それは確かに人間だった証である。それがないのならば、病魔に打ち克つ為に古都に来る意味を失い、狩人の意志を持った価値が消えてしまう。

 オルガマリーは、だからオルガマリー・アニムスフィアで在らねばならない。

 夢見る前の不確定な自分自身が幻となって揺れ動くのも、自分以外の意志が融けた血液を流し込まれたからなのだろう。

 

「そうでしょうね。私だって、特別な存在じゃない。でも、耐えて、耐えて、何でも無い自分の意志なのに……誰だって不死はこうなるしかなかった。

 だから、英雄と違ってこんな様なのよ。

 私も師も、悪魔も灰も――――……皆、無様じゃない自分の存在を維持出来ない」

 

「残酷な事だ。だが、良いのだ……それで、全く良いのさ。私もそもそもは、人類救済と英雄願望を抱いて霧に呑まれた愚か者。今思えば、人が普通の日常を送れる世界などと、実に無価値な幸福を夢見た……只の、貴族の生まれのボンクラだった。

 生まれ故郷を救う為、デーモンと戦った結果が……逆に世界を滅ぼし続ける古い獣の奴隷兵。

 だがな、そう成り果てるのは誰でも良かったのだろう。私以外の誰でも良く……いや、そもそも魂に価値など無いのならば、最後まで戦い抜いた誰かが私だったと言うこと。

 英雄でも、救世主にもなれない只の私である故、きっと人知無能の悪魔で在る資格があった。だが殺戮によって人の魂を剪定し、より多くの世界を守るのならば、人道を踏みにじる悪魔で在らねば何もかもが霧散する」

 

「啓蒙……内なる瞳……下らない。本当は、下らない。どうせ、見えてしま得るだけだ。私は如何でも良い。貴方の魂が見せる夢も、私にとって愉しいだけの過去の絶望でしかない。

 ……不死に魂の在り方など、存在しないのだもの。

 どんな悲劇を愉しもうとも、全ては泡沫の夢じゃない」

 

「それを理解したならば、分かるだろうに……貴公を悪夢に導いた狩人も同じだと。何故、貴公がアン・ディールと名乗った火の簒奪者に執着してしまうのかを。

 上位者となって人道を解し、初めて人間性を啓蒙された哀れな狩人であり。

 不死への探求に失望し尽くし、だが灰として絶望を焚べる呪われ人であり。

 尤も、私も奴隷に成り果てた末、この様を幸福だと悟る惨めな悪魔だがな」

 

 語るまでもない結末だった。世界を救おうとボーレタリアに挑んだ男は、獣の眷属となって数多の世界を滅ぼす尖兵に成り果てた。

 これを無様と言わず、何と呼ぶ?

 オルガマリーもこんな過去を瞳で暴かなければ……だが、きっとマシュも感じていたのかもしれない。何かの為に世界を滅ぼし続ける運命を、たった一人で背負い続ける故に、彼は人間ではなく悪魔となってしまったのだと。

 

「生まれも、過去も、今は関係ないでしょう」

 

 だが理解して尚、オルガマリーは瞳に情を宿さない。今がそう在るのならば、過去の意志は血となってその者の運命を動かす生きる活力となっている。

 関係がないとは、そのまま正論。結局、どんな過去を抱いて悪魔がデーモンになったのだとしても、そう成り果てたのなら既にもう価値のない物語である。踏み止まるべき最期の一歩を進んだのなら、誰であろうともデーモンになるだけの宿業だった。恐らく、悪魔殺しのデーモンになれる人間ならば、彼を不死の因果律に引きづり込んだ者は誰でも良かったのだろう。

 

「人でなしになったなら、それはそう言う意志に至った魂と言うだけ。ただの言い訳。人殺しになってまで、人間は人間を救おうなんてしなくて良いのよ。

 自分の生命や生活の為に人を殺すのなら歴史の営みだけど、社会貢献の為に殺戮なんてするもんじゃない。地位と名誉と称賛を得てこその英雄願望であって、無欲であれば本当に……本当に、自分で自分を憐憫する程、自分自身の人生に何も返ってこないのだから、終わりも来ない。

 私や師の様に、自己完結した自己中心的な求道者でなければ……自分の外側に、自分の価値を求めるような者は、どうせ最後は自分自身に裏切られる」

 

「その果てが、この末路。無論、実感しているさ。誰も帰って来れないあの国の霧を進むとなれば、その先にあるのは自分の破滅だけと。世界を救っても、自分の人生に返る幸福は存在しない。無価値な生涯として幕が閉じるのだとしても、その終わり方で故郷が救われるなら無意味ではない。

 だから、あの時はそれで良いと―――決めたのだ。

 誰かが成し遂げなければ、何もかもがゆったりと死に絶える未来しかないならば、私だけでも最期まで足掻き続けてみようとな」

 

「ふん………―――ッチ。屑の癖して、人間らしい在り方ね」

 

「ならば、私はそのままの意味で人間の屑で在ると言う事さ」

 

 視線を悪魔に向けず、彼女は焚火を見詰めていた。獣が焼かれる死臭を幻覚し、自分の血肉が焦げる悪臭を思い出す。

 やはり―――火は、狩りの道具に過ぎない。

 左手に持つ松明で獲物を面白半分で焼き殺した過去に対し、彼女は何の罪の意識も持たない。相手の顔面に火を押し付け、体中を高熱で焦がし、拷問するように弄り殺す。相手が血に酔う狩人であっても、そう言う縛りを科した狩りも一興だった。狩人ならば誰もがする娯楽だった。悶え苦しみながら、身を捩って焼死する獲物共に狩りの悦楽を覚えても、そこには一切の同情がなかった。

 

「……………」

 

 自分が投擲した壺で油塗れになった獲物に火が付き、絶叫を上げて死に絶える様を初めて見て時、オルガマリーの意志に何が芽生えてしまったのか?

 狩人は余りにも――罪が深過ぎた。

 悪夢に囚われるとは、今までの人間性に別れを告げる事だった。

 

「しかし、貴公は人のことを言えるのかね?」

 

 その全てを―――悪魔は見透かしている。

 あらゆるデーモンの中でも、この悪魔殺しは更に悪魔的だった。

 

「言えるわ。だって、私は貴方と同じだもの。自称健常者なら、悪魔の貴方に人間らしい屑の部分なんて見えないでしょう?」

 

「フ。確かにな……あぁ、尤もだとも」

 

「鼻で笑うな。狩るぞ、殺すぞ……ってか、発狂されるわ」

 

「怖い女だな、貴公。しかし、その気の強さがなければ、カルデアなどと血腥い組織の運営など勤まらんのだろう」

 

「残念ですが、私の組織は健全そのもの。社会保障も充実し、残業代もきっちり払います。今は倒れるまで働いて貰ってるけど、意識不明の重体者も私の御薬で元気一杯邪眼凛々よ」

 

「なるほど。良い草を栽培しているようだな」

 

「カルデアは治外法権の国際組織ですからね」

 

 所詮、魔術師が運営する魔術工房。本質的には何でも有りである。法律などなく、オルガマリー・アニムスフィアが全ての規律であり、且つ規範となる。

 

「ふふ。だが、良いさ。深刻な話を馬鹿話として愉しむなど、貴公や灰や、後はあの狩人程度としか出来ぬ娯楽故な」

 

「物事に軽いも重いもないのよ。全ては意志一つよ」

 

「それもそうか。であるならば、私のソウルを見抜ける貴公は、私の過去もまた啓蒙されていることだろう。無論、私もそれは同様。よって貴公が歩んだ日常が如何に血塗れの毎日だったとしても、眠りに付くの前の世間話として聞くのも一興だ」

 

「何よそれ、私相手にナンパかしら? 

 悪魔に似合わない……いや、無駄なに美形な貴方の顔には似合ってると言えば、似合っているけど」

 

 美形だと皮肉交じりに褒められ、悪魔は苦笑する。心底から本当に(ソウル)を奪われた相手は目の見えない女の悪魔(デーモン)であった為、そもそも悪魔にとって自分の見た目など最初から徹底して無価値であった。

 だが今はあの火防女(デーモン)の代わりに、この悪魔は古い獣と共にいる。そう考えれば、古い獣から彼女のソウルを奪い取った間男に自分がなることを、彼はオルガマリーと語り合うことで思い至った。

 

「クク……焚火を前に、語り合うのが人間が行う人付き合いの良いところだ」

 

 中身のない暗い笑み。その口から洩れる言葉は浅いが、だからこそ隠れた意味合いによって重過ぎた。

 

「別に私は幾ら貴方の美貌が優れてるからって、人間の顔の造形に欲情しないわよ?」

 

「だろうな。扁桃体(アミグダラ)の貌や、蕩けた柘榴の貌を美しいと思う貴公の事だ。あるいは、何も無い暗い穴の無貌もな。

 もはや、人間の美意識など名残り程度だ。

 そう言う意味では、まだ悪魔の方が狩人よりも人間味があるのだろう」

 

「ふぅん。その口ぶり、食べたのね?」

 

「美味だった。デーモンとはまた違う風味がする。狂人が崇め奉る神であれば、我が獣性にも良い刺激となることだ」

 

「だったら、きっと貴方の意志も狩人からすれば至高の法悦でしょう。

 ……それこそ、生きる活力が湧いてしまう程に」

 

「是非とも、死を繰り返した果てに悪魔を狩り給え。貴公らからすれば、手慣れた食事のマナーだ」

 

「冬木では兜で見えなかったけど、その御綺麗な貌だとマナーに沿った振る舞いはさぞ映えるでしょう」

 

 男にも女にも見え、その両方にも見える奇跡的な悪魔の顔立ち。普段は兜や装備品で貌を隠している悪魔の騎士だが、暗い夜の中、焚火の光に足らされる今は暴力的なまでの美貌を更に深めている。同時に、陰鬱な負の魅力にも満ちてもいる。神か遺伝子か、又はその両方が何かの偶然でデザインした芸術品だとオルガマリーの瞳は啓蒙し、だが一切彼女の意志には響かない。

 

「貌は生まれつきでな。とは言え、兜を被っている方が私は性に合っている故、そこまで自慢できる顔立ちでもない」

 

「はぁ……」

 

 男性的でありながら、女以上に女性的でもある美貌を持つ悪魔の厭味を彼女は軽く聞き流す。本題に入る為には、彼女の方から斬り込まないとならない。

 

「……埒が開かないわ。貴方の目的は知ってるのよ、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の騎士」

 

「ほう」

 

 重く溜め息を吐く所長に、悪魔は綺麗な貌で微笑んだ。元から綺麗なのは真実であろうが、デーモンとなった今では人間の限界以上の美貌を持ち、人の正気を容易く削る暗い麗しさに溢れている。老若男女関係無く、悪魔は顔一つで人の魂を貪るデーモンでもあった。

 それを前に、所長は瞳を蕩けさせる。

 悪魔に魅入られたのではなく、その意志を喰い込むように見詰めている。

 

「―――古い獣狩り」

 

「正しく―――」

 

 それを、悪魔は即答した。

 

「隠さないのね。その気になれば、無色の霧で何でも隠せるのに。根源を覘く千里眼だって、貴方の濃霧を見抜けないでしょう?」

 

「貴公ら狩人の瞳の前では、とてもとても。尤も、貴公程度ならまだまだ曇らせられるのだが」

 

「へぇ……?」

 

「貴公の師である夢の狩人と比較すればな。だが、安心して欲しい。人類など所詮、蛞蝓にも劣る知性体であればこそ、神でさえ不可能な所業に挫けることもない」

 

「良く言う……下劣な獣の悪魔風情が」

 

「蛞蝓の台詞とは思えんが。だが、獣と比べればまだ上等だろう」

 

「―――ッ……蛞蝓ね。私を、蛞蝓と呼んだな?」

 

「貴公が召喚したサーヴァント……あぁ、あの忍びではないぞ?

 一番最初に呼び出したそれに脳髄に寄生され、もはや心象風景を悪夢で塗り潰されてしまっている。貴公は確かにオルガマリー・アニムスフィアなのだろうが、同時にマシュ・キリエライトと同じデミ・サーヴァントもどきでもあるようだ。

 しかし、彼女と大きな違いは……物理的にも、貴公は変質してしまっている。蛞蝓も、貴公の脳の内側に存在している。

 サーヴァントの力を持ち得ながら、貴公はサーヴァントではない生身の人間だ。サーヴァントであるのは、その内側に寄生する精霊を超越する蛞蝓に他ならない。そして、その蛞蝓はサーヴァントと言う匣を利用して霊体を送り込んだだけの、狩人本体の分身でしかない」

 

「貴様……ッ―――」

 

 所長は、誰にも悟られた事のない真理を告げられる。見破られている事は理解していたが、悪魔から直接言われることで殺人衝動が意志を魅惑する。

 

「彼が鳴らす小さな鐘の音が、脳内より聞こえるのだろう?」

 

 だが、一瞬で殺意を抑えた。表層の真実ではなく、悪魔は本当の意味で真理を解していた。それを理解した時、オルガマリーもまた真理を啓蒙される。ならば、殺意など価値はない。狩るべき獲物でもなくなった。

 

「――――――ふぅ……で、それがなに?」

 

「いや、特には。純粋に、何故その蛞蝓を殺さないのかとな?

 べたつく蟲が脳内にいるのは気色悪いだろう。業を抱く今の貴公なら、そもサーヴァントの能力など無用。そして、必要となれば自分専用の霊基など容易く脳髄より啓蒙されるだろうに」

 

「あぁ、そう言う……成る程。言い回しが誤解を生むわよ?」

 

「そうかね。その気になれば頭蓋に手を突き入れ、そのまま蛞蝓を内臓を抉るように摘出可能だと思い至ってな。

 好きでそのような上位者の叡智に心身を犯された肉細工(オトメ)を演じる必要が、そもそも貴公にとって価値のある状態なのかと。私は良く貴公の情緒を理解出来ず、疑問を抱いてしまった」

 

 その問いは、正しい意味でオルガマリーの理解者だから可能な事だった。カルデアにいる時は灰もそれを分かっていたが、あの灰は逆に答えも同時に理解していた故に問わなかった。人格を理解する事と、意志に感応する事は、全く意味が違うのだから当然ではあった。

 

「―――必要だからよ。

 狩人の業を全て継承するまで、師が私を利用する代わりに私も師を利用する。要らなくなったら、最期は意志を受け継ぐ為に狩り殺す」

 

「隠し事はいけないな……―――だが、良い女が持つ秘密は甘い香りを漂わせる。それもまた貴公の魅力なのだろう」

 

「不死同士なんてそんなものよ。師の良い様に、私の体を好きに使えば良いだけのこと」

 

 暴かれたことに嫌悪も羞恥もない。人に臓物を曝け出しても何も思えない彼女にとって、その程度の秘密は知られても損はなかった。

 しかし、反論はしなければならない。

 正確に言えば、相手の秘匿を曝け出させなければ、瞳が疼いて仕方がない。

 

「けれども、古い獣狩りねぇ……良く言います。何回も繰り返し、幾度も繰り返し、延々と永遠の中で、殺し続けた後でしょうに」

 

「無論。既に、狩りは行われた。この身は名の儘、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)で在るならば、相手が神なる獣であろうとも殺せるのは道理」

 

「だけど―――滅ぼせなかった。

 魂を完全に殺した程度では、獣の滅びは許されなかった訳ね?」

 

「あぁ、そうだ……――――」

 

 所業を振り返る。悪魔は眠り続ける主の姿を脳裏に描き、それを殺し続ける自分の過去を幻視する。

 

「―――私は古い獣を殺した。

 何度も殺した。何千、何万、何億……分からない程に、一日に百度以上殺す日々を何千年も過ごした。元よりデーモンとなったこの身を更に肥やし、滅ぼすべき古い獣の眷属になったのはあの獣を殺す為だ。

 ……だが結果として、獣は滅ぼせなかった。

 本当の意味で、あれは全ての魂にとって神となる獣であった」

 

「獣の眷属とは名ばかりね。貴方のその魂、使徒として仕える筈の神を貪り続けたから、本当に宙と同等になってしまってるわよ?」

 

「だが人類は宙に手を届く。そしてデーモンとなろうとも、人では獣を滅ぼせない。故に人でしかない私でも獣は殺せるが、その魂を死なせられなかった。

 ならば如何に強力なソウルに深化しようとも、この強さに価値はない。鍛え上げた業に、価値などなかった。そもそも鍛え上げる為の意味さえなかった」

 

 しかし、そんな諦観も価値はない。悪魔は正しく人も獣も理解していた。悪魔の魂(デモンズソウル)を求めるのも、結局は人間だと何度も悪魔は見続けていたのだから。

 魂を滅ぼすのは―――ソウルではなかった。

 生きようとする魂の意志を殺さねば、ソウルは永遠。

 心を折らねばならない。存在理由しかない獣の意志を砕くには、人間の無意味さを武器にするしかない。

 

「だったら、何も無くなるまで殺し続けるしかないんじゃない? まぁその結果が、今の貴方なんでしょうけど」

 

「然様。喰らえど喰らえど、あれは甦る。ソウルを貪って完全消滅したところで、何も無い零から魂が蘇生する。獣に仕える使徒であるが、もはや我が魂は主となる古い獣よりも肥大化してしまっている。

 ……とは言え、我が身も同じで在るがな。

 不滅を超えた先にある不死の理。故に我ら不死、魂が生じた根源にさえ居場所がない」

 

「―――まさか。根源って……貴方達……」

 

 不死と根源。死なない者共が辿り着く必要がない魂の帰るべき外側。

 

「理解が早くて良い女だよ、貴公。そんな存在がもし、魂だけが溢れる外側に気が付いたらどうなる思うかね?」

 

「理性のない獣だから、貴方を眷属にした獣は世界を濃霧で覆って食事をするだけ。でも、この世界と言う箱庭からそんな魂が抜け出してしまったら……その場所で、際限なく魂を食べるわね」

 

 オルガマリー・アニムスフィアは世界の真実を啓蒙された。瞳が強引に彼女の意志を啓蒙した。

 滅ぼさなければ、人の魂がある外側が―――餌場になる。

 

「あぁ。故に私は、我が主の腹が空けば食事の準備をしなければならなかった。食材となる人間の魂を食べる世界へと導く使徒となり、世界を滅ぼす無様な獣の眷属とならねばならなかった。あの獣を放っておけば、魂の赴くままに最後の場所に辿り着くのは明白だった」

 

「でも、そうなるかなんて分かるものじゃないでしょう?

 そもそも外側には時間軸がないから、その獣が世界から生まれた時点で根源から魂がこの世界に流れ落ちる訳がない。矛盾が生じる。

 だったら、そこまで進化するって考える方が―――」

 

 同時に、瞳でも啓蒙出来ない未来がある。悪魔の語る真理は見通せるが、悪魔と古い獣は霧が掛ったようにまるで分からない。

 そして、分からないと言う事は確定していないと言う事。

 

「獣に因果律は存在しない。未来も同様に今は存在しない。同時に、根源よりソウルが消え、全ての世界が消えたとしても、保険はもう私が作ってある。

 私と灰の企みが潰えようとも、どう足掻いても人間の魂は獣から救われる。この今の世界の魂が、あるいは既にソウルの業より描かれた魂では無いと言う保証はないのだぞ?」

 

「あ……っ――え、は?

 待て、待って、待ちなさい。だったら、それじゃあ、そもそも延々続くだけじゃない。悪夢と同じで、終わらな……………まさか?」

 

「人理などに私は手を出す意味はない。だが、獣より魂を救う邪魔をするならば、この世界の人類史を容易く濃霧に飲み干させるだけだ」

 

「でも、それじゃあ……この人理じゃあ結局、灰も貴方にも手を出せない」

 

「無論。故に、結局は何者かの意志で剪定が行われる」

 

「―――ふざけないで!」

 

 全て、無駄ではないか?

 何故、価値がないのか?

 

「仕組まれていて……ッ―――七柱の獣も、じゃあ人理にとって利用価値のある益虫でしかない。

 真に害獣となる古い獣を滅する為に用意された生贄で、人理焼却も所詮は舞台装置の茶番劇に堕落する。私がカルデアの所長になったのも、あの灰と貴方を邂逅させる為だけの……」

 

「この平行世界の、貴公らの人理は選び取ったのだろう。他の数多の汎人類史が繁栄する為になら、この人理が古い獣と七柱の獣の餌になることも厭わなかった。

 何せ灰と私が会わなければ、やがて全ての人理が消え去る定め。

 故に、全てが偶然。この人理が滅びなけれならない理由はなく、しかし必ず何処かの世界の人理は古い獣を滅する為の贄となる必然が存在した」

 

「狩人……ッ――――あいつ、あの蛞蝓……全部知ってやがったのね……!」

 

「然様。故、貴公の呼び声に応えたのだろう。それも理由の一つ。同時に、貴公が自分にとって最高傑作と呼べる愛すべき弟子となるとも、未来が見えていたのも事実。

 ……言った筈だ。獣の霧は瞳を曇らせる。

 未だあの狩人と比較すれば未熟な貴公の脳髄では、未来が存在しない私の因果律を読み取れぬ」

 

「そうだったら……貴方も、古い獣と同じ存在ね。因果律がないのだったら、もし貴方が根源に至ったら魂を全て自分のソウルに捧げる可能性もある。

 それとも、そうならない自信があるのかしら?」

 

「いや、必ずなる。既に私がそう言う存在であり、獣と同じ悪魔であるからな。つまるところ、デーモンとは人と獣の魂が混ざった写し身でしかない存在。既に死んだ人間としての遺志がそのソウルから消えてしまえば……悪魔でしかないこの私が何を求めて世界を彷徨うい続けるのか、容易に答えを導き出せる。

 だから何時か私もそう成り果てる前に、人々が暮らす数多の世界を幾つも滅ぼしても、やらなくてはならない―――責務がある」

 

 貪欲なる悪魔を突き動かすのは―――使命感。

 最初から抱く理想は、悪魔を打倒する英雄に相応しい。濃霧に沈む世界を救いたいとボーレタリアに挑んだ勇気と希望。正しく言えば、より良い明日を欲した人間としての在り方。

 獣によって終わってしまった世界を変えたくて、周囲の人々の幸福を願った筈だった。その意志がなければ悪魔となり、好きな女を踏み躙ってでも、獣になど仕える訳もなし。

 

「灰の目的は私と同様―――古い獣の死。完全なるソウルの封印だ」

 

 だから、灰の行動は全て上手くいく。人理以前に、あらゆるソウルにとって彼女は問答無用で救世主であった。悪魔でさえ獣狩りは出来ないと諦観していた全人類の延命処置を、完璧な形で補完する灰の理念がなくては、そもそも人間の魂は全てが未来の何処かで消滅する。

 根源より、消え去る――運命。

 時間制限がある全滅より救われるには、灰の計画しか魂は残されていない。

 

「あの女……いや、何であれ裏切り者を狩るのはカルデア所長の責務。人理保証の為、貴方たちの獣狩りは利用させて貰いますから」

 

「構わん。灰も所詮は狂気を好む学術者。貴公らの企みも一興であろう。勿論、私も殺し殺されを愉しめる貴公の愉悦に、我がソウルを玩具されることも拒絶はせんよ」

 

「あっそ……」

 

 オルガは、悪魔のその様に納得する。一生を何百何千と繰り返す程に悩み抜き、悪魔は世界を濃霧に沈める拡散の尖兵となった。悪魔が現れた先の世界は色の無い濃霧に呑み込まれ、古い獣を先導する人類史の天敵となってまで、彼は人類のソウルを今も守り続けている。

 それが悪魔殺しの悪魔の―――デモンズソウル。

 獣の霧に貪られた意志無き魂はきっと、今も彼のソウルとなって蠢いていた。

 

「……まぁ、獲物が増えるのは狩人冥利に尽きるわね」

 

 オルガマリーは自分が狩人で在ることに、僅かばかりに失望していた。狩りを愉しめるのは狩人の業を極め続ける狩人だからこそだが、狩人でなければ―――デモンズソウルを啓蒙されることもなかった。

 古い獣から全てのソウルを守り続けてきた悪魔を、この手で殺さねばならない。

 やがて、そう成り果てる未来の自分と同じ存在をオルガマリーは、人理の為に利用し尽くさないといけない。彼女は狩人で在る故、何もかもを理解した上で獲物を狩らねばならない。

 

〝無知が罪なら……狩人は、その罪科だけは背負わなくて良い。

 けれども、見てしまった真実を全て知り、狩り殺してきた全ての意志も背負わないとならない”

 

 その思考を、オルガマリー・アニムスフィアは正しく理解した。決して、目に映らぬ何者かに啓蒙されたのではなく、彼女は彼女自身の意志で悪魔が抱くデモンズソウルを理解した。

 だから、同情など出来やしない。

 憐憫を態度に出すなど獣の所業。

 彼の末路を肯定出来る訳もなし。

 狩人であるオルガマリーは、悪魔の意志を知識として実感するだけで良い。

 

「それに貴方たちみたいな獲物って、私は―――好きよ」

 

 灰も悪魔も、オルガマリーと変わらない。その意志は近しい意味を持ち、きっと魂に価値はない。彼女は自分と同じ無価値な在り方を、果ての無い不死の人生で永遠に嫌う事が出来ないのだろう。

 

「そうかね。なら、後悔なく血に酔い給え」

 

「ええ。遠慮なく、狩らせて頂きます」

 

 悪魔は、故に狩人を好むのだろう。自分のようなデーモンに狩りの感情を叩き付け、その無価値なソウルを極上の獲物として愉しんでくれる貴重な隣人であるならばと、彼は眼前の狩人に微笑んだ。

 その笑みを見て、彼女はやっと気が付いた。

 どうして、裏切り者に過ぎない灰にここまで執着してしまうのかと。

 

〝貴女が世界を、自分の業で救うと言うのなら――――私が救う。貴方の願望を狩り取ろう”

 

 その時に見せる灰の意志が、オルガはただただ愉しみだった。悪魔と語り合った後、ベッドの中で夢を見るには、とても良いローマの夜だった。

 

 

 

 

◆◆◆◆◆

 

 

 

 

 その日、オルガマリーは滅びた古都の悪夢に迷い混んでしまった。血塗れの獣が燃えた後、白い小人に覆われる悪夢から目覚めたのは診察台の上であり、着たこともない衣装を身に付けていた。そして、何故か直ぐ側には、何時書いたかも知らない直筆の意味不明なメモ書き。

 

「わたし……私は、一体……あれ?」

 

 此処が何処で、何故こうなっているのか、彼女は何も思い出せない。覚えているのは自分自身の事と、直前までの出来事。聖杯戦争について調べていた父親の資料より、とある儀式魔術を行ったことだった。

 しかし、それも失敗に終わった筈。魔法陣から出て来たのは、座に召された英霊のサーヴァントなどではなかった。

 強いて言えば、あれは―――蛞蝓だ。

 両手で抱える程の大きさの蟲。両目もなく、口さえなく、先端から生えた触手を蠢く細長い生命体。けれど、オルガマリーは確かにその冒涜的な存在に見詰められ、脳味噌を愛し気に絡め舐められ、瞳で視認されたと理解して―――

 

「オルガマリー……貴女は……私は、生まれるべきじゃなかった……―――は?

 いえ、いいえ、馬鹿なことを。私は意味不明なことを、一体私に向かって何を言っているんだか。誰かに精神干渉の魔術でも掛けられたとしか思えないわね」

 

 ―――恐怖を、魂で覚えてしまった。

 あの蛞蝓の蟲は確かに、彼女を愛し気に笑っていた。その事をオルガが悟った瞬間、そこで記憶が途切れているのを今この時に思い出した。

 チラリ、と彼女は周囲を同時に見渡す。ふと視界の端に気になるものが映る。メモの書かれた小さな紙が一つだけあった。

 

青ざめた血(ペイルブラッド)……――なによ、それ?」

 

 けれども、脳に煙が満ちる。その単語が霧に曇る。概念を理解してはならず、知識を獲得してもならない。しかし、まるで脳内に蟲が寄生したかのように疑念が蠢く。思考回路が蕩け炙られ、ふやけてドロドロと腐って逝く。頭蓋骨の中身が腐肉となる感覚は、苦痛に慣れ親しみ、苦悶を隣人とする魔術師だろうとおぞましい。神経が自分とは違う生き物に創り変わる違和感でもあり、血液から蟲の卵が孵る異物感で口から内臓を吐瀉したい気分となった。

 ―――ぷるり、と脳味噌が振れる。

 視界も一緒に揺れ動き、脳髄が豆腐やプリンみたいになった錯覚に襲われる。

 何もかもが惨たらしく歪み、視界に映る全てが肉塊と内臓の和え物になったように幻覚し、獣と人間の悲鳴を幻聴し、周りの床と壁と天井にびっしりと白い小人が生えていた。

 

「なによ、これ?」

 

 瞳が脳味噌を直接視る為に裏返り―――……ハァ、とオルガは吐息を溢す。

 血腥い息が鼻の穴に侵入し、鼻腔に自分の血臭が満ちる。何故か人間の温かい臓物を素手で鷲掴みにしたい渇望が湧き、その瞳がグルリと元の位置に戻った。

 

「分からない……ッ―――解らない、判らない、ワカラナイ!」

 

 爪が頭皮に突き刺さり、だが構わずにオルガは髪を掻き回す。白色に近い銀髪が赤く染まり、彼女は頭から段々と黒ずんでしまう。悪夢を見ている気分になっている所為か、痛みに対して彼女は非常に鈍感になってしまい、顔まで流れ落ちる血液に気が付きもしない。

 

「何なのよ!! 一体これは!!!」

 

 混乱の余り、内心から言葉が独り言として遠慮なく漏れ出てしまう。いや、もはやそれは回りの世界に対する憎悪を込めた叫びであった。

 しかし、返答は一切ない静かな儘。

 何故か、扁桃の頭蓋骨を幻視する。

 されど、瞳を膿む蜘蛛が空にある。

 そして、蛞蝓が血流を流れる錯覚。

 同時に、白い小人が四方に溢れる。

 加えて、蟲が血管から這い寄った。

 気が狂いそうになるのに、発狂したい精神が狂っていて、理性を失う事さえ許されない狂気。精神が死に耐えれば、人は狂気を寝床に安楽を得られるのに、彼女にはそんな居場所さえ絶対に許されない。

 

「オエェ……ヴ、オ……ゲェェ……ッ―――!」

 

 血を吐いた。赤色の胃液の中に、蛆のような湧いた赤黒い虫が混ざり堕ちていた。子宮の中を漂う精子のように、体全体を揺らしながら血溜りの中を泳いでいた。這い蹲った彼女は力が抜けてしまい、顔面を自分の血痕の中へと沈め―――笑った。

 顔中を、自分の吐血で赤く化粧する。

 血中の虫が、また彼女の瞳へ這い潜り込む。

 口に中にも跳ね戻り、虫が血管の中を泳ぎ始める。

 起き上がる気力は湧かず、彼女は四つん這いになって獣のように悶え苦しんでいる。

 

「ヒ。ヒヒ、ヒヒヒヒャッハハハハハハ……夢よ、これは夢だわ……私はきっと、まだ儀式の最中だったもん。起きなきゃ、だから早く起きなきゃ……起きて、魔術を勉強しなきゃ……お父様に認めて貰わなきゃ……いけないんだもん」

 

 赤い涙を瞳から流した。絶望が魂を支配した。魔術回路の中を穢れた虫が泳いでいる。臓器が全て蛞蝓のように蠢いている。血管の中を蟲の卵が舐め回している。

 

「許して……許して……ひっぐ、ねぇ許してよぉ……」

 

 赤い貌を沈めている血溜りが、流す涙で広がった。診察室の床を、更に赤く汚染した。

 言語は狂い、精神も狂い、感覚も狂う。オルガマリーそのものが歪み出し、現実と悪夢が混ざり始まる―――だが、決して狂気に逃避は出来なかった。

 

「……ここから、許して―――」

 

 血色の床より湧き出る白い小人が、愛し気に這い蹲る彼女の頬を撫でていた。触れられる度にオルガマリーの脳味噌が震えてしまい、狂気から強引に目が覚めた。心を失いたいのに、正気へ戻ってしまった。

 

「――――――――――ッ……こんな、こんなのって無いよ」

 

 召喚してしまった蛞蝓を憎んだ。あんな存在を英霊として呼び寄せる人理を恨んだ。こんな悪夢を生む世界など、さっさと滅び去ってしまえば良いと思った。オルガマリーは罵詈雑言の嵐を吐き出す事も出来ず、意志が強烈に固まり出した。

 殺さないと……この悪夢の元凶を―――狩らないと。殺さないと。

 白い小人が使者(メッセンジャー)なのだと、オルガは知識を狩りの意志と共に啓蒙された。その使者が月に代わり、狩りの意志を彼女に流し込んでいた。

 

「青ざめた血……ペイルブラッドを……―――え、は。それは何?」

 

 見たこともないそれを、狩り殺さないと。彼女は自分から湧き出る疑問さえ狩り、殺意の一心で意志が凝固する。

 瞬間、誰かの記憶が脳髄を過ぎ去った。

 生まれるべきではなかった無能者―――オルガマリー・アニムスフィアの生まれ。同時に、彼女と契約で結ばれた蛞蝓の人間だった頃の思い出。

 

「なに、コレェ……?」

 

 彼は上位者(グレート・ワン)となって狩人になる前の、人として生きていた時代の記録は取り戻したが、そもそもヤーナムに辿り着く前から人間扱いなどされた試しは一度もなかった。

 家族のような人間からは良く、赤子の時に死んでいた方が親孝行だった奇形児、くたばれ障害野郎、早く死ねば良いのに、最初から見世物小屋で生まれていろ、アンタなんか生むんじゃなかった、殴ると気分が晴れる塵、生きるならせめて苦しみ続けろ、どうせ地獄に堕ちるなら面白い貌で死ね。

 そう言われて生活していた男の、生まれるべきではなかった無能者としての思い出。夢の狩人とは、正しく彼にとって初めて得た人間性だった。蛞蝓は古都ヤーナムに導いてくれた全てに感謝し、そしてヤーナムを生み出した先達全てが恩人だった。

 

「わたし、は……生まれるべきじゃなかった? どうして、お父様……どうして?」

 

 記憶が混合する。そもそもオルガの意志程度で耐えられる啓蒙的記録ではない。思索など禁忌に等しい過去の振り返り。

 ―――だから、殺した。家族は皆殺しにした。

 恨みはなかったが、慈しみもなく、ヤーナムまでの旅費が彼は欲しかった。輸血される前は脳に障害を持っていたが、それ故に人間だった頃の彼はまことに合理的に過ぎる。ある意味、知性の権化だ。生存に必要なことのみを、感情を失くして行う人型の昆虫に過ぎなかった。最初から虫の意志を持って生まれ出た人間だった。

 不幸を不幸と思えず、虐待されようとも何も思えず……だが、必要となれば直ぐに獣は狩り殺す。

 恨み方を理解出来なかった。憎悪を知れなかった。白痴の意志に啓蒙されたのは、目的が只一つ。

 生まれが、そもそも病の犯されていた。不治の病魔に侵されている赤子だった。家族だった人間達が何時も無表情な狩人になる前の彼を、人外の者として扱う理由も良く分かる。

 

「違う、違う違う違う……私はオルガマリーだもん……でもなんで、私はオルガマリーなのですか?」

 

 狩人の生まれとは、善悪混合する罪科と罪悪の現れ。

 啓蒙が足りぬ人間も、それはそれで素晴しいのだと。

 

「――――――――――――――」

 

 四つん這いとなって立ち上がろうとし、だが獣が二足歩行で歩けるものではない。己が意志を取り戻せない彼女では、獣の格好がヤーナムでは相応しい。

 

「―――オウェ……ゲ、グェ……ァ……」

 

 だが、内臓の底から悪い血を吐瀉する。生きる意志が削られるが、共に獣性も抜け落ちる感覚に狂わされる。精神に対する喀血と言う医療行為に近い吐血行為に見えるも、彼女は自分の内臓が自分の臓物ではなくなった寄生虫の塊だと幻覚し、更なる狂気で両眼から血が流れ出た。

 

「………」

 

 口を開く意志もない。独り言を喋る精神も消える。だが、それでも扉を開いて行かなくてはならないと、脳の奥から囁く声が聞こえる。

 感情の消えた少女の貌は、まるで―――暗い孔。

 表情を失った無貌で在るならば、先に進まない選択を取る自由意志も存在不可能。

 

「……ぁ――――――」

 

 扉を開いて階段を下ったその先に、屍を貪る獣が一匹。オルガは自分がこの後に辿る未来を容易く啓蒙される。吐血によって貌も服も血塗れになっている為か、新鮮な血臭を獣は容易く嗅ぎ取れてしまった。死体の腐った血の臭いではない豊潤な甘い少女の血であり、その血に潤う生きた人肉の素晴しい餌の匂いだった。きっと、その骨さえ柔らかく香ばしいと食欲を湧かせる薫りだった。

 死―――肉食獣による、命の搾取。

 テレビの映像で見たことがある食物の摂理が今、オルガの前で牙を晒している。

 

「Gurrr……」

 

 瞬間―――右足が爪で裂かれる。

 圧倒的な初動の加速は獣に相応しく、百年は生きる死徒の身体機能を越える迅速さ。だが、獣は元より命を狩る動物。獲物を食らうハンターだ。生身の人間が、このサイズの肉食獣に勝るのはほぼ有り得ないこと。

 

「あ……ぁ、ぁ――――ァァアあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 喉が千切れるほどの、獣の絶叫が少女から放たれた。それを聞いた獣が、唸る様に笑った。嘲るように、嗤ったのだ。

 

「痛い、いたい痛い……助け、助け―――」

 

 その助けを求める声も、獣が少女の喉に咬み付く事で消え去った。右足を失い、倒れ込む少女の軟かい生肉を愉しむ為、実に人間的な思考回路で獣は獲物を動けなくした。

 だが―――呼吸は、まだ出来る。

 心臓を動かす生命は残され、あろうことが血管を噛み千切ってはいなかった。しかし、それでも血は流れ落ち、右足の欠損もあって出血多量による悶死からは逃げられない。

 

「Gurr……Gr」

 

 食餌の時間だ。素晴しき血の恵みだ。肉の御馳走だ。

 獣は涎を垂らし、瀕死の少女を前に舌を垂らす。相手が動けないのなら、まずは新鮮な血液から舐め取りたい。

 

「―――――」

 

 右足の傷痕をザラついた獣の舌で舐められ、少女は地獄の業苦を味わった。まるで塩酸を垂らされたような激痛だった。だから、這ってでも地獄から逃げたかった。早く死にたかった。楽になりたかった。

 直後、背中に爪が一本突き刺さる。

 背骨を砕くように貫通し、内臓に達し、腹の皮膚を破り、床にまで突き刺さった。

 

「カ、ヒュ………ッ――――」

 

 掠れた音無き嘆きを少女は洩らし、血溜りの中で涙する。その音を獣は大変喜び、食餌のおかずにして、這い逃げようとする少女をうつ伏せから仰向けに引っ繰り返した。人間の知性を持つような器用な動きであり、人の五指と似た爪のある手で彼女を抑え込む。

 瞬間―――御馳走(オルガマリー)を喰らい始めた。

 血液(ソース)で全身を味付けされた生肉を前にし、ヤーナムの獣が我慢など出来るものか。

 

「―――――――」

 

 生きたまま食べられる絶望。まだ機能する少女の瞳には、自分の内臓が貪り喰われる悪夢が映し出されている。

 (ハラワタ)の色なんて知らなかった。腹部の皮膚を破られただけになく、肋骨まで抉じ開けられた。小腸が咬まれ、大腸を齧られ、肝臓を千切られ、十二指腸が漏れ、胃袋が貪られ、腎臓が噛まれた。少女の血肉の旨さに歓喜する獣の口の中へ、段々と飲み込まれて逝った。段々と少女の体重は軽くなって逝った。

 

〝痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いイタイ痛いイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ痛い痛い痛い死にたい痛い死にたい死にたい死にたい死にたい!!!!

 やだやだやだ嫌だイヤダイヤダ!!

 食べないで、食べないで食べないで食べないで――――――!!!”

 

 潰れた喉から、音のない悲鳴が漏れ続ける。脳裏は苦悶で埋め尽くされる。死ぬまで死なない事が、こんな絶望を人に味合わせることを少女は正しく理解した。

 だが―――死ねず。

 輸血されしまった少女は、生きる意志が完全になくなるまで死ねない。まだ僅かとは言え、死んだ方が楽になれると言うのに、死にたくなかった。死ぬのだけは嫌だった。

 

〝まだ……まだ、誰にも褒められたことがない。お父様に、認められてない。こんなんじゃ、死ねないよ……死にたくないよ……やだ、やだよ……楽になれても、今まで何の為に苦しんで来たのよ……イヤダ、嫌だ!!

 死ねない。わたしは、死ねない……―――死ねない!!”

 

 だから、腹の中身の臓物が全て喰い尽くされたと言うのに、少女は死ねなかった。内臓がない空っぽな肉体にされてしまい、死ねば楽になって夢に堕ちられるのに、彼女はそれでも死ねなかった。

 そして、心臓を―――舐められた。

 殆んどの臓腑が獣の臓腑の中へと無くなった彼女には、もう心臓を肺しか残っていなかった。

 

〝あ――――”

 

 残された最期の意志を絞り、少女は右手を上げた。誰でも良いから、助けて欲しいと救いを求めた。誰でも良いから、決死の思いに応えて欲しかった。

 

〝――――ぁ……”

 

 それに応えたのは―――獣だけだった。救いなどヤーナムには存在しなかった。

 右腕に咬み付き、血肉を舐めながら齧り付き、少女の胴体から容易く引き千切った。

 

「―――――――」

 

 そして、オルガマリーは生きる活力を完全に―――失った。生存する意志を、喰い貪られた。残った心臓を丸齧りにされ、夢のように彼女の肉体は悪夢の古都より消失して逝った。

 

「オォォーーーーーーン―――ッッ!!

 

 残された獣は、歓喜の遠吠えを上げる。数刻もせずに凶器を持って殺意を滾られながら来た新たな狩人の手で、今死んだ少女以上の惨殺死体になるとも知らず、ヤーナムの獣は新鮮な柔らかい血肉の御馳走に脳味噌を振わせ続けている。

 ……そこで彼女は、夢の中で目が覚める。

 眠りの中でありながら、意志を確かに覚醒させた。

 夢に堕ちた筈のオルガマリーは、悪夢の中でそんな嘗ての過去を夢見ていた。

 

「夢の中で夢見る……―――悪夢の中の正夢かぁ……相も変わらずの悪趣味で。狂人が優しく見える程に陰湿で、陰険な、粘ついた蛞蝓狩人な性根です。

 その様子の儘では、珍しく気の合う不死のお友達を失いますよ、師匠?」

 

「問題ないとも……あぁ、そうだとも。嫌われる行為を好んで行うとも、全く以って何一つ異常なしだ。百度は優に超えて殺し、拷問を繰り返して虐待死した所で、我らにはそも他者を嫌う機能なし。無論、憎悪もな」

 

「それはどうも。人形が呆れていますよ?」

 

「それもまた問題なし。彼女は人形として、被造物として、狩人に最大限の敬愛を抱くように製造された血の工芸品。

 それ以上の意志を抱くのは……最初の狩人、ゲールマンにだけだとも。

 そして、彼女を愛さぬと決めた彼だけが、真に人形を愛せる男でもあるのだよ。

 彼女に対し、人形以上のモノを期待するのは下劣な獣の欲情以下の意志となってしまうだろう。そして、そう在る故に我ら夢の狩人は彼女を慈しむ」

 

「人の女性には手を出さない………紳士だと? 狩人の貴方が?」

 

「私の物になれば、人形の意志に罅が入ってしまい……そして、ゲールマンに愛されていた残骸だからこそ、狩人は彼女の意志の尊さに歓喜する」

 

「報われないわね、人形も」

 

「貴公には貴公の悪夢での人形がいるだろう。私の人形がそう在るべきなだけであり、貴公は貴公の好きな様に愛でれば良いだけの話だと思うがな」

 

「結構です。あの二人の間に、私は入るつもりはありませんので。ただ……同じ悪夢に囚われた友人として、違う彼女だろうと報われて欲しいと考えたまでですから」

 

「優しいな、我が弟子よ―――」

 

 オルガマリーの眼前に、車椅子に座る一人の狩人が存在した。その後ろには長身の人形が立ち、車椅子の取っ手を持ちながら粛々と佇んでいる。

 

「――――で、聞いても?」

 

「良いとも。可愛らしい君の願いであれば、幾らでも、何でもな」

 

 ギィ、と車椅子が軋む音がする。移動する為に人形が狩人を押した証拠であり、月が昇る狩人の家の庭の中を動き出す。

 

「灰と悪魔についてですが……」

 

「言葉による答えに意味は無し。この悪夢の中であれば、私より君の中へと全てが啓蒙されるだろう……ほら、どうだろうか?

 何もかもが在りの儘に、貴公の中で明かされる快感は?

 君にとって、疑念の卵が孵化される瞬間は何事よりも気持ちが良い筈だが」

 

「……そうですけど」

 

「思索とは、全く以ってそうで良いのだよ。気にする事はない。貴公は、貴公の業を明かす為の思索を進み給え」

 

「理解はしていましたが……―――いえ、そうですよね。我が師よ、分かりました」

 

「我が弟子よ、素晴しい思考だ。そう在れば……いや、どのような在り方であれ、貴公こそ我が最高傑作である。

 上位者の幼子として、私は血の工芸品としても慈しんでいる故に……だからこそ、一人の人間としても尊敬の念を抱いている」

 

「それも、分かっています」

 

啓蒙(インサイト)を、己に啓蒙せよ。何故なら、宇宙は空にある。

 輝ける星(コスモス)とは、因果を繰り返す輪廻。決まった結果に辿り着くとは言え、道程は好きな様に選べるのが夢の在り様。

 やがて貴公も、時空を操る容易さを啓蒙される時が来る。

 さすれば、霧の秘匿も君からすれば息を吐くかの如く、月が輝く夜空のように晴れ渡る」

 

「はい。精進致します」

 

「宜しい。励み給え。人理修復は君の願いならば、古い獣も狩れば良い」

 

「ですが私には、狩れないと理解出来てしまいます。その未来を、私が持つ因果律では手繰り寄せられないと」

 

 ギィ、と車椅子が軋む音がする。庭の端まで移動する。奈落の崖が眼前にある。そして、庭の何処でも月は綺麗だった。

 

「当然の絶望だ。私でもあれは狩れぬ故に、灰のみが封じられるのだろう」

 

「ですが、どうやって……?

 救われるなら別に誰がそうしても良い筈なのに、私はあの女が……アン・ディールが私が救いたい世界を救う事を許したくない」

 

「残念だが、火の簒奪者でなければ薪は燃やせぬのだよ。ソウルの業の、その大元が獲物となれば、君でも殺すことは出来るだろうが……所詮、魂を奪えるのが限界となる」

 

「―――まさか。即ち、炉の中に?」

 

「さて。そこはまだ、葦名に向かわなければ答えは無明の儘だとも。霧が立ち込める異界であれば、悪夢より観測するのは難しい。

 しかして、己らの輝ける炉の火を大きくする為とは言え、数多の簒奪者を葦名に呼び寄せるとは。思い付こうとも、実行する為の障害が多過ぎる。何より、枯れた火種では幾ら集めようが価値はなく、だからとあのフランスで人間性を薪として火を闇より炊き上げるとはな」

 

「無意味な行動は、一切なかったと?」

 

「だろう。とは言え、奴は救世主となる女とは言え、本質は灰に過ぎん。あの女の存在意義は、進化し続けることのみ。今よりも、強くなる為の思索を続けているだけだ。

 永遠の人生の中において、世界を救うと言うのは手段であって目的ではない。人理も、己の為の道具でしかない。誰かに利用されることを厭わない灰故に、救われたいと足掻く人間の魂に応えているのだろうよ」

 

「だったら……灰の所業を、フランスとローマでの殺戮を認めろと?」

 

「意志の容認など、狩人には如何でも良いことだろうて。所詮、人間がすべき罪を灰が背負っているだけではないか?

 それを、あの灰が愉しむのか、苦しむのか……ただ、それだけの話だろう。

 世界を救うのに正義の味方で在る事も強要するのは、人間以下の畜生の思想でしかない。

 ならば、救われる人類史はせめて、好きな様に灰の手で狩られれば良いだけだと私は考えるが」

 

 オルガマリーも、今は全て理解している。苦しめて人を殺戮しなければ、人間性が煮詰まった闇として、火を焚く薪として使い潰せない。呪詛と怨嗟が、火に多様性を与える。だから、灰はフランスで邪悪の儘に虐殺を行った。

 愉しんだのは事実だろうが―――いや、そう在る自分に耐えられる灰だから、平然としているのだろう。

 不死だからこそ、罪を背負ったところで苦痛は一切ない。灰にとって人類の魂を守る事も、あるいは今まで行って来たただの悪行でしかないのかもしれない。

 

「それなら―――……カルデア所長の、私が人理を救う。私が、獣を狩り取ります」

 

 故に―――許してなるものか。

 救済を免罪符として与える人類史の意志に、狩人が従がってなるものか。所詮、あの灰は思う儘に自分の探求を行っているだけだった。

 古い獣を狩る事が探求に有益だからと、その所業にソウルを喜ばせているだけだった。

 善意から世界を救おうと足掻く人間ならば耐えれれない、だがしなくてはならない悪行を愉しめる灰だっただけだった。

 

「ほぉ……そうか、そうなのかね。やはり君は素晴しい意志を持つ。ならば、また一つ秘匿を破らせて頂こう」

 

「え……ッ―――ぁ?」

 

 決意を新しくするオルガマリーは、ヤーナム全てが煮込まれても届かない不吉を啓蒙された。まるで幼い少女のように怯えた貌となり、悲鳴に近い小さな疑念の声が漏れ出てしまった。

 

「貴公は、オルガマリーの遺志である。つまり、あの少女の遺子である。脳髄を子宮とし、啓蒙足る内なる瞳を卵子となり、血から湧いた獣性が精子となった。

 今の君は逃避による妄想から発生した……遺志より生じた意志なのだよ」

 

「そんな、だって……嘘―――じゃない……?」

 

 思索とは、余りに幸福から程遠かった。

 

「その魂はオルガマリー・アニムスフィアの意志が所有する器に過ぎす、オルガマリー・アニムスフィアの遺子である貴公の魂ではないのさ。

 即ち、貴公こそ血の意志そのもの。

 人間性と獣性が混じり合い、啓蒙の蛞蝓と穢れた百足が交わり合い、狩人に心折れた愚者より産み出された妄想の魂無き感応する精神。

 新たな血液由来の寄生虫として生まれた思考存在が、君の始まりと言う訳である」

 







 とのことで、悪魔と狩人の回でした。彼は色んな世界を旅した果てに、人理焼却で灰と出会う事が出来て、何とか古い獣の対処方法を得られましたので、実は今はかなりテンションが上がっている状態です。古い獣が世界の外側に流れ出ないように、様々な世界を生贄にしないといけない現状でして、悪魔が獣の眷属として世界を霧散させてソウルを捧げてちょくちょく眠らせていないと、実はそのままだと何時かは古い獣が根源に渡って世界に流れ落ちる“魂”が全て消えてなくなると言う全平行世界滅亡の危機に陥っています。よって、それを防ぐためにも灰も火の簒奪者として更に力を得る必要があり、更に実は殺戮行為も嫌いではないので、あらゆる平行世界で運営される全ての人理が、灰が例え人理を脅かす行いをしても認めないといけないジレンマに陥っている雰囲気です。火を簒奪した灰ではないと古い獣の対処は難しく、その為にも火の簒奪者が葦名だと大量召喚されている感じ……なのかもしれません。灰はかなり悪い事をする殺戮者で善人から程遠いですが、結果的に見れば獣から人を導く救世主……なのかもしれません。
 それと、原作と所長が違う性格原因がこうなります。所長に召喚された狩人様が、彼女と灰と本格的に殺し合う事になりそうでしたので、彼女をヤーナムに引き摺りこんだ張本人として真実だけはちゃんと告白しました。ブラボみたいに拾ったアイテムで唐突に真実が明るみになるような、その予兆は何となく醸しつつ、前準備がなくいきなりわかる雰囲気にしてみました。オルガマリーが、ヤーナムで完全無欠な狩人として自分が存在出来るように妄想した第二人格でしたが、オルガマリーの血の遺志が彼女に宿った瞳を卵として孵化し、姿を持たない感応する精神として実は上位者の赤子もどきとして発生したのが今の所長となります。上位者としても、狩人としても、狩人様が最大限に所長を敬愛している理由がこれになったりします。第二のオドンに近い遺子なんですよね。
 後、残酷描写は此処から先、余り遠慮なくしていこうと考えています。ヤーナムの映像を文章にするとこんな雰囲気が常になりそうです。 

 色々と何かしら思うこともあると考えますが、どうぞこれからも宜しくお願いします。感想でも頂けましたら、輸血液並に生きる活力が湧きますので有り難いです。
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