血液由来の所長   作:サイトー

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 アーマード・コア6、エルデン・リングの次に出ると良いですよね。


啓蒙64:混沌へ捧ぐ贄

 所長は瞳で相手の全てを透けて見える。魂、血、意志、あるいは過去から引き継いでいる遺志。レフ・ライノールが持つ魔術刻印は先祖から続く遺志の積み重ねであり、その始まりがこうして魔神の柱となって運命に追い付かれた。

 ―――悲劇である。あの暗帝ネロと同じく、死んでいた方が人類史は救われた。

 最近は加速的に瞳が急成長し始め、平行世界さえも観測対象とする邪悪な魔眼ともなれば、所長が今見ている現実は悪夢としか言えないのだろう。もはや直死の魔眼の方が慈悲がある最悪の未来視だった。死さえも人の魂を終わらせられないと実感するのは吐き気が止まらない真実だ。

 そんな星見の狩人が魔神柱を直視すれば、時間神殿から何まで理解出来てしま得た。あるいは、この人理焼却を解決した後の事も、そのまた後の事も、そして人理が完膚無きまで滅びる本当の終わりの終わりまで。

 

「おおぉおおぉおおぉおおおおおおお――――!」

 

 魔神柱は瞳から魔力の熱線を放つ。当たらない。魔術によって炎を降らす。当たらない。地面を隆起させて衝撃波で砕こうとする。当たらない。

 徹底的に、フラウロスの攻撃は当たらない。

 未来視とも言えない感覚。第六感とも呼べない高次元の知覚。狩人として余りにも優れた第六感も十分以上に彼女の技能となってはいるが、それとはまた別次元の何かを脳が感じ取っている。

 

「―――時間が遅いのよ。攻撃の時間もそうだけど、私と貴方の知覚の差はそれだけの次元じゃない。

 ねぇ、分かるかしら……レフ・ライノール・フラウロス?

 貴方はあの寄生虫と同じく未来視が使えるのに、その千里眼では私の思考が求める未来の速度に追い付けない」

 

「……き、き―――寄生虫?

 貴様、有り得んぞ。まさか我らの王を……まさか寄生虫だと、そう言ったのか……?」

 

「獣と言うのは人類史の癌細胞みたいなもんじゃない。人間性から湧き出た、人間に狩り取られるだけの獣性の具現。

 ほら、憐れじゃない? 屍に寄り添って数千年だなんて?

 気色の悪い蛞蝓だってまだ分別がつく。いい加減、獣性が臭くて臭くて、匂い立つ」

 

「――――――」

 

 魔神柱の思考が凍り付く。まさか人間に憐れみを向けられるとは、感情が動く事も許さない衝撃だった。

 

「慈悲よ―――……その獣性、人が狩りましょう。

 命を尊べない悪なる者として、善である故に獣へ堕落した貴方らを終わりへと送ります」

 

「魔術師風情が良くぞ我らを語った、アニムスフィアァァァアアアア!!」

 

 慈悲の葬送。せめて生きて苦しみ続けることなく、どう仕様もないのなら死の中で安らぎを得て欲しいと言う憐憫。悪夢からの目覚めは、現実への眠りに他ならない。

 人間の未来を思えば人間性に失望し、その救われなさに絶望するしかないと言うのに。どうせ救われないのならと、人理焼却まで行う程に思い悩む遺志を、所長は正直な感想として嫌いにはなれていなかった。

 

「死ね! 藁のように死ね! 蜂のように死ね! 蝶のように死ね!

 オルガ、貴様など所詮は血狂いの畜生だ!

 狩人など嗤わせる!! ビーストの獣性にさえ値しない人間性の汚物が貴様の正体だろうが!!」

 

 ローマの市街を破壊する怪光線。肉の柱に生えた瞳から幾本もの魔力砲が放たれる。だが無駄。

 所長は月明かりを纏った聖剣を振るい、容易く教授の光線を払い消す。挙げ句の果てにそのエーテルを更に月光に混ぜ合わせ、より強い輝きを聖剣へと宿らせた。

 

「―――あはっ」

 

 しかし、教授の罵倒に脳が喜んでしまった。手に持つ聖剣の光に貌を照らされ、所長(ハンター)は幼い少女みたいに微笑んだ。

 

「あははっはっはっひひひっははははひゃっはーははははははは!!

 あぁー可笑しい、愉しい、嬉しいわ!!

 ねぇねぇ、それってアッシュから聞いたんでしょ? そうでしょ? だって、カルデアに居る時は私の魂になんて興味なかったもんねぇ……?」

 

 狂気に、狂喜する。血が、瞳から滲み出る。

 

「そう……―――畜生なの!

 私って人狩りが大好きな非人間なのよ!

 正直、世界なんて何だって良いの。人間がどうなろうと興味ないの。

 私が、私に科した責務だから、カルデアの所長を人間らしくしてるってだけ!!

 何よりも――……ほら、こうして狩りの獲物が勝手に現れる。獣狩りの口実も与えて、英雄らしい使命さえも、こんな穢れた汚物の私に与えてくれた!!」

 

 恐怖の余り、教授は光線を一斉掃射してしまう。所長は何事もなく、聖剣に全ての光線を纏わせた。

 

「感謝しましょう、人理焼却。

 私が血を流して得たこの業に価値をくれて、脳髄から本当に――ありがとうごさいました!!」

 

 ――月光の奔流が表れた。

 歓喜する狂気が月明かりの導きを呑み干し、神秘が燃焼される。

 

「穢れた狩人がッ!! それが貴様の本質かオルガ!?」

 

 黙って狩れば良いだけの戦闘――では、断じてない。

 所長にとって教授は殺せば良いだけの相手ではない。

 カルデア所長として裏切り者を糾弾する義務が彼女には存在する。敵となった仲間の意志を暴き出し、炙り出し、挑発に挑発に重ねて精神解剖を行った上で正気を削り取る。

 それは人間としての弔いだった。復讐とは故人の無念を、己のために晴らす罪。カルデアで死んだ部下を葬送しなくては、皆の遺志は何処にも逝けない儘なのだ。

 

「愚かにも程がある質問よ。狩人に本質などありはしない。所詮、狩り殺した遺志の集積が、それらしい人格に形成されただけの血液由来の夢人形!

 私は既に正気を失って精神崩壊した後、人格を瞳で固めた血の遺志そのもの。

 私のこの意志は、死人の遺志を材料にオルガマリーが逃避の為に作り上げた人間もどき。オルガマリー・アニムスフィアなんて女は夢に消え、現実には何処にいないと言うことよ!!」

 

 所長の呪文(コエ)は神言でもなく、人語でもない。学び舎の学術者カレルが聞いた文字なる音。脳が聞く声である。

 オン、と一瞬でローマは夜空に覆われた。余りにも美しい銀河の群れが浮かび上がり、宇宙が空にあったのだ。

 

「―――脳液が狂気みたいに飛び出そうじゃないの。

 貴方に瞳は見えますか? ねぇレフ、宇宙は空にあるって理解出来た?」

 

 悪夢の何処かに浮かぶ空。隕石が降り注ぐ無頭の奇形児が繋げた――異界常識。

 真性悪魔の異界が蕩ける上位者共が世界にて、異界(テクスチャ)が幾重にも積もるその悪夢に浮かぶ宇宙は特異点と言う空間を容易く上書きする神秘である。

 

「あっははははははっははははははは―――!

 悪夢は全ての空と繋がっている。世界なんて薄皮一枚剥がせばこんなモノ。けれど、感謝致しましょう!」

 

 躊躇いは皆無。ローマ市街地全てを破壊しても構わない徹底した狂気を瞳から垂れ流し、夜空から落ちる綺麗な星々は魔神柱を自動追尾して迫り来る。

 

「魔術と言う学問は―――愉しい!

 こんな私に新たな啓蒙をありがとう、魔神柱フラウロス」

 

 魔術式を瞳で読み取った所長(メイガス)は人類を憐れむ獣を尊んだ。その善に相応しい星の輝きを彼女は慈悲の心で落下させていた。

 

「―――オルガァァァアアアアッッ!!」

 

 教授は邪眼を全門開放。極点まで瞳の一つ一つに凝縮され、降り注ぐ星々一つ一つを狙って掃射される。縦横無尽に光放つ視線を振り回し、魂が焼却される程に本気となって彼は悪夢の夜空を焼き尽くさんと人間のように限界を遥かに超えた。

 並の英霊とは比較にならない魔神柱と言う神秘の化身ならば、魔力を放つだけで高ランク宝具に匹敵する概念の重さを有し、同時に近代兵器以上の破壊活動も可能だ。太古にいた真性悪魔と同様、存在自体が魔術回路と呼べる肉体を燃焼させ、星見の狩人が為す神秘へ全力で抗った。

 

「あの悪魔の御蔭で、カルデアと通信を切っても不自然じゃない良い口実が出来たんだもの!

 マシュとロマニの瞳を気にしなくて良いのは……はぁ、はぁ、あぁー……ッ―――脳細胞が頭蓋骨から漏れ出るような! 神秘的解放感と呼べるでしょう!!」

 

 嗜虐に狂った冒涜的微笑。今の所長は狂人であることを隠さない。実験動物を生きた状態で解剖する狂科学者であり、頭蓋骨に穴を開けて思考を覗く狂学術者。

 何より―――血を好む良き狩人だった。瞳を欲する星見の狩人だった。

 とは言え、狂気の抑制など慣れている。彼女は自制心の塊である。しかし、臓物に溜め込んだ何もかもを解き放つ最高の好機を、この裏切り者は与えてくれた。

 死には、死を。裏切りには、裏切りを。

 フラウロスが期待するような人間らしい絶望感に溺れるなどオルガマリーは自分に許さず、むしろその期待を裏切ってカルデアの裏切り者の魂を冒涜してこその復讐だ。殺し方に拘ってこそ、あらゆる狩りに専心する学術的狩人と言うもの。

 

「皆の遺志が、脳の瞳から狩りを見ているの!

 私は、やったんだぁーーーー!! ひゃっはっははははははははははは!!」

 

 己が意志に還した死人の遺志が煮え滾る。それが湧き出る感情の根源。故、怒涛の圧殺に躊躇いはない。所長は淡く碧く燃える隕石群を対峙する教授に、聖剣に溜め込んだ月光を凶笑しながら斬り放つ。

 空から星が降り、地から月が光る。魔神柱の敵は、宇宙そのもの。

 そして魔術世界において、神秘はより強い神秘に敗北するのが理。

 上位者達の集合意識領域と呼べる悪夢を術者の異界常識(リアリティ・マーブル)として顕現するこの『魔術』は、固有結界でもあるがアニムスフィア家の魔術との相性が素晴しく高い神秘でもある。むしろ、彼女自身の魔術式を組み込んだ固有結界もどき。現代の魔術師でも、神代の魔術師でも、オルガマリー・アニムスフィアの魔術はもはや未知なる異星の技術にしか見えないことだろう。

 即ち魔術式(フラウロス)にとって、学術者(オルガマリー)はそもそも天敵。

 理解不能な上に正体不明。挙げ句の果てに、三千年の概念を塗り潰す極性の神秘であった。

 

「狂人がぁぁああああああ!!」

 

 だから、どうした。此処で立ち止まる程度の意志ならば、人理焼却など最初から始めない。人類史最上の魔術式でも余りの不可解さに発狂しそうな『神秘』が相手だろうと、教授は戦わなければ己が使命を全う出来ない。

 灰に与えられた探求者のソウルが燃え、炎壁が月光の奔流を遮った。

 その直後、所長(ハンター)が消失。教授は幾つものある瞳で周囲を見るが―――現実に、影一つも存在しない。気配だけでなく、存在自体が気迫となって空間に融け込む学術者の業。故に脳神経は何も認識は出来ず、瞳持つ夢の狩人でなければ半透明な僅かばかりの姿も認識出来ない。

 狩人の意志とは、狩り落とした死人の―――遺志。

 所長が密かに呑んだ青い秘薬は、精神麻酔。意図的に脳を痺れさせ、遺志によって自意識を保ち、だが自分で自分を認識しなくなれば、現実において狩人の意志が己自身に影響を与えるのは必然。彼らは自分で自分を夢見ることで存在し、故に精神が麻痺すれば瞳も曇り、狩人の姿も同時に曇るのも道理である。

 

「何処だっ!? 後ろか上か!?」

 

 探求者の火炎と学術者の月光が衝突したことで空間振動が起こり、魔術での察知は乱れ、第六感も狂い出す中、恐怖と困惑で教授は戦闘中だから冷静になれと自分に訴えた上で、錯乱する己が精神を鎮めることが難しい。

 彼は魔神の瞳で周囲構わず魔術光を乱射し、市街地が無差別爆撃を受けて砕け燃えた。

 なのに、手応えは一切無し。遠く離れたところでは、まだ灰と悪魔が召喚した怪獣大戦争が行われ、ローマの暗帝宮殿でも決戦の真っ最中だと言うのに、まるで自分一人が深淵の中で(もが)いているような錯覚で正気が削れる。教授は死を全身で感じながらも、その死を認識出来ない暗い悪夢に耐えられない。

 

「―――――」

 

 瞬間―――杭打ち機(パイルハンマー)が、真正面から爆裂した。

 

「あぁー……―――最高だわ」

 

 星見の狩人(オルガマリー)は蕩けた瞳で微笑む。本来ならば殺すだけの狩猟道具で在れば良いのに、複雑怪奇な機械構造によって製造された仕掛け武器には、狩りに酔い痴れる素晴しき浪漫が満載されている。

 ロマンと言う人道的感情もまた、狂えばこの有り様。悦楽に溢れるのが狩人の嗜み。この瞬間にこそ、狩りは星のような煌きを放ち、嘗ての古き火薬庫へと啓蒙された獣狩りの美学が爆裂するのだ。

 

「……ッ―――ぐ、ぉぉお……ォオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!!??」

 

 抉れた。柱の根元から肉塊が吹き飛び、肉柱は倒れ落ちるしかない。魂が損壊する音が聞こえ、脳味噌の中から血が逆流した。もはや魔神柱は自分の姿を保つ神秘を維持出来ず、魔術回路が内部よりズタズタに引き裂かれ、全ての眼球から魔力ごと流血し尽くし、ローマの市街に血河が生まれた。

 魔神柱は、その異形を剥奪された。フラウロスはただの魔術師に戻り、カルデアで見慣れた教授の形になるしかなかった。

 

「さようなら、フラウロス。そして、おかえりなさい、レフ」

 

「―――貴様……貴様、貴様……オルガマリー・アニムスフィア!!」

 

 薄れていた姿が戻り、教授の前に所長は立っている。笑っている。狩り装束で隠している口元を自分の手で晒し、血の赤に似た美しい唇で血腥い息で喋っている。

 

「断罪の時は来た。裏切りの対価を払わせる義務が責任者にはある。

 だからね、どうかレフ―――私だけを憎悪して、その遺志を葬送させて頂けませんか?」

 

 人間を恨み尽くす魔術式に、その恨みごと狩り尽くそうと星見の狩人は宣告した。正しい意味で葬送の慈悲であり、教授は彼女に狩り殺された瞬間、人類悪として覚えた憐憫の意志を奪われると啓蒙された。狩人が集積し続ける数多の遺志の一つとして血液に融け、その魂が悪夢(ジゴク)に堕ちると言う―――啓示を、何処かから下された。

 ―――死は、救いだった。

 そして遺志を蒐集する狩人に殺された獲物は死ねないのだ。狩人が夢から覚めない限り、狩られた命は遺志となって永遠に悪夢へと囚われる。教授は不死であり、殺されたところで神殿に住まう群体の一個としてまた蘇生するも、その意志を奪われれば無意味な不死性だった。

 

「……ッ―――!!」

 

 本来なら、決断は迅速だったのかもれない。魔術礼装として装備する触媒の杖を強化し、教授は自分の頭蓋骨を吹き飛ばそうと思考する―――直前、所長は礼装を持つ手を散弾銃で吹き飛ばす。

 その早撃ちの業、相手が動きを見切ると言う次元ではない。思考を読み取るなんて領域すら超える。あろうことか、動作を行うその思考が発生する前段階で脳の瞳が相手の意志を見切り、使い慣れた左手の銃火器から弾丸を撃つ悪夢的な早撃ちだった。

 もはや未来視の眼など無意味である。星見の狩人からすれば、未来を見ようと考えが思い浮かぶ前段階で獲物など如何とでも狩り殺せるのだろう。

 

「駄目よ。死のうなんて、考えることも赦さない」

 

「―――――」

 

 うつ伏せに倒れ込む教授は、後頭部に鉄の冷たさを感じる。背中を踏み付けられ、銃口を押し付けられ、起き上がる体勢を取ることも許されない。顔面を地面に着けられ、口の中に土が入り、屈辱感を彼は所長から与えられている。

 引き金(トリガー)を引けば即座、散弾が教授の脳漿を撒き散らす。その後、肉体から消える彼の魂を脳髄(ユメ)へ引き摺り込み、遺志を自分の血液として継承する。それが狩りの本質。弔いの為に鐘はなり、獣狩りは人々の為に行うのではない。獣となった誰かを、せめてこの現実から目覚めますようにと夢の中へ葬送する。

 指に力が入り―――ドン、と轟音が鳴った。

 地面から突き出た城壁が彼女を狙い、教授諸共吹き飛ぶ状況で神祖(ランサー)から横槍が刺さっていた。

 

「それはローマではないぞ、星見の狩人」

 

 上空に飛んだ所長よりも更なる高空にて、神祖は浪漫(ローマ)なジェスチャーを示している。皇帝特権(縮地:A+)を使うことにより、彼は虚空より突如として出現していた。このローマからすれば空間移動可能な領域は地上だけに非ず、視界全てが槍の矛が届く攻撃圏内である。

 

〝狩りの邪魔を―――いえ、そもそもアルテラ達はどうなったのよ!?”

 

 完全な意識外からの奇襲。気配一つなく攻撃に成功し、所長は灰が神祖へ与えた業の悍ましさに啓蒙(サツイ)が煮え滾る。霧が掛ったように瞳を曇らせるソウルの業は狩人にとって正に天敵。真正面から対峙すれば対応は十分可能だろうが、そもそも存在感を意識外に潜ませる事が可能なのが恐ろしい。

 だが、忍びの業を狩りに取り込んだ所長に隙はない。左手の魔術礼装に仕込んだカルデア技術部製の鉤縄(フック)を使い、訓練によって自身の魔術行使よりも素早い空中機動が可能。そして此処はローマ市街であり、フックを投げる的に困ることはない。

 空中に吹き飛ばされても問題はなく―――所長の瞳から逃れる様に、更なる意識外に罠が仕掛けられていた。

 

「―――ガァ……ぁ、貴女は!?」

 

 空中で思考を整える間もなし。上空の神祖に所長の気を取らせ、既に背後から刺客が忍び寄っていた。身動きが咄嗟に取れない足場の無い空の中、背中から刺さった大剣によって腹から臓物と血液を撒き散らしてしまった。

 暗帝もまた神祖と同様、皇帝特権(縮地:A+)の持ち主。更に言えば皇帝特権(仕切り直し:A)もあり、この場にいるのも理に叶う戦局ではあるも、所長は自分の瞳を疑ってしまう。何故ならこの場で早急にフラウロスを狩らねば、ローマ特異点に本当の悪夢が混沌より降臨すると瞳が脳に啓蒙する。

 

「余は、嫌がらせも天才であーる!」

 

 暗帝は所長に刺し込んだ刃を全力で炎上。一瞬で火達磨となり、穴と言う穴から火が噴き上がる。何とか心臓狙いの致命傷は避けるも所長は攻撃を受けた結果、そもそも細胞を体内から火炎で焼かれれば如何しようもなかった。

 しかし、それだけで攻撃を止める必要はない。刺し込んだ刃を振り抜き、焼き焦げた臓物を更に撒き散らしながら、暗帝は更に彼女を上空へと払い投げる。

 

「―――ローマ!!」

 

 其処で待ち構えるのは神祖。胴体が半ば切断された燃え焦げる所長を微笑み、両刃剣にて粉微塵の斬殺を行おうと殺意がローマ全てを塗り潰す勢いで広がった。

 尤も所長は容易く意識を保っていた。この危機的状況下において、死地に驚く人間的な感情と並列して冷静冷徹な戦術眼も十全以上に機能する。

 

〝この私の脳が、あっさり裏を掻かれる何て。瞳が曇ると碌な目が出ないわね”

 

 散弾銃は無用。左手に持ち替えるは、医療教会の狂気―――大砲(キャノン)。狙いは何処でも良いので兎に角素早く発射し、その反動を利用して強引に空中軌道を狂わせる。そして視界が乱回転しつつも、自分の位置を立体的に把握する。同時に右手で輸血液を太股に流し込み、生きる意志が一気に湧き上がり、それが自分の肉体に作用した。

 そのまま着地は左手の大砲を盾に使い、地面に直撃するのを回避。衝撃でバウンドするもそこからは狩人の強靭な体幹で姿勢を整え、ローリングすることで流れるように立ち上がっていた。

 

「シィー……――――ふふ、あっはっは……アハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」

 

 直後、脳の底から狂気を開眼。所長は臓腑から沸騰する愉しさの余り、瞳と頭蓋から一気に流血。その血液が全身に降り掛り、雨に濡れた篝火のように全身を燃やす暗帝の炎を消火した。

 ……臓器が漏れた腹部も元通り。

 だが、所長が立案した作戦は元には戻せない戦局に陥った。

 

〝アッシュ・ワン……あのオンナァ、慢心する真似して作戦が成功しそうと敵に思わせる。何をしてもこっちの悪手になる戦略的盤上構築か。

 悪趣味、下劣、鬼畜の所業……ッ―――なんて、狩り応えのある人間かしら”

 

 ヌルリ、と左眼球が落ちた。血を流す勢いに負けて目玉を落とすとは所長らしからぬ醜態だが、あの悪夢の異界では実際に眼が蕩け落ちる未知なる神秘に溢れおり、古都の学術に熱狂する者なら珍しくもないことだ。よって目玉が取れそうになれば、地面へ落下する前に捕球するなど容易い。

 ヌチャリ、と左眼窩に目玉を入れる。目玉が無くとも脳内の瞳で世界を見通すも、肉眼がなくては狩人とは呼べないだろう。況してや彼女は星見の狩人で在る故、星を見る眼は商売道具だ。

 ズガゴォン、と大砲に新たな砲弾を装填。同時に骨髄の灰も混ぜ入れ、遠距離砲撃も零距離発射による爆撃も可能。必殺を為さねば、三人同時に狩るのは至難。最大火力砲撃、銃撃体幹崩し(パリィ)からの内臓攻撃、蛞蝓液を付与した曲刀による連続斬りを選択し、即座に対集団戦法に戦術眼を切り替えた。

 

「……おぉ……おぉ……悍ましい。恐ろしい。自らの流血で余の暗い炎を消すとは。

 ローマを狩りに来た星見よ。人理の守護者よ。そんな業が、人の歴史を守る者の有り様なのか……?」

 

 灰のソウルを継承した暗帝をして、所長の在り方は恐怖そのもの。蕩けた瞳が落ちた時、その窪みの底から見えた脳髄は更に瞳が密集した脳細胞を幻視し、その上で銀河が密集する宇宙の美しさが隠れていた。

 暗帝は驕っていたのだ。女神と崇めるあの“人間”は確かに人域の果てにおり、その果てから先の未知を目指して歩み続けるも、所長もまた別の可能性を極める途中の人間だ。暗い魂の欠片である灰の人間性を得て、ソウルと言う対魂エーテルを解したとしても、人間はまだまだ狂える悍ましさで満ちている。

 

「我が子、ネロよ……あれもまた人間(ローマ)たる可能性である。しかし、それ故に人道(ローマ)から踏み外した人間の末路でもある。

 (ローマ)はそれを決して笑えぬ。憐れみと言う獣性に先は無いのだ。即ち、灰の呪いに抗い切れなかったこの魂(ローマ)は、僅かばかりとは言え奴に賛同する意志(ローマ)があったと言う事実に他ならぬ。もはや、ローマの遺志(ローマ)(ローマ)を突き動かす暗い情熱(ローマ)となった」

 

「それは……いえ、今はあの“モノ”を助けましょう」

 

「好きにせよ。この特異点が啓かれた時に投げられた(ローマ)は、手の内にはもう二度と戻らんのだから」

 

 地面に転がる教授を皇帝特権(魔術:A)による念力で掴み、暗帝は自分達二人の元にあっさり運ぶ。所長との距離は大きく離れ、大砲を撃ったところで避けられるのは分かり、狩り取れる寸前の教授(獲物)を横取りされるのを見るしかない。

 

「ぐぅ……ぁ、ぁああ……っ―――貴様、神祖ロムルス?」

 

「ローマである!」

 

 丁度目を覚ました教授の眼前に神祖が一人。その背後に佇む暗帝には気付かず、そのまま彼は肉体を蘇生させる。神祖の城壁で全身の骨も砕けたが、威力を抑えていたので切断はされず、教授の魔術の腕前なら体を動かすのに問題はない。

 

「そうか……私は………」

 

「感謝は求めぬ。我らもまたローマの為に、お前の命を地面から“(スク)”っただけである」

 

「……ふん。礼など言わんさ。私の死が、そちらの害になるだけだろうが――――……あ?」

 

 脳天から、教授は裂けた。暗帝による背後からの一刀両断だ。股下まで真っ二つとなり、脳髄も心臓も体外へ剥き出しとなる。

 

「―――さらばだ、獣の魔術師。

 憎しみと憐れみに染まった貴様のソウル、この混沌へ堕ちるのが相応しい」

 

 死体になる直前の教授へ、暗帝は隠し持っていた聖杯を掌から落とした。中に溜まっていた溶岩が零れ落ち、教授が肉体ごと魂が溶け始めた。

 深淵。

 獣性。

 憐憫。

 混沌。

 霊魂。

 魔神。

 聖杯は魔女の窯となり、全てが混沌をスープにして熔け混ざる。

 

「――――――――」

 

 全てをレフ・ライノール・フラウロスは悟った。ローマに招かれた本当の理由、その因果律が此処で交差した。消え逝く意識の中、己が獣性が灰の掌の中で転がる玩具に過ぎず、そもそもビーストは文明から生まれた罪となる人の獣性。

 ローマ――――それは、神代を捨てた人間社会のスタートライン。

 大陸で神秘の駆逐を為し始めた人間共にとって、ビーストの獣性は喰い物でしかない。人の犯した罪は営みによる副作用であり、繁栄の為の廃棄物。潔白でありたいと罪を犯さない為だけに、人間は繁栄を棄てられないのだ。

 

「此処は………」

 

 魂が完全に溶ける前に見る走馬灯にて、教授は不可思議な空間に居た。混沌に呑まれた自分は死ねず、故に時間神殿にも魂が戻れないと理解した彼にとって、この奇天烈な現象に驚く感情を作るのも面倒だった。

 

「御別れの挨拶と思いまして。いや、御役目を果たして頂き、本当に有難う御座います」

 

「アッシュ・ワン……そうか、やはり貴様の悪趣味か」

 

「はい。魔神柱のデーモンにも興味はありますが、その前にどうしても深淵で熟した混沌の聖杯で試したい儀式がありましたので。

 此処まで貴方を生贄にするのを、本当の本当に、限界まで時間を伸ばす必要があったのですが……まぁ、その手間を掛けた苦労もあったのでしょう」

 

「で、此処は?」

 

「古都の神秘を応用した精神空間です。体感時間を加速させていますので、外側では殆んど一瞬ですよ。

 実はこれ、ローマ特異点で貴方が死ぬか、あるいは退去するか、そのどちらかで発動するように仕掛けておいたのです。

 ですので、私はアッシュ・ワン本人ではありますが、そのソウルの欠片から作られた独立型の意識存在とでも思って下さい」

 

「―――は? 人理焼却式の私に魔術式を……!

 いや、そもそも何の為にそのような無意味な真似を!?」

 

「御世話になりましたので、真実は明かしておくべきかと思いまして。尤も、貴方には無価値な真実ですし、これを思い出すこともないかもしれませんが。

 とは言え、決別を告げなければ、貴方に対する私の人情が腐ってしまいますからね」

 

「……カルデアの裏切り者が、更に我らを裏切るつもりか?」

 

「はい。背後を見せられると、つい短刀で心の臓腑を刺したくなる悪い癖がありまして。

 いやはや、神の類へ無意識に糞団子を投げてしまう癖と一緒に、この何と言えない不治の精神病も医療の古都で治したいものですねぇ……フフ、ふふふふふ。

 まぁ、嗤える程にも面白くない人間性なのですが。

 殺す相手のソウルを糞塗れにしても、猛毒でジワリと死ぬ様を見れるだけですしね」

 

 平然と神を糞扱いするように、火の無い灰は教授へ優しく微笑んでいる。心から人を温める聖職者の笑みであり、貧する人々に施しを与える聖女のようであった。

 

「オルガに接吻するよりか、私はまだマシな裏切り方と言う事か。屑以下の糞だな、貴様。彼女にしたアレだけは、私としても勘弁して貰いたい故にな」

 

「しませんよ。老若男女関係はないですが、するならばせめて同等のソウルの持ち主ではありませんとね。お互い、死を味わい合う為にも魂は大切ですから」

 

「あぁ、なるほど。確かに、オルガは良い獲物となるな」

 

「味わい深かったです。裏切った甲斐が実にありました」

 

 唇を触りながら、灰は怪しく微笑んだ。聖職者には程遠い邪な貌であり、魔女よりも禍々しい吐息だった。性欲など欠片もない女だと言うのに、まるで性を喜ぶ淫乱のような雰囲気を装っていた。

 

「気色悪いぞ、貴様。枯木の亡者の癖して、若さを偽るな」

 

「人真似ですのに、酷い言い様ではないですか。しかし、折角用意した人格なのですから、私の魂がその仮面を使わないのは集めたソウルの無駄使いというものでしょう」

 

「……戯れ言を。

 それで――――要件は?」

 

 このような空間を準備した訳であり、裏切りの理由でもあった。何故なのか、知らなくてはならない。恐らくはこの人理を生きる人間で唯一無二の、人理焼却を行った獣の憐憫を正しく理解する人間性の持ち主であるのだから。

 故に、教授は全く分からなかった。

 人間に対するあの絶望は、お互いに共感する感情であった筈。

 

「すみません、レフさん。残念ながら、魔神王の企みはどう足掻いても失敗するのは分かっていました。

 カルデアに所長がいる時点で、カルデアを滅ぼしたところで獣狩りには無価値です。どの時空にいようと最果ても踏破して辿り着き、必ず狩り殺されます。それを取り除く為に貴方たちは私と手を組んだのでしょうが、二重の守りである藤丸立香によっても阻止される運命でもありました。

 詰んでいたのですよ――――最初から。

 三千年前から、憐憫のソウルなど無価値でした。

 カルデアにオルガマリー・アニムスフィアが就任することで藤丸立香も呼ばれ、未来を生きたい人の想いにより、人理焼却は絶対的に失敗します」

 

「貴様、何を言って……ッ―――あ、ぁぁ……ぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 何かが、流れ込む。意志を塗り潰して、描かれる。

 教授の脳から何かが失うと同時に真実へ開眼する。

 上位者(グレート・ワン)のソウルを魂へ頂き、悪夢の理念を知った火の無い灰の新たな素晴しき業で、人間と言うナニカを白痴より啓かれてしまった。

 

「啓蒙されてしまいましたか。ですが、安心して下さい。既に貴方のソウルに忍ばせた術式で、この私との会話は記録から一時削除されます。魂から消えて無くなります。あの神殿にいる王にも届きません。しかし、時限式で魂に情報が蘇生するようにはしてありますので、事業全てが終わりました場合、生きてた時は思い出してください。

 ですが、魔術式に術式を隠すのは面白い作業でしたよ?

 ただまぁ魂を持っている時点で、そもそも完璧な機構など保てないのですがねぇ……ふふふふ」

 

「何処から、一体……貴様は何処まで……!!?」

 

「獣狩りを企むのは狩人と相場が決まっている物ですよ?

 しかも古都の狩人は、獣狩りには悪辣でして。いやはや、幼年期を迎えた上位者として、自滅因子でしかない全ての獣へ、因果応報の業を初手で啓蒙するとは全く以って悍ましい知性です」

 

「ならば、人理焼却への賛同は! 極点への到達は!!

 貴様は魂からこの人理で唯一人だけの、人の闇を理解する貴様だけは我らの願いを良しとした―――今を生きる人間だろうが!?」

 

「はい。魂より、腐った絵画は燃えるべき世界です。人の血で描かれた汎人類史も、同様の末路を辿るべきだと思います。

 ですが、まだまだ――――腐り足りないのです。

 何故、貴方は三千年程度の腐り具合で、そんな儚いだけの絶望を焚べようと考えたのでしょう?」

 

「―――――は?」

 

 騙されたと理解する。同時に、灰は何一つ言葉を偽っていない。

 教授は腐った絵画は焼かれるべきと言う意志に納得した。魔神柱と魔神王も、その絶望に共感した。しかし、灰の抱く絶望の深みを理解できなかった。人理焼却程度の殺戮では何一つ感じない程に、灰は人類史に生きる人の魂に負の価値すら実感していなかった。

 それを、理解してはならない。

 永遠を壊してしまう意志に至った暗い魂の絶望を、一欠片とて分かってはならない。

 正気が肉を削ぐ様に崩れ、教授は自分が人類に向ける怒りと憎しみが不確かな感情に思えてくる。彼の眼前に佇む灰が魂に宿す極性の暗い意志は形容し難く、それは他人の絶望を容易く飲み干す闇色の瞳となって現れている。

 

「自らの救われなさに諦めない意志こそ、人理の人間性です。死んで、死んで、死に続けた先に人類史は不死へ辿り着きますが、貴方の読み通り人類史から悲劇はなくならないでしょう。

 文明は更に腐敗し、魂も腐り、人は爛れ……だが、それでも人の世は末期ではないのです。まだ終われません。全てが腐ろうとも時間によって更に枯れ、また腐り出して、生き残った最後の魂が本当の終末に辿り着かなければ、世界を滅ぼして良い訳がないのです。

 その世界を生きた魂の答えとして―――終わりとは、在らねばならない」

 

 暗い魂だった。それが、人間が辿り着いてはならない人の終わりであった。

 

「馬鹿な。有り得ん……それが、人間なのか?

 だとすれば、我ら全ての魂は永遠に価値など求められないではないか!!」

 

「そうだ、フラウロス。最後まで、魂を見届け給え。何万年だろうと、何億年だろうと。

 私がそうやって終末の終わり方を選択したように。次の世界へ人の魂を導いたように。

 故に貴公らのそれは、人間が人で在る事を失う絶望ですらなく、思い通りに行かない人類史に対するただの失望でしかないのだよ」

 

 焼却による新世界の到達。それは、世界が徹底して人間によって腐れ果てた末の結論でなくてはならない。

 

「―――ふざけるなよ!

 ならば、何故あのように人の地獄を愉しんでいた!?」

 

 フランスでも、このローマでも、灰は魂から人々の憐れな様を嗤っていた。それが偽りではなく、本当に心から愉しいから哂っていた。腐った人類史に対する絶望から、この人理を嘲る本性より湧いた笑みだった。偽りではない獣性と同じ臭いを持つ貌だ。

 しかし、それもまた灰にとっては真実。彼女のソウルになった誰かの魂達は、自分達を切り捨てた人類を心底より憎悪して死んだのだから。

 

「私も自覚があるのだよ、フラウロス。しかし、それで充分だ。所詮、燃え殻が更に枯れた呪われ人の抱いた夢。灰となって蘇り、違う使命も覚えたがそれも果たしたとなれば、私が灰ではなく人間として夢見た使命も、何時か辿り着ける終わりだとも。

 魂を強くしなければ、何も得られない世界。

 他者を貪って進化しなければ、前に進めぬ世界。

 前提として、より強く、更に進化することは目的を果たす為の手段であった。己の魂など人殺しの道具であった。

 故に我が原罪の探求も――人の魂を、闇から救うために」

 

 だが火の無い灰は、灰となる前は唯の一人の不死だった。亡者となる運命を最期に抱くただの人間だった。死ねぬ魂を枯れさせ、残り火の溶ける血で甦り、灰の人となり、魂まで灰になって果てたから、火の簒奪者を選択した。

 

「しかし、私はその因果に敗れ去った。

 自らの魂が持つ絶望へ挑み―――人の原罪を、私では償えなかった。

 貴公の挑むべく原罪と私の原罪は別であるが、因果の始まりはもう二度と変えられぬ本当の絶望でしかなかったのだよ。

 そうして魂が始まったのならば、その魂から価値を見出すことが徒労。原罪を探求して答えを得てしまったが故に、こうして不死な筈の魂を枯らしてしまった。

 しかしそれでも尚、灰となって―――生きていた。

 絶望を前に心を折ることが結局出来ず、人間の救われなさに諦めることがどうしても出来ない」

 

 それだけの話だった。それだけの事だった。

 灰となる前の、不死だった頃の目的を思い出すのに、どれ程の時間が掛ったのか。もはや灰である彼女本人でさえ分からない程に、残り火となった世界を繰り返して辿り着いた。

 

「私たち灰が不死の成れの果てであり、不死が小人の末裔であり、小人が暗い魂を見出したように……そして、最初の火が闇の中で生きる命へ差異を生んでしまった様に。

 ならばこそ、貴公の原罪こそ―――人間だ。

 獣よ、心が折れるにはまだ死が足りぬ。人の時代の終わりに辿り着けなければ、人より生じた貴公の絶望が無価値になる」

 

「………っ―――――」

 

 フラウロスは、よりソウルを啓蒙されてしまった。人理焼却の唯一人の理解者だと思い、この世界で偉業に賛同する人間だと知り、だが今こうして裏切られたと考えたが―――真実、本当の同類だった。

 だが、同類で在るだけで、灰はその絶望の―――終極だった。

 新たな時代も、違う新しい世界も、到達したところで絶望は常にある。だから、魂は徹頭徹尾まで苦しみ抜かねばならないのだと。

 

「―――嫌だ。嫌だ、嫌だ、嫌だ!!

 こんな世界はもう嫌だ。うんざりなんだ、苦しいだけではないか!?

 どうして、そこまで無様に死ぬ! 下らぬ姿で死に、幸福だろうが最後は死ぬ!

 獣でしかない我らに……貴様ら人間の被造物でしかない我らに、憐れまれるような命の在り方にしかなれぬと言うのに!!!」

 

「しかし、その絶望が貴公らを生んだ人間と言う名の原罪。

 その憐憫に答えが欲しいのならば、戦い続けろ。貴公の魂が腐り、その腐れさえも枯れる程の時間と輪廻に耐えろ。罪の終点まで心が折れることなく、己が使命を全うし給え」

 

「ふざかるな! 三千年、見届けた!! それ以上、何と戦えと言うのだ!!?」

 

「人間と、その魂と、まだ戦い足りない。しかし貴公は必ずや、出来るだろう。特別など一つもないただの人間である私に出来る当然の業であるならば。

 そして、あの闇の世界では私に不可能だった到達地点も、この人理の世界ならば辿り着く事が可能かもしれない。

 貴公のその絶望を、未来に続く希望の火に焚べる事も――――遠い果てに、出来るかもしれぬ」

 

「馬鹿な……貴様のような人間が、我らを作ったあの王よりも闇深き……ッ―――人間に、この世の誰よりも絶望している筈ではなかったのか!?

 フランスとローマでの悪行は、恨んでいるからではないのか!?

 確かに貴様の悪行は救世を為す必要悪ではあったが、そうまでしなければ未来を紡げぬ人間に対する憎悪ではないのか!?

 冷酷、残虐、外道、下劣! 無差別なる冒涜的殺戮者!

 そうだ! 貴様が言う通りに我らもこの人理など焼かれるべき腐った絵画でしかない! 人間共の腐った魂から流れた血で描かれた下らぬ人類史でしかないと言うのに!」

 

「この世が続く為に誰か一人でもそう在るべきなのだよ、人間として魂が生まれたのならば」

 

 罪を誰かが求めないといけない世界。灰は人理焼却に協力する理由を強くなるためと語っていたが、強く在らねば自分以外の為に罪悪を為して罪など背負えない。

 

「ッ――――……進化の為に、魂を強くするとは……本当に、ただの報酬なのか?」

 

「本来ならば、原罪を探求する為に必要な手段に過ぎない。しかし、今の私にとっては、その報酬を得られるだけで、悪行を為すのに十分な対価である。

 魂を常に焼かれる苦しみに相応しい報酬なのだよ。

 それだけで十分。それ以上は無価値。それを得られるだけで、私は幾度でも己が魂を殺し尽くし、原罪を探求し続ける」

 

 魂に価値はないと語った女。教授は魂こそ、それが永遠に続けば終わりのない命に価値があると考えていた。死は、苦しいだけのもの。

 だが魂を持って生まれた命に―――生の到達は、ない。

 その答えを良しとし、生き続ける答えの一つが眼前の灰であった。

 

「アン・ディール……否、貴様はただの名無しの呪われ人。ただの原罪の探求者」

 

 原罪の探求者。フラウロスは、この女の在り方を憐憫する。だが魔神柱もそう在れば、補正式は正しく人間を見届けて終われたのかもしれない。

 諦めてはならなかった。見届けなければならなかった。

 死んで、死んで、それでも死んで、死に続けて魂を腐らせた遥か未来まで、人間は苦しむべきだった。

 全ての人間の魂が枯れても、膿み腐った人類史の中で更に人間は悶え苦しんでも、手を伸ばすべきではなかった。

 苦しみ抜いた人間が人類史を完結させて、そうしなければ腐れも枯れた終末を新しい世界に描き換えるのは、死に続けた人間の魂を裏切る行いだった。

 世界を燃やすのは―――……だが、被造物は耐えれれなかった。

 余りにも憐れだった。それが彼らの原罪なのだとしても、命を苦しむ事しか出来ない何て、どうしようもなく許せなかった。せめて何も分からない儘に終わらせて上げるべきだと、三千年前に全員が決意してしまった。

 

「この実感を忘れるとしても、私は貴様の魂を僅かにだが理解した。理解してしまった。

 獣に堕ちるなど、人間からすれば泣き言に過ぎないのだと……憐憫されるべきなのは、人間と言う原罪を諦めた被造物である我々なのだと」

 

「不死なる魂を夢見るならば―――知れ。

 新世界を目指す貴公の希望は、そもそも人間と言う悪夢にまた到達する繰り返しに過ぎない」

 

「――――――――――――」

 

 だから、腐るのだと。獣が描いた世界も、死ねないのなら腐るのだと。最後は、人間と言う答えを繰り返すだけの魂で在るのだと。

 

「貴公も死なぬのなら、この度のように心が折れなければ分かる事実。命が死ねるから人理は腐り掛けるだけに留まり、人間は魂を亡者とせず繁栄が行えている……今はまだ、な。

 ……ですので、お喋りはここまでに致しましょう。

 これより混沌に堕ち、死ぬしかない貴方の大切な臨死の時間を奪うのも酷というものですからねぇ……ふふふ」

 

「貴様――――」

 

 自分よりも絶望した理解者にして同類。だが、同類であるのは人間へ絶望していることだけだ。フラウロスは彼女が自分達の理解者で在るが、自分達が彼女への理解者には成れないと悟ってしまった。

 余りにも純粋な事実だった。

 絶望が獣には足りな過ぎる。

 より深く、より長く、より重く、永劫を苦しみ抜く。

 火で魂を焼き続け、闇の中を永遠に彷徨し続ける終わり無き生涯。

 

「―――あぁ、だからなのか。

 最初は貴様も、人間の為だった。魂の為に、絶望を焚べ始めたのだな……」

 

 灰として蘇生した嘗ての探求者は、ソウルの底から獣に向けて微笑んだ。その未来に何の価値もないことを似た途を歩んだ者として、彼女はその絶望こそ人間が答えを得る為の力だと尊んだ。

 

「ええ。これは、ただそれだけの人間の物語でした。なのでどうか、終わりが決して訪れない永遠を、魂だけはお元気で。

 また会う日まで―――さようなら、レフ・ライノール」

 

 彼は微笑み返し―――悪夢から、目が醒めた。

 混沌の聖杯に堕ちるまでの長い長い一時の走馬灯が溶け終わり、現実に意識が戻ってしまった。

 

「憐れだなぁ……」

 

 得られた小さな答えを静かに呟き、教授は溶岩に熔け消える。生き足掻く事もせず、この特異点での命を終わらせる。

 結果に価値がないと理解した男の、何でもない最期であった。

 













 読んで頂き、有難う御座いました。
 灰の人としましては、本音を言えば腐った絵画は燃えるべきですが、それはあらゆる手段で足掻いた果てにその結果として人類が最後の一人となるまで、自分達人間の救われなさに戦い抜いた最後ではないと、世界を滅ぼして次の世界へ生まれ変わるのは否定します。
 ゲーティアの目的は否定しませんが、ゲーティアの人生は徹底的に否定しているのですよね。もっともっと苦しんで苦しんで、自分を幾度も見失って、魂から自分が消える程に絶望し尽くして、それでも本当にどうしようもない位に苦しみ抜いた時、人理自体を人間が生きた結果として次の可能性の未来が欲しいと更にそこから苦しみ抜いて生きた最後なら、その目的は人の魂にとって救いになるかもしれない罪だと見届けます。


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