血液由来の所長   作:サイトー

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 エルデンリング、楽しみ過ぎて脳液が凄い日々です。


啓蒙67:蛆虫塗れの正義

 獣の苗床がボロボロと崩れ落ちた―――この時、特異点の虚数空間への沈下が停止。

 苗床の頭脳体となっていた暗帝は魔神樹と同調していたことで、背中から生やした翼が炭化し、もう羽ばたく力もなく、自由なる空から人理と言う地上に墜落する。

 このままでは、暗帝は死ぬ。

 サーヴァントではない唯の今を生きる人間に過ぎない彼女にとって、高所からの落下は死を意味するのが道理。

 

「そんな、そんな……ッ―――余の、未来が……」

 

 しかし、その事を気にする余裕が暗帝にはなかった。絶望を魂で味わい、燃え殻となった未来を呟く事しか出来ない。そのまま地面へと無防備で頭から堕ち、頭蓋骨が割れ、脳味噌を撒き散らす。肉体も弾けたように砕け―――二秒後、時間が逆再生されたように元通り。

 此処までの悪行を耐えて、受け入れ、我慢して、人理を否定してまで生き延びようと足掻いた先―――ローマを砕いて作ったその未来が、暗帝の前で砕け散る。

 

「………自由が、届かぬのか。全て、悪い夢だったのか……嫌だ、醒めたくない。

 命から、醒めたくない……人生から、醒めたくない。悪で良いから、苦しくて良いから、こんな絶望の為に諦めたくないのだ!!」

 

 もはや、本当に唯の人間だった。絶望を前に膝を屈したいのに、それでも死ぬまで諦めずに足掻こうとするだけの、英雄のような女に過ぎなかった。

 

「終わりだよ、暗帝。これがキミの死だ」

 

 復讐の女王は、まだ何とか生き延びていた。騎馬を殺され、戦車を破壊され、空中に投げ出され、本当にもう後がない絶望まで迫り、だがそこまで暗帝の猛攻を耐えた故に生き抜いた。所長が獣の神核を撃ち殺し、皆を暗帝の脅威から守るのに間に合った。

 しかし、宝具の戦車(チャリオット)は失った。魔力も空に近い。

 残るはこの復讐心と、その憎悪に染まった暗き愛剣の宝具のみ。

 

「ブーディカ――ッ……そなた、諦めるのか?

 分かっている筈だ。本当に恨むべき相手が何か、余の魂と同じならば理解しているだろう!?」

 

「うん。英霊のあたしとも、その生前のあたしとも、今の自分は違う。この特異点で生きるあたしから、本当に家族を奪ったモノの正体も、ちゃんと理解しているさ」

 

「そうだ……なのに、その憎悪を余にだけ向ける。貴様の魂は、確かにローマを貪る義務を持つが、それと同じく人理を汚す権利もある筈。

 分からず屋め……怨念に、生きたまま取り憑かれ、それを分かった上で己が愚行を許すと言うのか!」

 

 最初から、暗い闇より這い出た存在なら良かった。悪であることに葛藤はなく、善の為に悪を為す矛盾も消える。そしてこのローマは、マシュ・クローン(アンリマユ・セプテム)を神核とする獣の苗床(ベッド・オブ・ビースト)が特異点全てを吸い込み、真エーテルもエーテルも取り込み、神の残骸である古い獣の模倣によって人理を「ソウル」と言う新たなエーテルの運営法則で塗り替える試みであった。

 それ故の、矛盾無きの善悪の彼岸。

 人と人が、剥き出しの魂で触れ合う帝国。

 暗帝は人の魂(ソウル)が、在りの儘に生きられる世界が欲しかった。

 

「余のローマであれば、貴様は好きなだけローマを殺せた!

 死んだ家族も蘇らせ、人理と言う下劣外道から取り戻す未来があった!

 その二つを矛盾することなく、幾度でも繰り返せた。永遠に恐怖し、定命を固執する者に、余のローマを非難する資格はない。

 貴様は己の為に、暗きローマでのみ叶う家族との未来を―――捨てたのだ!!」

 

 その事実をブーディカは分かっていた。ローマの魔神樹が展開する固有結界「アウグストゥス」は、この特異点で死んだ者の魂が集積されている。

 故に人理を贄と捧げてローマ特異点の完成を待てば、ブーディカはローマ市民としてソウルの儘に、幸福を永遠の不死として送ることが出来たのだろう。

 

「そうだよ……―――キミと、ホントに同じだね」

 

「……ッ――――!!」

 

「あたしも、諦めたくないのさ。あぁ、それだけよ。それだけで、きっと満足はないけれど、少しは自分の悪性に報いて死んで逝けるんだ。

 だから―――……死のう、共に。

 キミはより良い未来を求めた果てに、この世で生きるには罪を深め過ぎたんだ」

 

「その為の新たなるローマ。悪を恐れ、己が幸福から逃げるとは。

 償えぬ罪を永遠に抱こうとも、それごとローマは自由となるのだ。永遠に憎悪を晴らし、永劫の幸福から作られる日常を……」

 

「……要らないよ。

 あたしには、その幸福な地獄には耐えられない。悪の為に、善をあたしは為せないさ」

 

「この、この……ッ―――愚か者が!!!」

 

 しかし、暗帝は力を失っただけだ。ブーディカと今の暗帝は変わらない。元に戻った程度の絶望に、心が折れて止まるような魂であるならば、そもそも自分を含めた全ての魂を自由を与える為だけに、特異点で地獄を作らない。目的の為、悪に堕ちる事もなく、罪を積む事もなかった。

 

「ならば、貴様は―――諦めろ。

 余は何度でも、己が人生をやり直して見せる。余は幾度だろうと、繰り返して見せよう」

 

 何故、灰を女神と彼女が讃えるのか。その魂にある諦めと言う真っ当な根底が、あの自殺から暗帝が救われたことで消え、彼女は人間が止まる事の無意味さを悟ったからだった。

 諦めが―――人の魂(ソウル)を、殺すのだと。

 ソウルで以って命を奪うとは、殺した相手の魂を引き継ぐこと。

 ローマはまだ死んでいない。暗帝が諦めない限り、絶対にローマは滅び去らない。混沌の聖杯は、壊れていない。世界を侵食する異界常識(アウグストゥス)はまだ特異点の運営機構として死んでいない。

 それさえまだ有れば、この特異点で集まったソウルは消えておらず、材料をまた練り直せば魔神樹は復活する筈。しかし、聖杯に捧げる魔神樹の神核だけは遺志を狩り取られしまった。

 もはや獣の苗床に進化させる事は出来ないが―――星見の狩人には、アンリマユ・セプテムの遺志が流れ込んだ。

 ―――暗帝は、カルデアを狩らねばならない。

 オルガマリー・アニムスフィアを混沌の中へ捧げなければならない。

 今まではこの特異点を守る為だったが、今度は自分(ローマ)の未来を取り戻す為に。

 

「未来永劫、キミの魂から始まった人理は、その不死を良しとする人間性によって救われないのに?」

 

「―――そうだともブーディカ!

 此処まで足掻き抜き、そうだからと我ら人間が易々と死ねると思うか……?」

 

「ああ、そうだね。むざむざ生き残ったのなら、人は為すべき事を為すまで死ねないから」

 

 瞬間、皇帝特権(気配遮断:A+)で隠れていたネロが暗帝へ背中刺し(バックスタブ)を行った。怨敵との会話に集中する馬鹿に向ける慈悲など、今のネロには存在しない。

 ローマの為に、冷酷にて冷徹、非道にして外道ともなろう。

 そして、赤い宝剣を燃焼。人間を内側から焼き、血肉を炭化させる追い打ち行為。

 

「―――不意打ち。馬鹿が、その程度で死ねぬ」

 

「馬鹿はそちらだ。亡者が人間を語るでないわ」

 

 軍神の光剣から元に戻った暗い宝剣を振り、ネロを切り捨てる。だが、ネロは悪魔殺しから移植された右腕で受け止めた。嘗て暗帝から千切られた霊体の右腕だったが、今ここで英霊ネロは古い獣の苗床と共鳴し―――悪魔が、ソウルより目覚めた。

 それは、魂の引き継ぎだった。

 古いローマで消えた、死んだ羅馬皇帝(アウグストゥス)たちの遺志を継ぐこと。

 死者の想いを継承するのは暗帝だけの特権ではない。悪魔殺しの腕を得て、戦う力を取り戻してローマを滅ぼさんとする英霊ネロもまた、成長無き筈の死んだ英霊なのに己が魂を深化させた。

 

「貴様、死人風情がぁ……!」

 

 暗帝は死を悟る。あの右腕こそ真なるデーモンの破片。彼女は脅威を払おうと暗い宝剣を振るうも、左腕で宝剣を操るネロに全てを防がれる。まるで灰のソウルで呪われたあの神祖のような超越的技巧であり、如何なる膂力だろうと柳の撓やかさで弾き逸らすだろう。

 同時、ネロの右腕が――光り、輝き、熱を持つ。

 そのソウルが継承する遺志が蘇り、掌から神祖の想いが具現した。黒い光球に白い閃光が纏まり、今此処に軍神マルスが我が子に伝えた戦闘方法がネロの魂で再誕する。

 

「皇帝特権、励起―――射殺す百頭(ナインライブス)()羅馬(ローマ)

 

 大英雄の戦闘技巧。流派ヘラクレス、ローマ分派。光槍と化す拳閃乱打は死なずの魂であろうと鏖殺し、ネロは血に染まる戦場にて星空の煌めきを迸らせた。

 暗帝は、死んだ。回避する間もなく、四散を超えて霧散。

 直後、ネロは魔力(ソウル)を右腕から発火。蘇生をする前に、肉片になった暗帝を更に爆散させた。

 

「ガ―――! 貴様、その魔力……!?」

 

 しかし、暗帝は問題なく蘇生した。だが自分の霊体に違和感を感じ、その正体を理解した時、ネロの愚かさに吐き気がした。

 

「ヌゥゥウ……ゴォ、うぅぉあああ……!!」

 

 ネロの苦悶。霊基が燃焼する―――等と、生易しい反動ではない。暗帝が見抜いた通り、ネロが使った魔力(エーテル)は第三法を知る者からすれば自殺以前の自己消滅に等しい愚行。暗帝は不死と化した故、その所業が恐ろしい。

 謂わば暗帝の不死性は、灰や悪魔とは対比となる現象。あの二人の不死は、ただの不死ではない。その魂が死ねず、肉体は死ぬがその魂が不死となる者。しかし、通常の不死は肉体が死ねず、魂はこの世から消滅可能なため、魂殺しの概念武装などで死ぬ事が可能。

 暗帝は、魂は有限の者。そして、英霊ネロはその右腕より魔力(ソウル)を使ったのだ。あの不死共なら己が魂から魔力を使ったところで問題もなく、ソウルの業を知れば寿命がある者でも安全に魔力(ソウル)を使える技術でもあるが、ネロは自分の魂を削って薪に変えて更に霊基さえも火に焚べた。

 そして、ネロが作った隙をブーディカは見逃さない。己が憎悪に染まった愛剣を振るい、暗帝の頭部を輪切りにするも、暗帝はそれを敢えて受け入れる。同時に暗帝は剣を振り払い、盾でガードされる前にブーディカの左腕を斬り落とした。

 

「……っ――――」

 

 互いに、人間。暗帝のような不死性のないブーディカは―――だが、今はもう気が付いていた。これまで霊核に致命傷を受けた訳でもなく、四肢が千切れたり、脳や心臓が砕けた事がなかったので分からなかったが、致命傷など今の自分にとって問題はない。

 シモン・マグスが暗帝の不死性の為に残した安全装置。

 白竜を知る灰から啓蒙された宮廷魔術師の作る、暗帝にとっての本当の原始結晶。

 魔力(ソウル)の受肉現象により、失った血液は即座に充填される。斬り落とされた腕は勝手に浮遊して彼女の所に戻り、磁石が張り付くようにあっさりと蘇生する。

 

「あたしは、人間の儘さ。けど、キミの在り様で気が付けた。あたしもまた、自分のこの魂が在る限り、この肉体はあの外道に堕ちた魔術師の御蔭で頑丈なんだ」

 

 斬られた頭蓋骨から脳味噌を見せる暗帝。勝利の女王は、そんなグロテスクの語源にもなった芸術を作った女の、奇怪醜怪(グロテスク)な姿を見ながら母親みたいに微笑んでしまった。

 憎悪が楽しくて、怨念が愉しくて、笑ってしまったのだ。

 もっと憐れみが欲しい。酷く辛い悲劇を作りたい。恨みから慈悲さえ生む人間性が、暗く濁る女王から芽生えてしまった。

 

「復讐を。家族の仇を。國の償いを。

 そして、キミの為の憎悪を――……今、此処に」

 

「ブーディカぁぁぁあああああ!!」

 

 叫びと共に迫る一閃。女王は容易く丸盾でパリィ(受け流)した。そのまま流れる動きで首を切り落とし、だが暗帝の肉体は首が落ちても動いて女王の心臓を突き刺した。しかし、もはや関係がなかった。殺せれば良かった。何度でも殺せるのが良かった。

 魂が殺されない限り、幾度でも―――死ぬ。

 だが、例外は何事にも付き物。ネロはその惨劇から目を逸らさず、悪魔殺し(デーモンスレイヤー)の右腕から魔力(ソウル)の矢を放った。それは対魂魔術と呼ぶに相応しく、魂で相手の魂を削り取る業だ。

 

「種を、知ればぁぁああ!!」

 

 暗帝もまたソウルの業を宿す者。むしろ、悪魔の腕を直で持つネロよりも安全に使いこなせる。ソウルを付与した宝剣で矢を斬り払い、そのまま勢いで女王を両断。そして、ネロもまた自分の宝剣をソウルの魔力で強化した。

 復讐の女王(ブーディカ)は魂が斬り裂かれた。

 痛い。辛い。苦しい。惨い程、霊体が崩れ壊れるが、痛い程、魂が肉体を手放さない。ソウルの業であれば死ぬと理解し、同時に何度か耐えられるとも理解した。

 ならば、問題はない。

 どうせ、もう命など捨てている。

 ソウルの業―――その使い道、女王は存分に目の前で学ぶ好機を得られたのだから。

 女王の剣に魔力(ソウル)が奔った。後戻りは有り得ない。自分の魂が薄れる実感が死より悍ましいが、その恐怖心が彼女へと生の実感を与える矛盾。そして、その実感がより一層、ローマに対する憎悪の炎を燃やす薪となる。

 

「あっはっははははははっはっはははははは―――!!

 あたしの憎しみが、今のあたしの魂となってる! 人は此処まで魂を狂わせて、人を憎悪出来るなんて!!」

 

 狂い果てる戦友の姿。ネロはローマを恨む者が、更にローマによって憎悪と慈悲で発狂する光景に、自身の人理を守るという行動理念が壊れる音が魂の中から聞こえた。

 だからこそ、もう止まれない。暗帝の言葉は真実だと、ネロも分かっている。もはや何もかもが諦められない。此処まで走り抜いて、終着に辿り着く前に死を受け入れるなど許されない。

 そんな狂う女王に、ネロは復讐に狂うなと言えなかった。

 憎悪に狂うだけで、彼女は自分の人生を駆け抜けているだけなのだから。

 

「……っ――ブーディカ、合わせるのだ!」

 

「分かってるよ、ネロ公!!」

 

 駆ける怨敵二人。宝具の戦車を失った暗帝は最後の武器にして、自作の愛剣を強く握った。両足に力が入り、敵に立ち向かう勇気が沸いた。

 彼女には、ローマの為の願いがある。

 勝ちたい。生きたい。死にたくない。

 何よりも―――未来が、欲しかった。

 

「其処を退け、邪魔だ亡者共。

 余は貴様らの運命を奪ってでも、自由の未来をローマに与えるのだ」

 

 三人とも、この人理と言う運命を理解している。自分の人生を送り、この世の在り方を実感している。此処から逃げても、次にあるのもまた地獄。自分の戦場から逃げても意味はなく、また新しい戦場が待っているだけ。

 ―――戦え。

 ―――闘え。

 殺せ―――何度でも。

 暗帝ネロの魂はまだ死ねず、そして死なぬのなら生きてる限り幾度でも深化する。

 灰より、祝福を。簒奪者より、王の火を。三度、落陽を迎えても、今の彼女にはその先が延々と続く。あるいは、永遠に続いて欲しい。

 

「おぉぉおォォォオオオオオオオ――――」

 

 その雄叫びで、暗帝は己がソウルを解放した。悪魔殺しの腕を持つ自分(ネロ)が敵ならば、自身もまた深淵の暗い魂にソウルを委ねれば良い。

 彼女こそ混沌の暗帝、ネロ・カオス。

 ならば此処より転生するは深淵の子、ネロ・アビス。

 ―――本当に?

 人は、何にでも成れる。そして、自由に未来を選択する可能性がなくてはならない。

 暗帝は選ぶ権利があり、同時に何かを選ぶ責務がある。逃げる事だけが許されず、永遠を選んだのなら永劫の戦いに苦しむ義務がある。だからこそ、闇で在りながら太陽の光を愛する自由を持ち、闇の儘に魂を深める自由も同じく有する。

 

「――――」

 

 暗帝の時が止まった。意識が光の無い深淵に堕ち、自分の中に潜む者が手を伸ばす姿を幻視する。

 それは化け物だったが、確かに人だった。鹿のような、だが余りにも歪で大きな角。大槌と化した木の杖と、瞳が生えた巨腕。ずっと、ずっと、その欠片が彼女の魂を暗く包んでいた。それが彼女に施された祝福(呪詛)の核だった。

 ―――深淵の主。火の簒奪者に記録されたソウルの一つ。

 だが、暗帝は人間性を暴走させなかった。彼女はもう狂うには闇が深く成り過ぎた。

 故に、古い人(マヌス)は微笑んだ。自分を受け入れてくれる人間を、生暖かく、ドロリとした暗い魂で覆い込む。それ程に暗く温めても、狂わず、拒絶せず、その闇を欲する暗帝の魂を喜んだ。

 ならば――贄を。あの不様な神の英雄を。

 神の王が人の怒りを鎮める為、深淵に捧げたあの憐れな英雄も、深淵の帝国を望むこの女は喜んで貪ることだろう。

 そして――力を。深淵を未来に選んだ人間に、どうか幸福が有らん事を。

 不死の英雄に滅ぼされた後の、世界全てを飲干した深き闇たる簒奪者のソウルに残った記録でしかないのだとしても、古い人だった破片(ソレ)は見守っていたのだ。

 シモン・マグスを暗い魂に狂わせた正体(ソレ)は、人間が人間として自由に生きられる世界で、人間が人間らしく過去の思い出を大切に出来る優しい未来が欲しかった。そして作られる未来の顔料こそ、深淵の暗い魂が融けた不死の血液。

 正に血の遺志。特異点で死んだ人々の魂もやがて暗帝の血に融ける。

 それによって描かれる新生ローマ。獣の苗床より生じる混沌の獣血は、深淵と混ざり、どんな帝国を絵画世界に描くのか。

 古い人は―――人間性(ヒューマニティ)を、灰の愛するネロに捧げ続けた。

 

「余の魂が叫んでおる――!!

 人間が未来永劫、人間らしく生きる帝国に君臨するのだと!!」

 

 暗帝の左に具現するは、闇深い神たる英雄(アルトリウス)の大盾。それ一つで、ネロとブーディカの攻撃を容易く受け止める。

 その筋力と、衝撃を柔らかく受け止める技量。それこそ狼騎士と呼ばれる英雄の本質。

 正に攻防一体。獣の如き鋭い動きと、鋼と同じ不動の守り。そして、古い人の深淵が暗帝の宝剣に纏わり付き、滑り気を帯びた闇の虚と化し、鈍器のような重さを有する魔剣に転じた。元より暗かった宝剣というのに、今はもう完全に闇の剣と成り果てた。

 暗帝のソウルに、戦い抜く為の力を。

 古い人が知る最も高潔な騎士の記録(ソウル)が流れ込む。

 彼は人間性がない神であろうと、その魂で友を深淵の闇から守る決意を盾に込める自己犠牲の持ち主。語り継がれた伝承が偽りだろうと、死んだ魂が後世に残した遺志を、誰が偽物で無価値だと断じると言うのか。それを継いだ友と、その友が残した遺志を継ぐ人々を、偽りを信じる愚か者と罵倒すると言うのか。

 無論、それこそ何も分からず、何も分かろうとしない無知な人間共。あるいは、死者の残す遺志を理解出来ない人間性無き魔物。

 故、暗帝は魂が残した遺志を無価値だと思いたくなかった。

 人が作り出す獣性だとしても、獣もまた人の形だと本当は分かっていた。

 

「よもや、そこまでの!?」

 

 ネロが、心が折れない限り深化する生前の自分に恐怖する。悪魔殺しの腕を覚醒させた彼女であれば、現状の危なさを正しく理解する。

 (ヒト)の証である角。四肢は暗く、身は影を纏う。瞳が血の色に染まり、その暗がりの中で妖しく燈る。衣服はドロリと蕩け落ち、魔力が溶けた粘性のヘドロとなり、肉体に張り付いた。まるで冥府に潜む魔物を、グロテスク思想を好む芸術家が空想したかのような彫像の形。しかし、暗帝は確かな人の像で以って顕現する暗い人間だった。

 

「―――変身だ。

 皇帝は、何時でも浪漫(ローマ)で在らねばならぬ。芸術的なまでになッ!」

 

 敵を受け止めた儘、変身と共に大盾の突撃(シールドバッシュ)。ネロとブーディカを一気に吹き飛ばし、体勢が崩れたネロに深淵の宝剣を叩き込む。空中で身を回転しながらの、闇の重さを重力で加速させた狼騎士の一撃だった。

 だが悪魔殺しの魂を、ネロは継承する霊体。獣の写し身が仕込まれ、その腕は戦闘情報以外にソウルの業も記憶する。無論、葦名やヤーナム、それ以外の土地で経験したあらゆる技術も含まれる。

 

“ならば、余も同じことッ!”

 

 触媒たる悪魔殺しの腕より、闇色の障壁――反動の闇術が繰り出された。

 

“む、厄介な。空間遮断の領域とは”

 

 暗帝は一切の感触なく斬撃を防がれた違和感で、ネロが出した魔術の規格外さを天才的直感力で即座に把握。だが核の熱波を防ぐ程に業を深め過ぎた灰と違い、ネロでは長時間の展開は不可能と判断。ならば、と対策が浮かぶも暗帝は背後でブーディカの殺気を感知する。後頭部を狙った袈裟斬り。

 暗帝の戦術選択は迅速だった。背後からの斬撃を屈んで避けながら、その流れで足元を薙ぎ払う回転斬り。ネロとブーディカの二人は跳んで回避するも、それこそ暗帝の狙い。今度はブーディカを狙い、深淵の宝剣を触媒にして闇の飛沫を発射。散弾銃のように数多のオーブが彼女へ襲い掛かるも、空中でも咄嗟に丸盾で防御した。そして暗帝は、同時にネロへも大盾を触媒にして闇の玉(ダークオーブ)を放っており、人の魂を砕くには重過ぎるソウルの一撃で吹き飛ばす。

 

“悪魔殺しの腕、厄介極まる。灰の女神よりソウルを貪った余と遜色なき業よ”

 

 しかし、もう止まらない。己がソウルから深淵の汚水を絞り出し、自身の魂ごと身体機能より重く、迅く、鋭く、強化した。更に皇帝特権(魔力放出:A+)をソウルの業と複合使用することで、液状化した人間性――深淵の泥を刀身から滴り溢す。

 その斬撃を一撫ですれば、神の魂さえも簡単に打ち砕く。況して、そんなもので人間を斬れば、魂が物理的に粉砕されて闇に飲み込まれる事だろう。

 覚醒に次ぐ覚醒。繰り返されるソウルの深化。

 暗帝は永遠にも等しい、余りにも長くて暗い魂の歴史がソウルに圧し掛かる。

 頭から生やした角には瞳が生まれ、闇の中でも燈る赤目を開眼。自身の両目も血のような色に染まり、暗帝自身の視界も赤黒く淀んでいく。なのに生命(ソウル)はより鮮明に映し出し、時間軸を無視して全てが見通せる万能感で脳が悦びで震え上がる。

 オン―――と、刀身から深淵が滴れた。泥が空気に溶け、黒霧が空に浮かんだ。

 それより闇の玉が雨となって降り落ちる。先程の飛沫による散弾射出とは違う魔術。攻撃範囲がもはや爆撃であり、だが黒いオーブは生命に惹かれてネロとブーディカを狙って自動追尾する。

 

「―――ッチ!」

 

 ネロは回避しようとするも、何処までも命を追い続ける闇を―――見切れない。幾度か死ねば掠らずに避けられる様になるかもしれないが、今は駄目だと理解する。ならば、それはブーディカも同じだろう。更にこの魂を砕く重い闇は盾で防げるものではなく、当たれば最期、魂が肉体を生かそうとする活力を貪り尽くす。

 瞬間、右腕が解放された。皇帝特権(縮地:A)でネロはブーディカの眼前に立ち、再び反動の闇術を唱えた。

 ―――闇で以って闇を制する。深淵の雨が全て流し逸らされる。

 悪魔殺しが学習した灰の神秘によって二人の命は救われ、だがその闇の重さがネロの魂を狂おしい程に苦しめた。

 

“だがそれは余の女神がソウルの業を研究することで、より暗く作られた反動の闇術。貴様には過ぎた闇の重さよ、ネロ・クラウディウス。魔術そのものが重みのある神秘であれば、使ってしまった貴様の魂に罅が入るのは必然だ。

 あぁ、それにしても―――……温かい。

 誰かの魂とは、こんなにも人の心に安らぎを与えると言うのか”

 

 暗帝のソウルが温もりを覚えるのは、深淵の主と狼騎士。しかし、暗帝が古い人に渡された情報(ソウル)は、深淵歩きではなく、深淵のアルトリウス。不死の英雄、火継ぎの神殺しに殺された最期の頃の写し身であり、右腕で大剣を振るう闇に堕落した姿。逆に右腕を暗帝に斬り落とされた後、悪魔殺しから慈悲で右腕を移植され、故にまだ使い慣れた左腕で剣を存分に扱える様、皇帝特権で自分を調整したネロは狼騎士の如き左利きの大剣遣い。

 ソウルが知識を暗帝に啓蒙する。悪魔殺しの腕もまた、ネロにその事実を啓蒙した。知るべきことから目を逸らさず、知らなくとも良い事実も全て受け入れる。人間の魂とは、魂と言うだけでこの世の何物よりも業が深いのだろう。

 

“しかし、アルトリウス……騎士アルトリウス、か。

 皮肉なものよ。アーサー王伝説の元となったローマの英雄と、同じ名の神をローマ皇帝である余が貪るとはな”

 

 英霊召喚魔術は、そんなローマ人の人生さえも暗帝の贄とした。親和性は高い程、神話と暗帝をソウルに溶かし込む。そして物質化した魂である深淵は液状化したダークソウルであり、それが物理的に現実で存在するだけで魔力と言うエネルギー源を、この人理が在る魔術世界では作り出す法則が魔法使いによって根源から持ち込まれてしまった。

 深淵に目覚めた暗帝は、己が魂から魔力(エーテル)を作り出す外法を獲得し、もはや聖杯がなくとも独力で英霊召喚が可能な暗き魔術師と成り果てる。

 灰が啓蒙する世界の可能性。暗帝は、とても静かな心境で深海を夢見る。人食いとは肉体ごとソウルを食す行為であり、神喰らいとは人の世界から最初の火の残り火を己の中へ無くす所業。その悪夢は闇に沈んだ静寂な世であり、泥沼のように液状化したダークソウルである深淵が海水となって世界を沈没させ、何もかもを平等な命として扱い、人々は忌み人だろうと安らかに永遠を生きるのだろう。

 それが暗帝のソウルから染み出る様に漏れ続ける。

 止まらない。そして、止められない。その魂が砕かれない限り、暗帝は夢を見ることを諦めない。

 

「あぁ、止まれんよなぁ……」

 

 血反吐を吐き、膝が崩れ落ちるネロに暗帝は微笑んだ。そんな英霊に守られた復讐の女王は、殺意と憎悪をより煮え滾らせて暗帝を睨み付けた。

 素晴らしき哉、暗い魂。闇が蕩けた血の祝福よ。

 ネロを守るように突撃してきたブーディカの攻撃を騎士盾で柔らかく受け止め、次の斬撃も優しく弾き返す。攻撃を受ける度に巧みに相手の体幹を揺らし、ブーディカは攻撃を繰り返す程に体勢が崩されつつある。そしてブーディカは自身が攻め続ける程、死が首元まで迫る悪寒を実感した。

 だから、攻撃の無意味さに僅かな迷いが生じるのも仕方がない。星見の忍びの如き精神性、修羅と慈悲を矛盾なく滅私出来る明鏡止水の境地がなくては、迷い無き人域の果てへと至れないのも事実だろう。

 ―――迷えば、敗れる。

 暗帝は身を守る盾の後ろで暗く笑い、ブーディカの精神を絡め取る。盾の裏から暗帝は、スパルタンの猛者を真似て身を隠しながら大剣を突く。凶悪な物理干渉力を有する片刃大剣は相手の体幹を容易く崩し、半端に防御をしようものなら致命的な隙を曝す。もはや大盾で敵の攻撃を弾き流し、体幹崩しを待つ必要もなかった。

 それでもブーディカも咄嗟に反応して丸盾で防ぐが、僅かに体勢の軸が外れた。その隙を見逃さず、暗帝は内臓ごと深淵の大剣で彼女の腹部を貫通させて―――

 

「ブーディカさんッッ―――!!」

 

 ―――遅過ぎた救援を、彼女は嘲笑った。

 苗床の神核(マシュ・クローン)のオリジナルであるカルデアのデミ・サーヴァントの悲鳴で、暗帝は暗い感情で以って心地良く自分の耳を癒した。

 次の瞬間、女王を串刺しにした儘、暗帝は大剣を肩に乗せて敵の方を向きつつ―――刀身を振り抜いた。そして、突き刺さっていたブーディカは素振りの勢いによって刃が腹から抜け、臓物を撒き散らすそのままに投げ捨てられる姿で吹き飛んだ。

 狙いは無論、星見の盾騎士(マシュ・キリエライト)。半ば屍となったブーディカを見捨てられず、そもそもネロとブーディカを助ける為に来た故に、彼女は避けると言う選択肢はない。そして凄まじい速度で振り投げられた彼女を助ける為、大盾を持った儘で片手で止めれば勢いの威力を殺しせず、切れ掛って内臓が飛び出る胴体が真っ二つに千切れる可能性がある。

 自分の体全体をクッションにして彼女を受け止め―――その眼前、暗帝が既に居た。

 深淵を皇帝特権(魔力放出:A+)で噴射することで、氷上を滑るような瞬間的踏み込みの勢い殺さず、そのまま暗帝は大剣の刺突による突撃を行っていた。

 同時、カルデアの月明かり―――ゲッコウ(魔力斬撃)が、マシュの義手より放たれる。

 

「―――ッ!?」

 

 暗帝の剣(原初の火)の刺突が、マシュの義手刀(ムーンライト)によってパリィ(受け流)され―――だが余りの重さに、カルデアの超兵器が押し負けた。

 マシュは刺突軌道を完全に逸らせず、頭部を僅かに刃が通った。だが暗帝の斬撃は人間が掠りでもすれば、肉が血煙となって粉砕される膂力と重さを持つ。皮膚を掠る程度で骨ごと肉を抉り取るのが道理であり、しかし魔力防御によってマシュは何とか頭蓋骨が爆散する未来は防いだ。とは言え、脳震盪まで防ぎ切る事は不可能であり、視界が揺れ動き、脳味噌がプリンのように震え、吐気と眩暈で平衡感覚が麻痺して体幹が崩れ落ちる。

 

「―――――――」

 

 その死の間際、震える意識でマシュは走馬灯を垣間見た。体感時間が停止し、体が動かない中、迫り来る脅威を前にマシュは何も出来ない。そしてカルデアでの生活と、先輩であるマスターとの短い数ヶ月間を思い起こし、今度こそ頭蓋骨を割ろうと暗帝が剣を振り下ろすのゆったりと見続けるしか術はない。

 臨死の時―――最速の匣(ランサー)である故、その危機に間に合ったのも必然だった。

 藤丸が簡易召喚したクー・フーリンのシャドウは藤丸の呼び声に応え、朱槍の一突きが暗帝の兜割りを刺し逸らす。そのまま狙いがずれた重い深淵の剣が地面に叩き付けられ、土煙が撒き上がった。

 

「……ッ―――」

 

 藤丸に魔力の心配はない。カルデアの炉心からサーヴァントの召還と運用に必要なエネルギーはライン越しに補給される。しかし、そのエンジンを走らせるには彼の魔術回路が必須であり、体の内側から発火する熱量に血肉が蕩ける苦痛に襲われる。

 獣の苗床が混沌より湧かしたデーモンとの戦いは、苗床がアルテラの宝具に敗れたことで、生まれたばかりのデーモンが肉体を混沌に還して死んだことで終わった。だが即座に次のこの戦いに挑む事になり、藤丸は回路が焼き付く寸前―――否、焦げ焼きながらもサーヴァントを使役する。所長が施した術式により、常識では有り得ないが、あろうことか霊体の神経とも言える魔術回路を回復させながら……つまるところ、内臓を沸騰されながらも戦える状態と化している。

 ならば、カルデアのマスターに問題は全く無し。苦痛に心が折れない限り、彼は常にカルデアのサーヴァントと共に在るのだから。

 そして、深淵はサーヴァントを容易く飲干した。刀身から飛び散った液体が僅かにランサーに付着し、そこから闇が侵食し、霊体が蕩けてしまい、形を維持することが一瞬で出来なくなった。無論、それはマシュとブーディカにも融け込んでしまったが、復讐に酔うブーディカは暗帝と魂で繋がることで既に深淵と親和性があり、マシュもまた“人間”である為に霊体のサーヴァントよりも耐性は高く、その身に宿す聖騎士(サーヴァント)の守りもあって自我を保つ。

 あるいは、もはや騎士の加護も関係ないのかもしれない。マシュの意志が、その騎士の遺志を継いだとなれば、それが彼女の血となって魂の一部となる。既に彼女の中に騎士はなく、霊基と共に遺志だけを残して去ったとなれば、その強さの源のなるのは一つだけとなり、きっと――

 

「……!!」

 

 ――運命が、彼女に追い付いた。

 脳震盪から即座に回復したマシュは義手でブーディカを抱え、魔術によって手元に十字盾を浮遊させて吸い寄せる。その行為をしながら機関銃を仕掛け機構で盾から展開しつつ、素早いバックステップで大きく距離を取り、マスターの近くまで移動。そして死ぬ寸前のブーディカを藤丸に渡し、マシュは暗帝との最前線に飛び出した。

 引き金(トリガー)を引くことに躊躇いは消えている。数多の冒涜的な地獄が連続する特異点での旅路が、彼女をカルデアの騎士として鍛え上げた。

 的へ目掛け、連続発砲。シールドマシンガンと化した十字盾が火を噴き、蜂の巣よりも酷く人を飛び散らす暴力が暗帝を襲う。魔力で強化されたマシュの銃弾は、戦艦の重機関砲にも匹敵し、空を飛ぶ戦闘機さえ撃ち落とすことだろう。

 

「無駄な事を……」

 

 そんな死と恐怖の嵐の中、暗帝は盾一つで全てを弾く。反動の闇術が宿った大盾は魔力によってその神秘を現し、如何なる物理干渉も概念干渉も深淵の闇が拒む。攻撃は勿論の事、衝撃さえも暗帝には一切伝わらず、弾道が暗い波動によって優しく逸らされた。

 そして、弾幕に構わず暗帝は盾を前に突進。皇帝特権(魔力放出(深淵):A)によって人間性の泥を噴射し、敵陣をマスターごと粉砕する装甲戦車となってマシュたちに大盾が迫った。

 ――ガゴォン、とまるで交通事故のような轟音となった。

 聖騎士の十字盾と狼騎士の結界盾が衝突し―――足と腕が折れる、鈍い音をマシュは自分の体の中から聞こえた。背骨に罅が入り、筋肉が断絶する。だがそれ以上に、己が魂が軋みを上げて砕けるような、霊基を口から吐瀉したくなる魂魄への衝撃で霊体が壊れそうで。

 なのに――

 

「はぁぁああッッーー!!」

 

 ――マシュは、躯体を万全に運用する。

 星見の狩人が伝えた教え。つまりはヤーナムで彼女が喰らった遺志の心得が、マシュを守りの意志として折れぬ心を得る精神を啓蒙している。

 骨が折れたのなら、魔力防御をギプス代わりにして肉体を補強すれば良い。

 筋肉が千切れてしまったら、魔力で無理矢理にでも肉体を操作すれば良い。

 壊れた体であろうとも、目の前を殺して生き延びる為の手段が一瞬で湧く。

 だがマシュが幾ら力を込めても、暗帝は微動だにしなかった。折れた骨が皮膚を突き破り、そこから更に血を流して力んでいると言うのに、眼前の絶望は一切動かない。退かない。下がらない。

 しかし、それが必然でもあった。暗帝はもはや深淵の写し身。余りにも、その魂が重過ぎた。その血はローマで死んだ人々のソウルも融け込み、重い暗帝を神秘の概念で押し返すには帝国を退ける魂の意志がなくてはならないだろう。

 

「んー……やはり、人間は素晴らしい。

 狩りの聖盾、貴様は余のローマに相応しい美しいさよ……欲しい。貪りたい。その魂を、ローマの血に蕩かそう」

 

「戯言ですか!?」

 

「本心だとも。無論、貴様のマスターも闇へ堕ちるのだ。

 そこで永劫の日常を不死として、人理を超越した余の帝国で生きようではないか?」

 

 此処は地獄。死ねば特異点から解放される道理はない。肉体から離れた魂は吸収され、深淵が溶ける暗帝の血中に堕ちる奈落の失楽園。

 ならば、欲する魂は殺して奪え。命は安らぎ、魂に眠りなし。

 暗帝の瞳は朱く輝ける星となってマシュのソウルを愛で、その欲得で膂力が増し、更なる重さで星見の盾を押し潰す。

 

「素晴らしい……ッ―――そうだ、抗え。

 最期まで諦めぬ意志こそ、我らの人間性に他ならぬ!」

 

 沼となる地面。まるで泥濘。暗帝から垂れ流れる深淵がマシュまで広がり、足首まで闇へと沈む。その暗く、重く、静かで温かい思いがマシュの精神に入り込み、容易く騎士の守りを突き破った。その闇は這い上がり、彼女を優しく包み込む慈愛の化身となって微笑んでいる。

 体内へ闇が這入る違和感。

 怖気の余り――魂消(たまげ)死ぬ。

 血液に温かい呪いと暗い祈りが蕩け逝く。

 誰かの為に死ぬ願い。死んでも良いから、苦しくても良いから、その人の為の未来が欲しかった不死たちが抱く使命の最期。

 あぁ、灰よ……貴女の血にも、この魂が溶けているのですか。

 マシュ・キリエライトに流れ込む破片(これ)は、きっと嘗ては善き誰か達だったであろう成れの果て。

 そんな感情で魂が震えて、悲しくて、辛くて重い未練に血の涙が流れ出る。その所為で体から血液の赤さが抜け、青ざめた死人の血となって絶望が瞳から流れ落ちる。

 魂は闇の中で温かいのに―――青褪めた血が、止まらない。

 冷たくて堪らない。血が寒い。体が凍える程、闇が溶けた温かい涙を失い続ける。

 

「―――マシュ!!」

 

 そんな彼女を後ろから誰かが支えていた。その触れた皮膚から魔力が直接流れ込み、生きようと足掻く活力が一気に湧き上がった。

 

「生きて、帰るんだ―――ッ……カルデアに!」

 

「はい、マスター!」

 

 直後、暗帝の頭上よりブーディカは急降下突撃を行った。意識を取り戻した直後、即座に体を蘇生しながらも跳び上がり、躊躇わずマシュを助ける為の脳天を狙った落下致命攻撃を実行していた。

 カキン、と言う攻撃が防がれた金属音。頭部への直撃は成功した筈。

 あろうことか暗帝は、ブーディカの斬撃を頭皮を破って生えた角で受け止め―――だが、それによって生まれた隙を狙い、マシュは暗帝を押し返した。そのまま盾を勢いに乗せ、鉄槌として流れる様に振るう。無論、着地したブーディカも剣を振るった。形としては挟み撃ち。

 その同時二撃、暗帝は盾と剣で防ぎ、受け流す。だがそのまま反撃をする暇はない。

 何せ、対処するには時間がない―――ネロが、直ぐ隣まで攻め行っていた。手に持つ大剣を振り上げ、悪魔殺しの腕がソウルより神秘を強引に引き上げる。

 

「―――黄の死(クロケア・モース)!」

 

 初撃必中。即座に切り返し、また返し切り、連続斬撃が繰り返される。幸運が許す限り、相手が肉片以下になっても必中の斬撃が続いていく。

 ネロが振るうは悪魔殺しの腕によってローマを継ぐことで得た皇帝の宝具。

 だが、その幸運はネロ本人のもの。更に悪魔によってソウルを得たネロの運命力は幸運の女神に愛された星の開拓者に並び、必中の刃嵐が暗帝を襲い続けた。

 尤も―――深淵の大盾が、その全てを受け逸らす。

 当たりはするも、肉体に届く前に刃は容易く滑り落ちる。

 運命力さえも押し潰す重い闇を前に、果たして神に愛される程度の幸運で如何なるものか。神を超えた人域の極致と言える幸運がなくては暗帝には届かない。

 

「それは、余のローマだッ!」

 

 悪魔殺しの腕が掠め取るソウルの残滓を取り戻すべく、暗帝はネロから魂を簒奪しなくてはならない。斬撃が通じないからと悪魔の右腕で殴ってきたネロの拳を敢えて受け流さず、そのまま暗帝は大盾で受けて衝撃の勢いに任せて後ろへと吹き飛んだ。

 追撃に迫るマシュたち三人を前に、暗帝は深淵の剣を地面に突き刺す。

 既にローマの地は血に濡れ、深淵が沁み込み、人間性の闇が奈落の底より溢れ返った。

 

「おぉぉおおおおおおおおーーッ!!」

 

 角を生やした暗帝の獣の如き咆哮。死体になったローマ市民から暗い影が溢れ、その闇に堕ちた魂から人の形をした深淵湧きの靄が具現する。そして、暗帝の周囲から闇色の炎柱が嵐となって吹き上がり、更に闇の炎が渦巻き上がる。

 深淵の魔術が、ソウルを得た暗帝の皇帝特権(ソウルの業)によって現れた。

 一瞬で身を焼きながら吹き飛ばされた三人と、下がっていた藤丸は、空より振り落ちる人間性の追う者たちを見上げていた。

 

「皆さん、早く下がってください!!

 ―――疑似展開(ロード)/()人理の礎(カルデアス)ッッ……!!」

 

 上空より堕ちる追う者たちとなったローマ市民の重い暗闇。マシュが上面へ展開した巨大結界と衝突し、エクスカリバーの極光斬撃も受け止めた大盾の守りが軋み、重く重く圧し掛かり、その深淵が爆散した。

 その度に、結界越しにマシュは魂が苦悶を上げる。だが暗帝は既に魔術を発動した後の、自由な身。追う者たちから身を守る為に動けない敵を斬るのに、暗帝が躊躇する必要は全くない。

 

「まだまだ……まだ、余は止まらん!!」

 

 迫り来る暗帝と、動けないマシュ。ネロとブーディカは立ち塞がり、もう死んでいる肉体を意志だけで動かし、魔力さえ生命の活力にして駆動させなければならない。

 

「暗帝……!」

 

「止まれ、ネロ・クラウディウス!」

 

 その突撃を何とか止め、だが完全に止め切れず。暗帝と対峙した二人は骨がマシュと同様に砕け、筋肉が避け、避けた皮膚から血が流れる。深淵を前に、魂さえも潰れて消え掛る。

 そして―――

 











 読んで頂き、ありがとうございました。
 ローマ特異点も最後まで辿り着けそうです。出来ましたら、エルデンリングが発売された後もこの小説にお付き合いして頂けたら幸いです。

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