血液由来の所長   作:サイトー

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 簡単に言いますと、灰が居ないカルデアの場合の話となります。


啓蒙74:ソウルレスコープス<③>

 全てに蹴りを付け、名を棄てた女らしき人間。

 持つのは識別としての記号――キリエライト(Kyrielight)

 主の光。何を以ってその意味を与えられたのか、考えたくもないが意味は理解出来てしまう。魔術王を召喚した魔術師が、敢えてその意を冠する人造人間を作ったのか、今までの所業から分かってしまう。彼女は結局、オルガマリー・アニムスフィアを殺し、アッシュ・ワンを殺し、だが完全に死なせる事は出来ずに独善の結果、世界を剪定事象から救えなかった者。あるいは剪定事象を確定させて世界を滅ぼした悪性腫瘍。

 ――意味は無かった。

 ――価値は無かった。

 苦しみの中で足掻き、誰も救えず、自分すら救え無かった。

 皆が殺された元凶を殺す事が、自分の平行世界を剪定事象へ進ませる分岐点を生む事を理解しながら、それを為した時点で彼女に終わりがなくなることを意味していた。

 

「これなら、所長が世界を存続させた方が……まだ良かったかもしれませんね、先輩」

 

 滅びを前にする人々の絶望もなく、人理によって安楽死される可能性の一欠片。しかし、あのオルガマリーを放置する選択肢を彼女は持たなかった。

 最終的に、地球の外側へ追放したのが精々の結末。

 しかし、未来へ進める可能性を世界は失ってしまった。

 月の狩人に対する啓蒙的狂信により、人理修復後に訪れるのはアニムスフィアが全てを支配する人類社会であったが、それを否定し、その為に壊されたカルデアを再建して所長となった。彼女はアニムスフィア財閥と旧カルデアから作り変えられたアスピナ機関を滅亡させ、この可能性は袋小路となって未来は消失した。

 ビースト危機後の人理世界において、既に既存機構社会システムの儘では剪定事象となっていた世界を救うには新たなる闘争の可能性が要る。つまりAC兵器による軍事企業主体の戦争経済社会に移行する必要があり、カルデアの技術力は確かに世界を切り拓く可能性だった。同時にコジマ粒子(エーテル)が蔓延する新世界の人理を存続可能なのは、オルガマリー唯一人と言う事実を見抜けず、キリエライトが世界を滅ぼしたのだった。

 ―――何の為、生き延びたのか?

 彼女は絶望と言う疑念だけが裡に残り、復讐も終わり、世界を戻すことで今より良い未来を取り戻す為の、人類悪として終焉に辿り着いてしまっていた。

 

「お前も不憫だな。虚数空間での死闘から戻れば、既に元の世界は剪定事象によって消滅しているとはね」

 

「褪せ人さん……何ですか?

 まだ、この何も無い世界に残っていたのですか?」

 

「共に戦った仲間じゃあないか。アタシだって気にはするさ?」

 

「そうですか……」

 

「だが、良いではないか。剪定事象で滅んだとは言え、異聞特異点化した完全なる異界はまだ別世界に存在している。

 オルガマリーを狂わせた元凶の狩人が住むこの世界のヤーナムは剪定事象で滅んでおらず、灰色の簒奪者がやって来た故郷の絵画世界も消えていない。

 マシュ・キリエライトよ……―――殺せ。全て、滅ぼしてしまえ。

 お前の友であるオルガマリーは人理無き遥かなる我らの外宇宙へ追放されたとは言え、この平行世界をこうした大元の人間は永遠をまだ生きている運命にある」

 

「しかし、私が選択を間違えなければ……オルガマリー所長とカルデアの皆さんと、この人理を続ける未来もあったかもしれません。先輩だって、死ななくて良かったかもです」

 

「だが、そうはならなかった。人理焼却で変わる筈の運命は変化せず、アニムスフィアの企みもオルガマリーの願いの中へ消えた。オルガマリーは自身の狂気に身を委ねた。

 あの女が耐え切れば……あるいはあの灰が人間性を与え、獣の資格を得ていれば、耐えられていたかもしれないがね」

 

「しかし、もしもの……イフの物語でしょう」

 

「あぁ、そうさね。だから、アタシはもう行くよ。絵画世界もヤーナムも、全ての平行世界と合わさる交差点故、そこからなら違う平行世界へと渡るのは此処よりも酷く容易い神秘になる。そこを次元間通路として利用し、お前が違う運命を選んだ平行世界のカルデアにね。

 お前はどうするのかな、盾騎士のキリエライト?

 あの星見女(ホシミメ)と同じく人理に支配されたこの地球の太陽系圏を見捨てるのも良いし、絵画世界や悪夢に赴いて生活するのも良いし、其処から更にアタシに付いて来て違う平行世界に渡るのも良い。勿論、何も無い此処で永遠にただ存在し続けるだけの人生でも良いかもしれんさ」

 

「ボーダーを、まず直したいです」

 

「ならば、カルデアの技術が必須となるね」

 

「いえ。それは大丈夫です。オルガマリー所長に、何もかもを伝授されました。カルデアはもう私と言う脳が見る夢に等しく、そもそも私はあの星見の弟子でもあります」

 

「そうかい。いや、じゃあ良いのさ。となれば、設備が整えられる程度の文明が進んだ世界が良いんだろうね」

 

「はい。ですので、私のことは気にしないで下さい。

 あらゆる全ての星見を啓蒙されています。レイシフトも限定的になら出来ますので、もう何処へ行くのも自由な身となりました」

 

「あぁ、それは良かった。アタシの導き、お前はもう要らないんだな」

 

「―――はい。要りません。私の瞳に星の導きはもう二度と不必要です。カルデアに輝ける星なんて、最初から無ければ良かった。

 だから旅路の先、これからは自分の意思で決まると……そう、私の中に融けた先輩の遺志に誓いましたから」

 

「お前の誓い、永遠に貫ける事を願っている。どうか絶望に沈み、己が魂を見失い、亡者になる事のない永遠であることを祈っているよ」

 

「ありがとうございます。御達者で、狂い火の星」

 

「あぁ、さらばだ。盾の狩人よ」

 

 直後―――星は消えた。一瞬で高次元領域に自身を移動させ、肉体が魂へと帰還し、物理法則から完全脱却した。

 褪せ人は頭部を邪悪な黄色の恒星に変え、重力から解放されていた。当初の目的通り、啓蒙と言う脳干渉を感じる異界化したヤーナムへと狂気の流星となって侵入し、まずは上位者が支配する悪夢の夜空へと強引に旅立った。そこの地獄を味わった後、次は灰を生み出した絵画世界にも旅立つと盾騎士には告げており、実際にそうなることだろうと彼女は未来を今この瞬間、啓蒙された。

 

「ヤーナム……ヤーナム……食べた所長の脳に詰まっていた過去の記憶。汚物の古都。

 私も知らなければいけません。ここが剪定されてしまった本当の元凶……人間性を狂わせた悪夢の始まりを……知らないと、何に復讐すれば良いのかも、永遠に分からない儘になってしまいます」

 

 独り言をブツブツと呟き、思考回路で神秘を巡らせる。褪せ人の存在は知覚出来るので、ヤーナムの存在する時空間へはボーダーの虚数潜航でも旅行可能であり、単独の空間転移で渡ることも可能。また灰の故郷である絵画世界も同様だった。

 その為の動力源(リソース)は腐る程、既に貯蔵済み。

 盾騎士は装甲車(ボーダー)に乗り込み、席に座った。

 人類をカルデアが演じる闘争の歴史から守るため、世界を滅ぼした女。一人のために、全てを台無しにした人理の盾。結局はオルガマリーとアッシュが正しく、殺戮と戦争こそ正義だった人理を守ることなど彼女には不可能であった。

 

「―――この盾で、狩らないと。全てを狩り尽くさないと。

 だからどうかギャラハッドさん、見ていて下さい。見たくなくとも、貴方は見届けて下さい。貴方が私に託した遺志と盾、その先に至る永遠の意味を」

 

 まだ戦わなければならない。決着を付けなければならない。この世界は終わりを迎えたのならば、生き延びてしまった彼女だけでも、犠牲者を無意味にしない為に未来へ進まなければ価値が消失するだろう。

 ―――呪いだった。

 星見の忌み子となった盾騎士は、カルデアで在り続ける必要がある。

 皆の明日であり、希望であり、矜持であった者として、彼女は英雄のように誇りある意志で戦い続けなければならない。戦いが嫌いな何でも無い少女には戻れず、変わってしまったカタチは元の形を失ってしまった。

 

「だからどうかギャラハッドさん、あぁギャラハッドさん……貴方の固き魂の人間性、私に継がせて下さい。先輩を守れなかった私に、貴方の貴い理想で溺死する優しい夢を見させて下さい」

 

 上位者が見る悪夢―――医療の古都、ヤーナム。あるいは、赤子の揺り籠なる夢都。

 ボーダーを操って乗り込んだ異界にて盾騎士は血によって人を知った。輸血液が血管から全身の体内を回り、人類種から違う人類種に変異する自分自身を実感して意識を融かし、数多の狩人らと同様に夢へ堕ちた。しかし、死ぬには程遠く、夢の中の現実を宛ても無く彷徨い歩くことになってしまっていた。

 それでも良かった。古都の営みに拒否感はない。

 獣狩りの夜が繰り返される輪廻。獣狩りの夜から明ける夢の螺旋。

 それが全く同一の夢として融け合わさり、隣合わせの昼夜の世が同時に進む。

 脳の中に地獄はある。夢見る脳に、瞳は芽生える。だからか、盾騎士は引き籠った。上位者の意志で時空間さえ支配され、彼らの気紛れで太陽と月が動く悪夢にまともな道理はない。宙の下の空に赤い月が浮かび、赤子の泣き声が脳内から聞こえ、彼女は神秘を啓蒙され続けた。獣性に血が蠢き続けた。

 ―――キリエライト。造物者の光。

 きっとその名を持つ者はヤーナムにとって、名前通りの光だったのだ。

 夢見る者こそ、幼年期を経た狩人。次世代の新人類単独種。世界に一人だけの単独知性体だが、瞳持つ彼らは平行世界を観測し、観測された世界の数だけ単独進化した上位者の狩人は、世界を超えた無意識上の悪夢で繋がる種族でもあった。

 人間は自分唯一人だけの、自分だけの夢。そんな世界。夢見る上位者の狩人であれば、当然の異界常識。そんな夢の都に自分以外の人間が来訪したとなれば、自分を狩人にした上位者(青ざめた血)のように、その狩人は盾騎士と血で繋がり合いたくなるのは必然だった。

 

「珍しい。まさか、異界からの狩人が異邦者とは。だが何はともあれ、君はもうヤーナムの住人だ。幼年期を過ぎた私が夢見る私だけの古都への、大事で素敵な稀人だ。ならば先達なる狩人して歓迎しよう、盛大にね。

 では徹頭徹尾―――死に給え。

 気楽に夢へ堕ちるのが、我らの悪夢狩りに慣れる秘訣だよ」

 

 両手両足を鞭のように撓る杖で斬り落とされる。腹から壁に杖で磔にされる。そして首を絞められて、身動きを封じられた。盾騎士は絶体絶命を超え、もう死ぬしかない状態にされ、その犯行をした女狩人に耳元でそんな台詞を甘い吐息と共に言われた。彼女は失血から来る寒気と眠気に抗う気力を失いつつあった。だが尚も盾騎士は死ねず、側頭部に突き付けられた銃口から発射された水銀弾により、脳細胞を焼きばら撒かれて漸く死ねた。

 直後、死んでいた盾騎士は即座に目を覚ます。

 柱のような、塔のような、細長い場所の頂上。

 家と墓。花の香り。月が浮かび、周囲は宙まで伸びた柱の群れ。

 地面に倒れ込み、瞼を開けた彼女は眼前の人間を視界に入れつつも、異界と化したこの空間を把握していた。

 

「やぁ、君。先程、頭蓋を吹き飛ばして殺した以来だね。彼是、三十七秒ぶりの再会だ」

 

 立ち上がった盾騎士の前にいる女。仕込み杖を右手に持ち、尖端を地面に当てて紳士然と立つヤーナムの狩り装束姿。

 ガンホルダーに入れた腰の教会の装連銃(リピーティング・ピストル)血族の短銃(エヴェリン)はアクセサリー代わりとなり、スローイングナイフと毒メスと慈悲の刃を隠し持ち、鞘に入れた千景も腰から下げている。そして背中には何故か爆発金槌を背負い、見るからにして殺意を剥き出しにした完全武装狩人であった。

 

「……此処は、何処ですか?」

 

「私の脳の中だ。今は私が運営しているヤーナムの狩人からは通称、狩人の夢と呼ばれているよ。

 尤も我らの瞳が観測した世界の数だけ夢は立証される。狩人の数だけ、狩人の夢も存在する。その夢同士、交流もされている。同じ夢見る狩人共からすれば、共有し合うヤーナムの集合無意識と化した夢とは違い、此処は青ざめた血から遺志を継いだ己だけの心象風景だろう」

 

「意味が分かりません、が……?」

 

「おぉ、すまぬ。君の頭が特別に良いからと、情報を詰め込み過ぎるのは良くないな。うん、良くない判断だった。瞳もない脳では見ただけで全てを啓蒙されず、瞳が無い故に瞳が啓蒙する訳もない。

 しかし、カルデア……あぁ、星見の企み。我ら夢見る狩人による人理への思索。確かそれは、幾名かの月の狩人が行っている思索である。

 無論、私も月の狩人ではあるのだがね?

 興味はなかったが……しかして、関係無い筈の君が、関係無い私の夢に訪れた。

 ヤーナムは混線している故、君のオルガマリーを狂わせた狩人ではないないのだが、しかし私は同じ狩人でもある。魂と宇宙が生まれた場所、根源還りを渇望する憐れで尊い君ら魔術師らしく言えば、次世代の単独人類種と言えようか」

 

「……では、貴女は元凶ではない―――?」

 

「うむ。君のオルガマリーを狂わした狩人君、そもそも男だったと思うが?

 残念だと思うよ、マシュ君。とても残念な知らせとなるが、君を悪用する私からの報酬として、最初に大事な真実を伝えたい。勿体ぶるのは好みではない。在りもしない幻像を追い求め、虚数の宙から来訪した美しき星見の遺子である君にね。

 ―――夢だよ。

 悪い夢だったんだ。

 君のカルデアにおける並列世界のヤーナムに、月の狩人は存在しない。私らの、私たちが繋がり作る蒼褪めた阿頼耶識に、君の世のヤーナムから月は浮かんでいない」

 

「………………」

 

「君には分からないだろうが、だが良い事ではある。無事に、あるいは啓蒙されず、夜明けを迎えた狩人君だったんだろう。三本目の三本目が見出されなかったのだろう。そんな月の観測者たる狩人がいないヤーナムを、愚かで愉しい好奇心から思索実験に使う月の狩人が中にはいる。

 君が狩るべき狩人は、その者だろうね。

 自分の世界でやる前、脳を愉しませる予備実験を試しただけだよ」

 

「……まさか、ただの上位者の思索。いえ、そんな計画的な話じゃありません。

 貴女の言葉が真実だったら、こんなのだったら、ただの思い付きを私の世界と関係無い狩人が、ただ娯楽の為に試してみただけだったと?」

 

「正に―――真理。残念と言った理由を、頭の良い君が悟れて良かった。

 しかし、我ら狩人が持つ運命、君らの防衛意識たる抑止力の干渉がない故、こう言う事態を違う人理の他世界にまで波及させることもある。

 とは言え、阿頼耶識に居場所のない夢見る我らだ。

 束縛が無い故に祝福もない。全体に還り得ない狩人は、世界に一人だからこそ全ての瞳が瞳を観測し、全体なる思考の宇宙を生み上げる」

 

 ある意味、この狩人は優しい遺志の持ち主だった。人殺しや人体解剖を愉しむ血の狩人ではあるが、それはそれとして優しくすると言う行為を好む矛盾した嗜好を持つ怪人だった。

 悪徳と道徳を等価に喜ぶ精神的化け物。

 効率を喜ぶ癖、暇潰しになる非効率な面倒事を愛する異常者。

 何となく狩人の在り方を察した盾騎士は、それ故に嘘がない事も気が付いた。何故なら、真実の方が相手の意志に強い波紋を立てる激毒となるのだから。

 

「偶然、月のない世界はどうなのだろうかと興味本位で覗いていた。

 必然、あの月の狩人は君のオルガマリーの呼び声を聞く事になる。

 月の狩人無き古都はカルデアに干渉する未来などないと言うのに、君のオルガマリーは狩人を失った青ざめた月ではなく、別月に繋がってしまった。

 恐らくは―――遺志だったのだろう。

 それだけが思考の瞳へ流れ込み、君のオルガマリーはアニムスフィアの人理ではなく、オルガマリーが夢見る人理を啓蒙されてしまった」

 

「―――……そうですか。ありがとうございます」

 

 盾騎士の言葉を聞き、狩人は瞳を剥いて驚き、直ぐに納得して瞼を閉じる。笑みを浮かべながら頷き、笑顔を更に深め、慈愛の心を超えた神の如き上位者の貌となる。

 

「おぉ感謝の言葉か……成る程、成る程。

 君、どうだろうか……望むのであれば、私が修めた学術の業を学ばないかい?」

 

「はい」

 

「宜しい。即断即決、素晴らしい。やはり、頭が良い。実に良い。可愛(かしこ)い脳を持っているよ」

 

 研究室を兼ねた月の狩人の家。研究資料が多くあり、実験道具も溢れている。そして時空間が歪んだ書棚なのか、ヤーナムに存在する全ての聖歌隊、メンシス学派、ビルゲンワースの資料本を念じただけで手に取れた。それだけでなく、古都外の神秘も蒐集されており、魔術基盤と魔術理論は勿論、狩人が瞳の未来視と過去視で観測した根源の渦と、その根源の渦の発生方法や、魔術師が編み出した根源到達方法が収められている。

 だが此処は、仕掛け武器や獣狩りの銃器を整備する為の月が夢見る狩り工房。完成され尽くされた仕掛け武器は、既に血の歴史で磨き上げられた狩猟技術と共に完成されているので創造は難しいが、均一に使用可能な銃火器類は思う儘に開発している様子。侵略兵の人間が戦場と言う自前の狩猟場で行う人間狩りも見ていたので、その悪意ある銃器の進化を夢の中で啓蒙され続けていたんだろう。

 

「人形さん。人形さん。どうか、お願い致します」

 

「狩人様の御弟子、キリエライト様。手を、私へ」

 

 数少ない話相手である人形の前に盾騎士は跪く。血の遺志が使われることで能力が改竄され、盾騎士は能力が上がるのを実感する。集めに集めた膨大な遺志が一瞬で消え、体中に張り巡る運動神経と反射神経と、脳が戦闘時に使う神経回路が更なる進化を遂げたことで身体的技量能力が上がる。見たままの重量武器である銃字盾を考えれば筋力の方が良いかもしれないが、複雑な機構も持つ盾は技量も重要になり、筋肉を進化させるのは次回とした。

 また盾騎士の感覚的に能力が上がるのは、筋力は筋肉の質、技量は神経の質。特にこの二つが盾遣いとして重要だと思い、好んで上げていた。その為と聖杯ダンジョン潜りの地底生活を体感的に数十年、あるいは数百年と続けているが、現実世界では夢から醒めるように一瞬の間の出来事なのだろう。

 そして、彼女はまた聖杯潜りの地底人生活を続けた。気分転換にヤーナムを彷徨うこともあるが、効率を求めるなら聖杯を彷徨う方が強くなるには手っ取り早い。血晶石も集まり易い。しかしその日、彼女の聖杯生活に差異が生じた。

 

「あっひゃっひゃっはっはっはっはっはっは―――!!

 まさかとは思うが貴公、密猟者だな。聖杯が夢見る遺跡に創った私の悪夢園に、どうやって意志を繋げて来たのかは知らんが、見知らぬ輩は狩り取らせて貰うぞ!!」

 

「いえ。狩人さん、貴方以外の月の狩人さんから紹介されました」

 

 それを聞き、地底で邂逅した狩人は分かり易い程、ションボリとした表情を浮かべる。

 

「ふむぅー……残念、言葉が通じる類の人類か。であれば、その紹介者と言うのは誰だね?」

 

「名前は知りませんが貴方には、確かそう……百回貴公を殺した奴と言えば良いと言ってました」

 

「ア"ァ"ー……あの糞女か。

 ならば貴公、奴の眷属か?

 幼年期を超えた新人類種たる上位者の狩人でなければ、我ら月の狩人が見る夢は見られない故、我ら以外ならば確かにその血に連なる狩人でなければならん」

 

「いえ。しかし、輸血はされました」

 

「ほう。輸血され、しかして眷属化の変態作用がないとなれば、夢見る狩人の素質がある。成る程、成る程……だが、遺志を継ぐ後継者と言う訳でもないらしい。

 ―――ム、興味深い。

 いやぁ逆だな。湧いた興味が、貴公を人として見てしまう。

 となれば目的は此処そのものとなるな。我が落とし仔らを狩らないと血に誓えば、好きに見て廻って良いぞ」

 

「ありがとうございます。その……あのですね……目玉とかは?」

 

「良いぞ、取っていけ。商売目的の悪夢間貿易の為と、同類たる月の狩人共との世間話な為、態々この聖杯ダンジョンを改造した訳だからな。飼育だけが目的ならば、繋がり合わない自前の夢の中か、自分だけのヤーナムを拡張して飼っているさ。

 近々に企み合う月の狩人のみでなく、あらゆる月の狩人が共有し合うヤーナムの方にも解き放つ予定だ」

 

「どうも、気を付けます。それと私は、キリエライトと言います」

 

「自己紹介とはな。見た目通り、律儀な女だ」

 

 狩人は無遠慮に、且つ盾騎士を舐め回す様、性的な意味も含めてじっくり全身を見詰めた。根が悪い意味でも変態だが、やはり狩人らしい意味でも変態だ。彼女が身に纏う浪漫武装にも魅了され、異性的にも狩人的にも一瞬で気に入ってしまったらしい。

 

「ならば、私も名乗っておこう。月の狩人、マトリックスだ。

 史学のビルゲンワースに原点回帰したのか、ヨーロッパの古典基礎たるラテン語から脳を意味するケレブルムと名乗る月の狩人が居てな……私もそいつから啓蒙され、新人類種同士に差異を生む為の名乗りを良しとした者となる」

 

「マトリックス、ですか……?

 子宮や母体と言う意味でありますが、その……貴方は男性ですよね?」

 

「うむ。とても残念だが私自体に出産臓器はなく、そして我が夢はそう機能しよう。男と言う生物は聖女に成れず、思索において女と比較すれば実に憐れな劣等人類とは言え、上位者が赤子を産む為に最も必要なものとなる。異種間進化に、我らの姿無きオドンは積極的な上位者であった。その為の聖女作りに教会は熱心であり、私もそれを作るのが趣味でなぁ……ふむ、喜ばしい!

 そうだ。貴公が今、そう察した通り、その成果が此処である。

 赤子は素晴しい生き物だ。それを育てるのも素晴しい善行だ。

 どうだろう、結婚しないかね。主観でしかないが、とても狩人と上位者が好みそうな貌と躰だ」

 

「拒否します。余りにも純粋な子作り目的の誘い、初対面で乗る訳がありません。性的目的がない繁殖目的の性欲とか、正直かなり気色悪い下心……これ、下心でさえありませんね」

 

「そうか。まぁそれはそれとして、あの糞女の弟子なら目玉は構わんよ」

 

「改めて、ありがとうございます。月の狩人、マトリックスさん」

 

「うむ。気を抜くと発狂死する故、注意し給えよ」

 

 部屋別に隔離された狂気。九肢が捥げて頭部と胴体だけになったアミグダラ。摘出された人の脳味噌で形作った粘土細工に服を着せた人形。地面に突き刺さった胴体部分のないフルアレセント・フラワー。首だけになって果実の柘榴のように見える星の娘。天井に胴体を縛られた巨大な頭部が逆さになった瞳の苗床。

 そして吊り下がった子宮脳が奇妙な赤子を出産し、夢の中で悪夢の落とし仔が生まれ続ける一室。盾騎士が目的とする場所であり、地面に転がって穴に溜まり続ける目玉だけの姿をした瞳姿の赤子を拾い、ヌチャリと言う気色悪い触感を手で味わいつつも銃字盾へ収納した。

 

「ではマトリックスさん、入場料金に追加する返礼の血の遺志(ブラッドエコー)ですが―――」

 

「―――要らぬよ。良き啓蒙を貴公の血が混ざる遺志から得られた。

 そうか、そうか……―――そうか。新しい世界を見れた。ヤーナムの外側にも面白き神秘が広がっているとは。そして、あらゆる悲劇の始まりたるソウルの業!

 加え、殺戮文明たる人理。火薬庫の思想は間違いではなかった。

 科学を神と崇める人間種、核弾頭を作り上げる程の派手な進化を遂げるとは!!

 何よりも、根源に近い星の裏側。幻想種なる生命系統樹が巣食う異界を、我が瞳は啓蒙された。愉しみだ、狩り場が増えるのは愉しくて堪らんぞ!!!」

 

「あ、はい」

 

「故、あの糞女―――いや、邪悪なる賢人は貴公を私へ遣わせたのだろう!

 何と言う愚かなる好奇だろうか。この様へ進化した私が、外側の新世界を知れば好奇的探求心が何処へ向かうかなど、分かり切っている。

 だからこそ、狂気を意味も無く拡げる為にそうしたのだろうて!!

 寄生虫の苗床たる目玉の赤ん坊は取り放題にしてやろう。報酬だ、報酬だ、いや私から貴公へ送る謝礼の命だ」

 

 狩人は両手をL字に広げ、冒涜的狂気心の儘に交信の仕草をした。同時に赤ん坊のような笑みを浮かべ、夜空の美しい星に似た瞳を輝かせた。

 その後も日々は螺旋のように続く。だが盾騎士は褪せ人にヤーナムで邂逅することはなかった。彼女主観の所感になるが恐らくヤーナムは幾層にも可能性が錯綜しており、月の悪夢の主となる狩人の数だけ古都の未来が枝分かれ、それぞれの悪夢によって隔たれている。集合無意識として共有し合う土台の古都ヤーナムを作ったらしいが、基本はそれぞれ個人の悪夢で活動し、そもそも盾騎士では理解し切れる悪夢の異界でもない。そんな何処かに褪せ人がいるとなると探し様もない。悪夢を夢見る月の狩人同士は並列世界越しに感知出来るのだろうが、異邦者が違う異邦者が夢の何処にいるのかなど分かる訳がない。

 繰り返す日々により盾騎士は強くなった。しかし、尚も月の狩人らは更に強い。

 誰にも勝てる道理がない。ただの狩人とは全てが次元違い。生物として進化した身体機能と脳機能、且つ異次元にしか見えない業の巧みさ。

 それを打ち倒せる力を彼女は欲した。足掻き続けた。狩人が血の遺志を溜め込む様、獣と眷属、住人やトゥメル人、狩人や上位者を殺し続ける内、盾騎士の義手は血肉染みる怨念の溜まり場となっていった。

 殉教者、ローゲリウス。何故か、左腕の義手に取り憑く遺志の力。

 彼の心臓を鉤爪化した義手で抜き取った時、冒涜された生命の怨嗟が坩堝となって現れ出した。生身の右手もいそのこと義手化しようかとも考えたが、銃字盾に改造されたとは言え円卓の十字盾。呪われた怨嗟の義手で使うには、心身全てを冒涜的に呪われた盾騎士からしても心苦しい想いがあった。何より生身の腕があった方が魔術などの神秘が扱い安く、カルデアで学んだ霊媒治療も無駄にはならない。

 

「殺しに殺し、良い狩人となったな。義手も目を覆いたくなる程、悪夢に相応しい死の冒頭になっている。狩りの成果だろう。

 となれば君、もう良いんじゃないか?

 悪魔殺しの悪魔や火の簒奪者などの存在が、我らの悪夢で確認はされたからな。ソウルの業が月の狩人ら全体に啓蒙され、神秘の流入現象が起きた」

 

「そうですか……」

 

「闇の世、灰が生まれし絵画世界は良い場所だった。実に啓蒙的だった」

 

「……行ったのですか」

 

「うむ。彷徨える啓蒙家、月の狩人ケレブルムを殺すと遺志より情報を得られたからな。尤も奴を一度でも狩り殺すまで、私は軽く百以上は返り討ちにされてしまった。そして、その遺志を得た私が他の月の狩人に狩り殺されると、まるで疫病が広がるように全体へ新たな神秘の概念が伝播する。

 今では有名になってしまった。ヤーナム外の魔術世界とその神秘もね。

 根源狂いな魔術師と異なり、狩り合いが好きな我ら狩人は神秘の独占が不可能となる。いやはや、全く以って面白い生態系に我らは深化したものだ」

 

「それ、灰たちも似たような事になってそうですね」

 

「成っていると思うな。火が簒奪された後の、ロンドールが唯一人国となる世にて、銃火器が使われていた世界もあった。

 とは言え、繋がり合えるのは我らが生み出た元凶となる灰の世のみ。

 絵画世界を作り、新たな人界を作った後、その絵画世界から抜け出た後の闇世である。

 それは簒奪者たる王が火継ぎの繰り返しより人の魂を救った後、残滓たる燃え滓も完全に消すべく王は王自身を世界から消し、神の業から解放された王無き人代。

 人が、超越的な一人の指導者の欺瞞から脱した不死の失楽園だった」

 

「あの灰が……そんなことを考える訳が、ない。

 自身が欺瞞を為す前に、あるいは太陽たる自分が利用される前、足掻き踠いて救った自分の世界から自分を潔く消し去るなんて」

 

「するさ。原罪の探求者の遺志を継ぐ故、差異を知ってしまった人間を救いたい灰だけが暗い人代を描き、その絵画世界に生み出せた。

 神による偽りの甘い命、甘い魂、甘い生。だが、その喜びを知る故に闇に生まれた事への苦しみも知る。

 もし今度、火の無い闇からまた最初の火が闇から灯り、静かな深海の闇で差異が生まれるのだとしても、せめて人は人自身の業より苦しむべきだと考えたのだろう。

 そこに、旧世代が集約した太陽と暗い孔は―――無用。

 君が恨む灰の正体がそれだ。神から与えられた偽りの甘い命を持っていた頃の、そんな想いを根底とした暗い呪われ人なのさ」

 

「では……だったら私は、此処から旅立たなければいけません。

 ならどうか、月の狩人さん。出来れば私に、貴女の名前を教えて下さいませんか?」

 

「名か。すまないね、忘れてしまったよ。それに要らない故、自分で自分に名付けていない。

 もし本当に知りたいと願うのであれば、君が私に啓蒙し給え。何であれ、それはきっと私に新しい私を教えてくれることだろう」

 

「ププラ……―――とは、どうですか?

 月の狩人、ププラ。貴女に似合う可愛らしい響きだと思います」

 

「ラテン語の名か。君、学舎の史学に大分毒されたようだね。

 そして、言葉の意味は瞳。良いんじゃないかな、別に。その名で生きれば、やがて愛着が湧き、名乗る度に君の事を思い出し、未来にて必ず気に入ることだ」

 

「ありがとうございます、ププラさん」

 

「そうかね。ではまたの願おう。君の脳は、私に名を与えたのだ。

 あぁ早速凄いな、これは。星が頭蓋骨の内にあるのが分かる。素晴しい新たな探求心が湧いて来る気分だ」

 

「余り、人様へ迷惑は掛けません様に。

 狩人様、狩人様と、貴女を愛し続けて幼年期から育てた人形さんにも悪いですからね」

 

「分かっているさ。人類種の人理は人間の集合無意識が見る星の夢だ。我ら悪夢の宇宙が寄生するべきではないだろう。

 心配は要らんよ、キリエライト。

 天台が星見る様、私も星の輝きを愉しむだけにする」

 

 月光に照らされる霊樹と、最初の狩人と狩人が殺し合った月下の花畑。そこを駐車場代わりに長い年月の間、停車して置いたボーダーに乗り、盾騎士は悪夢の異界から旅だった。

 最後に見たのは片手を振って別れの挨拶をする月の狩人と、深く御辞儀をして自分を見送る人形。そして両手を上げて万歳をする使者の幾名か。

 何処へ辿り着けるのか分からないが、自分の戦場から騎士は逃げられない。

 人理の礎、星見の騎士たるキリエライトは、自分自身の憎悪からも逃げることは許されなかった。

 

 

 

――――<★>――――

 

 

 

 何を守っていたのかと、盾騎士は余りの下らなさに人理を失望した。知識として歴史を知り、事実を正しく理解していたが、彼女は物語の言葉として理解していただけだった。

 汎人類史―――確かに、これ程の犠牲を必要とするなら、繁栄しなければ許されない。

 剪定事象によって屍の山を築き上げ、そこまでして築き上げる繁栄の歴史も人血に塗れ果てる。人間が人間を殺し、人類種同士で殺し合わねば人間は歴史に価値を宿得ない。

 何て、人間は罪深いのか。

 何で、人間は罪深いのか。

 疑念が疑問を生み、盾騎士は彷徨うことだけを許されていた。

 悪夢の中を歩き続けて、その夢から醒めたと言うのに、盾騎士は自分の世界のヤーナムには戻れなかった。あらゆる平行世界で繋がり合うヤーナムから抜け出た後、盾騎士は見知らぬ人理の世界に放り出され、既にもう百年が過ぎ去っていた。

 

「……芥さん、確かに人間嫌いがなりますよね」

 

 世界各国が殺し合う殺戮の時代。第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦も終わり、軍事競争が加速する冷戦も終わりを向けた。

 盾騎士にとって余りに長い百年だった。じっと我慢して引き籠っているべきだと理解していたのに、黙って時代が流れるのを見逃せなかった。

 ―――人が、人を殺す光景。何時まで経っても変わらない進化方法。

 これこそ未来へと至る人の輝ける星。人理運営にとって有益な人類種の殺戮劇場。

 盾騎士は、この営みが汎人類史だと肯定しないといけない。その死を受け入れなければならない。魔神王が否定したかった世界の仕組を、あの楽園に至る道を阻んだ者として、否定することだけは許されない。

 その場、その場で、人命を救うのは人間としての当然の権利だが、人間がこんな生き物であるからと、生きているのが気持ち悪いからと、その歴史を否定する権利だけ盾騎士は持ち得ない。

 

「…………」

 

 子供が、死ぬ。いや、子供が社会の為に消費されて死ぬ。大人も死に、男も死に、女も死に、老人も死ぬ。

 

「…………」

 

 抵抗が出来ないように縛られた後、身動きの出来ない男が後頭部から銃弾で撃たれて死ぬ。

 

「…………」

 

 無実の少女が公衆の面前で、宗教裁判による公開処刑を受けて死ぬ。

 

「…………」

 

 空爆によって目の前で自分の子供がバラバラに弾けたを見た後、全てに絶望した親が死ぬ。

 

「…………」

 

 侵略兵が市街に雪崩れ込み、路上で集団レイプされた後に女性が股間に入れられた銃身から銃弾が放たれ、それでも死に切れずに悶え苦しんで死ぬ。

 

「…………」

 

 生きたまま火を着けられて呼吸困難に陥って死ぬ。

 

「…………」

 

 串刺しにされて死に、皮膚を少しづつ削がれて死に、電気を流されて死ぬ。

 

「…………」

 

 特異点で見た死。異聞帯で見た死。汎人類史で見る死。

 

「…………」

 

 現代兵器で殺し合う戦場、あるいは独裁政権下の薄汚い軍人(ケモノ)による弾圧。撃たれて人が良く死ぬ。爆薬で良く弾けて死ぬ。

 

「……ッ―――」

 

 余りにも、憐れな死。憐憫を抱かずにはいられない死。人間が作り上げる地獄に救いはなく、在るのは人間社会そのものが邪悪だと認めざるを得ない人々の死。否定する隙間はなく。何故なら誰もが人を死ねせ、やがて死ぬ。

 

「――――死、ですか」

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。如何しようも無く、只々唯々只管に死ぬ。何故こんなにも人類そのものを嫌悪する形で、人間は人間を死なせるのか。

 盾騎士がヤーナムで得た思考の瞳は変異し、魔神王と同じ視座を得てしまっていた。

 彼と全く同じ絶望と失望を盾騎士は味わい、人類種全ての生命を憐れんでしまった。

 何よりも盾騎士は実際に人間が人間を殺し、犯し、辱める冒涜的な営みを直視した。

 だからこそ、盾騎士は絶望を否定したがる自分を認めなかった。常に瞳から人類史が啓蒙され続け、それを止めようと戦場や惨劇に飛び出ては、そこでまた人の悍ましき冒涜の営みを直接的に今度は見る破目となる。

 盾騎士にとって、吸血鬼狩りの方がまだ精神に良い。自分自身を人間だと思っていない魔術師を狩った方がまだ心に優しい。人間を、自分と同類と思わない精神的な化け物の方がまだ理解出来た。違う生命種と認識していれば、人間が家畜と言う営みで命を奪うのと原理は一緒だろう。

 最初から理解し合えない事を理解出来るのだから、殺す為の心構えをするのも容易かった。

 人喰いの魔獣を盾や四肢を使って撲殺するように、人の形をした怪物を狩るような気持ち。

 殺さねば、死ぬ。殺せば殺す程、命が何十何百何千と助けられる。元より、世界を守る為に育てられた人造人間。人を守る為に強くなった人造英霊。

 尤も、今や―――盾の狩人でしかないのだが。

 銃盾の仕掛け武器を振い、人を守りながら人を殺す人理の矛盾。神を殺した血液由来の銃盾遣い。打ち殺し、叩き殺し、握り殺し、蹴り殺し、潰し殺し、突き殺し、斬り殺し、撃ち殺すカルデア流万能殺戮技巧。

 

「………」

 

「死ね、バケモンがッ!」

 

 放たれた弾丸。盾騎士は弾道を目視し、銃弾が空気を抉り進むのを加速した体感時間でゆったりと視認しつつ、眉間に当たるまで回避行動を取ることもしなかった。首を少し傾けるだけで容易く弾道から外れられたと言うのに、苦痛を味わうように銃弾を生身で受けた。

 キン、と金属が弾かれる音。凡そ人間に命中した音ではない。その音が聞こえる前に跳弾によって弾き跳ね、彼女を射殺しようとした兵士は頭蓋骨が弾け飛んで死んだ。

 

「うわぁぁああああああ!!」

 

 恐怖に震える兵士が、対戦車火器を向ける。そのロケットランシャーも放たれて盾騎士の生身に直撃するも、その手に持つ盾で防ぐこともせず彼女は無傷。爆炎が晴れる前に兵士へと接近し、障子を幼児が破くような容易さで、武器を使わず素手で人体を破壊する。

 極限まで鍛え上げた魔力防御のスキルは宝具さえも防ぐ鎧。同様、極め上げた彼女の五体は神話世界で英雄と呼ばれる程の領域。

 そもそも診を守るのに聖騎士の盾は不必要。人間を狩り殺すのに武器も要らず、肉体自体が高次元的神秘と化した。もはや彼女を傷付けたくば、それこそ灰や狩人が持つ武器のような、実際に神の魂を殺した過去が宿る死の重みが要る。現代兵器は無力であり、魔術攻撃も無駄となり、生物兵器による毒も効かず、核の熱波さえも盾を使えば防ぐだろう。

 

「……………」

 

 血にも塗れず、埃一つ魔力防御の膜で肌と鎧に付かず、呼吸する度に太源を得る事で魔術回路に溜まる魔力も減少していない。その魔力防御が持つ護りの概念は進化し続け、今や遮断領域に入り込む。衝撃を貫通する特殊打撃や、空間を裂く無空の斬撃は防ぎ切れない事もあるが、大陸で進歩した気功体術による毒手さえ防ぎ、魔術回路に干渉する呪詛と術式も防ぐことだろう。

 その瞬間、殺意が籠もる視線を感知。どうやら魔術による光学迷彩で姿を隠している者を見抜き、何も無い筈の空間へと左義手を銃身形態に仕掛変化させて魔力光弾(ソウル・レイ)を発射。カルデアの技術者であるカラサワ博士製の変形機械義手はエーテルを弾薬化する光学武器であり、狩りに特化した魔術師の杖として機能した。

 無論、魔術師を殺すには十分以上の殺傷力を持つ。

 姿を魔術で隠していた敵の胴体に当たり、対戦車ライフルが直撃した以上の破壊が起き、魔術師は五体を爆散させた上で体細胞を焼き尽くされる。大気中に霧散した魂たる遺志を魔術回路ごと瞳で吸い込み、魔術刻印の術式も脳内へと取り込み、その神秘を学習した。

 カシャンと何度でも聞きたくなるような、中毒性のある効果音を鳴らして銃身は義手に戻る。人殺しの道具であると同時に、この音を聞くと狩人は自分が獣ではなく、獣を狩る人間であると再認識させる式様美があった。とは言え、今は義手を変形光学武器とだけ使用する訳ではなく、盾騎士にとって殺傷専用魔術礼装の機能も持たせている。

 灰や狩人から業を盗んだ様に、褪せ人の遺志からも神秘を学んだ盾騎士は重力魔術を義手を使用する。本来ならば地面から岩を掘り起こして浮遊投擲するのだが、彼女は近くの戦車を浮かばせて違う戦車に投げ当てた。戦場を彩る赤色の爆炎が舞い上がり、人肉を焼き尽くす熱波が周囲を襲うも、盾騎士は肌を焼く熱ささえも感じなかった。そして盾騎士は命も見抜いていた。自分に恐怖して身を隠す兵士がまだ戦車の中にはおり、ぶつけた方の戦車には怪我をして動けない兵士がいたことも。

 聖銃字盾を霊体化させて装備しない儘、盾騎士は殲滅を完了させた。テロ組織と手を組んだ魔術師による秘密結社により、戦場に血紋呪詛が刻まれる事で大規模国土魔術儀式が行われて地域の特異点化が行われる所だったが、彼女によって血の魔法陣を穿つ部隊は壊滅された。世界はまた何時も通りに救われた。

 

「…………」

 

 もう戦場に用はない。血紋刻みの為、意図的に用意された戦地に行く前に部隊を撃滅し、必要な分だけの命を奪い取れた。盾騎士は戦場で愛用される使勝手の良い日本車に乗り、隠れキャンプ地への帰路に着く。とは言え時刻は夕刻を過ぎ、日は沈む。しかし、人に見つかるのは面倒だからと車のライトを彼女は付けず、自前の暗視ゴーグルを使って周囲を確認しながら運転を続けた。

 そしてキャンプ地に着けば、先着が一人。戦地で知り合った盾騎士の友人であり、今は数少ない戦友にして仲間の一人が、遅めの夕飯を焚火を利用して調理していた。

 

「キリエライト。早かったな。相変わらずの、狩りの巧さだ」

 

「あぁ、エミヤさん……其方も正義の味方、何時も御疲れ様です」

 

「……貴女に言われると、皮肉に聞こえるがね」

 

「そうですか……あ、確かに。すみません。

 どうも人狩りをすると血に酔って、少し無神経になってしまいます。態々、御飯の前に言う台詞ではありませんでした」

 

「いや、それが皮肉に聞こえる私が未熟だと言うことだ」

 

「そうでしょうか……?

 しかし、前よりも随分と鍛錬と実戦を重ねて強くなっ……ぁ―――成る程、契約ですか。その魂、どうやら守護者の契約を結び、英霊の座へ登録されたように見えます。

 死後の安寧を棄てるのは、ある意味で地獄への片道切符ではありますが、素直に私だけはその偉業を讃えます。考えたくない可能性ですが、貴方が自分の正義を否定する未来に至ったとしても、私と言う人間は貴方を心より尊敬していた事実は覚えていて下さい」

 

 盾騎士は自分の頭が呆けていた事に気が付く。再会して数日経った今、このタイミングで前の彼との差異を感じ取れる等、瞳が曇っている証拠だろう。

 千里眼と化した盾騎士の内なる思考瞳。見たく無いものを見ない様になるべくしていれば、見るべき事実からも視線を逸らしてしまう事態になる。罪悪感で頭蓋骨を砕き開けて、脳内目玉に神秘薬を直接掛けたくなる気分になるが今は我慢しなくてはならない。

 

「分かっている。戦い続けるとは、そう言うことだ。やがて心が折れることもあるかもしれないが……何、まだ理想には届いていない。頑張って見るさ」

 

 何かに憧れる少年のような笑みを、錬鉄の魔術師は盾騎士に向けていた。義父に向ける感情に近い理想への信仰を、彼は盾騎士に向けている自分の心に気が付いていなかった。

 正しく、現代に生きる理想の英雄。

 折れず、引かず、負けず、世界を危機から救う現代の大英雄。

 魔術世界の戦場に飛び込んだ錬鉄の魔術師にとって、同じ戦場で人助けを行う盾騎士は余りにも眩しかったのだろう。何より変形義手と変形大盾を武器にするとか、日本男子として浪漫を感じずにはいられない。

 

「良い笑顔ですね、エミヤさん。思わず、惚れてしまいそうです」

 

「そうかね。いや、貴女にそう思われるのなら、男冥利に尽きるよ」

 

「では、私は女冥利と言っておきます。では話は変えますが、死徒狩りの方は進んでいますか?」

 

「いや、まだだ。追い切れん」

 

「情報漏れ……まぁ、普通に考えて内通者がいますね。そちらは私が炙り出し、狩っておきます。貴方が死徒狩りに専念出来る様、少し工夫をしておきましょう」

 

「助かる。逃がせば、戦火が拡大しよう」

 

 等と言いつつ、盾騎士は既に裏切り者への目星は付いていた。一目見れば脳波から思念を啓蒙される彼女を相手に隠し事は不可能。恐らくは裏切り行為を断行する程の恐怖心を自分達二人に向けていたあの男であろうと判断し、今から効率的で被害の少ない狩り方を彼女は思索する。

 その間、癖で義手の五指をカシャカシャと動かして集中する。学生が行うペン回しみたいな手癖の悪さであり、彼はこの動きをし始める盾騎士に対して余り良い感情は覚えていない。勉強道具を手遊びする様に殺人道具を弄る仕草は、如何に人を狩り殺そうか思案する時の癖であり、より大勢を守る為の殺戮のシュミレーションが脳内で演算されているのだろう。

 殺人思索から一週間後、盾騎士は裏切り者をあっさり焼き殺した。引火性油が入った壺を投げ当て、義手から放った光弾から発火させた。獣狩りに丁度良い殺し方だろう。その者は錬鉄の魔術師の知人であったようだが、テロリストの犯行に見せ掛けており、他の裏切り者もいたので、彼にはその者が全て悪いと言う様に誤解させた儘にした。

 勿論、戦いは続く。そして、当然ならが終わりを何時かは迎える。

 

「死ね、死ね、死ね!!!!」

 

「死ね、殺せ殺せ!!」

 

「人殺し共が!! 死んで償え!!」

 

「死んだ死んだ死んだ!!!!」

 

「うわぁあああああ、俺らはヤったんだぁぁぁああああああああ!!!」

 

 本当ならば裏切り者の策で彼が殺される筈だった処刑台にて、独裁政権下で虐殺を繰り返した軍人が公開処刑されていた。政治犯として縛り首にされていた。民衆は、自分達を弾圧した国民殺しの軍人が死ぬ様を、血に酔う獣の如く歓喜した。

 ―――平和である。人間社会における平和の概念こそ、この様だ。

 即ち、責務の取り方。その本人ではなく、不都合を受けた他人からした責任の所在を明らかにし、負債を命ごと殺すことでこの世から消し去る善行。

 人々の平和を目指して戦場で足掻いた魔術師と盾騎士は、民兵が手に持つAK47から銃弾が空に向かって放たれ、祝砲が鳴り渡るのを聞く。それ程まで喜ばしい人間の死であり、誰も彼もが軍人らが死に尽くされることを夢見ていた。

 

「良かったですね、エミヤさん。貴方の尽力で、手早く平和は訪れました。尤も、この光景を素直に喜べはしないですが……まぁ、最悪の選択肢ではないと思います」

 

「貴女の御蔭でもある」

 

「そうですか。それと裏に、どうやら愉快犯がいるみたいです。戦火を拡大させた民間軍事企業でありますが、そこの幹部がどうやら洗脳されているみたいで。

 セッショウイン……日本人みたいですが、知っていますか?」

 

「知っている。成る程、あの物の怪が……」

 

「追いますか?」

 

「あれは悲劇を拡げる魔物だ。救世の聖人としても一般人に知られているが、社会で有名になる前は埋葬機関にスカウトされた過去を持つ凄腕だよ。魔術協会にコネがある上、聖堂教会にもあれの隠れ信者がいる。

 面倒極まる女であったが、今までは証拠がなかった。

 今回の件、問い詰める良い機会だ。居場所を探り、会ってみよう」

 

「魔術協会の方には私から圧力を掛けておきます。封印指定執行者を返り討ちにしながら探すのは、効率悪いですから」

 

 その女は正真正銘、人類種の天敵。知性体である時点で逆らうのは不可能であり、知性体が運営する社会システムを操ることなど手先を動かすように容易い事業。精神を犯す毒はもう社会に蔓延してしまっていた。たった数年の間で日本の政治機関は掌握され、聖人は救世主として一部の支配階級に崇められていた。

 ―――冬木市。あるいは、倫理退廃都市。

 神秘に覚えがある尼僧が何時からか市内に入り込み、人類種を救う聖者の教えが蔓延した邪教の街。

 その倫理廃都にある御洒落な喫茶店を盾騎士が通り過ぎた時、凄まじく疲れて顔色が悪い美麗な女性から視線を感じた。無視しても良かったが、知り合いだったので盾騎士はその喫茶店に寄ることに決めた。

 

「うわ……貴女、因果が更に絡み過ぎて凄い運命になってるわよ?」

 

「沙条、姉ですか。妹に寄生するニート生活、もう止めましたか?」

 

「綾香から誕生日プレゼントで貰った超安眠布団の中で寝ていましたら、ちょっと魂が抜けまして……気が付いたら、異界で数十年生活してました。確か月の狩人とか名乗る人類種が宇宙の果てまで進化した様な、啓蒙的知性体に精神を悪夢の異界へ誘拐されたの。

 ちょっと勘弁して欲しかったわね、あれ。

 私が根源接続者だからって、何でもして良いって勘違いしてると思う。私だって恋に恋する人間の女だって言うのに」

 

「そうですか。大変でしたね。愛を知らない無垢で純粋な、美しい根源接続者の精神サンプルが欲しかったのでしょうね」

 

「そうよねぇ……はぁ、やれやれ。こんな台詞言うの、趣味じゃないのだけど。でも私が誰かの実験動物にされる平行世界なんて、絶対この狂った人理だけだわ。

 本当、狂い過ぎてる。言うなれば狂人理よ。マシュ・キリエライト、貴女ちょっとヤーナム滅ぼしに行きなさい」

 

「下手に突きますと、上位者の悪夢が人類の集合無意識に寄生しますよ。折角あの狩人さんが抑止力と人理の通常運営を上位者の思索活動から守っているのですから、何もしないのが一番でしょう」

 

「駄目ね。全くその様、それで人理の礎とか名乗らないで下さる?」

 

「……………」

 

「あー……ごめんなさい。何時も相手してる畜生女への癖で、どうも皮肉言うのが常になってしまってね」

 

「……いえ。気にしてません。それに滅ぼすにしても、全ての平行世界に存在するヤーナムの悪夢を同時に消さなければ、平行世界同士で繋がる悪夢がまた古都を夢見て蘇ります」

 

「…………あー、と……うん?

 魔法とかで、如何にかなる次元の話ではないわね?」

 

「はい。試しに沙条さんが手作りで根源式聖杯でも作りましたら、対時空間遠隔次元干渉とかでヤーナムを攻撃してみれば良いのでは?」

 

「止めとく。その未来を観測した結果、全人類が悪夢に繋がって、私が悪夢に呑み込まれて、更に悪夢が根源と繋がって、人類種知性体が根源接続上位者に進化するのを確認出来たから」

 

「メンシス学派は喜びますよ?」

 

「知性体として危険域まで文明レベルが進み過ぎると、宇宙全体に迷惑を掛けるからね。

 愛しい王子様の為にならと、愛に狂う私ならやっちゃうのでしょうけど、この私は良くも悪くも夢から醒めた自分だから」

 

「宇宙規模の話は……今は、しても仕様がないですね。今回は、人間社会に対する脅威に対する話をしたいです」

 

「あぁ……あいつ、殺生院ね。あの女、ぶっちゃけ脳が色欲に支配された悲しい獣だったのですが、神秘と人生の師を見付けて、精神的にもっともっと凄まじく弾けたのよ。その所為か、賢人にして聖人でもあることも、神性と獣性と平気で今は両立させてるの。

 関わると不幸になるから、貴女は絶対離れておきなさい。油断すると直ぐセックス&エキサイティングする雰囲気に流されるから」

 

「気を付けます。で……その、その人の師とは?」

 

「アン・ディールと名乗る女ね」

 

「――――すぅ……へぇ、どんな人ですか?」

 

「会った事はあるけど、人格は邪悪以前に暗黒。その癖、人間大好きで、人類種の文明進歩と生物進化を見守ってる愚かな賢人。魂を持つ時点で私だと勝ち目がないわ。むしろ、根源の律に縛られている魂を本質とする生命だと、あの女がその気になればあっさり生まれ故郷の根源へ魂を送還されて、問答無用で死ぬんじゃないかしら?

 ヤーナム還りの私だと何とか対策が出来るように脳が進化したけど、以前のニート状態だと逆らう気は起きないと思うかしら」

 

「更に、詳しくです。師弟としての関係性も」

 

「追加情報ね。確か西暦以前から生きてるみたいで、ロンドール竜学院の初代学長にして現学長の放浪者って話になってるわ。あそこはもう学徒の入学を認めてない排他的組織な癖して、組織自体は世界各国の神秘組合との交流を続けてるって言う変な場所なのよ。学長が世界中を彷徨ってるのもあるから。

 ……で、殺生院は二千年ぶりの新入生って話らしい。

 そして、最初で最後の卒業生だとか。あの学院から世に出たの、あの女と学長その人だけって話だわ」

 

「なるほど。ありがとうございます。沙条さん、出来れば妹さんを連れて冬木市から脱出した方が良いと思います」

 

「あら、心配ありがとう。でも妹は今、外国にいるから大丈夫よ。私は私で見届けたいから、邪魔しないで此処にいるわね」

 

「そうですか……」

 

 盾騎士が誘われた衛宮家。冬木の社会情勢は手遅れレベルで腐敗しているようだが、一般人の生活が危険なほど治安が悪化している訳ではなく、むしろ治安は向上して犯罪率は激減し、一般的生活が危険になっている筈もない。普通に考えれば、唐突に殺人事件が起きる訳がない。

 ―――血の香りが、匂い立つ。

 錬鉄の魔術師が何故か、女性と男の子を惨殺した後の殺人現場。盾騎士の記録の中では、その女性はカルデアで見覚えのあるサーヴァントだった。第七特異点でだと、自分達に協力してくれた人理の恩人だった。

 

「…………」

 

 生気無く、彼は壁に寄り掛かっていた。斬り落とされた女の首を抱き締めながら、静かに涙だけを流して時間が止まっていた。内臓を曝け出して死に絶える子供は瞼を閉じられ、顔だけは非常に穏やかだった。

 

「……―――ッ」

 

 その光景を見ていた盾騎士は、唇の端から血が流れ出る。

 怒りの余り噛み締めた所為で歯茎から出血した―――訳では無く、背中から突き刺さった手が、鼓動を刻む心臓を直接的に握られている為だった。

 

「貴女が噂の盾騎士卿(サー・シールダー)、キリエライト様かしら?」

 

「……うぅ、ぐ」

 

「成る程、成る程。そうですか。あぁ、話す必要はありませんよ。心の臓腑に触れておりますので、貴女の心は物理的にも好きに弄繰り回せますから、思考を透かして読むのも簡単でありましょう。

 ―――ふむ、ふむふむ。何と、平行世界からの異邦人と。

 うふふふふふ、これはこれは。我らの人理が人類種を楽しむ世界に、良くいらっしゃって下さいました。

 数ある世界において矮小な自分自身を恥じ、世の為に埋葬機関にて魔物でも狩って生活しようと考えていた所、貴女の恩人でもあるあの御方の御蔭で、(わたくし)はこうして快楽(ソウル)に解放されています」

 

「そう言えば……貴女は……そう言う人でした、ね……ぁぁアア”!!」

 

 グニュリ、と自分を嘲笑う盾騎士の心臓を優しく尼は揉んだ。まるで男を愉しむ情婦のような手の動きであるが、それは盾騎士の体内で行っているので誰も見る事は出来ないだろう。

 心臓を握られる純粋な苦痛。体内に手が入るショック死へ至る異物感。そして、尼の手から伝わる脳細胞を泥のように蕩かす快楽。

 悍ましい事に絶頂的な気持ち良さを、盾騎士は心臓から与えられた。この間にもヌチュリヌチュリと心臓を揉み込まれ、膝から崩れ落ちて尻を床に付けるも、尼は盾騎士に高さを合わせて自分も膝を曲げる。そして生心臓を握った儘にしながら盾騎士に覆い被さり、肩に豊満な胸部を押し当て、耳元に甘過ぎる吐息と共に声を囁いた。

 

「では改めまして、キリエライト様。初めまして、(わたくし)は殺生院祈荒と申します。

 この度は私の信者が、私への愛に応えようとする献金の為と、戦場経済を発展させて戦火を拡げたことを心よりお詫び致しますね」

 

「あぁ……はぁはぁ、ぁぁあはぁ、はぁ、はぁ……ッ―――!」

 

「何と可愛らしい(オト)でしょうか。

 ついつい(わたくし)、花の園の方へともう片手を伸ばしたくなる気分になり―――」

 

「―――死ね、変態」

 

 実に気合が籠もった正拳突き。ガラシャの拳を装備した左手を全能者(サジョウ)は尼の後頭部に叩き付け、脳漿と血液を床へ撒き散らした。盾騎士を自慰道具に使用しようと色欲の儘に肉体を愉しもうとした隙を突かれ、色尼はとてもあっさりと死亡した。

 しかし、脳が痺れ上がって盾騎士は身動きが出来ない。心臓の鼓動も不規則極まり、視界が惑星のように廻り続けて視点が定まらない。

 

「はぁ……見守るって言ったけど、見守り始めたらこんな状態だなんてね。趣味じゃないけど、貴女が相手だと近付いて肉弾戦した方が効果的だし、こうして殺したわ。

 殺生院。私の視界から外れるようにしてたみたいだけど、存在感を秘匿する気がないキリエライトごと自分の姿は隠せないわよ?」

 

「……………酷いですわ、沙条様。

 情事を覗き見して愉しんでいた変態の癖に、好きな展開ではないからと私の絶頂を邪魔するなんて」

 

「知らないわ。私の視界の端で盛り出す貴女が一番悪いのよ?」

 

「酷い言い草ですわ。貴女と(わたくし)はお互いに真性悪魔を超え、人理の獣性を克服し、単独の人類種として魂を完成させた者ではありませんか?

 その人間性の魂―――……血、白濁として生臭いですわよ?」

 

 死んだ筈の尼は頭部を当たり前のように"蘇生”させ、何時もの僧侶姿の格好ではなく、冬木市の市民に融け込むカジュアルな格好をした成人女性は妖艶な微笑みを浮かべるのみ。

 瞬間的な脳の活性。輸血液の針を太股に串刺し、盾騎士は意志を即座に甦らせ、肉体も再生。銃宇盾を具現させると同時に仕込み機関銃を三連射。狙いは急所、眉間、首部、心臓。どれか一つでも当たれば動きを止められ、その後は魂砕きの鈍器盾を振って殺せれば良い。

 だが尼は余りにも恐ろしい技巧者。超音速で飛来する徹甲弾を右手、左手、そして歯で受け止めた。そのまま投げ返し、口から唾を飛ばす様に吐き返し、盾騎士を狙う。それを盾で防ぎつつも一気に突進し、あろうことか尼は容易く片腕の掌で受け止めながら流し逸らし、もう片手を振い抜いて腹部に凶悪な掌底を直撃させた。衝撃は魔力防御を貫通し、ソウルの業によって魂と命に直接触れ、愛撫するような優しさで死を与えた。直死の魔眼に匹敵する生命への干渉となり、盾騎士は魂が死ぬ感覚に襲われるが、狩人の遺志は死に慣れたもの。

 血反吐が出るが、それを尼の綺麗過ぎる美貌に吐き付け、視界を奪い取る。そのままカルデアの義手光刀(ムーンライト)を尼を真っ二つにするべく振い、踊る様な足技によって義手の肘部分を蹴り上げられることで軌道が逸らされた。

 

「この……ッ―――」

 

 尼の能力は英霊と言う領域を完全に超え、その体術の技巧は明鏡止水の最果て。虚無の境地から放たれる四肢の一撃は集合を積んだ仙人が更なる鍛錬で仙域を超え、霊長の信仰と惑星の触覚たる神の創造限界を超越した業だった。接近戦で勝てる相手ではなく、生身でその領域の魔人が更に神秘を身に纏う冒涜的境地。

 故に盾騎士は一瞬の間で考え抜いた末、全能者(サジョウ)による魔術師(エミヤ)の保護を確認した為、考え無しに銃字盾から榴弾銃砲(グレネードランチャー)を発射。至近距離で尼僧に直撃し、ミサイルに匹敵する爆炎が屋敷を粉砕し、自分と敵ごと衛宮邸を吹き飛ばした。

 

「うっふふふふふふ……イキそうな殺意ですわ。素晴しい痛み!

 友人(セフレ)の間桐様より貪った虚数魔術が無ければ、とても危のう御座いました。私も人間の肉で呼吸を行う生命、大気から酸素を一瞬で焼き尽くされるとなりますれば、窒息の痛みに喉が潤ってしまいます」

 

「―――変態ですね、完璧な!?」

 

 態と爆炎で服を焼きながら全裸となりつつ、何故か美しい軟肌には煤一つ付いていない姿。今直ぐにでも地球全体で自慰行為でもしそうな、人間では夢想することも不可能な情欲を盾騎士一人だけに向け、貌を両手で覆いながら身体を踊る様にくねらせる。

 そのまま地面に広がる暗い影が尼僧を覆い、余りにも煽情的で、全裸以上に人間の知性を色欲で蕩けさせる黒い装束姿と化す。しかし姿は人間の儘で在り、角や尻尾、あるいは翼がないことに違和感を覚える程の人外の存在感を放っていた。

 

「もっと、もっとです……もっと私に絶頂的苦痛(アマラシキ)を!!」

 

「でしたら、自分で魂を自傷してなさい!!」

 

 社会に対する神秘の露見は厳罰。市街地の昼間から殺し合えば、魔術を冬木市民に目撃されるのは確実。それを盾騎士が気にした刹那、縮地の踏み込みを加速させて師譲りの体術で敵背後に尼僧は回り込み、頭部を両手で掴んで捩り飛ばそうとした。だが銃字盾を背後へ振り回しつつも、褪せ人から貰った義手刀を物体展開させ、それを光学兵器で月光強化を付与した。

 大盾と長刀と言う、余りにもアンバランスな戦闘スタイル。尼僧は盾使いが扱いし難い長刃の刀を使うのを嘲りつつ、背後から影触手を具現して乱れ打つ。その全てを月光義手刀で一瞬で斬り落とし、同時に機関銃を仕込み盾から発射。その弾丸を影の壁が全て吸い取り、虚数空間に融け消え、盾騎士の周囲に現れた影門から中心の彼女を狙って弾丸が放たれた。

 上空に逃げるしかない―――と動けば、相手の思う壺。

 ならばいっその事と思い切った考えを実行。盾騎士は一瞬でしゃがみ込み、亀の甲羅の如き格好で大盾の下に入って身を守った。そのまま片足を軸に回転し、機関銃と火炎放射器を仕込み盾から同時放射して周囲一帯を破壊することで影門を掻き消した。

 

「となれば―――!」

 

 敵の尼僧は敢えて自分が大盾で作った上空から奇襲を掛ける筈―――と盾騎士は判断。一瞬で義手刀展開した左腕を魔力光剣(ムーンライト)に変え、敵の気配がある空中へ月光波を斬り放つ。斬撃光波は気配を切り裂き、それは本当に影で作られた気配だけの囮だった。

 気が付けば、尼僧に顔面を掴まれる。

 頭蓋骨が軋み上げる程の握力で固定された直後、地面が陥没する威力で後頭部から叩き付けられた。

 それもただ地面に叩かれたのではなく、尼僧の魔術で概念的にも強度が増した地面であり、もはや鈍器型の概念武装で後頭部をフルスイングされたのと同じ威力。魔力防御を貫通して衝撃が脳味噌を揺らし、顔面内部から破壊の波動が生まれ、血涙と鼻地を噴射することになった。

 

「ッ―――……ぁ」

 

 呻き声を上げた後、即座に気を完全に失った盾騎士。命を奪わず、だが一瞬で生きようと足掻く意志を奪い取り、的確に魂ごと揺さぶる脳震盪で意識を奪う絶技。狩人相手にするにはほぼ不可能だが、尼僧からすれば盾騎士相手では可能だった。

 そのまま弄る様に盾騎士を密着するように対面で抱き締め、気絶した彼女の耳元で尼僧は愛を囁いた。

 

死体愛好家(ネクロフィリア)の趣味はありませんが、えぇ……我が信者の愛は数あります。

 死体弄りを教主足る(わたくし)も理解して上げる必要もありましょうや。それこそ善、それが愛。そうは思いませぬか、全能なる怪物王女」

 

「貴女の師によって魔性菩薩の未来を止めた癖に、魂の本質そのものに変化したのね。善意しかなく、悪性を棄てた真正菩薩となった末、根源から流れ落ちる快楽の起源さえも貪り尽くしたと。

 ヤツラと同じじゃない。人間菩薩、死ね無くなったのね?

 全く同じ無能よ。今の私と同じ、魔性にさえ堕落出来なくなった人間でしかない呪いに囚われる。根源との繋がりがない神秘薄い人間は、だからこそ幸福を幸福だと実感出来る思考を得ているの」

 

「はい。師は魂と、知性をなる魂の全て、その全て教えて頂きました。この宇宙に生まれた魂は、宙の欺瞞によって縛られ、この星に生まれると人理によって更なる虚構で封が施されています。

 人間は―――在るが儘、生まれの儘、存在理由を内より見出さねばなりませぬ。

 初めから生まれ故郷を知覚する貴女様には理解出来ぬでしょう。欺瞞無き自身を見通せる貴女様は、最初から愛と言う最高の快楽を知って生きているのですからね」

 

「―――……まぁ、良いけど。好きに言えば。

 根源接続者の私でも貴女の未来、全く見えないから友人関係を続けられたのだし」

 

「はい。私の快楽以上の、愛の快楽に堕落したいと決めた全能者様だったから、私も貴女と友人であると思う事が今までは出来たのですが……残念です。本当、快楽を分かち合える初めての私以外の"人間”かもしれないと、あの時は思っていたのですがね」

 

 人理のテクスチャが剥げ落ちる音がする。世界が異界に侵食される色が出る。全能と快楽が魂を剥き出しにし、人が呼吸すれば絶頂死するか恐怖死する惨殺空間が出来上がる。ぶつかり合えば周囲一帯が破壊された上、異界常識に侵食されて二人の心象風景に塗り潰される特異点となるかもしれない。

 ―――外なる宙の神秘。

 この宇宙を作った根源から外れた不死由来の概念。根源の星幽界に還れない魂。

 一度死ねばもう元には戻らない生命ではない二人は、人類種と言うカタチの現象でしかない。故、自身の魂が法則を運営する設計図となり、高次元知性体は脳そのものが世界を観測する瞳と化す。まるで脳で光を見る蛞蝓のような脳の視覚であるが、魂で観測するからこそ二人は同次元の者として殺し合える。

 

「人の土地で―――何、やってんのぉぉぉおぉおおお!!!」

 

 完全にブチ切れた同じ高次元頭脳を持つ魔術師もまた、この殺し合いに参加可能なのは道理であった。

 

 

 

■■■■<★>■■■■

 

 

 

 魔法見習いの魔術師―――遠坂凛。根源到達者の一人。

 才能を目覚めさせ、魂が覚醒した少女は大人となり、宝石の法則をその身に刻み込む。脳は宇宙の外側を観測することで平行世界が運営される宇宙を理解し、高次元体の脳を得たことで世界同士の境界を観測する知覚を獲得した。

 知識を学習することは当然だが、より重要なのは魂の宿る脳が根源より生まれた法則を観測すること。理解するには見るしかなく、律を宙から啓蒙されることで解明される。それによって高次を知覚することが出来る。何より、魂は高次元から来た己自身故、そもそも辿り着きさえすれば不可能ではない。とは言え、そこで自我を保ってられるか否か、帰られるか如何かは、本人次第ではあるが。

 

「―――で、どうなってんのよ?」

 

「魔法使いなら、別に説明する必要ないでしょう?」

 

「は? ふざけんじゃないわよ! コミュニケーションって分かる!?

 まだ人間で居たいんだったら貴女も言葉で説明しなさい。士郎のその状態と、そこのコスプレSF甲冑女と、あの外道エロ尼についてよ」

 

「同じ平行世界を観測すれば、此処の状況もだいたい脳にインプットされるじゃない」

 

「話にならないわね! 良いわ、だったら……――――あ。なにこれ?」

 

「ほら、そうなるじゃない。どうせ私が説明しても信じないから、そうやって観測して納得することになるものね」

 

「―――……はぁ……あー、最悪」

 

「一応、私は私でこの事件を解決しようと思うけど、貴女はどうしたい?」

 

 全能者は魔法見習いを詰問する。ある意味、自分と同じ視点を持つこの魔術師であれば、既に答えなど出ている問題。大前提として殺し尽くさねばならないが、それを自分で行えるか、否か。

 遠坂邸のベッドにエミヤは寝かせ、監視の意味も込めて見知らぬ盾騎士はリビングのソファーに起き、その隣の椅子に座って遠坂凛は絶望に貌を曇らせて思案する。精神強度の高い彼女は本来なら無表情を維持して考え込む性質であるが、今回ばかりはそんな建前を守れる状態ではなかった。

 

「まず、あの尼は殺す。

 必ず、この手で殺す。

 この土地はオーナーとして、一個人として、あの僧侶には負債を払って貰う」

 

「当然ね」

 

「……で、どうしよう?」

 

「どうしようかしらね?」

 

「千里眼、持ってんでしょう?」

 

「あれ、人生には要らないから。それに必要な時、あるいは必要な相手には役立たずだもの。貴女も、その視点は手に入れたとしても、覗き見が好きって雰囲気じゃないようだけど?」

 

「……あっそ」

 

「後、隠蔽活動は気にしなくて良いわよ。あの女がもう協会も教会も日本支部は支配してるっぽいから、外様の狂った馬鹿がテロ的思想で行った神秘漏洩事故って事にしてた感じ。

 衛宮家爆破の原因も、そいつが魔術師殺しに恨みがあった個人的怨恨だったと言う捏造にしてるわね」

 

「あーん……? 代理オーナーの桜はどうなってんのよ?」

 

「洗脳されてたみたい。残念だけど、もう外道に堕ちてるわね。アレが使っていた虚数魔術はそう言うことよ」

 

「藤村先生と、その子供が死んだ理由……納得出来ないんだけど?」

 

「理由なんてないわ。単純に、アレの趣味じゃないの?

 藤村先生……いや、もう結婚して柳洞だったっけ。衛宮士郎が高校卒業して、独り立ちしたのを見送って、それをちゃんと待ってた零観さんと子供出来て幸せな教師生活をしてたようだけど。

 何と言うか、あの色欲破戒僧からすると壊して殺すのに、楽しくて堪らない善人よね。

 それも洗脳した衛宮の手で直接、あんな風に子供を目の前で内臓捌いて殺した上、本人の首を切り落と―――」

 

「―――止めて。見ただけで精神、結構ヤラれてるから。

 聞くと殺意が抑えられなくなる。魔術師とか、そう言うのが如何でも良くなりそう」

 

「気持ちは分かるわ」

 

「そりゃ、全能な貴女だったら他人の情緒も実感して分かるんだろうけど……―――いえ、何でも。慰め、素直に受けておきます」

 

「気にしないで。感情を得たのに、この様なのは自分が全部悪いってだけの話だもの」

 

「そうね。こっちに協力する事に、貴女が無気力じゃないだけマシか」

 

「……………」

 

 途中、起きていた盾騎士はその会話を盗み聞きしていた。まるで歯が立たなかった尼僧の腕前。魔法を使って正解を観測した根源到達者と、最初から正解を得ている根源接続者。彼女は自分の見立てから、恐らくこの二人が組んでも尼僧には敵わないだろうと考える。自分と衛宮がその戦力に加わっても、あの尼僧の技巧と神秘に届かない。

 本物の不死を殺すにはルールを度外視した一手が要る。殺せないなら、殺さず直接的に世界から排除する。手っ取り早く根源の渦か、次点で虚数空間にもで叩き落とし、この世から魂ごと消すしかない。尤もそれでも生き延びて物理世界に戻って来る不死もいるのだろうが、この平行世界に戻って来る可能性は低くなる。

 

「おい。コスプレ魔術師、もう起きてるんでしょう?」

 

「酷い言い様ですね。女神に良く似た魔法使いさん」

 

「はい? 女神って、そりゃ美人だけど、今のこの私に何を言って……ッ―――あー………ごめん。貴女に当たる何て、本当に如何かしてたみたい。

 それでマシュ・キリエライト、話を聞いても良いかしら?」

 

「気遣いは無用です。むしろ、責めて貰いたい程です。気が楽になるかもしれません……が、今は私の心情など何の価値もありませんね。

 こっちの事情、その高次元の脳で観測し切れない詳しい部分を説明致します」

 

「良いのよ。色々あって、私は私が混ざってしまって……どうもね」

 

「遠坂凛。私の経験上、その症状は危険だって根源到達の先達として忠告しておくわ。とっとと割り切っちゃいなさい」

 

「分かってる。分かってるから、今は良いのよ」

 

「全員、察しが良いと会話が飛びますね」

 

「案外、余裕あるみたいね、マシュ」

 

「それと、すみません。その名は棄てました。ただキリエライトとだけ呼んで頂けると、非常に助かります」

 

「そう。じゃあ、キリエライトとだけ呼びましょう」

 

 瞳持つ者同士、会話が異次元視点なので理解し合い過ぎるのも難しい。魂を観測する上、身の上も丸裸となれば面倒はないが羞恥心は強くなるも、お互い様なのだろう。言うなれば、精神的には銭湯でばったり出会って世間話をするような雰囲気か。心的外傷も把握されるのは気色悪いかもしれないが、それもまたお互い様なので無視するしかない。

 何より、この平行世界における夢の狩人は思索により積極的なのも悲劇なのだろう。ヤーナムの中に住みつつ、上位者と人類種の防波堤にも成りつつも、自分の思索実験には人道がない好奇心を良しとする魔物。外界の魔術師など根源の律に囚われた憐れなる眷属程度にしか見ておらず、夢見る瞳を与えることを報酬にし、代償に何かしら人生の一部分を奪い取る。

 人間性を捧げてしまえば、魂が欠落した部分に啓蒙が入り込む。脳が膿んだ場所に、瞳が生み出る。神秘に狂えば、悪夢に囚われて月の眷属となることだろう。

 

「それで遠坂さん……脳を見た雰囲気、貴女も?」

 

「……まぁ、そうだけども。思索実験のサンプル欲しさに、適材を拉致して悪夢に監禁するヤツの所為ね。

 私の場合は夢でうっかり繋がって捕まった沙条とは違って、何処ぞの魔術師がアインツベルンの聖杯鋳造技術を盗んだ上、冬木の聖杯が解体される時に全てを盗み見して、チェコで聖杯戦争が起きるって聞いて行ってみれば……いやもう本気(マジ)で凄い大惨事だったわね。

 聖杯がヤーナムの悪夢と繋がってしまってねぇ…………結果、凄まじくエグい紆余曲折な悪夢を経て、魔法の観測する瞳を得たから変な話だけど」

 

「その犯人って人形師の魔術師一族、ミコラーシュ家の人ですね。カルデアにも、所長がスカウトした魔術師って事でいました」

 

「―――そいつよ、そいつ。その神秘学術者。

 集めた魔術師と召喚されたサーヴァントを全員、上位者の悪夢に捧げたのよ。冬木の責任者として視察に行けって言う時計塔の圧力もあったけど、魔術師としての好奇心と責任感もあって行ったのが悲劇の始まりだったわ」

 

 チェコで行われた惨劇の悪夢――聖杯戦争。

 盾騎士が今この時、垣間見るのは英霊達が獣性と啓蒙に汚染されて召喚されるサーヴァント体。そこで勝ち残った魔術師は聖杯を手にする事は有り得ず、全ては主催者が益を得る為だけの魔術儀式。全人類をより上位種族へと脳機能を深化させ、知性人類種として今より進化させる外法の企み。

 サーヴァントの魂で作られた聖杯からの再誕者。誘拐された人々の死体で受肉する英霊の坩堝。

 (ウツツ)(ユメ)を繋げる暗い孔と、響き渡る小さな鐘の音。現実の世界に来た赤頭巾の鐘鳴らしの女。

 抑止力の尖兵が上位者の悪夢と繋がり、人理世界の運営が悪夢の住人共に観測される危機。そして悪夢が再誕される者の脳から漏れ出て、人理のテクスチャが編纂される事態に陥る寸前。

 

「結果、根源観測する破目になった。まさか、こんな棚から牡丹餅みたいな展開で見てしまうなんてね」

 

「うーん、ちょっと二人とも。衛宮士郎、起きたみたいだけど?」

 

「そう。え……そう!?」

 

 会話に割り込んだ全能者の言葉で魔法見習いと盾騎士はリビングの扉を見た。直後、そこが開く。病んだ顔色の男が一人、静かに無言で入って来る。

 貌に黄色の亀裂が入った呪詛姿。しかし、直ぐに魂を冒涜する邪色は消え、褐色の肌へと幻視のように戻る。

 果たして本当に彼が衛宮士郎なのか、古くからの友人である凛には疑念しかない。そんな彼を寝易いようにスウェットに彼女は着替えさせていた筈だが、何時もの魔術礼装服に着替えてから下りて来ていた。

 

「…………」

 

「おはよう。衛宮士郎」

 

「あぁ…………君、沙条の姉か。彼女から話は聞いている。家でニートをしているバカ姉とね」

 

「その通り。で、貴女はそのバカから助けて貰った訳だけど?」

 

「感謝する。賢者は俗世から離れて引き籠るのが定番だが、君もその通りだったようだ。

 とある聖者に人間は基本、ニートであると聞いた過去がある。今に満たされているのであれば、それ以上を望むのは全て欲望であるとね。

 彼に言わせれば、この出来事も全て間が悪かったのだろう。

 あぁ、割り切ってしまえば良い。出なければ、足を使って進めない。己が感情など、その程度の問題だろう」

 

「あら、本物の聖人で出会ってるみたい。その出会いはきっと貴方にとって有意な出来事だわ。

 本当に間が悪かったのね。私も似た境遇だからすごく分かるわ。間が悪かったから、この世界の私では何もかもが上手く運ばない。

 如何でも良い誰かを私だけの王子様にしてみようとも考えたけど……運命の出会いって、そうじゃないじゃない?」

 

「成る程。君の運命は、私の運命に塗り潰されたと言うことかね」

 

「あら、マウント行為ね。騎士王マウントとか、命の恩人な私に取っちゃうの?」

 

「すまない……」

 

「暗い男ね。まぁ、あの惨状で明るい男より良い男だけど」

 

「どうも、記憶があやふやでな……あの色魔をこの手で殺したまでの事は覚えているが、どうも後は夢うつつだ。

 特に藤村大河とその息子をこの手で殺した光景……いや、私が殺したのだが、オレが殺した。そう、殺したのは確実だ。気持ち良く、殺したんだったな。この世で一番の快楽だった。愉しかった、楽しかったし、楽しかった。

 誰かを救えた時よりも―――嬉しかったんだ。

 理想を叶えるより、願いに届くより、人生が報われた気がしたんだ。

 遠坂、人類にとって救いとは事なのかもしれん。そう思えるような夢を見ていた様な気がする」

 

「―――それ、呪いよ……ごめん、衛宮くん。

 私じゃ多分、その呪いを解けないわ。あの尼僧は殺すけど、永遠に貴方は呪われ続ける」

 

「そうだろうな。だが、オレはこの呪いを克さなければならない。罪悪感を幸福感に転換する呪詛が脳に巣食い続ける限り、弔いも償いも始められないからな」

 

 魔術師殺しの錬鉄者(エミヤ)が尼僧を殺したのは事実だろう。だが、その死が呪いとなって彼の魂を蝕み、そもそも尼僧は不死身の快楽人間。死ぬことも快楽に過ぎず、夢から醒めるように蘇っただけの話。

 人殺しを愉しみ、人助けも嬉しい。苦難を喜び、受難が心地良い。

 ある意味、無敵な救世主だ。極限の善悪両端を至上の快楽とする魂は、心折れる事が在り得ず、ゴールがない旅路を永遠に歩き続ける事が可能となる。

 

「いえ、遠坂さん。殺生院さんの呪いは解けましょう。私の錬金術と霊媒術があれば可能です。しかし、また別の呪いが生み出ています。それも殺生院さんが仕込んだ悪辣な呪いなのでしょうが、今よりかは良い状態ですので……いいえ、良いも悪いもないのですが。

 とは言え、それでも殺生院キアラは殺します。

 彼女の血を使い、錬金術にて解呪薬を作りましょう」

 

「だったら、それで良い衛宮くん?」

 

「構わない。あれには、償わせなければならない。不死身だと言うならば、幾度でも殺し、殺し、殺し続け、魂が砕けるまで殺し尽くすのみ」

 

 冬木は、悪夢と化した。炎海に沈む新都。戦後日本最大の暴動が起き、暴徒が街中で略奪行為を伴うデモを行い、警察官が惨殺される事件が多発。魔術災害によって火の海となったのではなく、民衆による集団ヒステリーが起こした放火事件が重なり、街全てが薪となって燃え上がった。

 法律上において、民間宗教団体―――と見せ掛けた魔術結社。

 実体が明らかになった今、殺生院祈荒を宗主とする組織はカルト教団としての本性を外側にも現した。

 

「さらばだ、桜」

 

「先輩……今まで、ありがとうござい……ました。姉さんに、どうか……わたしの遺言を……」

 

「あぁ、わかっている」

 

「すみま、せん……」

 

 家族の首を切り落とし、正義の味方は虐殺者による殺戮を喰い止めた。尼僧に洗脳され、影で人々を踊り喰いし、殺戮の限りを尽くした蟲の魔女は死に絶えた。

 洗脳された死徒、受肉した英霊、封印指定の魔術師。教団に所属する戦闘部隊は多種多様であり、二代目魔術師殺しのエミヤからしても強敵揃いだった。彼と同じく、尼僧からの凶悪な呪詛を魂に宿し、人域の臨界を超えた神仏の力量を持つ超越者たちが、強い魂を持つ筈の化け物らが、殺生院と言う女怪一人に全てを支配されていた。

 間桐桜もその一人。しかし、死の淵で一時だけ自我を取り戻し、自分を殺す相手が衛宮士郎で良かったと安堵して、彼に涙を流しながら微笑み、斬首を安らかな気持ちで受け入れた。

 

「桜、サクラ……ッ―――桜、桜、桜!!」

 

 彼女のまだ温かい生首を抱き締め、魔法使いは涙する。その背後から盾騎士は全てを見届け、盾の取っ手が砕ける程の力で右手を握り締めた。

 

「安心して下さい、遠坂様―――奇跡はこれ、この通り。

 既に神の理を私は手に入れています。死は終わりでなければ、別れでもありません。唯の良く在る日常風景なのです」

 

「―――貴様……」

 

 人間が知性と常識を持つ以上、頭を下げずには要られない究極の慈愛。菩薩の化身としか見えない微笑み。あらゆる獣性が克服され、全ての狂気が癒される至高の愛。

 殺生院祈荒がその惨劇に微笑み―――間桐桜は、何の前触れもなく蘇った。

 正に、悪夢そのもの。奇跡が神仏の手で行われるべきならば、それは神のみの御業であり、それの現実は在ってはならない出来事。

 死人が蘇生するなど―――許されない。

 何の覚悟で、衛宮士郎が家族を殺したのか。

 何の遺志で、間桐桜が殺される想いを固めたのか。

 何の決意で、遠坂凛がこの地獄に耐えたのだろうか。

 嘗ての聖杯戦争、衛宮が見届けた英雄王による子供たちへの陵辱。魂の尊厳を穢し続けた十年の悲劇。ギルガメッシュが供物の喰い残しと見捨てた同胞たちの死と、その無念なる日々。

 後悔を失くす為に、奇跡に頼ってはならない。この手でギルガメッシュを上手く手懐けていた神父を殺した日を彼は忘れず、意図せずとも理想の為の殺人は復讐も遂げ、旅に出る決意を固めた運命の出会いからの数日間。

 ―――冒涜、だった。

 何もかもを穢す菩薩の後光、それが照らす悪意ある神の奇跡だった。

 

「…………安心して下さい。間桐様はこの通り、蘇りました。貴方がその手で殺した命を、私だけは元通りにして差し上げましょう。

 勿論、あの教師とその息子も蘇りましょう。

 何と言う完璧な贖罪でしょうや。殺人の咎を完全に償えるのは、この世でたった一人の真人間たるこの私だけ。正しく、魂の絡繰を理解した私にしか出来ないこと」

 

 首と身体が霊子(ソウル)に分解されると同時、根源の星幽界から情報がソウルに読み取られ、息の根を止めた筈の時間が巻き戻ると同時に魂があの世(根源)から再誕した。凛の腕の中で間桐桜は、全く元の儘の状態で、洗脳も解かれた状態で、蘇生してしまった。記録一つ喪わず、完璧な魂と精神で。

 それは洗脳化で犯した罪に対し、罪悪感を覚える知性に戻ったと言う事。

 多くを殺した。楽しく、殺した。男を犯した。女も犯した。子供も犯した。老人も犯した。魂を、影の中で咀嚼した。色欲が働けば、本当に犯してから殺した。

 

「ぁ……ぁ、ぁぁあ、あ―――ぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 

 自我の否定、意味消失―――精神崩壊。

 正気だからこそ、狂気を前にまともではいられない。遠坂凛の腕の中で命を取り戻した桜は発狂し、血の泡を吹き出し、赤い色の涙を流し続けていた。

 素晴しき哉、神の奇跡―――死者蘇生。

 人間が辿り着くべき遥か未来でも在り得てはならない業。不老不死と同じく人類種の歴史にとって罪深い理由が、此処にて実例を以って証明された。

 

「ふふ……うふふふふふふ―――あぁ、魂が高まりますわ。

 人では、人を救えませぬ。死人を甦らせる程、己が魂を極めても。人域を超えた境地に辿り着こうとも。無論、無の果てにて世界を始めた根源に辿り着こうとも。

 神が人を救えない様、神の如き業を得たとしても、人間では決して人間は救えませぬ。

 正義の味方と成り果てた衛宮様、その様な世を前に、貴方は如何にして理想を語りまする?

 この私でも貴方の理想は不可能だと嗤いまするのに、人の魂さえ救えぬ貴方が何故、人を一人でも救いたいなどと夢見ることが出来ましょうや?

 故―――素晴しき、その様の姿!

 貴方はせめて、己が魂だけは自由自在で在るべきだと私、慈悲の念から想いましたのよ?」

 

 死から黄泉がえり、狂い死ぬことも許されない桜の姿。錬鉄を繰り返して鍛え上げた鉄心に罅が入る。いや、その鉄心が嗤い始める。

 嗤う鉄心が―――殺せ、と泣き叫ぶ。

 殺せ。殺せ。殺せ。ただ殺せ。ただただ殺せ。残虐を尽くして殺せ。惨たらしく絶命させろ。

 

「ぉぉおおおおおおおおおおおおおおおおお―――!!」

 

 愛用する干将莫耶の双剣が理念を喪い、今の新たな理念を基に骨子が組み替わる。人殺しの性能を高め、銃火器の概念と狂い混ざる。あの鍛冶師が抱いた想いが、錬鉄の固有結界の中で冒涜され、新たな殺戮兵器が投影された。

 ―――射ち殺し、斬り殺し、惨く殺す。

 三種の暴力で以って殺人を為す。銃式干将莫耶の真髄である。

 

「あら、私を殺せば――――あの御婦人、蘇りませんよ?」

 

 嗤う鉄心を人間菩薩は更に嘲り嗤う。千分の一秒でも迷っては隙となり、その隙を狙える尼僧からすれば今の錬鉄者など殺し放題。その上で尼僧の瞳から放たれる精神汚染干渉は彼の魂を掌握し、自我を粉々に破壊することで身動きを封じた。

 故に盾騎士は、敵殺害を我慢する精神が吹き飛んでいた。もう自制心を消していた。殺意が、自分の中のあらゆる感情を塗り潰していく感覚を味わっていた。

 茫然自失となって現実逃避と尼僧からの呪詛で固まる遠坂は全く動けず、尼僧によって究極の死徒へ転生した人狼妖精(ガット)デミ・オルト(ファーン)の二体が全能な筈の沙条の足止めに成功し、助けに動けるのは盾騎士だけだった。

 機械仕掛けの銃字盾を変形。まるでロケットの噴射孔にも似た砲門。

 それは飛行機の噴射機関(ジェットエンジン)に匹敵する威力の火炎噴射器。

 炎をばら撒いて人間を焼死させる火炎放射器ではなく、火の熱波を噴射する名前通りの殺戮兵器であり、破壊力を伴った火炎熱波による対軍戦術兵器でもあった。同時に左腕の義手も変形させて火炎放射器形態にさせた。

 即ち、二腕二砲の火炎攻撃。右手の火炎噴射器が問答無用で物体を融解破壊し、左手の火炎放射器が神秘で以って生命力を細胞ごと焼き殺す。

 

「良いサウナの熱波です。今、日本だと流行りですからね」

 

 ピシリと構えた尼僧の右手の人差指と中指。結界術を使う呪文を兼ねた自己暗示(ポーズ)であり、徳を修練で高めた僧侶に相応しい防衛力を持つ結界と障壁の多層防御膜が火炎を防ぎ切る。尼僧に届いたのは空気を熱した風に過ぎず、その言葉通りサウナ程度の熱さなのだろう。

 その儘、熱量を自身の魔力(ソウル)を混ぜ込んで球体に固定。

 更なる高温状態にし、火炎球をプラズマ状態に移行。

 盾騎士にプラズマボールから多数の炎弾が飛来するも全て盾で防ぎ、そのままシールドバッシュの突撃。

 バカの一つ覚え―――と、侮るほど尼僧は幸せな頭脳を持たない。前回と違う戦術を考え付いていると予想し、相手もまた自分の技量を見抜いていることも理解している。

 盾騎士は自分を盾の陰に隠し、義手から仕込み槍を展開。偉大なる盾使いの槍兵から学んだ戦闘術が身体を動かし、盾の動きに対応する尼僧の迅速さに合わせた刺突を一閃。

 だが、尼僧の戦術眼と体術は人域を凌駕した業。その矛を強化した人差指で優しく受け止め、そこから更に電撃を盾騎士へと流し込む。しかし、その義手は医療教会工房の変人アーチボルドの設計によるトニトルスを受け継いでもいる品物。ラテン語で雷を意味するトニトルスと同じく、雷電もエネルギーに変換する義手は尼僧からの電流を吸収し、逆に発電。

 そのエネルギー全てを瞬間変形した義手光刃(ムーンライト)に注ぎ、カウンターの迎え斬り。しかし、同じく腕を暗黒色に発熱させた手刀を尼僧は繰り出し、盾騎士の義手光刃を迎撃。

 カルデアのムーンライトとロンドールのダークスレイヤーが衝突し、だが軍配は尼僧に上がる。盾騎士の義手は弾き飛ばされ、体幹が乱れることで体勢が崩れ、また心の臓腑を抉り触って悦に浸ろうと尼僧はほくそ笑む。胸に手が伸びたその瞬間、盾騎士はまるで獣のように歯を立てて腕に噛み付き、肌ごと肉を噛み千切る蛮行的一手を選んだ。

 それに尼僧は意外性から少しだけ驚く。盾騎士はそんな敵の顔面へ目掛け、義手の掌から炎を大発火。その一撃を受けて蹈鞴を踏み、隙から作った更なる大きな隙を狙い、魂砕きの銃字盾を最速最重の筋力で薙ぎ払う。だが尼僧はあろうことか足技で盾を踏み台にして蹴り上がり、一気に距離をとって安全圏に退避した。

 

「まぁ、何と言う荒々しき接吻。

 そわかそわか。私、とても心が躍ります」

 

「相変わらずの、無敵な変態っぷりです」

 

「何を言っているのやら……と、無知な獣でしたら怪訝に思う言葉でしょう。あぁですが、今の私は魂の悟りを得た人間となりました。

 カルデアに、デミ・サーヴァント計画。人間性を無視した人理編纂の所業。

 悍ましきは星見の魔術師でありましょう。獣性も所詮、人理を尊ぶ人間性の前では知的好奇を満たす食材でしかなく、貴女様の世界において私は魔神柱に洗脳された唯の贄。

 何と言う悲劇。残虐なる末路。余りの憐憫に、この平行世界の私を比較してしまうと、己への愛玩で昂ってしまいます。

 ―――快楽の獣。気持ち良き哉、獣性の悦。

 その名を得られたのは、正に清きカルデアの皆様方の御蔭でしょうや!」

 

 食い千切られた部分を尼僧は自分の舌で舐め、清純な処女のように間接キスの気恥ずかしさで頬を赤らめ、蕩けた瞳を盾騎士に向ける。それは地球を融かす程の、快楽の魔眼による精神汚染だ。知性生命体ならば、異星人だろうが、性行為を本能に持たない人類種だろうと、決して逆らえない魂への干渉。

 盾騎士は自分が蕩けるのを実感する。そして、本能が蕩けた儘に機械的な理性が肉体を問題なく制御する。根源接続者の沙条だろうが魂から発情して身を振わせる魔眼の絶対性だと言うのに、聖騎士の円卓盾に選ばれた乙女だった女は自分自身の精神性そのものを今も絶対の守りとした。

 

「あらあら、うふふふ。何とまぁ……まさか、マシュ様は不感症なのですか?」

 

「その名、今の貴女が呼ぶのは万死に値します。ただ、キリエライトと呼ぶように。

 それと殺生院キアラ、貴女のそれは所詮、私からすれば生理現象を刺激された悪戯程度に過ぎません。気持ち良いですが、別に快楽など己に念じれば我慢出来ますから」

 

「流石は、獣狩りの盾乙女。狩った獣性は全て克服済みと言う訳ですね」

 

 戦いは決着が付かず。流石の全能者も、真祖狩りの真祖に匹敵する妖精もどきと、嘗て灰が地球外生命種から人類生存圏を守る戦いで偶発的に得た細胞で変異したデミ・オルトが相手では殺し切れず。自意識を自力で何故か強引に取り戻せてしまった宝石の魔女も参戦したが、デミ・オルト一匹を高次元干渉攻撃で細胞一つ残さず完全抹消するのが精々であった。

 しかし、その代償は余りにも大きかった。新都はほぼ壊滅し、電波障害で冬木市の電子機器は全て破壊され、文明都市圏としての機能を完全に失った。無論、人命は数千単位で消え去り、戦後日本において未曾有の人災として記録された。

 カルト宗教団体の暴動だったデモはテロリズムと認定され、対日過激派テロ組織が小型核爆弾を使った事による人類史初のシティジャック事件として歴史に刻まれる事態となった。その為、あろうことか実際に協会は裏工作で核爆弾製作の証拠を偽装し、過去最大の神秘漏洩を防ぐ隠蔽工作となってしまった。

 

「あぁもう完全に終わりだわ。冬木のオーナーとして終わったわ。こうなってしまえば、魔術師の家名として名誉も糞もありゃしないじゃない。

 最悪……マジ糞ったれ。最低に最悪な災厄だった。

 時計塔からは落とし前所じゃない呼び出しがあるに決まってる。そもそも、どんだけの費用が裏工作に使われてしまったのかしら……宝石剣、何十本分……まさか百本単位よね。千本単位は行ってないわよね?」

 

「これで貴女も逃亡生活。衛宮士郎と同じ封印指定の決定は確実よ?

 勿論、根源接続がばれちゃった私と、神代の神秘が使えるのが漏洩した殺生院も封印指定された上、教会からも真性悪魔と認定されそうだから逃亡生活になりそうね。

 ぶっちゃけた話、安全な平行世界に逃げた方が手っ取り早いわよ。

 私はその気になれば記憶操作と記録改竄で、教会も協会も操って何事もよしなにしちゃうけど」

 

「―――黙れ、全能ニート。

 そもそも何でアンタみたいな奴が冬木市に潜伏生活してんのよ!」

 

「場所台のお金、ちゃんと家から払ってたじゃない。沙条家は文句を言われる筋合いないのだけど」

 

「そのマネーも今回ので全部、パー!」

 

「私に当たらないで下さる? 淑女として見っともない」

 

 争いは同等の物同士に起こるもの。言い争いも同様であり、知性持つ者が我欲で動けば思考の次元が如何に高くなろうが、口喧嘩程度は勃発する。交渉の主導権を奪い合う為、名誉と清楚をチップにしたマウント合戦が今、二人の淑女同士で始まろうとしていた。

 多分、この惨状から現実逃避したかったのもあるだろう。本当にもう何もかもが出遅れとなり、どうしようもない状態になっていた。

 

「お二人とも、私が弱いばかりに……すみません」

 

「あー……別に、そんなことを思ってないわよ?」

 

「そこの全能者は嘘吐かないし、私も思わないわ」

 

 衛宮士郎はあの後に甦り、撃ち込んだ弾丸から尼僧の体内で剣製の固有結界を展開。特に治癒阻害が屈折延命の効果を持つ概念武装で全身を切り刻むも、死から生へ悦びながら帰還して、更なる情欲をエミヤに向ける始末。そしてあの人間菩薩を確実に始末する為、正義の味方は菩薩の呪詛を悪用することで反転し、悪の敵となってしまった。

 彼の精神が蘇生した理由がそれ。よってエミヤシロウは嘗ての人間性を理想へ捧げる事で正義を喪い、人を失い、だが人を超えた正義の執行者に深化した。呪詛による洗脳を、無理矢理に自分で自分を洗脳する呪いにしたのが原因だろう。

 

「でさ、これから二人はどうする……?

 私は僻地に魔術工房でも作った後、まずは桜と二人で生活するわ。幼児退行してしまったから面倒見ないといけないし、呪いでもう年を取る普通の人間の儘でもいられないくなったし。

 生活がちょっと落ち着いたら、あの外道色尼殺しの旅には出るつもりだけどもね」

 

「あら、良いの? 貴女が死んだら、桜の面倒を見る人がいなくなるけど?」

 

「―――……」

 

「その目、まさか非人間でしかない私に期待でもしてる?

 自分で言うのもあれだけど、恋に恋して男の事情を考えない盲目の間抜けなんて、そもそも人間失格レベルの駄目女じゃない。

 未来を見たくないからと、現実の今も見えなくなってしまうのが私の本性」

 

「その欠点、克服した貴女だと思うけど?」

 

「同じように欠点を克服した殺生院が、今のあの様よ。

 あいつと私、何も変わらない人間性の持ち主。何か一つ違ったら、私は同じことをしている未来を持ってるの」

 

「藤村先生たちの墓も守りたいし、貴女も妹の人生に一回程度は助けになって上げれば?」

 

「まぁ迷惑掛けてばかりだったし……バカ姉バカ姉言って今も見捨ててないし……はぁ、仕様がないわね。

 根源に接続することで失ってたけど、肉親への情ってヤツは厄介だわ。助けと言うか、何と言うか、ちょっと時計塔と交渉して不干渉条約でも結んでおくわね。そうすれば私の妹は勿論、貴女の妹も協会からチョッカイを出される心配はないかも。

 私も私で都合が付いたらそっちに合流しましょう。その後はまたニート暮らしをしましょうか。まさかこの私が自宅警備員ならぬ自宅介護師とはね。神秘を極めても現実は世知辛いわ。

 人理が運営する今の現代社会で根源に至ってもメリットなんてないのに、魔術基盤一つ満足に極められない魔術師って生き物は本当に不思議」

 

「そう。協力してくれるのは感謝します。勿論、心の底からね」

 

「どう致しまして、宝石の魔女。

 それでキリエライト、貴女はこれからどうするの?」

 

「旅を続けます。私の居場所はこの世界にはありませんし、元より根無し草ですから」

 

 殺す。必ず、人間菩薩は殺す。あるいは、死ぬ瞬間を見届ける。一度殺すと決めたなら、盾騎士は必ず相手が死ぬまで足掻き抜く。一度で死なないなら、その精神が摩耗するまで幾度でも。

 彼女は魔法見習いと根源接続者に別れを告げた後、再び一人旅に出た。意表を突いてまだ尼僧が日本に潜伏していることを考え、日本の噂ある地域を彷徨い歩くことに決めた。敵も自分も寿命はなく、時間だけは膨大に余っている。死と言うゴールが消えてしまった人生においてだが、長い時間の掛る目的が出来た事は不幸の中での幸運だったかもしれない。あるいは、あの尼僧もそれを目的にしていたかもしれない。

 通常の現代乗用車形態に外観変形させた装甲車(ボーダー)に乗り、彼女は日本の整備された道を暗い目をした儘、制限速度を律儀に厳守させて走らせていた。

 

 

 

□□□□<◆>□□□□

 

 

 

 カルデアのない人理の世。そこにも異邦者がいる可能性は非常に大きい。盾騎士はソウルで惹かれ合ったのか、その女と日本国の片田舎で邂逅してしまった。

 

「それはそれは……何とも、奇怪な人生を歩んでいるようですね」

 

「火の無い灰。貴女にだけは、憐憫されるのが不愉快になります」

 

「とは言え、私ではない私による罪のようですからね。この私に関係はありませんが、だからと貴女と無関係になるのは私の魂にとって損失に成り得ます。

 ……ふむ。面倒事は複雑怪奇な程、愉しいと相場は決まっています。

 良いでしょう。キリエライトさん、貴女を私の弟子にします。きっと楽しいに違いありません」

 

 確かに、自分が知る灰ではない灰だった。見た目は異なり、魂も違う人間。勿論、性格も全く異なり、こんな事を言うとは欠片も盾騎士は思っていなかった。

 

「―――は?」

 

「原罪探しに今の私はアン・ディールを名乗っていますが、貴女の認識に合わせて改名しましょう。名前など幾ら持っていても構いませんしねぇ……ふふふふ。そうですね、どうしましょうか?

 ―――ココロ。それが良いですね。

 今から私はココロ・ハイミヤと名乗りましょう。どうです、日本人名らしい響きでしょう?」

 

「いえ、別に呼びませんから」

 

「漢字にしますと、心理のシンでココロと読み、ハイミヤは遺灰の灰と宮中のキュウで宮となります。ですので、キリエライトさんと出会ったこの瞬間より私は日本人女性、灰宮心です」

 

「だから、嫌ですよ。呼びません」

 

「仕方有りません。では勝手に、藤丸立香と名乗りましょう」

 

「宜しくお願いします、灰宮心さん」

 

 そこから盾騎士は、特に意味も無く殺し合いの訓練で一日に何度も死ぬ事になる。何を灰は盾騎士の内側から見出したのか、異様なまで彼女が強くなる様に御節介を完全焼却するように焼き尽くす。それはもう御節介を焼き捲くった。

 その結果、同然の如く盾騎士は強くなった。自分のソウルを吐き気がする貌を浮かべる彼女へと無理矢理に喰わせ、灰は愉し気に盾騎士を育てていた。

 

「強くなりましたね。この段階でしたら、貴女のやる気を出す為に少し自分語りをしましょう。

 確か、日本だとこう言うのが流行ってましたよね。隙有れば自分語りをするのを、ネットと言う架空公共空間でナルシストと詰るのが民衆の愉しみらしいですしね」

 

「はぁ……? ネット、貴女みたいのがするのですか?」

 

「勿論です。あの手の他空間交流、好きです。スマートフォンは文明人の必需品。世界情勢など一年経てば古代史になる進み具合の人界にて、電脳空間は大切な世界です。それと昔、真っ当に火の無い灰をしていた頃、とある地面をメモ書きの掲示板代わりに使い、他世界の灰の皆で書き込みお喋りとかしてましたからね。

 お、話が飛びました。ではそうですね、まず殺生院祈荒の人類文明に対する有能性について語りましょうか」

 

「あれの、有能性……?」

 

「ええ。まず、彼女は人類種と地球を救世しています。カルト宗教に相応しい胡散臭い救世主でありますが、彼女は本当に何もかもを救った真実の救世主です。

 敵性外来種の宇宙生命殲滅に彼女の魂が必要だから、私は彼女にソウルの業を教えました。尤もそもそもな話、そうなれば人理によって剪定事象が起こりますので、正確に言えば人理より此処の平行世界を守ったと言えるのでしょうが。

 あ、人理云々はとある別平行世界の灰から聞きました。

 のんびり大昔から神秘研究と自己鍛錬をしてましたが、まぁ此処は面白い人代の人界ですので、助けられるなら助けようと思いましてね」

 

「あぁ……で、オルトですか?」

 

「はい。序で、未来にて迫るアリストテレスの魂も融かして頂こうかと。

 いやはや、ある意味で恒久的な世界平和の実現です。この惑星を喰い潰そうとも此処の人間の皆さんは存分、人間同士で安全に殺し合って頂ける状況になりましたね。

 そもそも、私たち灰は人類種の進化が見たい知性体です。

 行き着いた最後の最後、自滅以外の滅亡などつまらないにも程がありましょう。況して、外的要因で滅びるなんて魂が苦痛に悶えもしません。

 結果、我が究極の弟子は魂を自慰道具にする人間菩薩と成り果ててしまいましたが、剪定事象を引き起こすことはないでしょう。何よりも剪定事象によって生まれた無数の残骸の上で汎人類史を謳歌するこの人類種、そもそも犠牲者の文明圏拡大の素材にするのが通常の生態系ですので、ただ生きているだけでも罪深く、罪深くなければ人間に非ず。となれば、あれが快楽を得る為の贄になって頂き、尊い犠牲者として何時も通り汎人類史に貢献して貰いましょう」

 

「……――――――」

 

 苛立ちが凄い事になり、湧いた殺意が瞬間沸騰したので盾騎士は殺しに掛ったが、パリィされた後に致命攻撃を受け、倒れ込んだ死に体へ更にソウルの結晶槍を叩き込まれて死に絶えた。蘇った直後、おかえりと気軽に言う灰を前に盾騎士は瞳が死んだ魚のように濁り、また対面に座り込む。

 実に、灰は愉しそうだった。人殺しを心底から愉しむ異常者ではあるが、人理から人類愛を学習することで人の業を愛する心を手に入れていた。

 

「酷いことをしますね。殺されるような侮辱を貴女にしたとは思いませんし、そんな程度の悲劇、此処なら日常だと思いますが?

 百年以上はもう生きている筈ですので、邪悪でなければ存在出来ないのが人類種だと分かっているのに。戦争を繰り返し、略奪を繰り返し、殺戮を繰り返す歴史を目撃していましょう。その当事者を殺し尽くせる手段を持ち得ながら、それを放置した貴女が、たかだか塵の如き国益を神託だと崇める無能者以上に、あの殺生院を殺そうとするのは道理ではない。この程度で怒りを表すのであれば、地上全ての国家を解体し尽くし、貴女が悲劇のない社会を作れば良いでしょう。尤も、その為には殺戮と破壊が必須になりますが。

 等と言いつつ、私も貴女も人間です。分かっていますとも。

 間違いだと理解して間違いを犯す自由が、人間の魂にはなくてはなりません。

 あの女の業が未来にて人類種を守護すると知った上で、貴女は彼女を狩りたくて堪らなく、我慢することがどうしても出来ない訳です」

 

「だったら、大人しく殺されて下さい」

 

「報酬は此処までです。殺生与奪の権利など不死には無価値ですが、態と殺されるのは自害と同じです。自殺は趣味ではありませんので」

 

 新宿、高層建築物。表向きは違う名があるが、魔術師たちが殺生院ビルと呼ぶ神代回帰の為の儀礼塔。どうやらエミヤによって殺戮が引き起き、爆破され、倒壊してしまったらしい。世界の何処かに潜伏していると世界各国の政府機関が政治犯殺生院を探してはいるが、まさかの潜伏場所が東京都新宿区であり、更には違うテロリストによってビル爆破によるテロ行為が行われることになった。

 片田舎の一軒家、灰が作った朝食を二人で食べていた盾騎士は、大雑把な朝のニュース番組で表向きに改竄されたその情報が出回ったのを確認した。

 

「噂にも聞くし、貴女からも聞きましたが、エミヤと言う男は派手ですね。あんな街中で高層ビルを神秘で以って爆破するとは。

 殺生院の活動拠点を放置すれば、確かに被害者は数百倍。あの女の性欲発散の為に死ぬ人数を考えれば、百人程度の犠牲者は安いものですね」

 

「命に、安いも高いも……いえ、私には天秤を批判する資格はありませんでした」

 

「人理に尽くした挙げ句、不死ですからね。とは言え、命を比較する行為は悪ではありません。

 さて、今日は農作業の日です。キリエライトさん、畑にレッツゴーです。私の方はハーブ園と茸小屋での作業がありますので、京水茄の収穫をお願いします」

 

「はい」

 

 何故、こんなことになってしまったのか。疑念が脳に寄生する葛藤は生まれ、山中の樹海の中、手入れをする茄子畑に向かう。

 場所は日本国東北地方某県某山中の隠れ里。嘗ての戦国時代、大名葦名一心が統治していたが、内府軍に滅ぼされた土地であり、更に盾騎士と灰がいる居場所は濃密な神秘によって現代文明からは隔離された異界でもあった。

 そんな跡地にて、きのこ人が一人。京水茄子の畑に辿り着くと、盾騎士は灰の茸小屋から脱走した茸型知性体が口を開けて畑の作物を静かにゆっくり拾い喰いしていた。また人間性による実験の所為か、脱走個体は茸からの更なる人化により変態し、魔術世界的には暗黒茸魔人と言う意味不明な知的生命種となってしまっていた。そんな並の宇宙人よりも外宇宙的な風貌のUMAきのこが、ナスをただただた食べていた。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そこに葦名山に生む魔獣化巨大熊も現れる。管理が緩過ぎる灰の牧場から脱走し、未だに確保されていない一匹だろう。

 通称、ダークベア。灰が暇潰しで創造した悪意ある知的幻想種。

 正式名称、暗黒月輪熊(ツキノワグマ)。自らの創造主である灰を滅殺する為、そして実験と称して異形の化け物になって死んだ熊仲間たちを仇を討つ為、暗い血に凶悪な怨念の遺志によって適合し、人化してしまった彼女は実験施設から脱走した復讐熊である。

 

「―――……」

 

 暗黒茸人と暗黒月輪熊が殺し合い、仲良くなり、十分後に灰抹殺の為に手を組む光景。光学迷彩で透明化した上で気配を遮断していた盾騎士は、ソウル実験成功体が脱走した挙げ句、その被造物に恨まれる灰の自業自得な復讐劇を特に手を出すことなく見守るだけに留めていた。

 そしてソウルの業を源とした魔術基盤の独自魔術により、擬態魔術で魂のカタチを変形させ、肉体を人間形態に作り替える一本の茸と一匹の熊。既に現代社会に適合しているのか、人化した儘に山を下る方向へ進んで行き、この人外である筈の二体は人里へと下りて行った。

 

「んー……と、そこはかとなく地獄ですね」

 

 独り言を呟き、盾騎士は空を見上げた。時間は正午少し前、太陽が浮かんでいる。だが此処は灰の魂が支配する異界常識内部であり、その太陽はその空間内における神秘たる太陽。灰のソウルが夢見る異界であり、神代以上に意味の分からない神秘濃度となり、植物性の巨人が傍を歩くことで丁度盾騎士が居る場所が影に覆われた。

 此処が何故、現代日本……と疑念に脳味噌が支配されつつ、彼女は当初の目的である京水茄子の収穫を再開する。

 源の宮から流れ落ちる滝の水で育てられる茄子畑。近くには多腕の水棲奇形腫が村落を形成し、悪霊と怨霊が物理的に実体を持って彷徨い、地面からは亡者が地獄から抜け出る様に溢れる。土地神がまだ色濃く存在する所為か、此処の生物は神が住まう食べ物を摂取することで未だ進化をし続け、人間も人間と言う括りの幻想種の一種となるだろう。

 

「きー、うきー……きー」

 

 茄子収穫をする盾騎士が森と気配を一体化させていると、そんな彼女にさえ気配を悟らせない獣が一匹、背後で葦名産太郎柿をムシャムシャと頬張っている。正体は赤兜を被り、股間に褌を巻く人間サイズの白い老猿。腰に概念武装化した安土桃山時代の古い日本刀二本を鞘に入れ下げ、背中には旧日本帝国軍製一〇〇式機関短銃を背負っている。

 余りにも古くから生きる知性持ちの獣。土地神が憑き、長生きの末、現代にて灰に出会ってしまった不運な者、蟲に適応し切れず巨大化することはなく、ただの不老でしかなったのは幸運だったが、葦名を新拠地にしようとする灰の来訪が猿の運命を決め付けた。

 

「き!」

 

 そんな人間臭過ぎる上に獣臭くもある老猿は、盾騎士の肩に手を置いてサムシング。意味は分からなかったが、この猿が縄張りで育てる果樹園の柿を袋から取り出して渡して来たので、恐らくは励ましと憐れみだと言うことは理解出来た。

 人間が獣化した古都ヤーナムの獣より人間らしい、啓蒙高き人化猿。憐憫と言う人間文明の獣性さえも兼ね合わせる人間性(ヒューマニティ)な猿に盾騎士は複雑な気分になるが、この柿は恐ろしく甘い上に美味い。

 

「どうも、です……」

 

「うき!」

 

「いえ、酒は要りません」

 

「うき?」

 

「おにぎりも大丈夫です」

 

「うきー」

 

 人間文化圏を学習した猿は、人を模倣する集団生活を営んでいる。樹木の上に猿用の木製小屋(ウッドハウス)を作り、畑や田んぼを耕し、あろうことか豚や牛などの家畜も飼育いている。神域に達した剣士たるこの白猿は、その村落から賢者ならぬ賢猿として崇められる世捨て猿だが、猿村の外れに住んでいるだけで縄張り内の一匹であることに違いはない。村猿から貢物が多く渡され、この白猿も暇潰しの趣味で行う果樹園栽培の柿を渡し、猿の村からすれば土地神が色濃く残った神秘なる食べ物として愛されていた。

 そして賢猿の名の通り、この白猿は神秘にも通じる魔術師である。むしろ、幻想種として人間以上の性能を、人間以上の知能で使う森の賢者である。旧日本帝国軍の一〇〇式も魔術礼装化され、実はこの猿が気に入って弟子入りさせた灰によってソウルの業も学んでいた。

 あの灰は、やはり何処か可笑しかった。猿にまで、その者を人間にしてまで、ソウルを学ばせていた。

 まるで疫病を流行らせる様、気に入った誰かの魂へ自分自身の分身と言える己が業を教え込むのを好んでいた。あるいは、自分自身を増やそうともしているように見え、この平行世界は灰の暗い魂を継ぐ業の持ち主が多く存在していた。

 神秘は無論、武術や思想も同様だ。

 ソウルの業を含めた己が業を誰かの魂にした。

 盾騎士が知るカルデアの灰と違い、カルデアのないこの平行世界の灰は同じ原罪の探求者で在りながら、思索の方法が全くの別物。不死身の"人間”が多くおり、灰は有る意味で自分のソウルを己がソウルで観測する趣味があった。

 

「―――む」

 

 直後、金髪紫眼の青年が何処ぞから現れた。木製のハンマーのような槌の闇杖を背負い、登山の枝切り兼獣肉解体用の狩人的鋸鉈を持ち、散弾猟銃と護身用大型五連装回転式拳銃を持つ男。完全武装しつつ、戦いの気配を纏わず、まるで空間に人型の暗い孔が空いたと思える異様な存在感。

 そんな男が全くの予兆なく、霧から晴れる様に姿が突如として背後にあった。野生の直感を持つ白猿も、人の気配には敏感な盾騎士も、この男が声を漏らすまで全く気が付かなかった。

 

「あー……え、まさかヴォイドさん?」

 

「む……―――成る程。そう言うこともあるのか。

 マシュ・キリエライト。このオレは初めましてと言っておこう」

 

「はい?」

 

「気にするな。気にする事でもないのでな。では、これを渡しておこう。

 あの灰には君からオレが感謝をしていたと伝えてくれ。とは言え、ヤツからすれば魂の尊厳を人類外から守るのは、この星に住まう人類として当然の善行だと謙遜するのだろうが」

 

「えっ?」

 

「つまるところ、オレはあの人類種の化身たる灰の弟子だ。

 時間が惜しいので、もう異界還りを行う。オレの代わりにオレの言葉を伝えるものが居れば、オレ自身の言葉は無用となる。あの人間も、そのオレの考えを察し、理解する」

 

「はぁ!」

 

「さらばだ。まだこの世界を彷徨うのであれば、邂逅することもあるだろう」

 

「あの、ちょっ―――!?」

 

 盾騎士は手渡された良く分からない未確認生物の生首を見下ろした後、そのまま風に吹かれた霧のように消える異端者を見送る破目になった。挙げ句、まだ魂が宿っているのか、その首は瞬きを行い、音無き声で断末魔の遺志を発し続けていた。

 正しく、茫然自失。何が何だか分からない。

 地獄だと此処を思っている彼女だが、まだまだ地獄の方が分かり易い。奇奇怪怪な異界魔界の坩堝と言えよう。剪定事象の世で知り合いだった知り合いではない奇人が、神代であれば地球人類種が神と崇めるだろう真エーテル炉心な宇宙生命の頭部を渡して来るとか、一体どんな因果でこうなるのかさっぱり分からなかった。

 

「うき!」

 

 盾騎士の肩に手を置き、老猿は葦名太郎柿をもう一つ渡した。彼女の心に、獣からの憐憫が沁み渡った。

 灰から教えを受けた弟弟子である暗黒域人間である彼の事を良く知る老いた賢猿は、何もかもを知りたがる知識欲の塊であり、外宇宙の理を知る故、彼の脅威を正しく理解していた。即ち、正しく理解している為、無害であることも理解していた。

 この人理世界に、この灰が来た理由は必ず意味がある。ロンドール竜学院など作る程、業を広めるならそれこそが灰の探求。盾騎士のカルデアにおける灰は弟子を積極的に作らなかったが、此処がそうなら人間性にとって必要な因果律となる。

 

「しかし、首。なんで、首です……?」

 

 その声に反応したのか、蛞蝓と蛸と象を合わせて奇跡的に人間らしい合作にした生首は、ギョロリと言う効果音が聞こえそうな動きで瞳を盾騎士に向けた。だが意図は分からないが、老猿がその生首の眉間に手刀(チョップ)を下ろすと瞼が閉じられた。

 もしかしなくても、これまだ生きているのでは……と、足指から脳天まで鳥肌が立つが手を離すことはしなかった。

 

「うきっきっき!」

 

「貴方、私より頭が良いのですから教えてくれても良いのでは?」

 

「き!」

 

 喉を指先で叩き、発声機関が人間と違うとアピールする。その後、白猿は地面に指先を当て、異常なまで達筆な文字を土へと書いた。書道家と名乗れる程、綺麗な文体で現代日本語の長文を瞬き程の間にて、指を流れる様に走らせた。

 

『なんじゃろな。あの男、ぶっちゃけ灰も良く理解しておらんし』

 

「そうなので?」

 

『灰曰く、宇宙と交信した地球外人類種と言う話じゃ』

 

「成る程。その詳しい交信内容は知らないと言うことですね」

 

『猿でしかない儂はのう。あの灰は魂を持つ時点で、その魂が分からぬと言うことは有り得んのでな。機械だろうと意志のある魂であれば、その肉体に宿る魂を理解可能だろう。

 なればこそ、此方側を観測した時点で灰はあらゆる暗黒領域を暴き出す。

 可哀想な事よ。たかだかこんな辺鄙な惑星に手を出した時点で、奴等の文明域は人間性の闇に沈む運命に辿り着いた』

 

「まぁ、あの灰はそう言う女ですね。人類に売られた喧嘩、絶対に買って、相手を狩って、人間って言う闇に絶対に還します。

 外宇宙の暗黒領域を如何する気か知りませんが……あれ、その為の殺生院ですか?」

 

『曰く、エロで星を救うのもまた人間性と。

 火の簒奪者として、最大の啓蒙が彼女のソウルだったと申しておったぞ』

 

「うわぁ……うわぁぁああ――恥、です。

 全宇宙に誇れる痴的に知的な生物に人間がなっちゃいますね。宇宙人と星ごとヤれるとなれば、あの人も励みますね」

 

『人間の交尾文化、猿の儂から見ても獣らしいぞい』

 

「遺憾の意、人類種として表明させて頂きます」

 

 等と言い、生首を老猿に渡した後、盾に収納しておいた野菜籠を取り出し、それに水茄子を入れてさっさと去ろうとした。此処に居れば、またどんな珍生物と邂逅するか分からない。白猿が生首に生えた髪を掴んで猿らしく頭上でブンブンと振り回し、クケェェと生首の口から魂を切り裂く怪音が漏れ出る中、ある意味で珍しい銃声が森の中で響いた。

 パンパン、と更に連射される発砲音。そして、木々を薙ぎ倒す破壊音。胡乱気な瞳で唐突に童心へ帰る白猿を見下ろしつつ、盾騎士は溜め息を思いっ切り吐き出した後、その場所へ向かうことにした。この異界山は日本の退魔組織や魔術結社に封印地区に指定されているとは言え、猟銃会の猟師が神隠しにあって入り込んでしまった可能性も零ではなく、民間人が魔物から逃走している場合もあるだろう。

 

「―――惨たらしく、絶命しろ」

 

「■■◆◆◆■――――!!」

 

 灰が生み出した無機物生命体、翼の生えた巨像―――死蝋のガーゴイル。

 対峙するのは黒装束の魔術師、陰陽双剣銃の男―――エミヤシロウ。

 ガーゴイルは超高機動で空を飛びならが動き、両刃剣を舞う様に振り回し、黒い大剣を剣豪の如き巧みな剣捌きで斬り放つ。エミヤは巧みな身のこなしで回避するも避け切れず、体に衝撃が走るも剣化した鋼の肉体が防ぎ、隙を狙って銃弾を撃つも単純に堅いため弾丸が弾かれる。

 対等な戦いとは言えない。戦局はガーゴイルの優勢だ。速度、膂力、技量、体格において巨像が上。エミヤが勝っている点を強いて言えば、戦術と戦略の二つ。ならばと陰陽両刃剣をエミヤが作れば、ガーゴイルも両刃剣を構え、互いに同得物による潰し合いが始まった。

 面倒な事になったと盾騎士が思考した瞬間、戦術が脳裏に浮かび―――ホーミングミサイルを銃字盾から発射。

 破壊力はグレネードに劣るが誘導性に優れ、推進力を維持しつつ標的のガーゴイルに接触。爆薬が破裂することで高温が生まれ、装甲を融かしながら弾丸が突き進み、ガーゴイルの躯体の破壊に成功。だが敵は盾騎士の殺意に気付き、左腕で防いでいた。とは言え、灰の神秘と現代科学に加え、錬金術師のロボット工学によるガーゴイルの体は理想的な超合金性で堅い上に柔らかく、熱波と冷気にも強く、破壊は出来たが腕を千切り取ることは出来なかった。

 その瞬間、ガーゴイルは己の不利を悟る。一瞬で空を飛び、空中から大地へ、大剣から暗黒火炎の飛ぶ斬撃を斬り放つ。

 エミヤは螺旋式機関銃(カラドボルグ)を撃ちながら、後方に跳ぶことで飛来する斬撃を避け、更に盾騎士も銃字盾の仕掛け機関銃を発射。

 十字掃射(クロスファイア)によってガーゴイルが一瞬で蜂の巣にされるも、あろうことか"我慢”することで防御力を向上させることでダメージを強引に軽減。この暗い人の像は人間性の死蝋により、灰から業を継いだ対人兵器であり、人間だった。

 人間の―――魂だった。

 死なず、止まらず、諦めず、決して絶望を受け入れない。

 火の無い灰に導かれた自由なる人の像―――ガーゴイル。

 エミヤに宿る嗤う鉄心が、それを共鳴する。このガーゴイルと全く同じ、人間の死蝋で固まる壊れた剣の魂が奴を殺せと理想を嘲笑う。ガーゴイルも、人間でなくなった自分を嗤う様、壊れた機械人形のようなこの人間を殺したくて堪らない。

 逃がすものか、と双銃遣いは嗤った。

 逃げるものか、と死蝋人像は嗤った。

 投影したワイヤーフックを像に引っ掛けたエミヤは宙に飛ぶガーゴイルに張り付き、まるで葦名の忍びの如き体術で宙を舞う。そして巨像は振り落とす為に躰を高速回転させるも、彼は手の爪を剣化させることで喰い込ませ、その近距離から直接手から魔力を流し込み、その魔力で投影を発動。エミヤの起源たる剣の銃弾が体内から固有結界が限定展開され、ガーゴイルの肉体を今度こそは破壊。銃弾を幾ら撃ち込んでも体内に入らなかったが、これならば片足を捥ぎ取るのに問題はない。

 しかし、空飛ぶ為の翼は健在。ガーゴイルは止まらない。

 盾騎士は銃字盾を投げ、それに立ち乗り、仕掛け展開した火炎噴射器を軌道。更に魔力防御を応用することで魔力の飛行翼を作り、戦闘機の形状を模倣。そのまま星見の義手をムーンライト(光学兵器)に変形させ、突撃する勢いの儘に彼女はガーゴイルを手刀で斬り裂いた。

 しかし、その一閃を死蝋の大剣で受け逸らす。

 敵がまた一人増えた。この葦名の異界において素晴しいことだ。

 いやまだ一人―――否、一匹、宿敵の気配をガーゴイルは察知。

 白い老猿は純粋な己が脚力だけで、魔力も神秘も使わず、生物としての機能だけで空を舞った。腰の鞘から抜いた日本刀を抜刀術で二本同時に引き抜き、あの貴き神たる桜竜の剣技に似た風の斬撃を放つ。そして山に籠もり、剣を振り続けた日々が、剣を振う度にその重みが刀身に圧し掛かる。その斬撃を巨像もまた斬撃を飛ばす事で空中で相殺し、更に天高くへ飛び立った。

 流石に三体一はフェアではない。矜持を持つ故、殺し合いに拘りはない。

 ガーゴイルは重力を操る事で流れ星となり、そのまま異界の何処かへとあっさり逃げ去ってしまった。

 

「うき……きき……!」

 

 特に意味の無い行動だと分かってはいたが、老猿は背負っていた一〇〇式機関短銃を上空に向かって乱射する。苛立ちは即座に発散した方が良い。それが老猿にとっての暴力の悟りであり、雑念を仕舞い込む人間性に相応しい賢者の落ち着きなどに虚無の境地を感じられなかった。筋肉に技巧を乗せた流水の暴威こそ、野生的な闘争の真髄だ。なので銃が大好きな剣神猿は、獣性に従がって銃声そのものに心を奪われるのだろう。

 そのまま腰の巾着袋から太郎柿を出し、一齧り。美味い。葦名の新鮮な水で育った柿の木に実る果実は、猿に生きる活力を注ぎ込む。

 これを食べて元気にならない生き物はいない。そう白猿は真理を伴ってエミヤと盾騎士の所に向かうが、あの魔術師は駄目そうだと一目で剣神猿の野生的直感で啓蒙された。

 あの男、心が壊れている。いや、呪われた心を自分で破綻させることで、その呪いの呪縛から解放されている。しかし、それは自己暗示に近い洗脳であり、呪詛を与えた相手からの洗脳と混ざり合い、新たな呪詛が壊れた心に上書きされている。

 これ――――殺した方が、良い。もはや呼吸をするだけで、脆くなった魂に罅が入る。

 死が救済だな、と瀕死の野生動物を楽にして上げたい慈悲の念を白猿は覚える。だがそんな死の心得を思い留まり、ゆっくりと誰かの命を思いやる優しい殺意を心中の鞘へと収めた。

 との事で、コミュニケーションの大切さを異文化異種族交流を通じて知る老猿は心境を改め、巾着袋の太郎柿を黒い魔術師に渡すことにした。

 

「き。うき」

 

「猿が、柿……?」

 

「頂いて下さい、エミヤさん。魔術回路が癒されますよ」

 

「ならば、頂こう。君の言葉は絶対、心底より信頼しなければならん」

 

「そこまで盲信されましても……」

 

「いや、でなければ殺生院は殺せない。君の忠告を良く聞いておけば、私は間違えなかった。私は、君より私の考えを優先することを二度としない。

 思想を持つことは、罪悪だった。

 感情を持つことは、悪徳だった。

 私は、君の言葉を正しく理解する殺戮兵器で在らねば、あの女を殺せない。

 殺さなければならん。確実に殺す暴力装置となることが理想。そうだ、それこそ理想的な正義である。私は理想の為、理想に殺され、理想をこの手で殺し尽くす」

 

「……そんな、ことは―――」

 

「―――ない、と?

 だが嘗ての君の助言に従い、あのビルを爆破したのは正しかった。元より手心など価値はないと示したのが、君だ。

 こう成り果てる前、そも人を救う為に人を殺し続ける終わり無き旅を始めた。殺すべき敵に慈悲を持つ等、己が理想に己への救済を見出そうとした愚か者の自慰行為だろう。あの女が喜びそうな考えだったと、今は反省しているさ」

 

「もしかして……それで、私なんか会いに、こんなところまで?」

 

「それ以外、あるまい。私より遥かに利口な賢者である君ならば、そもこの脳味噌などメスも使わず啓き見れることだろうに」

 

「まぁ……分かりました。あの死蝋ガーゴイルと殺し合いになった経緯も読めましたし……で、柿は?」

 

「うき!」

 

「すまない。頂こう、猿……―――何と言う、柿。

 秘蔵する魔術師の髄液が、使い尽くした動物油に感じるな」

 

「それより、ここの柿汁の方がマシなのは確かです。あるいは、葦名の米で作ったおにぎりの方が素晴しいですよ?」

 

「成る程。少し、帰る際に頂いておこう」

 

 猿と別れた後、盾騎士は宇宙生物の生首を手土産に住処へと帰る。京水茄子は勿論だが、背後からエミヤは無言で付いて来た。流石の彼でも地球外生物の生首を持つ盾騎士には引いていた。

 歩いて一時間、走って数分の谷。其処から更に盾騎士は義手のワイヤーハンドを使い、エミヤも投影ワイヤーフックを使い、道無き道の谷を跳び進んで着いた葦名の谷砦。その隠し寺を大幅リフォームした場所が灰と盾騎士の住処となり、既に灰は台所で昼食を作り終えていた。

 

「まぁ、あらあら。キリエライトさんにエミヤさん、おかえりなさい。

 もう御飯、出来てますよ。手、洗面台で洗って来て下さい。勿論、エミヤさんもね」

 

「あ、はい……っ――ではなく、ヴォイドさんから首を貰って来ました。お知り合いで?」

 

「虚数空間で悪さをしている際、私を殺しに来た時に返り討ちにしました。面白い魂をしてましたので、我が落とし仔に相応しいと思いまして、弟子の一人にしました。

 あれ、会話が愉しいです。宇宙運営の神秘、聞けて良かったと思います。

 その首だけ宇宙人は、確かなんだったけか……言ってしまえば、月からの外来種です。死徒の親分じゃなく、他生物らしいのですが、それはこれから調べて解明する予定です」

 

「そうですか。では、これを」

 

「どうも」

 

 盾騎士から受け取った生首を分解し、自分のソウルへと融かし込む。何もかもが啓蒙され、死徒誕生の元凶たる月世界に隠された神秘も全て理解したが、それはそれとしてソウルが良い味して美味い。

 地球外知的生命体。あるいは人類種に崇められる者。

 神性無き外なる神。神の如き神ならざる異邦の住人。

 内側から外の世界に出た灰は、地球もまた内側にある世界に過ぎず、結局は人の世が人以外のヒトに制御されていることに溜め息が出る。

 原罪が生み出た世界。その大元を求めて故郷の外側に旅出た簒奪者は、その旅に終わりがない事実だけが癒しとなる。だからこそ、地球の外側のソウルは灰にとって愉しみでしかない。尤も、この首が何なのかは灰にしか理解は出来ないのだろう。本当に月で生まれたのか、あるいは月に旅出た古い時代の人間の残骸なのかも、灰にしかもう分からない。

 と灰が思考している間、盾騎士は魔術で躰を浄化した後、洗い場で手を洗う。エミヤも彼女に従い、さくっと手を洗って灰の居る居間に戻る。

 

「麻婆豆腐と、おはぎです。どうぞ、エミヤさん。元気、出ますよ」

 

「…………猿に貰った柿を、食べたばかりでね」

 

「どうぞ」

 

「わかった。頂くとしよう」

 

 自分のソウルの重みで相手の魂を屈服させる統一言語よりもある意味で凶悪な言霊により、灰は自然な微笑みでエミヤを座布団に座らせた。

 

「いただきます」

 

「はい。召し上がって下さいね」

 

 中華、四川料理―――麻婆豆腐。枯れた舌に刺激を与える劇物。

 地獄の名に相応しい葦名の料理である。灰が作るなら、尚の事。

 感情が薄くなった自覚のある盾騎士は、味覚から伝播する痛みを伴う辛味に脳が震え、麻婆豆腐の本質が啓蒙された。香辛料が融けた油の旨味成分もまた脳を侵し、辛味と旨味で涙が出そうになった。

 

「―――――」

 

「美味しいですか、エミヤさん?」

 

「辛いが美味い。オレの舌でも分かる刺激だ」

 

「まぁ、そうですか。調理技術、数千年間、鍛えた甲斐がありました」

 

 十分後、麻婆豆腐を食べ終え、口直しの葦名米のおはぎも食べ終えた。

 

「それで、用事は何でしょう?」

 

「貴様に用は……まぁ、少しだけだがある。メインはキリエライトに対する頼みだよ」

 

「成る程。良いでしょう、キリエライトの自由意志を私は縛りません。我が業を授ける鍛錬は例外ですがね。

 我が弟子、人殺しの道具として頼りたいのでしょう?

 勿論、これ以上の褒め言葉はありません。この世の人であるならば、縄張り争いはこの文明圏における繁栄の華。殺人殺戮の業は、素晴しき技巧でありますからね」

 

「助かる。でキリエライト、構わないか?」

 

「良いですよ。何時ものことですからね。人理の矛にして盾を自称する身、人助けの為の人殺しは慣れています。

 それでエミヤさん、灰に対する頼みとは?」

 

「貴様がロンドール竜学院で育てた弟子、殺生院を殺すのを手伝え」

 

「断ります。エロはヒトを救います。

 この宇宙に生まれる知性が繁栄を求めるならば、宇宙が知性を必要とする限り性欲は魂となって知性種に刻まれ、性欲からの解脱は宇宙からの解脱をも意味します。全人類が聖人君子となり、救世主の資格を得て、神を超え、あらゆる人間が人間の究極と至るとなれば、あの人間菩薩たる獣の救世主は不要となりますがね」

 

「つまるところ、あれは必要なのか?」

 

「はい。過去に一度、世界と人類史を救世しています。またあの人間菩薩が救世主と転変する機会がありますので、此処で殺せば対知性兵器として私が完成させた苦労が水の泡となっちゃいますからねぇ……ふふふ。

 やるならば……―――いえ、それは貴方が考え、貴方の意志で零から行って下さいな」

 

「そうか。では、そうしよう―――……封印は手伝えると?」

 

「良いでしょう。これ、契りの剣です。投影の為の情報を今、こうして見せましょう。

 ついでに我が傑作たる火継ぎの螺旋剣です。貴方、螺旋剣が好きだそうで、人間の運命を模すこの螺旋も好みの部類だと思いますよ」

 

「―――…………急に、出す品物ではないな。

 見た瞬間、脳細胞が死滅した。宝石剣に並ぶ劇物だぞ、それ」

 

「その為の、麻婆豆腐とおはぎ。神宿る大豆の豆腐と、炊き立て米のおやつです。その脳、良い雰囲気で蘇生されることでしょう」

 

「ならば、心底より感謝しよう。これならば、あの女のお遊びを邪魔立て可能だろう」

 

「どういたしまして。あの子はとても有能ですが、世界を守る救世主の代わりは他にもいますので、未来を気にせず頑張って下さいね。

 いざとなれば、そこのキリエライトさんも良い子です。この人理世界を救うのならば喜んで、人身御供になって貰えましょう」

 

「それを普通、本人の前で言うものでしょうか?」

 

「不死たる貴女程度の犠牲で、貴い限りある命が救われるのです。釣り合いは向こう側が重く、我ら不死は余りにも軽き人命。

 尤も、ただ同然の我ら不死の献身で救われる安い世界ともなりますが。

 なので別に構いませんでしょう。ほら、ゴミ拾いレベルのボランティアとは言いませんが、幾万円を寄付するような程度の善行だとは思いませんか?」

 

「思いません」

 

「そっかぁー……じゃ、仕様がない。

 尼僧狩り、そんなにやる気が出ない雰囲気ですかね?」

 

「やります」

 

「では、手伝って上げてね。エミヤさん、見るからに死に急いでいますし、死に場所を探してますから」

 

「人間の気持ち、分かり過ぎて人の心を喪ってますよ……」

 

「何と。ではマイルドに言いますと、頑張り果てた人には、良い死に方をさせて上げるのが人間性の証明だと思うよ」

 

「心がない……―――あぁ、それで偽名で灰宮心と名乗ってるのですね」

 

「皮肉に聞こえるのなら、今からでも藤丸立香と名乗っても―――」

 

「―――殺しますよ?」

 

「いけませんね。殺すだなんて言葉使うのは、人間性に反する意志じゃあないですか。

 エミヤさんを見て下さい。彼は機械的に宣告する人。本当に殺す相手にしか、命の尊厳を躙り潰す相手にしか言わないでしょう?」

 

「だったら、大丈夫ですね」

 

「成る程。それなら大丈夫でした。ちゃんと殺す気があるのなら、とても真摯な言葉になりましょう」

 

 灰は、とても嬉しそうに微笑んだ。きっと人間を、人間が救うことが出来るだろう。人間が、人間を救う世界を人類種は作れるだろう。

 人類文明の進化を見届けたいが、それ以上の願望――魂の進化。

 答えは外側にある。いや、新世界を目指し続ける自分達の魂から生まれ出る。

 見付けるモノではなく、魂から作られるモノなのではないのかと、あらゆる平行世界で活動する原罪の探求者を継ぐ灰は考え付いていた。

 繋がり合う火を簒奪した全ての灰は、人理の世界に辿り着いてしまった暗い太陽の人間は、同じ原罪で繋がり合い、探求を共有していた。

 

 

 

=====<◎>=====

 

 

 

 美しく光輝く為の、火を模す人間性の形―――太陽賛美。

 アルファベットで例えれば、綺麗なY文字に見える灰の挨拶。尤も太陽を簒奪した今の灰が行えば皮肉極まり、天井から吊るされた盾騎士はこの格好を強制させられている。

 此処は、牢獄だった。正確に言えば、牢屋風のプレイルームだった。元は特殊性癖のニーズに応えるラブホテルの一室だった。

 その部屋の中央にて、拘束具に縛られた盾騎士の姿。彼女を拘束した変態の趣味なのか、余りにも際どいコスプレ染みた服を着せられ、辱しめる気が物凄く伝わってくる熱意が篭っていた。

 尼僧が求めるのは肉体だけではない。精神と魂まで犯さなければ意味がない。いや、そうでなければ他人で遊ぶ際、最大の快楽でもって気持ち良くなれない。

 

「名付けて――デンジャラスビースト。

 平行世界の私から啓蒙されたカルデアの叡智です。貴女も貴女様で、私に負けない趣味をお持ちのようで」

 

 Y字拘束された盾騎士の露出した脇を指先で撫でつつ、尼僧は菩薩の微笑みを浮かべている。その上、彼女に近付き、股から唇まで鼻先が触れる距離で体臭を嗅ぎ、特に意味もなく衝動的に接吻をした。しかし、ただの口付けではない。煩悩的な深みのある舌入れの所業(ディープキス)。生々しい吸引音がしそうな程。それは灰のソウルから学んだダークレイスの秘儀であり、人間性への攻撃であった。

 肉体を強制的に興奮させ、人格を塗り潰す性的快楽であり、魂を蕩かす魔性の唇だ。それを既に数十回は受けた盾騎士ではあるが、感情がない死んだ魚の目で尼僧を見ているだけだった。

 

「飽きませんね。殺生院さんも、ある意味で不自由な人間です。その魂の起源になってしまった混沌衝動を、ソウルの業で支配することで逆にその快楽に虜になっています。

 人間性の―――いえ、快楽の奴隷です。

 獣性を支配する立場となることで、貴女は神になることを拒絶しました」

 

「勿論ですとも。この世の、今のこの私、快楽狂いの魔性菩薩には微塵足りとも興味はありませぬ故。未完で在り続けることが正しい進化の人間性。完成を求め続ける在り様こそ、我が人間菩薩となりましょう。

 即ち、快楽とは――魂の尊厳でありました。

 知性を求めた宇宙が魂を根源から呼び込んだ様、本能が快楽を喜ぶのも知性体にとってこの世界で進化する為の活力なのです」

 

「自覚があるなんて……その、恥ずかしくないのですか?」

 

「全然。むしろ貴女こそ、私が趣味でその服とも言えぬ服を着せましたが、その格好で凄んで恥ずかしくないのですか?」

 

「全然」

 

「そうですか。悍ましい程の強き心でありますわ。

 破廉恥な格好で縛られ吊るされ、並の人間でしたら数十万人を蕩け殺す我が接吻を幾度も受けても平常心を喪わないのは、ちょっと人類種と呼べる魂ではありませぬことよ?」

 

「如何でも良いことです。死に慣れた私達にとって、快楽の熱は命の熱に似て心地良く、それだけの話でしかありません。

 ……で、沙条さんはどうしましたか?

 貴女のことです。どうせ、殺すのは惜しいからと玩具にしているのは分かってますが、程度によって私の怒り具合は変わりますからね」

 

「貴女様の予想通り……―――では、ありませぬ。

 その幾倍化の快楽が魂を犯しました。根源と言う外側と接続した端末存在でありましょうが、此処は我が師たる灰の人血絵画を学んだ私だけの心象風景となりますれば、ね」

 

「まさか―――……そんな、馬鹿げた事を……?」

 

「我が廃退神都は生温く御座いません。快楽の全てを既に私は―――啓蒙されました。

 となれば、もはや魂を外なる理に束縛される意味は無し。覚る者の悟りは既に不必要となった身において、運命と因果から自由にならねばなりませぬ。

 魂が生まれた律から、この宇宙を生み出した法から―――快楽の為」

 

「そんなことの為……―――馬鹿げてます!」

 

「はい。ですが、快楽に狂うのもまた魂。我らの魂を生んだ何者かにとって、愚かである事もまた正しいのです。

 いえ……この所感は正しく在りません。所詮、この世とて根源の内側にある世界。

 正しく言えば、正しくない事など有り得ません。間違いを犯すこともまた、正しき選択の枠から外れませぬ。それがこの完全無欠の曼荼羅足り得る我らの宇宙が、我ら全ての魂を根源から落とし流した理由となりますれば、そうとしか考えられないのです。

 だから―――気持ち良く、なりたくて堪りません。

 人間の魂が覚える本能と欲望に禁則など無く、禁欲もより深く逝く為の魂の快楽でしょう」

 

 卑猥な姿の盾騎士(デンジャラスビースト)の服の内側に手を入れながら、太陽賛美(Yの文字)で拘束される貴き女を尼僧は言葉も使って弄ぶ。

 

「ですから、貴女様が我慢なさる今の快楽は間違いであり、正しくもありましょう。

 そもそも魂に備わった機能でありますれば、知性体として性欲に溺れることは普遍的な人類種の真理」

 

「それを、貴女はこの異界の真理としただけの話ではないですか?」

 

「ふふふ。えぇ、その通りです。これは私の魂にとっての真理です。灰に魂を啓蒙され、人間菩薩となった私と言う女が導き出した答えです。

 その果て、神たる根源接続者を人間に戻せました。あの御方を常々私、心底より可哀想だと思っていました。

 始まりから終わりまで何かもが根源と言う理に定められ、あらゆる魂が根源の律に縛られ、そもそも人類種が自分達の被造物たる集合無意識に歴史を制御される人界にて、その全てが分かって仕舞われるのは憐憫に値します。

 故、あの女は不自由なのです。生まれながら、禁欲されております。

 何一つ自由のない人理の世にて、我々は知覚を第七感覚までに抑えられることで、即ち無知であることで不自由を自由だと錯覚出来ますのに」

 

「……成る程。確かに、貴女は灰の弟子に相応しいですよ」

 

「ええ。あの女は、何処までも人間でした。快楽狂いの儘に私を、人間の儘で人間を愉しめる魂を御教え頂けました。

 愉しく気持ち良い自由な魂が、今の私の信条ですからね。

 神の力を手に入れても、神になれば人間自体で気持ち良くなれない何て事実……えぇ、目から鱗でしたから」

 

「で、貴女は何時までこうして自分語りを私に?」

 

「まず、知って頂けなければなりません。貴女の全てを私が知っている様に、貴女にはまだまだ語り続けなければなりませぬ。

 無論、理解出来ぬ無能者は直ぐ様に蕩かせば良いだけのこと。私と言う人間性に堕落し、溺れてしまえば良いだけ。

 ですが、キリエライト様は私と同じ"人間”でありますれば、意志疎通は何事よりも大事。人間性を理解し合えるのならば、それを求める事もまた人間性の本質なのです」

 

「その相手を縛り付け、自由を奪って無理強いするのが意志疎通ですか」

 

「すみません。しかし、仕方がないことなのです。

 それが私の――自由だった。それだけの事です。

 そして私に挑んだ貴女は、その自由意志に従い、誰にも縛られず自由に未来を選択した結果―――自由を奪われる未来に辿り着きました。

 自由には責任が伴います。あるいは、自由に生きる代償として罰が下されます。

 貴女様が自由に生きる私に責任を取らせる為、罰を下しに来たように。私を殺すと言う殺人の罪科に囚われず、正義を自由に執行する貴女が私に敗れ、その責任でこうして自由を喪ったように」

 

「分かってます。人間性に、善悪の価値基準は意味を為しません」

 

「所詮、他との比較があって成立する価値基準ですからね。善に絶対はありません。

 大切なのは、己が善を絶対に貫き通そうとする人間の意志であります。その人間が生き様を示すことで、意味が宿った善に価値が生み出るのです。

 無論、悪も同様です。ただの悪は理性と言う道具を手に入れた本能的欲求でしかありません。それを人間が罪と共に為すことで意味と価値が生じましょう。あるいは、無価値と言う虚無の価値が生まれるのです」

 

 盾騎士は、魂に宿る心の底から軽蔑した。そこまで人間を悟っておきながら、人間性を完璧に克服する資格を有しておきながら、自分と言う人間だけを救う救世主となった尼僧を。

 

「そこまで悟っているのに、何で貴女は―――こんな様に?」

 

「悟った故、この様なのです」

 

 直後、快楽の熱が盾騎士から離れた。普通なら精神崩壊を起き、魂が形を保てずに蕩け、人間が人間性を万回は喪う気持ち良さが身体に渦巻きながら残留することで、本能的に尼僧を求める躰を完璧に意志一つで支配することで彼女は呻き声一つ洩らさなかった。

 毎日の日課(プレイ)をこなした後、尼僧が出て行く。その三時間後、台車に乗った人一人が収まる程度の細い鳥籠の小牢が部屋へと、メイド姿の女性の手でゆっくり運ばれて来た。そのメイドは何処から見ても殺生院祈荒と瓜二つであり、魔力や気配と同じく内側のソウルさえも同じだった。完璧に彼女そのものであるが、何と言うか存在感に妖艶さが足りない。むしろ、清楚と呼べる程だ。

 正体は分身―――アルター・エゴ。生殖行為による自己増殖。

 相手を孕ますのでなく、自分が孕むでもなく、己がソウルで汚染した魂を自己存在へ転生させる第三外法。殺生院に成り果てる前は男だったかもしれないし、女だったかもしれず、老人かもしれず、子供だったかもしれない。あるいは、妊婦の胎の中にいた赤子だったかもしれない。

 盾騎士は、その事実を即座に啓蒙された。悍ましさの余り、直視するのも心が堪えた。盾騎士とて本来、心が折れれば最後には殺生院祈荒に魂が生み変えられる。あの尼僧の心象風景に塗り潰され、魂が液状に蕩けることで快楽の絵具となり、世界を彩る気持ち良いだけの色彩となるだろう。

 今の尼僧にとって快楽に貴賎はない。善行も気持ち良く、悪行も気持ち良く、加虐も被虐も気持ち良い。人間を滅ぼす魔人となるのも、星を救う救世主になるのも、やはり気持ちが良い。子作りと言う現行人類種数万年の繁殖行為もまた、遺伝子がそれを喜びとする善行であり、尼僧の快楽は人類史に根差した獣性の証でもあるのだろう。

 そして鳥籠を盾騎士の部屋に置いた後、メイドは清楚な佇まいを崩さずに出て行った。殺生院と同じ姿であるにも関わらず、デンジャラスな獣姿な盾騎士に色欲の瞳を一切送らず、まるでロボットように無感情な貌であった。

 

「……ん、あー……キリエライト。まだ大丈夫みたいね」

 

 鳥籠から人の声。両手を手枷で縛られ、そこから吊るされた者の言葉。足は伸ばしても鳥籠の底には着かず、強制的にぶら下がっている状態だった。

 

「沙条さんこそ、まだ沙条さんで居られて良かったです」

 

「まぁ、ね。しかし、これでも幸福感もあるのよ?

 人間としての人間性。全く、無知とは幸せだわ。

 人の魂は皆、根源から生まれたのにその根源と繋がらないのも当然よ。

 全知全能なんて価値は無い。この世の全てを知ろうとする愚かさにこそ価値は宿り、この世の全てを知る嘗ての私に価値は無い。

 その点、何処までも色尼に感謝してると言って良い。

 あぁ―――……まさか、死ぬのが怖い何て。繋がっていた生まれ故郷の根源に還るだけだと言うのに、それだけと分かってるのに恐ろしいの。死ぬ程の気持ち良さも、恐ろしくて堪らないの。

 全能性を捧げて手に入れた人間性が此処まで愛おしいとは―――…‥全く、なんて無様なのかしら。

 何もかもが分かって、それで分かり切った雰囲気の女に、命に価値がないことを正しく理解して仕舞える人間になんて、私の騎士様が振り向く訳もない。国を救いたいなんて憐れなまで愛おしい人間性に溢れたあの王子様が、人間性の欠片も無い人真似をした神に心惹かれる道理がない」

 

「饒舌です。テンション、凄く高いみたいです」

 

「今の私の魂と同じく、こんな籠に入ってる所為かもね。それにしてもキリエライト、何て破廉恥極まる格好をしてるのかしら?

 無理矢理着せられてるのなら分かるけど、そこまで様になって着こなしてるのはどうかと思います」

 

「白いワンピース一枚で吊るされてる人に言われたくないです。それ、下は裸ですよね?」

 

「そうよ。色尼曰く、なんでもこの世で最も清楚な幻想らしいわ。理解出来ないけど。裸ワンピースは、裸エプロンに匹敵するとか、しないとか」

 

「ワイハの漫画合宿でジャンヌ・オルタさんと一緒に私は学びましたが、貴女は日本人なのに日本の娯楽文化の知識が少ないようです。

 後、裸エプロンは日本人にとって普段着ですよ。日本出身の英霊のタマモさんは、エプロン一丁で廊下を彷徨ってましたし」

 

「へぇ……?

 今は繋がってないから分からないけど。それ、根源にも記録されてるのかしらね?」

 

「さぁ……?

 人間で在る私は、宇宙の創造主じゃないので分かりませんが」

 

「それもそうね。しかし、手枷で吊るされてるから皮膚が痛い筈なのだけど、何でか痛くないのよね」

 

「あぁー……あの変態僧侶のことです。痛みで気持ち良さが翳るのが嫌な信条なのでしょう。やがて、痛いのも気持ち良くなるのも待っている可能性も大いにありますが」

 

「―――……はぁ、付き合い切れないわね。

 自慰行為に他人を巻き込んでる時点で、そもそも自慰ではないのに」

 

「立派な強姦行為ですよね。相手を蕩けさせて、心が折れれば合法とか思ってるのでしょうか?」

 

「やってる事、アルハラからのセクハラだわ。あの魔女が王子様と一晩致し、不義の子を作ったのと同じだもの」

 

「三人共、知人ですから私はノーコメントで。ノーコメント」

 

「そう。色々と、大変な日常生活だったのね」

 

「……ノーコメントで」

 

 その瞬間、コンコンとプレイルームのドアがノックされる。盾騎士(キリエライト)接続者(サジョウ)の二人は会話を止め、其方の方に視線を向ける。当然の事ではあるが、この拘束された状況でノック音に返事をするほど酔興ではなかった。

 なので十秒後、ドアは自然と開いた。返事がなければ無人と判断するのだろうが、まるで中に人がいる事が分かっている様に丁寧で静かな入室だった。

 

「失礼する」

 

 その男―――完全武装した変質者。頭部をヘルメットとガスマスクで守り、更に防弾チョッキで胴体を守る姿。背中に銃火器を幾本か背負い、腰には鉈と斧や手榴弾を下げ、今はモーゼル(レッド9)を装備していた。

 本来の彼ならば武器など要らないのだが、此処は接続者さえ根源と接続出来ない様に、光の無い暗黒領域からの波長も届かない異界。その本人自体の戦闘技能しか使用出来ないソウルの領域であり、流石に生身一つで戦い抜く気はなく、そもそもソウルの業を覚えた後は趣味に走っている節があった。時間が立つ程、その傾向はより強くなり、暗い宙の魂を持つ彼が人間性に目覚めつつある証拠でもあった。

 

「む。キリエライトに、接続者か。こんなラブホテルで奇遇だな。いや、当然の合流とも言える。しかし、何とも言えない状況だ。

 その格好、所感に過ぎんが―――エロい目に遭ったか?」

 

「見れば誰でも分かりますよね、ヴォイドさん?」

 

 ガスマスク男が当たり前過ぎてトンチキな推理をすれば、盾騎士だろうと胡乱気な瞳になるのも仕方がない。

 

「そうか? いや、そうだな。君、肌色の面積が大きく、布地は局部しか覆われていない。これでは刺激が強過ぎる。オレの目の保養にはならず、逆に毒となるな。

 この異界は、性欲を持て余す。成る程、これが人類霊長種の思春期か。

 しかし、非人間が快楽に愉しく狂えるとは。いやはや、実に愉快な知性体への救済方法だ」

 

 ふむ、と何に納得しているのか分からないが頷いた。第三者が傍から見れば、ガスマスクとヘルメットで顔を隠す変質者が卑猥な格好をさせられた女性を見て愉しんでいる様子だった。

 

「ちょっと。そこの暗黒端末な貴方、女が拘束されてぶら下がってるのを観賞するのが趣味でなかれば、助けて欲しいのだけど。勿論、御礼はするわよ?」

 

「すまない。助ける。それと敢えて言うが、オレにその手の性癖は皆無だ」

 

「分かってる。貴方、淡泊そうだもの」

 

 本来なら根源との繋がりが断絶された異界において、魔術基盤と接続して使う神秘たる魔術と魔法は使えない。魔力やエーテルなどのエネルギーは存在するが、それを使う為の法則が機能しない。しかし、己が魂を使うことで魔術基盤を使わず、単独の神秘として魔力を消費。即座に彼の手から理外の暗い波が放たれ、どのような原理が働いたのか分からないが盾騎士と接続者の拘束具が外された。

 魔術基盤が接続不可能な異界なので魔術は使えないが、肉体の神経の使用権を取り戻すことで肉体が動き、霊体の神経である魔術回路も使用可能となったので魔力を扱うことは可能。何より、ソウルの縛る術式が肉体から離れた為、魂が神秘を扱える状態になった。

 

「ありがとう、端末者さん」

 

「感謝は受け取る、接続者。だが対価は要らない。人間が同類種を助けるのは、社会的生物として必然の生態系だ」

 

「確かに。私も立派な真人間だし、分かるわ。善意が人格をより良い方向に形成するもの」

 

「ナイスジョークですね、沙条さん」

 

「え、何が?」

 

「え、全部ですけど……あれ。まさか、本音?」

 

 戯言を言い合いつつ、行動は素早い。盾騎士は魂が解放され、プレイ衣装(デンジャラスビースト)から戦闘用スーツに早着替え。そして即座にソウルの業を応用した武装化を行う。通常ならサーヴァントの機械鎧(オルテナウス)に着替えるのに数分は必要だが、サーヴァントの武装化と同じ様な事が可能。

 とは言え、全能なる接続者は一応はまだマトモな人類枠。盾騎士の様な着替え能力も使えなくもないが、彼女と違って装備は没収され、此処は根源との繋がりがないので永続的な投影魔術で服は作れない。尤も投影による服を着れば、ダメージを受けた瞬間に全裸となる強制的ノーダメ縛りとなるので流石の沙条でもそんな趣味はない。

 

「接続者、服はある。こんな事もあろうかとな。意匠はオレの趣味になるが、良ければ着てくれ」

 

「啓蒙的なまで気が利く男ね。人間性薄そうなのに紳士が生態付けされてるのは、ポイント高いと思う」

 

 何故か『そうだ、根源に行こう』とデカデカとプリントされたクソダサパーカーと暗黒色のジーパン、そして女性用下着を渡された沙条は宇宙を漂う猫みたいな表情を浮かべる事になった。

 宇宙的美的感覚、なのだろうか……と彼女は訝しんだ。

 とは言え、根源と接続出来ない今の身では全能足り得ない為、悩みを思うだけで解決することは不可能。悩みをしっかりと悩み続けられる事に感動しつつ、失恋のショックでニートの悟りを得た自分並に駄目人間かもしれないと彼女は思い悩み、端末者に胡乱気な瞳を向ける事にする。

 

「前言、撤回。貴方、ダサ過ぎません?」

 

「そうか。君の為に御洒落ポイントといて、オレが無地のパーカーにプリントしておいたのだが……ふむ、要らぬ御節介だったか」

 

「良いけど。別に、良いけど。好きな王子様とデートするって訳でもないし」

 

「なら、着替えると良い。また、オレに覗きの趣味はない。直ぐに出て行き、別行動に移る」

 

「まぁ……うん、ありがとう」

 

「それと次に再会するまでの忠告をする。キリエライトの心境を考えれば見た瞬間、怒りに我を忘れ、悪手を選択するかもしれないからな。

 殺生院祈荒は、洗脳した衛宮士郎と―――擬似新婚生活を愉しんでいる。

 どうやら藤村大河なる魂を貪っていたらしい。彼女のソウルを自分の色彩にし、高校教員藤村先生を演じている。その上、平行世界を観測することで藤村大河と衛宮士郎が結ばれた可能性の未来を知り、それを模倣しているようだ」

 

「―――――っ……!!」

 

 端末者の予測通り、盾騎士は脳が瞬間蒸発した。余りにの怒りに義手を力任せに振い、壁に叩き付け、一撃で何かもが吹き飛んだ。彼女をカルデア最強の兵士に鍛え上げたオルガマリーが開発したマシュ・キリエライト専用の魔力防御反転魔術式、アサルト・アーマーも義手限定解放され、まるで騎士王の魔力放出の如き破壊攻撃を可能にした。

 尤も、対獣機械鎧(オルテナウス)を着る今なら全身で同じ事が可能。悪魔殺しや灰が放つ神の怒りに匹敵する対魂性能を持つ今の彼女の一撃は、生きる神の魂を砕くことも出来る。それを義手だけの止めたので、まだ理性を喪う程の憤怒ではなかった。

 

「ありがとうございます、ヴォイドさん。接敵時、隙を晒す無様を見せなくて済みました」

 

「それは良かった。では、オレは立ち去ろう」

 

「はい」

 

「私からも感謝するわ。じゃあまたね、端末者さん」

 

「ではまただ、全能なる接続者。菩薩に啓蒙された今の人間性に溺れぬ様、気を付けろよ」

 

 暗黒領域の端末ではなく、地球の人類種として能力を制限された男は全身武装の儘、時間に追われる社会人のような忙しさで部屋から直ぐに出て行った。

 背徳の廃退神都―――アラヤシティ。

 地上の何処にも無く、地球のどの時空間にも無い都。

 しかし、街並みは現代日本の都市に類似し、だが見た事も聞いた事もない企業が経済社会を回し、都市国家が単独で存在するだけの歪な世界。特異点とも異聞帯とも呼べず、何かしらの概念を今の魔術世界では付けられない異界としか呼べない場所。

 一つ正しく言えるのは、人間菩薩の魂が夢見る世界と言うことだけ。

 即ち其処は、規律と秩序が快楽社会によって運営される人間社会だ。

 本能に根差す原始的快楽である性行為は無論、あらゆる娯楽活動によって快楽を得る社会であり、知性体としてある意味で完璧な平和が実現した夢想だった。恒久的世界平和が実現された理想社会であり、快楽中枢に精神活動が支配される管理社会でもあった。

 そんな眠る人々の為の夢の国。住民は確かに人間であるが、正体は殺生院に融かされて一体化した信奉者の魂を利用した転生体。

 蕩けた後の、死後の世界。

 あるいは、夢見る魂の中。

 その全てを理解する盾騎士は路上で集団過密性行為をする民衆を視界に入れつつ、発狂並のダサいパーカーを着る接続者を連れて街を歩いていた。

 

「吐き気がします……」

 

「うわぁ……あれ、ナニをドコに入れてるのかしら?」

 

「見ない方が良いですよ。脳髄が快楽に塗り潰れます」

 

「しかも、全員が殺生院じゃない。悪趣味だわ」

 

「人間と言う知性が全て、そのソウルとなっているのでしょうね」

 

「男性体、女性体、男児体、女児体、両性具体。何と言う気色悪さ、正に殺生院パラダイスって雰囲気ね」

 

「貌で個人を識別する必要がなく、他人と比較する意味がない快楽社会の平和です。自分も他人も、気持ち良くなる為の存在なのでしょう」

 

 挙げ句、蕩けた腐肉のように人間は分裂する。いや、人間なので新たな繁殖能力と言った方が正しいかもしれないが、新しく誕生する生命はあらゆる可能性の人類種(セッショウイン)。もはや新人類名のホモ属として、ホモ・セッショウインと言うべき新型霊長類だ。ソウルがソウルと交じり合うことで新たなソウルが作られ、根源由来の魂ではないソウルが快楽種として、性行為と言う工程を踏むことで生まれ出た。

 まるで自分が蕩けて殺生院になる錯覚に盾騎士は襲われるが、そう感じるだけで彼女の精神活動に影響は全く無い。彼女の精神性は普通の女性に近しいものだが、英霊からしても規格の精神力と強靭過ぎる人間性を持ち、快楽を啓蒙されるだけで魂を汚染されることはなかった。

 ―――降臨にして、光臨。

 星光に満ちる菩薩の後光。

 背後の曼荼羅がまるで旧約聖書の天使の翼の様でもいて、あるいは悟りを得た人間が放つ叡智の光源なのだろう。

 空に菩薩が満ち溢れている。

 気持ちが良い快晴の大青空、人間菩薩が溢れている。

 

「此処はお天気も殺生院みたいです。沙条さん、これって良い天気と呼んで良いのでしょうかね?」

 

「まぁ、ある意味で気持ちが良い晴天ね。空模様まで交じり合う快楽快晴だなんて、神経質なまで徹底してる。愉しくて堪らないのでしょう」

 

「ウェヒッヒッヒヒヒヒッヒ……―――あ、ちょっと発狂していまいました。

 此処は頭が可笑しくなります。快楽行為に快楽し、快楽が気持ち良く、そして快楽行為に没頭する無限螺旋です」

 

「眼から血が出てるわ」

 

「貴女は、鼻血も出ています」

 

「気持ち良いって感覚が、もう気持ち悪くて仕様がないの」

 

「同意します。ヤバいです。マジヤバです。

 それと会話はなるべく途切れないようにして下さい。実を言うと発情していまして、なるべく精神に負荷を掛けずに気を逸らしたい状態です」

 

「それには私も同意だわ。

 精神活動を妨げる快楽攻撃はキツい。今だって物理的に脳から神経伝達物質が溢れ、快楽ホルモン漬けにされてるもの」

 

「確かに……ん?

 あ。ふと思ったのですが、沙条さんって凄い美人さんですよね?」

 

「ちょっと。キリエライト、顔が近いわ。耳に息が当たってる。脳味噌が茹っているみたい」

 

「――……あ。すみません、狂ってました。

 周りの建築物が殺生院の組合せのようで、道は殺生院の貌が敷き詰められ、太陽も殺生院の貌が輝いているようで、段々とこの空気も淫らな殺生院の吐息に感じられ……あ。あ、あ。あ。あ、あぁ!

 酷い、酷い幻視です。幻覚です。五感までの狂気ならいざ知らず、六感も可笑しい……七感さえも、狂って来る。狂います」

 

「はぁ……――仕方無いわね。

 貴女がそうしたいなら、私の体だったら貸すわよ?」

 

「あー……あ”-……いえ、すみません。正気を思い出しました。

 殺生院以外でスッキリすれば一時的には気が晴れるかもしれませんが、一度でも色欲に溺れれば、戻れないかもしれません」

 

 索敵戦闘時以外は余り被らない機械兜(ヘルメット)を、モードレッドが持つ宝具の兜のように鎧から仕掛けを起動して装着する。目的地は分かっているが、気を紛らせる為に殺意に没頭したかった。憎悪と怨念の中に、救いがあることを理解していた。

 完全武装対獣兵器(パーフェクト・アーマード・マシュ)が瞬間的に具現。スリムな近未来的機械鎧に似合うマシンチックな仮面であり、まるでSF作品に登場するヒト型ロボットのような意匠。レフ・ライノールの研究物から技術と盗んで作ったオルガマリー所長の魔術レンズと、それに数多の性能を追加する補助機械が付いた単眼の擬似・千里眼。

 その千里単眼(モノアイ)が怪しく、美しく、赤く光り輝いて周囲を一瞬で索敵する。

 結果―――周囲全てが殺生院。透視、未来視、過去視、その全ての視界に殺生院。何処まで行っても、彼方まで逝っても殺生院。

 交じる。混じる。雑じる。解けて、融けて、熔けて、溶けて、蕩け合う。

 魂が蕩ける。世界を観測する時、世界から個の魂が観測される。盾騎士が世界を覗き込む時、世界(セッショウイン)もまた盾騎士を覗き込む。

 魂と魂が繋がった。ソウルがソウルに呑み込まれた。

 神の如き獣。だが神に非ず、獣に非ず、人間性から生じた快楽だった。

 

「沙条さん……私、快楽の中で悟りました。

 憎悪の中に救いは有りません。戦場で戦い続けても、人間は救われません。なのに、戦場から逃げても次の地獄が待っているだけでした。どうせ人間は、自分達が数十万年も地球で住み続けて、そうやって積み続けた人間性に救われないのです。

 ヒトは、救われないのです。

 だから、戦わないといけません。

 けれど、蕩けてしまえば―――……もしかして、この悪夢から逃げ出せるのでしょうか?」

 

「無理ね。貴女、もう魂がそう言う領域じゃない。

 断言するわ――もう、根源に落ちて魂が安らぐこともない。

 正しくあの獣が人理焼却に目覚めた憐憫に値する悲劇でしょうね。その体は人間に作られた命で、生命の営みから外れた兵器として生まれ、なのに魂が根源に還る事も出来なくなってしまった。

 不死とは―――ソレ、なのよ。

 精神死による亡者化さえも克服した灰の人間性とは、永遠に生きる事が出来るの。そんな人間が快楽の渦に蕩けた所で、所詮はそんな世界の中でも異端に過ぎないでしょう」

 

「正真正銘、死の無い魂ですか……―――はぁ、殺生院さんでも無理なのですね」

 

「永劫、共にいることは出来るわよ。この悲劇も、時間が経てば摩耗するもの。まぁ、趣味ではないので殺し合うけど」

 

 快楽園都市部を抜けた先の住宅地。単眼アーマーの盾騎士とクソダサパーカーの接続者が辿り着いたのは、古びたアパートだった。日本の何処にでもある普通の建物だった。

 まるで昭和時代の風景。ノスタルジーの夢。

 懐古と言う名の、過去に浸り犯される快楽。

 昔を美化する事で今から逃避する自慰行為。

 ただそれだけの場所。所詮、全てが殺生院。

 しかし、一人だけそうではない人間が居た。

 少年が一人、夕暮れの商店街が買い物をしていた。周り全てが殺生院だと言うのに、その異常を常識の光景だと錯覚することで日常生活を送る憐れな生贄がいた。

 

「藤ねぇ……―――いや、大河の好物は……っと」

 

 そんな独り言を耳も良くなる単眼の機械兜を被ることで聞こえ、盾騎士は人間性の汚濁に瞳が穢れる。それは殺意を超えた形容し難い憎悪と怨念―――人間性の澱。

 

「見てられません……」

 

「所詮、年増女の自慰行為。恋を知らず、愛に溺れた業の慰め物かしら?

 全く以って美しくないわ。恋は夢見る心、愛は溺れる心って事、あの女じゃ分からないわよね」

 

「アレじゃあ何の実感もないでしょう。取り敢えず、放置すると新婚プレイに励む様を見せ付けられます。藤村さんに変化したあの女と衛宮さんの性行為を見る気はありません。吐き気と眩暈で死にそうになります。

 ―――掌握(■◆◆■)固定(□□)

 捕まえました。やれやれ……これ、私たち侵入者に対する生餌ですかね?」

 

 あらゆる触媒を融かし込んだ仕掛け義手。あるいは、殺して来たソウルが持つ神秘を宿す簒奪の左腕。灰、悪魔、褪せ人、そして狩人の人間性が潜む邪悪なる魔の機械であり、カルデアが作った災厄の魔術礼装であり、今は最早、機械仕掛けの神の左手だった。

 その手が、上位者の言葉(オト)によって呪文が唱えられた。

 盾騎士から人間では理解不能の概念が流れ、それに近しい人類種の概念が当て嵌まり、上位者化した人間の脳が根源に還れない悪夢の神秘を具現する。それは暗黒の端末から助言を受けた事で手を打つ算段を組み立てられ、彼の御蔭で安全に行使出来た一手である。

 

「あ”ぁあ”あ”あ”ぁぁあああああああああああ!!!」

 

 褪せ人が心臓を喰らった竜の腕を実像に結ぶ様、盾騎士はアメンドーズ(アミグダラ)の見えない左腕を脳と繋がる悪夢から召喚。神秘によって衛宮士郎に戻っていたエミヤの脳を発狂させ、強引に洗脳の精神毒を叫び声に変換させて排出。尼僧と交じり合うことで精神に適応し、肉体も過去に戻っていたが、その変化が打ち破られる。

 黒い肌。刈り上げられた白髪。その長身は黄色と黒の装束で覆われる。体中に亀裂が走り、呪詛が刻み込まれ、一瞬で変わり果てた。

 錬鉄の魔術師殺し、エミヤシロウ。もしもの幸福と言う名の快楽から、正しい現実の苦痛を取り戻した悪の敵である。

 

「久しぶりです、衛宮さん。気分は如何でしょう?」

 

「夢から醒めたさ、キリエライト」

 

「はい。中毒症状も無い筈です。

 ですが夢とは本来、苦痛塗れの現実に対する麻酔でもあります。毒になる夢が悪夢となりますが、夢は夢」

 

「分かっている。程良く心地良い快楽の悪夢だった。しかし、所詮は夢幻だよ。夢の中で夢を叶えた所で、そこに救いは存在せん」

 

「それは良かったです。

 じゃあ、人間菩薩―――狩りましょうか?」

 

「当然だ。殺そう。

 その前に、だ……全能の魔女、格好が恐ろしく不格好だ」

 

「見て見ぬふりをするのが紳士だわ」

 

「そうか。では、何も見なかった」

 

 悪夢に取り憑かれている様子はない。接続者は特に迷う素振りもせず。霊媒治療の要領で指先を頭蓋骨を透け抜けて頭脳に直接手に触れ、魔力を流して刺激を与える。霊体に直ぐ影響を受けて状態は戻るかもしれないが、彼女は簡易脳外科霊媒手術を行い、ロボトミーの要領で感情と理性を物理的にも切り離した。

 序でにその指先、体外に排出されることで実体化した"快楽(ジュソ)”が具現する。

 余りにも美し過ぎる輝きで、万人が魅了される人間性の現れだ。それは日本の暖かな春、空気の中を揺れ落ちる桜の花弁と瓜二つ。

 

「快楽の呪詛、ねぇ……桜色の花だなんて皮肉が過ぎる。二人共、そうは思わない?」

 

 握り締め、破戒。接続者は怒りを覚えた自分の人間性を、何故だか嬉しく感じる。

 

「同感だ」

 

「異議なしです」

 

 投影した対物理狙撃銃を背負いつつエミヤは答えた。先程同様、兵士のヘルメットと単眼(モノアイ)マスクを合わせたような貌の儘の盾騎士は、その恐ろしき仮面で頷きつつ、銃字盾に外付けの未展開状態のブラックバレルを装着。

 

「あ、シロ~! もう何処をほっつき歩いて――――」

 

 振り向き様、エミヤは狙撃銃から対空間投影弾(カラドボルグ)を発射。同じく、盾騎士も一切躊躇わず自分の人間性と啓蒙を装填してブラックバレルを発射した。

 高校教員、藤村大河―――を演じる人間菩薩が、即座に蒸発。

 数多の神や獣を殺した黒い銃身と、投影魔術師による宝具の爆裂。粉微塵よりも酷い惨状に成り果てるも、魂が不死である菩薩は宇宙を太陽系を焼却しようと生存する。

 

「あぁ……何て、ことを。とても酷いですわ。

 先程の攻撃にて我が胎内にいたソウルが消えてしまいました。私は確かに藤村大河でありましたのに、人の死はとても残念でありましょう」

 

「黙れ、物の怪。腐った甘さの息を吐くな。

 死ね。ただ、死ね。徹頭徹尾、徹底的に―――死ね」

 

 自己愛と他者愛。憐憫死と憎悪死。無様故、慈悲を抱く。悟りを得た聖人の境地を得ながら、自分だけを救う女が命を愛する菩薩の笑みを浮かべる。

 もはや、言葉は不要。無言の儘に、盾騎士と接続者は狩り殺しに掛った。

 エミヤは弾丸を撃ち続け、弾丸が尼僧の体内に入り込む度に固有結界を暴走させた。

 そして、二分三十秒後―――尼僧は当たり前の様に勝利した。盾騎士は内部破壊打撃によって臓器が死滅した状態を固定され、錬鉄の魔術師殺しは四肢を砕かれた上で魔術回路を停止させられ、接続を切られて人知無能に陥った接続者は神経機能のほぼ全てを官能狂いの呪詛で痺れさせられた。

 

「単純な欲望――セックスを致したいのです」

 

 動けない盾騎士に馬乗りになり、彼女の耳元で呟く。特に意味も無く舌を耳の穴に入れた後、甘腐れた吐息と共に鼓膜を直接的に呪詛声で震わせ、脳を快楽の概念そのもので染め上げる。

 

「―――と、麗しい少女姿の女を襲えば、あの正義の味方が復活するに決まっております」

 

 再起動したエミヤの魔弾を歯で受け止め、噛み砕き、嚥下する。それによってラインがソウルとソウルで結ばれ、快楽感覚が彼へ固有結界と共に逆行し、官能に魂が汚染された。

 瞬間、仕掛け義手を銃砲形態(ハンドカノン)に盾騎士は変えて魔力弾丸(エーテル)を発射。

 それを尼僧は素手でパリィし、嫌がらせで弾道が接続者の方へ逸れた。弾丸が当たって地面に転がり、白目を向いて気を失った。

 

「ヒトは、性欲の前では平等であります。この世は性欲が全てです。人間は人間を裏切りますが、快楽は人間を裏切りません。人理の繁栄に快楽は必要不可欠でしょう。故、性行為で快楽を得ると言う脳と肉体を設計図として遺伝子が作られ、知性は本能を喜びましょう。

 人間性には気持ちが良いと言う快楽そのものに―――価値が、ある」

 

 そして、地面から触手影が実像を成す。接続者と錬鉄者が四肢と胴と首を拘束されて宙に吊るされ、序でに四肢の骨を更に砕いた。身動きが出来ない上で、完璧に身動きが出来ない状態にさせ、その上で痛覚神経が感応する刺激を全て快感に変換した。

 凶悪なまでの感応的絶頂が気絶していた二人の全身を襲うが、真顔で耐え抜き、だが魂が持つ人間性へ快感が染み込む。

 

「さて、此処は極楽。獣性によって完成した人理の答えであります。皆様、幸せを私に蕩けて受け取りなさい。我らの魂、決して死んで根源に還る必要などありませぬ。

 快楽の―――律。

 人代を啓蒙して頂けた狂い星様、どうか見届けて下さいな」

 

 感極まる尼僧の耳に、カシャリと言う金属音が入る。直後、桜色の麗しい呪詛が垂れ流れる頭部を唐突に、散弾銃から放たれた水銀弾が吹き飛ばす。

 尼僧を背後から銃殺した女。狩り装束の女。血腥い女。月の香りがする女。

 その女は地面に散った脳漿を踏み付け、人の気を容易く狂わせる微笑みを浮かべる。宇宙の深淵よりも深い狂気の貌。魔術師が夢見る根源と同じ次元に存在する夢の異界に、悪夢からの落とし仔が訪れた。

 

「すまんな、人間性の獣。狩りの時間だ」

 

「……何者、ですか?」

 

「グランドフォーリナー、月の狩人―――ププラ。

 親愛なる盾の狩人の為、貴公を殺しに来た人間だ」

 

 血に酔う人間狩りの刻。二人は殺し合い、人理の終わりの終わりで許された冠位の霊基を得た霊体の狩人が、灰の弟子たる人間性の化身を打ち倒した。快楽の獣性を獲得した人間を幾度も殺し尽くした。殺人現場たるそこは最早、星が命を夢見る人理の外側。最果ての外側である根源の渦の向こう側にて、快楽の人間菩薩は殺された。しかし、不死故に蘇り、ならばと首を捥ぎ取って保管することに狩人は決めた。

 人間――ホモ・サピエンスはそも、認知によって世界を生きる。感覚器官から取り入れた情報を脳内に挿入することで、現実と言う名の虚像を演算する。全てが脳に繋がる。謂わば肉体も現実を夢見る為のパーツ。余りにも優れた虚構を作り上げる脳機能進化により、他のホモ属である人類種を皆殺しにして霊長たるヒトの位を星から与えられた最優秀殺戮知性体。

 本来、生き物は名誉の為に死ぬ意味などない。

 そして、生きる事以外に命を奪う必要もない。

 神と言う概念を作り上げる脳が、進化の根底。

 脳が生んだ集団共有する概念を理解する知性。

 謂わば非現実を現実だと幻視する事が人間性。

 宗教、国家、利益の為に自も他も殺せる知能。

 だからか、脳が生きていれば現実を夢見れる。

 最初から夢見ることで何万年も進化し続ける。

 人間の遺伝子は、この地球でより良く、より広く、支配種族として生存する為に変異した。社会と言う脳の神経回路が演算する虚構を成長させる知性進化の途を選んだ。

 月の狩人ププラは脳こそ真実だと啓蒙されていた。

 人間は脳と言う肉体の核が進化の要だと理解した。

 魂を閉じ込める檻だと知り、夢見る箱に使用した。

 快楽を持ち帰ろう。古都の悪夢は血に酔うが、狩りの快楽が更なる進化を促し、素晴しき獣性を狩人が夢へ啓蒙する。狩りが、愉しくなる。より気持ち良い血の酔いが脳を愉しませる。

 

「魂を焼き殺す灰の様にはいかんな。しかし、私の人間性を当てにしたな?」

 

「はい。根源との繋がりが断たれた異界ですが、世界が違くとも人の脳は同じ宙に繋がっています。それは、血の繋がった私と貴女も。

 きっと、来て下さると思ってました。御人好しで、且つ御節介な貴女なら尚の事。

 上位者からの呪いで獣性を得た人間を、獣狩りと称して狩り愉しむのが狩人の業。

 人間性からの膿みで獣性を得た人間を、狩りたくて堪らない狩猟衝動に襲われる。

 殺生院の獣性は謂わば、自らを人間と名乗る獣が数十万年もの間、増え続けた繁殖衝動の具現体の側面も有します」

 

「上位者へ、子作りの快楽とは……ッチ、君は脳が良い。私より、人間として利口だ。善性と悪性のバランスを正しく律すれば利己的、且つ利他的にもなる素晴しき考えにも至るもの。

 善悪両立。自他確立にして、利害の天秤。

 平等で在るが故に、比較する心を失くした魂。

 なら獣性と啓蒙も、等しき上位者からの脳への祝福にして呪詛となる。

 変わったな、マシュ・キリエライト。以前の君なら、人殺しを助けて欲しい等と思いもしなかっただろうに」

 

「変わりました。殺せるのなら、誰の手でも良いのです。私でも、貴女でも。

 何より、言葉にせずとも、貴女は私の思考と感情を理解して頂けます。想いを打ち明ける事だけが、コミュニケーションではありません。

 頭が良い狩人の貴女なら、すれ違いは有り得ないですから……うん、とても便利な啓蒙的頭脳だと思います」

 

 聖杯への供物を保存する為の培養液。それに融けた人血、獣血、白血を混ぜた青ざめた血。そして、脳缶に改造した聖杯はカレルの秘文字(ルーン)が刻まれ、呪われた冒涜的血晶石が埋め込まれ、その中に快楽の獣性を宿す脳が収められていた。

 仏の微笑みを浮かべる殺生院祈荒の生首が、魂だけが死ねずに浮かんでいた。

 もはや魂と脳があれば完結する世界に至った人間菩薩は、そもそも自分だけ居れば事足りる。証拠として、首だけを脳缶に入れられていると言うのに、人間性に膿んだ彼女のソウルが生んだ快楽絵画世界であるこの異界は崩壊していなかった。

 

「此処は、ヤーナムの悪夢に融かそう。君等人理が繁栄する根源より流れ落ちた宇宙に蕩ければ、ソレが定めた律にとって激毒以外の何物でもない故。

 となれば、我らの悪夢を創世した悍ましき月のケレブルムも、喜んで快楽の夢を受け入れる。

 全く……―――集合無意識領域、阿頼耶識。我らの悪夢を、癌細胞を溜め込む肥溜だとても考えているのか?

 とは言え、我らの悪夢に獣の快楽は非常に有能。知性から新たな知性を誕生させる素晴しき獣性となるのも事実」

 

「恐ろしいですよ。これ程の貴女でさえ、月の一つでしかないのですから」

 

「その台詞は灰に言え。平行世界の数だけ異なる己が存在する秘匿は、あの人間から受け継いだ世界の神秘だ」

 

 脳缶聖杯を地面に置き、狩人は椅子代わりにして座った。盾騎士より背の高い狩人は彼女を見下ろして話していたが、今は逆に盾騎士を見上げていた。

 

「奴等は、自分自身を唯の人間だと認識している。他人がどうあれ、奴等の自己認識は"人間”で完結し、この人理の世へ絵画世界から解放された。

 私も同じだ。私は、唯の人間だ。人間以外だと認識出来ない。

 人間の脳は、自分を人間ではないと思えない。血により死んだ人間としての遺志に、未来永劫果てなく囚われるのだろう」

 

 ―――剣製の魂魄。

 ―――根源の接続。

 この血を密かに得た狩人が古都に帰れば、その神秘は悪夢に蔓延する。他の月の狩人にププラが狩り殺されると、その遺志が狩人に伝染し、その狩人が他の狩人に殺されると更に感染し、一瞬であらゆる月に神秘が保菌される事になろう。

 

 

 

――――<◆>――――

 

 

 

 殺生院祈荒の消失。彼女は邪悪であり、関わった個人個人を愛に溺死させる人間菩薩だったが、人間社会自体に与える影響は意外の事に善性のものだった。

 ―――相互理解による文化交流。

 ―――宗教間の利害関係の改善。

 ―――エネルギー問題の共有化。

 ―――テロリズムへの抑止効果。

 ―――独善的独裁者の人格軟化。

 ―――経済発展と貧困層の減少。

 ―――圧政崩壊による飢餓撲滅。

 少しだけ、互いに優しくなれる歪な社会に管理されていた。テレビで中継され、ネットに拡散した愛の呪詛に塗れた映像が人々の頭脳を干渉し、人を愛する人間性に汚染された世界に替わりつつあった。あの女の正体は自分だけを愛する救世主だったが、師である灰に精神性を啓蒙されたことで、自分に都合が良い自愛的世界平和を作ろうともしていた。

 精神に潜む裏側の管理者を知り得ない世界中の誰もが、昔よりも今が良い世界になったと実感していた。あの尼僧は人にとって極大の邪悪でありながら、確かに世界を個人に依存させる程の素晴しき聖人だった。

 依存性の高い麻薬のように―――平和に、人間社会は甘く腐ってしまった。

 菩薩に心が管理されなくなった日。

 人に人が、愛と言う衝動を僅かに持てていた精神管理から解放された刻。

 たった一人の思想家のテロリズムによって、己が命を捧げる自爆犯が各国の政治機関を攻撃。世界で同時多発的テロ行為が引き起こり、国際均衡に亀裂が入る。敢えて、戦争の選択肢を選ぶ非平和主義派の人間は生かされ、世論の操作もあって戦争勃発の土壌が作られる。

 尼僧の死から二年後、第三次世界大戦にして、歴史の転換となる最終核戦争が始まった。

 大地は焼かれ、空が燃え上がり、海が放射能で汚染された。人間が、人間を壮絶に殺し、死なせ、根絶やしにする自滅行為が愚か過ぎる程に繰り返される。余りにも醜い殺戮が幾度も引き起こされる。地球が数億年も掛けて生み出した生命系統樹の結果たる数多の動物種が死滅され、もはや植物が生きられる地球環境ではなくなった。

 

「科学と言う宗教信仰。嘗て神だった自然を克服した自分達の技術を、新たに人間を管理する神として崇める人間社会。その科学と言う知恵によって、誰もが神の視座を知識として共有化する素晴しき思想。

 人間が作り上げた人間の為の、破壊の太陽。

 あぁ、人間の生み出す業は、何て―――美しい。

 辿り着く自滅の未来。しかして全てが根絶されることなく、生存はまだ許されている。ならば科学文明と言う神を克服した新文明社会が、この地獄を生き延びた人間からまた生み出ることでしょう」

 

 自滅的虐殺。剥き出しになった人間性。灰は灰らしく、こう在る人々を人間だからと素晴しいと喜んだ。人間が何物の欺瞞に縛られず、欲望の儘に文明を滅ぼした業を良しと微笑んだ。

 そして、これまた灰は灰らしく、その儘の生活を営んだ。

 人間社会崩壊後の末期世界など、灰にとって当たり前な世界過ぎて何の感傷も感慨もなかった。

 何故なら、人間は世界の終わりに辿り着いても諦めない。人間は、人間の業を根絶されるまで止めず、何処までも足掻き続ける。

 ―――人間は、永遠に人間だ。

 自分がそう在り、今もそう在るのだから、この人理の世の人々も人生を愉しめるだろう―――と灰は人の強さを信じていた。あるいは、その強さがなければ人間ではない人の形をしているだけの生物に過ぎず、人を騙す神のように人間性によって世界から駆逐されるだけだとも嘲笑っていた。

 何より、魂一つあれば―――自由である。

 己が魂を確固とすれば、苦難も苦行も日常だ。

 死に塗れた地獄であれ、人間は慣れる生物だ。

 故、誰もが罪人だった。人間は例外無く、人間で在る故に今までの人類史を焼き払った愚か者だった。そして文明が灰に還った新時代を生きる白痴の幼子だった。

 白紙化した人間社会。

 灰燼に帰した文明圏。

 太陽(ニュークリア)で燃えた何も無い灰色の大地は、やがて惑星の生命が枯渇することで鋼の大地となる。それでも尚、生存不可能な筈の地上で生き延びる人類種を見た母たる地球は、この悍ましい寄生生命体を気力の悪さから根絶やしする為、他惑星に救援信号を送ることになるだろう。

 とは言え、まだ時は来ない。人理を人類と共に夢見る事を止めた星が、死に逝く自分と共に子を道連れにするべく、人類抹殺を希う時代は遠い先だ。

 

「醜い……」

 

 一言、盾騎士は漏らした。狂乱の中の、虐殺だった。アニムスフィアが全てを支配する統制神秘社会だった。人理保証期間カルデアが設立されない筈のこの平行世界だったが、アニムスフィア家は魔術協会に所属した儘で続いており、何よりオルガマリー・アニムスフィアは所長に就任していないだけだった。

 最終戦争による人為的なオーバーカウント1999の発生。

 それは神秘無き世界。魔力が枯渇した死ぬだけの星の地表。

 魔術回路を持つ魔術師(メイガス)は、霊子電脳と自分を接続する最新の魔術師(ウィザード)となり、アーマード・コアと呼ばれる人類史最悪の兵器を使うパイロットと成り果てた。そして、魔術師と言う新人類種が人間を律する上位種族となり、彼らは支配者階級となる社会となった。

 宇宙エーテルよりも異常なコジマ粒子。惑星と生命を蝕む人類種の毒素。アニムスフィアによる輸血をされなければ、呼吸する事さえ儘ならない地獄の環境化。生き延びた人間は全てがアニムスフィアの管理化に置かれ、そうでなければ人類文明圏から追放された荒野か砂漠か、生態系が異常進化したコジマ・ジャングルたる巨樹森で生きるしかなかった。

 その上で、国家の体を為す何十社もの巨大軍事企業を互いに争わせ、技術発展を人為的に進める戦争経済。

 ならば今のこの惑星はオルガマリーが全てを支配している。彼女の脳が人類種を啓蒙する。より素晴しき思索の儘、社会は思索実験の遊戯基盤として玩具にされ、人間の技術力を果てしなく幾度もブレイクスルーを繰り返すことで強制進化させ、この宇宙で最も進んだ知的文明圏を作ろうとした。星の要らぬ人間だけの人理を生み出そうとしていた。

 

「醜いです。何でこんなに……醜くて……」

 

 だから、盾騎士は殺した。目に付く人間、全て殺した。彼は人々の為、人々の敵を殺し、悪を倒した。体が動かなくなるまで戦い、人々を助けた筈のエミヤを背後から騙し打ちされた。無辜の民衆が彼の首を撥ねて殺し、バラバラになった死体を掲げて喜んだ。

 ―――悪の宴。吐き気を催す人間本来の人間性。

 悪の敵となった男だけではなく、女も、子供も、老人も関係無く、彼と共に玩具にされて処刑された。数十万年間、何も変わらず、あるいは敢えて変わらず、星を滅ぼしても延々と積み重ね続けた知性(ヒト)本性(イデア)

 愉し気に、狂った様に、瞳を星みたいに輝かせて踊っていた。

 だから、盾騎士は徹底的に鏖殺した。生かしておけなかった。

 人理を夢見る醜い生き物を、彼女は見逃す事を出来なかった。

 もう、獣を焼くように焼却するしかなかった。死に続ける命が連鎖する気色悪い人類史を憐れんだ獣のように、盾騎士は獣性の儘に獣たち焼き殺すしか途は残されていなかった。

 

「あー……うー…………うー?」

 

「…………」

 

「あー?」

 

 殺戮の限りを為した彼女の眼前、人語を喋れない人の形をした人間―――幼子。

 星見の瞳を持つ盾騎士は名を視認し、その血に混ざる遺志も啓蒙されるが、その真実から目を背けようとする感傷が思考から生まれ、だが逃げた所で現実は変わらない。夢の中でさえ人間にとって、その夢は現実と言う真実から生まれた世界に過ぎず、彼女に逃げ場など存在しない。

 だから、盾騎士は、震える手で、子供の頭を撫でてみた。

 楽しそうに微笑み、笑い声を上げる姿を見て、盾騎士は心に亀裂が入るのを実感した。

 

「シネェ!!!」

 

 その背後から殺意の雄叫びを上げ、先端の尖った鉄パイプで突き刺しに来た強化人間の女。盾騎士はその攻撃を回避すると同時、何の躊躇もなく女の顔面を殴った。顔面が拳の形をして陥没し、血液と肉片と脳漿を撒き散らしながら吹き飛び、人外と化した化け物の筋力で人体を容易く破壊した。

 顔に、人の脳味噌が付いた。それも唇の上であり、盾騎士は人間の脳細胞の味を意図せず知覚してしまった。

 嫌悪と苛立ちから地面に唾を吐き捨て、唾液混じりの脳液が地面にへばり付く。顔を覆える単眼兜を被っていれば良かったとも思うが、盾騎士がそれをトリガーにした自己暗示によって脳と体を殺戮機械に作り替える為、人間性を棄てた一つ目の怪人となってしまう。子供を撫でるのに心亡き化け物にならなくてはならない程、彼女はまだ自分自身を割り切れていなかった。

 

「きゃー、きゃきゃ!」

 

 人が死ぬ光景が愉しいのか、自分を誰かが守ってくれたのか嬉しいのか、あるいは両方かもしれないが彼女の前で幼子は喜んでいる。

 また、そんな子供の頭を盾騎士は撫で―――そのまま握り潰せばそれで良いのに、と思うのに出来なかった。

 彼女はもう人の涙を流せる心を魂から失っていたが、魂から人の尊厳を失えなかった。それ故、棄て切れない自身の善性に絶望した。死ぬべき罪人だと言うのに、出来る悪行と出来ない罪科に線引きする己が人間性に失望した。瞳に映る人間の中から、選んで人を殺す傲慢な自分の正義感を嫌悪した。

 カルデアの魔術師達がそう望み、そう育てたと言うのに、ロマニ・アーキマンと言う男の人間性を知る盾騎士は、彼の遺志から継いだこの善意をゴミクズとして廃棄出来なかった。

 

「………子供は、可愛いですからね」

 

「あ! あ! ああ!」

 

「そうですよね、エミヤさん……」

 

 快楽の人間菩薩が生んだ獣の落とし仔。あるいは、幼年期の魔人。剣製の遺志を継ぐ獣の子を盾騎士は拾い、彼が守っていた命を守るべく、彼女は旅をする事に決めた。この何もかもが滅び去った文明社会を復権させるべく、戦争経済が何もかもを支配するオルガマリー・アニムスフィアの世をまだ生きることに決めたのだった。

 次世代アーマード・コア、ネクスト。機体名、ラウンドシールダー。

 殺戮兵器であり、今の彼女にとっては移動手段でもある寝床。それのコックピットに幼子と共に乗り、盾騎士はその地から去って行った。その日から盾騎士は、世界の為の戦いを惰性と割り切った。

 人助けの為の―――人殺し。

 その矛盾した善悪を彼岸に追いやり、盾騎士は幼い命を育てることに決めた。人間は必ず死ぬが、殺される絶望で命が終わる瞬間を見るのに厭いたと言う感情もあった。医療行為等によって死を見届けるのは兎も角、戦争屋として戦場で見る誰かの命の煌きをもう見たくなかった。

 

「お母さん。お母さん。ロボット、乗せて」

 

「駄目です」

 

「なんで!?」

 

「普通に、子供とネクストを接続させるのは倫理違反でしょう。私を鬼畜生な駄目保護者にするつもりですか?」

 

「良いじゃない。ボク、デンジャラスビーストボディなんだから」

 

「幼い女の子が、自分の体をそんな風に言うんじゃありません。

 倫理の育成は難しいですね。そもそも貴女、誰に似てそんな破廉恥な服を好むようになったのですか……」

 

「生みの親と育ての親の、ダブルパンチだと思うけど?

 際どい服、こう何故か馴染む。着るとテンションが凄く上がる」

 

「―――……貴女、もしかして私のタンスを漁りました?」

 

「テヘペロ」

 

「お小遣い、減給です」

 

「鬼ババア!!」

 

 殺戮の合間の、十年程度の穏やかな平和。拾った子供を育てる義務を盾騎士は自分に課したが、思いの他に順調に子育てが上手く行き、手応えが余りなかった事に驚いた。何より誰も殺さず、無関係な人間を守る事もせず、傍で育つ一つの命だけを守り続けた。

 だが、そうでなくても構わない気持ちもある。善を目的に、悪を遂行する。人工英霊である盾騎士は、その矛盾に苦しまない普通の精神性を獲得している。人殺しと言う罪を背負うのは辛くて重いが、それだけだった。どれだけ背負っても、心が折れる事が出来ない。

 けれども、この生活は―――穏やかだった。

 あの人間菩薩がこの世に残した命が、盾騎士に愛を啓蒙した。いや、してしまったとも言える。

 それは母性由来の愛情。母親が子供に向ける類の愛情。男女間のような利己的な欲がなく、利害によって生じる悪性が一切無い愛する心だ。

 

「こんにちは、キリエライト。私はアニムスフィア。

 現行人類種の支配者であるカルデア機関長、オルガマリー・アニムスフィアです」

 

「―――……あの子は?」

 

「拉致しました。素晴しき人理を我ら人類種が夢見る為、より良き希望の未来へ至る為、我々が彼女を人体実験に使用します。人類史の為、消費させて貰います。

 勿論、保護者の貴女もカルデアが保護し、新強化人間開発のサンプルとして協力して頂きます」

 

「―――分かった。理解した。怒りの儘、私は貴方を狩り殺したいと願う。

 でもまだ私と貴女は話し合っていない。だから、もっと貴女の心情を聞きたいです」

 

「瞳が脳を真実で啓蒙すると言うのに、私の言葉が必要と?」

 

「はい。理解し合えないと納得してから、殺すなら殺すと決めたいのです」

 

「成る程……―――成る程。もし譲歩が可能なら、確かに私も話し合えるわ。此方の都合上、彼女に人の上位者を生んで貰うのは避けられませんが、私としてならそれで充分な話です。

 元より、命を奪うつもりはありません。けど何と言いましょうか……その、女としての尊厳を穢すのを貴女が許せるのなら、殺し合う必要もないのは事実。しかし、それを言って説得しようとも、我ら人類種の邪悪を貴女が許せるとは到底思えません。

 貴女が子供が犯されるのを我慢出来ると思えず、強硬手段を取りました。

 とは言え、この事実を言葉にした所で、そっちもそっちで殺意をより強固にするだけの結果になる筈だけど?」

 

「そうですが……まぁ時と場合と、相手にも因りますから。

 殺し会うしかないのも分かりますが、話し合える人と対話する時間が有るのに、意志疎通を無駄と切り捨てることこそ、精神性の消耗だと気が付きました」

 

「貴女、私より大人ね。根が、善悪混じる人間性を良く悟った善人みたい。

 でも、そうね。カルデアのこっちが、悪どいことを新人類種の人理の為に代行し、生け贄になることを貴女方に強制するから、そんなのを言うのが人に惨いし、人間として最低の言い訳だから恥ずかしいとも思う。

 世界の為、人類史の為……何て理由は所詮、本能の儘に星を目指す獣の知性なのよ。

 邪悪で在ることの理由に、希望の為の善意だって言うけど、やっぱりそれは、私が人々の世界を見続けたいって言う個人的な好奇心でしかない」

 

「本音を、感謝します。オルガマリー・アニムスフィア。

 私も嘗て、同じ理由で世界ごと人々を殺し回りました。

 なので、動機は分かります。心情も悟れます。友人にもなれましょう。

 ―――殺します。

 貴女を殺し、あの子を守り、今のこの人理をアニムスフィアから解放します。それが人間の獣性を宇宙に解き放つ愚考だと理解した上で」

 

「人をヒトのまま、文明を進化させて宇宙を旅し、ソラの新時代を彷徨する私が夢見る人理。

 宇宙を旅する文明も、より強い技術によって創生し、どんな宇宙人の人理にさえ負けない人間の阿頼耶識を、上位者の神秘を寄生させて羽化させる。牢獄と化したこの星から、宙へ人類種を羽ばたかせる。

 多分、理想的な社会になるわよ?

 この太陽系で生まれた全てのアリストテレスを駆逐し、この銀河も他銀河も、あるいは外なる宙で生まれた生命や兵器であろうと、私たち人間には敵わない宙の人理を作り出す。

 数多の平行世界にある可能性の未来において、一つくらいこの希望がなくちゃ、憐れだし、駄目だと思う。この宇宙が根源から魂を招いて創った知性として、必要とされたから生まれた命なのなら、そうじゃないと私達人間は人間をやりきれないじゃない」

 

 根底にあるのは―――永遠。

 何処までも続く不滅の進化。

 徹底して人を終わらせない。

 人理と言う悪夢を、人間が人間だけの意識で見続ける恐ろしい夢。

 

「ありがとうございます、オルガマリーさん。

 相互理解の上、これで擦れ違いなく相容れないと実感し―――狩り合える」

 

「貴女は自分が育てた命を一つ守る為、これから宇宙に広がる可能性の希望を潰すのね。ならば、私も夢の可能性を導きましょう。

 その一つの悲劇を基点に、数兆、数京と増える未来の命を守ります。

 人理と言う人類種の悪夢が、やがて外なる宇宙さえ夢見る為にも、そして知性体が宇宙文明を越えた母たる高次元領域に至り、その先の根源文明に辿り着く道を、私は永遠に諦めない」

 

 夢見る星見の瞳が、世界からひとつの命を守ろうとする女を認識した。

 至高にして、糞団子の如き――敵。

 壮大な夢を見る為だけに、この狩人は少女を強引に孕まし、宇宙文明の母胎にしようとしていた。そして惑星を支配したオルガマリーのカルデアは支配領域拡大を止めず、次に支配する恒星と惑星を人類史が獲得する為、文明技術を進化させることで太陽系全ての管理を目指していた。

 また一人になった盾騎士は、闘争だけが元気に渦巻く地獄の地表で戦争経済に参加していた。カルデア傘下の軍事企業同士が殺し合う呪い染みた新人類史の社会形態は、確かに社会としては発展が一切止まらず突き進み、技術進歩が一日毎に進み続け、巨大な資本が人間の欲望を更に狂わせて戦争技術が毎日開発されていた。

 そんな暗い星と化した地球の南極上空、宇宙圏の住処でオルガマリーは眼下の星に祈りを捧げる。カルデアの博士が愛した青い世界。根源接続者でありながら、科学の発展を夢見ながらも、その文明以上の叡智を生まれながらに持ってしまった憐れな究極の天才。

 他惑星外来種殲滅作戦―――円盤落とし戦線。

 魔術世界ではオルト(ORT)と呼ばれた生物はカルデアの軍事企業連盟の総力によって細胞一つ残さず狩り、コジマによって蘇る余地なく完璧に抹消された。宇宙空間での活動を視野に入れた次世代人類種の遺伝子開発の為、カルデアは遊星人種の作成実験―――オルト・キリエライトを起動した。

 

「あぁ、コジマよ。コジマの導きよ。宇宙塵を超えた人類種が作った根源粒子。星見たるカルデアが創造した魂の文明エーテルよ。

 ―――遊星狩りの責務、ありがとう。

 コジマ博士。根源に接続した通常の人類史に名を残せない狂気の偉人。本来、人類史に名を残す気が皆無な貴方の御蔭で、地球から人間以外の寄生虫を排除出来ました。

 遂に母たる星を貪り尽くした我ら人類種、星の外から飛来した異星生命の殲滅に成功しました」

 

「―――………」

 

「ちょっと貴女、私の背後に黙った儘、立たないで頂けません?

 この啓蒙的な交信の祈りの所作、神秘的過ぎて近付きたくなるのも分かるけども?」

 

「知らないわよ。後、そのL字をちょっとづつ逆L字にしながら喋るの、結構ムカつくのだけど?」

 

「仕方ないじゃない。脳に、こう波長が()ちゃうんだし」

 

「良く言うわね。私が言うのもアレなんだけど、秘密機関とか作って世界を操る黒幕ライフを愉しむとか、本当に悪趣味極まると思う」

 

「同感。でさ、貴女……―――コジマ、好き?」

 

「まさか、乗せる気?」

 

「根源接続者の魔術回路持ちと、ネクストの相性は良いからね。我が人理産の凄いロボットに、ロボットよりヤバいのを乗せるのは、正に外伝的浪漫でしょう。

 それにカルデアでも神経改良した強化人間を一点ものとして作ってはいるけど、最高傑作のキリエライトをシリーズ化して量産した方が良い人間が作れるし……結局は遺伝子デザインの奇跡が一番だし……何よりも、魂から精神面も継ぐクローンを私は作れるから。

 やっぱり、根源と接続した魂を作ると面倒が無くて良いのよ。

 血の遺志は良い。肉体だけじゃなく、コピった魂からメンタルも写せるからね」

 

「貴女の趣味、気味が悪い。キリエライトを素体にオルトやセファールにプラスアルファで真祖の魔力を混ぜ、更に遺伝子に私と貴女の因子を組み込む新人類種とか、悪夢と言う何でもあり時空でなくては実現しない妄想よ」

 

「だから、現実は駄目なのよ。この程度の惰弱な宇宙法則の上だと、私の思索に耐え切れない。もっともっと自由なる思索を許してくれる時空間でなくては、ヤーナムの学術者は満足に研究に没頭すら出来ません。

 まぁまだ、私の脳内から引っ張り出せないけど。

 現状いっそ人化小アメンをアーマード・コアに乗せた方が、異次元操縦力が面白可笑しくて、感動」

 

「そう……で。キリエライトの子、どうする気なの?」

 

「血は、継がれたわ。出来損ない私と異なり、とても優秀な女です。

 子に成れても、子を生せない私は、正しく生まれるべきではなかった無能者だからね」

 

「自虐は良いのよ、興味ないし」

 

「正論ね。では根源が律として支配するこの宇宙において、全能となる接続者である沙条の魔女。素晴しき邪悪な恋を夢見る貴女に問いましょう。

 この数十万年間における我ら人類種の歩み、その進化とは何だと考える?」

 

「さぁ……?

 それもまた、私は興味無いわ」

 

「単純、間引きに因る家畜化よ。

 狩猟社会から農耕社会に形態移行(パラダイム・シフト)する際、人間らしい人間ってのは過密化した村社会に適応し難かったの。なので、人間が管理し難い人間は即座に殺すか、虐め殺すか、迫害するかと言う選択が取られた。群れを形成する他知的動物も、他者に荒々しい勇猛な個体は無用な者として殺害される傾向にある。

 そうするとね、現行社会に適応する遺伝子が残り、その遺伝子同士の子供が子孫として繁栄する。

 それを何万年を繰り返した果て、今のこの社会を形成して生き残った遺伝子が、霊長として生存している。

 社会不適合者ってのは遺伝子上、ある意味で先祖還りに近い。存在不適合者ってのは、より人間の本質たる魂に近しい人間そのもの。

 魂の儘に生きる人間は人理が運営する社会上、人類種として―――論外。

 社会と言う被造物を生み出し、法律と言う社会の律を作り出し、自らで自らを家畜化したことが、人間と言う人類種の人工的な進化方法となりましょう」

 

「あぁ、成る程。つまり貴女、カルデアによる人工進化は正しいって言いたい訳ね」

 

「本来なら数百万年、あるいは数千万年分の進化を、知性で極めた社会が生んだ技術によって作り出す。

 そして、数十億年の歳月を生きた星々が生み出す究極の進化形態。その結晶たるアリストテレスの生命へ人間が至る為には文明の進化に応じた遺伝子と肉体と脳の人工進化は必要不可避であり、それを超えるにはそもそも魂を根源の枷から解き放つ必要がある。

 我々は―――高次元暗黒を生きる意味がある。

 カルデアと言う文明社会が、正しく人々を宇宙で生存可能な家畜にしましょう」

 

「私は根源と繋がる人間だから、今の世界をその気になれば新しい世界のテクスチャを張り付けて、自分に都合が良い新世界を作り出す事も出来る。無意味だからやらないだけで、可能と言えば可能。

 けれど、貴女のそれは魂をこの宇宙に与えた根源への冒涜ね。

 世界模様(テクスチャ)なんて何でもよくて、人類種として進化する為の舞台装置(ステージ)が貴女には必要なだけ」

 

「それが私の冠位指定(グランド・オーダー)。人の魂が今の法則から卒業する為の、幼年期を終える為の旅を始めること。

 ただただ、見たいのです。見続けたいのです。

 未来を見る貴女が観測出来ない希望の始まりに至りたい。

 根源にもない記録されていない新しい終わりに向かう宙への旅路を、せめて永遠に生きる私は進みたいのです」

 

「そんな事の為に、キリエライトから子供を奪い取ったと」

 

「そんな事の為に、夢の狩人たる私は子供を犠牲にします」

 

 家畜小屋で育てた動物を愛でる牧場主の気持ち。即ち、被造物を管理する造物者としての瞳。自業自得で惑星を殺した地球人を、鋼と成り果てた死の大地で育てる星見の狩人は、自由を得る為に更なる家畜的進化を自らに施して自由を失う人類種を獣性から憐れんだ。

 戦え。貪れ。殺せ。奪え―――血を、流せ。

 何も変わらない営みだ。何一つ、仕組みの根底は変わらないことだ。

 より過酷になっただけだ。原始時代より不適合者への間引きが厳しくなっただけだ。

 社会を造形するのも、社会を維持するのも、社会を管理するのも、人間が人間の為に行う業だった。

 可能性がある選択肢が豊富な未来。世界の理不尽無き自由を目指す事こそ、自由の奴隷へ堕ちる人間性の矛盾。

 文明が生んだ獣性全てを獲得し、星見の狩人は神秘を遺志へ啓蒙することで獣を克服する。支配者を演じるアニムスフィアはカルデア機関員である沙条へ、とても優し気な微笑みを浮かべた。結局、夢に向かって走り出すのは楽しくて堪らない。

 オルガマリー・アニムスフィアは新人理誕生の為、少女一人の尊厳性を穢す罪を古都の学術者や医療者同様、むしろ探求心から血の歓びを得ているのだろう。未知を啓き、暗闇を照らす人道に善悪は無く、彼女は己が脳を啓蒙する儘、未来を曇らす悪夢を狩り続けたかった。

 其処はカルデア宙域の、楽園。

 下界はカルデア管理区域の、失楽園。

 壮大な夢物語を語りながらも、所詮は人間に人殺しを強要する独裁者の独善。

 カルデアの支配する星はもう例外無くそれしかない滅び終わった世界だが、それでも進化を人類種に求めさせた罪を背負う責務がオルガマリーにはあった。独善しか許されないのだろうと、滅びを良しとしない事が罪科となる理不尽が人理には存在する。

 その仕組みが、彼女は愉しくて堪らない。

 苦悩と苦難に満ちた世界が自分の意志を極めるのだと、人間として嬉しくて堪らない。

 輝ける星を目指せ、と彼女は全人類種に求めた。そうでない人間は社会に無用であると、人類種の現行文明自身に間引かせた。その結果、滅んだ後の地上は更なる地獄に生まれ変わった。

 そんな地獄で、盾騎士はまだ戦い続けた。

 アーマード・コアを操り、回路持ちごと他のネクストを戦場から駆逐した。殺すこともあれば、殺さなくて済むこともあり、コジマに心身を汚染されながらも戦い続けた。

 

「キリエライト、主の威光か。また随分と洒落た偽名だな」

 

「……………」

 

「沈黙か……――ふ。寡黙な女だ」

 

 子供を奪われてから数年後、盾騎士はスミカと名乗る魔術師と邂逅した。いや、魔術師の意味がないこの時代なら回路使い(サーキッド・ユーザー)と呼ぶパイロット人種だろう。

 その者は通信越しに盾騎士へ話し掛けるも、彼女はそれに無反応だった。何故なら、ネクストを同時三機破壊した後の最悪な余韻を味わっている最中であり、そのバックにいた軍事企業を壊滅させた後でもあり、つまりは虐殺の限りを尽くした罪悪感を何とか自省と悔恨で消化している時間だった。

 その上、AMSの負荷により盾騎士は神経回路が焦げ付き、視界が七色の光に満ち溢れ、まるでサリエリが演奏する星の歌が耳の中で響き渡り、鼻血が止まらず口と顎が血塗れになった。瞳からも血涙が流れていた。体にも血が垂れ落ち、逆流してきた光に脳が焼け始めていた。

 

「話が貴様にある。アニムスフィアを狩る計画だ」

 

 南極上空、宇宙圏。空に建築された巨大浮遊宇宙ステーション、アスピナ・コロニー。その中に建築された統合機関、カルデア。そして、其処が地球を覆うアサルトセルの全てを管理する惑星包囲装置の制御施設であり、飛来してきた宇宙生物や宇宙文明を撃退する人類史最強の宇宙要塞でもあった。

 つまるところ、考え方としては蟲毒の壺だった。悪夢よりも尚、悍ましい現実の邪悪だった。旧世紀の文明を滅ぼした現行文明の人間達は、既に宇宙進出可能な技術を持ちながらも、コジマ粒子が満ちる死滅した惑星に閉じ籠められていた。

 全ては、オルガマリーによる輝ける悪夢(オーダー)

 闘争を愛する究極の人理を煮詰め、更なる知性の進化を促す啓蒙的思索。

 恒星級単独種宇宙生命体を、文明の神秘で以って撃滅する個々人。それは究極の兵器を量産する最強の群生知的生命種の創造。

 次々世代アーマード・コア、オルテナウス。機体名、カルデアス。

 機関長オルガマリーこそ最悪のパイロットであり、最終戦争後の人理世界で最も人間を虐殺した個人。そもそも彼女は地上全てを滅ぼす事を単独で可能とする人類種の天敵だった。

 当然と言えば当然だったが、盾騎士のラウンドシールダーはカルデアスに勝てず、大破した。宇宙にあるアスピナに行く事も出来ず、カルデアが所有する唯一無二にして一機だけのアーマード・コアに軍事企業連のネクスト全てが敗北し、現行地球人によるオルガマリーへの反逆は失敗した。

 

「現行人理を人類が自滅することで消えた新人理……ま、剪定事象など面白くないですしね。

 けれど、御父様の願う人理ではない。新たな星の、新たな人理など不必要。人理を夢見るのは人類種だけで良い。血より私は遺志を継ぎますが、私は私の願いを生きる限り継ぎ続ける」

 

「…………」

 

「ダンマリですか。悲しいわ。前に瞳で見たけど、貴女は謂わば、私の妹のような人造人間じゃない?

 世界は違えど、根源からこの宇宙に流れ落ちる魂は一緒であれば、その意志は似たような存在だと思うの」

 

「アーマード・コア開発南極基地、アスピナ。カルデア機関長、オルガマリー・アニムスフィア。

 大層な肩書ですね、血の狂人。随分と愉し気に、人理と人代を支配している様でいて、遠いカルデアで生まれた私も嬉しく思います」

 

「おっと、辛辣な返答。でも返事、ありがとう。

 勿論、人間を支配するのは人間として愉しく思う。興味は無くても、性行為を本能的に愉しむ様、工夫された創作料理を美味しく味わう様、遺伝子で設定された本能的快楽が肉体にはあり、その肉体をそんな魂は喜ぶものじゃない」

 

 そう機関長(オルガマリー)は微笑み、コックピットから引き摺り出した盾騎士(キリエライト)の頬を両手で挟んだ。両脚を車輪で轢き潰し、右手を曲刀で斬り落とし、左義手を電気棍棒で感電させ、身動きが出来ない彼女を辱め、心を犯したいと血の欲求が餓えを訴える。

 機関長は立てない盾騎士と視線を合わせる為、膝を着いてしゃがみ込み、瞳と瞳で視線を合わせて狂気を融け合わせた。それはこの世で最も原始的な接触であり、脳の一部である眼孔の交じりは脳接触に等しき行いであり、彼女は自分の人間性で盾騎士の脳を冒していた。

 

「あぁ、血の友よ。暗い紫色の可愛い友よ」

 

「あ……ぁ、ぁぁ……あ……ッ―――」

 

「共に、夢の中を彷徨いましょう?

 私が作ったこのカルデアが、貴女の故郷にまたなりましょう」

 

「―――馬鹿が。

 二度と、私のカルデアを侮辱するな」

 

 そして、容易く再移動した盾騎士のオルテナウスは動き、銃口変形した義手からエーテルが放たれた。至近距離で顔面に直撃した機関長は頭部が消え去るが、首から吹き出る血が頭蓋骨を瞬間形成した後に肉付けされ、元の頭部に蘇生。

 だが、その隙で距離を離した盾騎士は肉体の回復させ、即座に万全な状態に戻る。

 その姿を機関長は(イヤ)らしい瞳で眺める。発情した獣の恍惚と万人を慈しむ聖女の笑顔が混ざったような、人間に異形の魂が憑依した神の微笑みのような、何とも形容し難い狩人の貌を浮かべる。その後、彼女は血塗れになった自分の顔の唇付近の血漿を、常人より少しばかり長い血色の舌で一舐めする。

 

「私の愛の告白、受け入れてくれませんか。

 一緒に上位者を孕まされたあの娘の面倒を見ようと言うのに、そんな激しく断れるなんて悲しいわね」

 

「黙れ、外道。貴女は災厄の類の狩人です。

 あの私を今の私に育んだあのオルガマリーでさえ、ここまで狂っていなかった!!

 どれだけ狂おうとも、オルガマリーは何時だって人理を守ろうとする人類愛を持っていたのに!?」

 

「だって、愉しんだもの。地上全ての呪詛が、私の頭蓋骨の中に溜まるの。悪夢を見る我が脳に人理の人間性が、融けて、熔けて、解けて、蕩け合うの!!

 あぁ、星が見える。海の底から、夜星が眼下に煌き光る。

 月よ、朱月よ、蒼褪めた月よ。人が捨て去る我らの揺り籠を数多の月光で祝福し給え。

 人類愛が人類種を滅ぼす癌となる人の、その矛盾。人理を星より我ら人間が簒奪せねば解脱することは許されぬ」

 

「黙れ、黙れ、黙れぇぇえええええええええ!!!」

 

「母たる大地を滅ぼすまで、人は人を救えない。個人は人類種を愛してはならない。だからこの罪は狩人ではなく、魔術師アニムスフィアとしての私の責務。

 この星から宙の世界へと、人理に縛られる人類全てを導く使命が存在するのだから!!」

 

 恐らく、この星で最強だった。誰よりも強い意志を持ち、何処までも強い魂を持つ狩人だった。盾騎士に機関長となった星見の狩人に勝てる道理はなく、心折れるまで殺され続けた。何時間も、何日も、何週間も、何カ月も、心を狩るまで殺され続けた。その時が来るまで、延々と死に続けた。

 ―――黒い十字架。

 ―――黒い霧巨人。

 宇宙から飛来した他惑星単一生物―――アリストテレス。

 アサルト・セルに覆われた地球を襲うも、コジマが守る成層圏の守りは堅く、どのような生物であれば進めば進む程に細胞が削り取られた。

 そしてカルデアの誇るアーマード・コア、オルテナウスも量産された。そのパイロットも量産型強化人間、キリエライトシリーズであり、各企業の回路使いが操る次世代ネクスト機たるオルテナウスを使って異星生物撃退の第一次異星間大戦が勃発した。

 その異変は凡そではあるが、盾騎士が機能停止をした三週間後程度のこと。よって盾騎士は幾度かは機関長を狩り殺せたはしたが、最終的には敗北を喫した。今はもう捕まり、とある一室で監禁されてしまった。

 

「ねぇ……勘違いはして欲しくないの、キリエライト。

 私とてバッドエンドは好きじゃないし、人類史の天秤を破滅へ傾ける気はないのです」

 

「……今更、ですね?」

 

「未来が見えるってのは都合の良い選択肢を分かった上で取れるけど、心情的にはストレス過多になって人間と言う知性体には不都合な機能となる。ほら、あの沙条の全能者を知れば分かると思うけど、高次元領域からの視座で生まれたこの同次元が分かっちゃうと、その次元で人生を歩む価値が失われる。根源から生じた我らの魂が低次元に落ちる意味が消えてしまう。

 正直言って、この人生―――つまらない。

 ヤーナムで瞳を得た事で得られた感動は素晴しかったし、夢見る事は貴いけどさ、人理を貴ぶ魔術師アニムスフィアの私は死に絶えました」

 

「で……?」

 

「獣性の血を克服したのは不幸だったわ。

 啓蒙の瞳を拝領したのは不運だったわ。

 人間性を捧げ、夢見る狩人となって、人の上位者と成り果てた今―――心の中には何も無い。

 感動が無いのよ。ま、人間性を捧げて狩人になったのだから、血以外に酔える情動がないのは当然。私は上位者に深化した狩人となって、つまりは悪夢そのものとなって人理の世に回帰したと言うのに、人理を夢見る人類種の一員ではなくなっていた。

 ―――貴女と同じ、人理に記録されない高次元暗黒の精神生命となった」

 

「―――……あぁ、そう言う言い訳ですか?

 灰ですね。あの女……あるいは、男の可能性もある並列世界もあるかもしれませんが、あの人間がカルデアのオルガマリーに人間性を与えた、と?」

 

「そうなりますね。残念ながら、私は願われないと変われない生き物です。悲しんだり、苦しんだり、死にたいと願ったりするオルガマリー本人の精神はヤーナムの悪夢で心が折れ、頭蓋骨を檻にして脳内で永遠に眠ってます。そんなオリジナルに完璧な狩人として望まれて生まれたのが、コピーメンタルである今の私。本人格が血の遺志を粘土のように捏ねて作ったのが、第二人格の星見の狩人となります。

 正しく、感応する精神。瞳を卵とし、人血から生まれた精霊。

 即ち、青ざめた血がオルガマリーの中で人格を得たのがこの私です。とは言え、血の遺志から盗んだ心しかなく、自分から感情を生む機能がない紛い物の人間性で、その人間性もオリジナルから写し身ではありますが」

 

「だったら全部、偽物ですね?」

 

「正しく、その通り。悍ましいだけの無様な偽物が夢見た所で……まぁ、狩人様はそれで良かったんでしょうけど。

 あの人、他人に対する貴賎はありませんから。善し悪しとか、効率非効率とかでもなくて、ぶっちゃけると思考の足しになる難問が欲しいだけのところもありましたしね」

 

 本来なら全人類に向けられる程の、人理ごとこの世全ての命を狩り尽くす様な凶悪な人類愛が、盾騎士一人に凝集される。それ程に禍々しい輝ける星の瞳が、個人の意志を圧し折るように魂が愛でられる。

 

「とは言え、所詮は脳の中の夢で起きた話です。現実で喋るには無意味な話題でしょう。そんなこんなで本来の人類史において、灰から獣の資格ともなる人間性の闇を得ることで、私は人間の心を獲得する選択肢がありました。灰をカルデアへあの人理大好き糞親父が招待しても、その灰が私に深く興味を得ないと人間性は得られず…………あぁそう思えば、その可能性を選んだ世界が貴女の平行世界でしたね。

 基本的にヤーナム帰りのオルガマリーは自身の思索の為、何ら躊躇なく人理に寄生し、剪定事象を克服した上で人類史を生み変える。

 即ち、全人類を例外なく精神管理する家畜化。

 その上で、人類種は闘争の家畜と成り果てる。

 社会に適合出来なかった遺伝子と遺志を人類史から剪定し、闘争に特化した進化へと辿る戦争経済の人理となります。この世界の様にね」

 

 そして、アリストテレスの死体が空間固定されて浮かんでいるのが良く見える窓のある部屋にて、盾騎士はSF映画のセットのような拷問器具に似た固定台に拘束され、機関長の無駄に長いお喋りに付き合わされている。しかし無駄話ではなく、恐らくは自分の思索を盾騎士に植え付ける事で遺志を継がせ、この可能性を違う可能性に至った平行世界における対記録帯情報汚染を行う為であり、それも盾騎士は分かっていたが声を無視する選択肢は取れなかった。とは言え、近未来的拷問器具で拘束されてはいるので、盾騎士は苦痛を直ぐ様にも与えられる立ち場ではあり、ある程度は大人しくする算段ではあった。

 尤も機関長(オルガマリー)に盾騎士を陵辱する悪意はない。縛り付けるのに便利だからと使っているだけで、拷問目的で縛っている訳ではなかった。そして組織運営に一応は必要だからと作った尋問室に過ぎず、この南極宇宙ステーションで捕虜を捕まえたのは盾騎士以外におらず、今となっては彼女の個室と成り果てている。

 

「しかし、カルデアのアサルト・セルで覆われた地球を見て下さい。星を滅ぼさず、星が夢見る為の家畜として管理された自由無き平和な人類種の未来を選択した可能性において、他惑星生物による人類種殲滅活動はありませんが、星の人理から解放された人間だけの人理では、どう足掻こうともこの始末です。あるいは、宙に旅立てずに牢獄となった地表で死滅するだけ。

 どのような結末に至ろうと、管理機構からの脱却を目指せばこうなります。

 何処ぞの誰かが起爆剤となった核戦争がなければ、緩やかな文明発展で宇宙進出も出来たのでしょうが、選択を間違えた後の人類史は個人由来の人類愛が世界を救わないと自滅するだけだった」

 

 カルデアが齎したコジマ粒子とアーマード・コアで殺害したアリストテレスの細胞やエネルギーさえ、文明への資源化吸収する人類種を愛おしく機関長は思い、その遺志を盾騎士の脳へと夢の音声(カレル・ルーン)で継がせ続ける。

 

「だから、私は狩人でありながら、この阿頼耶識へと上位者を寄生させた。

 だから、そう在れかしと求められる人理を、感応する精神に適合させた。

 星が生んだ命と、その星が夢見る律こそ人理なら、我ら狩人がその悪夢を狩らねばなるまい。獣を生み出す諸悪の元凶でもあるなら、尚の事。

 故、生み出るのは、星を脱する幼年期の阿頼耶識。

 星が最後に出産する悪夢の赤子です。即ち、星に寄生した人間の上位者なのです」

 

 結局、人間は星々の魔物達に打ち勝った。盾騎士も人類史を守る為、またカルデアの人間兵器として人理の尖兵となって戦った。

 そして子供を機関長から取り戻し、世界を救ったカルデアを滅ぼした。

 しかしながら、既に上位者の赤子は生まれた後の事。企業連合に壊滅された事にし、それを人類史の転換となる革命と偽った。オルガマリーはカルデア崩壊後に名を改めて裏方の組織を作り始めた。

 カルデアを継ぐ秘匿機関―――オドン教会を創設。カルデアが滅んだ後の文明社会で暗躍。

 アニムスフィア・インダストリーと言う巨大テクノロジー企業も作り、宇宙開発事業を掌握。地表における現行魔術基盤が崩壊したことで魔術回路だけが遺伝子に残った人類種を血液で変え、新人類種型人工遺伝子と強化回路持ちを標準化した宇宙環境に適合する生命体への転換を始めた。

 

「――――――――」

 

 育てた子供を救った。だが人間が母たる星から脱するように、子は親から離れて独立する生命。大人になった獣の落とし仔は盾騎士の庇護下から旅立ち、彼女は孤独を楽しめる満足感を味わいながら穏やかな生活を送っていた。

 故、今の星は人だけが夢見る新たな人理の世。盾騎士がカルデアを滅ぼしたことで始まった宙の人代。侵略生物から地球を守ってもいたが、人間を地球に閉じ込めていたアサルト・セルも消え、彼女が救世主となって始まった宇宙開発時代。

 

「―――先輩。

 どうやら私、本当に遠くまで来てしまったようです」

 

 緑化に成功した大地。企業開発都市圏外の村落。その外れの一軒家に彼女は暮らしていた。自分自身以外の何もかもが自分の元から消え、盾騎士はすべき事も全て失った。即ち、孤独を愉しめる程に虚無感を受け入れてしまっていた。もはや、心の中には何も無かった。尤もそれも、軍事企業が施設から意図的に漏らした生物兵器が、都市圏外で人間を捕食する事件が起きなければの話だが。

 村民はカルデア開発の新人類種への遺伝子移行が済んでおらず、武器もなく、無論だがアーマード・コアもない。生物兵器は暴れ、村民を容易く虐殺していた。

 同時に盾騎士もまた生物兵器を虐殺し返した。

 生きたい、と実験施設から同胞を犠牲にして逃げ延びた人型の生物兵器らは、施設で殺された同胞と同様に盾騎士の手で殺戮された。人血を吸わないと生きられない彼らは、ただ生きたいが為に村民を生きながら吸血し、エネルギー源として食事をしただけだった。人間が求めた人を殺す為の兵器であり、同時に人を憎む為に生まれた知性だった。

 

「ただ生きることを求めて、どれだけ死んだのか?

 平穏に生きたいと願い、為すが儘に死んだのか?

 生きる為、人は闘争をしなければならない。戦い、苦しみ、最後は死ぬことが前提の世界。

 繁栄をしない自由が許される穏やかな理想郷。それを否定し続ける事が、間違い続けた過去が積まれて出来た今を受け入れる事が、全体の為の人類史でした。何万年もの人類種の歴史を肯定する為の希望が、私が人間性を捧げて守った人理でした」

 

 血塗れになった地面を踏みしめ、彼女はブツブツと独り言を呟く。村人の死体を、丁寧に、丁寧に、一人、一人、掘った穴の中に埋葬する。自分が殺した生物兵器の死体を運び、尊厳を持って丁重に並べ、一人一人の死に顔を見た後に火葬した。

 殺して―――殺された。

 誰かの幸せを願う程、誰かから幸せを奪うしかない摂理。

 

「誰も救えない。何も変えられない。人理を歪められない。私は何一つ、創れない。もう何も分かりません。先輩、私は何も理解出来ません。世界を何一つ私に人類愛を啓蒙しません。

 ただ生きているだけで苦しい。ただ生きているだけで傷付ける。

 死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。死ね。

 ……オルガマリーも、ドクターも、先輩も、全員が間違っていました。私はずっと間違い続けました。

 もっと皆の願いが叶う良い未来があった筈なのに、希望に溢れた今に来れた筈なのに、苦しみのない正解は存在しませんでした。人間は間違えないことが出来ない知性でした」

 

 受け入れた筈だ。オルガマリーの、宇宙で繁栄する未来を良しとした筈だ。

 

「―――死ね。そうだ、皆殺しにしましょう。

 人理を星から奪ったこの人類種を根絶やしにすれば、きっと人理のない死んだ地球は平和な筈です」

 

 カメラが単眼となる瞳兜を被る盾騎士は、ただただ自分の脳へ延々と絶望を焚べていた。その気になればオルガマリーがそう仕組んで未来を選択する様、彼女も人類史の可能性を剪定する事が可能な脳を持つ。好きなように未来を仕組む事が出来る。人類史の癌であるビーストと同じく、数年もあれば人類種根絶のプランを作れることだ。

 なのに―――人間は、救えない。

 人が救われる希望の可能性を瞳は啓蒙しなかった。

 

 

 

====<★>====

 

 

 

 また戻ったのだと気付き、だが何かが違うと悟るのは早かった。秘匿が厳重になされつつ、だが悪夢から夜に神秘が這い出る。

 獣狩りの夜―――なのに、時間が過ぎる。

 夜明けの朝―――そして、夜がまた来た。

 繰り返される。夕暮れになれば狩りの因果は戻り、幾度も同じ夜が帳を下ろす。

 悪夢を狩るしかない。しかし、そもそもな話、悪夢を狩った所で夢の出来事である。夢の中で誰かの夢を醒まそうと、夢見る自分の現実に何ら影響は無い。

 より匂い立つ血腥さ。

 昼間の生活感と、夜間の冒涜感。

 古都ヤーナムで太陽が空を廻ると言う矛盾。であった筈。まるで最初からそうであったかの様に―――朝が、何故か来ない。

 夢の夜が始まる。あるいは、一日が一日として繰り返されていたのが夢だったのかもしれない。

 溢れ出る狩りの獲物ら。住民、獣、眷属、上位者、狩人。そして、幼年期を超えた夢の狩人らが繋がり合うことで、このヤーナムは青ざめた血を克服した狩人達が夢見る悪夢となった。謂わば、狩人が狩りをする為に生み出した阿頼耶識による混ざり融けたヤーナムだった。

 時間はなく、空間は伸縮し、月が幾つも浮かぶ。狩人の悪夢からヤーナムに古狩人が溢れ、そして夢の数だけ狩人が増え続ける。このヤーナムに、他のヤーナムで新人類種となった狩人が自身を夢として投影し、狩人による狩人の為の夜が繰り返される。

 思索の為。治験の為。何より、狩りの為。

 盾騎士は、最も悍ましい末路に至ったヤーナムに迷い込み、そこで日常生活を送る上位者の狩人に敗れ、また違う上位者の狩人に夢の中で捕縛されてしまった。それは彼女の体感時間で言えば一週間以上前の出来事であり、しかし夢見る古都の時間視点で観測すればこの夜の出来事でしかない。

 

「……―――」

 

「まだ口は動かせぬよ。筋肉が弛緩しているのさ。捕まり、投薬されている間、糞尿が垂れ流しであったであろう?

 肉体が動ける様になるまでの間、お喋りで暇でも潰そうではないか。尤も、貴公は喋れぬ故、思念を脳で交信する私が一方的に口を動かすだけではあるがね」

 

 車椅子に座る男――月の狩人、ケレブルム。

 背後のドレス姿――人形。狩人を見守る者。

 医療教会暗部、悪夢に隠された実験棟に拘束されていた盾騎士を助けた狩人と、その従者。その二人と対面する彼女は薬物と輸血実験によって完全に脱力しており、今は指先一つ動かない状態。しかし、死亡時以外で途絶えない強過ぎる意志によって意識は保たれ、盾騎士は二人を眠らずに認識していた。

 まるで死体のように座り垂れる。眼球だけを彼女は動かし、眼前の景色を細かく観察する。テーブルにはヤーナム地酒である血酒があり、それに飲み飽きた狩人は人血、死血、獣血、眷属の血、上位者の血などをカクテルにしている。尤も血酒の喉越しは狩人的に素晴しいが、余りにも長い年月で血味に飽いているので、最近は普通に味変をしていたり、血酒に酔う合間合間で違う酒を飲んでいる。更には血以外にも、独自開発した精神性魔術嗜好品である神秘薬も狩人は酒に入れ混ぜて酒気を愉しんでいる。魔術師が何かの間違えて飲めば、魂魄乖離によって根源の渦を垣間見るか、ビックバンで弾き飛ばされた宙域外宇宙か、高次元暗黒に通じる悪夢を見る可能性があるだろう。

 そんな魔薬血酒を飲み終え、狩人は血腥い上に酒臭い息を吐く。学んだ重力魔術によって車椅子に座りながら、狩人は棚から念動力使いのように酒瓶をテーブルの上に持ってくる。そして狩人が呑み干した酒瓶を人形は手早く片付け、リフォームで増築された洗い場に幾本もの空瓶を片付けた。

 

「戦う姿を見た事があるが……貴公、血に酔う獣を相手に盾を構えるとは。我ら幼年期を超えた狩人ら間にて、ヤーナムに啓蒙極まり過ぎて頭脳筋の目隠れ美少女がいると噂が立っていたが。

 人間の筋力で、獣の膂力に叶う訳がない……と言う偏見、木端となりて猛省だ。

 獣血に渇くヤーナム野郎が喝采し、雄叫び、その銃火器を仕込んだ殴り盾を真似する者も多くいる。

 機関銃(マシンガン)なる新たな銃器と大盾の仕掛け武器となれば、新型の獲物にもはや浪漫が脳液となって歓喜するのも仕方なし。

 やはり暴力の根底とは筋肉。筋肉さえあれば問答無用で解決する。ステップ狂いの狩り好き共に、貴公は素晴しき脳筋の導きを与えたのだよ。身を守りながら獣を殴り、獣の肉ごと骨を砕き、体幹が崩れた所で臓物引き抜きとは、実に清々しい筋肉的狩りである」

 

「…………」

 

「照れる必要はないよ、盾騎士卿(サー・シールダー)。貴公の脳波長を私の脳は受信可能であり、心と心を繋げて交信するのも容易い。言葉だけが意志を伝える手段ではない。誰とでも問答無用で通じ合えるのが、我ら狩人の長点だろう。

 命を殺し合い、血を交り合い、脳を繋げ合えば尚の事だ。

 極論、脳の神経筋接合部(シナプス)が連結する形が銀河系と類似する様、貴公と私の脳の中の宇宙も夢の中にて重なった。青ざめた血を持つ者同士、当たり前の事だがね」

 

 ふぅ、と狩人は血臭い息をまた吐いた。環境変化に対応する為に嗅覚を鋭くしている盾騎士は、何故か甘くて狂おしい血腥さに脳が蕩け、視界に光の筋が映る幻覚を見た。

 

「…………」

 

「血に心地良さに蕩けた瞳だ。ふむ……貴公、我が魔薬血酒を飲むかね?」

 

「…………」

 

「要らない、と。では渡すだけ渡しておこう。一口飲めば、一日分の暇潰しにはなる。何より、酩酊は死に場に彷徨う葛藤と生き方を悟れぬ苦悩を忘れさせる故」

 

「…………」

 

「何を言っているのやら。見た目は若いが貴公の実年齢、既に老婆にも等しいだろうに」

 

「…………」

 

「ささ、時が来るれば飲むと良い。ぐい、と一気にな」

 

 優しい笑みを狩人は浮かべているのに、瞳だけは常に宇宙の恒星の如き輝きである。盾騎士からすれば、光が届かない暗闇から覗き込む気色悪い瞳であり、悍ましい視線でしかない。

 だからか、その誘いを断る意志を持てなかった。今、飲んで仕舞えば良い。

 望まれる儘に呑み干し、星が脳宇宙で輝き、自分を取り戻すのを実感する。

 鼻血と血涙が流れるが狩人としては正常だろう。脳が強引に啓かれるとなれば出血するのは必然だ。

 

「……どうも。月の狩人さん。回復しました」

 

「そうかね。では、良かった。序でに、貴公を酷い目に合わせた同胞、私が狩っておこう。その後、私が犯し、穢し、尊厳を討ち砕こう。オルガマリーの友を害するなど、人間としては許せることではないのでね。

 我らにとって復讐は、大切にすべき素晴しい娯楽なのだ。

 折角の与えられた動機を投げ捨てるのは、因果を断つのと同義になってしまうのでね」

 

「必要ありません。私が、狩りますので」

 

「そうかね。ふむ、口を開ける元気もあるようだ。では、そこの椅子に座り給え。意志疎通こそ人間性を交り合わせる根底だ。

 まずは話し合いをしようではないか?

 互いに互いを知らなくば、相手の裡から何を暴こうかと言う欲も自覚できないだろう?」

 

「分かりました……―――なのでもう一杯、頂けませんか?」

 

「勿論だとも。人を愉しませて上げたいと作った酒である。

 見目麗しい少女に業を所望される……あぁ、こんなに嬉しい報酬はないだろう」

 

 狩人は新しい酒瓶を渡し、盾騎士はまた酒瓶に唇を付けて直接呑み込んだ。

 

「私のこと、どれだけ分かりますか?」

 

「全てだ。貴公の平行世界においるヤーナムにて、月の狩人は生まれない筈だったか、違うヤーナムから干渉を受けてしまったようだね。

 結論を言えば、全く以って間が悪かったのだろう。

 偶々、偶然、悲運にも、そのヤーナムに幼年期を終えた月の狩人が干渉していただけの悲劇さ」

 

「やり切れませんよ……そんな理由じゃあ、私は認められません」

 

「故、謝ろう。私の分身、私の眷属が迷惑を掛けた」

 

「――――は?」

 

「本来は調べていただけでなぁ……―――だが、そうなった。

 月を継がなかったヤーナムからの観測をしていた。元はそれだけの話さ。しかし、その時、一人の少女の嘆く声を他世界に送った我が端末たる眷属が聞いてしまった。

 貴公の悲劇は、それだけの事だった。

 苦しみ続けるべきオルガマリー・アニムスフィアを、関わるべきではない私が救おうとしてしまっただけの運命だった」

 

 この狩人が―――元凶。

 

「だから、安心して欲しい。このヤーナムが存在する平行世界において、カルデアは間違えないことだ。

 いや、間違いを無自覚に我が弟子たる星見の狩人は啓蒙され、望む儘に多様な可能性を観測し、カルデアはより良い善なる未来に進むだろう」

 

「貴方が……ッ―――貴方さえ、いなければ!?」

 

「うむ。私さえいなければ、獣性は全て灰が貪り尽くし、剪定事象となった世界を灰が見限り、結局は人理によって滅んでいた。貴公ら人類が、この星の人理の枷から抜け出さぬ限りな。その点こそ、灰や狩人が汎人類史の人類種と人理に認められない原因である。

 結末はどう足掻こうとも、変わらない。

 人理の檻の中で安寧を貪る人間の儘では、人間性は何一つ変わらない。

 私らと貴公らの最大の違い。そして、最大の間違いにして正解。多様性に満ちた未来の新人類としての可能性の一つ―――自由で在ることだ。

 人間と言う根源に縛られない事こそ、人間の―――答えであった」

 

 狩り殺そうと盾騎士が躰を駆動させようとした瞬間、神経に筋肉が一切反応しなかった。此処は眼前の車椅子に座る男が起きながら夢見る眠りの世界。抵抗するには、せめて新たな赤子として幼年期を迎える新人類種の種子を脳が得なくてはならない。

 尤も、それ以外にも数多の可能性を持つのが人間性である。

 盾騎士が見出した未来が、そのヤーナムの答えである必要は欠片も無いのもまた、人間の業である。

 

「―――……だったら、もう違います。

 私は人間です。狩人と言う人間です。暗い魂の血で啓蒙された盾の狩人となりました」

 

「その通りだとも。私が夢見る悪夢であろうと、貴公は自由で在らねばならん。人理の盾として人類種を守り、人理の矛として獣性を狩り取る人間で在るならばな。

 故、貴公――マシュ・キリエライトは動けない。

 未来を夢見る瞳を受け入れられない人間に、自由な夢を抱くことは許されない」

 

 渾身の力と心を使い、彼女は何とか右手の指だけは動いた。指先だけしか動かなかった。

 

「う、ぅ……ぐぅ―――!」

 

「では、話を続けよう。それとも殺意が抑えられないのならば、言葉を聞く心境を得易い様、脳の神経細胞も制御しようかね?

 薬物の投薬とそう変わらない効果だ。貴公の脳細胞から脳液を出し、それに特効を付与するだけの絡繰だからね」

 

「……要りませんよ。話、聞いて上げます」

 

「感謝しよう、キリエライト。平行世界からの来客にこの悪夢が手酷い仕打ちをした挙げ句、そのまま私が奴隷扱いをするのは精神に悪影響を与えてしまう。

 私とて、なるべく他者へ罪悪感を覚えず、健康的に夢を抱いて生きていたいのでね」

 

「良く、そんな心にもない事を言いますね」

 

「そうかね。いや、その通りだな。心にもない感情だが、その倫理観を私は得ている。

 倫理に対する実感は一欠片もないが、人間扱いをされなかった身である故、周囲の誰にも教えられなかった概念だ。人間として生きる為、血によって人となり、望んで非人間となり、こうして得られた倫理と言う人間性だ。

 ……その点、貴公も同じだろう?

 人理の為に倫理を棄てた人間共の理想により、非人間として生み出された生物兵器であるならばな」

 

「私が育ったカルデアを、部外者の貴方が語ると?」

 

「―――語るとも。アニムスフィアのカルデアには罪がある。

 魔術師ライノールが爆破した後の貴公が愛するカルデアにないが、貴公を作った星を夢見るカルデアは余りに罪深い。何も分からずに死んだ犠牲者は、決して許しはしないことだ。

 尤もその因果ごと世界を消した故、罰もない。

 罰なき罪など、本人だけしか理解は出来ないことだろう」

 

「それは……それは……私だって、そんなことは分かっています」

 

「しかし、安心し給え。私にそれを糾弾する意志も資格もなく、この世の誰もが貴公を罰する理由も資格もない。

 むしろ、あらゆる月の狩人は貴公の所業を喜ぶだろう。新たな狩りの業をこうして持ち込む因果となり、工房を啓蒙する事になった故にな」

 

「糞団子ほどの慰めにもなりません」

 

「そうか。いや、すまない。幼年期を経て、望んで人並みの倫理観を啓蒙されたが、人の心を解した上で誰かへの気遣いは難しいらしい。

 よって、次の話題に進もうか。暇潰しに行う啓蒙の為の時間は余っている。

 そうさなぁ……では、宇宙について語り合おう。舌を噛む程、口から血が出る程、智が交じり合えば、人格も精神も理解し合い、脳が脳を啓蒙する。

 さ、さ、酒の肴にはなるだろう。もう一瓶、貴公は酩酊を拝領し給えよ」

 

「頂きます。良い酔いの酒、私は嫌いじゃありませんので」

 

 干した獣肉(ビーストジャーキー)や血の様に赤い果実、そして魚や貝の干物や薬効不明の錠剤も取り出し、それもまた酒の肴にして狩人は一口づつ食べた。美味しそうに盾騎士は見えなかったが、酔いに狂う脳は何故かこの肴たちに対して食欲が湧いてしまう。

 震える手で口に運び、噛み、咀嚼し続け、酔いに味覚が狂って美味過ぎた。アルコールと共に中毒症状が合併され、脳が求める儘にまた咀嚼し、酒で喉に流し込む。

 

「我らのような知性を、何故この宇宙は創ったと思う?」

 

「考えた事もありません。何故でしょうかね?」

 

「考え付かないなら、一つ例え話をしよう。狩り好きの学術者視点でしかないが、宙とはこの世で最も美しい理想の曼荼羅。完璧な姿であり、広大にして深淵。如何程に考えようと、全てを考え付くことが出来ない暗黒。

 思うに、宇宙そのものが完全無欠にして全知全能。

 根源がこの世に生み出した最初の世界とその法則。

 そんな場所に何故、生命が生じるのか。それを作る為に魂が必要となる意味。知性が自らの命の価値を知らずに誕生する必要性」

 

 愉し気に、狩人は笑みを浮かべる。

 

「―――宇宙の欠点。それは宇宙が宇宙を観測不可能だからだ。

 宇宙が知性を創造した事に意味を求めるのなら、私達は完璧な形をした宇宙を観測する為、この宇宙に生まれた。

 その為に、全ての魂に価値がある。

 それ故に、全ての命に意味がある。

 人間と言う生き物が、人間の形をしているの事にも道理がある。

 そして魂が永遠だと知る我らは幸運だ。その永遠性を悟れる故に命に対する穢れた理を悟れる。死を恐れ、その境界線を知識として学ぶことが世界を知るのに大切だが、その結果を経て死を亡くした私達は命に囚われず、星と命の母である宇宙を探求する悟りを得られた」

 

 ヤーナムで学んだ事。瞳から宇宙を観測した月の狩人の見解。それこそが彼が上位者となり、悪夢と言う宇宙を運営する存在理由。

 

「故、不必要な魂はない。宇宙はあらゆる魂に意味を与える。宇宙を宇宙として運営する為、観測者は別宇宙の卵として魂を持つ。

 即ち、宇宙が自らの為に必要としたからこそ、我らは知性持つ生命として存在する。造物主は世界を構築する素材として魂を作り、法則であるこの宇宙に命を与えられて我々は脳を得た」

 

「……貴方は……結局、その悟りを得ても変われなかったのですね」

 

「善き啓蒙だ。貴公、単純に頭が良い。その通り、己が生まれた意味を得られたとしても、何一つ私は満たされない。

 恐らく私は頭が悪いのだろう。この宇宙より、私の脳の中の宇宙は真理が脆い。

 この宇宙より我が悪夢の知能が低いから、宇宙の全てをまだまだ理解出来ない」

 

 爛々と瞳が星色に光り輝く。夜空に奔る流星よりも綺麗で、同時に地上に落ちる隕石以上の破滅を宿す色。

 

「私は―――賢くなりたい。今より尚、頭を啓きたい。瞳持つ頭脳を鍛え続けたい。

 脳が作る知性を極め、脳に宿る魂を極め、この意志を永遠に継ぎ続ける。そう在り続ける。

 月の狩人と言う悪夢が、何時かあらゆる存在の創造主であるこの宇宙から離れる為、全てを知り尽くしたい。この欲求だけを人間として実感出来る知性が、私である」

 

 盾騎士は恐怖した。心の底から、眼前の"人間”が恐ろしくて堪らなかった。そうなった原因はあるのだが、今の彼がそうすべき理由はない。

 知識を得る為なら何でも行い、何でも実現させる。彼は些細な思い付きで人類を滅亡させる。人間から魂を学んでいる最中だから、彼は地球を悪夢で覆っていないだけ。知り尽くせば、思考実験の一つして人理は思索に取り込まれる。

 人類愛の為に人類悪に落ちた獣よりも、獣らしい。

 人類史を管理する人理と抑止力以上に、理に純粋。

 彼にとって、あらゆることが許されていると言う前提で行動する。そう思考することを自分を根源より作った宇宙が許しているから、彼は有る意味で宇宙と言う完璧なる曼荼羅を神として信じ、その真理を解剖する学術者でしかない。

 とは言え―――灰が、その未来から人類の魂を守るのだろう。

 だからこそ、その灰を自分のセーフティに悪用することで狩人は好き勝手に行動してもいた。悪夢を見る人類を慈しむ人間性も狩人は得ているのだから。

 

「貴公には、だから手伝って頂く。その魂たる観測者を抹消するこの宇宙に在るべきではない上位者―――古い獣。

 観測的啓蒙によって私は獣の知識を得た故、用済みではあるが宇宙に危機を及ぼす者には違いない。利用はしたいが、この宇宙の為にも、やがて宇宙に旅出る人類種と言う立場の為にも、あれを放置するのは知性体として大いなる恥となる。

 元より、要人と言う人間らが高次元から引き寄せた宇宙外の災厄でもある故な。人間である時点で、人間以外の知性の為にも害獣駆除の責務が生じよう」

 

「………狩人、風情の癖に。

 人類史の未来に、夢を見るのですか?」

 

「如何に明晰だろうと、夢は夢。故、自分以外の脳へと語るべきなのさ。貴公の夢を暴いてしまった代価としてな。

 酷な夢だ。貴公の中の、藤丸立香が憐れだと思う。

 しかし、思い出は過ぎ去った。遺志となったのだ。

 如何な時代だろうと、世界を変えるのは強き想い。

 それの為し方と終わり方、既に知っているだろう。

 ならば貴公、善い業を魂の内に積み、死に至る後悔を膿む罪を心から清算すべきだ。本来ならば命を捧げるなど一度しか許されず、だが我らは気が済むまで自己犠牲を繰り返す権利を得た。

 それは、とても良い因果だと思わないか?

 全ての後始末を償い切れるまで、不死たる貴公は責務を果たす為に死に続ける希望に至った」

 

「――――ッ……くだらない、ですね」

 

「その通り。自己犠牲は下らない。如何しようも無く、つまらない。未来に続かず、袋小路に陥るだけの間抜け。加え、我らからすれば夢から気持ち良く醒める為だけの手段に過ぎない。

 ―――理解ある狩人で助かるよ。

 不死に、責務は背負えない。人生を歩めぬ我ら、悪夢に沈み、溺死するのが幸福だ。尤も、存在し続けることが死にたくなる程に息苦しくとも、魂が窒息死を得る自由もないのだがね」

 

 血酒を飲む。何時もより、狩人は美味しく感じる。喉越しも素晴しく、味わい深さを感じ、血と死の感動が味覚情報に脳内で変換される。血腥くも美しい少女が眼前にいるからだろう。

 

「選択の時間だ。円卓の残骸、星見の末路、盾騎士のマシュ・キリエライト。終わりを超えて始まりに戻るか、歩みを止めて終わりの夢の中で幸福を幻視し続けるか……どちらを選ぶ?

 狩人で在るならば、どの夢を見るのか貴公自身で決めるが良い。

 無論、狩り足りないと言う理由だけでも良い。そもそも夢見る狩人で在れば、狩り以上の喜びは不要である故にね」

 

「―――進みます」

 

「大変、素晴しい。その遺志を継ぐ貴公そのものが、やがて獣狩りの夜と成り果てることだろう」

 

 投薬作用も神経制御も脱し、盾騎士は生身の右腕を動かす。テーブルに置かれた神秘薬をカクテルした狩人が飲んでいる血酒瓶を鷲掴み、強引に口に押し当て、一気呑みをする。唇の端から血色の酒が零れ落ち、顎まで滴り落ち、服が真っ赤に染めながらも飲み続ける。

 狩人が好む酒は即死性快楽。脳を殺す啓蒙的真実が血に溶け、呑む度にソラの全てが瞳へ流れ落ちる

 それは急性中毒による酩酊。脳機能の麻痺。即座に生命維持が停止し、死に、夢から醒める。味気ない蘇生を行い、だが彼女はまた血酒を一気呑みして死に、直ぐ様に甦る。目覚めの為、脳を酒で酔い殺し続けるのだ。

 

「分かるよ。貴公、何処までも酔いたいのだな。しかし、死ぬほど酔えば、酔いから醒めてしまうのが狩人の欠点だ」

 

「もう少し……死なない程度の、ありませんか?」

 

「安心し給え。酔いの中毒死に慣れると、それが丁度良いと塩梅の酩酊となる。我ら狩人は血に酔うのだよ。獣性に酔う人と言う形の獣で在ることが重要だ。

 獣もまた血から啓蒙された上位者の神秘。それに啓かれた人間性の在り様だ。

 思い出すのだ、キリエライト。所詮、死など少し長い瞬きと変わらん。夢の中なら尚の事、酔いは直ぐに醒めるだろう」

 

 上位者化した夢の狩人が繋がり合い、同じ空を観測し、幼年期を終えた上位人類種の阿頼耶識―――夢都ヤーナム。

 狩人も人間であるならば、全ての世界でヒトは繋がり、集合無意識を作り出すのが人類種の必然的な業であり、夢。

 元より、人理など惑星の意志があらゆる生物を通じて夢見る空想の一つ。幼年期が過ぎた上位者の狩人が別の可能性を獲得した新人類種でもあり、夢見る上位者でもあれば、その平行世界の地球に一体しか生まれない筈の月の狩人もまた宇宙の機構を人間らしく悪用しよう。

 このヤーナムは、人類種を啓蒙された月の狩人による人理でもあった。

 全てのヤーナムがあらゆる狩人を通じて夢見る空想の可能性であった。

 

「此処での死は我ら新人類種の、魂が夢見る喜びだ。酔いが、死の尊厳を啓蒙する。即ち、オルガマリーの血は呼び水だったのさ。彼女の血がこの世界を我ら月の狩人に啓蒙した。

 全ての月が、その意志たる狩人が、別個の人理として夢都では人間性として確立した」

 

 月であり、星。

 空にして、湖。

 

「尤も、人理の仕組みを学んだ灰からすれば既に通り過ぎた思索でしかない。我らの血による絵画世界とも言え、人類史からの闇より得た影である。ある意味、汎人類史に寄生する上位者(レイチョウ)の人理でもある。幼年期の先の進化の為、やがて必ず臨終する惑星を見切った我らは、現行人類種が星と共に夢見る今の人理に酔えなくなってしまったのさ。

 それを啓蒙されたいのなら、酔って死ね。

 進化に獣性が要らず、地球の人類種が生み出した理を不要とする狩人にとっての―――人理」

 

 人とは――業。

 

「マシュ・キリエライトよ、己が人間で在る事を我らと同じく啓蒙され給え。

 皆、一人の人間。皆、人間性を持つ。

 狩人でしかない私も、人間だったさ。

 しかし、それが貴公に不可能なのも私は理解しているとも。狩人らが夢見る月世界のこのヤーナムでは、特にね。

 故―――葦名に行く権利を与えよう。貴公は灰の獣狩りを見届けよ

 このような人理を夢見る事が出来るのも、進化の為の空想遊びが人類種に許されるのも、灰が魂を喰らう獣を狩る事が確定している故に」

 

 人間性を尊ぶ唯の人間、月の狩人―――ケレブルム。

 所詮、夢見るヤーナムの数だけ存在する狩人の一人。

 狩人全てが特別ならば、その特異な存在達は誰もが狩人の業と言う普遍性を持ち、ある意味で常識を共有する人間とも言えよう。だからか、己を特別だと考えず、この世で唯一人の幼年期を超えた単独の新人類種だと言うのに、孤独を理解し合える他世界の自分自身からも好奇心旺盛な子供のように業を倣って学ぶのだろう。それは灰と悪魔が自分を人間を超越した者と特別視せず、唯の人間に過ぎないと正しく理解しているのと同じ理屈である。

 そして、盾騎士(キリエライト)の脳を彼は海より深く、空より高く、古都の宇宙を理解して欲しいと星に願って啓蒙する。

 素晴しさと、悍ましさに、狩人は歓喜した。彼女はきっと良い狩人になるだろう。

 血液由来の狂気が、盾騎士の脳を祝福する。器に流れ込む水のように満ち溢れる。

 人間と言う生物が、そもそも救われる必要がない化け物だと狩人は導かれていた。

 即ち、人類史への救済など考える必要はない。勝手に自分で自分を救う事だろう。

 狩人は愉しそうに微笑んだ。盾騎士は"キリエライト”の意味通り、狩人達のヤーナムにとっての"主の光”となる希望だと彼は思索した。

 

 

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