パイはないけどラブコメはある。
そんなこんなで前回の続きでございます。
此度もごゆるりと読んでいただけると嬉しゅうございます。
ほんの数秒前とは打って変わって、恐ろしいまでに辺り一帯がしんと静まり返る。
まさしく台風一過。荒れ狂う風の奔流が収まり、場に静寂だけが留まっていた。乙女たちはスカートに手を当てたままピクリとも動かない。前髪で表情が隠れているのが不穏さに拍車をかけていた。その中で一人、離れた場所にいたおかげで難を逃れた幸運者――河城にとりがポリポリと指で頬を掻きながら気まずそうに口を開いた。
「う~ん……強すぎた?」
「は、破廉恥な!」
我に返るや否や真っ先に叫んだのは友人の犬走椛。もはや遠吠えである。狼だけに。気が動転しているのが尻尾にも表れてブンブンと物凄いペースで左右に揺れていた。椛に続いてはたても目を吊り上げてにとりに迫る。
「ちょっと! ここでもパンチラしちゃうところだったじゃない。気を付けてよね!」
「にとり! 聞いてるんですか!」
「ひゅいい、ごめんなさぁあああい!」
二人の天狗に河童が平謝りをしている一方。羞恥と怒りで顔が赤一色に染まりあがった人形遣いもまた鋭い眼光で白黒魔法使いに詰め寄っていた。この中で一番恥ずかしい思いをしたのは彼女だろう。今の痴態をそりゃもうってほど間近で彼に見られたのだから。
「まぁ~り~さぁ~……!!」
「わわ、悪かったよ。だけど私もまさかあんなに強力だとは思わなかったんだぜ。それにギリギリ見えてなかったから大丈夫だって! な!」
「そういう問題じゃないわよ!」
「えーっと、そうだ! そんなことよりも優斗が川に落ちたみたいだぜ!」
「そっ、そうよ! 優斗は!?」
「まーまー、落ち着けって。あいつなら大丈夫だと思うぜ。むしろ冷たくて気持ちいいとか言って泳いでいるんじゃないか? ほら、あそこ、に……」
「魔理沙? 一体どう、し……」
魔理沙はある方向を見た途端あんぐりと口を広げて棒立ちしてしまった。その表情はまさに呆然の一言に尽きる。指をさす体勢で止まっているあたり、どうやら彼はすぐに見つかったようだが。
いつでも元気溌剌な彼女にしては珍しい態度にアリスは怪訝に思いつつも、親友が指し示す先に視線を飛ばす。そして、間髪入れず彼女もまた隣の少女と同じようにピシッと体が硬直した。
二人が見つめる先に確かに彼はいた。ただ、想像と違っていたのは……
「ゴべゴブゴボボ…………」
ほぼ全身がすでに川に吸い込まれ、水面からブクブクと気泡が沸き立っている。その中心からは高々と掲げられた右腕のみが伸びていた。はたして何がやりたかったのか全く理解できないが、グッと親指を立てたポーズを維持したまま徐々に沈んでいく。やがて、ついに彼の全身が水中に消えて、チャプン……と些細な音だけを残して川の表面に波紋がゆらゆらと広がった。
『…………』
再び訪れる沈黙。考えるまでもなかった。ここから導き出される答えは一つしかない。
そう、彼は。
天駆優斗は……泳げなかったのである。
『えぇぇぇえええええええ!?』
――ああ、俺死ぬんかな。
薄れゆく意識の中。次第に遠くなっていく上方の明るみと、それとは正反対に暗い水底に落ちていく自分の体をどこか他人事のように感じる。
まさか、ここで俺が泳ぎがてんでダメだというのがバレてしまうとは。あまりにもダサくて正直ガチで凹む。なによりアリスに知られてしまったのが一番ツライ。またカッコ悪いところを見せてしまったなぁ。とはいえ泳げないものは泳げないのだから致し方あるまい。よもや川に落ちるとは、一生の不覚でござる。
しかも死因が救いようがないレベルの残念っぷり。美少女たちのスカートが捲れてびっくらこいて扇風機に力負けしたあげくにドボンして溺死……うん、ないわー。
あと「俺だってなんかしなくっちゃあな……カッコ悪くてあの世に行けねーぜ……」って最後の力を振り絞ったのに、なぜか某洋画の再現に走った俺の深層心理がわからない。無意識ってすごいな、こいし。
あ……やば……もう、息が……
沈む身体は水の中へ。消える意識は闇の中へ。視界が暗転する間際に思い浮かんだのは、やっぱりというか彼女だった。
「優斗! しっかりして!」
「まさか盟友が泳げないなんてねぇ」
「何を呑気な! ど、どうしましょう!? ひとまず永遠亭に――」
「あんたまで取り乱してどうすんのよ。天狗の端くれならしゃんとしなさいっての。それに、医者に診てもらう前に応急処置くらいは必要でしょ」
あの後、沈没した青年は河童の手によって無事に回収された。
しかし、依然気を失ったまま目を覚まさない状態が続いていた。横たわってうんともすんともでっていうとも言わない優斗を起こそうと、アリスが必死に呼びかける。耳元で名を呼んで肩を揺するが、うめき声一つの反応すらみせない。
いよいよもって本格的にヤバそうな事態に焦りが募る。そんな折、今まで黙っていた魔理沙が難しい顔で口を開いた。
「こうなったら残された方法はアレしかないぜ」
「何か良い方法があるんですか魔理沙さん!?」
「もちろん」
椛に急かされながらも、魔理沙は含みのある表情で勿体つける。わざとらしく一拍置いた後、少女は決め台詞とばかりに『アレ』と示したものを告げた。
「溺れたヤツにやるべきことなんて一つしかないだろう? ――人工呼吸だぜ」
人工呼吸、そのフレーズを聞いた皆が同時にバッとアリスへと顔を向けた。誰一人としてタイミングを外さない、完璧なまでに一体化した流れだった。皆の視線が何を伝えているか理解した少女は、先ほどとは違う意味であたふたと慌てだす。
「ふぇえええ!? わ、私!?」
「他に誰がいるっていうんだぜ?」
「ムリムリムリ! できるわけないわよ!」
まるでだだをこねるように、アリスは上気した頬をブンブンと横に振って否定する。未だに意識が戻らぬ彼の口元をチラリと盗み見たせいで、さらに体温が上がってしまう。
「~~~~~っ!!」
人形遣いの頭の中を思考の渦がグルグルと廻り続ける。ついでに目も回りそうだ。
早くしないと本格的に命にかかわる危険性がある。だけど人工呼吸なんて、皆が見ている中で唇を重ねるなんて恥ずかしすぎる。でも、このままじゃ優斗が……!
最後の後押しとばかりに仲間たちが声援を送る。
『アリス(さん)!』
「わ、わかったわよ!」
幾たびにもわたる葛藤の果てに、ついに少女は覚悟を決めた。
ほんのわずかでも自分を落ち着かせようと、アリスは何度も大きく呼吸を繰り返す。そして、決意が宿った瞳で彼の顔を見つめた。
「……ん」
少しずつ、ゆっくりと自分の顔を近づけていく。トクン、トクン、と鼓動が速まっていくのも、火が出そうなくらいに顔が火照っているのもわかってしまう。すごく恥ずかしいけれど、彼を助けるために止めるわけにはいかない。いつの間にか、半ば無意識に瞼を閉じていた。それでも確実に二人の距離は縮まっていく。
一刻を争う人命救助に、周りは固唾を飲んでただひたすら見守る……
なんてものは微塵もなく、むしろ絶賛カーニバルでフィーバーしていた。
「キャー! キャー!」
「むふーっ……むふーっ……!」
「来た来た来た来たキタァー!」
「……なんなんだ、コレ」
カシャカシャカシャカシャ!とゲーム名人さながらの指さばきでボタンを連打する念写系天狗。連写機能はついていないはずなのに同等の撮影音が鳴り続ける。ついでに歓声も止まらない。隣の白狼天狗は言葉こそ出していないが、先ほどのように両手で顔を覆うことすら忘れているうえに、呼吸が乱れているなんてもんじゃない。言いだしっぺの魔理沙でさえ目が爛々と輝きを放っていた。まともな反応を示しているのはにとり一人だけで、哀れにも観衆の沸き立ちっぷりに顔を引きつらせている。
近所迷惑もいいところな外野の声ですらも、アリスの耳には届いていなかった。
その心にもう迷いはなかった。今だって顔が熱くてどうにかなってしまいそうだけど、彼を助けたいのは変わらない。それに、他の女の子が彼に人工呼吸をするのは嫌だった。こんなときにと非難されるかもしれないけれど、やっぱりそれだけはどうしても見たくなかったから。だから……
「優斗………」
二人の唇が重なるまであとわずか。ここまで近付けば目を閉じても外さない。すぐ傍から優斗の気配を感じ取れる。相手の吐息が口に触れてくすぐったさを感じた。
「………?」
その瞬間、彼女の脳にわずかな疑問が生じた。それもそのはず、だって「相手の吐息」が自分に当たっているのだから。
アリスが瞼を開くと――
目が覚めたら天国にいた。
いや、正しくは天使の顔が目と鼻の先にあった。人形を思わせるほどに整った顔立ち。手入れが行き届いた鮮やかな金色の髪。石鹸かそれともシャンプーだろうか、ほんのりと甘くてイイ匂いが鼻孔をくすぐる。まるで眠っているかのように瞼を閉じているその表情がすごく綺麗で、俺は言葉を失って見惚れるしかなかった。
え、なにコレどうなってんの?
お互いの顔が触れ合いそうなところまでアリスが近くにいる現状について。ビックリするほどユートピア。幸せが限界を超えたハッピーエンドに訪れに、これは夢なのかはたまたやはり昇天したのかと大混乱中です。あかん、顔が熱くなってきた。だってアリスの可愛いお顔が目の前にあるんですもの!
体は動かさず精神だけのた打ち回るという器用なリアクションで悶える。と、
「………?」
違和感を察したのか、少女の瞼が少しずつ開かれる。吸い込まれそうになるほどに澄んだオーシャンブルーの瞳が俺の顔を捉え、バッチリと二人の目があった。
『…………』
二人揃って無言のまま見つめ合う。アイコンタクトなどは一切なく、眼差しだけが交錯する。ただただ相手と視線を絡ませるだけの時間が続く。
えっと、何か言った方が良いよな。とりあえず、
「お、おはようさん」
にへら、と笑って返す。もうね、なんつうかね、笑うしかなかったのですよ。
俺の返しにアリスはきょとんとした顔になっていた。だがそれも束の間、体勢も表情もそのままにして瞬く間にカァアアッと顔が紅潮していく。やがて目に見えてハッキリわかるほどに赤くなり、彼女の頬の熱がこちらにも伝わりそうだ。というか、たぶん俺も同じくらい赤くなっているんじゃないかな。いうなれば嵐の前の静けさ、ほんの一瞬だけ世界が止まったような気がした。
目と目があった数秒後、そして世界は動き出す。彼女の沸騰を合図にして。
「いゃぁぁあああああああああ!!」
「ゴボォオオオッ!?」
アリスはウサギさながらの跳躍で俺から飛び退き、近くに置いてあった掃除ロボを両手で掴んで大きく振りかぶった次の瞬間、喉の奥から叫びながら俺の腹に向かって全力で叩きつけた。重力と遠投力がコラボしたとんでもねぇ圧迫力に押し潰されて、水だけではなく出してはいけないものまで出てきそうになる。腹パンを遥かに越えた大ダメージに俺は泡を吹いてピクピクと痙攣するしかなかった。
しかしカンペキなまでに取り乱している人形遣いの連撃は終わらない。今度は俺の胸ぐらを掴んで引き寄せたかと思うと、空いている方の手で平手打ちを二発三発と立て続けに繰り出す。彼女の掌が俺の頬に紅葉をつけるたびに乾いた音が辺りに散らばった。
「ダメぇ! 忘れてッ、忘れてぇええ!」
「ぶべッ!? ちょ、アリス……ッ! タンマ、タ――あべしッ!?」
「これは違うの! 違うのぉ!!」
「待っ――あだッ!? わ、わかったギャブッ! わかったからこれ以上はらめぇええええ!!」
本日も晴天なり、少女の弁解と青年の断末魔が空高く響き渡ったという。
おまけ。
ガチャッ カランカラン……
「ただいま戻りましたー……」
「ああ、お疲れ様。どうだった――いや、やっぱり何も言わなくていいよ。おおよその出来事は理解したから」
「……マジっすか」
「そりゃね、着ている衣服ごと全身が濡れているのと、左右の頬についた秋の風物詩を見れば何があったかくらいは」
「ですよねー……」
結局、店で使う用の電化製品が増えることはなかった。
つづく
泳ぐ前にはしっかり準備運動をしよう。いいね?