慧鶴です。
ガラスみたいに透明な、向こう側に広がる景色で目に映る色彩を幾度となく変える。
そんな765プロの彼らたちが交錯しあい、まだ見たこともない新たな色彩が映り始めます。
side. 萩原雪歩
5月末、某日。
今わたしはTV局にいます。
わたしの隣にはもう一人、同じ事務所のアイドル。4年前から髪を伸ばした……いまでは、竜宮小町に入る前くらいの背中に届く長髪に戻ったその人と。
わたしは緊張しつつも一緒に、はっきりと挨拶をします。
「萩原雪歩です、今日はよろしくお願いしますぅ」
「三浦あずさです。よろしくお願いします」
「よろしくな! いや~二人とも、ホントいつ見ても可愛いねえ」
「ふにゅ!」
「ふふ、ありがとうございます」
ドラマ撮影のスタッフさんたちに挨拶を終えて、控え室に戻ったわたしたちはさっそくお茶を飲んでいます。
今日のお仕事に向けて英気を養うのもありますけど、それ以上にとても落ち着くことができるこの一時がわたしは好きなんです。あずささんとの撮影が始まってからは、こうしてよくふたり一緒にお茶をしてるんです。
「今日もとっても美味しいわ~。ありがとう、雪歩ちゃん」
「あずささんに喜んでもらえて良かったですぅ」
ズズズ……とゆっくり啜りながら、思い浮かぶことをゆっくりと話し合う。
すると、あずささんについて新たな発見が日々つねづねある今日この頃。
例えば最近だと、あずささんが実はとても体型に気を遣っていて、でもお菓子が我慢できなくてやっぱり食べちゃうことがあるって、照れ笑いしながら教えてくれました。
こんなちんちくりんな私からすると、あんなに大人っぽいあずささんに、ちょっと可愛らしい悩みがあるのは微笑ましいなと思いました。
この撮影前のお茶の時間を通じて、あずささんともっと仲良くなれた気がしますぅ。
「雪歩ちゃん、この前の撮影でもそうだったけどすごく演技が魅力的になってるわね」
「そうですか?」
「ええ、本当に。あの熱演っぷりには、鳥肌が立っちゃったわ、うふふ」
「そんな、えへへ」///
「それに、男の人とも1mまでなら近づいて演技できてるものね、ホントにすごいわ~」
あずささんがそう言って褒めちぎってくれると、なんだかこんなダメダメな私でも不思議と自信が出てきます。
たしかに、事務所のみんなも同じように雪歩は良い意味で変わったって言ってくれてました。
そうなんです、萩原雪歩はちょっとだけだけど変わりました。
男の人は相変わらず苦手だけど、何とか1メートルまでなら近づいてお話ししたりできるようになりました。
それに、最近は演技にとても面白さを感じていて、こうしてあずささんや春香ちゃん、真ちゃんともよくいっしょに撮影するようになりました。なにより、引っ込み思案なわたしも演技をしているときは別人みたいに成れて、それがとっても楽しいんです!
「まだちょっと怖いけど、男の人にもいい人がいるって、分かってきたので……」
「うふふ、そうね」
「それに、わたしはもっともっと強くなって、守らなくちゃいけない人がいるんですぅ!」
強く意気込んでそう言うと、雪歩ちゃんに守ってもらえるなんてその人は幸せね、なんて言われちゃいました。
えへへへ、幸せかあ。
うん、そうだよね、わたしもその子も相思相愛なんだもんっ。
「それで、雪歩ちゃんが守りたい人っていうのは誰なの?」
「ま、真ちゃんですぅッ!」
「あらぁ……」
そう、私が守りたいのは真ちゃんですっ。
なんだか最近、ジュピターの北斗さんとかいう何処ぞのチャラ男さんに影響を受けてか、真ちゃんがふわふわしちゃってるんです!
ボーってしてると思ったら、急に顔を真っ赤にして、「ボク、ちょっとその辺走ってきます!」なんて言い残して事務所出て行っちゃうんですよ!
……わたしには分かります、あれは恋する乙女の挙動ですぅ!
つい先日も、甘い言葉をかけられたのか北斗さんの話を出すと、2秒でアワアワしてました。
「べ、べつに北斗さんのことなんて知らないよっ、あの人はただの共演者で……ちょっと優しいところもあるけど。へ、べつにそんなんじゃないよ!」
そう言って、目の前で話を聞いている私に不自然なくらい熱弁してきて。
まちがいなく、クロォ!
そう、真ちゃんの今まで可愛いと、面と向かって言われたことがないための免疫力の無さが露呈しちゃったんですぅ。
あんなラブコメ臭が漂う真ちゃんを見ているとき、たぶんわたしの心はダークサイドまっしぐらでした。
……真ちゃんはカッコいい。それに、たまに見せる的外れでトボけた可愛らしさが魅力なんですっ。
そんな真ちゃんがあのチャラい金髪さんに誑かされるのを、親友として見過ごせるわけがないから。
だから、わたしは決めたんです。真ちゃんを守ると!
「あらあら、雪歩ちゃん。さっきから鼻息がすごく荒くなってるけど大丈夫?」
「ファッ! あ、すみませんあずささん。わたし思わず頭に血が上っちゃって……」
あずささんが心配そうにこちらを窺っているのに気付いて、我を取り戻しました。
あまりに興奮してしまいました、反省しなくちゃ。
フンスフンスしてる場合じゃなかったです。
「ほんとにもう平気?」
「はいっ、平気ですぅ! すみません、心配かけちゃって」
「ふふ、それなら安心ね。でも、あまり相手を好きだからって気がはやっちゃうとお互いに疲れちゃうからホドホドにね」
「――――!」
あずささんは落ち着いた声音でそう言った。
経験豊富な年上の女性からの含蓄あるお言葉です。
これはつまり、押してダメなら引いてみろってことですねっ!
……なんだか、目の前に座ってるあずささんが困ったような顔でこちらを見てます。
どうしてなんでしょう?
「……雪歩ちゃんはいつからこうなったのかしら」
「何の話ですか?」
「うふふ、ナイショのお話よ」
そう言って、あずささんはまたいつもの笑顔でコクコクとお茶を飲んでいる。
それから撮影が始まるまで、また他愛ないお話を二人で続けてました。
~~~
「そういえば、あずささん。この前響ちゃん帰ってきましたね」
撮影の休憩中、思い出したようにわたしは呟いた。
「ええ、ほんとビックリしたわね……」
「もうすぐ765プロでの特番があるから、沖縄から急いで帰ってきたみたいですぅ」
響ちゃんが突然765プロの事務所の前に現れたときは大変だったみたい。
なにしろ急だったこともあって、いまは律子さんの家に寝泊まりしているって言ってました。
律子さん、最近は響ちゃんのご飯が美味しいらしくて「1家に1我那覇は必須ね」と笑いながら話してくれます。
そのことを響ちゃんに伝えたら、
「うがー! 自分は白物家電じゃないぞ!」ってプンプンしてました。
「そういえば響ちゃん、小鳥さんのことで何か言っていたような~?」
「あ、きっと結婚式のことですぅ。式当日までもうすぐだから」
「そうだわ、結婚式。小鳥さんの花嫁姿、雪歩ちゃんも楽しみよね♪」
「はいっ」
あずささんはニコニコしながら、当日はたくさんお酒を持っていこうかしらって。
今からすっごく楽しみにしてるみたいです。
「響ちゃんもこの際オールスター企画が終わるまでこっちにいなさいって、律子さんが言ってましたっ」
「まあっ! それなら響ちゃんともたくさんお話しできるわね!」
「そうですねっ!」
「TV局の企画、みんなが集まれるなんて久しぶりだから、いまからドキドキしちゃうわ〜」
「……でも、わたしは期待もあるけど不安も感じますぅ」
思わずこぼれ落ちた本音に、あずささんが心配げに訊ねる。
どうして? ときかれても簡単には言い表せない。
ただ、この4年間でわたしたちの周りは大きく変わってしまったから、楽しいことと同じようにツラいことだってあるかもしれませんと。
再会は予期せぬことが多々あって、きっとそれがコワいのかもと。
しどろもどろになりながら、あずささんに話を聞いてもらう。
すると、あずささんも同じことを思っていたのか「そうねぇ」と神妙な面持ちで呟いた。
――――この4年間で765プロは様変わりしてしまった。
あの日、プロデューサーが激しい痙攣の後から今日までずっと続いている植物状態になったその時、もう戻れないような場所にわたしたちは立っていたんだと思います。
みんな苦しんでいて、わたしもひどく落ち込んでいました。
そんなある日、赤羽根PさんがあのDVDレターをわたしたちに見させてくれました。
透明な液晶の向こう側で、プロデューサーさんが喋ってました。
『雪歩にしかないものがあるよ。自分なんか、なんてことはない。追い詰められても決して逃げずに立ち向かえる尊い勇気を雪歩はちゃんと持ってるから。雪歩のペースでいい、大切なものを無くさないよう進んでくれ』
与えてくれた言葉に、気がついた時にはわたしも思わず泣いちゃってました。
それ以降、みんなもそれぞれ別の道へと進んだり、疎遠になったり、前とは人間性から変わっちゃったような子もいて。
そんな風景を見続けていて。
わたしは特に、もう突然大切なひとが離れて行ってしまうのが本当に怖くて堪らなかったから。
プロデューサーの言葉や、側にいてくれるみんながいなかったら、きっと今ごろアイドルをやめてたかもしれない。わたしはみんながもういなくならないことだけ、それだけを願ってました。
そこに、今回の企画。
もしかしたら、これを機にまた前みたいに笑い合えるかもと。
そう思う反面、決定的な別れが待っているかもとも。
そんな怖さが、企画の話を聞いてからずっとありました。
だからこそ、怖いんです。
あずささんはわたしの話を聞いて、少しのあいだ考え込んでいました。
わたしに自分なりの考えがあるように、きっとあずささんにも思うところがあるのかも。
しばらく待ってると、撮影をそろそろ再開しますとスタッフさんに呼ばれました。
すぐに行きますと応えて、準備をする。
と、
「雪歩ちゃん」
そうあずささんに呼び止められた。
「あずささん?」
「いまの雪歩ちゃんの悩みに、わたしは何を言えばいいのか分からないわ。……ごめんなさいね」
あずささんがこちらに近づいて、私の手のひらをあたたかな両手で包みこんでくれる。
「でも、雪歩ちゃんが気にしているように、みんなもきっと同じことを思っているわ。だから、雪歩ちゃんから歩み寄ってみてほしいの。きっと相手も心を開いてくれるはずだから。……それに、せっかく会えるんだもの。笑顔でいたいじゃない」
にこやかな表情でそう言い切ったあずささんが、撮影に戻りましょう♪ とわたしの手を引っ張る。
歩み寄れるかな、わたしにできるかな?
頭の中に浮かんだ疑問、それに蓋をする。
わたしは、あずささんに引っ張られるままその場を離れる。
ドラマの撮影に戻り、またいつものように全力で演技をしました。
~~~
今日の分すべての撮影を終え、次の仕事場に向かう準備を控え室で進めていると、赤羽根Pさんから連絡が入りました。
「もうすぐつくから、それまで待たせてもらっておいてくれ」と、もらったメールには書いてあります。
「分かりました」という返信メールを送ってから、また準備に戻りました。
あずささんはこの後竜宮小町でのお仕事が入っているから、この撮影からは別々の現場になる。
あずささんは今も身支度を進めている。
その様子を見ながら、ふと思う。
きっと、今日も。
「あの、あずささん」
あずささんに話しかける。と、朗らかな表情で振り向いてくれる。
「どうしたの、雪歩ちゃん?」
「今日も、また行くんですか……」
わたしのその言葉に、ええと頷いてまた笑う。だけど、それは少し寂しげな笑顔に見えました。
「すこしの時間でも、あの人と一緒にいたいから」
「……あずささん、あの」
「?」
「な、何でもありません。いってらっしゃいですぅ」
わたしはあずささんにそれだけしか言えなかった。
あずささんが穏やかに頷くのを見て、何と声をかければいいのか分からなかったから。
それから律子さんが迎えに来て、伊織ちゃんと亜美ちゃんに引っ張られていくあずささんを見送りながら、この後病院でどんなことを話すんだろうと思いました。
その後。
赤羽根Pさんが迎えに来てくれたので、わたしは撮影スタッフの方に挨拶してその場を後にしました。
TV局を出るとき、いつものようにこの後のスケジュールの確認を済ませます。
だいぶ時間が押していて、すぐ後にラジオ収録がはいっているから急がないといけないらしいです!
「お昼ごはんは車の中になるが、大丈夫か?」
「はいっ」
「よし、じゃあ早く行こうか。のんびりしてると監督さんがカンカンになっちゃうからな」
「ふふ、そうですね」
それから、社用車が駐めてある駐車場へと向かう。
その時、ふと後ろで変な物音が聞こえました。
ガサガサッ、というかピピピっみたいな……。
気になって後ろを見てみたけど、何にもありませんでした。
……なんだろう?
「おい、雪歩。急がないと遅れるぞ~」
「ま、待ってください、プロデューサー!」
前方でわたしを呼ぶ赤羽根Pさんに慌てて駆け寄った。
そのまま車に乗り込んで、わたしたちはテレビ局を後にしました。
◇
side. 四条貴音
「もし、大将殿。この辛味ごく厚ちゃあしゅう全部乗せ豚骨ねぎらぁめんの特盛りを一人前」
「……はいよ」
私の注文をとり、大将殿は即座に麺の湯通しを始めました。
次いで強面な顔つきに浮かぶ真剣な職人の眼差しが光る。自家製と思われる「ちゃあしゅう」をこれでもかと思えるほど分厚く切り出す。そして濃厚な色合いのすぅぷを器に入れ、そこに華麗な手さばきで湯切りされた麺を投入。最後に先ほどのちゃあしゅうを器からはみ出すほど満遍なく敷き詰め、その上に山盛りのねぎが巨塔の如くそびえ立ちます。もうここからでも鼻腔を強烈に刺激する香辛料と豚骨特有の香りが――――、
「たまりませんね」
食欲を抑えきれないためか、思わずため息がこぼれる。
ああ、待ち遠しいとはこのことを言うのでしょう。
そして、ついに私の席にらぁめんが運ばれてきました。
立ちのぼる湯気に、こちらも自然と興が乗ります。
「……お待ち」
「ありがとうございます。……では、いただきます」
箸とれんげで器の中をかき混ぜ、まずはすぅぷから。
啜りながら、即座に胸の高鳴りは頂上へと至る。
その頂きで休むことなく、つやしこな細麺を箸で掬い、おもむろに口へと運びます。
ちゅるん。
啜っている最中、思わず破顔。
いい、これは真、いいです。
一口目から、もうそれは至福を超えたらぁめんでした。
食べども食べども飽きの来ない味わい。麺に絡みつく濃いすぅぷと辛さの利いたちゃあしゅうの刺激が自然と食欲をかき立ててゆきます。
面妖な、その一言しか出てきませんね。
「――――ねえ貴音、そろそろいいかしら」
夢中で食しておりますと、席の向かい側に座っている律子がこちらに声をかけてきました。
「はい、律子。私はちゃんと聞いておりますので、どうぞ気にせず話してください」
「気にするなって言われても、そんな目の前でドカドカとラーメン食べられちゃねえ」
「麺が伸びてしまいます、早急に本題を」
「……もういいわ」
溜息をこぼしつつ、律子が鞄からなにやら資料を取り出します。
それをてーぶるの上に広げ、説明を始めました。
聞くと、この度TV局が主導のもと765プロの特別番組を放送する企画が入ってきたらしいです。
内容としては、各アイドルたちの活動の軌跡をたどりつつ、現在の私たちの仕事に触れていくもの。特に、この企画はオールスターとして参加してほしいらしく、番組中で全体曲を一曲と、アイドルそれぞれが持ち歌を一曲ずつ歌う催しのようです。
なるほどと得心いたしました。
今回、律子が私を日本に呼んだのはこのためだったのですね。
そう訊ねると、律子がその他にも理由はあるわと答えました。
「小鳥さんがね、今月結婚式を挙げるのよ」
「なんとっ! それは『じゅうんぶらいど』、というものですね」
「ええ、もう再来週まで迫ってるから、貴音も式に来られればと思って連絡したのよ」
「もちろん、私も参ります。小鳥嬢の晴れの日を、全身全霊で祝わせていただきましょう」
私の答えに、ほっと息をついた律子は、
「それじゃあ、番組の撮影と小鳥さんの挙式が終わるまではウチに来なさい。ちょうど今、響も泊まってるから」
と。
せっかくのお誘いです、この好意に甘えさせてもらいます。
それに、響と会うのも久方ぶりです。メールはよくしますが、やはり直接会うことの喜びが勝るでしょう。
今から響に、そして事務所の皆に会えるのが楽しみです。
話を聞き終えた私は律子の様子からこの場での話題は以上だと、そう悟りました。
会話をしつつ食していたため、もう器の中には表面にこってり脂を湛える豚骨すぅぷが在るのみ。
いざ、参りましょう。
最後まで気を抜かず、らぁめんのすぅぷを一滴残さずに、私は喉へとゆっくり流し込んだ。
「いつのまにか食べ終わってるし」
「……ごちそうさまでした」
はあ、至高の極み。
らぁめん。それは最早、ただの食にあらず。
日々探求、精進していく道であり、人そのもの。
らぁめんは文化。
らぁめんは進化。
らぁめんは可能性。
今日もまた新しい出会いを探して――
――今日のお店も、真、素晴らしいものでした。
はぷ。
では、お勘定を済ませましょう。
店内にいる従業員殿に、お声がけをします。
れじすたぁの前へと案内され、私は先ほど食したらぁめんの代金をお支払いしました。
さて、それではお暇いたします。
店内に充満している芳醇なにおいを吸い納めると、私は出入り口の方へと進む。
その時、後ろから大将殿が「待ちな」と私を呼びました。
振り返ると、大将殿が厨房からこちらを見つめておりました。
「銀色の、いや、『麺界の王女』か。……噂に違わねえ、見事な食いっぷりだな」
「とんでもありません、私はまだまだ未熟者です」
「いやいや、その二つ名は伊達じゃあ無えようだ」
「……大将殿、このお店のらぁめんは真、逸品です。無骨ながら奥深くに宿る味の豊かさと繊細さ。この四条貴音、感服いたしました」
「……光栄だな、あんたに褒められるとは」
「ふふ。では、私はこれで」
「……お粗末」
私は最後に、大将殿へごちそうさまの感謝を込めて「また来ます」とだけ伝え、その場を後にした。
~~~
お店を出て、しばらく歩くと律子が口を開きました。
「それで、あれからどうだったの? 貴音の方で調べはどこまで進んでる?」
ひそやかな声で訊かれる。その意味を即座に理解し、
「あの方の治療法は、遠い海の向こうでも見つかりませんでした」
淀みなくお答えいたしました。
「そう、外国でもダメだったのね」
「はい。私の力及ばず。……プロデューサーを助けるには、もう奇跡しか残ってないのです」
心苦しい、辛くてたまらない。
ですが、それが事実。
私がここ2年ほどアイドルとしての活動を海外に移し、その傍らで血眼になって探し求めた結果が、プロデューサーを助ける術は世界中のどこにも無いという医療現場における現実でした。
脳の治療が上手くいった奇跡と引き換えに、次は目を覚ますための奇跡を。
まさにこの世界は、残酷なつじつま合わせなのでしょう。
あの方が倒れてから、数日ほど放心状態に近かった私たち。
希望が一転し、絶望へと突き落とされる。特にあずさと、……美希の心中を思うと心が張り裂けそうでした。
しかしあの日、赤羽根Pが持ってきた一枚の『でぃーぶいでぃー』。
そこに収められていた言葉が、私たちを突き動かしました。
『理想を追い求め、奢ることなく自分を高め続けられる貴音に何度も教えてもらった気がするよ。誰にも対等に接し、本当の意味の優しさでいたわれる貴音に。いいか貴音、君自身の道を見つけ、自分が信じたその理想を、これからも迷うことなく追い求めるんだ。俺からはこれしか言えないよ』
そう微笑みかけて下さいました。
残された言葉に、私は決意いたしました。
アイドルとしてだけでなく、四条貴音自身が望む未来もかならずや切り拓くと。
それから始めの2年間、事務所が大きく変わっていきました。
活動を継続していく最中ではじめに千早が、次いで美希、響と765プロのあるこの町から離れて、遠く海外や別の町に行きました。残った者も自らの目標に向け、活動の方針を少しずつ固めていって。
そして、いつからか全員で集まることは無くなりました。
ただの、一度も。……それは今も続いています。
私は思ったのです。
このままだと、いずれ本当に二度と会うことも無くなると。
だからこそ、その時に私自身の望む道を明確にしました。プロデューサーを目覚めさせ、もう一度765プロに戻ってきてもらうことを。そうすればきっと、また以前と同じように――。
「この度のTV局の企画は、僥倖かもしれません」
「貴音?」
「やり直せずとも始めることはできます。皆が揃う今回、何かが動き始めるやも」
そう言いつつ、それが実現することを願うような自分の口ぶりに皮肉を感じます。
そんな私を気遣ってか、律子がそうなるといいわねと、励ましのような言葉をかけてくれました。
「今度こそ、みんなが笑えるような場所を取り戻したいわね」
「……ええ、真、そうですね」
自分に言い聞かせるように、そう言った。
あの方の、プロデューサーの顔を思い浮かべながら。
ずっと私の心に離れることなく貼り付いた、いっしょに過ごした時間を。
その時でした。
ふと、約束を思い出したのです。
以前、プロデューサーと私との二人で交わした、大切な約束事を。
――私は幸せ者ですね。頼れる人が、心の中にも、周りにも、大勢いるのですから。
「ただ……。律子、」
微笑みをしまい、私は隣を歩いている律子を呼び止めました。
声音が厳しさを増し、表情もかたくなってしまう。
「先日から、ひとつ気になる点がありますので報告を」
「何、どうしたの」
「この度日本に帰国してからというもの、怪しい気配を常に身近に感じているのです。」
「えっ。それ、ほ、本当なの?」
驚いた顔の律子に、私は頷きました。
「なにか邪悪なものが近くに潜んでいます。気をつけて下さい」
私の言葉に、律子がゴクリと喉を鳴らしました。
◇
【番外編】
その後、らぁめん屋にて。
「大将! あの『麺界の王女』がべた褒めでしたよ! やっぱりウチのラーメンは最高なんですよ!」
弟子の一人が歓喜で興奮冷めやらぬ面持ちのまま、大将へとそう言った。
「……」
「大将?」
「……とんでもねえ女だ。店に入ってから出るまでの間、こちらが微塵も気を抜けねえあの覇気。何よりラーメンへの造詣の深さと食いっぷり。ありゃあ伝説になるわけだ」
大将は総毛立つ身体をよじりながら、声低く呟いた。
そして。
翌日からそのらぁめん屋はとんでもない繁盛店となり、数年後には全国にのれん分けをした弟子が広がっていって、伝説の名店になったそうな。
しかし、それはまた別のお話……。
Another Side in 765プロ
リツコ「なにこれ」
ヒビキ「なにって、ハム蔵だぞ」
リツコ「は、ハム蔵!?」
ハム蔵「ヂュイっ」(よう、律子の姐御。相変わらず余裕の無いツラしてるな)
リツコ「なんでこんなハーボイルドな顔つきになってんのよ」
ヒビキ「ハムスターだもん、人間より成長は早いに決まってるさー」
リツコ「そんなレベルの問題じゃないでしょ!」
ハム蔵「ヂュヂュイ」(自らの尺度でしか物事を測れぬのは、己の無知を晒すことと同じだぞ)
リツコ「それにしても、……本当に渋い顔つきね」
ヒビキ「でも、可愛いところもあるんだぞ。相変わらずヒマワリの種大好きだし」
リツコ「そうなの?」
ハム蔵「ヂュ」(そんな昔のことは憶えていない)
リツコ「でも、もしかしたら明日にはウイスキー飲んでるかもしれないわね」
ハム蔵「ヂュっ」(そんな先のことは分からない)
ヒビキ「あはは、そんな訳ないぞ。ハム蔵はいま禁酒中だからな」
リツコ「サラッととんでも発言したわね」
ハム蔵「……」(響に頼まれちゃ、断れねえからな)
ガチャッーーーー
ハルカ「ハイサイ! この後書きの超ド本命アイドル、天海春香ですっ!」
ヒビキ「お、ハイサイ春香!」
リツコ「おはよう春香」
ハルカ「二人で何見てるの……って、えー! ハム蔵とゴルゴ
ハム蔵「ヂュヂュイっヂュイ……」(春香、後でドタマかち割ってやるからな)
次回「たくさんの、花束を君に。 ~My eyes, voice and hands to feel you~ 」