歴史ってのが人間の紡ぐものであることに間違いはないと理解したのは、俺が中学に上がる頃だ。だが、後だしジャンケンで本物のハサミを突き出し相手のグーを傷付けるように弄くり回せちまう存在がいるのを理解したのは、高校に上がってからだ。甚だ不本意且つ、知りたくなかったがな。
そうだ。ハルヒだ。県立北高に入学してから俺がたった一年の間でアイツに巻き込まれ続けた結果得た経験値は、それだけならRPGで言えばレベル三桁を突破するくらいの量だ。ステータスが相応に引き上げられている実感は悲しいかな微塵もないが、せめて知能と特に殺意を受信するアンテナは僅かでも上昇していると信じたい――。
「っぐ!?」
不意に俺の背中一面に衝撃が広がった。一瞬止まった息を吹き返し瞼を開けると、俺は天井を仰いでいた。俺は確か明日から新学期が始まるのを憂鬱に思いながら眠りに就いたはずで、目の前の光景は懐かし――
「ふぇ!? え!?」
――くはなかった。天井の電灯が、馴染みの俺の部屋の物と違う。
「だ、誰なんですか!? どうして私の部屋にいるんですかあ!?」
文面だけ読めば朝比奈さんだ。普段俺を起こすのは小学生の妹なので、俺が朝比奈さんに添い寝されている時点で異常ではあるがともかく。
「……アンタ、誰だ?」
薄く朝日差し込む部屋の真ん中で起き上がり、俺でも英訳できる短文を声の主に投げた。ベッドの上では女の子が枕を抱き締め、壁際で小さく蹲り、俺を怯えた顔で見下ろしている。
「わっ私は、って、言わないですよ!? あなたこそ誰なんですか! どうやってここに入ったんですか!」
あまりの気迫で咄嗟に見回して、やっとここは俺の知る部屋ではないと察した。一言で表せば女の子の部屋で、継ぎ接ぎな熊のぬいぐるみが並んでいるのを除けば奇しくも朝比奈さんを連想する部屋だ。
その子が人差し指を突き付けて俺を見る目は明らかに暴漢へ向けるそれだと、初対面相手でも分かる。無論俺は釈明した。怠惰な現状を打ち破るためだけに殺人未遂を犯す急進派宇宙人とは違う。
「ま、待ってくれ! 俺は怪しいもんじゃない。本当だ。俺も訳が分からないが気づいたらここにいて……」
だめだ。往生際の悪い空き巣の科白にしかならない。案の定、部屋の主と思われるその子の顔から険しさは引くどころか、追加で恐怖感も添加されていくのが分かる。ちくしょう、この状況を説明してくれるピンチヒッターはいないのか?
「出てって……!」
「頼む、聞いてくれ……!」
「出てってくださいいい!!」
知らない部屋だがワンルームのようで、俺は目に付いた玄関からすぐに飛び出した。案の定外は表だ、一階へ降りる廊下なんかじゃない。周囲にはいくつも同じ扉が並んでいるからここは共用部のようだ。マンションかアパートか?
洒落にならねえ、と今の俺の恰好を確認する。グレーのスウェットを上下に纏った紛うことなき寝間着、足はコンクリートの冷たさを直に味わっている。こんな恰好の空き巣がいるかよ。
とポケットを探ると、携帯があった。寝る時に携帯を肌身離さない習慣も記憶も俺にはないが、とにかく起動してみる。無事だ。ならば連絡先。これも無事だ。
俺は藁にも縋る想いでプッシュした。
「長門、俺だ!」
『……』
この三点リーダが、さっきの部屋の子以上におどおどする異世界の長門ではないことを証明してくれた。俺は一息吐いてから改めて、
「長門。今の状況が分かるか?」
『この世界は、我々が元居た世界と乖離している』
乖離しているってのをもっと具体的に表現してくれ。作り変えられてんのか、異世界に来ちまったのか。時間遡行の可能性は?
『世界そのものが改変されている。情報統合思念体とコンタクトを試みたが、彼らは存在しないと思われる』
「なに? っつうことは何か、今長門は何の力も持ってないってのか」
『ない。ごめんなさい』
「あ、いや、長門に謝られる謂れはないんだ。悪かったよ」
寧ろ普段おんぶに抱っこしてもらってるんだから、こっちがジャンピング土下座の一つでもかまして謝意を伝える立場なんだ。しかし参ったな。今度の厄介ごとも一筋縄では行きそうにない。初めてではないがこんなとき長門がただの寡黙な女子高生になっちまってるのはデカいハンデだ。
それよりまず今一番深刻なのは、自分の拠点が分からないということだ。これまで厄介ごとで機能していた初期スポーン地点はどうなったんだ。俺の家は。北高は。文芸部室は。
『あなたはまず学校へ行くべき』
「北高はあるのか。ただ、今俺が知らない場所にいるから真っ直ぐ行けるか、」
『あなたの通う学校は北高ではない』
なんですと? 俺はスピーカーに耳を押し当てその続きを待つと同時、かちゃりと傍の扉が開いた。
「あっ、あの……」
件の女の子が控えめに、扉から俺を覗き込んでいた。
スピーカーから聞こえたその名前は、さっき俺が大急ぎで長門を探し出すべく開いた連絡先の二番目にあったような気がした。
大洗学園。それが俺の通う高校らしい。そこへの通学路は西住から聞く限り、この一年間ずっと恨み節を吐き続けたハイキングコースが存在しないらしいのに、俺の心境はブルー一色で塗り固められたままだ。
女子と一緒に登校しているってのにな。
「……」
長門のとは違い、なんて落ち着かない三点リーダだ。何故俺は強盗未遂犯に認定されたであろう件の女子高生と、通学路らしい平地を歩いてんのかというと、事の発端はこうだ。
通話越しの長門が学校の名前を教えてくれたあの時俺は、扉から顔を出した寝間着の女子高生に部屋へ連れ込まれた。するとリビングでは見覚えのある北高の男子制服と俺の鞄が出迎えてくれた。
どうにか平静を取り戻したらしい彼女に促された俺は、彼女とテーブルを挟んでお見合いの態勢になると、彼女はええと、とか、なんていうか、とか目をマグロのようにたっぷり泳がせた末に、
「あなたは、私の兄なんですか?」
と切り出された。俺が口をぽっかり開けて間抜け面を晒してしまったのは言うまでもない。そう来たかハルヒ。俺の家族に見ず知らずの異世界人が加わったのは初めてだ。俺の妹枠は小学校高学年とは思えない小学生のあいつで売約済みのはずなのに。
今はまだ見ぬ団長へ心中で恨み節を並べていると彼女は俺の無言に慌て、
「へ、変なこと言ってごめんなさい! あの、さっきお姉ちゃんに電話したんですけど、私とあなたは兄妹で、これからこの学生寮で一緒に生活するんだろ、って……。わ、私がおかしいのかな?」
えへへ、などと困ったように作り笑いする彼女へどう説明すべきか、俺の心中の恨み節はそっちの製造へすり替わった。って、ねーちゃん? 彼女には姉がいるらしい。ということは俺の姉? まさか妹ではあるまいな。今は何人兄妹になってんだうちは。
「あー……」
俺は床に叩き付けられてから何も口にしないまま乾ききった喉を一拍震わせて、
「俺はあんたの兄、ではないはずだ。俺も今記憶がしっちゃかめっちゃかなんだが……。名前は、なんて言うんだ?」
「西住みほです」
さっきは名乗るのを拒んだのに西住は即答してくれた。姉ちゃんとやらと電話しただけで警戒心を解いちまったのか、この子は。それにしても、西住だって? 俺の苗字の頭はサ行だし、西住という苗字を冠した知り合いも覚えがない。
その時俺は、テーブルの脇に生徒手帳が置いてあるのを発見し、中身を確認した。写り悪く冴えない顔写真の横にあるのは俺の記憶と相違ない苗字。よかった。家族構成を改竄されても個人情報にまで魔の手は及ばなかったようだ。周囲が俺をあだ名で呼びまくる余り、アイツが俺の本名を忘れている為だとは思いたかないが、今それはどうでもいいな。
話してみると彼女は既に俺の生徒手帳に目を通していたらしく、義理の兄妹なのかという疑問を呈した。苗字が違うならそこに辿り着くのは俺も同じだが、それまでだ。ここにはアイテム以上のヒントをくれるNPCがいない。
「なあ、そのお姉さんに電話させてもらえないか? 俺も色々聞きたいことがある」
「それはいいんですけど……。そろそろ登校しないと、遅刻しちゃう」
彼女の鶴の一声で俺たちは共に制服へ着替え――釈明するまでもないが俺は適当に洗面所を使った――、自転車も無しに通学路を歩いている。案の定俺の知らない道だったので俺は道順を教えてくれる以外に三点リーダを貼り付ける彼女へ、金魚の糞の如く付いて行った。
「ところで、お姉さんに繋いでもらっていいか」
「ぇ、あ、そうでしたね、ちょっと待っててください」
彼女は携帯を取り出し三コールほど待たされてから、
「あ、お姉ちゃん? 今いい? あのね、今、お、お兄ちゃんが、お姉ちゃんと話がしたいって言ってて」
俺への呼び方に迷いを見せた末のお兄ちゃん呼びに、俺は場違いにも安堵を覚えた。いや兄をあだ名で呼ぶ妹の方が普通ではないのだが、反動でな?
「あ、そ、そう、だね? とにかく替わるよ?」
はい、と差し出す携帯を受け取ると今度は俺が迷う番だ。
「あ、あー、姉、さんか?」
うわ、慣れねえ。だが俺と西住が同い年というのはさっき知ったから、俺の姉でもあるのは間違いないはずだ。
『キョンか? 今朝のみほは一体なんだったんだ?』
妹と比べると声は低く、言葉遣いも女子に不相応だった。ところが俺はそのギャップで驚く以前に、味わっていた安堵を取り落とした挙句その場でずっこけるところだった。仮にも身内をあだ名で呼ぶ奴があるか? 本当に身内か? 内心半信半疑だったのが疑心暗鬼にランクアップを果たしちまったぞ。妹を見習え。
「それがその、実は俺も頭がどうにかしちまったみたいでな? 俺も教えてほしいことがあるんだ」
『……大丈夫か? 二人とも。まあ聞いてくれれば答える』
「SOS団って、知ってるか?」
『知らない。レスキュー隊か何かか?』
「いや、知らないならいい。……俺たちは義理の兄妹、ってことでいいんだよな?」
『義理なのはお前だけだが』
「姉さんが始めで俺が二番目で、に……、ええと、みほ、が末っ子だよな」
『……本当に、大丈夫か……?』
え、なんだよまだ増えるのか? と俺が言葉に詰まるのも束の間、
『まさか家族構成も分からなくなっているとは……。合ってはいるが』
「気にしないでくれ」
『いや気にするぞ。お前たち、頭でも打ったのか?』
「いいから。で、姉さんも大洗学園なのか? 放課後とか会えそうか?」
『私は黒森峰女学園だ。会うのは無理だ』
「いつなら会える?」
『分からないな。次の寄港は来週だし、会うなら私かお前のどっちか新幹線のチケットを取らないと』
きこう? なんだそりゃ、奇行? 寄稿? 帰港? それに新幹線だって?
「い、今どこにいるんだ?」
『黒森峰の学園艦』
また分からない単語が出てきた。黒森峰とかいう名詞は別にいいとして、後半のは広辞苑に載ってんのか?
「つまりどこだ」
『熊本の沖合だが……』
「……すまん。ちょっと、待っててくれ」
俺はここで現在地すら把握していないことに気付いた。手で通話口に蓋をし、
「なあ、ここはどこなんだ」
「ふぇ? えと、学校まであと十分のところです、よ?」
「そうじゃなくて。ここは何県だ?」
「何県というか、茨城県の沖、だと思います」
全然分からん。互いに呆けた顔を突き合わせただけだ。地球は温暖化が進む余り北極を溶かし尽くすのを通り越して海水が干上がっちまったってのか? そうでないなら足下のアスファルトは、目の前に広がる小売店やら住宅やらは、遠方に見える小山はなんなんだ。
とりあえずここは関東で、姉(仮)のいるところは九州らしい。
「あー姉さん。悪い、学校も近いんで、一旦切る」
『いや、今日は休んで医者にかかるのを勧める。本当に。あとお前、携帯に私の番号も登録してないのか?』
「大丈夫だから。少ししたら良くなるから。携帯は後で見直す。じゃ切るぞ」
『おいキョン――』
姉(仮)には悪いが嘘を無理やり通して赤いボタンを押した。何気なく妹(仮)の携帯の待ち受けに目を留めると、四月七日と日付が示されていた。エイプリルフールは過ぎちまってるみたいだな。
願望実現能力を持たない俺がこの世界よ元に戻れなどと念じてもペガサスかアルタイルに通ずるはずもなく、いきなり体育館へ誘導されたかと思ったら今日は始業式だったらしい。そこだけは俺の記憶と相違ないのかよ。ともかく校長の長ったらしい挨拶を終え、クラス替えをしたらしい二年の教室へ戻ると、俺はソイツを見つけた。
「……」
我らがSOS団団長、涼宮ハルヒである。
だが俺は、出席番号順で俺の後ろに座ったそいつに声を掛けあぐねていた。このクラスの生徒が教室に入ってから、ハンドボール馬鹿の岡部ではない初見の担任の指定で席に着いた今まで、ハルヒは人を寄せ付けない仏頂面を張り付けっぱなしだし、頭こそ見慣れた黄色のカチューシャだが髪は背中まで伸びている光陽園学院スタイル。ああ、これは、あれだ。懐かしい。
今日、本当に始業式なんだよな? 入学式じゃないよな?
などと俺が頬杖を突いて知恵熱を出そうとしている間に自己紹介が始まり、俺は頭の片隅から入学式の時の科白を引っ張り出し少し添削もした上で、自分の番を終えた。一年前より緊張はしなかったが、問題は次だ。
椅子に腰を落ち着かせた俺の背後からはがたりと立ち上がる音が聞こえ、
「東中出身、涼宮ハルヒ」
俺は机の天板を穴が開く程見つめて次の言葉を待った。
「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上」
空虚感を抱いた俺は奇しくもあの時と同じように振り返らざるを得なかったね。えらい美人が、そこにいた。ってか? 知ってるわンなこと。
ハルヒは唖然とする周囲を見回し、最後に俺にも同じ目を向けてから着席した。なあハルヒ。お前は一体何がしたくてこの世界を望んだんだ? SOS団は飽きちまったのか? 第一容疑者として疑っちゃあいるが、俺だってお前の仕業だとは思いたくないぜ。