聖グロリアーナ女学院との練習試合を明日に控えた土曜日。
生徒会によって発表されるこの日の訓練趣旨はと言うと、女子連中は砲撃や運転中心の訓練、自動車部は付き添う形で都度戦車のコンディションを整えるミッションである。
今朝は校舎隣の倉庫前ではなく、倉庫へ集合するなり連れてこられた戦車競技のためのどこかの平野で行われた朝礼の時点で、自動車部の付き添いも始まっていた。
俺たち自動車部が少し後ろから見届ける中で、履修生一同の朝礼が淡々と終わろうとしたところ。
「――今日の方針は以上だ。それでは、」
「ハイッ!」
「なんだ武部」
広報に待ったをかけたのは、定価百倍の金額で出品されてる激レアブロマイドを偶然発見したような顔だ。
「キョン君の隣の男の人は誰ですか!」
「……ん? あぁ、では紹介しておこうか」
いつものことなんだろう、特に変わりない様子の広報が女どもの視線を集めてそばに立つ。
「今後も顔は合わすだろうしな。自動車部新人の、二年の古泉だ」
「古泉一樹です。今後ともよろしく」
「あーちなみにその隣、最初からいるから知ってる子もいると思うけど同じ二年のキョン君ね。みんな仲良くしたげてー」
紹介今やることかよ。授業が始まった頃は戦車探しにばかり意識が向いて機会がなかったのは否めないが、よりにもよってイケメンが入ったタイミングなのが複雑だ。会長の雑なフォロー虚しく、女の半数は「わあぁー」ってなぐらいにそっちへ熱い視線を注いでいる。クソ、これが顔面偏差値の差って奴か。
いたずらに俺の劣等感を刺激するという明らかに余計な一幕を挟んでから女どもは蜘蛛の子が散るように戦車に乗り込んでいったのだが、古泉のことを最後まで気にする女子が少なからずいるのが癪に障る。
「みなさんお麗しいですね。あんな方たちが戦車道を履修しているというのもまた」
ああそうかい。
選り取り見取りの主人公みたいなことをのたまいやがって。
「あなたには敵いませんよ。涼宮さんに選ばれた、あなたにはね」
意味が全く違うだろ。そんなんで羨まれても嬉しかねーよ。
「いいではないですか。あなたもあなたで、既に自動車部の方や他の何人かとも親交はあるのでしょう?」
お前は知らないだろうが、自動車部には会長に無理やり在籍させられただけだ。俺はなにもしちゃいない。
「事のきっかけなんて些細なものです。あなただって、最初涼宮さんに話しかけたのはなんでもないことなのでしょう?」
あのときは課外活動の最中だったが、他のエージェントとやらも抜け出してまで監視しているのか。ご苦労なこった。
悪態をつく俺に古泉は肯定も否定も示さず、動き出す戦車へゆるりと目を向けて、
「ところで僕は戦車は見るのも初めてなんですが、あなたはどうですか? もし精通しているならご指導願いたいところですが」
俺はお前と同じでせいぜい一週間くらいの差があるだけだ。俺なんかに頼ろうとしないで素直に女子部員に聞いてくれ。合間に論文とかも読まされるかもしれないが、お前のいるJ組は進級クラスだったよな。それならすぐ理解も及ぶだろ。
「それでも、考えるのと手を動かすのとは違いますからね。ただ本当のことを言うと、女子部員の方に聞くよりは同性のあなたのほうが色々聞きやすいと思って聞いてみたまでです」
こいつの言う『本当』のうちの五割は逆だったりもするからな。第一にこの世界の古泉が何を企んでいるかも分からないから油断はできん。
お前、この間俺に正体を明かした別れ際に『百聞は一見に如かず、見せたいものもある』と言ったよな。俺の話も百回聞くよりまずは自分の目で見ろ。今から始まる訓練も含めてな。
「あはは、これは一本取られましたね。ならばご先輩の言う通り、見物と甘えさせていただきましょう」
大袈裟に両手を広げて竦めてみせる古泉を無視し、俺は平野へ駆け出して行った戦車の動向を注視する。各々走らせたり設置してある的へ砲撃したりしてみてカラーコーンをイマイチ避けられなかったり命中率が芳しくなかった車体を、俺たち部員がメンバーの使い癖になるべく合わせてやるという仕事でこれが意外に大変なのだが、それに見合った報酬もあるぞ。
「にゅうぅ……、涼宮さん、氷くださあい……」
「もうダレちゃったの? だらしないわねみくるちゃんは。じゃあちょっと休憩しましょ」
操縦と射撃を一通りして所定位置に戻ってきたカヴェナンターから出てくるハルヒチーム。特筆すべき点は水着だ。朝比奈さん! こっち向いて! あと回って!
「キョン君~? 鼻の下めがっさ伸びてるねぇ? みくるの砲塔ばっかり見てたら自動車部に言い付けちゃうよっ」
「……」
すいません鶴屋さん、スレンダーモデルの貴女もとても素敵ですからチクるのは勘弁してください。あと長門も青春やってる男子高校生をそんな熱帯魚観察の小学生みたいな目で見ないでくれるか。
「あ、ゴメン間違えたっ。言い付けるならキョン君の妹ちゃんのほうがいいよねっ」
いったいどういうところがゴメンなのか、『渚のビーナス』とか見出し付きで写真集表紙を飾ってもいいくらいの鶴屋さんが笑顔で地獄の訂正を差し込んでくる。
「妹ちゃん? へぇ~アンタ妹いるの?」
「ありゃ、ハルにゃん知らない? 西住隊長のことだよっ!」
「は?」
ハルヒ、般若の面に変貌。それがぎゅりっとこっちへ向いた。
「……そういうプレイ? そういえば名前で呼んでたわね? アンタなんか弱みでも握ってるわけ?」
戦車の上のハルヒと地面に立つ俺とで距離があるのに反射的に仰け反った。泣く子も黙るってのはこの顔だ。
古泉の転校も俺が教えるまで知らなかったみたいだし、こいつの地獄耳はどうやら寝ぼけているらしい。俺とみほが義理の兄妹だと知っている女子は周囲に何人かいるのにまさか知らなかったとは。あと名前呼びで疑いが強まるのはどういうわけだ。
「馬鹿なことを言うな。義理だが兄妹だ、疑うなら本人にも聞いてみりゃいい」
「……ふーん。ま、あたしにはどうでもいいことね」
と言う割に俺を射抜くまま逸らさないハルヒの目は二百度ほど温度が下がった気がする。なんでサウナ戦車に乗ってもいない俺がハルヒたちより脂汗を分泌しなきゃならん。
適当な話題に変えようとして俺は、ハルヒから渡された氷のうを額に当てる朝比奈さんが目に付いた。
「サウナなのに氷持ってこれてるのか?」
「あんたが言ったんじゃない。クーラーボックスに入れてあるのよ」
戦車の上で仁王立ちするハルヒはスポーツドリンクを傾けながら返した。
そうだっけな。もう忘れた。このカヴェナンターとやら、地味に大洗戦車の中でⅢ突に次いで車高が低いのだが、確かになんとか持ち込める程度のスペースはあった気がしないでもない。
「そういや朝比奈さん、蛇行運転もいつの間にか克服したみたいですね」
「ふぇ? わたしは今は砲手やってますよ?」
え? じゃあ今の操縦手は?
俺が誰に向けたらいいかも分かっていない質問をすると、メンバー全員の視線は一点に注がれた。
「……」
長門か。
「そのぅ、わたしは運転が苦手みたいでして」
ってなると、今カヴェナンターの乗員の振り分けはどうなってるんだ?
俺の疑問に答えたハルヒが言うにはこうである。
車長(兼通信):ハルヒ
砲 手:朝比奈さん
装填手:鶴屋さん
操縦手:長門
「最初の練習試合からこないだまではみくるちゃんにやらせてたけどね。みくるちゃんたら自分で酔っちゃうもんだから練習にならなくて、有希と交代してもらったわ」
なるほどね。
朝比奈さんには悪いが、俺はハルヒの呆れ顔を俺への反発面に変貌させてやれる程の材料を持っていなかった。ゲーセンとかで戦車の運転シミュレータみたいなもんでも置いてないかな。見つけたら教えてあげようか。彼女が3D酔いしなければの話だが。
それにしても、砲手ねえ。見た感じ命中率は十発中四発といった感じだった。
「朝比奈さん。例えば弾道が右寄りとか左寄りになっちゃうとか、そういうのでも感じていたら調整してみますよ?」
「うーん。わたしも全然上手にできなかったんだけど、そういうのも感じたかなあ? お願いしてもいい?」
「了解っす」
潜り込んだカヴェナンターはイグニッションを落とされていたが、それでも熱は梅雨終盤の夜の布団みたいにむわりと残っていた。こりゃ夏は大変だぞ、砲塔を取っ払って露天にして作業したいぜ。
数学的なことはよく分からんので感覚でだが、回転砲塔と繋がっている砲手のハンドルを、朝比奈さんのこれまたぽわぽわした注文に従って中央よりちょい回した初期位置で固定し直してみる。
そのとき視線を感じるので振り返ると、いつの間にかハルヒ特等席に居座る競泳水着の長門がいそいそ手を動かす俺を見つめていた。ところで他人の服装に口出しするファッション気取りのつもりはないが、上半身のほとんどを覆うタイプの水着でこいつは暑くないんだろうか。
「お前もなにか注文か?」
「あなたは、楽しい?」
なんらかの感情を携えて揺れているように見える目に俺は、嘘を言うべきか逡巡してから、
「……楽しいさ。今の環境にどんどん慣れちまってるくらいにはな」
「そう」
これまで放課後や休日にも活動を厳命してきた会長氏は驚くべきことに、自動車部も含めた全員への解散令を正午に出してしまった。今日チーム同士でドンパチしなかったのもこれを見据えてのことだったんだろう。
女子部員連中も学園の鍵を会長から奪って籠城、という俺の予想を裏切って帰路へ付くようだが、聞き耳を立ててみるとどこかにあるパーツショップへ寄り道するらしい。安定してるというかなんというか。
「よう。お前らは今日一緒に帰らないのか?」
「キョン君」
俺は作業着のままで、倉庫に置いていた鞄を回収する我が妹とその一座に声を掛けた。いや、一座って言うとこいつのチームメイトまで俺の妹みたいだから訂正しておこう。
集まっているみほチーム一味は好意的にも各々俺の質問に返してくれた。
「大変申し上げづらいのですが、毎週土曜日はお花の稽古なんです」
「花……?」
「私の実家、華道の家元なんです」
もう一人いたのか、家元の娘。
そういや選択科目にもあったよな、華道。五十鈴はなぜここにいるんだろうか。こいつも訳ありか?
「私はちょっと、古泉君へアタックに……。えへへ」
えへへというよりも古典的にデヘヘと表現する方が似合う武部。超能力者に恋しようが勝手だが、不審な秘密結社に利用されないか心配する必要が生じるかもしれない。みほに伝えておくべきか。ああ、あいつがハルヒに気がある可能性はわざわざ言わなくてもいいだろう。馬からバックキックを貰う趣味もない。
そんな武部に引き気味な秋山は。
「私は装填のために体力トレーニングを。弾を込められなくなるなんて下らない負け方はしたくないですからね」
秋山は装填手か。気合の方は装填済みのようだ。戦車の装填経験はないが、整備のよしみで触れた弾丸が水筒みたいな物ではないことは体感済みだ。俺が言うことでもないが、筋肉痛を起こさない程度にしとけよ。
で、冷泉はというと……。
「……やっぱり回ってくるのか」
この中じゃ俺が最も知らないのはこいつだしな。風紀委員によればこいつは学年主席らしいが、それは例えば帰宅してから夜遅くまで勉強漬けになることで保っているとか。
それくらいしか思いつかないだけだが。
「お前も予定あるのか」
「なかったら何かあるのか」
まあ、別に何でもないんだけどな。
「帰って読書したりして英気を養う予定がある」
秀才なのに不思議と親近感を覚えるやつだ。というより鏡でも見てるみたいで少し落ち着かない気分だぜ。
「あの、私もね、この後は町の散策に行くつもりなの。明日の試合のために視察しておかないといけなくて」
ああ、みほは学園艦をよく知らないしな。
「ううん。学園艦じゃないよ。陸の大洗町。試合はそっちで行われるから」
陸だと? 今日は特に寄港の知らせは聞いてないぞ。いくら俺でも朝のHRくらいはちゃんと起きてるんだが。
「キョン殿、知らないのでありますか? 陸とは学園艦から出ている小型の定期便でいつでも行き来できますよ」
船から出る船とは馴染みない交通機関だ。救命ボートじゃないよな?
「大丈夫だよ。百人も乗れないくらいの船だけど、三十分に一本の頻度で往復してるんだって」
百人も乗れないとは逆を言えば百人までなら収容できるということだ。確認しに行くまでもなく普通の船なんだろう。
ふむ、などと考え込むまでもない。
「俺は今からの時間の扱いに困ってるところでさ、構わなければ付いて行きたい」
「でも、退屈しちゃうかもしれないよ?」
「心配すんな。一人でいるよりは何百倍も退屈しないから」
「……じゃあ、行こっか。私はここで待ってるから」
みほはふわりと微笑んでから視線を、つつ、と恰好へ目を移した。言われるまでもなく俺は自動車部ご用達の制服姿だ。あのままの恰好で帰っていた女子部員は趣味の一環なんだろうが、彼女たちには敵わない俺としては理由なしに学園制服の重量を鞄に加算させる気はなかった。
俺は倉庫へ引き返し、整備も済ませて並べてある戦車の陰に入ると先客がいた。
「おっと、空いてますからどうぞ」
古泉か。一足先に着替えの途中だ。俺もある程度の距離を置いてそそくさと始める。
あらかじめ断っておくがな、俺はこの後用事があるんだ。お前やハルヒ連中とつるむ時間はないぜ。
「ご安心を。思いのほか涼宮さんに協力的なようで我々も助かりますが、こちらもあなたを彼女の執事に仕立てる魂胆などはありません。遠慮しないで、ご自身の人生を謳歌なさってください」
本当にそんなことを考えているのかお前らは? 俺には自分の正体と能力者集団の存在を最初から語るつもりでいたように見えたぜ。あいつのクラスメイトの中ではちょっぴりは喋る相手になっただけの俺に、そんなことを易々と明かすと思うかよ。
「『機関』としては、涼宮ハルヒと長く関わることになりそうな人物に、涼宮さんの周囲で起こる現象を目の当たりにしても取り乱したりしないよう予告をしているまでです。詳しいことはあなたも機会が訪れたとき身を以て知ると思いますが、それに遭遇した者がなにかの間違いを起こして涼宮さんに能力を自覚させてしまわないよう、用心のためにね」
言っていることそのものは俺が異質の存在であることを妹に打ち明けた俺の動機と紙一重なのだが、言っている人間が誰なのかってのは与える影響も大きいもんだ。
そういうことにしておいてやるが、言われるまでもなく俺の人生は俺の思うままに謳歌させてもらうさ。
「是非そうしてください。女性とデートできる機会があるのに、そんな理由で青春の一ページの賠償を機関に訴えられても困りますのでね」
俺は般若ハルヒに負けないくらいの顔と反応速度を作った。古泉はもう着替え終わっているのに帰る素振りもなく、俺を二割増しのゼロ円スマイルで眺めているのが気持ち悪い。
なんのことを言っているのか分からんな。古泉よ。
「同級の異性と肩を並べて歩く……、僕にそういう相手はいませんからね。あなたも隅に置けないものですよ」
てめえ、趣味が悪いぞ。こいつは俺のことを調べたと言ってのけるのだからその相手が妹であることも知っているに決まってる。盗み聞きして素知らぬ顔を続けていれば俺も気付かないままだったのに。しかもその気になれば俺よりはそういう選択肢にも恵まれる可能性濃厚なお前がそんな嫌味を言うか。
「お前もそういうところをなくせば、選択肢は向こうからやってくるだろうよ」
「手厳しいお言葉、痛み入ります」
転校当初の古泉と話して疲れるのは世界がどこであっても一緒だ。俺は皮肉のドッジボールを断ち切ってすぐにその場から立ち去る。
倉庫前のみほの元へ戻ると、視界の端ではちょうどチームメイトたちが校門から姿を消すところだった。
「悪い、待たせたな」
「はうっ!? きょ、キョン君……!」
振り返ったみほは何故か紅潮した顔で目を白黒させていた。数分前と違って明らかにテンパっている。
「何かあったか?」
「う、っううん! なんでもないから。早く行こう」
「走った方がいいのか」
「ぇう? ……あ、やっぱりダメ。ゆっくり行こうよ、時間はあるんだもん」
どっちだよ。
「ゆっくり。歩いてこ?」
こいつは今さっき何に気付いたんだ。ほんの一瞬校門へ目を向けた気がしたが、生徒会は生徒全員の帰宅を確認する前に門を閉めることもないみたいだし。まぁあのチームメイトたちの中に非現実的存在の香りはしないし変に勘繰る必要もないか、と俺は割かし引きずらず、肩を並べて学園を後にした。
みほがいてくれてよかった。俺はかねてからこの学園艦のどこかへ遊びに行こうにもこの艦のことをよく知らないし、かと言って一人であてのないまま歩き回るというのも腰が重くてできていなかったから、今日の放課後は何をすればいいのか途方に暮れていたところだ。単身赴任先で労働に身を削るリーマンの暮らしは多分こんな感じなんだろう。
俺たちはバスを乗り継ぎ通学路を逸れて学園艦の端まで来ると、エレベータで学園艦地下内部の連絡口に入った。中だけ見ればちょっとしたバスのターミナルだ。
「あ、ほら。今だと船で四十分くらいって掲示板に出てるよ」
「運賃表はどこだ?」
「無料なんだって」
学生の身で特に収入先の分かっていない今の俺にはありがたい話だ。
港周辺のショップや喫茶を尻目に、到着早々みほはメモ帳片手で散策を開始した。
茨城県の大洗町、だったか。学園艦なんてものを持っている割に迎撃用の高層ビル型銃器格納庫が並んでいることもなく、学園艦の上となんら変わりないここは今のところのどかな一地方の町という印象しかない。学園艦で買い物していた限りでは消費税はスウェーデン並みの水準でもないのは知っていたし、だとするとあんなものを動かす金はどこから捻出してるんだろうな。
日頃なにかあるたび一喜一憂し引っ込み思案気味のところもあるみほにしては、今こうして散策する最中は横から見て引き締まった顔で一貫している。視野の限られる人間なりに最大限の景色を焼き付けようと集中しているんだろうが、内心俺はこういう奴でもこんな顔もできるんだなと一挙一動を観察していた。
「なあ。散策って具体的にどんなことを考えてやってるんだ?」
「まずはどんな地形なのかを確認して、次に戦車の走れるエリアのチェックかな。町全体が競技場だから、都会なのか田舎なのかを知ってるだけでも影響は大きいの」
「そういうのって、地図で見ただけじゃ分からないのか」
「通れるところと通れないところの区別って、実際に見るまで分からないことも多いんだよ? 道じゃないところだって走るし」
まあ確かに。
そういえばこれまでの練習で、居住区が舞台になった記憶はない。
「戦争映画だとどの映画でも、参謀たちが群がって地図を指差すシーンが多い気がする」
「それは映画だからだよ。敵国にスパイを入れたりして調査もするはずだけど、そんなのまでシーンに入れてたら間延びしちゃうんじゃないかな」
戦争の合間のシーンも、軍人の主人公が行く末に憂う民間人の女とシリアスな会話を広げるのが鉄板だしな。それでも大体二時間前後の容量になってんのに、今の俺たちみたいなシーンまで逐一込めていたら進む話も進まなくなるだろう。
「って言っても、私はちょっと戦車道の知識があるだけで、戦争の知識はないから詳しくは分かんないなぁ。そういうのは優花里さんの方が詳しいよ」
秋山が? 奴はもしかして、ミリタリーファンって奴か?
「筋金入り」
明日のことで気合入ってたしな、道理で。
そういう奴こそ自動車部に入りたがるはずだし生徒会も目を付けそうなもんだが、生徒会は興味はないのだろうか。
「あ! そういえば結局、自動車部は戦車道と全然無関係じゃなかったよねぇ……」
なんで俺今、メモを中断までしたみほに遠回しに責められてんだ。秋山の話からそっちへ飛び火するのは、俺の記憶のファールラインをも盛大に飛び越えている。
「俺だってもしお前が戦車に乗るつもりで、自動車部も授業と関わるのを知っていたら話くらいはしただろうさ」
「本当? 入ったってことだけ言って脅されたのは隠さない?」
言うわけねえだろ。
「ほらっ!」
人を指差すんじゃありません。
謎の不満で頬を膨らます妹へ俺は喉を鳴らすような溜息一つして、
「みほ。あのな、俺が今自動車部にいること自体はもう悲観してないんだ」
「どうして? いやだったんじゃないの」
「あの生徒会のやり方は気に入らないままだが、あのハルヒがこの授業を取ってる以上、俺にとっては帰り道を見つけるチャンスなんだよ」
これは団員でないと分からないことだろう。俺たち団員の遭遇する不思議はいつだって団長から始まり団長に終わっていたのだ。自分の尻は他人に拭かせず自分で拭けという言い方も変だが、宇宙勢力が蒸発した今本当に世界を弄れるのはハルヒしかいないんだ。
「ふーん」
「……なんだよ?」
「ううん。ずいぶん、涼宮さんのこと高く買ってるんだね、って思って」
そりゃそういう芸当ができるのはハルヒの他にいないからなんだが。
俺がそう補足するより先にみほは、ここで微笑むという不可解な表情を選択した。
「そういえば、涼宮さん以外とも仲いいよね? カヴェナンターの」
この世界では顔見知り程度だぞ。ただ、あいつら全員俺と同じ住人でな。前に話したがSOS団ってのはあのカヴェナンターの連中と、入部したばかりの古泉って奴で構成されてた。
「あの人たちはみんな普通の人じゃないの?」
長門以外はな。
「水着に見惚れてたわけじゃないんだね?」
「ミッ――」
思わず変な声が出た。甘ったるいショートケーキを食べたときみたいな顔でなんてこと言いやがるんだこいつ。
「あのかわいかった人とか特に見てたよね。ねえキョン君。自分のお兄ちゃんが公衆の面前で女の人のおっぱい凝視しちゃう人なんて、私、いやだよ?」
「断言する。そりゃお前の勘違いだ」
「えぇー……。本当かなぁ」
言いがかりは勘弁してくれ。
「あー、あそこに喫茶店。ねえ見てキョン君、パフェ七百円だって」
客を寄り付かせない価格設定だが、交渉はそれを決定打にしようじゃないか。ちくしょう、異世界に飛んでも俺は奢る人間になるのかよ。兄ってのは妹に格好付けるだなんて大言をこの間は抜かしたが、こういうときの兄は妹に弱い。兄としても、公衆の面前で女の胸を凝視するような男だと妹に認識されたくはないからな。
「わあぁ~。おいしそうだよキョン君。いただきまーす」
その喜びよう、俺がシャミセンを我が家に迎え入れたときの元妹の顔によく似ている。最初渋ったが、たかが七百円が兄の威厳の保持と妹のご機嫌取りで一石二鳥になるなら安いもんさ、このご時世に自営業の喫茶店ならその価格設定も仕方ないしな。それに色々歩き回って一休みしたかったので、午後のおやつにちょうどいい頃合いだ。
みほはカットフルーツの盛られたパフェを、垂らした横髪をゆらゆらさせる犬っころみたいな顔で崩しながら、
「そういえば私ね、みんなのチームに動物から取ってチーム名を付けてあげてたんだけど」
ほう。俺は各々の戦車で覚えていたが、どんな名前になってんだ。
「私のチームはあんこうチームで、生徒会がカメさんチームで、バレー部の人たちがアヒルさん、一年生チームがウサギさん、面白い恰好の人たちがカバさん」
面白い恰好ね。そういう認識しかできないよな。アレが何の集まりなのか俺はまだ分かっていない。
「でもね、涼宮さんだけ自分でSOSチームって名乗って聞かなかったの」
「……そりゃいったい何の略だ?」
今このとき、届けられていたキリマンジャロが熱湯じゃなかったら口を付けて噴き出していたこと請け負いだった。
「略? それは聞いてないけど、略なの?」
「これは言ってなかったっけか。SOS団ってのは『世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団』だ」
「……そ、そうなんだ。すごいね」
パフェで作られた満面の笑みも苦笑いに変わってしまうその気持ちはよく分かる。こんな事実を聞いてもあくまで苦笑いで留められるみほはお人好しなほうだぜ。
そういや俺が休憩したかったのは確かだが、なんで喫茶店にいるんだっけ。みほが機嫌を損ねて、この店を強請って、その理由は俺が朝比奈さんの砲塔を眺めていたせいで、……。
「俺が自動車部にいるって話だけどな」
「んむ?」
ロングスプーンを口に差し込んだまま小首を垂れるみほ。
「みほも戦車道やるってんなら、俺は戦車道を通して陰ながらみほの支えになれると思ってたんだ。そういうわけで俺が自動車部にいるのは悪く思っちゃいないから、そのことで心配はしなくていいんだ。ただ勘違いしてほしくないのは、俺がなにも元の世界に帰ることしか考えてない薄情者のつもりはないってことで……」
なんだこれ、自分で言ってて少し恥ずかしい。俺は情けなくも保身のためにわざわざ言っておきたかっただけなのだが、まさかそんな俺の動機まで包み隠さず言ってしまうほどの恥知らずでもない。
頬をぽりぽり掻きながら言う俺を見つめる我が妹。
口はぽっかり。人形みたいに見開いた目。
「まあ、これが言いたかっただけなんだけどよ」
「……キョン君」
なんだ。笑いたきゃ笑っていい。
「ありがとう」
その礼には、笑顔には、どういう意味が込められていたのだろう。
みほは時間をかけてパフェをただのガラス瓶に退化させたあと、それまでペン入れしてきたメモ帳を見返した結果、もう少しみていきたいと言い出し散策を再開した。
正直な感想としては、SOS団の不思議探索なんかよりずっと真面目だ。みほ自身は戦車には金輪際乗りたくないくらいの気概を持ってる物だと思ってたが、そんな自分も押さえ付けられちまうくらいにはストイック、ということなんだろうか。
野次馬の俺はというと、邪魔はしないつもりで来たのは確かだが、局所的なショッピングモールや住宅街、神社に田畑に緑と普遍的な景色をもう充分なくらい流したところで、みほに声をかけた。
「お前、戦車自体には詳しいのか?」
「機構、ってこと?」
「そうだな」
「私なんて全然。動かし方を知ってるだけだもん」
「経験者なのにか?」
「だっ、だってキョン君だって携帯の使い方は知ってても、構造は知らないでしょ?」
なるほど納得した。俺が知ってることと言えば電気で動いていることくらいだ。
いやなに、これから部活で周りの足を引っ張りたくなくて、自分の妹が経験者ならあわよくば教えを乞えないかと見込んでな?
「ごめんね。そういうのも私より優花里さんが……。あ! そこ、戦車の部品を売ってるお店だよ。行ってみよっか?」
みほが指差した先にあったのは、レンガ倉庫でも地下へ繋がる石段でもないごく普通のビル。だが中へ入ると、転輪とか砲身とかから、戦車内に置ける胡散臭い便利グッズ的な物、関連書籍も豊富で狭い店内に所狭しと押し込められていた。
部品は倉庫で生々しく触れられるからどうでもいいとして、戦車の図鑑やら解体新書に近い本を見開いたりしてみたのだが。
「どう? 意味分かる?」
「全然分からん。お前はどうだ」
「わ、私? えと……。キョン君は部活ではどうしてるの?」
俺も理数的なことは全く分かっていないのだが、最近は理屈基準でどうにか分かった気になってるところさ。この部品があるからそっちの部品もちゃんと動けるとか、この戦車の場合は構造上こういう部品じゃないとうまく動いてくれない、とかな。
「そっか。難しいよね、私もさっぱり」
客の少ない店内をそんなことを言いながら歩き回っていると、店内の奥地でまさかのカーレースじみたハンドル付きゲーム筐体を発見した。こりゃなんだ。
「あぁそれ、戦車のシミュレーションゲームだよ。操縦も砲撃も全部ひとりでやるんだけど」
なんだ、やっぱりあるんじゃないか。と言いたいところだが、プレイヤーのいない画面に流れているプロモ映像はこの時代に似合わないワイヤーフレーム主体の映像で、実写でもアニメでもない。何十年物だよ。
「お前はやったことあるのか?」
「ううん。私は実家で本当の戦車で練習してたから」
あぁ……。家元の娘だけが受けられる特典だろう。こいつにとっても特典だったのかは分からんがそれは兎も角、むしろシミュレーションがリアリティ皆無のこれなら朝比奈さんがゲーム酔いする心配はないだろう。
「誰かやりたい人でもいた?」
「お前が言ってたカヴェナンターのかわいい人ってのが朝比奈さんという人で、その人は車酔い? のせいで操縦手から砲手に交代させられたって聞いたから、そういうゲームがあればと考えてたんだけどな……」
黒背景にワイヤーフレームの線だけで的を描画し、SEも数世代は前のハードゲームからサルベージしてきたみたいな代物だが、練習になるんだろうか。でもあの人はゲームをよく知らないと自己申告してたよな、それなら逆にこれくらい単純なほうが好ましいのか。
「一応、リズムとか判断力の練習にはなるんじゃないかな? これ、学園艦の方にも置いてる店があったから今度紹介してあげるといいよ」
俺の頭ン中のノルマ帳~日常編~をいくらか潰せたことに満足したので後はぶらぶらしてから店を出ようと思ったところ、店の天井にテレビが吊ってあるのが気づいて足を止めた。
流れているのは夕方のニュース番組らしい。テーブル席に横並びになったキャスターやゲストが、なにやら気になる議論をしている。
『ところで今戦車道と言えば、今年度のプロリーグ設立も現実味を帯びてきていますね。次期家元の西住師範としまして――』
西住師範とやらのテロップを映し出されたのは、黒スーツに黒ロングヘア、冷徹な目付きをした大人の、厳かな女。
戦車道と西住というキーワードが並んだなら俺は疑念を抱く。
「アレ、お前のねーちゃんか?」
「……お母さん」
「はっ?」
わ、若っ……。
俺はテレビを二度見した。母親ってつまり、義理の俺は除くとして少なくとも二児の母ってことだよな。俺の記憶のお袋より十は下に見えるんだが、戦車ってのは代謝抑止の効能でもあんのか?
それにしても全く似ない親子だ。箸の使い方を間違えただけで醤油樽に一晩閉じ込める罰を実行しそうな母親がこんなシャボン玉みたいな娘を生んじまうなんて。
『――プロリーグ選手とはどのような方がふさわしいか、率直にお聞かせ願えますか』
『私がそれらの計画に携わっていたらの話ですが……。どんなことがあっても背を向けず、己の意思を徹頭徹尾貫ける方こそ、私の望む選手です』
「ぁ、……」
ときたま他人の機敏に疎いと批判される俺でも、今このとき母親の言葉でしょぼくれる声を漏らしたみほの心情くらいはちょっとでも分かるつもりだぞ。
『なるほど。今日は家元はご不在なんですが、これは家元も同じように考えておられるんでしょうか?』
『はい。西住流はそういった方を門下生として迎えておりますから』
『だそうでございます。西住流門下生の方そうでない方いずれにせよ、入団を目指す皆さんには頑張っていただきたいですね。さて肝心のプロリーグについてなんですが……』
「……行こう?」
みほは逃げるように俺もろとも店を出た。もう日も暮れてくる、若干憂鬱な頃合いだ。
鞄からメモ帳を取り出すこともすっかり忘れているみほは喫茶店に入るまで俺を好き放題イジっていたのと打って変わって、港へ向かう足取りは重苦しい。
みほ。お前とお袋の間にどれだけの確執があったかは知らんけどな、明日試合だってのに今そんなことを気にしても、何もいいことなんてないと思うぞ。
「……私ね、今まで、なんにも持ってなかった」
数メートル先のアスファルトを見つめて歩くみほ。
「この前も優花里さんたちと、学園艦にあるこういうお店に行ったことがあって、テレビもあったの。同じようにニュースが流れて、そのときはお姉ちゃんがインタビューに答えてた。『勝利の秘訣は、諦めないことと、どんなことがあっても逃げ出さないこと』」
「あぁ」
ちょうどこのとき俺たちは一本の線路を跨ぐ踏切に差し掛かっていた。踏切は遮断機が下りていて、こっそり目を動かすと遠くから列車が空気を読んでいるかのように低速で差し迫ってきている。
「で、お母さんもさっきああやって答えてたでしょ。……私、なんにもないんだなぁ、って、気付いちゃった。子供のときから西住家の女は戦車に乗るんだって教えられて、その通りにしてきただけ。もし私があんな感じの質問をされても、答えはなにも持ってない」
「……」
「私、やっぱり隊長なんて無理だよ。それよりも明確な意思を持ってる涼宮さんの方がいい。隊長って、そういう人がしたほうがいいと思うの」
遮断機の前で立ち止まり自嘲するみほを、やっとこさ列車はゆっくり通り過ぎていた。列車は短くて通れば遮断機はすぐに上がってしまったものの、俺がみほに伝えたいことを言葉にまとめるには十分な時間だった。
「過去のことなんかどうでもいい」
「……え?」
この親子間に果たして今の俺とハルヒくらいの溝が生じているのか、下手すりゃそれ以上なのか、実際どうなっているかは分からない。
だが、今にも泣き崩れそうな顔で見上げてくる妹を放っておく奴は、兄貴として失格だ。俺とみほが仮でも今家族なのは姉の保証付きで間違いのないことなのだから責務を果たすのは当然なんだが、そもそも俺はそんなみほの顔を見つめて、無性に苛々していた。
「過去のことなんかどうでもいいって言ったんだ。それより今みほは、『親の敷いたレールを行くのに嫌気が差した』って意思が生まれたからこの学園にいるんだろ。だったらもう気にすることはないんじゃねえか?」
捨てられた意味の分かっていない子犬みたいな目をする妹。これが箱入りお嬢様ってやつなのかね。俺自身はここに飛ばされるまで一貫して実家暮らしだったが、親なんて四六時中そばにいるわけでもない。それは別に俺に限った話じゃない。
みほはそれをまず一際強く自覚すべきだ。
「親のレールから脱線したんなら、残った選択肢なんて一つしかないだろ。……これまでの試合は西住流に縛られてたのかもしれないけどさ、明日の試合からはもうそんなもんもない。全部お前の意思だ。明日お前はどういう練習をするビジョンを想像してんだ?」
「!」
ハッと気付いた顔をするみほ。そうだ、みほはああ言ったが、俺はみほが本当に脳みそ空っぽな植物人間だとは俺は思っちゃいない。何の意思も持っていない人間が家出したり、兄貴の不埒を掘り起こそうとしたりからかったりなんてしないだろ?
あとはそのベクトルを少し戦車道の方に向けてやるだけでもいいんだ。
「明日のことは俺個人として、みほがなにか意思を持って押し通せたらそれでいいと思うぜ?」
「キョン君は、私たちに、勝ってほしくないの?」
何気なく妹の零したこの言葉こそ、こいつの抱えている諸悪の根源の全てを端的に表しているのではないかと、俺は思った。
「勝ち負けは二の次だ。それよりも明日は練習試合なんだし、それこそみほが本当にしたいことを探してみる絶好のチャンスだろ」
「……そ、っか」
「ま、気楽にさ。隊長、頑張ってこい」
「――うん。隊長、がんばります!」
我が妹、敬礼。
なのにその顔は、メモを持って散策していた最中の顔に勝るほどのものでもなく、ふにゃりとすぐに緩み切ったのだった。