練習試合の翌日、登校途中に寄ったコンビニで目にした地元新聞の一面には大洗学園の名が躍っていた。
大洗学園並びに大洗町自体は普遍的かつ平穏な地域で、元々はこの町と何ら縁のなかった俺の目を惹くような町内ニュースが毎日浮上するところではない。だから、いきなり白星をもぎ取った大洗女子の活躍ぶりを紙上にあるだけ並べる記者の気持ちも分からんでもないし、それにしたって生後数時間後の雑種犬レベルの大洗戦車チームが強豪聖グロを破ってしまったのはすごいことなんだろうとは思う。
その話題で履修女子ではなく下っ端の俺を突っついてきたのは級友谷口である。授業の合間、遠いところへ行っちまった友人に語り掛ける口振りだ。
「キョンよぉ。お前もとうとう涼宮と愉快な仲間たちの一員になっちまったんだな」
「なっていない。俺はチビッ子トップの動機不詳の命令で自動車部の部員として戦車チームに働きかけているだけで、涼宮もチームの中にいるだけだろ」
「それにしたって今や注目の的だぜ。お前ら」
注目の的になっているのは戦車女子であって、縁の下の力持ちはそこからあぶれているのが相場のはずだが。
国木田も寄ってくる。
「ほんとに昨日はびっくりしたよ。テレビつけたら中継で、チームのみんなであんこう踊りしてるんだから。あれ、三年の朝比奈さんと鶴屋さんもいたよね」
あの踊りを上級生がしちゃいけないのか否かは知らんが、少なくともあれに俺の感性の理解力が遠く及ばなかったのは確かだ。
後で知ったことだが、俺やあんこうチームに顔見せしてきた似非西洋人トリオは、聖グロチームの隊長とそのチームメイトだったらしい。俺たち弱小チームに負けたにしては優美な姿勢を崩さなかったあの連中だが、もしハルヒと顔を合わせていたらどうなっていただろう、と少しだけ俺の好奇心を燻ぶったのは余談だ。
ここから回想するのは結果としてハルヒの足が間一髪間に合わず、ニアミスだったのを悔しがり試合の健闘も一通り自画自賛、チーム名SOSの由来も発表した後のことになる。
「お腹が空いたわ! 本日はこれにて解散!」
ハルヒはすぐ隣の隊長も周囲の隊員も置き去りで、言いたいだけ言ってその場を勝手に締め括ろうとしたのだが、そんな俺たちに更なる刺客がやってきたのである。
「――といきたいところだけど、ちょっと待ってくんないかな?」
みほはカメさん、とか言ったっけな。Ⅳ号の盾となって脱落した38t操る生徒会チーム、そのボスたる会長の笑みは、勝てると信じていたのか予想外の勝利で愉快になっちまったのか出所の曖昧なものを象っている。
その顔は突然伏せられパンと手を合掌された。
「ごめん! やっぱりやってほしいんだ。あんこう踊り」
「えっ?」
「ちょっとちょっと、それは負けたらの話でしょうが! 約束はちゃんと守りなさい!」
背後からナイフで襲われたような声でどんぐり眼を作るみほ。
水を差されたハルヒの憤慨も分かるが、俺が何ら異論の意を抱かないハルヒの発言とは異質で、俺は地球の地軸がひっくり返ったのを疑った。
会長はそれに対し素直な苦笑いへ変えつつも、
「そう言われるとキツイけどねえ……。正直言うともう、町に試合後の演目の説明と舞台の用意もお願いしちゃっててね? ドタキャンしちゃうとここの人たちにも悪いしさ。お詫びにあたしたちも参加するから、お願い!」
「え!?」
「私たちもなんですか!?」
発言を会長に丸投げして傍観に決め込んでいた取り巻き二人もこれには反応せざるを得なかったらしい。この様子を見る限り罰ゲームは正真正銘このチビッ子の思い付きだったとしか思えないが、取り巻きにまで黙るほどひどいのかそれ。
ちょっと気になってきたぞ。
「ハルヒもやりたくないのか、あんこう踊り」
「それが不思議を呼び寄せるんだったら喜んでやるけど、時間の無駄でしかないのよ! それよりもあたしはこれで終わったと思ってこの後のこと考えてたのに!」
そんなに腹が減ってたのかこいつ。戦車は燃料不足という空腹にはなっても、乗ってる人間はそこまででもなさそうなものだが。
「って会長どういうことそれ! 私たちが聖グロになんか絶対勝てないと思ってたってことだよねぇ!」
武部が悲痛な叫びで訴えだした。俺は外野だからそれが耳に入るまで思い至らなかったが確かに、さっきの会長の発言はこいつらからしてみれば聞き捨てならない。負けたら罰ゲーム、言外に負けるなと取れる表明をしているから死に物狂いで勝ち取ったのに、結局罰ゲームとはあんまりだろう。
「ウチらって初心者じゃん? でこれ練習だから勝ち負けよりも効率よくお勉強しようと思ったら、やっぱべらぼうに強いとこと練習したほうが色々学べると思ってさ。それで聖グロを選んだわけで、うん、ぶっちゃけ、勝てると思ってなかった」
会長はさも説明らしさを出しているつもりのようで全然出せていない言い訳を垂れ流し、最後に自分の額を小さな拳で小突いた。
早い話がそれは詰め込み教育というやつである。筆記試験の点さえろくに取れない俺が言える立場じゃないが、学んだあとの定着するかどうかを考えてんのかこいつは。
「や、ほんとすごいよみんな。あたしの想定外。このままいけば日本一取れちゃうんじゃない? 武部ちゃんも全国の男という男から声かけられちゃうかもね」
「そ、そう? にへへ~……、古泉君はどう思う?」
「誠に良いことかと」
おざなりが過ぎる古泉の返事で、武部のプッシュも実りがないのを確実視。そんなに乗せられやすいと、マジで悪い秘密結社に引っ掛かっちまうぞ。
「あ。ほらあれ、見えるでしょ、移動舞台用のトラック。交通規制も引き続き敷いてもらってるし、もうあとはウチらが出るだけなんだよ~。報酬の干し芋も一ヶ月分に増やしたっていいから、みんなお願い!」
一光年分だろうといらん。
学園外野の人間を引き合いに出されては、あれだけ嫌がっていた女全員も渋々承諾し、会長に連行されるしかなかったようである。
各自専用の衣装まで用意がとのことで、連中はどこかで着替えを挟み、貨物室を撤去しただけのようなトラックの荷台に登壇してそれは幕を開けたのだが……。
『アアアンアンアンアンアン、……』
爆音で流れ出した曲は一瞬、正義のヒーローに目覚めた菓子パンアニメのオープニングかとも思うが違った。歌詞の内容はともかく笛や太鼓とかの音がかろうじて盆踊りの雰囲気を演出していなくもない。
「大洗は町おこしで必死のようですね」
「南無三……」
意味不明な解釈をする古泉と手を合わせるナカジマさん。
衣装というか身体のラインを裸同然に主張するほどぴっちりしたスーツで全身を覆う大洗戦車女子が、かなりのテンポでぴょこぴょこ舞う。どうにも形容しがたい俺はというと、もう俺の感性では果たして芸術性があるのか計れず、理解できたのはあの女連中が嫌がっていた理由だけ。
なぜって、なにがとは言わんがその、とにかく揺れる。
「もうお嫁にいけないぃいい!」
女子の過半数の心境は多分、この武部の泣き言に代弁されているだろう。生徒会とハルヒ、長門はその顔色を見る限り少数派だ。
「キョン君見ちゃだめえぇえぇぇぇ!!」
半べそで舞踊を続ける我が妹の絶叫へ、俺、合掌を贈呈。あの踊りの芸術的価値を汲み取るには俺では役不足で、低速で目の前を横切っていくトラックを見送るしかなかった。
「さて……ナカジマさん。我々も解散ということでよろしいのですか?」
「うん。こっちも学園に戦車を輸送しないといけないから」
「あ、そうでしたね。なら僕たちは――」
「あぁいいよいいよ。荷台しか乗せてあげるスペースないからさ。道路も混んでるだろうし、学園に付くまでずっと荷台に乗れなんてひどいことは言わないよ」
「ありがとうございます」
とまあこういうわけで、俺と古泉は演目の途中だが抜け出すことになった。女子連中は例外となってしまったが、本来は試合が終われば学園艦が夕方に港を出るまでは自由時間というスケジュールだ。
俺は件のショッピングモールの中の喫茶店へ移動し、古泉の奢りでコーヒーを頼んだ。今日の俺たちの観戦もナカジマさん発案の『戦車がどのように使われてどのような壊れ方をするのか学習するため』という趣旨で、俺たちが何の変哲もない普通の部員だったならそのことで議論を交わすべきなのかもしれないが、この男と二人になったときに出る話題と言ったら一つしかない。
「古泉。一応聞くがお前の『機関』とかいう組織、どういう技術力を持ってやがる?」
「疑いすぎです。我々は彼女の生み出す異空間でのみ力を発揮できる人間の集まりなだけですよ。……まあ、お気持ちはお察しできますが」
ハルヒがあんな跳弾現象を何百何千の人間の目に晒しちまってるのに、ここはなんの異常もない空間だと?
「涼宮さんがほんの少しのバグを混ぜてしまっただけで、ここは紛れもない現実世界です。あなたの考えている通り、あの場面は鋭い入射角でもないはずだったのに跳弾などあり得ないことです」
あと突然路地が戦車を通せるくらいに広がったこともな。
「……ああ、そういえばそんなこともありましたね」
なんだその反応は、こいつちゃんと試合見てたのか? ドンパチだからって戦車と弾ばかりに目が行ってたのかもしれんが、もっと視野を広げたらどうなんだ。
とりあえずお前らは、なにも関わっていないってことでいいんだな。
「はい。前にもお話した通り、あれこそが涼宮さんの全知全能の力です。最後に建物まで破壊してしまったのが、減衰も皆無な動かぬ証拠ですね。そういった定数法則、この世のルールの何もかもを無視して願望を実現させてしまえるのは、彼女のほかにいません。実はあれも、久しぶりのことだったんですよ」
なにがだ。閉鎖空間を生み出したことか、それとも超常現象をお披露目しちまったことか。
「後者です。閉鎖空間の方はごく最近まで小規模ながら定期的に発生していたのですが」
どういうことだ? あいつは出てきて欲しいものがあったら出して、気に食わないことがあればさっきみたいに打ち消しちまえる願望実現機なんだろ。あいつがそもそも願望しなくなったっていうのか?
「あなたは涼宮さんを過小評価しているのではないですか? 涼宮さんは言動こそ確かにエキセントリックな方です。ですがその内側は至極真っ当、常識的な思考を秘めています」
常識的な奴はクラスの自己紹介で超人的存在の求人を声高らかに告知したりしない。
「それはごもっともです。ところであなたもお分かりだと思いますが、涼宮さんはあれだけの力を持ってしかも目の前に生み出していながら、自分がそうさせたのだと自覚する気配は全くありませんね。なぜだと思いますか?」
自分にそんな神様じみた力があるとは毛ほども思ってないからだろ。
「大正解です。そういう風に涼宮さんはこれまで、心で想う願望と脳で考える理性のせめぎ合いが続いていました。……ただ、ここからは我々なりの仮説ですが、今彼女は内外共に常識的な人間へ向かいつつあるのです」
「はっ?」
俺は古泉の言葉で、目の前にコーヒーが置いてあるのも忘れて身を乗り出してしまう。運よくカップは俺の腕が少し小突いただけに留まり転倒の危機を回避したが……。
ハルヒが言動ですら常識的になりつつある?
「……そんなに驚くことですか? 確かにあなたにも喜ばしいことなのかもしれませんが」
「……ハルヒに、なにがあったんだ?」
「いえ。彼女の身の周りは特になにも起きていませんが、……むしろ、なにも起こらなかったし彼女もなんら気付く素振りがなかったから、と言えましょうか」
古泉は説明が回りくど過ぎたのを自覚するように一旦コーヒーを口にした。
「彼女は時間と共に徐々に、能力の行使も鳴りを潜めてきています。閉鎖空間も発生こそ続いていますが、規模は確実に小さくなってきているのですよ。でありながら、彼女の情緒の上下も以前ほど鏡に写すほど連動したものではなくなってきている、これはつまり、涼宮さんの能力が収束へ向かっている……とね。観察を続けて久しい我々は、そう唱えました」
古泉、お前はいったいなにをカミングアウトしてるんだ? 誰がそんなことを言ったんだ。
どうにかなりそうだった。古泉がコーヒーに口を付けたということは俺のも同じくらい熱が引いてるだろうが、俺は血の気が引いていてそれどころじゃなかった。
「あいつの力、消えるのか……?」
「最近になって、そう主張する者も無視できない程度に増えてきているということです」
「さっきお前が言ったのだって、決定的な裏付けはないじゃねえか」
「言ったでしょう? これはあくまで仮説であり、結論ではありません」
「あいつだってなにもかもが常識的になってるようには見えん」
「あなたが顔を出した作戦会議も、隊長を志願した彼女を抑え込むことに成功したのでしょう? さっき言ったチーム名の意味も、感服するほど真っ直ぐで常識的じゃないですか」
「でもハルヒは試合でインチキ技を使っただろうが」
俺の突っ込みがよほど鋭利だったのか、古泉はそれまで口元に湛えていた笑みを減らした。
「……そういう意味で、今日の彼女の能力行使は久しぶりのことでした。実はあの決着が付いた少しあと、仲間から閉鎖空間が消滅した知らせも届いたのです。彼女の負けず嫌いな一面が今日の試合の雲行きで機嫌を損ね、土壇場で彼女自身がそれをひっくり返してしまった。と言えるでしょうね」
なにが言いたいんだよお前は。
自分たちの推察は穴だらけでした、ってか。言え。正直に。
「それでも、あの力は以前と比較して勢いがありません。彼女が戦況の悪化を察知してから力を行使するまでかなりのタイムラグがありましたし、こう言っては何ですが彼女の力で発現する現象にしては派手さに欠けます。いずれにせよ、我々は観察を続けるのみです」
ああそうかよ。お前らがハルヒの作る閉鎖空間にうんざりしちまってるのは分かった。
「幸いあなたは涼宮さんへの理解と寛容があるようですし、僕からのささやかなお願いです。これからも彼女のことを、気に掛けてもらえませんか」
言われなくともそうするさ。なにしろそうしなきゃいけない理由を、こいつには死んでも言えないくらいの重大な理由を俺は抱えているんだからな。
衝撃的なニュースをこう長話の最中で聞いちまうとこれだから嫌だ。冷めきったコーヒーは酸味が強すぎて味覚に堪える。
しばらくしてから俺たち二人も解散となって、解放された俺は口直しってわけでもないが長門を、あんこう踊りが終わったら同じ場所に来るようメールを送った。
一旦出たのにまた店に舞い戻ってきて店員に変な顔をされたのは言うまでもない。場所を変えるのが面倒臭かったし、古泉の話でうんざりやら懐疑心やら失望やらでごちゃまぜになってた俺の気に留めることじゃない。
いやすまん、明らかに口直しだなこれは。
古泉と違い長門は無難にオレンジジュースを頼み、触発された俺も二杯目のコーヒーをアイスで頼んで、俺は今しがた古泉の言ったことを脚色なく長門に伝えたのだが。
「そう」
長門の第一声はこの二文字だけだった。
同じ戦車に乗ってたんだろ? なにか気付いたことはあったか?
「涼宮ハルヒは試合中盤から心象を悪化させ、戦局の回復を望んだ。終盤に至るまで彼女はⅣ号と別行動を貫き、常に独自の戦法で戦果を挙げることを軸に指示を続けていた」
そう、か。
俺が聞きたかったのはそういうことじゃなかったのだが、ああしろこうしろと言われて無垢なりに答える長門の目を前に、俺もそれ以上追究できることはなかった。獅子奮迅の活躍をした長門は操縦で忙しかっただろうし、車長席だって操縦席の背後にあるもんな。
はは、どうすっかなぁ。これから。
「私という個体も今後の彼女の動向を憂慮している。情報統合思念体が存在しない今、彼女の情報変化に対抗できる手段がない。今後も同様の事態が発生する可能性に注意しなければならない」
戦車に乗ってるときのあいつに対して俺は何のカードも切れないってのもな。未来人になるのはさすがに御免被りたいが、この俺が実は予知能力くらい持っててほしいなどとあいつに願わせるようなことを吹き込むべきか?
一度こいつが処分されかかったとき、俺は宇宙勢力のない世界をハルヒに作らせてやるぞと脅迫の念を親玉に伝えるよう言ったが、なにもこんな緊急事態に蒸発しなくたっていいだろうに。
「彼女が無意識に彼女自身とその周囲の人間を転移することを願った結果、人間の範疇である朝比奈みくると古泉一樹はそのまま転移され、有機生命体ではない情報生命体はそこから漏れたと考えられる」
そういうことだったのか。普段理解に苦労するこいつの話も理解できれば古泉の勿体ぶった長話なんかよりずっと腹に落ち着く。あいつが長門自身は粉飾もせず普通の人間だと認識してくれていることだけは幸いだ。
「ところで、カーブで聖グロのケツに突っ込んで炎上させたよな。ハルヒの指示か?」
「彼女は体当たりも駆使してダメージを蓄積させることを思案した。爆発は彼女の想定外」
戦果だけを見れば想定以上の結果になったのかもしれないがな。
「そんな愚直にハルヒの命令を守ろうとすんなよ? 今のお前はただの人間でしかないんだから、マジで無茶はするな」
特殊カーボンとやらの中にいようとも所詮は人間だし、シートベルトみたいなもんもなかったんだから過信はできねえ。俺はSOS団全員無事な状態で元の世界に帰ることを目指して動いてるんだからな? てか、自分で言った手前、今の俺が果たして動いていると言っていいのか微妙に違和感を覚えたぞ。
長門は二ミリほど顎を引いたのを見て、俺も背もたれに身を預け溜息を吐いた。
そうだ、一応これも聞いておこう。
「長門。お前は、元の世界が恋しいか?」
「……あなたの選択に委ねる」
アメジストは確かに、はっきりと俺を見つめていた。