いつまでもそこでうんうん唸っていても何も進まないと考えた俺たちは解散した。長門も家無しということはなく、俺の、というか西住のとはまた別の寮に住んでいるらしい。元の世界と同じく一人暮らしだって? てっきりこの世界の学生寮は男女二人で住む取り決めでもあるのかと思ったぜ。
「あ、キョン君。買い物終わったんだ」
西住を連れて入った途中のコンビニで買い物を済ませる間、西住はカゴも持たず弁当コーナーを物色していた。俺は袋から今買ったミルクティーのボトルを差し出した。
「? なにそれ」
「買い物ついでに俺の奢りだ。面倒な事に巻き込んじまったからな」
「ええ? いいよ!? 私なんてそんな、全然そういうつもりで言ったんじゃないし」
「西住が協力しようがしまいが奢るのは確定してるんだよ、しばらく世話にもなるだろうしな。俺の自己満足だから貰ってくれ」
「あ、……うん、そうだね。ありがとう、キョン君。行こ?」
物色していた割に買う物は何もないらしい。朝は考え事ばかりで道順を覚える余裕もなかったから、西住無しでは俺は路頭に迷っちまう。優しい奴で助かった。俺は建前で買い物ついでと言ったが、俺の持つ袋の残りの中身は別に食べなくてもいいスナック一つだけだ。ハルヒが生み出したのか元から存在していたのか知らないが、部外者を巻き込んだだけでなく、事実上俺の居候の家主でもある人間相手に何もしないほど無礼じゃないんだ。
というか、西住も俺をその名で呼ぶのか……。
「はい。でも、私にお兄ちゃんがいた記憶はないし……」
生徒手帳も見たというから俺はあだ名じゃなくて本名の苗字で呼ばれるのを想定したんだが、そっちか。確かに俺も朝お前のねーちゃんと電話する時に名前を使うのは違和感が半端なかったが。
「キョン君が私と同い年だからっていうのもあるけど、っふふ、お姉ちゃんがキョン君って言ってたから。面白いあだ名だよね?」
断じて面白くはない。まあただ、呼び方に注文を付ける立場にはいないさ。気に入ったんならそう呼んでくれていい。
「うん。キョン君も私のこと、名前で呼んでくれてもいいよ?」
少し融解しすぎじゃないか? こいつの警戒心。俺たちは顔を合わせて一日も経ってないんだぞ。今は姉(仮)との電話の時みたいに必要じゃなかったら苗字呼びにしようと定着しかけているところだ。
「お姉ちゃんがキョン君って言ってるのを聞いて、この人は大丈夫なんだろうな、って思ったの。キョン君は知らないと思うけど、お姉ちゃんが人をあだ名で呼ぶところなんて聞いたことないんだよ?」
お前のいないところで呼んでるかもしれないじゃねえか。兄妹姉妹だろうと、四六時中一緒にいるわけじゃないだろ? 俺はそうだった。
「ううん。私、転校するまではお姉ちゃんの学校にいたから、ほとんど一緒だった」
周りにあだ名持ちの奴がいなかっただけかもしれないだろ。
「それは合ってるけど、普通は弟をあだ名で呼ばないよ? あと、状況で使い分けるよりは統一したほうが簡単でしょ?」
一度鏡を見せるべきか? 惜しくも俺は持ち歩いてないな。だが後半は同感だ。お前がいいなら名前で呼ぶよ。
「うん。呼んでみて?」
「みほ」
「うん。キョン君、キョン君……。ふふふふふ」
そんなに面白いか。天に召されたお父様、お母様。妹の兄呼びも数時間でお陀仏になりました。南無。ハルヒの奴、こんなところまで改変プロセスに含んでねえよな?
そういや、黒……なんとかからこの大洗へ転校したとか言ってたよな。寮で暮らしてるなら親の転勤とかでもなさそうだし、みほはなんで西日本縦断してまでここに来たんだ?
するとみほは、俺のあだ名なんかで一人揺らしていた肩を落とした。
「う、ん……。ちょっと、ね? 色々、あって」
「……そうか」
元々歯切れが良いとは思っていなかったが今は、確実に悪い。あれだ、ここで詮索すんのはアホの谷口か酔っ払いのオヤジでもない限りない。俺が兄であろうとな。
「話すのが面倒だったらいい。なら、学園艦ってのはなんなんだ?」
「あぁ、船のことだよ。船の上に町を作って、人が住むの。ここがその中」
What? 見回しても海なんか見えない。というか川とか山とかはどうしたんだ、まさか陸から持ってきたとは言わないよな。日本の造船技術がそんなもんを乗っけられる域にまで達したなんてのは初耳だが、なんでそんなことを?
「ええっと? 確か、国際社会の進出も視野に入れて、高度な教育のために学生は海へ出るべき、って昔の人が言ったのが始まり――じゃなかったっけ?」
「はい?」
聞いているこっちに同意を求められても困るんだけどな。例えば長門の説明は難しい単語を多用するせいで理解しづらいが、今のは単に飛躍していて分からん。高度な教育がどう海に繋がるんだよ。
「そこを掘り下げられると困っちゃうんだけど……。学生はみんな中学から学園艦で生活するのが当たり前だったから」
どういう世界だここは。俺の知識が確かなら町を置けるような船の造れる国なんかないし、学生だろうと大人だろうと住むのは古今東西陸の上だ。この世界の日本領土は俺の知ってるのと同じ版図か? 沈んでなくなってたりしてねえよな?
寄港。来週。そういうことか。科学技術がどう跳躍してるのか知らんが、そんなぶっ飛んだもんを作れるなら多分補給もしなくて済んでるんだろう。ちっとも理解できないが、そう思っておこう。
「男女二人で生活するのも、か?」
「そっそれは! 普通じゃない、と思う……」
「ねーちゃんは一緒に住む理由とか言ってたか? 朝はうっかり聞き忘れたんだが」
「あ、それ私も聞いてない」
さすがにそこはぶっ飛んじゃいなかったか。そういやさっき長門は、改竄コードにみほを弄る部分はなかった、みたいなことを言ってた気がするぞ。俺を肉親と切り離して、記憶を保っているコイツとわざわざ一緒に住まわせる。アイツが何をしたいのかさっぱりだが、何か意味があるはずだ。
「生活費はどこから来てるんだ。バイトでもしてんのか」
「私はバイトしてないよ、親からの仕送り。……あ、でも、これからどうなるんだろ……」
なんだって? 仕送りの後、何か言ったか?
「うっううん! なんでもない。仕送りも少しずつ貯金してるから、しばらくは困らないはず」
「悪いな。本当に」
とはいえ長引かせるわけにはいかないな。少しでも早く帰れるように動かないと。
「あ、飯、どうすっかな。俺料理できないぞ……」
「私も、得意じゃない」
「……どこか、寄ってくか?」
「うん」
翌日から、通常授業は始まった。
昨日のみほとの話で予想はしていたが、理数系の授業で舟を漕ぐことの多かった俺でも、内容が違っていた。レベルも、北高よりは上がっているんじゃねえか? と思う。多分。この世界脱出の手がかりがもう少し富んでいたら俺は、ちょっとしたらどうせいなくなるんだから別に赤点取ってもいいだろと考えただろう。
「キョン。お前、なんか変な物でも食ったか?」
「え? 何かあったの?」
昼休み。北高では弁当持参だったが、ここは学食があった。弁当を作ってくれる親がいないからこれは助かったが、谷口と国木田でテーブルを囲って適当に飯を突き始めた途端、アホがアホなことを聞いてきた。どういう意味だよそりゃあ。
「お前、授業ずっと起きてたじゃねえか。昨日どんだけ寝たんだよ?」
「そういうお前こそ、ずっと起きてたみたいに言うじゃねえか」
「それはうんとは言わねえけどさ、俺が起きてた時でお前が寝てるところ見たことねえぞ」
「そうなの? キョンにしては珍しいね」
国木田も国木田で童顔の割に容赦ないな。いや事実だし、中学以来の友人に遠慮されても困るから構わないんだが。進級してみたら思いのほか授業のレベルが上がったように見えたから、補習は受けるまいと必死になっちまったんだよ。
「ふーん。いい傾向じゃない? キョンは去年も危なかったしさ」
「それだけじゃねえ。昨日はお前妹連れてあの長門有希の後付けてただろ。こっちはゲーセンにでも誘うつもりだったのに、お前ときたら新学期初日からAマイナーとAランク+で両手に花ときた」
くそ、見られてたらしいな。つーか人聞きの悪い言い方をやめろ。妹と一緒に帰ったのは否定しないが、長門は単に方向が一緒だっただけだ。あとお前はもし妹がいたら付き合ってるのかもしれないがな、俺にそんなアブノーマル嗜好はないんだ。
「ばーか。俺もねえっての」
「そうだよ谷口。キョンが好きなのは変な女なんだから」
国木田も否定に加担してくれるのはいいが、方向が違うぞこら。
「まっそーだよな。誰とも接点を持ちたがらないあの長門有希が、お前と一緒に帰りたがるわけもねえ」
長門が俺と帰りたがっていた事実が間違いでも、長門は少しずつ変わってきているんだがな。コイツには知る由もないか。
「そういや、谷口は東中出身だったよな。涼宮のあの自己紹介はなんなんだ」
「あーあれか。あいつは稀代の変人だ。俺は中学の時ずっと同じクラスだったんだが――」
今まだ中身の分からないハルヒと軽々しく接触して警戒されても面倒なので、ここは情報収集だ。他愛もない雑談を食いながら話半分で聞くように見せて、谷口の一字一句を俺の記憶と照らし合わせていく。
ところが――、
「――だから、お前が変な気を起こす前に言っといてやる。やめとけ」
「……それで終わりか?」
「はあ? これ以上何があんだよ」
おかしい! あの話が出てないぞ!? 俺は身を乗り出し、対面する谷口に詰め寄った。
「七夕のとき、校庭にナスカの地上絵の出来損ないを描いたことはないのか!?」
「何言ってんだお前? もしかして、キョンもそっち側だったのか……?」
「七夕のときそいつは何もしてなかったのか!?」
「キョン、落ち着きなよ……!?」
「知らねえって! あいつのことだからどうせ月の兎と一緒に餅つきしたいとか短冊に書いたんだろ!」
なんてこった。アイツが校庭に何もしなかったということは、学校に侵入しなかったということで、それすなわち……。
頭の中が真っ白になっていくのを感じる。足の力が抜け、どさりと乱暴に座り込んだ。
「……キョン、ホントに大丈夫?」
「そ、そうだよ。やっぱり何か変だぞ、お前」
「……いや……、悪い、忘れてくれ……」