自動車は分類を上へ遡れば車だろう。で、車から掘り下げた分類の中には戦車も入っているだろう。だから会長やナカジマさんの言葉に間違いはないんだろうがそれでも、俺が何故戦車の勉強に付き合わされているのかは終ぞ理解できないでいた。昨日はエンジンや原動機とかの普遍的な乗用車にも入ってるパーツの講義から始まり、履帯、砲塔と言った戦車ならではの機構にまで及んだが、俺が明るくないのは自動車だけでなく戦車も無論で、設計図を見せられようが根本の原理や構造の資料論文やらを読まされようがピンとこなかった。ま、会長も部長氏もああ言ったんだから、こっちは言った通り放課後の暇潰し程度にしてやるだけだ。時間を無駄にしてる感じは気に食わないが。
そんなこんなで、午後のチャイムが鳴った。今日の授業もHRも終わりだ。
と、元帰宅部仲間の国木田と谷口が寄ってくる。
「キョン、一緒に帰る?」
あー、すまん。部活があるんだ。
「あ? キョンがか? 何部だよ」
自動車部。
「へぇ~? キョン、自動車に興味とかあったっけ?」
知らん。生徒会に聞いてくれ。昨日の呼び出しで強制されただけで、俺が自動車部で何をやっているのか、この俺自身が一番知りたい。
「はあ~。お前ホントに何やったんだよ? ま、あの生徒会が言うんじゃしょうがねーな。じゃ俺たちだけで帰ろうぜ」
おい谷口、俺が何かの罰則で自動車部に入れられてるとか考えてないか? 何度も言うが俺は無実だ。そのとき天井スピーカーが、俺を呼び出したのとは違うサイレン音をがなり立てた。一瞬悪寒を覚える。
『全校、女子生徒に告ぐ。体育館へ集合せよ。体育館へ集合せよ』
良かった。俺に関係のない呼び出しだ。連日呼び出されていたら俺はきっと周囲から奇異の目で見られただろう。鞄片手に帰ろうとしていたクラス中の女子はこれを受けて、鞄を置いて行って心当たりないような文句を言いながら教室を出ていく。
「……なんだ? 授業終わったのに、保健の授業か?」
「谷口、そういうこと言わない。じゃ、またねキョン」
おう。やれやれ、行くか。
……待て。自動車部、俺以外女子だぞ。今日活動あるのか?
さて、自動車部はコンビニエンスストアのように二十四時間三百六十五日とは行かなくても、平日は毎日活動しているときた。というかSOS団と同じだ。そんなわけで、入部二日目。
一応倉庫へ行ってみると、部員は勢揃いしていた。
「さっき女子は呼び出しがありましたけど行かなくていいんですか?」
「あぁ、大丈夫。会長が、自動車部は来なくていいって言ってたから」
なんだそりゃ。自動車部にいる女子は女子じゃないってか? まあ男のイメージではあるがともかく、部長のナカジマさんがそう言うなら、今日も活動するってこった。
で初っ端からこの人たちは、戦車のことで明らかに昨日より掘り下げた議論を交わしていた。俺がよく分からない顔をしていると、すかさず部員の誰かが復習がてら補足説明を入れてくれたりする。この部活はミリタリー研究も兼ねてんのか?
それでも俺が昨日も今日も、日暮れ間際にナカジマさんの口から本日の活動終了宣言が出る最後まで水を差すことができないでいたのは、あれだ、部員は上級生ばっかりだし全員マシンガントークを繰り広げる顔が実に楽しそうだからだ。SOS団で俺がハルヒに横槍を入れ続けられたのはアイツが常識に囚われないで一人で好き勝手に旋風を巻き起こしていたからであって、この人たちはあくまでも常識的に楽しんでいるだけだ。しかもそれが俺以外全員なんだから、ええと、ザ・イエスマン・古泉みたいにならざるを得ないのも無理ないってもんだろ? つか誰に言い訳してんだ俺は。
二日目も登場した俺は自動車部に認められちまったのか何なのか、部員たちの「自動車部では作業服が制服」という理論の下、俺の体の採寸をされることと相成った。
「肩幅……四十五」
「肩幅四十五、と」
メジャーをあてがうのがホシノさんで、メモを取るのはツチヤだ。メモ係は別にいいんだが、採寸がよりにもよって何故この人なんだ。上がタンクトップ一枚のこの人が。
「やっぱ男だなー、あんたが女だったら予備の作業服をやれたんだが。次ウエストな」
ホシノさんは特に何も考えてないんだろうが、そうやって俺の正面から測ることはないだろう。あ、この人の肌色、遺伝とかサウナとかじゃなくて、ただの日焼けなんだな。タンクトップに覆われた肩紐の下がよくある肌色をしてる。それよか薄着越しに主張する男子の夢の閉鎖空間が見え、見えっ……。
「七十一」
「はいウエスト七十一」
いかんいかん。この人が無防備でもツチヤの目もあるんだ。何より自動車部から逃れられない俺が今後卒業まで軽蔑の眼差しを受け続ける地獄に身を投じたくはない。
「意外ですね。今まで男子部員がいたことはなかったんですか?」
「そうだなー。私たちが入学する前にいた形跡はなくもなかったが、それからはなかったぞ――あれツチヤ。腕長さ計るんだっけ?」
「一応ね。――パーツ運んだりとか力仕事も多いから、男子が来てくれたのは助かるね~」
やはり、予想してはいたが今後俺はそういう役目を担う羽目になりそうだ。ナカジマさんなんてあんな体格だし、あれで車弄ったりできるのか? 力仕事云々抜きにしたって、メカに夢中になるのは巨漢とまでは言わなくとも男のイメージだし、ましてや戦車なんてな。
「そういや、あんなもんの設計図なんてよく手に入れられましたね。軍事機密なんじゃないんですか?」
「あれ、言ってなかったっけか? あれは第二次大戦の戦車だからさ。腕、七十三」
「腕七十三、と」
言ったか言ってないかも覚えてない。消防車の放水みたいに講義されて、色々なもんが右から左に通過していったからな。
「皆、戦車が好きなんですね」
「あーどうかな。嫌いではないけど、生徒会が頼んできたからな。車つながりで」
趣味かと思ったら、またあの人たちか。それより頼んできたって? なんでまた。
「よく分からんけど、近々戦車を弄ってもらうかもしんないから予習しとけ、って頼まれたんだよ」
どういうことだか全然分からん。原寸大のプラモの話か? 実はあのチビッ子はそういう趣味があって、この人たちに作らせようって魂胆か?
「なんで、自動車部は生徒会の言いなりになんかなるんです?」
「言いなりじゃないぞ? 近いうちから放課後だけじゃなくて、生徒会の指定する時間も活動してもらう代わり授業は免除する、って言われて、それで了承したんだ。この部はみんな、自動車じゃなくて戦車だったとしても、普通の授業よりこういう時間の方が好きだからな」
「……マジでですか?」
「マジマジ」
重大なことをさらりと明かされた。マジでヤバいんじゃないかあの生徒会。私利私欲のために権力を使って周りを巻き込む辺り、ハルヒより質が悪いだろ。ただまあ自動車部がそれでいいなら、こっちから突っ込むことは何もない。
「そういうのもしてるとか宣伝すれば、男子も集まりそうなもんですが」
「なんでだ? 自動車はよくても、そんなこと広めちゃったら絶対来ないだろ」
「え?」
「ん?」
ホシノさんの言ってることが分からず、屈んで俺の股下を測っている彼女と目が合う。メモを取るツチヤへ向けてみるが、そっちも小首を傾げただけだ。なんだ、俺がおかしいのか。
「……あんた、変わってるな? 戦車に興味がないこと自体はそこら歩いてる男と一緒だが。あ、股下七十八な」
「股下七十八ね。オッケィ終わりっ」
いい加減これからは、俺の常識は何のアテにもならないと念頭に置いて行動した方が無難らしい。俺はせめてガワだけでも一般人でありたいのだ。
さて、なんとか今日は真っ直ぐ帰ってこれたな。昨日はなかなか寮に辿り着けなくて少し迷いもしたが、もう明日からは大丈夫だろう。なんせ、道の途中にあったコンビニで地図を買っておいたからな。それを見る限りここ学園艦とやらは名前の割には思った以上に町やってる船で、教育のためにここまでやるかという印象だ。
ついでに、今晩の二人分の弁当と朝用に食パンも買ってある。今ほど料理の経験がないのを悔やんだことはない。俺よりできるといえ得意じゃないと申告してくれたみほに毎日台所に立ってもらうのは俺自身心臓を取り出して五寸釘を打ち付けたい気分だし、かと言って女子に毎日コンビニ弁当を食わせるというのも中々できない。
明日は頑張って寄り道して、スーパーにでも行ってみるかね。俺が足を引っ張らずに手伝えるかはともかく……。
「ふう、ただいま帰ったぞ、っと……ん?」
昨日帰ったときは明かりの点いたリビングでみほが迎えてくれたが、今は点いてないな。まあ女子でも寄り道くらいするだろうし、とパチリと点すと、ベッドがこんもり盛り上がっていた。
「みほ? 帰ってたのか」
「……キョン、君?」
まだ十八時なのに頭も見せないですっぽり被った布団から、くぐもった声が聞こえる。
「あぁ。なんだ、体調、良くないのか?」
「う、ん……、ほんの、ちょっとだけ。心配しなくていいよ、風邪とかじゃないから……」
聞き取るのも大変なくらいの声量だ。特にガラガラしてたりはしないからそれは嘘じゃないんだろうが、布団の膨らみは寒気で小さく丸くなる元妹とそう変わらないのだから心配するなというのも無理がある。ある程度打ち解けてから一緒の登校が続く今朝までは明るかったのにどうしたもんかね。メールで連絡でもくれたらレトルト粥の一つも買ったんだが。
「コンビニで飯、買ってきたんだけど、食うか?」
「……先、食べてていいから。私のことは気にしないで」
「……そうか」
二度も釘を刺されて、このとき俺は引き下がることにしておいた。やれやれ、少し様子を見よう。鞄を床に置き、テーブルにはがさりとぶら下げてきたコンビニ袋を置く。
「ん?」
テーブルには一枚の紙があった。よくある再生紙で作った安っぽい紙で、それは必修選択科目を選んで提出する紙だ。科目とはいうが紙とペンの授業じゃなくて、茶道とか合気道とかの実習的な科目が十個くらい並んでいるやつだ。仙道とか忍道とかの意味不明な物も混ざっていたが、とりあえず俺は適当に書道に丸つけて提出しようかとか考えていたところだ。そういやこれ、なんでか今日のHRで男女別で配られたよな。理由が分かった。
「戦車道?」
その選択欄だけが、男子の提出用にも書かれてた他の科目を下に押し退けるように四倍の大きさででかでかと印字されている。しかもその下には、それを選んだら食券百枚だの、通常授業の三倍の単位だの、特典が必死なくらいにつらつらと並べられている。
なんなんだこれ? あからさま過ぎるだろ。戦車道とかいう得体のしれない科目にそしてその特典、俺が女だったら逆に何か裏があるんじゃないかと恐れて絶対に選ばなかった。
俺が普遍的な一男子生徒だったら興味を抱くくらいでそれ以上気に留めなかったのだが、俺はじっとその明朝体を凝視していた。自動車部が生徒会の我が侭によって戦車の勉強をさせられているのを俺は知っているのだ。明らかに生徒会は、何かをやろうとしている。原寸大のプラモ作り程度の話じゃなさそうだ。そんなのはいくらなんでも学校の生徒半分へ履修を呼び掛ける程のことじゃない。
ただこれの持ち主に違いないみほは今、そういう他愛もない話を触れる雰囲気じゃない。仕方なく俺はその場に置いて洗面所で着替えてから、買ってきた弁当で晩飯を済ませた。
それから何をするでもなく十九時、二十時を回った頃。もぞりと布団が動いた。
「ん、……ぁ。キョン君」
おう。って、お前まだ制服じゃねえか。着替えてなかったのか。
起き上がった妹は目を擦ったり伸びをするのでもなく、ただ暗い顔をもたげていた。
「ごめんね。心配させて」
別にいい。それより冷蔵庫に弁当しまってあるから、温めて食えよ。俺は風呂でも沸かしとくから。
「うん。ごめんね、本当に」
そう何度も謝られてはこっちも良い心地じゃないんだけどな。
俺は後ろ髪引かれる思いで浴室へ向かった。つっても蛇口捻って操作パネルをポチポチやるだけだし、みほは一人になりたいのかもしれないがこの寮はワンルームだから無理だ。
戻るとみほは制服のままテーブルで俺の買ってきた蕎麦をつるつる啜っている。俺はというと対面に座るのは互いに気まずいだろうと、少し離れた壁際に座り込んで買ってきた学園艦マップを眺める。ちらりとさっきの紙を見ると、裏返しにされていた。
「……ごちそうさまです」
「……あぁ」
最後までうまいともまずいとも、俺のセンスがないとも言わないで残った容器を捨てるとみほは、
「着替えてくるね」
と着替えをもってとぼとぼと便所へ消えていった。まだ風呂も沸いてないんだけどな。その間に紙を裏返してみるが、紙は丸どころか名前も書かれずそのまま。でまた裏へ返しておく。
パジャマに衣替えしたみほも戻ってくると俺とは全く目を合わせないで、定位置に座り込んだ。それから少し流れる沈黙で、みほが何も言いだしそうにないのを確認した俺は。
「……ふぅ。悩んでるんだろ。選択科目に」
「ふぇ……?」
やっと目を合わせてくれた妹は、お袋に無言で予防注射へ連れて行かれる元妹よりずっと深刻な顔付きをしていた。
「みほ。確かに俺たちは元々赤の他人かもしれんがな、それでも今は兄妹だ。俺はお前の兄貴やるつもりだから、何かあったんなら相談してほしいと思う。まあみほからすれば急に出てきた訳分からん男相手にこう言われても困るかもしれんが……」
「そっそんなことないよ! 会って数日しか経ってないけどキョン君のことは優しい男の子だと思ってるしっ、お姉ちゃんと電話しなくたって私は絶対そう感じたと思うし! あ、お姉ちゃんに電話しなかったら私はずっと気付かないままだったかもしれないけど……」
慌てすぎだ。そこで何の話? とか、ぽっと出のくせに兄面しないで、とか言っていれば俺も勝手な妄言だったと詫びて取り下げたんだけどな。こいつは見た目通り嘘を吐くのが得意じゃなさそうだ。
「困ってる人がいたら助けるのが当たり前、だっけか? そう言ってくれたよな。なら恩を返すのも当たり前だし、そうでなくともお前は俺の妹なんだから、悩みがあるんなら俺もそれを聞くくらいのことはしたい」
「う、うぅ……」
「あの長門って奴と一緒に話したとき聞いてたか分からんけどな、俺は元の世界でも妹がいたんだ。こういうのは慣れてる」
「……あ、あのねっ……」
重い口をついに開いたみほの話は、転校してきた経緯から始まった。
こいつの実家の西住とは、戦車道なる戦車を使った女子の競技で幅を利かせる流派の家元なのだと。前にいた黒森峰女学園は学校丸ごとその門下生で、大会で十連覇にリーチしていたと。ところが試合中川に転落したクラスメイトを助けに行った結果九連覇止まりを招いて居場所をなくし、戦車道のないこの学園に来たのだと。しかし生徒会が今期からこの学園の戦車道を復活させると言い出し、今日はみほにその履修を迫ったのだと。
「それを断ったら……どうなるんだ?」
「分かんないよ、とにかくやってねとしか言われなかったから」
「一応聞くが、みほは単位が足りてないわけじゃないよな」
「それはないよ。生徒会は単に、経験者の私にやってほしいだけだと思う」
これは絶対、何か繋がっている。みほと俺。共通のキーワードは戦車。
「で、みほは戦車道? とかいうのをやりたくないんだろ?」
「うん……」
正直、何に悩んでるのか分からない。
「今日ね、私、最初のお友達ができたの。私なんか比べ物にならないくらいの素敵な人たちで、その人たちが戦車道を選ぼうとして、私も一緒に、って言ってるの。それで……」
「……」
俺は腕を組んで頭を思わず壁に預けた。
戦車道というのがいまいちなんなのか分からん俺だが、予想以上に話が重すぎる。この世界は元の世界と比べて色々普通じゃないが、こいつの歩いてきた道はこの世界でも普通の女子高生じゃないんだろう。小学生の十五センチ定規で電波塔の高さを測れと命じられたような気分だ。
さっきはあんな大口を叩いたが、こんな世界に放り込まれちまったら普通というよりゾウリムシ程度の人生価値しかない俺は、さも普通らしいことを背伸びして言うしかできん。
「まあ、転校したてで友達を作ろうと焦るのは分からなくもないが……。そんな苦しい思いしなくたって友達は作れるんじゃねえか?」
「……」
「それに、それだけ素敵な人ってんなら、お前が何の科目を選んだってその友達は別に絶交したりもしないだろ。そんなんで絶交宣言しちまうようなら、そいつは薄情な奴だったってことさ」
「そう、なのかな……?」
「あぁ。俺だったらそんなやつは歯牙にもかけない」
こればかりは一万歩譲ろうが間違いないと言える俺の経験則だ。ここに飛ばされるまで俺はハルヒの暴虐に耐え続けるばかりでなく、何度も衝突した。アイツだって団の中で唯一正面から反発する俺の態度に何度も腸を煮えさせまくったが、それでもアイツは俺を団員その一から外すとは一度も言わなかった。アイツは唯我独尊で傍若無人かつ猪突猛進だが、そんなことがどうでもよくなるくらいに友達思いな奴だ。
それは長門がバグでおかしくしちまった世界から帰ってきて、俺が階段から落ちたことにされて数日病院で寝ていた間、寝袋を持ち込んでまでベッドの隣に張り付いていたことが証明しているし、他にも色々ある。
アイツに素敵という言葉はこれっぽっちたりとも似合わんしみほに紹介してやりたいとも思わんが、そういう奴こそみほに言わせれば素敵な人に違いないのだ。
「あとはまあ、もしかしたら生徒会が何か言ってくるかもしれんが、そのときは俺も付いて行って抗議してやるさ」
「ほ、ほんと!? じゃあ、その……、えへへ、お願いしてもいいかな?」
「うむ。お願いされよう」
「ふふ。ありがとね、キョン君」
照れ臭そうにやっと笑顔を見せたみほはテーブルにあった紙とペンを取ると、香道に丸をした。香道も何をする授業なのか知らんが、ここはどうにかなったし、俺は書道を選ぶからどうでもいいな。
変わって翌日の昼。今日は俺から国木田と谷口を誘って食堂を訪れていた。見回してみて、あるテーブルにみほが俺たちと同じように女子二人と一緒で飯を食っている。女子二人は背を向けているが、みほはこっちに向けて座っていて、ちらりと目も合った。ほんの一瞬だ。
「ここでいいか?」
「うん」
「おう」
さり気なく、互いを確認できる程度離れた空きテーブルへ誘導した。きっとみほはもう紙を提出しただろうし、生徒会は絶対何かを仕掛けてくる。
それからしばらくして、三分の二ほど食い尽くしたところで、例のサイレンが鳴る。どうでもいいが男子の呼び出しは下手なメロディで、女子の呼び出しはサイレンを使うことにでもなってんのか?
『緊急呼出・二年A組西住みほ・生徒会』
食堂に吊られてるテレビ全部にまでビカビカと出ている。スピーカーからはまたも広報の声。
「あれ、西住さんってキョンの妹さんだよね?」
「だな。お前ら、兄妹揃って生徒会に何を……、キョン?」
俺はがたりと席を立った。
お前ら。悪いが俺は席を外すから、残りのは嫌じゃなければ食っちまってくれ。残さずな。
「え? まさか、キョン? いくら妹さんが呼ばれたからって……?」
二人を無視し、俺は明らかに俯いている妹のテーブルへ向かった。
「ぁ……」
よう。また湿気た面に戻っちまったな、我が妹よ。
「……だれ?」
「あの、あなたはいったい……?」
みほのクラスメイトらしき二人もこっちを見上げる。
一人はみほと似た暖色系の髪にウェーブが掛かった女子で、もう一人は黒髪を長く垂らした古風な女子だ。って、黒髪の方はやけに食器が多いな……。
「B組の、こいつの義理の兄だ」
「え、お兄さん!?」
「まあ、みほさんの」
なるほど、少なくとも悪い印象はしない。というか戦車道を選んだらしいのがこの二人だとして、今でもこう一緒に飯を食ってるってんならやはり俺の言った通りだったってことだろうし、それなら多分今後も何度か顔は合わすんだろう。しかし自己紹介は後だ。
みほ。行くんだろ? 俺も行くぞ。
「……うん」
みほが重い腰を上げたそのとき、オレンジの髪の子は俺たちにシュバッと挙手してきた。
「あの! 私たちも一緒していいですか!?」
「これはどういうことだ?」
総勢四人で生徒会長室に訪れるなり、前置きもなしに広報が選択科目の回答用紙を突き付けてきた。俺が昨日寮で見たみほの紙そのままの物だ。
「なんで選択しないかなぁ……」
「我が校、他に戦車経験者は皆無です」
「終了です……我が校は終了です!」
会長も広報も副会長も、こっちの事情などハエ程度にも考えていないように勝手に喚いている。一生徒が戦車道を取らなかっただけで何故そこまで慌てるんだ。何かあるのか。
だがまあコイツらはコイツらで腹を割ろうとしないからな。みほの友達二人も考えていることは同じだったようで、構わず反発する。
「勝手なこと言わないでよ!」
「そうです。やりたくないと言っているのに、無理にやらせる気なのですか」
「みほは戦車やらないから!」
「西住さんのことは諦めてください」
二人ともみほを挟むように並んで、よく見ると手も握り合っている。生徒会の無理難題にじっと耐えるみほは俯いて何も言わない。
「うちらは西住ちゃんだけ呼んだのに、友達ならともかく、お兄さんまで連れてくるとはねぇ。んなこと言ってるとアンタたち、この学校にいられなくしちゃうよ?」
俺の素性も知ってるらしいな。まあ隠してるわけでもないしそれはいい。
しかし俺に使った脅迫文句をみほにも使うか。コイツらのやることはワンパターンか?
「ぇ……!?」
「脅すなんて卑怯です!」
「脅しじゃない。会長はいつだって本気だ」
「そうそう」
「今のうちに謝ったほうがいいと思うわよ? ね? ね?」
副会長までそんなことを言っている。見た目だけは常識を持っていそうな人だと思ったのだが、所詮生徒会の一員でありこのチビッ子の一つ下の椅子に座る奴、ってことか。
「ひどい!」
「横暴すぎます!」
「横暴は生徒会に与えられた特権だ。何も問題ない」
「そうそう。特権特権~」
誰が与えた特権だそれは。教育委員会かどこなのか知らんが、乗り込んで一発ぶん殴ってくるから教えやがれってんだ。それまで俺は一歩離れたところから動向を観察していたが、我慢の限界だ。
俺は三人より一歩前に出て、
「もういい」
「ん~?」
「この間からアンタらが何をしたいのかまるで分からんがどうでもいい。俺一人退学でもなんでもなってやろうじゃねえか。それでみほに戦車道とやらを強制するのをやめろ」
それまで一貫して冷たい表情を張り付けていた会長は、十人中十五人の神経を逆撫でさせるくらいニヤニヤ歪めさせていった。
「へえ~? ずいぶん入れ込むねえ? どしちゃったのさ。こないだ自動車部に入れさせるときは、退学チラつかせたらすぐ折れてくれたのに」
「え……?」
「……」
何も言わず会長を睨みつける。この野郎、今ここでそんな話を持ち出すことに何の意味があるんだ。あの話にみほは全くの無関係だから俺が話していないのは言うまでもない。コイツの魂胆は大方、人質である俺の退学の妄言に現実味を持たせてみほの意思を揺るがそうってトコだろ。
「ひょっとして西住ちゃんがアンタの寮に居候してるのも、妹ちゃんを守るためだったのかな?」
「……は?」
せっかく結んでいた俺の口が、簡単に開いちまったぞ。今、会長は何て言った?
俺の寮? みほが居候? 逆だろ?
「聞いてるよ? 空きはなかったのに、どっかの誰かさんが無理やりアンタの寮にねじ込んだ、って。普通ないよね~。一応了承したのはウチらだけどさぁ。で、もっぺん言うよ? アンタたち全員、学校にいられなくしちゃうよ?」
一世一代の俺の決断は無視かよ。
このチビがマジで実行しちまえば、俺が元の世界へ帰還できる可能性は完膚なきまでに叩きのめされるだろう。同級生でもなんでもない、どこの馬の骨か分からん俺がハルヒに、正当な理由で接触できる場面がなくなっちまう。
「みほを戦車道に引き入れたいっつーことは、アンタらはみほを必要としてるわけだ」
「ん、まあそー言えるかもね」
「一回脅し文句を見直してみろっての。みほがもし退学覚悟で拒否したらアンタらも困るんじゃねえのか」
「お兄さんさぁアタシの話ちゃんと聞いてた? あたしは西住ちゃんだけじゃなくてアンタたち全員いられなくしちゃうよって言ったの。――」
それでも今ばかりは、みほの擁護を選んだ。高校中退のニートになっちまおうが俺は、無理にでも下校中のハルヒに接触するだろう。最悪警察の世話になるリスクもあるが、そうなったときは長門を弁護人に立ててやる。俺が無害な人物であることを弁護するのに宇宙人パワーなんかいらない。
いや、すまん、柄にもなく御託なんて並べちまったな、そういうのは古泉の領分だ。別に俺の事情を全部ドブに捨てるつもりは毛頭ないがそうじゃなくて、単純に、護りたいと思っちまった。
「――つまりお兄さんも、そこのお友達二人も入ってるわけ」
「そんな脅しには屈しません!」
「みほはやりませんから!」
「……二人もこう言ってるが?」
この世界が実は全てハルヒが作った空想なのだとしても、俺は。
「あたしは西住ちゃんに聞いてるんだよ。それ以外の人の答えは――」
「――あの! 私っ!!」
突然、みほが聞いたことのない大声を上げた。
何事かと振り返ると、少し頬も色付いている。がしかしそれもすぐに引っ込め、長門と会合したあの時以上に凛とした表情を湛えた。
そんな百面相をしてまで生徒会に叩き付ける、みほの答えは。
「――戦車道、やります!」
「ええ~っ!?」
お友達二名、驚愕。
「みほ……!?」
俺、唖然。
「よかった!」
「ふ……」
後ろで生徒会が何か言っているが、俺は全く聞き取れなかった。
さて、その後の話をしよう。
みほがあの紙の丸印を訂正してから再提出した後、俺たちは解散となった。結果はともかく俺の役目は終わったので、午後の授業も経たあとは自動車部に出ようと思ったのだが、倉庫に着くより先に携帯にメールが入った。みほが言うには、例の友達二人が寄り道に誘ってくれたのだがそこに俺も呼んでほしい、とのこと。
ナカジマさんに今日の不参加を申し出ると快諾してくれたので、俺は彼女らと合流し、どこかのアイスクリーム屋で興奮を落ち着かせていた。オレンジの髪のお友達の提案らしい。ちなみに入口から中の様子を見た限り客は女子生徒ばかりで、正直俺は百八十度転回したかったがその子によってそれは頓挫し、長テーブルで彼女たちの端っこに鎮座している。
ここで出た話題は、やはり昼頃のだ。
「本当に、良かったんですの?」
「うん」
「無理することないんだからね」
「大丈夫」
そうだぞ。転校しちまうくらいやりたくなかったんだから。
しかしみほは自分のアイスを見つめて首を振り、
「ううん。私……嬉しかった。三人とも、私のために一生懸命……。えへ、私、そんなの、初めてだった」
昨日からの憑き物が取れた微笑みを浮かべる口から出たのは、初めて聞く愚痴だった。
「ずっと私の気持ちなんて、誰も考えてくれてなくて! お母さんもお姉ちゃんも、家元だから戦車やるのが当然! みたいな感じで。まああの二人は才能あるからいいけど、でも……だめな私は、いつも……」
設定上の兄でしかない俺は、転校する前のこいつのことは何も知らない。どうもこいつの友達二人も転校生ではないようで、一瞬沈黙に支配されかかった。
「――私のサツマイモアイス、チョコチップ入り~」
「私のは、ミント入りです」
唐突に友達二人はみほの口へ自分のアイスを運んでいた。みほは慌てて口を開け両方とも受け入れる。
「ふわぁ~おいしい! どっちも!」
「みほのも食べさせて~」
「あーそんなにっ、なくなっちゃう!」
こういうのは同性でないとな。男の俺がそんなきゃぴきゃぴさせて同じ真似をしたところで気味悪がられるだけだ。みほはみほで昼までの出来事が嘘だったみたいに頬っぺたを落っことしそうなくらい緩めているし、それまで観察役だった俺は笑みを漏らさずにはいられなかった。三人一斉にこっちを注視してくる。
「あれ、お兄さん?」
「なんだ、想像以上にいい友達作っちまったんじゃないか。俺のクラスメイトでもこんな奴中々いないぜ?」
我が妹はどことなく、自分に過小評価をする癖があるように感じていた。太陽みたいなハルヒとは正反対だと思っていた。
でもそれは単に、こいつが塞ぎこんでしまう状況に置かれてただけなんだ。周りの環境がどうであれみほ自身は普通の女子で、無邪気で明るい奴で、こんなにいい友達を見つけちまう奴だったんだ。
そんな奴が俺の妹だなんて、もう笑うしかないだろ?
「あんたら、もしかしてクラスはみほと同じか? もしそうだったら、たまにでも気に掛けてやってくれよ。まあ俺が言うまでもないだろうが、俺はクラスが違うからさ」
「うん!」
「もちろんです」
「あ、そうだ。私C組の武部沙織!」
「C組の五十鈴華と申します。お兄さんは?」
そういや自己紹介がまだだった。俺は、
「キョン君って言うんだよ! 面白いあだ名なの!」
だから言わせてくれって……。
「え、なにそれ? 変なの! キョン君ね? よろしくね!」
「ユニークなお名前ですね。よろしくお願いします」
また失敗したか。なんでこうなる……。
みほの戦車道履修阻止のほうも失敗しちまったが、本人がいいって言ったんならいいか。だけどこれからこいつが行く道は茨かもな。仮面兄妹だろうが戦車道が男子禁制だろうが、厄介ごとへ自分で首突っ込んじまった。もう俺は部外者とは言えなくなっちまった。面倒なことこの上ないな。
やれやれ。