武部・五十鈴と別れてからの俺たちは、帰路を外れて魚介多めの食料宝庫へ品定めに来ていた。いや、ただの買い物だけどな。無論カゴ持ちは俺で、我が妹の選別した食材を後ろで回収していくだけの簡単なお仕事である。適材適所って奴だな。力仕事どうこうの話じゃない。だって男と違って女子ってのは食材にこだわるところがあるからな、キャベツなら巻きの良し悪しとか、サバなら黄金色に輝いてるかとかだろ? 聞いたことはあるぜ。
そういう偏見を明かした俺だが意外に妹は、
「それ、女子っていうか主婦だよ」
と二割の呆れを乗せた苦笑いを返した。
聞いてみると戦車道なる競技の二大流派の一つである西住流を掲げる西住家は屋敷じみた家で、奉公人を雇い、庭には私有戦車も置いてあるらしい。お嬢様ってわけかい。全然見えねえな。お嬢様といえば朝比奈さんの級友だった鶴屋さんもそうだったよな。鶴屋邸は重要文化財に指定されていそうな築三世紀の見た目だったが、西住邸もあんな感じなんだろうか。
この学校に、鶴屋さんはいるんだろうか。ある意味謎染みた人物だし、案外ハルヒの改変を逃れてたりしてそうだ。
「どしたの? 欲しいのそれ?」
ハッと意識を眼球へ戻すと俺は死んだ魚の目をした秋刀魚と見つめていた。
「別に。今の季節が春だったはずなのを再確認していただけだ」
「あぁ。珍しいよね?」
やっぱりずっと海にいるから魚も捕ってるのか。
「どうだろ。ここのことはまだあんまり知らないから」
などと言いながらみほは適当な魚の切り身の一番手前にあるパックをカゴに入れつつ奥へ進む。奉公人か。女子といえどもそんなのが家にいたら台所に立つ機会も多くはないんだろう。
「そういえばキョン君! さっきの話、本当なの!?」
唐突だな。三歩前を歩きながら、女友達と出かけるのを聞きつけて怒り出す幼馴染みたいな顔で振り返るみほ。前見ないと危ねえぞ。
さっきの話って何のことだ? 武部や五十鈴に何を聞いたんだよ。
「そっちじゃなくて生徒会! 自動車部に入るよう脅されてたなんて聞いてないよ!? 最近帰ってくるのが遅いと思ったら」
みほの言う「さっき」の範囲はざっと四時間前まで含むらしい。
言ってなかったからな、そりゃあ。
「なんで?」
なんでと言われても、みほには爪先ほどの関係もない話だったからだ。あと脅されたその場で呑んだ、終わった話だったからってのもある。
「それ言ったら私のだってキョン君には関係ない話だったんだよ? 私にはあんなこと言っておいて自分のことは隠しちゃうなんて」
そこまで言われると俺の良心がちくちく痛む。でもしょうがなかったんだよ。一緒に暮らしてるっていうのに、一日前まで明るかった奴が急に世界に絶望したような顔になっちまったら落ち着けなくなる。
「う……。そんなにひどかったの?」
学生生活のリタイアを覚悟しちまうくらいにはな。
「むぅぅ……。私だって、キョン君の妹なのに」
悪かったな。世の兄は妹にかっこ悪いところは見せたくないもんさ。
「でも私と同い年だよぅ」
何が言いたいんだよ……? 同い年の癖に兄面するなってか?
「私はキョン君に相談したんだからっ、キョン君も何かあったら相談してよ?」
うーん、そうだな。もし元の世界に帰る術がないと悪魔の証明でもされちまったら泣きついちまうかもしれん。
「そういうのじゃなくても相談するのっ。で、自動車部は何やってるの?」
訳も分からないまま戦車の勉強に付き合わされてる。図面読んだり論文読んだり大変だ。
「……それ、関係なくないよね?」
どうだろうな? 生徒会は入れ以外何も言わなかったが、自動車部のほうは俺が入る前に近々戦車を弄る機会を示唆されていたらしい。あの会長は原寸大の戦車プラモを作って献上させたいのかもな? 性別に目を瞑れば見た目相応で微笑ましいじゃないか。はっはっは。
「そんな訳ないよう! なにプラモって!? 戦車の修理させる気満々だよ! 関係大ありだよ! だから言ってって言ったのに!」
本人は思い切り憤激しているつもりなんだろうが、俺の目にはこっそり無人島旅行へ駆り出るのを発見して一緒に連れて行くよう駄々を捏ねた元妹の姿と重なった。
無茶言うな、言ったの今さっきだろうが。それに俺が自動車部の連中と一緒に修理か何かに参加すると決まったわけでもない。一介の普通科高校生にメカを弄る機会なんて来ないんだから、今の俺は打音検査程度もできないんだ。
第一、戦車道は男子禁制なんだろ?
「禁制っていうか、それは単なる暗黙の了解でしかないと思うけど……。陸の修理工場なら男の人の修理工だっているし、戦車を診ることだってあるよ?」
ふうん、となるとやはり俺も参加するのだろうか。依然、会長が俺を指名した意味は見えてこないが。
そうして若干騒然としつつも飯の材料を会計し、俺たちは買い物袋をぶら下げて寮に帰ってきた。何気なく玄関の上のちっさい表札を見ると、書かれていたのは確かに、遺憾にも全く定着してくれない俺の本名だった。
次の日の昼休み。
俺が飯を食い終わってから国木田あたりと貴重な平和ボケの談話に現を抜かしていると、やけに通る声が教室の雑音を中断させた。
「お兄さーん!」
暗躍する生徒会一味が悠然と教室へ侵入し、国木田や谷口などには目も暮れず椅子に座る俺を見下ろす。全校生徒に俺の謂れなき悪評が轟くリスクは校内放送より相対的に低いが、クラスメイトが「とうとう乗り込んできた」とか言いふらさないかが心配だ。
「昼休みが終わるまでに倉庫前来てね。午後の授業は免除したげるから。よろしくぅ」
ていうか近い。ええい肩に手を回してくるなうっとうしい。
そして去っていった。副会長と広報は一切口を開かないまま。どうでもいいが、あのチビいつも取り巻き連れてんな。俺がもし会社経営者だったらただ人を呼ぶために幹部の人件費二人分を費やそうなんて馬鹿げた考えは絶対起こさないぜ。
「キョン……。いや、もう何も言わねえ」
「キョン、最近は変な女の方からも好かれるんだね?」
国木田お前、そんなに俺を陥れるの好きか?
午後の授業に出なくていいならまあよかろう、と生徒会長様のお達しに従って訪れた倉庫には、既に自動車部の面子が集結していた。午後の授業時間を丸々使って何か始めること以外何も知らない俺を待っていたのは、ナカジマさん配給の作業服だった。届くの早いですねという俺の疑問に対する回答はナカジマさん曰く「被服科に作ってもらったからね」らしい。この学園はいくつの科があるんだ?
「とりあえずそこの物陰にでも行って着替えてきて」と指差された方へ向かった。油塗れの汚いシートを被った、トラック程度の大きさの何かが置いてある。俺一人どころか横綱の三、四人隠すには十分だが、こんな目立つ物、俺が前回来た時はあったか?
「ナカジマさん、着替えましたよ」
「おっけい。おー意外に様になってるよ。あ、あとそれシート取っちゃってくれる?」
この塊のか? ばっさあ、と純白には程遠いオイルの染みたベールを脱がしてやった。
中身は、油塗れの錆だらけだが確かに鋼鉄の塊だった。
「これ、戦車ですか?」
「うん。見るのは初めてかな?」
「まあ」
俺の世界で見物しようと思ったら博物館に行くか自衛隊のパレードに行くくらいしかないからな。そして俺は今まで見に行こうと思ったことがなかった。
それでも、いざお目に掛ればさすがに視線は釘付けになる。窓ガラスなんてないし、プラモとは見ただけで質量が違うと分かる装甲の塊。イメージと違って短いながらも確かに砲塔から飛び出た主砲。所狭しと並ぶ転輪。そこらで見る自動車とは明らかに違う。これが、戦車。
「ってこれ、履帯切れてませんか」
「そうだよ。直さなきゃね」
「そういやこれ、例の設計図の奴ですね」
「そ。ドイツのⅣ号ね」
「俺、まだよく分かっていませんが」
「大丈夫。これくらい私たちにかかればすぐ直せるから。それよりキミはあの子たちに付いてってあげてよ」
「あの子たち? って……」
ナカジマさんが指差した倉庫の扉。
そのときちょうど指で魔法でも送ったみたいに、車が悠々と出入りできるデカい鋼鉄の門がぎりぎりと開く。ぞろぞろと入ってきたのは、何十人もの制服の女子だった。いや制服じゃない奴もいる。知らない顔もいるし知ってる顔もいるが、バレーの選手っぽい奴と校則ガン無視で変なコスプレをしている連中はまず俺の知り合いじゃない。いや異世界人の知り合いなんて本来俺にはいないのだが。
俺を翻弄し続ける生徒会一味とそれから、結局戦車道を履修することになった我が妹みほ。武部と五十鈴もそれにハッと気づいた。俺へ手を軽く振ってくる三人へ、俺もすっと片手を上げて返す。
もしかしてこれ、戦車道の授業が始まったのか?
「なにこれ……」「ボロボロ……」「あり得な~い……」なんて知らない顔の女子が引き気味に言っているのが聞こえる。
「侘び寂びでよろしいんじゃ?」と五十鈴。「これはただの鉄錆」と武部。まあそんなもんだろう。ところがそんな女子たちを尻目にみほだけは抵抗なく戦車へと前進し、俺でも触れなかったスクラップ寸前の戦車に、目の前で触れていた。
そして呟く。
「装甲も転輪も大丈夫そう。これでいけるかも」
その言葉に、引き気味だった女子たちの中でも小さくどよめきが起こった。みほからそっちへ目を流転させ、改めて面子を見回して――俺は一人目を皿にした。
「わぁ~……」
ここからは聞こえないが口の動きから多分そう漏らしている、俺が崇拝するマイエンジェルにして未来人枠、朝比奈さん。今やうろ覚えだが、貴女は元の世界ではハルヒに拉致られるまで書道部に入っていませんでしたか? 選択科目にも書道があったはずだが、戦車に興味でも抱いたのだろうか?
ってしかも、横にはSOS団名誉顧問の鶴屋さんまでいて、会長のニヒル顔とは似て非なる輝きを浮かべていた。SOS団はこの人にもずいぶん世話になってんだ、ハルヒが鶴屋さんを忘却の彼方に葬るはずはないよな。
「…………」
別のところでは俺限定で安心感を齎してくれる無表情で、それぞれ確認するように戦車と、ある人物と、俺を見つめる長門有希もその中に溶け込んでいた。
して、長門がわざわざ目で確認した人物、ソイツはたった数十人の女子どころかスタジアムの観客席にいたって反対側から見つけられるほどの存在感を放つ我がSOS団団長、涼宮ハルヒ。
俺は息を呑んだ。いやハルヒとはまだ言葉こそ交わしてはいないが学園生活が始まってからずっと俺の席の後ろに確かに座り続けていたので久しぶりではないとはいえ、思ってもみなかった再会だ。後ろの席で自己紹介した顔と全く変わっていない、人を寄せ付けない仮面を張り付けてやがる。何しに来たんだ、お前は。みほから聞いた話では、近頃衰退気味らしいものの戦車道っつーのはこの世界ならそれなりにメジャーな競技らしいぞ。お前なら絶対仙道か忍道を選ぶと思ってたぜ。
超能力者を除くかつてのSOS団団員が、朽ちた戦車の前に集結していた。