窓の割れた廊下を、秋風が吹きぬける
陽の高い内はまだまだ暖かいが、こうしたふとした瞬間に、季節の巡りを感じずにはいられない
──ノスタルジーな雰囲気に浸っているのもいいが、目下の関心は目の前を歩く由紀ちゃんに注がれていた
「……さっきからずっと思ってたんですけど、大丈夫ですか? 由紀ちゃん」
「ふぇ?」
目の前には、ふらふらと覚束ない足取りで歩く彼女
振り向いた彼女の顔は、真っ赤に染まっている
先ほどから頻繁に鼻をすすっていたり咳き込んでいたりしており、正直かなり心配だ
「と、突然どうしたの? 葵くん」
「いえ、今朝から様子がおかしいですよね? いつも以上に危なっかしいと言いますか……風邪ですか?」
そんなやりとりをしている間にも、彼女の体はゆらゆらと揺れる
……やはり風邪、だろうか。症状としてはそれが一番考えられるが
「そんな訳ないよー、だってバカは風邪ひかないんでしょ?」
「それを自分で言いますか……?」
なにはともあれ、彼女の様子がおかしいのは事実だ
風邪かどうかの判断は、一度熱を測ってからでも遅くはない
「おう、二人共どうしたー?」
軽快な足音と共に声をかけてきたのはくるみちゃんだ
都合がいい。彼女にりーさんか佐倉先生辺りでも呼んできて貰おう
「あ、くるみちゃん。りーさんか佐倉先生呼んできて貰えます?」
「大袈裟だってー、ちょっと咳が出て頭が痛くてふらふらするだけで──」
ゆらゆらと揺れて居た由紀ちゃんが、後ろへと倒れる
咄嗟に腕を引いて倒れ込む事だけは回避したが、存外症状は軽くないかもしれない
「っとと……そういうのを、一般的に風邪って言うんですよ」
「お、おう! なるべく早く呼んでくる!」
パタパタと駆けて行くくるみちゃんを尻目に、由紀ちゃんをおんぶする
異性たる彼女を背負う事に抵抗は感じるが、今はそんな所ではないだろう
出来る事ならばくるみちゃんに彼女を運んで欲しかったが、その姿は既に見えなくなっていた
「うぅ……ごみん」
「謝らなくていいですよ。でも、次からはもっと早く言ってくださいね?」
背中越しに感じる彼女の体温は、自分のそれよりも温かい
資料室を目指し、歩みを進める
ピピピ、と小さな電子音が鳴り響く
手元の体温計には、37.4℃の文字
この部屋に居るのは由紀ちゃんと自分、そしてりーさんだけだ
他の皆は風邪がうつらない様、生徒会室で待っていて貰っている
「……完全に風邪ですね、これは」
「もうっ……具合が悪い時はすぐに言ってくれなきゃ」
予想はしていたが、まぁただの風邪だ
大事でなくてなによりだが、今日一日は安静にしている他にないだろう
隣に座るりーさんがタオルを絞り、寝ている由紀ちゃんの額へと置いている
「まあまあ……由紀ちゃんだって悪気があった訳じゃないんですし」
「葵君は由紀ちゃんに甘すぎよ? 何かあってからじゃ遅いんだから」
何かあってからでは遅いというのは、全く以てその通りだとは思う
今回はただの風邪だったからよかったものの、何か重大な病気にかかった時に同じようにされてしまっては困るのも事実だ
ただ彼女に甘いと言われても、こればっかりはどうしようもない
「これからお粥を作って持ってくるから、それを食べて安静にしてるのよ。いい?」
「後で風邪薬を持ってきますから、それもちゃんと飲んでくださいね?」
確か外で取ってきた物資の中には、いくつか風邪薬もあったはずだ
それを飲んで安静にしていれば、一日で熱は引くだろう。多分
「はぁーい……ありがとう、お父さんお母さん……」
「え゛っ」「えっ」
軽く熱に浮かされているのか、由紀ちゃんがそんな事を口走る
確かにりーさんはそんな風格があるが、
正直、かなり気まずい
「……それじゃあ、僕は皆に報告をして薬を持ってきますので」
「え、ええ。よろしくね、葵君」
気まずさを感じながらも立ち会がり、資料室の扉をくぐる
申し訳ないが、後の事は彼女に任せるしかないだろう
「……由紀先輩が居ないと、なんだか静かですね」
いつもより静かな生徒会室の中で、ぽつりと美紀さんが呟く
確かに、騒ぎの中心は大抵いつも由紀ちゃんだ。彼女が居ないと、どうにも静かでならない
りーさんは今もなお由紀ちゃんの看病をしているし、佐倉先生は硬い姿勢で資料室の中を伺っているのをついさっき見かけた
カズはいつも通りバリケードの見回りに出かけたし、この部屋に居るのは残りのメンバーくらいなものだ
「偶にはこういうのもいいんじゃないですか? 由紀ちゃんの有り難さを再確認すると言うことで」
実際、ムードメーカーたる彼女が居ないだけでこれ程までに違うものなのか、とは自分でも思う
もし彼女が居なければこの状態が普通だったのかと思うと、ぞっとしない
何はともあれ、明日には彼女も治っているだろう
自分たちはただそれを待っているだけでいいのだ
「ふっかーつ!」
「おっ、大丈夫だったか?」
翌日。すっかり体調が快復した由紀ちゃんが、くるりと回る
「あれ、りーさんと葵君は?」
「あぁ、その二人なら──」
Side:若狭悠里
「……りーさんまで風邪をひいてどうするんですか」
呆れを多分に含んだ彼の声。その言葉に、私は何も言い返す事が出来ない
なにしろ、私まで風邪をひいてしまったのは事実なのだから
「いいですか? 佐倉先生にお粥を作って貰っていますから、それを食べて薬を飲んで安静にしてるんですよ?」
「はーい……」
彼の手によって額に置かれたタオルから、ひんやりとした感触が伝わる
「それじゃあ僕は扉の横で待機してますので、何か用があったら呼んでください」
そう言って彼は立ち上がり、部屋を後にしようとする
その姿に、どこか喉が苦しくなる
──ひとりは、寂しい
──病気の時くらい、誰かに甘えていたい
「……まって、あおい君」
無意識に、彼を引き留めてしまう
……昨日私を引き留めた由紀ちゃんも、こんな気持ちだったのだろうか
彼は外へと向かう足を止め、どこか不思議そうな表情を浮かべながらこちらへと振り向いた
そのまま私の方へと歩みを進めてくれている
「ん? どうしました?」
「……お願い、いっしょにいて」
──あぁ、またも彼に負担をかけてしまう
「……はい、あーん」
口元に差し出されたスプーンを咥え、お粥を口へと運ぶ
ゆっくりと、かつしっかりと咀嚼をして嚥下する。気づけば、器の中はすっかり空になっていた
「……新手の羞恥プレイかと思いましたよ、まったく」
そうぼやきながらも、彼は用済みとなった食器を片づけ始める
垣間見える彼の顔はわずかに赤い。そんな彼が珍しくて、どこか可笑しい
……かく言う私も、この体の熱が風邪と気恥ずかしさのどちらに由来する物か、最早判らない程だった
「それにしても、本当に僕なんかでよかったんですか? もっとこう……適任が居たでしょう。由紀ちゃんとか佐倉先生とか」
彼の言葉に、無言で首を縦に振る
他の皆に弱っている所を見られてしまえば、要らない心配をかけてしまうだろう
ましてや皆に甘えるなんて事をする訳にはいかないし、弱さを見せる訳にもいかない
そういった意味で、彼が一番適任だったのだ
──彼になら弱さを見せてもいいと思っているなんて、口が裂けても言えはしないけれど
Side out
小さな寝息だけが、部屋の空気を揺らす
手元を見れば、両手で包むようにして握られた自分の手と、りーさんの寝顔
(りーさんも、ホント美人だよなぁ……)
事件以前はクラスメートの顔を注視する事などした事もなかったが、改めて見ずとも由紀ちゃんやくるみちゃん、佐倉先生や美紀さんなども含め、彼女達は総じて美人だ
その事自体は全く構わないし歓迎すべき事なのだろうが、時々居心地が悪くなるのも事実だ
実際、現在進行形で胃が痛い
信頼されているというのは、良い事だとは思う
ただし前々から思っているように、異性であるという事を念頭に置いて欲しいともいうのも事実だ
(ただ寝たからといって、離れちゃうのは違うよなぁ……)
彼女が寝入ったからといって離れてしまうのは、あまりにも不誠実だろう
最低でも、彼女が目覚めた時に傍に居れる様にしておかなければ
彼女の顔に浮かぶ大粒の汗を、手にしたタオルで拭き取る
(……でもまぁ、これも役得か)
普段見れない物を眺めていられるという点に於いては、間違いなく役得だ
特にこんな美人の寝顔とくれば、全く嬉しくないと言えば嘘にはなる
(……ま、りーさんが起きるまでゆっくり待つか)
手から伝わる温もりを感じながら、日が傾くのをぼんやりと眺める──
翌日。顔を照らす陽の光に誘われ、目を覚ます
既に日は高く、他の布団は畳まれ整理されている
──頭が痛いし、喉も不調だ
体はだるく、思うように動かない
(……まぁ、こうなるな)
Side:祠堂圭
軋む扉を抑えながら、背中越しに"かれら"が扉を叩きつける音を聞く
あの部屋を出て、辿り着いたこの場所。緩やかな死を望まず飛び出した所で、待っているのは死でしかないという事なのだろうか
私は、ここまでなのだろう
大層なことを口にしてあの部屋を出たにも関わらず、助けを呼ぶこともできず。それどころか生きている人に出会う事さえ出来なかった
(ごめん、美紀……)
あの部屋に残したままの彼女は、大丈夫だろうか
それだけが、ただ気がかりだった
彼女に、ひどい事を言ってしまった
私だけじゃなくて、美紀も耐えていた筈なのに
それに、きっと追いかけて来てくれるなんて考えを──
(……?)
不意に、背中に伝わる衝撃がなくなる
それと同時に、扉を叩きつける音が一切しなくなっている事に気が付いた
"かれら"がどこかに行ってしまったのだろうか
それにしては急が過ぎる様な──
「えーっと、まだ生きてる? 居たら返事してー」
「……っ!」
生存者だ!
声からして、多分女性。歳はわからないけど、放送を聞いて助けに来てくれたのかもしれない!
大急ぎで扉の前の重りを退かす。扉の前の人だって、いつまで安全かわからない
転げ出る様に、扉を開け放つ
「やっほー! 助けに来たよっ!」
扉の前に居たのは、見慣れない制服を着た女子生徒
その姿は、まるで太陽の様に見えて──