青年を見送った私は玄関前に置いた椅子を自室まで片づけると、読みかけの分厚い本をすぐそこの机の上に置いた。机の上にはすっかり冷めてしまった紅茶が入ったカップが二つおいてあり、私は手前においてあるほうを一息に飲み干した。
「ところで、あなたはどう思った? アレ、あなたに憧れての行動らしいけど」
私は何もない空間に向かって話しかけた。
その部屋には確かに誰の姿もない。しかし、そこにいるという確信があった。
「結構面白かったよ。川を渡れない妖怪をおちょくって遊んでたところなんて爆笑しちゃったよ。それにあの勇儀相手に嘘ついてたし。いやー、私にはできないなぁ」
声のしたほうへと体を向けると、先ほど玄関から運んできた椅子に体育座りで腰かけたこいしがいた。手に持っていた空の酒瓶を放り投げると、机の上のもう一つのカップと手に取り、冷めた紅茶をさらに冷ますように息を吹きかけながらちびちびと飲んだ。
こいしは、あの男が戻ってくる少し前に地霊殿に帰ってきていた。彼女が「今から面白い人がうちに来る」というから待っていたところ彼がやってきたのだ。
彼に「こいしはどこにいるのか」と聞かれた際も、すぐ近くにいることは分かっていたが、具体的にどこにいるかまでは分からなかったのであのように答えた。嘘はついていない。
「なんだ、わざわざ空の酒瓶なんて持って帰ってくるからてっきり面白い仕掛けでもあると思ったのだけど、そんなことないのね」
「うん。文が大事に抱えてたから持って帰ってきたけど、別に使い道無くて。それにしても、あの人が変な行動してたのってお姉ちゃんの仕業だったんだってね。そんなことまでできるなんて知らなかったよ!」
「人間の人格を変えるなんて、そんなことできないわよ。アレが勝手に思い込んでただけ」
滑稽でしょ、付け加える
私の発言に嘘偽りはない。私は彼の人格に対して何もしなかったのだ。術に掛けたふりをしたら、なぜか本当にかかっており、私でさえびっくりしたものだ。いわゆるプラシーボ効果というやつだろう。
私はそのまま、先ほどまで読んでいた本、『精神病理大全』を指でなぞり、先ほどまで読んでいたページを思い出す。
『サイコパスの主な特徴は、マキャベリ的自己中心性、社会的影響力、ストレス耐性、無頓着な無計画性、恐怖心の欠如、冷淡さ、衝動的不服従、責任の外在化であり、その多くは凶悪な異常人格者であると言える。しかし、その中にはその特性を次のように転用し、社会的成功を収める者もいる。すなわち、非情さ、魅力、一点集中力、精神の強靭さ、恐怖心の欠如、マインドフルネス、行動力である。』
確かに、こいしはサイコパスと言えるだけの性質を兼ね備えている。むしろサイコパスの権化のような存在だ。
しかし、
こいしへの一点集中的で盲目的は執着。
人に対する興味の薄さ。
実家の倉庫にまで火をつける行動力と恐怖心の欠如。
縁を切られた両親に対するあまりにあっけない赦し。
それに口のうまさや町の人からの好かれる魅力。
などなど。
「私に言わせれば、彼も立派なサイコパスですけどね」
それも、成功を掴むことのできるタイプの、だ。
だからこそ私は、彼の頼みを聞いたのだ。
私の本来の予定では適当に術を掛けたふりをして、何も変化の起きない彼に向かって「なるほど。変化がないということは、あなたは既にサイコパスなのあるのかもしれませんね。ほら、心当たりありませんか? でも、これでわかったでしょう。人間のもつ程度の狂気なんてしょせんその程度のものですよ。誰もあの子の持つ本物の狂気を理解することなんてかなわない」と、適当なことをのたまって揶揄うつもりだった。
しかし、なぜか彼はかけていないはずの術にかかってしまった。
本音を言うと、当てつけだったかもしれない。
私はかなり良識的な妖怪だと自負している。だからこそ、大事な妹であるこいしを本当の意味で理解や共感をしてあげることはできない。そんな中、こいしと似た質の狂気を持ち、そして彼女を理解したいという存在が現れた。しかもそいつはその狂気のおかげで成功していた。そのことに、私はとてつもなく胸がざわついた。
きっと、その正体は嫉妬だ。
私はそんな彼に嫉妬をしたこと自分に嫌気がさしたし、妹のためにでなく自分のために負の感情を起こしてしまったことにも嫌悪した。
彼の言う通り、本当に心を操れればよかった。
そうすれば、この気持ちを消してしまえるのに。
こいしが第三の目を閉ざしていてよかった。
そんな矛盾したことさえ思った。
そんなことを考えていると、大きな爆発音のようなものが地霊殿を揺らした。音の発生地は地霊殿ではない。おそらく地底の町中からだろう。ここではそんなことはしょっちゅう起こることなので、さとりは特に気にしなかったがこいしはそうでもないようだ。
「今の音、勇儀が怒ってあの人を殴り飛ばした音だったりして」
こいしは楽しそうにそうつぶやく。
「それは気の毒ね」
確かに、嘘を嫌う怪力乱神の鬼の怒りを買ってしまったというのは、ありえない話ではない。彼がここに戻ってきた際に心の中をのぞき、サイコパス中に起きた出来事を一通りみたが、中でもそのシーンはひどかった。
「そうかな? ここで殴り殺された方が、彼も喜ぶんじゃない?」
私はこいしの発言の意図を組むことが出来ず、思わず眉をひそめてしまった。殺されて喜ぶなんてどうかしているとしか思えない。正常に戻り、死を恐れていた彼ならなおさらだ。
「だって、一回死んでもう一回子供に生まれ変わったら、私と会いやすくなるでしょ? あの人、私と遊びたいんだよね?」
そうだ。古明地こいしはこういう妖怪だった。
誰も彼も、この狂気は理解できない。
以上で完結となります。
拙い文章や構成でございましたが、ここまで読んでいただき誠にありがとうございました。
文章、構成のご指摘、アドバイスなどありましたが、いただけますと幸いです。
この小説を書くにあたって下記の書籍を参考にしました。
一応利用規約を確認して載せることは問題ないと判断しましたが、問題ありましたら削除します。
ケヴィンダットン著、小林 由香利訳「サイコパス 秘められた能力」2013年
ナシア・ガミー 著、山岸洋訳、村井 俊哉訳「一流の狂気 : 心の病がリーダーを強くする」2016年
ジェームス・ファロン著 ; 影山任佐訳「サイコパス・インサイド : ある神経科学者の脳の謎への旅」2015年