レイ ーー1
輝かしい朝日の光が顔に当たる。優しく、瞼を焼き照らしていくそのぬくもりに目がさめる。
そこは簡素でありながらも家具も間取りも、すべてが上質なものでできている部屋で、今ベッドには1人の青年がむくりと身体を起こした。金髪に優しげながらも整った顔立ちの青年は、くぐーっと伸びをしてまどろみを飛ばす。
「レイ、起きてるか?」
ノックと同時に扉の外から聞こえてくるその声は、紛れもなく青年、レイの兄のものだ。わざわざ起こしてくれるなんて、今日は何かあっただろうかと考えてながら返事を返す。
「起きてるよ、兄さん」
「そうか。あまりのんびりするなよ、今日は騎士長様に呼ばれているんだ。遅刻だけはしないようにな」
「わかったよ。俺も後で行く」
そう言いながら支度を整えていく。ベッドから立ち上がり、壁にかけてある剣をベルトに付ける。まだ正統な騎士ではないので練習用の物だが、ずしりと重く、レイに騎士見習いとしての自分を自覚させる。少しだけ剣を抜き朝日に当ててみれば、刀身が鈍い光を放つ。
剣の横に置いてある銀の軽鎧を身につける。急所と関節を機能的に守るそれは、美しさと実用性を十分に備えた物だ。本当なら兄のような白銀の全身鎧を早く着れるようになりたいのだが、あれは騎士の中でも有数の者しか付ける資格を持つことができない。
鏡の前に立ち、己の姿を確認する。騎士見習いになってから随分経つが、未だに剣を持っていたり、鎧を着ている自分を見ると嬉しさでにやけてしまう。
「さて、少し急ごうか。兄さんに遅刻はいけないって言われたからな」
家を出て、街に繰り出す。街も、向こうに見える王城も、全てが朝日に照らされ金色に光っている。
もはや見慣れたアノール・ロンドの美しい城下町を横目に、騎士見習いのレイは王城目掛けて歩いて行く。
○○○○
「銀騎士レド、並びに騎士見習いのレイ、前へ」
王城の隣に建てられたこの騎士の訓練所、その中央広場にて式が行われていた。それは銀騎士レド、そしてレイを讃えるものだ。数多の騎士の中から2人が前に出る。レドに比べ、レイはだいぶ動きが硬い。
「先の輪の都との合同討伐、そして不死街に現れた竜の単身討伐。銀騎士レド、そしてその補佐レイ、貴君らの功績によって救われた者は知れないだろう。誠、ご苦労であった」
王直属の騎士であり、全ての騎士の長たるオーンスタインがそう声を掛ける。レイはそれだけで嬉しさではちきれんばかりだ。
「ありがたく」
「ぁ、っありがたく」
緊張からか、言葉を詰まらさせてしまうレイ。そんなレイにオーンスタインが優しく声をかける。
「あまり硬くなるな。これは貴君の活躍による功績だ。故にこそ、もっと堂々と胸を張れ。…銀騎士レドには自身の武器の作成、そして使用許可を与える。そして騎士見習いレイ、貴君には銀騎士への入隊試験資格を与えよう」
「!!!」
入隊試験資格。果たしてそれを得る為だけに努力したとしても手に入るかどうかわからないような、そんな代物。これでやっと、銀騎士へ近づける。兄と肩を並べて戦いに立てるかも知れない。
「…では、これにて終いとする。皆、励みたまえ」
レドとレイが元の位置に戻ったのを確認し、オーンスタインが終わりを告げる。その瞬間、広場に響く涼やかな金属音の合唱は、ここにいる騎士全てが抜剣した音だ。地面に剣を突き、その上に手を組むのが王家由来の礼のやり方だ。
しばらくしてオーンスタインが広場から出ると、しんとしていた空気がだんだん弛緩していくのがわかる。銀騎士の一人が皆に号令をしたことで、騎士達は退場を始めた。
訓練所には、騎士達がいつでも休憩ができるようにかなり大きめな食堂がついている。午前の業務と訓練を終わらせたレイは空腹に抗えずに食堂を訪れていた。漂う食欲をくすぐるいい匂いに思わず気分も上がる。今日は何を食べようか、なんて考えながら座れそうなテーブルを探す。
「おい、あいつ今朝の…」
「ああ。所詮レドさんの腰巾着に過ぎないくせに、ご立派なもんだ」
「全くだ。いくらレドさんが優しいからって功績を盗むなぞ、低俗にもほどがある。誇り高き騎士たるを目指す我々には、そんなこと恥ずかしくて耐えられようもない」
どこかから聞こえてくる侮蔑と嘲笑の声。昼飯時の喧騒の中ではその主を特定するのは至難の技だ。まあ、誰が発したかなんて興味もない。なぜならもう慣れている。
昔から兄は特異であった。雷の技には優れないものの、その余りある膂力と冷静さ、そして異端と呼ばれるものにも分け隔てなく接することのできる人格。銀騎士の中でも特に優れている方に入るであろうことは確かで、そうでなければ竜の単身討伐などできようものか。
そんな兄の背中を見て育った。自分よりも何倍も身体の大きな者と楽しげに話す兄を見た。あのハベル様と手合わせする兄を見た。優れた銀騎士と呼ばれる兄を見て、育った。
別に嫉妬などしない。兄が成した功績は、自分の事のように喜ばしいことだ。だが、比べられるのは少し、胸が痛い。兄のような騎士になりたいと願い、騎士見習いとして入隊した。もちろん努力はした。だが、ついてまわるのは『レドの弟』という看板だ。
それを裏切らないようさらに努力を重ねた。それに連れて『もっとも銀騎士に近い見習い』なんて呼ばれることにもなった。最初はそれが誇らしかった。皆が俺に期待してくれているのだと。竜の討伐への同行、といっても補佐しかできないがそれも許可された。兄が遠征するときは可能な限りついて行き、できる限りの援助をする。
しばらくそんな日が続いた。オーンスタイン様が俺に注目している、なんて噂だって立ったりもした。そんな時だ、誰が言ったか『レイはレドの功績を盗んでいるに過ぎない』という話が騎士の間に流れ出した。無論、ほとんどが与太話だと切り捨てたろう。レイを知る者ならば尚更に。だが、信じる者がいるからこそ噂は広がるのだ。
昼ごはんはオニオンスープにすることにした。適当なテーブルに座り、パンと共に頬張る。いくら訓練所の食事といえど王城直属のもの、使われる食材は一級の物しかない。玉ねぎの甘みとコクのあるスープに舌鼓をうつ。そんなときだ、食堂の入り口付近がにわかにざわめきたつ。
この食堂は見習いか、普通の騎士達しか利用しない。銀騎士ともなると王城の控え室に備えることになるからだ。たが、過去を偲んでか時々銀騎士がここに来ることもある。そういうときは皆で歓迎して、銀騎士に助言をもらったりするのが恒例となっていた。
今回もそんなところであろうと一人納得し、スープを啜る。ふと気づけば自分の周りにはこれまであった喧騒が消え、流石に違和感を感じたレイはスプーンを置いて周囲を確認する。
「ああ、君がレドの弟かな?」
特徴的な澄んだ青の布を纏った、鎧姿の美丈夫。愛武器である大剣と盾こそ持っていないが、その姿は間違いなく。
「四騎士、アルトリウス、様…」
「かしこまらなくていい、今は君も私も休憩中だ。ならば二人はただの同僚であるべきだろう?」
「ぃ、っいえ!かのアルトリウス様に対してそのような不敬、取れようもありません!」
「おいお馬鹿、あまり後輩を困らせるな」
いつのまにいたのか、アルトリウスの横には小柄な女性がいた。大柄なアルトリウスの隣にいるので、さらに小さく見える。だが、あのアルトリウスを小突けるような人物が尋常であるはずもない。
「キアラン様まで!どうしてここに!?」
「すまない、食事の邪魔をしたな。この馬鹿がレドの弟を見たい、なんて言い出したものだからな、どうせこいつ一人じゃ困らせるだけだろうと踏んでついてきてみればこの通りだ」
「いえ!邪魔なんてとんでもありません!かの四騎士のお二方と出会えて喜びの限りにごさいます!」
「ほら、気を使われてしまった」
別にお世辞でもなんでもないのだが、という言葉は言い逃してしまった。キアランがいたずらっぽくアルトリウスに笑いかける。それを受けて、少し困ったように頭を掻く。
「はは、申し訳ない。…それにしても、君があのレドが褒めちぎっていた弟くんか」
「失礼ながら、兄はいったい何と…?」
「沢山語ってくれたよ、普段はわりと無口なのにね。努力を惜しまぬ秀才だとか、毎回の補佐が正確であるとか、とかく優秀であるとか。レドとは時々話をするのだけど、たいがいは君のことを気にかけているようでね。気になって本人を見に来てしまった」
あの兄にそう思ってもらっていることが嬉しい。あの素直で実直な兄のことだ、嘘であるということはないだろうし、アルトリウスが嘘をつく利もない。なればこそ、この言葉が全て兄の本心だとわかるが故に。
「君が銀騎士となり、私と肩を並べることができるようになることを祈っているよ。…ああ。みんな、邪魔をしたな。私は戻らせてもらおう」
「あ、おい待て馬鹿!っとと、レイ君、だったか?君のことを騎士長殿が呼んでいた。あとで王城に来るといい」
そう言い残してすぐにアルトリウスの方へ走って行ってしまった。オーンスタイン様が俺に一体何を、と考えるが、それよりも先に。
「アルトリウス様、キアラン様、ありがとうございました!」
その言葉が聞こえたのか、キアランが振り向き軽く手を振ってくれる。あの落ち着いた性格とは裏腹にいささか可愛らしいその身振りに、幾人かの騎士達は魅力されてしまう。
かくいうレイもその一人で、あの二人が去ったあともしばらく硬直してしまっていた。
○○○○
時はしばらく回り、レイは王城の騎士長室を目指していた。あのアルトリウスの襲来が衝撃的で少し忘れていたが、今は入隊試験資格を持っているのだ。おそらく、オーンスタインもそれ絡みの話であろうとあたりをつける。やがて騎士長室についたレイは、ノックをして部屋に入る。
「失礼します」
「ああ、よく来てくれたな、レイ。話の前にお茶でもしようか、そこに掛けていてくれ」
言われた通りに部屋にあったソファに座る。執務机で作業をしていたオーンスタインは立ち上がり、部屋にあったポットからティーカップにお茶を注いでいく。それを見たレイは思わず立ち上がった。
「オーンスタイン様、お茶は私が…」
「いや、いい。私が呼び出したんだ、自分の客人くらい自分でもてなさなければ長失格だ。だろう?」
「は、はあ。そうでしょうか…」
「まあ、座っていてくれ」
そうは言われても、自分より目上の者に給餌をさせるのはなんとも尻がもじもじする。そんなレイの気持ちを知ってか知らずか、だいぶのんびりと用意していくオーンスタイン。
やがて机の上には湯気と香りの立つティーカップと、これまた美味そうなお茶菓子が並ぶこととなった。ひととおり軽い話をしながらお茶を飲んでいくオーンスタインと、勧められゆっくりと味わうレイ。見た目に違わずお茶も菓子も上質なもので、これまた至福の休憩となった。
オーンスタインが二杯目のカップを半ばごろまで飲んだころ、話は本題に入った。
「ああ、楽しい休憩だ…。ああ、すまないね。さて、君を呼んだ理由だが…」
「入隊試験、の話でしょうか」
「鋭いな、流石にレドの弟といったところか。まさにその事で、今どうしようか悩んでいるところなのだ」
何でも、本来ならば銀騎士入隊試験とは、受験者を銀騎士と同行させ竜狩り等の経験を積ませ、その銀騎士が見込みありと判断した者が銀騎士となるのだ。
「だが、君はレドの遠征の補佐に何度も行っているからな…。討伐こそしていないが、経験ならば並の騎士を優に超えるだろう。故に、君の武力の照明こそが銀騎士への入隊試験としよう」
それは何かと質問しようとしたとき、部屋にノックの音が鳴る。続けて聞こえる聞き慣れた声。
「入ってくれ。…ちょうどよかったな、レイ。君の入隊試験は、レドとの手合わせとしようか。竜狩りに対人の技術はあまり必要ないが、武力の照明というならばそれが手っ取り早い」
銀騎士用の訓練所と普段の訓練所では雲泥の差があるのだな、とレイは場違いな事を考えながらオーンスタインに連れられて歩いていた。疑問を持つ隙間なくあれよあれよと話は進み、気づけば兄との決闘の前である。当事者ながら一体なにがあったと聞きたくなるが、そうなっているのだからしょうがない。
「合格の条件は、銀騎士レドを倒すか、銀騎士レドに認められるかだ。兄弟だからといって手は抜かないようあちらには言い聞かせているからそのような期待はしないように」
オーンスタインにそう言われるが、そんなことはとうにわかっているし、兄も言われなくとも本気でやってくるだろうことはわかっている。もちろんだと返答し、それに満足したのか優しく微笑むオーンスタイン。
「さて、行ってこい。私としては君が王城勤めになってくれるとお茶友達が出来るので嬉しいがな」
○○○○
「よろしくお願いします、兄さん」
「ああ、手は抜かないからな」
「当たり前だろ、俺だって本気でやるさ」
互いに挑発しあいながらも、楽しげな二人。それもそのはずで、二人で本気の喧嘩をするなど久しぶりだ。神聖な試験を喧嘩と言い換えるのは憚られるが、兄弟同士故仕方がないだろう。
二人の装備はそれぞれ長剣と中盾と、銀騎士の標準装備である。どちらも剣の刃は潰してあり、盾の角も丸めてある訓練用のものだ。兄はこちらに合わせてか、レイと同じ銀の軽鎧を着ている。
「では、始めようか。…試験官、銀騎士レドと入隊試験資格保持者、レイとの決闘を、開始する!」
審判を勤めてくれている他の銀騎士が宣言する。とたん、レドの立っていた地面が爆発したように砂埃が立つ。
「ぐっ、ううあああ!!!」
レドの先制攻撃を、レイは咄嗟に盾を構えることで受け止めていた。レドの膂力にかかればただの長剣も大槌に等しい破壊力を有する。レドの長剣は振り切られ、当然レイは吹き飛ばされる。地面に後を残し立ち止まるが、既に盾を構える左手は痺れて動かない。
レドが踏み込み、とどめとばかりにレイへ突きを放つが、それを受け入れるレイではない。咄嗟に長剣で切っ先を横へずらし、レドが体制を崩した瞬間にそこから離れる。
「本当に本気じゃないか…!」
「そう言っただろう?ほら、お前も攻めてこい」
そう言葉を交わしていても、二人の意識は相手を注視している。未だ左手は痺れているし、使えるのは右手だけだ。今度はレイがレドへと斬りかかる。大きな隙を見せればすぐに負けるのはわかっているため、大振りはせず堅実に攻めていく。だが相手はあのレドであり、油断なく盾で身を守り、弾けるところは長剣で弾きこちらの体力を奪っていく。
じわじわと感覚がもどってきている左手を庇いつつではレドと十分に斬り合うことはできない。始めは攻めていたレイも、次第に押されていく。完全に攻めに転じられる前に距離を離して再度攻めに走る。
レドに攻撃を許せば、ただでさえその澄んだ剣術があると言うのにその膂力でもって吹き飛ばされ、体制を崩そうものならその瞬間に終わりだ。始めのあれは少し手加減してくれていたのだろう。こちらも本気を出せるように。
幾十も切り結べば、やはり出てくるのは体力の差だ。盾と剣で防御できるレドと全て身のこなしと長剣で攻守をせねばならないレイでは当然後者の方が早く疲れる。レイが肩で息をしているのに対し、レドは息を荒らげた程度でまだまだ戦えそうだ。
このままでは負ける、レイは確信した。故に、賭けに出る。最早完全に回復した左手を庇い、剣戟を続ける。当然次第にレドのほうが攻めに変わっていくが、レイはそこから離れようとしない。好機と思ったのか、レドの剣により力が加わっていく。
キィンと、金属が勢いよくぶつかり合う音がした。これまではレドの剣を受け流したり、弾いていたレイが、始めて剣で攻撃を受けたのだ。もちろん、そうなれば力で勝るレドの方が有利だ。レイは体制を崩し、隙を晒す。
とどめを刺すための縦の大振り。力を大きく入れたその一撃をレイは避けることなく、動けないと思わせていた左手を動かすことで対応した。盾の丸面で剣を受けるのではなく、力を横へ流す。その際に自分の力を加えることでより大きく剣を吹き飛ばす。
それはパリィ。相手の武器を受け流し、強制的に隙を作る達人の技だ。
大きく横へ走った剣を抑えることができないでいるその一瞬に、レイは右の剣をレドの喉に添える。一瞬の沈黙のあと、聞こえてきたのは落胆でも、悔しげな声でもなく。
「合格だ、レイ」
ただただ嬉しそうな、満足そうなレドの声だった。
○○○○
時刻も夜になり、レドとレイは銀騎士への試験を終え、帰路を共にしていた。様々な手続きは明日に回してくれるというオーンスタインの好意に甘え、疲れた体を家に向けて動かしている最中だ。
「あの最後のパリィ、独学か?」
「いや、違うよ。この前絵画守りの人と知り合いになってね、その人がパリィを使えるそうだから、お願いして教えてもらっていたんだ」
自然と二人の話は手合わせのものとなる。レドの疑問は、果たしてあれほどの熟練の技をどこで身につけたのかというものだった。
「それよりも兄さん、俺が左手使えること気づいていただろ?なぜ警戒しなかったんだ?」
「ああ、気づいていたか。別に手を抜いていたわけでも、警戒していなかったわけでもないが、ただお前が何をしてくるのか気になった。あのパリィ、実に見事だった」
「そうかい、ありがとうな、兄さん」
「いいや、いいさ。それよりも、だ。レイ、銀騎士への入隊、おめでとう。先輩として歓迎しよう」
その声は、夜の闇に、ただ優しく溶けていった。
○○○○
銀騎士へ入隊できたはいいが、まだ剣も鎧も貰っていないので、身に付けるものは相変わらず練習用の長剣と軽鎧だけだ。身支度をし、鏡の前に立ってしばしニヤけ、そして先に家を出た兄を追いかける。
今日も朝日はアノール・ロンドを美しく輝かせていた。