スミルノフさんからの招待を受け僕たちは今、ロシアにいます。飛行機を降りると慣れない寒さが肌を襲う。流石極寒の地、12月も末になっているからか氷点下を回っている。念のためにお嬢様に厚手の上着を着せておいて正解だった。時刻は日本時間で朝の八時を上回っているがこちらの時間ではまだ朝の六時だ。日も出ていないせいで余計寒く感じる。すぐに用意して貰った車に移動して荷物を乗せて乗車するとスミルノフ邸へと案内された。車内はとても暖かく上着を脱いだのがちょうどいいくらいかもしれない。
「新一」
「なんでしょうか」
「何故あなたは執事の服装でコートとかを着ないの?」
「正直に申し上げますと極地での訓練もしていましたのでこの程度ならこれで事足ります」
「見てて寒いわでは如何しましょうか」
「あなたがコートを着れば解決するのでは?」
それもそうかと不必要と思っていたコートを羽織ることに。しかし車内で着ると暑くなりそうなのでスミルノフ邸についた時に着ることにしよう。
「今さらだけど私、ロシア語は分からないわ」
「僕がカバーしますので大丈夫ですよ」
「あなたって本当有能ね」
「まさか、ここまで出きるようになるまで大変でしたよ」
「そうなの?」
「一般会話と商業会話はかなり違いますから」
「よく頑張ったわね」
突然誉められて何て言えば良いのか分からなくなる。とりあえずありがとうございますとだけ伝えると嬉しそうな顔で外を見る。
窓の外を埋め尽くすほどの吹雪く景色。東京に住んでいる限り見ることはないだろう。
雪といえば《朱雪の執行者》という名前の由来は仮面に着いた血が雪の結晶のようだったということから来てるらしいが任務地は何処だったのだろうか。まさかロシアだったなんていうことはないだろう。
「名護様、もうすぐ目的地にございます。到着次第担当の者がご案内いたします」
「ありがとうございます」
「あの人日本語上手いわね」
「職業柄こういう方々は母国語の他に他国の言葉を学ぶんです。担当で分けられることが多いみたいですよ」
やがて車が止まると扉が開かれる。止まった時にコートを着ていたため寒い風が入ってきても問題なかった。先に降りて回りの安全を確認してからお嬢様と荷物を外に出す。
目の前に聳え立つのはまるで城のような豪邸。雪景色で半分以上が暗く見えないがそれでも壮大さが伝わってくる。
「お待たせしました、玄関までご案内いたします」
「よろしくお願いします」
スーツの人物に連れられて僕らは荷物を抱えて巨大な扉の前に立つ。ゆっくり開かれた扉の奥に入ると。髭を生やした男性が複数人のスーツの人に囲まれながら待っていた。
「いらっしゃいMr.シンイチ。待っていたよ」
「お久しぶりにございます、スミルノフ様」
「様はやめたまえ。君は恩人なのだから」
そういうわけにもいかないと話していると袖を引っ張られる。
「何を言っているの?」
「挨拶ですよ。字面は分かりやすくしましたが聞く方はロシア語ですよね」
「……?」
「Mr.シンイチ、その女性は?」
「僕の雇い主です。そのあたりのお話もさせていただきましょう」
「そうだな、荷物を客室に運べ。ご案内しろ」
スミルノフさんが指を鳴らすとすぐにスーツの人達が荷物を渡すように行ってくる。こういう場合は素直に渡した方がよく、渡すとすぐに客室まで案内された。
客室は豪華なホテルと同じくらい綺麗な部屋だった。小型の冷蔵庫にドレスルーム付き、荷物を置いた後に一応中を調べたが何も仕掛けてはいないようだ。
「こんなところ初めてだわ」
「ではぜひ楽しんでください。おそらく中々得られない経験ですので」
「あなたは慣れていそうね」
「そうでもありませんよ。客室よりも自分達で用意した部屋の方が安心します」
「ホームシックなの?」
「……まぁそんなところです」
コートをハンガーにかけてカバンからある程度荷物を出して準備するとお嬢様に確認する。あちらも出来ているらしいので部屋を出てスミルノフさんの元に案内してもらう。五分くらい歩くと大きな2枚扉を目の前にする。ノックをして名乗ると入るように言われる。観音開きのような扉を開けると書斎の机に着いている館主の姿があった。
「座りたまえ」
「失礼します」
案内されるまま座ると目の前のソファにスミルノフさんも座り込む。彼が指を鳴らすとティーポッドとティーカップが並べられる。館主は一口飲むと優雅にティーカップを置き話し始める。
「改めて、ようこそMr.シンイチ」
「今回はお招きありがとうございます」
「いやぁびっくりしたよ。今回のパーティーに君を招待しようとしたら名護家にはもう君はいないというのだから」
「申し訳ございません、色々と複雑な事情がありまして」
「よせよせその辺は触れない方がいいのだろう?」
「ご配慮痛み入ります」
「それで、そこのお嬢さんとはどういう関係かな?」
「私の方を見てるけどなんて言っているの?」
「どうしたんだい?」
「すみません、私の主はまだロシア語を話せません」
「なるほど、じゃあニホンゴの方がいいかな」
スミルノフさんが日本語を話し始めるとお嬢様の方が跳ね上がる。驚いた様子を見て彼は笑っているがお嬢様は混乱しているため状況を説明すると落ち着きを取り戻してくれた。
「すまないすまない、彼と会えたのが嬉しくてつい配慮を忘れてしまった」
「いえ、こちらこそ驚いてしまってごめんなさい」
「それで君と彼はどういう関係なのかな?」
「雇用関係、と言ったほうがいいのかしら。新一は私の執事よ」
「なんと《朱雪の執行者》でありあの名護家の当主たる彼が執事になったのか」
「はい。ですから今は身分が異なります」
「もしかして有名所のご令嬢かい?」
「いえ、私は一般人よ」
スミルノフさんは口をぽかんと開けて数秒動かなかった。意識を取り戻したのかいやいやと手を振って笑うと僕達の表情が動いていないことに気づき表情を変える。
「本当なのかい?」
「事実にございます」
「
「なんて言ってるの?」
「“なんてことだ信じられない”と言っています」
「当たり前だろう!?君のような人が何故カタギに就いているんだ」
「私が誰に就こうと私の勝手です。この件に関してはこれ以上の詮索はよろしくないと申しておきましょう」
「しかしだな」
必死に抗議しようとしている館主に睨みつける。カタギという言葉を出されてからお嬢様から怒りのようなものを感じた。多分反論したいのだろうが僕の知り合いだということを一応考慮してくれているのだろう。きっと昔の彼女なら迷わず反論してくれた。けど今はそうではない、なら僕の仕事ということだ。
「警告はしました」
「っ!」
「出来る事ならば貴方と事を構えたくはありません」
「……すまない、少しアツくなってしまったようだ」
「いえ、こちらこそ申し訳ありません」
「ゴホン、前置きはこれくらいにして本題に入ろうか」
「パーティーの件でしょうか」
「ああ、と言っても特にあるわけではないだがな。今日は君が救ってくれた娘の誕生日なんだ。娘の意向もあって君をぜひパーティーに誘おうと思ってな」
「なるほど」
「遠路はるばるきてもらったのは娘のパーティーに出席してもらうため、そして楽しんでもらうためだ。いいだろうか」
「ここまできて引き返す訳にも参りません。お嬢様、よろしいでしょうか」
「いいわ。存分に楽しませもらいましょう」
「よかった。ドレスはドレスルームにあるものを使ってくれて構わない。そちらで用意した物でも構はしないがね」
「ありがとうございます」
「パーティーは五時からだ。食事は部屋まで運ばせよう」
詳しいことが書いてある紙をもらった僕らは挨拶だけして部屋に戻る。館内を覚えておくべきだろうかと思ったがパーティー会場まで案内してくれるということで多少手間は省けた。しかし念の為地図だけ昼食時に持ってきて欲しいと頼み込んだ。
部屋に戻るとお嬢様はベッドに腰掛けて力を抜くように息を吐いた。
「お疲れ様でした」
「あの空気、流石に疲れたわね」
「朝食をまだ取られておりませんがいかがなさいますか?」
「昼食は言っていたけど朝ご飯はあの人言っていなかったわね」
「軽食程度ですが作ってきましたがいかがなさいますか」
「抜かりないわね」
テーブルの上におにぎりを二つ、漬物のタッパーを置いてお嬢様に箸を渡す。ちゃんと朝ごはんじゃないと言われたがこの程度で足りるかが心配だった。
僕は後々のことを考えおにぎりを一つだけ食べて食事を終わらせた。お昼までどうするかという話になり十一時に食事が持って来られることを考えて自分で時間を潰そうという話になった。
というわけで昼食の時間まで僕は年末のスケジュールの再確認をして本を読んで時間を潰していた。この間京君が用意してくれた推理小説を読んでいるのだが随分と面白い。読み終えると同時にインターホンがなり出てみると食事の用意がされていた。
部屋に招き入れ食事を受け取り昼食を食べ始めるとお嬢様が話しかけてきた。
「さっきの時間ずっと考えていたのだけど」
「?」
「あなた飛行機の中で寝たの?」
「寝てませんが?」
お嬢様がジト目でこちらを見てくる。それは仕方ないだろう。いくら知っている人の部下が操縦しているからといって主の命を簡単に預けられるわけではない。
「眠くないの?」
「名護家の執行者は最大で三日間寝ずに行動できるのです、はむ」
「そういうことを言ってるんじゃないわ、むぐっ」
「ご心配に及びません。お嬢様の安全は僕が保証します」
「………わかったわ。今はご飯を食べましょう」
諦めたのか食事を摂ることにしたお嬢様は黙って食べ続ける。食事を終えると食器をまとめて廊下に出しておくようにと指示書をもらっていたため廊下に出しておく。そこには地図も入っていたためありがたく頂戴する。扉を閉めた瞬間車輪の音が聞こえたため運ばれたのだと考える。食後はこの後の予定を軽く確認してカバンの中を確認する。必要物品は入っている問題無しと。
時刻は十二時。パーティーまで五時間あり準備の時間を考えても三時間半ある。またそれぞれで時間を潰すことになるだろうと考えた瞬間後ろの方からポフポフと柔らかい音が聞こえてくる。
「こっち来なさい」
「どうかしましたかお嬢様」
「寝るわよ」
二台あるベッドのうち片方の布団に入り半分を占拠しているお嬢様が布団を半分捲りスペースを開けていると言ってくる。行動の意図が読めなかった僕は質問する。
「何をしているのですか?」
「あなたを寝かせるために布団に呼んでいるのだけど」
「……睡眠の必要はありませんが?」
「あるわよ。あなたが倒れたらどうするの」
「先ほど説明しましたが僕は三日間寝なくても活動が」
「そんなこと知ってるわ。だからこそ寝なさいって言ってるの」
知っていることの意味がわからない。けど断ろうとすると命令だと言ってくるに違いないと思い空いている方のベッドに入る。少し寝たふりをしていれば安心するだろうかと考えた矢先、後ろの方からごそごそと音が聞こえてくる。
「何をしているのですか?(二回目)」
「あなたの布団に入っているの」
「何故ですか」
「あなたがちゃんと寝たかを確かめるためよ」
「そんなことしなくても寝ますよ」
「そう言って心配させないようにしているんでしょう?」
どうやらバレていたようだ。最初の頃からは考えられないほど感が良くなったと思う。致し方あるまい寝たふり作戦を諦めることにした。
「何をしているの?」
「アラームをセットします。寝過ごせませんので」
「その時は私も起こしてあげるわ」
「もしかしたら僕が起こすことになるかもしれませんよ」
「どうかしらね。ねぇ新一、こっちを向いて」
言われるがままお嬢様の方に体を向ける。別に向き合うのは嫌じゃない。普段は壁側を見て寝ているがそれが今は違うだけだ。お嬢様は少し眠たそうな顔をしながら話を続ける。
「私はね、心配よ。あなたがそうやっていつも無理をしているんじゃないかって」
「そんなことはありませんよ」
「だから、私が………」
何かを言いかけたところで眠ってしまった。どうやら本当に眠りたかったのはお嬢様のようだ。きっと寝ていないことを気遣っていながら自分も飛行機の中でちゃんと寝れていなかったことを隠していたのだろう。
仕方のないお嬢様だと考えながら頭を撫でていると僕の意識も沈んでいった。