今にも倒れそうだった彼を見て京君は動じずに立っているだけだった。ただ向けている目だけは今までのように憎悪を含んだものでもなく冷たい目だった。
「やっと見つけたぜ」
「何の用だ」
「お前らに言わなきゃいけないことがある。園崎の奴らが……」
何かを言いかけたところで皇は倒れた。回りの皆は慌てていたが京君は妙に冷静だった。まるで知っていたかのように意識確認をしている。
「どうするの京君」
「何がだ?」
「その人はいわば敵なわけだけど」
「それで?」
「…いや、君に任せるよ」
その後京君は快斗君に弦巻家の医療機関に運ぶように指示した。快斗君は当然納得いかない様子だったが渋々といった様子で受け入れてくれた。無理もない。その間まで敵だった人を治療しろと言う方がおかしいだろうし、それを受け入れるのも迷いがあるものだ。
とりあえず今日は解散にして明日病院集合になった。夜架ちゃんがりんりんと紗夜さんを、僕がお嬢様とリサを送る形になった。帰り道は特に会話することもなく家の前に着く。
「昨日も思いましたけど新鮮な感じがしますね」
「約二週間帰ってきていなければそうかもしれないわね」
「ねぇ新一」
「何?」
「本当に新一に戻ったんだよね?」
その顔はまるで怯えている中人を信じようとしている子供の顔と同じだった。人に裏切られる、そんなことは今までもあったのだろうがリサにとってはそれ以上のダメージを受けたのだろう。だからこそ今僕に怯えている。
「大丈夫、僕が完全に主導権を握ってる」
「深次が騙したりしてるわけじゃないよね?」
「彼はあんなでも僕だから。通すって決めたことは曲げないんだ。それに僕の一人称は僕しかあり得ないでしょ」
「そうだよね…そうだよね……!」
頭を撫でると飛びついてしっかりホールドされる。話そうとするが何もしても離れる様子はなかった。お嬢様を見ると目をつむって見ていないふりをしている。仕方ないのでしばらくこのままにしていると五分くらいして離れた。その際に顔を隠しながらまた明日と言って家の中に入っていった。僕達も戻ろうと湊家に入ると後ろから抱きしめられる。
「お嬢様?」
「全く、あなたはいつも無茶ばかりして。今度という今度は本当にヒヤヒヤしたわ」
「面目ありません……」
顔は見えないがいつも通りの口調で話しているからか安心しそうになる。それでも僕を逃すまいと抱きしめてくる手は少し力強かった。
「相談もせずに抱え込んで………」
「申し訳ございません」
「今は敬語なしにしなさい」
「………ごめんなさい」
「本当よ………」
結構心配させてしまったのでは無いかと申し訳なさを感じると余計に力が強くなった。心配してくれるのは嬉しいのだが少しばかり痛みを感じてくるようになる。その力も不安からくるものなのかは分からないが手加減をしているのか分からないくらいに強くなっていた。
「ところで新一」
「はい」
「誰の許しを得て他の女の頭を撫でているのかしら」
背筋が凍るくらいに寒くなる。おかしいさっきまでそんなに気温は低くなかったはず。それに厚着を着ているから寒くなるなんてことはない。必死に自分を誤魔化そうとすると背後から憎悪に似た気配を感じる。
「お話が必要かしら?」
「今後勝手な行動は着替えるように努めますので此度は見逃していただけると」
「駄目よ。今すぐリビングでお説教よ」
「やはりお説教なのですね!お話とか言っておいてお説教なのですね!?」
結局その後お嬢様からお説教を一時間ほど受けて解放される頃には日は沈みかけていた。罰というわけではないが今日はお嬢様の好きなものを作って食べてもらおうと買い物に出た。商店街に入るとこっちに向かって二人の少女が歩いてくる。
「シンさん!あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!」
「名護君あけましておめでとう。今年もよろしくお願いします」
「明けましておめでとうございます。今年もよろしお願いします。イヴちゃん、白鷺さん」
金色の髪の少女と白色の髪の少女が並んで挨拶をしてくる。今年初めて会ったわけだから新年の挨拶をしてくるのは当たり前だ。なのでこちらも同じように返す。
「今年もブシドーを励んでいきます!」
「それは凄い。アイドルと勉強と部活とって大変かも知れないけど頑張ってね」
「はい!」
「名護さんは何故ここに?」
「今からお買い物をしようと」
「今日の夕飯かしら?」
「ええまあ………」
具材としては家にあるものでどうにかなるはずだった。お嬢様の好きなものを作るために出てきたのもあるが念のため冷蔵庫の中身を確認してみると調味料以外何も入っていないレベルだった。僕が入院している間何を食べていたのかを聞くと弦巻家から宅配サービスがあったとか。リサとの関係も考えてくれていたのだろう。そのお礼もしなければならないと考えつつ今日の夕飯と一緒にお嬢様でも作れる料理の具材も買いに来ていた。
「そういえば快斗が一週間くらい来ていないのだけど何かあったのか知ってるかしら?」
「少し弦巻さんの家で忙しかったみたいですよ」
嘘はついていない。原因は僕だけど。
「そうなの。少し残念だわ」
「何かあったんですか?」
「いいえ、大丈夫よ。心配ありがとう」
白鷺さんも快斗君のことを心配していたのだろう。やっぱりいい人だな。
「おもちゃがいないと面白くないわね」
………聞かなかったことにしよう。
──この女割と面白そうじゃねぇか。
変なこと考えてないよね深次?
──いや別に。表に出られない分おもしろ計画考えるのは自由だろ。快斗って犠牲者が出るのは免れないだろうけど
その作戦実行はNGね。内容だけ後で教えてよ。
──はいはーい。
「イヴちゃん達は何をしていたの?」
「今日はお仕事もお休みなので少しお茶を飲んでいました」
「そっか、じゃあ今は帰りかな」
「そうです!」
「それじゃあもっと暗くなる前に早く帰るべきかな」
「それもそうね。時間をいただいてしまったわね」
「いえいえ、この程度問題ないので」
手を振って別れると数秒後、後ろから悲鳴が聞こえてきた。錠前は鳴っていない。後ろを振り向くと同時に横を風が通り過ぎていく。イヴちゃんがこっちに走りながら大きな声をあげる。
「ドロボーです!」
成程、だから今風が過ぎていったのか。後ろ姿はいまだに見えている。思ったより追いつけそうな距離にいる。黒い帽子に黒いジャンパー、犯人あるあるみたいな格好をしている。手には学生のカバンがありイヴちゃんの手にはそれがない。状況に納得が行った。
──追いかけるのか?
まぁ病み上がりの復帰チャレンジにはちょうどいいんじゃないかな。
──じゃあやってみようぜ。多分余裕で捕まえられるぜ。
「ちょっと荷物みててもらってもいい?」
「何をするつもりなの?」
「少し追いかけっこをしようかと」
「シンさん?」
軽く二、三回ジャンプして走り出す。全速力を出さなくても追いかけられる速さだったためかすぐに背中につくことが出来た。そのまま横に出て回し蹴りをすると腹にダイレクトに当たる。手からカバンがこぼれ落ちそれをキャッチすると犯人は背中から倒れてお腹を抱え込む。
「な、何やってるんですかあなた!?」
「犯人の確保と奪われたものの回収……です」
「それは見ればわかりますけど、でもこの人大丈夫なんですか!?」
「一応手加減はしてますしそのうち起き上がるとは思います。あ、イヴちゃんこれ」
強奪したカバンを差し出すとすぐに手に取ってぎゅっと抱きしめた。そしてそのカバンを落として抱きついてくる。今日はよく締められる日だな。
「ありがとうございます!やっぱりシンさんはすごいです!」
「そんなことないよ。それに今のだって運がよかっただけで」
「名護君後ろ!」
解放されていた左手を後ろに伸ばすと拳が当たる。そのまま犯人は倒れると今度は目を回して動かなくなった。多分気絶しているだけだろうと判断するとすぐに警察が駆けつけてくれた。そのまま運んでいくと周りにいた人も去っていく。
「名護君って本当に凄いわね」
「シンさんはブシドーの師匠ですから!」
「やっぱり今度ちゃんとしたの教えたほうがいいかな………」
とりあえず今日は解散になり後日お茶しようという話になった。そのまま食材の買い物を済ませて湊家に帰宅する。慣れが戻ってくるのに後少しかかるかもしれない。家に入り冷蔵庫の中に食材をしまっていくとお嬢様がキッチンに入ってくる。ちょうど全ての食材をしまうと冷蔵庫の扉をバタンと閉められる。感謝を告げようとすると睨まれる。というより目にハイライトが入っていないように見える。
「どうして買い物に行くのに別の女の匂いがするのかしら?」
「僕が不在の間どうしてキャラが変わっているのでしょうか?」
「私の質問に答えなさい。どうしてそこまで他の女の匂いが強いのかしら」
致し方なく事情を説明すると不承不承ながらといった感じか許しをくれた。ただしこれから数日は買い物に行く際に同行するという契約を持ちかけられたが。一体どうしてこんなふうになってしまったのやら。お嬢様がお風呂に入っている間に夜ご飯を作りながら紗夜さんに電話をしてみた。きっとあの人なら正しく分析出来るはずだと。
「ということがあったんですよ」
『確かにここ一週間近く練習は集中しきれていませんでしたね』
「食生活は守られてたんですよね?」
『弦巻さんのお家にお世話になっていたみたいですから。しかし名護さんがいなかった分何か生活に影響をもたらしていたのかもしれません』
「例えばなんですか?」
『そうですね……いつもいる人が急にいなくなる感覚に近いでしょう』
確かにそれなら納得できると思った。それでもあそこまで束縛的になるのだろうか。
『湊さんは日常会話でまだ感情表現が苦手なんだと思います』
「確かにと言いたいところですがあそこまでやられると流石に驚きを隠せません」
『何があったんですか』
「ハイライトが消えていました」
『大体わかりました』
本当にこの言葉便利だな。理解したことを証明出来るし会話のテンポがいい。それが故に適当に流すことも可能なのだが。
『おそらくですが数日あれば治ると思いますよ』
「まるで治療のようですね」
『大して変わらないと思いますが』
「そういうことにしておきましょうか。どうすれば早く治りますかね」
『なんとなくで申し訳ないのですが危険を感じたので電話を切らせていただきます』
プツッと電話が切れてスマホの画面を確認すると通話終了の文字が出ていた。直後扉をノックする音が聞こえた。扉を開けるとお嬢様が腕を組んで佇んでいた。不機嫌な顔というわけでもなく不気味な笑顔をしているわけではない。
「いかがなさいました?」
「他の女の気配がして」
「ご冗談を」
部屋の壁なおかつ電話越しの気配すら捉えられるのかこの人。本当に一体何があったのか疑問でならない。
「さて、夜ご飯にでもいたしましょうか」
「その前に少しいいかしら」
「構いませんが」
「敬語やめなさい」
「……構わないけど」
やはりこの人に敬語を外すと変な感覚になる。それでも命令ならと敬語意識を外すと胸の中に飛びついてきた。しっかりホールドして来るわけでもなく離れようとすることもない。ただ胸の中に飛び込んでくるだけだった。どうするべきかと考えるとお嬢様が話し始める。
「一週間会えなかった」
「は………?」
「あなたの料理でないと満足できなかった」
「あ、ありがとうございます………?」
ポカポカと弱い力で叩いてくる。こういう時どうすればいいかわからない。あの頃は小さい子供相手なら頭を撫でれば大抵はどうにかなっていた。夜架ちゃんなら自分で頭を差し出して来るくらいだった。この人にも同じようにするべきなのだろうか。ふと考えるのをやめて優しく包み込むように体を抱き寄せて頭を撫でようとすると手が動かなくなる。
この手で触れていいのだろうか。
ふとそんな疑問がやってくる。いろんな考えが頭の中をよぎった。それでもこの人が今求めているのはそういうことだ。だから今僕は戸惑っているべきではないと彼女を抱きしめて頭を撫でる。
「……これで…どう………?」
「今回は許すわ。だからもう少しこのままでいて」
どうやら及第点は貰えたらしい。それでも僕の手は汚れていることに変わらない。そんな手でも受け入れようとしてくれているのだ。でもきっと、本当はこんな手を望んでいないのかもしれない。そんなことはないと言われようとも僕は唯一信じられないところだ。それでも今だけはこの人の願いに応えたい。──僕は今、どんな顔をしているのだろうか。