シェムハとの戦いを終え、平穏を手にした立花響と小日向未来、そして装者達。
 しかしその彼女達に、あまりに残酷な試練が襲いかかる。
 自ら守るべき人々にその拳を向ける、そんな非情な試練が――


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祝福が呪いに変わるとき

 冷たい北風が吹きながらも、人々が往来する道は活気にあふれている年明け。

 立花響と小日向未来、二人の少女は仲睦まじく商店街の通りを歩いていた。

 

「いやー、やっぱり年明けは込むねぇ未来、これでちゃんと買い出しできるかなぁ?」

「大丈夫だよ。人が多いからちょっと時間はかかるかもしれないけど、こういうときってお店の方でもちゃんといっぱい在庫用意してあるんだから」

「そういうものかー。でも、こんな季節にも頑張らないといけないなんて、お店の人は大変だなぁ」

「そうだね。まあ、私達もお世話になるしそこは素直に感謝しようね」

「うん、そだね」

 

 二人はそんな当たり障りのない会話で笑い合いながら歩いていく。

 その歩幅はぴったりと一緒だが、別に彼女らは示し合わせてそうしているわけではない。響と未来は無二の親友であるがゆえに、相談しなくともいつしかそうなっているのだ。

 

「あっ。あのCD屋さんリニューアル開店したんだ。結構前から準備してたけど見違えるように綺麗になってる」

 

 響がその店から流れてくる音楽を耳にして目を向けて言った。

 そこにはいかにも新築したのが分かる真新しい店舗があり、店先の範囲で響く程度の音量で曲が流れている。

 

「本当だ。あのお店結構古かったもんね。でも、音楽の趣味は変わってないみたい」

 

 未来はそう言ってクスリと笑う。

 

「そうだねー、これ結構古い洋楽だよね? えっと……Only Youでいいんだっけ? 曲名?」

「いいんだっけも何も、そう歌詞で歌ってるでしょ? そうだよ響。プラターズっていうコーラスグループの名曲だよ」

「へへへごめんごめん、私どうにも洋楽はまだ詳しくなくてさぁ」

 

 響は少し眉を垂らしながら頭をかいて笑う。

 

「響ってツヴァイウィング一筋みたいなところもあったもんね。でもまあ、しょうがないところもあるよ。だってこれもう百年近く前の曲だもん」

「そんなに……でも、それでも今でも歌が残り続けるって素敵だね。人の思いや歌は残り続けるんだって」

「うん……そうだね。とても素敵なことだと思うよ私も。だから私もこの曲好きなんだ……私と響も、そうやってずっと一緒にいられたらいいね」

「未来……」

 

 二人は静かに笑い合う。それ以上の言葉を交わす必要もなく、二人の意思は通じ合っていた。

 そんなときだった。二人が腕につけているデバイスからけたたましいアラームが鳴ったのは。

 

「っ! 響、これって!」

「……うん! 行こう、未来!」

 

 二人は顔つきを変えて駆け出す。

 立花響と小日向未来、二人にはただの少女以外の別の顔があった。

 それは国際機関、S.O.N.G.に属するシンフォギア奏者。

 世界の平和のために戦う少女達である。

 

 

「みんなっ! 状況は!?」

 

 響と未来はそれぞれ自分のシンフォギアであるガングニールと神獣鏡を纏い、現場に到着する。

 その場にいたのは、天羽々斬を纏う風鳴翼、そしてイチイバルを纏う雪音クリスだ。

 

「よく来た立花! 小日向! 現状、ノイズの反応があったのだが未だその影が見えん。だが油断するな。どこにノイズが潜んでいるかはわからん」

「ちなみにマリア達はいつもどおり何かあったときのために待機してるぜ。ま、久々のノイズ反応だ。どういうやつがどういう目論見で仕掛けてきたか分からねぇし、用心に越したことはねぇからな」

 

 翼とクリスがそれぞれ状況を説明する。

 二人とも状況を説明しながらも、それぞれ武器である剣と銃を構え周囲に注意を払っている。

 

「なるほど……でも、本当に久々ですね。まさか、まだアルカノイズを使ってくるようなテロリストがこの国に潜んでいるなんて」

「ああ。しかし、パヴァリアの残党狩りもまだ完全に済んだわけでもなく流出したアルカノイズの技術も回収できていない。予想できる事態ではある」

 

 響の言葉に翼が答える。響も当然、臨戦態勢を取っている。

 

「しかし、出撃する前にエルフナインの奴の様子がちょっとおかしかったな。なんだかいつもとは違うとかそんなことを言ってたような……」

「いつもと、違う?」

「ああ。どうも波形がどうこう言っていたがそこら辺の話は私達にもよく分からねぇし、エルフナインも機械の調子の問題って流してたが……っと、おしゃべりはこれぐらいにしないといけないようだぜ」

 

 言葉を交わしていた未来とクリスだが、気配が変わったのを感じ取ってその場にいる全員が臨戦態勢を取った。

 四人を囲むように多くの認定特異災害――通称ノイズが現れたのだ。

 

「数はそれほど多くないようだな。だが、久々のノイズだ。油断するなよ」

「分かってますよ翼さん! それじゃあ、文字通り一番槍行ってきます!」

 

 響は勢いよくノイズに向かって駆け出していく。そして、彼女のシンフォギアであるガングニールの拳で、ノイズを勢いよく殴る。

 

「はぁっ!」

 

 その場にいるノイズを次々と殴り飛ばす響。

 それにより、ノイズは高らかと吹き飛び倒れていく。

 

「よし、問題ない!」

 

 響は調子を確かめるかのように拳を突き合わせ言う。

 

「よし、私達もバカに続くぞ!」

 

 その先駆けの姿を確認した三人は、響に続こうとする。

 だが、そのときだった。

 

「……待て! なんだか様子がおかしい!」

 

 翼が違和感を覚え静止する。当然響も何かおかしいと思い立ち止まる。四人の視線の先には、響が殴り飛ばしたノイズの姿があった。

 倒れたノイズは今までのように消滅するのではなく、白煙を突然吹いたかと思うと、その場にあるものを残した。

 それは、人間の遺体だった。

 

「……な!? あれは、一体……!?」

 

 翼が驚愕した声で言う。他の三人にも動揺が走る。

 しかも一体だけではない。響が倒したノイズはそれを含め合計四体いたのだが、そのどれもが煙を上げ人間の遺体を残したのだ。

 遺体はそれぞれサラリーマンのような男、派手な服装の女性、厚着をした老人、そして野球のユニフォームを着た少年と共通項が見当たらなかった。

 だが一つだけどの遺体にも現れているものがあった。それは、殴打されたあとがあるということだ。

 響がガングニールの拳でノイズを殴った位置と、同じ場所に。

 

「これは……一体……どういう……?」

 

 響は目を見開き、わなわなと手を震わせながら言う。

 そのとき、奏者達のデバイスに一斉に通信が入った。

 

『全員! その場から緊急離脱しろっ!』

 

 それは司令官である風鳴弦十郎の声だった。声からはとても強い焦りが伝わってくる。

 

「司令!? それは一体どういうことですか! ノイズはまだ! それにあれは一体……!?」

『いいから今は引け! この場は我々がなんとかする! 説明も帰ってきたらしてやる! とにかく今は引くんだ!』

「くっ……了解!」

「ほらっ、行くよ響!」

「あっ……うん!」

 

 呆然とする響の腕を未来が掴んでその場を離脱する。

 そうして奏者達は困惑のままS.O.N.G.司令部へと帰還するのであった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……え? 師匠……今、なんて……?」

 

 四人の奏者が本部に帰還した後、奏者全員が集められた司令部で、響は聞かされたことが信じられずに聞き返す。

 他の奏者も信じられないといった表情で言葉を失っていた。

 その中で、再び弦十郎が口を開く。

 

「……分かった、もう一度言おう。あれは新種のノイズであり、人間と融合していることが判明した。つまり、あの場にいたノイズはすべて……」

「元、人間……」

 

 震える声で奏者の一人であるマリア・カデンツァヴナ・イヴが答える。

 弦十郎は、ゆっくりと首を縦に振った。

 

「そんな……そんなバカなことがあるって言うんデスか!? そんなノイズ聞いたことないデス!」

 

 声を荒げたのはイガリマの奏者である暁切歌だ。そんな切歌の手を、シュルシャガナの奏者である月読調がぎゅっと握る。

「切ちゃん……ちょっと落ち着いて。まずはちゃんと説明聞こう? ね?」

 

「調……分かったデス……」

「すまない……ここは、エルフナイン君から詳しい説明を頼もう。正直、俺もまだ困惑しているんだ。頼めるか、エルフナイン君」

「はい」

 

 そうしてS.O.N.G.において技術担当をしているエルフナインが出てくる。

 彼女は重々しい表情で、ゆっくりと説明を始めた。

 

「最初は計器の誤差かと思いました。しかし、よく調べると今回のノイズの波長は今までのどのノイズとも違うことが分かったんです。それは、人間の出す波長と、ノイズの出す波長を響き合わせたものでした……。ノイズが倒され、融合が解除されたときの最後の波長がそれぞれ一瞬戻ったことも、これを裏付けています。……恐らく、あのノイズはなんらかの聖遺物の影響によって人間とノイズを融合させたものだと思われます。少なくとも、聖遺物以外にノイズと人間を融合させる技術は、錬金術においても用いられた記録はありません。少なくとも、僕の知る範疇では、ですが……」

 

 エルフナインの説明により、その場にいた全員が言葉を失い立ち尽くす。

 そんな中、響がガクリと膝を落とし、わなわなと震える自らの手を見つめながら、口を開いた。

 

「それじゃあ……私は、人を殺してしまったの……? 人と手を繋ぐはずだったこの手で、人の……命を……!?」

「響っ!」

 

 そんな響の手を、未来が急いで握った。

 

「そんなことない! 響は知らなかっただけ! 響は何も悪くないの!」

「でも……未来も見たでしょ……? あそこに倒れていた人達を……私の拳で死んだ人達を……! 子供や老人までいた……少なくとも私は、四人の人間の命を奪ったんだ……この手で……私が……私が……!」

 

 響の顔は絶望に染まっていた。その顔は、その場にいる誰もが見たこともない、深い絶望の色を表していた。

 

「響……少し休もう。大丈夫、私がそばにいるから……!」

 

 未来は響をゆっくりと立たせ、司令部から静かに出て医務室へと向かっていった。

 その後姿を、誰も止めることはなかった。

 

「……それでおっさん。何か分かっていることとかあるのか。あと、これからどうするとかよ」

 

 二人がいなくなった後、クリスは弦十郎に聞いた。

 弦十郎は「うむ」と静かに頷き、口を開く。

 

「……今の所、S.O.N.G.の総力をかけて今回の事態について捜査している。各国政府にも緊急事態として協力は取り付けた。聖遺物に関する伝承から、研究資料。危険視されているテログループに、パヴァリア光明結社が使用していたアジト……とにかく調べられるものはなんでも調べるつもりだ。そして、今回のノイズ――他のノイズと区別するために現状ヒューマノイズと呼称することにしたあれの対処法も研究しているところだ。だが、具体策は今の所上がっていない。今の所、ヒューマノイズを傷つけずに我々にできることと言えば避難指示程度だ」

「そう、か……」

 

 クリスは弦十郎の説明に、それ以上何も言わなかった。言うことができなかった。

 他の装者達も重く口を閉ざし、その後はわずかに方針の確認をしただけに終わった。

 その場にいた皆にできたことは、これ以上ヒューマノイズが現れないことを願うことだけだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 しかし、平和を願う装者達の想いは、いとも簡単に踏みにじられた。

 初めてヒューマノイズを確認してからというもの、日本各地でヒューマノイズが出没し始めたのだ。

 出現場所や時間に関連性はなく、装者達は常に待機し日本中を駆け回ることとなった。

 と言っても、人間と融合しているために装者達が手を出すことはできず、あくまで緊急事態のための保険として派遣されていたのだが。

 とは言え、それは確実に彼女達の心をすり減らしていった。

 元は人であった化け物が、人を襲おうとしているところを見せられるのである。それも当然であろう。

 現状では、政府と協力したS.O.N.G.の尽力により人的被害は出ていないものの、出没したヒューマノイズがなんの兆候もなく姿を消すまで監視するという後手の対応は奏者だけでなくS.O.N.G.職員や警察、自衛隊など対応する関係各所の人々も疲弊させていった。

 ヒューマノイズが人間とノイズの融合体であることは、当初は関係各所の人間しか知らない機密事項であった。

 だが風鳴訃堂という国を影から支配していた強力な情報統制を行えるフィクサーを失った日本では、情報が市井へと流れていくのを防ぐことはできなかった。

 ヒューマノイズの事実は少しずつ広まり、人々を不安と恐慌で包んでいった。

 あくまで政府とS.O.N.G.は公的には否定し続けるため国家が混乱に陥るギリギリのラインで踏み留まることはできていたが、人の心に巣食う病は着実に大きくなっていった。

 不安、恐怖、そして理不尽に対する怒り。

 ヒューマノイズの発生から一ヶ月。そんな様々な負の感情が国内で、さらには世界へと広まりつつあった。

 せめて自らにできることを――装者達はそう思い今日も現場へと赴く。

 だが、二人だけ現地へと赴けないものがいた。

 響と未来である。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

 響はS.O.N.G.から与えられた個室のベッドの上で、眠りながらも苦しんでいる。

 そんな響の手を未来はぎゅっと握っていた。

 

「響……今日もこんなに苦しんで……」

 

 未来はとても心配した視線を響に向ける。

 響は自らの手で罪なき命を奪ったことへのトラウマから、シンフォギアを装着することができなくなっていた。

 現場へ赴こうとしても、足が震え、呼吸ができなくなり、その場に崩れ落ちる。

 そのせいで、彼女は一ヶ月の間ずっと個室から出ることができなくなっていた。

 未来はその響の側にずっと連れ添っていた。

 響を支えてあげなくてはいけない。未来の心はそんな気持ちでいっぱいだった。

 

「ん……未来……」

 

 響が目を覚まし、最初に目にした未来の顔を見て名前をつぶやく。

 

「響……大丈夫……? 今日もかなりうなされてたよ……?」

「……やっぱり、うなされてたか、私。そうだろうね、私、さっきも見てたんだ。夢を。私が殺めてしまった人達に苛まれる、そんな夢を」

「……響」

「私、失う辛さは知っていた。でも、奪う苦しみは知らなかった。人の命を奪うってことが、こんなに心が痛くなって、どうしようもなくなる事なのを、私は。サンジェルマンさんやキャロルちゃんは、この苦しみを乗り越えて自分の理想へと到達しようとしていたんだね。それなのに、私は知ったような口で……」

「そんなことない! 響の言ってきたことは正しかった! それを否定しないで!」

「……ごめん。でも未来、今の私は、私に自信を持てないんだ……少なくとも、へいきへっちゃらなんて、言えないや……」

 

 響はとても憔悴した苦笑を浮かべて言った。

 そんな姿を見て未来は思わず目を逸らしたくなる。だが、未来は響を見つめ続けた。

 今自分が響から目を逸らしたらもう誰も響を救うことはできない。

 未来はそう思ったからだ。

 ――Woooooooooo……!

 そんなとき、赤いランプの点灯とともに警報が鳴り響く。

 ヒューマノイズ出現の報せだ。

 

「……っ!」

 

 響はブルリと体を震わせて、両手で自分の体を抱く。

 そんな響の体を、未来はさらに抱き寄せた。

 

「大丈夫だよ響、私が一緒にいるから……!」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「くっ、まさか町中に出没するとはっ!」

 

 翼は避難する人々のためにヒューマノイズの攻撃を防ぎながら言った。

 ヒューマノイズが現れたのは人口密集地のど真ん中だった。

 そのため、避難が遅れ、主に避難誘導をしようとしていた警察官などを中心にわずかながらだが人的被害が出てしまっていた。

 

「今までだいたいは森や廃墟の郊外だったのに、どうして急に……!」

 

 クリスも、大きなガトリングガンをあくまで盾と牽制だけに用いながら言う。

 二人は警察や自衛隊と協力しながらなんとかヒューマノイズの攻撃から人々を守っていた。

 だが、数が多すぎるためにその防戦もだんだんと限界が来ていた。

 

「可能性で言えばありえたことっ! しかし、ずっと人の生活圏内から離れていたため、どこかで我々は油断してしまっていたのだ!」

「チッ、油断は最大の敵ってことかよ、チクショウ!」

 

 武器をあくまで守りのためだけに使う二人。

 そうした努力もあって、少しずつではあるが民間人の避難は進みつつあった。

 その状況を見て、少しだけ安心する二人。

 だが、それが先程クリスが口にした「油断」という敵を招いてしまった。

 

「いやああああああああっ! 助けてええええええええええええっ!」

 

 翼とクリスは金切り声を耳にする。

 そこには、逃げ遅れたのか路地に少女が追い詰められている光景があった。

 

「っ!? まずい!」

 

 クリスが叫び、翼と二人でそこへ向かって走る。

 だが、多くのヒューマノイズが邪魔し、うまく進むことができない。

 

「嫌ッ! 嫌あああああああああああっ!」

「くっ! このままでは、このままではっ……!」

 

 このままでは彼女を助けることは、まず不可能だった。

 

「――ッ!?」

 

 その瞬間、翼は思い出した。

 昨年末の出来事を。彼女のライブ会場に集まったファンのべ十万人の命が、ミラアルクというたった一人が差し向けたアルカノイズによって犠牲になったことを。

 彼女の目の前で助けを求めるいたいけな少女の心臓が貫かれたことを。

 

「っ!? あっ……ああああああああああああああっ!」

 

【蒼ノ一閃】

 

 喉を潰しそうな声で叫けびながら翼は、巨大な斬撃を放ち、目の前のヒューマノイズを一掃した。

 

「……せ、先輩……?」

 

 クリスは言葉を失う。

 肩で息をする翼の目の前に、白煙と共に現れる胴体が二つに別れた死体の山。

 国と人を守る防人を名乗る翼が、歌で平和を祈る彼女が、命のために命を奪った姿が、そこにはあった。

 

「……っ!」

 

 翼は何も言わず少女のもとへと向かう。

 だが、クリスはその背中から、かすかに聞こえた絞り殺すような声からすべてを悟った。

 今、彼女が泣いているのを。

 だから、クリスは――

 

「クソっ……クソッおおおっ! うおおおおおおおおあああああああああっ!!!!」

 

【BILLON MAIDEN】

 

 ――引き金を、引いた。

 

「っ!? ……雪音……」

 

 自らが切り伏せようとしていたヒューマノイズが鉛玉によって蹴散らされたのを見て、翼は振り返る。

 そこには、顔を伏せ、唇を噛むクリスがいた。

 

「……一緒に背負ってやるよ、先輩。罪も何もかんも。だから……一緒に行くぞ!」

「……ああ、ありがとう。雪音。共に、地獄へと落ちよう」

 

 そうして二人は風の如く突き進む。

 邪魔するヒューマノイズを蹴散らし、死体の山を築き。

 たった一人の少女を助けた。

 

「大丈夫か……」

「……は、はい……」

 

 腰が抜けていた少女は翼が差し伸べた手を握る。

 その手はとても暖かかった。冷たい表情と裏腹に。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……そうか。分かった。生存者を引き渡したら、後はそのまままっすぐ帰ってこい。……よく、頑張ったな」

 

 弦十郎は翼達からの報告を受けると、ただそれだけを言って無線を切る。

 そしてその直後――

 

「があッ!!!!」

 

 その強靭な豪腕で、側の壁に穴を開けた。

 

「司令……」

 

 S.O.N.G.のオペレーターの友里あおいと藤尭朔也は心配そうな表情で振り返る。

 弦十郎は耳にその音が聞こえてくるほどに歯を食いしばっていた。

 

「何が大人だっ! 何が司令だっ! あいつに……翼にあんな声を出させるなどっ! あの二人に罪を背負わせるなどっ! こんな場所に籠もって何もできずに彼女らの心を殺す俺は、ただの無力な木偶の坊だッ……!!!!」

「……司令、気持ちは痛いほど分かります。私達だって、気持ちは一緒です。でも、落ち着いてください。私達が感情的になって冷静な判断力を失ったら、更に嘆く人々を増やしていしまいます……だからっ……!」

 

 あおいは落ち着いた声で言う。だが、彼女の手は強く握りしめられていた。それこそ、血が垂れるほどに。

 

「……すまない。そうだな、俺達大人がしてやれることと言えば、彼女らのサポートを最大限行うことだ。どんなときにも全力を尽くす。それがS.O.N.G.だ……!」

「皆さんっ! ついに分かりましたっ!」

 

 そんなときだった。司令部にエルフナインと、翼の歌手活動のマネージャー兼S.O.N.G.のエージェントでもある緒川慎次が慌てた様子で入ってきた。

 

「二人とも、何か分かったのか!?」

「はいっ! 緒川さん達の尽力でついに分かりました……今回の事変の原因が!」

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「グノーシスのイコン……それが今回の事変を起こした聖遺物の名か……」

「はい。パヴァリア光明結社にあった禁書と先史文明に関する資料、そして風鳴機関の消失からなんとか難を逃れていた深淵の竜宮に保管されていた聖遺物についての一部資料からなんとかその詳細を知ることができました。これも全部緒川さん達のおかげです」

 

 弦十郎にエルフナインが答える。

 その場には響と未来を含めた装者全員が集められていた。

 なお、翼とクリスが手を下したことはまだそのとき司令部にいた人間しか知らない。

 

「グノーシスのイコン……どうやらこの聖遺物は初期にノイズが殺戮兵器として生み出さたときに派生した聖遺物のようです。これには僕たちが経験しているように人をノイズに変える力があるようですが、制御がうまくできずにずっと封印されていたようです。それは巡り巡って風鳴機関に押収されて、深淵の竜宮に保管されていた。でも……」

「それが深淵の竜宮の崩壊と共に世に出た……」

 

 マリアの言葉に、エルフナインは苦々しく頷く。

 

「どうやらそのようです。今になっての起動の原因は分かりませんが、非常に不安定だった聖遺物のようでむしろ今まで起動していなかったのが不思議なぐらいなようです。それの所在を僕達はついに突き止めることができました」

「どこなんデスか!? その場所と言うのは!」

「はい……どうやら、今は島根県松江市出雲町に存在するようです」

「出雲……黄泉比良坂があったとされる場所とは、皮肉な……」

 

 翼が苦々しく言う。

 声にはやはり覇気が感じられなかった。

 

「これよりこの本部を島根県近海まで移動させ該当地区へと向かってもらいます。対象の場所は一応特定済ですが、どんな危険があるか分からないため人は立ち入らせていません。そこで装者に皆さんに該当地区に行ってもらって、計器で聖遺物が発している波動を計測してもらいたいと思います。それにより、ヒューマノイズへの対策も見つかるかもしれません」

「直接持って来て調べたらだめなの?」

 

 調が聞く。エルフナインはふるふると首を振る。

 

「先程も言ったようにグノーシスのイコンはかなり不安定な聖遺物のようです。本当は計測すらせずに破壊するのが一番いいぐらいなんです。何せ、起動してから日本全体にランダムに影響を及ぼしているレベルですからね……」

「ヒューマノイズの現れる場所も時間も統一性がなかったのは、そういうことだったのか……」

 

 翼と同じく声に覇気のないクリスが言う。

 その様子に、弦十郎は静かに握りこぶしを握りしめた。

 

「今回の計測も装者ならばシンフォギアの力で接近も可能とのことで立てた作戦です。ですが、危ないと思ったらすぐさま聖遺物の破壊に移行してください。お願いします」

「わかった……この任務、必ず完遂しよう」

 

 翼の言葉に、全員が頷く。ただ、響だけは暗くうつむいていた。

 

「それと未来さん。今回の任務にはぜひともあなたの力が必要なんです」

「えっ、私の?」

 

 響の側にいた未来は突然自分の名を呼ばれ驚く。

 

「原罪すら洗い流す聖遺物殺しの力……もしものときに、その神獣鏡の力が必要になるかもしれないんです」

「…………」

 

 未来はしばらく逡巡する。だが、心配そうに未来を見る響を見て、一度静かに目を瞑ってからエルフナインの方を向いて、言った。

 

「分かりました。私、できるだけのことをしたいと思います」

「ありがとうございます、未来さん……」

「……未来」

 

 決意を表明した未来を不安げに見る響。その響に、未来は優しく笑いかけた。

 

「大丈夫だよ響。私が全部終わらせてくるから。そうしたら、また一緒にふらわーのおばちゃんのところにお好み焼き食べに行こう」

「……うん」

 

 響は未来の手をそっと握って静かに頷いた。

 そうして、S.O.N.G.本部である潜水艦は最大船速で該当の場所へと向かっていった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「……観測はこんなものでいいのかしら?」

 

 それから数時間も絶たないうちに聖遺物の場所へと向かった装者達は、聖遺物グノーシスのイコンが存在する場所――山奥の深部へと着き、渡された機材をシンフォギアを装着した後でにらめっこした後に、本部のエルフナインからの指示を耳にし、代表してマリアが答えた。

 

『はい。十分データは計測できました。今はこのデータを元に人間とノイズを分離する方法を各界隈から集めた技術者達と一緒に議論を始めたところです』

「なるほど……それにしても、こんなところに聖遺物があるなんて。それは時間かかるわけね……」

『ええ。緒川さんが推察するにグノーシスのイコンは人の手などを色々渡ったようですが、最終的にそこに運んだのは冬眠しようとして準備を進めた動物か何かだと考えられるようです』

「陰謀や何かが関わっているわけではない、と?」

『はい。グノーシスのイコンはその秘匿性から効果を知るものはいなかったようですし、いたとしてもあまりに杜撰すぎます。その線は極めて薄いかと』

「なるほど……完全に偶発的なものだと。そんなことでこの国がメチャクチャにされたと思うと、怒りをぶつける場所がないわね……」

 

 マリアはグノーシスのイコン――抽象的で理解ができない存在か何かが描かれた石碑――を見ながら苦々しい顔になる。しかし、これですべてが終わる。

 その事実にその場にいた響を抜く六人の装者達は安堵を始めていた。

 

「ところでデータは取ったけどこの聖遺物はどうするんデス? さすがにこのままではいろいろとヤバいデスよね?」

『そうですね……取れるデータは取りましたから、やはりここは破壊してしまうのが一番だと思います。これ以上被害を拡散させないためにも……お願いできますか?』

 

 切歌の質問にエルフナインは少し考えた後にそう答える。

 その言葉に、未来は頷く。

 

「はい、了解です。……じゃあ、みんな離れて」

 

 未来は神獣鏡のアームドギアを展開する。そして神獣鏡の光でグノーシスのイコンを焼き払おうとした、そのときだった。

 

「っ!? 気をつけろ、何か来るッ!」

 

 グノーシスのイコンが毒々しい色で眩く光始めたのだ。

 奏者達はみな臨戦態勢になる。

 

「小日向ッ! 早く神獣鏡をッ!」

「は、ハイッ!」

 

【閃光】

 

 未来はグノーシスのイコンに対し攻撃を放つ。だが、それは防がれてしまった。

 突如空間が歪められ、神獣鏡からのレーザーが逸れたのだ。

 

「なんだとっ!?」

 

 動揺するクリス。

 そしてそれだけではない。歪んだ空間から次々と現れてきたのだ。ヒューマノイズが。

 

「こ、こいつら! 一体どこから!? おいっ! エルフナイン! これはどういうことなんだっ!」

『そんな……まさか単体の聖遺物に自己防衛機能が!? だとすると、それは恐らく今まで消えていたヒューマノイズ……!? 今までどこへと去っていたかは不明だったけど、もしかしてこういうときのために擬似的なバビロニアの宝物庫を……!?』

「そんな……とにかく、一旦引かないと!」

 

 調の提案を飲んだ装者達は、グノーシスのイコンから離れる。

 しかし、おかまいなしと次々とヒューマノイズが現れる。

 

「くっ、どうする……! この山、そうとう深いところにあるが数キロもいけば街があるぞ! こいつらをそこまで行かせるわけには……!」

 

 クリスはそう言うと翼と目を合わせる。そして二人は互いに頷き合って、武器を強く握った。

 そんな二人を見ていた者がいた。マリアである。

 

「……切歌! 調! 二人は街に行って先に避難誘導してきて! ここは私達がなんとかするから!」

「えっ!? あっ、はい! 分かったデス! 行くですよ調!」

「う、うんっ!」

 

 二人は一瞬動揺しながらもマリアの言葉に従い街へ向かう。

 そしてその場には四人の奏者だけになった。

 

「マリアさん、どうしてあの二人だけを……?」

「……小日向未来、ここで見たことは、あの子達に内緒にしてね」

「えっ?」

 

 未来が疑問を口にする。

 その瞬間だった。

 マリアが自らのアームドギアを抜いたのは。

 

「はあっ!!!!」

 

【INFNITE†CRIME】

 

 マリアはヒューマノイズに向かって短剣を飛ばす。

 それによって、グノーシスのイコンを守るように群がっていたヒューマノイズ達が倒れていく。

 人の姿を現しながら。

 

「マ、マリアさん……!?」

「お前っ!?」

「マリア、どうして!?」

「……十字架をあなた達だけに背負わせたくない、そう思っただけよ」

 

 マリアは覚悟を決めた暗い瞳で、ヒューマノイズを見ながら言う。

 

「……っ!? もしかして、マリアお前……」

「ええ……気づいていたわ。あなた達二人が、一線を越えたことを」

「……いつ、気づいた」

「司令部で集まったとき、あなた達二人がおかしいのは気づいていた。だから、ちょっと無理に頼んで、あなた達が出向いた映像を見たのよ。そして、知ったの。あなた達が人を助けるために、人を殺めたことを」

「……そんな……」

 

 言葉を失う未来に、何も言わない翼とクリス。

 

「マムは私に言ったわ。私は『ただの優しいマリア』だって。でも親友に……仲間だけを地獄に堕とすような自己中心的な優しさなんて、いらない。だからこそ、私は今こそ背負う。罪の十字架を。私が守りたい大切なものを守る……そのために」

「……すまない、マリア」

「謝ることじゃないわよ翼。私が勝手に決意して勝手にやったことだもの。ただ……これで、死んだ後セレナと一緒にはなれなくなっちゃったわね。それだけが……残念かな」

「……大丈夫だ、お前とはあたし達が一緒だ。あの世でも、な」

 

 三人は寂しげに笑い合う。そして、並び立ち、今にも迫り来ようと隙を伺っているヒューマノイズに対峙する。

 

「未来……私達が道を切り開く。だから、お前は何も考えず一直線にグノーシスのイコンへと向かえ」

「そんなっ! 翼さん! それだったら私も――」

「ダメだっ!」

 

 クリスが叫ぶ。

 

「お前は手を汚すな……手を汚すのは、あたし達だけでいい……お前は、あれを壊してみんなを救ってくれ……な、恩人」

「ク、クリス……」

「信じているわよ、未来……さあ、行くわよっ!」

 

 マリアが号令をかける。そうして三人の奏者は、ヒューマノイズの群れへとその身を投げ出していった。

 未来は、その後ろに唇を噛みながらついていくことしかできなかった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「みなさーん! 早く逃げるデス!」

「あっちの避難所に早く!」

 

 切歌と調は必死に避難誘導を手伝っていた。街にはそこそこの数の人がいて誘導は大変だったが、二人はできる限り力を尽くした。

 マリアは今もっと辛い思いで頑張っている。そう思ったからだ。

 その努力の結果か、誘導はうまくいっていた。

 

「この調子なら、なんとかなりそうデスね!」

「うん、もうちょっとすれば、マリア達のところへ戻れるかも……」

 

 二人がお互いを見合って笑いあったそのとき、誘導されていた人達の中から、突然苦痛に満ちた声が聞こえてきた。

 

「がっ、がああああああああっ!?」

「なっ、なんデス!?」

「行ってみよう、切ちゃん!」

 

 二人が声のした方へと向かう。そこには、何人かの人が、頭を抱えて地面にひざまずいていた。

 

「い、一体どうし――」

 

 声をかけようとした調。するとその瞬間、その人々は白い煙を体から噴出させたかと思うと、ヒューマノイズへと姿を変えたのだった。

 

「なっ、そんなっ!?」

「うっ、うわああああああああああ! ノイズだああああああっ!」

「やっぱりあの噂は本当だったんだ! 人間がノイズになっているんだあああああ!」

 

 その光景を目の当たりにして困惑する人々。

 残った避難民は一斉にパニックになってしまった。

 

「み、みなさん落ち着いてっ!」

「そ、そうデス! ここで混乱したら大変なことになるデス!」

 

 人々を鎮めようとする二人だったが、まず当の二人も混乱していた。

 当然である。人がヒューマノイズになる瞬間を目撃したものはほとんどいない。基本対応が後手になってしまっていた奏者なら、尚更である。

 

「うわあああああああっ!」

「きゃあああああああっ!」

 

 二人が困惑している間にも、現れたヒューマノイズによって人々が次々と炭化していく。

 その光景に、切歌も調もやっと我に返る。

 

「なっ、なんとかしないとっ!」

「で、でもどうすればいいデス!?」

「そんなの私にもわからないよ! でも、なんとかしないとっ!」

 

 二人はとりあえずヒューマノイズと人々の間に入り盾となる。しかし、たった二人で恐慌状態の人々すべてを守りきれるわけもなく、一人また一人と犠牲になっていく。

 

「うぇえええええええん! パパーッ!」

「っ!?」

 

 そこで、調は見た。炭になってしまったと思われる父親にすがる少女。そして、それに近づくヒューマノイズを。

 

「危ないっ!?」

 

 そのその少女のもとに急ぐ調。だが、この距離では間に合わない。

 

「くっ、こうなったら……!」

 

 調はアームドギアを構える。そして、それを少女を守るために放とうとした……だが――

 

「――ッ!?」

 

 調は、思い出してしまった。

 目の前のヒューマノイズも、元は人であることを。

 そうなる前に苦しみ叫んでいた人々の姿を。それを思い出してしまったとき、調の手と足は止まった。

 

「うわあああああああああっ!」

「……っ!?」

 

 そしてそのためらいによって、調の目の前で少女はその命を落とした。

 跡形も残らない、炭と姿を変えて。

 

「あ……ああ……あああああああ……」

 

 調は視界を歪ませながら力なくその場に膝をつく。そんな調をヒューマノイズ達は素通りし、人々へと向かっていく。

 というのに、調は動くことすらできなかった。

 

「調ッ!」

 

 そんな調の元に切歌が寄る。

 調は切歌に答えるかのようにゆっくりと顔を見上げた。その顔を見て切歌は驚いた。

 彼女の顔が今までに見たこともないほどに蒼白し、絶望に満ちた顔だったからだ。

 

「私……救えなかった……あんな小さな子を……ノイズになる前の人の顔が浮かんじゃって……止まっちゃった……私……そのせいで……そのせいで……あの子が……!」

「……し、調……」

 

 切歌は何か彼女を慰めたかった。でも、何も言葉が出なかった。何を言えばいいのか、まったく思いつかなかった。

 

「私……最低だ……昔、響さんには偽善だのなんだの言ったことはあったのに、私はそんな偽善すらできない……結局、自分が大事なんだ……私、最低だ……!」

 

 調はポツポツと涙を地面にこぼす。もはや、周りすら見えずに調はその場を立ち上がることができなくなっていた。

 

「私だって……最低デス。私だって……何もできない……何も……できないんデス……!」

 

 切歌もまたその場に崩れ落ちた。

 彼女もまた絶望を感じていた。大切な、自分の半身とも言える調に対して何一つできることがない自分自身に。

 二人は泣いた。

 助けるべき人達の声も届かず、涙を流し続けた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「はあああああああああああっ!」

「うおおおおおおおおおおおっ!」

「ああああああああああああっ!」

 

 三人の奏者はヒューマノイズを倒す。その後に作られる死体の山に目もくれず、とにかく進む。

 その後に未来はついていく。修羅の如く突き進む三人の後を、がむしゃらについていく。

 三人の咆哮が耳に入ってくるたびに未来は心を痛めた。泣きたくなった。だが、我慢した。

 自分以上に、三人が心をすり減らしているのを理解していたから。

 四人の装者は突き進む。そうして、ついに四人の装者はたどり着いた。諸悪の根源たる聖遺物の元へと。

 

「小日向ッ! 行けぇええええっ!」

 

 翼が枯れた声で叫ぶ。未来はその声に答えて、素早く未来は飛び出す。

 未来は空中でアームドギアを展開し狙う。みんなを苦しめたその聖遺物を破壊するために。

 そうして未来とグノーシスのイコンは軸線上に繋がった。

 だがその刹那、奇妙なことが起こった。

 

「――ッ!?」

 

 神獣鏡とグノーシスのイコンがそれぞれ紫の輝きを発し共鳴し始めたのだ。

 それはモニターしていたエルフナイン達も把握していた。そして、エルフナインの声が未来に響いた。

 

『まさか哲学兵装としての変質までっ!? 未来さん! 逃げ――』

 

 そこでエルフナインの声が未来の耳から途切れた。

 決して無線が断たれたわけではない。

 異変があったのは未来の方だからだ。

 

「……そ、そんな……嘘だろ……?」

 

 クリスが絞り出すような声で言う。他の二人も言葉を紡ぐことができなかった。

 目の前で起きた出来事はそれほどまでに残酷なものだったからだ。

 

『**************――ッ!』

 

 声とは思えぬ雑音が響く。

 グノーシスのイコンは消えた。

 小日向未来も消えた。

 そこにいたのは、それぞれが融合した、一つの怪物。

 シンフォギア装者がノイズと化した、シンフォニックノイズがそこにいた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「そ、んな……未来……?」

 

 響は見ていた。

 S.O.N.G.の司令部のモニターから、翼達の決意も。調達の絶望も。

 それらすべてに響は心を痛め、苦しんだ。そして自分がいまここにこうしていることに自分自身が情けなく思えていた。

 そんなときに、彼女は見てしまったのだ。何よりも大切な未来がノイズになってしまった、その瞬間を。

 

「エルフナイン君!? あれは一体……!?」

「……グノーシスという言葉は、もともと人々が崇めていた創造神は実は邪悪な存在であるとし、真の神を追い求めた思想についての言葉です……それは善悪二元論に基づいていて、多数の思想に対する反証可能性……つまり、思想の鏡像と言っても過言ではありません。もしあのグノーシスのイコンが歴史においてそういった思想の中心にいたとしたら、鏡としての哲学兵装の意味合いを持っている可能性があります。そして、それが同じく鏡である聖遺物の神獣鏡と共鳴した……」

「……ッ!」

 

 響は、エルフナインが言い終わるや否や、いつの間にかその場から走り出していた。

 

「待て響君! どこに行く!」

「未来の元へ! 行かないとっ!」

 

 弦十郎の声に一度立ち止まり、響は振り返って答える。

 

「しかし今の君はシンフォギアを纏えないのだぞっ!」

「だとしてもっ!」

 

 響は声を張る。その声には魂が籠もっていた。

 

「私はずっとうじうじしていた! そのせいで、翼さんが、クリスちゃんが、マリアさんが、調ちゃんが、切歌ちゃんが、みんなみんな負わなくていい傷と罪を負った! そして、今度は未来まで……! だから、私が行かないとっ! 私が、未来を救うんだっ!」

「……分かった! 行くんだ響君! 君の歌を、未来君に届けてこいっ!」

「はいっ、師匠っ!」

 

 響を弦十郎に激励され司令部を出ていく。その後姿を、弦十郎は見えなくなるまで見つめていた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ぐっ……! 止まれ小日向っ……!」

 

 翼達はノイズと化した未来の攻撃を受け続けていた。

 シンフォニックノイズの力はヒューマノイズとは比べ物にならず、更にヒューマノイズとの戦いで心をすり減らしていた三人にとっては分の悪い相手だった。

 とは言え、反撃しないわけでもなかった。

 もはや三人の覚悟は決まっていた。

 それぞれが、友殺しをする決意をしていた。

 だが、それでも元に戻って欲しい。だからこそ彼女らは戦いながら未来に声をかけていた。

 

「このバカがっ……! お前がこんなになっちまってどうするんだよっ……!」

「戻りなさい! 立花響を悲しませることはしないであげてっ!」

 

 しかしその声は届かない。シンフォニックノイズは三人を圧倒し少しずつ歩みを進め、このままでは山を降りて街へと行く可能性があった。

 

『…………』

 

 三人は目配せする。それは、最後の手段を取る確認だった。

 最後の手段――絶唱。

 歌唱によって莫大に増大させたエネルギーをぶつける、命に関わる反動を伴うまさに奥の手。

 三人が絶唱すれば、間違いなくシンフォニックノイズを倒す事ができるだろう。

 だがそれは、同時に未来を諦めることとなる。

 翼達はそれでも絶唱する覚悟を決めていた。少し前までなら取らなかったであろう選択肢。だが、多くの屍を築いたことにより心にヒビが入り始めていた三人にとって、それは現実的な選択肢に見て始めてしまっていたのだ。

 

『**************――ッ!』

 

 残響する雑音。もはや元の面影もないそれを聞いた三人はゆっくりと頷き合い、絶唱へと入ろうとする。

 

「未来うううううううううううううっ!」

 そのとき、空から声が響いた。三人は上を見る。心に希望をともしてくれる、その声を。

「まさかっ!?」

「あのバカ……!」

 

 翼とクリスは驚きつつも、その声にはどこか嬉しそうな声色を上げ空見る。

 そこには、S.O.N.G.の指示を受け空から飛び降りてくる響の姿があった。

 

「――Balwisyall Nescell gungnir tron」

 

 空中で聖詠を歌い、響はシンフォギアを纏う。

 神殺しの聖遺物、ガングニールを。

 

「はあああああああああああああっ!」

 

 響はシンフォニックノイズにその拳を叩きつける。

 シンフォニックノイズは思い切り事件に叩きつけられ、地面に大きなクレーターができる。

 

「来たのか、立花!」

「もう大丈夫なの!?」

「無茶してるんじゃないだろうな!」

 

 翼達がそれぞれ声をかける。

 その三人の声に、振り返って響は頼もしい笑顔を見せる。

 

「ハイ! 大丈夫です! 一緒に救いましょう……未来を!」

 

 そう言って一回腕を突き合わせると、再びシンフォニックノイズへと駆ける響。

 その姿を見て三人は思った。

 彼女なら、きっとやってくれる、と。

 

「だああああああああっ!」

 

 響は次々と拳をシンフォニックノイズにぶつける。シンフォニックノイズは怒涛の手数に対応できずにいる。

 それに続き、翼、クリス、マリアも続く。

 四人の攻撃にシンフォニックノイズはどんどんと追い詰められていき、最後には大きく吹き飛ばされ動きがかなり鈍っていた。

 

「今です! 皆さんいきましょう! S2CAをっ!」

 

 S2CA、それはシンフォギアの歌唱を合わせ、フォニックゲインを高め奇跡を起こす力。

 響は思ったのだ。今まで幾重も自分達を救い奇跡を起こしてくれたこの力なら、未来を救うことができる、と。

 その思いは響だけでなく、他の三人も持っていた。

 響ならやってくれる。そんなこれまでの経験に基づいた確信を。

 

「ああ行こう、立花!」

「やってやろうぜ、なぁ!」

「今こそ乾坤一擲の歌唱をっ!」

 

 賛同した三人は、響と手を繋ぐ。

 響のシンフォギア、ガングニールの力。それは手を繋ぐことによってフォニックゲインを何倍にでも増幅させる。

 それこそが響の手に入れた力。他人と手を繋ぐ、傷つけ壊すためだけではない優しき手。

 四人の歌が鳴り響く。そうしてフォニックゲインがどんどんと高まり、ついに虹色の竜巻となる。

「繋ぐこの手がっ! 私のシンフォギアだあああああっ!」

 そして響達はぶつける。自分達の思いの丈を。

 

『**********――ッ!?』

 

 シンフォニックノイズはそれに本能的に危機感を覚えたのか、恐らくありったけのヒューマノイズを召喚して盾にしてきた。

 だが、それは意味を為さない。S2CAに作り出された力によってヒューマノイズはどんどんと吹き飛ばされていったからだ。

 そしてついに虹色の竜巻はヒューマノイズにぶつかり、激しい発光を瞬かせた。

 四人の視界が一瞬眩む。

 そうして四人の視界が戻ったとき、目の前の状況は大きく変わっていた。

 さきほどまでのヒューマノイズ達がみな、人間に戻っていたのだ。

 しかも、死体としてではない。

 多くの人はまだちゃんと立ち上がれていないが、ちゃんと息をしているのが目で見て取れた。

 つまり、S2CAの力が人とノイズを分離したのだ。奇跡が起きたのだ。

 そして、一番奥には力なく倒れている未来の姿。

 響はその姿を見た瞬間、勢いよく走り出した。

 

「未来っ!」

 

 そうして未来の元へと駆け寄り、彼女を思い切り抱きしめる。

 

「よかった……未来が戻ってきてくれて、本当に良かった……!」

 

 響は涙を流しながら未来に言う。その光景を見て、翼達も疲れた笑顔を浮かべた。

 自分達の罪は決して消えない。だが、ひとまずは終わった。そう、思った――

 

「……未来?」

 

 だが、響の困惑した声に、異変を感じ取る。

 

「お、おい。どうし――」

 

 ただならない雰囲気を感じて声をかけながら近寄るクリス。

 そこで、言葉を失った。

 クリスだけでなく翼もマリアも顔を蒼白とさせて声を出せなくなっていた。

 響は静かに未来を掴んでいた腕を話して、未来の顔を見る。

 未来は確かに死んではいなかった。

 だが、生きているとも言えなかった。

 そこにあったのは、魂の抜け落ちたような未来の顔。

 瞳に光がなく、虚空へと眼球を向けて、口端からはつつっとよだれが垂れている。

 空っぽの肉の塊が、そこにはあった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 〈ヒューマノイズ事変〉

 

 人が認定特異災害ノイズへと変貌を遂げたこの事変の発端は、聖遺物『グノーシスのイコン』の暴走が発端とされている。最初のヒューマノイズ確認から三十九日間続いたこの事変によって確認されている死傷者は七五〇二人、行方不明者四三一二人。ヒューマノイズの対象を炭化させる性質から実態は把握しづらく、これ以上の被害者の存在も考えられる。状況の対応に応じたのは超常災害対策起動タスクフォースSquad of Nexus Guardians(以下S.O.N.G.)である。数々の事変を解決してきたS.O.N.G.であるが、今回の事変に関しては真相究明に対して後手に周り、対策に遅れが生ずる。その後、事変の原因が聖遺物『グノーシスのイコン』であることを究明したS.O.N.G.は該当聖遺物の調査及び破壊を敢行。S.O.N.G.に所属するシンフォギア装者の尽力により結果成功する。その際にシンフォギア装者によって二〇〇八名の民間人をノイズ化から救出。しかし、そのとき想定外の事態により『グノーシスのイコン』と融合してしまっていた神獣鏡の奏者が植物状態へと至る。神獣鏡の装者だけがそうした状況になったことについて、S.O.N.G.の技術者であるエルフナイン氏は、聖遺物がグノーシス思想の影響を受け哲学兵装としての意味を持った際に、同時にグノーシス思想が求めていた反宇宙的二元論を元にする至高神への渇望から神性を帯びていた可能性を示唆。それにより、事態の解決にあたったガングニールの装者のシンフォギアの特性『神殺し』が反応し精神に影響を及ぼしたというのが最終的な結論である。その後、S.O.N.G.は事変解決における不手際やノイズと融合していたとはいえ民間人へと攻撃したことを国際的に批判され、解体すべきという声も上がるも最終的に国際連合は権限縮小という判断を下す。

 S.O.N.G.関係者とりわけシンフォギア奏者に関してはその後の経緯は不明である。

 

 ――特異災害事変報告書より抜粋

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 翼はコートを羽織った姿で公園のベンチに座っていた。手には自販機で買ったばかりのミルクコーヒーが握られている。

 

「……雪、か……」

 

 手に雪の冷たさが染みる。それによって、翼は初めて雪が降り始めているのを知った。

 

「……そうか。もう冬なのか。……あの冬から、もう一年近く経つのだな……」

 

 そう言いながら、空を見上げる翼。

 曇天から振る雪はまばらで水分を多く含んでいた。

 

「……よう、奇遇だな」

 

 そんな翼に声がかけられる。懐かしい声と思い翼がその方を向くと、そこにいたのはクリスだった。暖かそうなダウンジャケットを着ているクリスだったが、表情は寂しさを感じる。

 

「雪音、か……そうだな。久しぶりだな。いつ以来となるのか……」

「ざっと半年ぐらいじゃねぇかな。……半年も会ってなかったんだな、私達」

「ああ……S.O.N.G.が実質的な解体状態になってからというもの、互い顔を合わせる場もなかったからな……」

「そうだな……」

 

 クリスはゆっくりと翼の隣に座る。そこには、久々の再会を楽しむ雰囲気はない。

 

「……まだ、声出ないのか」

「ああ……話す程度はできるが、歌はどうしても無理だ。歌おうとすると、喉が詰まる。心臓が締め付けられる。胃の中が逆流する。ひどいと、その場に倒れてしまう。つくづく私は……歌女ではなくなってしまったのだと、痛感させられるよ」

 

 翼は自嘲気味に笑う。

 以前のクリスなら翼がそんな状況なら叱咤していただろう。だが、今のクリスはむしろ同調するように息を吐いて天を仰いだ。

 

「ま、あたしも気持ちは分かるよ……。私もさ、昔は思ってたんだよ。パパとママの想いをついで歌で世界を平和にしたいって。……でもさ、今のあたしにはそれは無理かなってなっちゃうんだよ。少なくとも、あたしにはそんな資格はねぇってな……。結局、いくら取り繕っても私は罪人なんだ。それからは、逃げられねぇ」

「……そう、か……」

 

 翼は静かに答える。彼女もまたクリスの言葉を否定しようとはしない。

 それが今の彼女達の心の乾きを示しているようだった。

 

「……そういや、あいつらもまだ元気になれてないのか?」

「マリア達のことか? そうだな……マリアは私と違って芸能活動は続けているが、その仕事数は全盛期と比べればまったく違う。歌にも張りがないと言うか、以前のようにトップチャートに乗ることはなくなった。そこにはあいつ自身の問題もあるが、やはり月読と暁の状態が関わっているんだろうな……」

「まあ、あの二人はしょうがないよな……。ずっと人を救えなかったトラウマに悩んでたところに、事後処理のドタバタでマリアがやっちまったことを知っちまったからなぁ。罪の意識が上乗せされて、学校にも来れなくなっちまってよ……前に家に行ってみたらそりゃひどい方法で自分達慰め合ってて……それ以降、会いに行けてねぇや」

「あの三人はFISで家族のように育った。絆が深いために、傷すら共有してしまう。羨ましいことでもあるが、あそこまで行くと哀れにも思えるな……」

「…………」

「…………」

 

 そんな互いの近況を話し合った後、二人は口を閉ざした。そして一分ほどの沈黙の後に、クリスがふと口を開いた。

 

「……あたしさぁ、ふと思うんだよなぁ。あいつらが元気だったら、きっとなんとかなったんだろうなあってさ」

「……うむ」

 

 翼は頷く。

 思い浮かべているのはもちろん、響、そして未来のことだ。

 

「あいつらはよくお互いのことを陽だまりだのと太陽だのと例え合っていたな。当時はなんとなくでしか分からなかったが、今ならあいつらの例えがよく分かる。あの二人は、本当に陽だまりと太陽だったんだ。私達みんなを照らし、温めてくれる……」

「でも、私達はそれを両方失った。いや、ちょっと違うな。片方が失われたから、もう片方も必然的に消えた。って感じだな。まあそうだよな、相互に成り立っている関係が片方無くなったら、一緒に消えちまうよなって……」

「失って分かる大切さというものだな。私達もまた、太陽と陽だまりに依存していたんだ」

「まったくだ……あいつら、何してるんだろうなぁ今頃」

 二人は一緒に曇天を仰ぐ。雪はただ静かに重く降り注いでいた。

「……ところでそのミルクコーヒー、飲まないのか。まだ開けてすらいないようだけど」

「ああ、これか。実はこれ、ホットじゃなくてコールドなんだ。間違って買ってしまってな。冷たいけどもったいないから持ってるだけなんだ」

「なんだよそれ、そういうところは変わってないのな」

 

 クリスは苦笑する。それに合わせて、翼も苦笑する。

 

「あっはははははははははは……」

「くっはははははははははは……」

 

 笑い声はどんどんと大きくなる。声量は大きい。しかし、中身を感じられなかった。

 

「ははははははははははははははっ!」

「ははっ! ははははははははははっ!」

 

 腹を抱え、顔を抑え、二人は笑う。

 翼とクリスはそんなどこか寂しげで、胸を打つような、狂った笑い声をずっと上げ続けた。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

「ただいま……」

 

 マリアは家に帰ると、疲れた声で言いながら電気をつけた。

 明かりで照らされた廊下はゴミだらけで、長い間掃除していないのがひと目で伝わってくる。

 

「二人とも、起きてるー……?」

 

 マリアはふらふらとした足取りで寝室へと向かう。

 そして寝室の電気をつけると、そこには二人で一緒のベッドに入っている調と切歌がいた。

 下着がベッドの側に散乱しており、掛け布団から出ている二人の体からは肌が見える。

 

「ふぅ……」

 

 マリアはベッドの上に疲れたように座る。その衝撃が、ドスンとベッドを揺らす。

 

「ん……」

 

 調が寝息を立てている一方、切歌はそれによってうっすらと目を覚まして上半身を起こす。

 

「マリア……帰ってたデスか……」

「ええ、今ね」

「うっ、お酒臭いデス……また飲んできたですか……」

「いいでしょー別に。それよりご飯どうする? 私は食べて来ちゃったけど二人はどうする?」

「そうですねー……」

 

 切歌は横で眠っている調を一瞥する。調はまだ気持ちよさそうに寝息を立てていた。

 

「んー、別にいいデス。まだ冷蔵庫に何かあると思いますデスし」

「そう。ま、お腹空いたら言ってね。お金はあるんだから」

 

 マリアはあっさりと言って、上着やソックスを脱いでその辺に投げ捨てる。

 

「……昔翼先輩の部屋掃除とか手伝っていたとは思えない適当さデス」

「……そうね。私もだいぶ雑になっちゃったと思うわ」

 

 マリアはついに下着姿になってから言う。

 

「でも、しょうがないじゃない。どんなことをしようとしても……この胸の気持ちがどうしようもならないんだから。あなた達だって、そうでしょ?」

「…………」

 

 切歌は反論することもせず俯き、ぎゅっと布団を握る。

 そんな切歌を見ながら、マリアは寝ている調に手を伸ばし静かに撫でた。

 

「呪いと祝福は裏表……」

「え?」

「シェムハから未来を取り戻すとき、あの子が言っていたことよ。呪いと祝福は裏表、受け取り方次第だって。未来は、あの子にとって祝福だった。でも今は、あの子にとって呪いとなっている。そして、あの二人が私達にとって祝福だったと言うのに、今は呪いとなって私達の心を蝕んでいる。今なら、あの言葉の意味が本当に分かる、そんなことをふと思ったのよ」

「……マリア」

「私も、あなたも、調も、そして翼とクリスも、みんな呪いから抜け出せない。罪を罰せられることもなく、ただ背負い続けるこの今という呪いから……これが祝福に変わるのは、いったいいつなのかしらね」

「……いつか、終わることを信じようデス。生きていれば、きっと……」

「そうね……生きていれば、ね……」

 

 二人はそこで言葉を失った。部屋には、暑くなりすぎるほどに部屋を暖めているエアコンの音が鳴り響くだけだった。

 

 

   ◇◆◇◆◇

 

 

 窓から鈍色の光が差し込む、かすれたクリーム色の壁紙に囲まれた部屋。

 その隅に置いてあるベッドの上で上半身を起こしている少女と、その脇に置いてある椅子に座る少女。

 二人の少女は、時計の音が響く部屋でただ静かに共にいた。

 

「ねぇ未来……」

 

 椅子に座る少女――立花響。

 彼女は、ベッドの上で宙を見続ける少女――小日向未来に笑いかける。

 心の感じられない、壊れた笑みで。

 

「聞いてよ未来、今日はね、いいもの持ってきたんだ。ほら、これ何か分かる? レコードだよ。凄いでしょ! 頑張って手に入れたんだよ。未来が好きだって言ってた曲を、雰囲気あるもので聞きたくてさ。未来って結構そういうの好きでしょ? だから、わざわざこの蓄音機も用意してさ」

 

 響は側の棚の上にいつの間にか置いてあった蓄音機を示す。

 

「…………」

 

 しかし未来は答えない。

 だが響はお構いなしに喋り続ける。まるで、未来が反応してくれているかのように、笑って。

 

「ふふっ、それじゃあかけるね。私もこの曲、大好きになっちゃったんだ。だから、一緒に聞こう。ずっと、ずっと……」

 

 響はレコードを蓄音機に置き、慣れない手付き針を置く。

 そうして曲が流れ始める。狭く薄暗い箱の中に、その曲は響き渡り始めるのだった。

 

 

 ――Only you

   Can make darkness bright……

 



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