双夜譚 月姫   作:ナスの森

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あけおめっ!
20000字近くなってしまったので、小休止を挟みつつどうぞ


鬼神降臨

 ――おい、何の冗談だ?

 冷や汗を搔きながら、七夜は遙か頭上から己を見下ろす少女を見上げた。巫女服と一言で表現しても、如何にも解体してくれと言わんばかりに露出している脇、さらにその脇と共に胸に巻いていると思しき晒しまでもが覗き見え、お世辞にも淑女が着るには些か清潔さに欠ける服装である。

 しかし、そんな事などまるで気にさせない、そんな恐怖が七夜に襲いかかる。

 初めてだった。これ程の相手、対峙しようものなら、それこそ七夜のような輩であれば戦慄しつつも歓喜に震えているに違いない。

 だが、七夜の身体は震えていた。武者震いではない、本当の恐怖。

 それほどの規格外でありながら、魔に萎縮しないためにある筈の衝動はまったく機能していない。

 つまる所、これ程の力を持ちながら、尚彼女は純粋な人間である事を意味していた。

 ――この俺が、メイド長に声をかけられるまで気付かなかっただって?

 人間に対する気配察知はそこまで得意な訳では無いが、それを抜きにしても七夜は他人からの敵意や殺気には人一倍敏感である。相手の虚を突くことに特化した体術は、同時に生存にも長けている。

 その七夜をして、咲夜に声をかけられるまで気付かなかったのだ。後一歩咲夜の声が遅れていたら、間違いなく二人揃って成す術がなくしていた所だろう。

 

「ハハっ!」

 

 故に、七夜は笑った。

 そうか、あれが噂に聞く博霊の巫女。

 あらゆる異変を解決に導き、歴代の博麗の巫女の中でも特に才能に秀でていると言われる巫女。如何な異変を起こそうが、その巫女がやってきた時こそが最後。如何な計略や企みを駆使しても、持ち前の運と才能という圧倒的な理不尽を以て打ち破ってきた規格外。

 人という非力な種族でありながら、生まれながらにして『究極』を持ち合わせた少女。

 その名も――

 

「博麗、霊夢っ……!」

 

 引き攣る笑みを歪めて七夜は蜘蛛のような足捌きを以て咲夜の所まで後退する。何故か自分だけではなく彼女も結界に捕らわれようとしていたため、結界ごと殺して七夜は彼女を救出したのだ。

 七夜は咲夜を一瞥した後に再び此方を見下ろす赤い巫女を見上げ、笑みを深くする。

 ――やれやれ、あの婦警といい……。

 

「今日は厄介ごとのオンパレードだ、と!」

 

 はてさて何か目をつけられるような事でもしただろうか、と七夜はここに来てからの自分の行動を振り返る。

 ……1日目、紅美鈴と殺し合い首を刎ねかける、十六夜咲夜の首をねじ切って一度は殺害する。……2日目、紅魔館の妖精メイド達を殺戮。……そして今日、見知らぬ婦警を人里の中でズタズタにする。

 ――ああ、確かにこれは目を付けられても不思議じゃないかな。おかげで楽しめそうだが。

 結果として七夜が手にかけてきた者達は殺されこそすれ、死んではいない。ぎりぎり幻想郷の法には触れていない筈であるが……いや、そもそもスペルカードルールを無視して殺しにかかった時点で十分に御法度であったか。

 ――なるほど、なら暴れた甲斐があったというものじゃないか……。

 七夜は己のコンディションを確認する。

 先ほど結界を殺した時の負担で若干の頭痛がするが、性能には問題ない。

 主武装のナイフは健在、咲夜から譲り受けた銀の投げナイフも燕尾服の内側のホルスターに収納されている。

 パチュリーから譲り受けた指輪によって多少の空中戦も可能、そして目にはちゃんと彼女の死が映っている。

 何も問題はない。強いて言うのであればここが自分に有利な狩り場でないことが挙げられるが、文句は言えない。

 できる事ならばサシでやり合いたかったものだが、まあ仕方ない。

 相手が自分だけでなく咲夜にも手を出してきた以上、彼女が何の報復も行わない訳がない。

 

「何の真似かしら、霊夢?」

 

 咲夜が見上げながら霊夢に問う。

 彼女の両手には既に銀のナイフが握られており、いつでも対処できる体勢に入っている。

 今現在何らかの異変が起こっていて、霊夢が相変わらず怪しそうな存在を片っ端から懲らしめている……というのであればいつもの事なのだが、何故か今回は違う、と咲夜の勘は告げていた。

 咲夜の知る霊夢は、それだけで射殺されそうな怒気を放つ事はあれど、このような殺気を放つ事はない。咲夜の知る彼女は、凄ますような目こそすれ、このような冷たい目はしなかった。

 

「一体、どうしたの?」

「貴女には関係ないでしょう? 邪魔になると面倒だからついでに結界で拘束してやろうと思ったのだけれど……」

 

 警戒とは別に、純粋に知人を心配するような様子で問いかける咲夜であったが、そんな彼女の気遣いを切り捨て、霊夢は視線を咲夜から七夜の方へ移す。

 ひんやりとした目線が、七夜を射貫く。

 

「まさかソレを、退治しようとした奴に邪魔されるとは思わなかったけれどね」

 

 まったく面倒ったらありゃしないわ、と霊夢は後ろ髪を雑に祓い上げて言う。彼女としては、今の一撃で終わらせるつもりだったのだ。そしたら、何故か知り合いが標的と一緒に歩いていたのでまとめて捕らえることにしたのだろう。咲夜からすればとばっちりもいい所であるが、それが博麗霊夢の異変解決のやり方なのだ。

 

「七夜が? どうして……」

「貴女には分からないでしょうけれどね、今、幻想郷に異変が起ころうとしている。心当たりはないかしら、紅魔館の門前に現れた死者たちについて……」

「っ!?」

「……」

 

 顔が強ばる咲夜。何も言わない七夜。

 霊夢は構わず続ける。

 

「花映塚の時のように長く生きてきた奴らがあまり騒がないようなら私だって動かなかったのだけれど……どうやら、そういう訳でも無いようだし……なら、一番最初に事が起こった貴方たちの所へ行くのが筋じゃない?」

「……霊夢?」

 

 おかしい、と咲夜は思う。

 彼女の知る霊夢であるのなら、一番に飛んでくる問いは「貴女がこの異変の元凶?」といった言葉だ。このように、最初から冷静に自分の事情を説明するような律儀な少女ではない筈だ。

 故に、咲夜は直感する。

 ――霊夢は本気だ。弾幕ごっこなんていう遊びをやりに来た訳では無い。

 

「それに……私の勘が告げるのよ。隣にいる貴方――なぜだか知らないけれど、あいつらと同じ感じがする。それだけじゃないわ、これを見なさい」

 

 言って、霊夢が取り出したのは、鈴だった。

 風に揺らされている訳でもないのに、その鈴は七夜の方へ向けてチリンチリンと音を立てている。

 まるで、何かの啓示でも示しているかのように。

 

「それは、何かしら?」

「先代の博麗から閻魔から譲り受けた、死人に対してのみに反応して鳴る鈴よ。こんな形で役に立つとは思わなかったけれど。後は、分かるわね?」

 

 ギロリと、霊夢は見上げる七夜を睨み付ける。霊夢は七夜がこの幻想郷に現れた死者達の仲間だと言うのだ。

 憎悪と、薄ら笑いが対峙する。

 

「待ちなさい」

 

 対して咲夜は納得いかない、という様子で霊夢に反論を仕掛ける。

 確かに、霊夢の言い分も分かる。確かに死者達が現れたタイミングと、七夜が幻想入りしていきたタイミングは一致している。場所が多少離れていただけで、たまたま七夜だけが離れた場所に呼び出された、という解釈もなくはないだろう。

 穴だらけの推論であるが、幻想郷の住民はそうやって糸を辿りながら異変を解決してきた。

 

「とりあえず、貴女の言い分は分かったわ。けどね、七夜はうちに来るまでに美鈴と戦っていた死者たちを全滅させているのよ? 判別が付いているのかはともかくとして、死者が死者に襲いかかるなんて、あり得るのかしら?」

「どうかしらね。案外、貴方たちを油断させるための罠かもしれないわよ?」

「そんなことは……っ」

 

 反論しようとして、息がつまる咲夜。

 今の霊夢は本気だ。何としてでも戦いに発展する前に説得せねばならぬと意気込んでいたが、そういえばと思いだして七夜を一瞥する。

 ――この殺人鬼は、隙あらば私やお嬢様に殺しにかかるだろう。

 それが分かっているからこそ、咲夜は七夜に対する警戒を怠っていないワケなのだが、そもそも同居を許してしまっている時点で、霊夢の言い分にも軍配が上がってしまう。

 それでも、咲夜は引こうとは思わない。

 それは、主の意向に従ってのもの。レミリアが七夜を雇ったとあらば、それには必ず意味がある。ならばこそ、霊夢に七夜の相手をさせるわけには行かないのだ。

 確かに七夜は“殺す”ことの技量に関してなら、幻想郷のどんな化け物連中もあっさりと凌駕してみせるだろう。だが、純粋な力で比べた場合、空も飛べず弾幕も撃てない七夜は下手したら最弱に位置している。

 単純に、七夜が霊夢に勝てるビジョンが浮かばないのだ。だからこそ、咲夜はなんとか会話で霊夢を退かせようと試みる。

 

「それに、貴女がそんな玩具に頼って異変を解決するなんて笑えない冗談だわ。貴女はもっと、勘というか、運とか、そんな曖昧な手段で異変の元凶を見つける筈でしょう? 何より、貴方自身がソレを一番信じている」

「だから言ったじゃない。私の勘も告げてるって。たまたま私の勘とこの鈴の判断が一致しているだけよ。だから――そこを退きなさい、咲夜」

「断るわ。それにいくら貴女の勘が当たるといっても、今の貴女は些か危うい。そんな貴女の言葉を、此方が信じるとでも?」

 

「――いいや。退いてくれ、メイド長」

 

 しかし、ここに来て、咲夜の味方は一人減った。

 他ならない、咲夜が守ろうとしている筈の七夜から待ったの声が挙がったのだ。

 

「七夜、“退いてくれ”とは?」

「どうやら向こうは俺に用があるらしい。あんたまで巻き込まれる筋合いもないだろう」

「しかし、お嬢様は貴方を――」

「ご主人様の首輪があるから、なんて宣うんだったら、即刻その首を刎ねるぞ?」

「……正気ですか?」

 

 此方へ殺気を向ける七夜を見て、咲夜もまた七夜を睨み付ける。

 確かに、主の意向があるから貴方を死なせない、という言葉は失礼だったかもしれないが、この男の事だ。そんなこと一切気に止めもしないだろう。

 ならば、七夜が咲夜に殺気を向ける理由は一つだろう。

 

「アレと殺り合うと?」

「それ以外に理由なんざないだろう?」

「考え直して。貴方は弾幕が撃てない以上、彼女との弾幕ごっこは成立しない。それ以前に、彼女はごっこすらやろうとしていない。幻想郷の結界を担っている博麗の巫女が、遊び抜きでかかってくる事がどれだけ理不尽なのか、分からない貴方ではないしょう?」

 

 博麗の巫女が死ねば、幻想郷は崩壊する。

 博麗の巫女は幻想郷の調停者にして、最も力ある者のことを指す。妖怪が形式としてだけでも人間を襲わなければいけないということ以外にも、弾幕ごっこがこの幻想郷に普及した理由にはこの博麗の巫女の存在こそが関係している。

 博麗の巫女を食えば、博麗大結界を維持できなくなり、自分たちの首すらも絞める結果となる。故に、妖怪たちは襲うべき人間の枠組に入っている筈の博麗の巫女に手出しができない。

 そのための弾幕ごっこでもあるのだ。

 だが、今の霊夢は明らかに遊びをしようという雰囲気ではない。幻想郷を維持するためにあるルールを、あろう事かその中核たる博麗の巫女自身が破ろうとしているのだ。

 

「貴方が自分の命に執着がないのは分かっています。けど、ここは私に任せて。貴方はお嬢様に報告を……」

「飼い犬の後始末を、主人にやらせようっていうのかい?」

「いい加減にして。これは貴方だけの問題ではない。異変の元凶として、紅魔館が疑われる事自体が問題なの! お嬢様に伝えないと……!」

 

「ねえ、いつまで待たせるの? 早く、私の邪魔をするかしないのか決めなさい、咲夜」

 

 それを、上から絶対零度の声で語り駆ける調停者。

 内心で歯ぎしりをする咲夜。あまり時間はかけられない。

 状況は最悪だ。客観として、事なきを得るためならば七夜を霊夢に差し出すのが手っ取り早い。だが、咲夜の主はソレを望まないだろう。いや、誤魔化すのはもう止そう……咲夜自身が一番ソレを望んでいないのだと。

 

「……最後よ。先に行きなさい七夜。私なら霊夢の相手をする事が出来る。弾幕ごっこの範疇で終わらせる事が出来る」

「果てしてごっこで済むかな? あんたが行けば、俺は存分に殺し合うことができる。あんたは安穏な日常に戻れる。態々使い捨ての石ころのために投げ捨てる命でもないだろう?」

「あなたは、そうやって自分を……! あくまで霊夢が退治しようとしているのは貴方だけ! 幻想郷の住民である私なら殺される心配はないんですっ!」

 

 自身を「使い捨ての石ころ」と評した七夜に激怒した咲夜は、口を荒げて説明する。

 自身の生を夢と言い切ったり、この男は些かに自分に対する評価が低すぎる。決して卑屈ではない、良い意味でいえば潔い。だが、咲夜は断じてそんなことは容認しない。

 ……もう、ここまででいいだろう。

 

「私の言う事を聞けないのなら、力尽くでも眠って貰います」

 

 ナイフを七夜に向ける咲夜。

 あまり時間はかけられない。即刻この殺人鬼を眠らせた後に、霊夢と弾幕ごっこで勝たなければ。

 いくら霊夢といえど、自分が提案したルールの中で敗れれば、さすがに身を退けるだろう。だから、その前の目の前の面倒事を片付ける選択肢を咲夜は取った。

 

「結局こうなるか。来なよ、俺とあんたじゃ潰し合いにならない。結果は速く、潔く決まるだろうさ」

 

 張り詰める緊張感の中、互いに得物を取り出す。

 七夜の言葉に間違いは無い。霊夢の気が長く持たない以上、長引かせれば双方叩かれて終わりだ。

 故に、一瞬でケリを付けようという意思だけは、双方とも合致していた。

 咲夜は考える。この殺人鬼と対峙した上で、己の考え得る限りの最悪を。

 ……それは、この男が自分の空間を無効化できるという事実に関して。タネが未だに分からないのが痛い所であったが、だからこそ更なる危惧が思い浮かぶ。

 それは、時止めすらも無効化される可能性。何がタネかは知らないが、この男には自分が時を止めるタイミング、とでもいうべきか、ソレを見抜いている節があるのだ。予備動作が察知されてしまう以上、それすらも破られる危険性がある。

 だが、一つだけ確かなことがある。あの時、この男は紅魔館の玄関の施錠を解除する時や、自分の空間を破るとき。そういう時は決まってナイフを振るっていたのだ。

 つまり、七夜の能力の行使には動作が伴う。

 動作がなくとも能力を行使できる咲夜にとって、これは大きいアドバンテージだ。

 ――ならば、そこを突く。

 

 

     ◇

 

 

 そして、事は一瞬で終わった。

 

 七夜に向けてナイフを投げつける咲夜。

 投げつけられたナイフは咲夜の時の力によって増殖し、弾幕となって七夜に襲いかかる。咲夜の思惑通りに七夜はその弾幕をナイフで弾いて迎撃し始めた。

 これならば自分の能力を破る暇などあるまいと、咲夜は時止めを実行して――その世界は、一瞬で終わった。

 

「――え?」

 

 一瞬の動揺。

 咲夜の時止めは、七夜の振るった手刀によって“殺”された。

 それ事態に驚きは無い。

 だが、咲夜は見逃さなかった。

 ほんの一瞬、ほんの刹那の出来事――七夜が、自分の世界に入り込んでいたという事実に。入り込める時間はほんの一瞬だったのだろう。だが、その一瞬は七夜にとって十分すぎた。

 ――どうして……私の世界が?

 その隙に生まれた動揺の最中、一瞬で咲夜の元へ接近した七夜は、そのまま咲夜の脇腹を片手で掴み、己の身体ごと勢いよく反転。

 そのまま咲夜の身体を地面に叩き付けた。

――閃鞘・一風

 悲鳴を上げる暇もなく、咲夜の身体は地面に沈み込む。

 

 薄れゆく意識の中で、咲夜は思いだした。

 あの一瞬――七夜が自分の世界に入り込んだ時に感じた気配が、かつて自分が“おとうさん”と呼んでいた人物に似ていた事を。

 それが誰だったかを思い出せぬまま、咲夜の意識は断たれた。

 

 

     ◇

 

 

 その刹那の攻防は、霊夢ですら思わず目を見開いた事だろう。

 達人同士の立合は一瞬で終わるという言葉を聞いた事があるが、まさにソレだった。そこには、確かに弾幕ごっこでは見られない境地と世界があった。

 同時に、霊夢は安堵した。

 咲夜が自分の邪魔をするかしないかの勝負であった訳だが、その結果として咲夜が敗れた事に。

 咲夜が相手ならば向こうはルールを犯さない限り、霊夢もできるだけスペルカードルールで応じていた事だろう。それでも、今の自分は何の拍子で手加減できるか分からないのだ。

 その理想的な条件を、態々霊夢が標的としている人物が作ってくれたのだから。

 

「さて、と」

 

 眠る咲夜の身体を抱っこし、安全な所に寝かせた七夜は再び立ち上がって霊夢を見上げる。垣間見える感情は絶望にあらず、そこには狂気じみた薄ら笑いが浮かんでいた。

 瞬間、鋭利な刃がそのまま一直線に自分に飛んでくるような錯覚を霊夢が感じた。避けねば死ぬ、とそんな錯覚を抱かせる殺意を、霊夢は感じ取った。

 

「すごい殺気ね……」

 

 感じ取った霊夢は、しかして何処か風吹くような様子。

 ――ああ、俺の想いに気付いてしまったか。

 そんな霊夢の呟きを耳に入れた七夜は、笑みを深くする。

 胸が高鳴る、鼻息が荒くなる、無意識に跳びかかりそうになる身体を、理性が待て待てと押さえつける。

 必死に己を押さえつけながら、七夜は目上の少女に告げる。

 自らの、想いを。

 

「ああ、博麗霊夢。あの大図書館であんたの事を知ってから、ずっとあんたを想っていたよ」

 

 まるで発情する獣が今か今かと待ち構えるような表情で、七夜は霊夢を見上げながら語り上げた。

 

「あんたをどう解体するか、どう切るか、どう潰すか、どう裁くか……いや、惨死体はあんたには似合わないな。もっとあっさり綺麗に殺るのが一興かな?」

 

 途端に、霊夢は自分の目が刃物のように細められるのを感じた。

 

「あんたを――どう(ころ)すか。ずっとそればかりを考えていた」

 

 歪んだ笑み、恍惚じみた笑み、殺意という愛情。

 その全てが、霊夢にとっては不快、忌避、嫌悪といった感情を抱かせる。

 

「なに貴方。変態? 死の魂がほざくんじゃないわよ」

 

 言って、霊夢のお祓い棒を持つ右手に力が入る。

 今すぐにでも七夜を滅したいのか、手にはもうすでに博麗の紋章が入ったお札が握られていた。

 やれやれと言わんばかりに七夜は肩を竦める。

 どうやら相手は自分の想いを受け取らずに、このまま自分を消したいと思っているらしい。

 つまり、相手は自分の想いを受け止めてくれる気はないようだ。

 だが、応えてくれぬのなら、こちらが一方的に想いをぶつけるだけである。

 

「ああ。あんたみたいな麗人と殺り合って、思う存分解体できるなんて夢みたいだ! さあ、殺し合おうっ!」

 

 ――こんな……。

 霊夢の腕に力が入る。

 ――こんな血に飢えた死者(やつら)なんかに、お義母さんはっ……!

 我慢仕切れないのは、霊夢も同じ。

 そして、霊夢は宣告した。

 

「死になさい」

 

 瞬間、七夜の視界を覆い尽くすのは光。

 更には七夜と霊夢がいる空間が結界に包み込まれる。如何に避けようとも爆風を逃さず、七夜を圧殺するつもりなのだろう。

 七夜は地面にナイフを突き立て、その結界を殺し、再び空を見る。

 ――ああ、なんて……。

 

「なんて、黒い空なんだ……!」

 

 その蒼眼に映るのは、黒い空。

 世界を支配する弾幕の一つ一つに走る死の線が、まるで光を闇で覆い隠しているかのよう。陰陽のごとく明暗が分かれた色彩の弾幕を、七夜はただ笑いながら見つめ、跳んだ。

 一足ではあの巫女まで到底届かない。

 ならば、パチュリーから貰った指輪を使い、足場を想像し、七夜は更に跳ぶ。

 加速しきった身体に更に足場を用いて加速をかけ、人の境界を越えながら弾幕の海へと身を投じた。

 迫り来る黒い空へ向けて、ナイフを突き立てる。

 休む間もなくナイフを振るい続け、七夜は己に着弾するであろう弾幕のみを殺しながら黒い世界を疾駆する。

 加速に加速をかけた速さは獣をゆうに超え、身体の節々が悲鳴を訴えるが、七夜は気にしない。これくらいの芸当を成せなければ、待っているのは死のみだ。

 七夜はただ単純に霊夢を目指して弾幕を殺している訳では無かった。その弾幕が障害物としてあれるように、狩り場に相応しいように、必要な弾幕だけを消していく。

 一定の弾幕のみを消し去って理想的な狩り場へと作り替えていく。暗殺を極めたものならば相応しい狩り場へ作り替えることなど朝飯前。

 その最中、僅かに見えた隙間から、此方を睨み付ける少女の姿を、七夜は目視した。

 

 即座に周囲の弾幕を目くらましにして少女の視界から消える。

 この時点で、霊夢は己の失策に気がついた。

 相手の動きからして、明らかに屋内での戦闘に特化したスタイルであること。自分の結界を消して見せた芸当といい、この弾幕は相手にとってのいい目くらましにしかならないのだと霊夢は悟る。

 ならば。

 

「これなら、どうかしら!?」

 

 霊夢の意思で、世界を覆い尽くしていた弾幕は姿を消す。

 だが、既に七夜は霊夢の目前まで迫っていた。

 それに対して霊夢は特に焦らない。

 結界で防ぐなどといった愚かな選択肢は霊夢の中にはもうない。貼った所でナイフの一振りで消されるのが目に見えているからだ。

 迎撃の構えを取る霊夢であったが、途端に霊夢の視界から七夜の姿が消えた。

 一足で、ではなく三足。

 指輪で足場を作って蹴り、加速。それを瞬時の内に三度繰り返して、その加速はついに霊夢の認識を超えた。

 どこだ、と霊夢は七夜の姿を追う。

 遮る影がないので上はない。

 左右にも、自分の勘によればおそらくいない。ならば――

 

「下っ!」

「っ!?」

 

 如何に精巧な気配遮断を持とうとも、理不尽のごとき勘を持つ巫女の前ではそれも無意味。霊夢から放たれるのは高速で迫り来る針。

 その全てを弾く七夜。

 即座にまた霊夢の視界から姿を消そうと空中に足場を想像して蹴るが、霊夢には通用しない。

 元々暗殺のためだけにある体術。結果を出せなかった時点で待つのは死のみ。その段階すら七夜はとうに通り越している。

 これ以上は限界がある。

 七夜の動きは、霊夢にはもうお見通しだった。

 一瞬で視界から消えてみせる瞬発力自体は厄介であったが、数々の異変を解決してきた霊夢にとっては、それ以上の速さを持つ敵は幾度となく見てきている。

 勿論、七夜の瞬発力自体は霊夢が相対してきた敵の中でも群を抜いていたが、今更ケモノ程度のスピードで霊夢を翻弄することなどできよう筈がない。

 

「ちぃっ!?」

 

 聞こえる舌打ち。

 それでも、七夜のその笑みだけは消えなかった。

 自身の技が通じない。戦闘手段の大半が己の体術にある七夜にとっては凄まじい痛手である。

 如何に万物を殺せる眼を持とうとも、それに触れるには技が不可欠。その技が既に通用しないのならば、この勝負は七夜に勝ち目などない。元々、出来レースにも程がある勝負だったのだ。

 片や超能力が少し使えるだけの人間、片や博麗の結界を担う器。そもそもの格が違いすぎた。

 

 だが、七夜は笑っていた。

 嬉しそうに、楽しそうに。その頭の中で幾度となく霊夢という少女を犯し、殺し、解体してきた。それが現実で形になったことは一つとしてないが、とにかくそういった霊夢への想いこそが七夜の原動力だったのだ。

 殺人鬼は、止まらない。

 故に、霊夢は少しだけこの男を恐れた。

 故に、早めに勝負を付けようとした。

 

――夢想封印・散

 

 霊夢を中心に、全方位に向けてお札の弾幕が放たれる。

 無論、ナイフ以外に攻撃手段を持たない七夜は、それでも霊夢にその刃を届かせるためには、弾幕を避けながら霊夢に接近するしか術はない。

 紙一重で札の弾幕を受け流し、避け、さながら空中を舞うを蜘蛛のごとき動きで翻弄しつつ接近する。

 

「蹴り穿つ……!」

 

 放たれるは、正面からの蹴り上げ。

 無論、見え見えの攻撃などに霊夢が当たる訳がなく、霊夢はひょいと身を翻して避けるが、その瞬間。

 

「っ!?」

 

 振り向いたその先にいた七夜の分身が、霊夢の顎を蹴り抜いた。

 法術も、外法も、魔法も、妖術さえも用いない、純粋な体術を以て生み出された分身が、霊夢の顎を蹴り上げたのだ。

 霊力による身体強化によりダメージを免れた霊夢であったが、一撃を受けたという事実は変わらない。

 仰け反った霊夢の身体の背後から、その命を刈り取らんとする凶刃が迫っていた。

 弾丸のごとき迫るナイフの切っ先。狙うは霊夢の背中にある“死の点”。

 だが、霊夢は持ち前の勘を発揮し、身を翻して避ける。

 避けられることなど分かっていたと言わんばかりに七夜はとっさに刃を引っ込めて、霊夢の視界に入らないように、蜘蛛の足さばきで空中を移動し、再び死角から霊夢を襲う。

 

 これを逃せば、チャンスはない!

 

 動きで翻弄できないと分かった以上、この隙を逃せば、今度こそ次は無い。

 己にそう言い聞かせた七夜は、懐から投擲用の銀のナイフを取り出し、両手にナイフを持ちながら攻めていく。

 全方位からの奇襲ではなく、一点を狙っての、連続切り。

 並の魔であれば一瞬で解体する斬撃の嵐を繰り出す。

 閃鞘・八点衝と呼ばれる技を、両手のナイフ2本で行使する。さすがにお互い立ち止まっての白兵戦であるのならば、体術で上を行く七夜に分がある。

 その死角からの斬撃の嵐を、霊夢は咄嗟にお祓い棒を振り回して裁いて見せた。捌ききれぬ斬撃には咄嗟に弾幕をぶつけ、逆にその爆風で七夜にダメージを与えるという芸当までこなしてきた。

 この奇襲は失敗。

 霊夢は無傷、七夜は逆に爆風によるダメージを受け、額から血を流していた。

 それでも、七夜は止まらない。

 

――――極死

 

 咄嗟の対処に追われたが故、霊夢とて隙が無いわけではない。

 本来ならば離れた距離から打つその技を、近距離で成し遂げようという荒技に七夜は挑戦する。

 身体ごと、横に振るわれる銀のナイフは、霊夢の心臓を刻まんとするが、霊夢はソレを後退して避けた。

 だが、この振りは元より切り刻むためではなく投擲するためにあるものだ、霊夢が避けたその瞬間、銀のナイフは霊夢の心臓に向けて投擲された。

 

「っ!?」

 

 その勢いと同時に、七夜は霊夢の背後へ背面跳びで跳び上がる。

 至近距離から放たれた関係上、本来ならば跳んだ勢いで敵の首をねじ切るこの技では、敵の首をへし折るには至らない。

 だが、七夜にはそんなものは必要ない。

 獲物の首を切り落とすのにそんな力などいらない……ソレを可能にせしめる眼を七夜は持っている。

 心臓に突き刺さり舞い上がった血の膜はカーテンとなって、霊夢の視界を遮る。

 霊夢は、背後に跳び回った七夜に気付いていない。

 

――――七夜!

 

 もう一方のナイフで、霊夢の首に走っている死の線を切りつけ、そこでようやく七夜は気付いた。

 己の、過ちに。

 七夜の眼は、あり得ざるものを視る事が出来る。

 近くで凝視して、やっと気付いた。

 自分が殺した霊夢が、まがい物であるという事実に。取れた首と、胴体が、無数の札となって散っていく。

 

「……冗談」

 

 呟くも刹那、既に遠くに瞬間移動していた霊夢本人が、地上から己を見物しているのが七夜の目に入る。

 ――おいおい、何の冗談だよ、本当に……。

 いつ入れ替わったのかという疑問もある。この眼で見ても気付くのが遅かった辺り、絶妙なタイミングで入れ替わっていた事に間違いは無いが、それ以上に、ある事実が七夜の心底を震え上がらせた。

 ――姿形はともかくとしても、死の線や点の位置までもが、まったく同じの分身を作り上げるだと?

 それは、最早分身の域を超えているのでは無いか?

 かの紅霧異変にて時を操る咲夜すらもが欺かれた分身……七夜が見れば、その分身の精巧さは更に際立っていた。

 宙にて戦慄する七夜を見上げ、霊夢はお構いなくお祓い棒を振るい、更なる術を発動させた。

 

夢想封印・集

 

 夢想封印・散によって散っていった札の弾幕が、霊夢の分身に向け、まるで吸い寄せられるように戻っていく。

 その速さは、散の時の非ではない。

 この術の異様さはあくまで散の術の時に放った霊夢本人にではなく、散っていった分身の元へ集まっていく点であった。

 歴代の博麗の巫女ではなし得ない、才能という生まれ持った素質のみで、霊夢はソレを成し遂げていた。

 

 全方位からの、札の凶刃が、七夜に襲いかかる。

 

「ハっ!」

 

 自らの下手を鼻で自嘲した七夜の行動は早かった。

 出し惜しみなどない。

 懐にある投擲用の銀のナイフを全て取り出し、一点に向けて投げつけた。

 それは一方向からくる札の弾幕の死の線に向けて、飛来していく。

 投げられたナイフの一本一本は計算されているのか、一個の札を殺すには飽き足らず、奥の方から迫ってくる札の弾幕の死すらもなぞっていく。

 一瞬のうちに出来た突破口へ向けて、七夜はナイフを投擲すると同時に跳んでいた。

 目指すは下の一点に作った突破口。殺しきれなかった無数の札を紙一重で避け切り、七夜はようやくその包囲網から脱する事ができた。

 

「つつっ」

 

 何の外法も用いず身体を酷使した代償は、遠慮なく七夜へと襲いかかる。

 爆風による傷。

 人間の限界の動きでもある体術の酷使により悲鳴を上げる筋肉。

 弾幕による無数のかすり傷。

 そして、生物以外の死を視すぎた事による頭痛。

 それら全てが七夜に襲いかかってきた。

 さらに、それだけではない。

 遠目からソレを眺めていた本体の霊夢にとっては、その代償に苦しむ七夜は格好の的だった。

 打ち落とされ、落下しゆく羽虫を逃がさんとばかりに、空中へ落下する七夜へと霊夢は肉薄していた。

 

「これで、終わりっ!」

 

 霊夢の掌底に霊力の塊が集中する。

 身体を動かせない七夜は、ソレを受け入れるしか、ない。

 霊力の塊が、七夜の腹へとたたき込まれた。

 

「ガ、ァっ!?」

 

 跡形もなく消えてしまえ、そんな霊夢の願望を叶えるかのように、腹にたたき込まれた霊力の塊は七夜の中で暴走する。

 外から叩き潰すのでは無く、内側から破裂させる技。

 スペルカードルールなどお構いなしの一撃。

 あと一瞬の未来で、七夜の身体は内側からはじけ飛ぶ。まるで風船が割れるかの如く、あと一瞬でその光景は現実となるだろう。

 

 だが、七夜は違った。

 

「なっ!?」

 

 驚きを隠せない霊夢。

 無理も無い。腹にたたき込んだ霊力の塊はそのまま七夜を内側から食い荒らすとばかりと思われた。

 だが、寸での所で身体を動かせるようになった七夜が、腹にたたき込まれた霊力の塊に向けてナイフを突き立てたのだ。

 それだけで、霊力の塊は消え去った。

 

 動揺する霊夢。

 その隙を七夜は見逃さない。

 身を引く霊夢の腕を掴み取り、もう一方の腕で振るわれる一閃。狙うは霊夢の腕に走る死の線。今度ばかりは分身ではなく本物。一度その技を見た七夜は今度こそ霊夢を見逃さない。

 

 しかし、持ち前の勘か、霊夢は身体を捻らせて死を回避。

 振るわれたナイフはただ霊夢の右腕を浅く切り裂くに留まった。

 だが、と七夜は微笑む。

 

「やっと、二撃目」

 

 一撃目は、二重六兎による分身が入れた蹴撃。

 そして二撃目でついに、七夜本人が霊夢に一撃を入れた。

 

「この……!」

 

 出血する腕を押さえて、霊夢は七夜に向けて札と針による弾幕を飛ばす。

 既に動ける七夜は空中に想像した壁を蹴り、四肢を突くようにして地面に落下する。

 ――ああ、駄目だ。

 七夜は弱音を吐く。

 不意を突いて入れた、ようやくの一撃。

 だが、おそらく何の気休めにもならない一撃だ。それに比べて此方はこんな体たらく。

 まったく、払った代償の割に合ったものではない。

 だけど、だからこそ。

 

「やべぇ……!」

 

 七夜は尚も笑う。

 こんな所で終わらせるなんて勿体ない。例えソレが確定しきった自分の敗北によるものであったとしても。

 空の戦いで、これだけ楽しめた。

 相手のテリトリー内での戦いでこれだけ楽しめたのだ。

 ならば、自分も魅せなければ相手に失礼だろう。ならばこそ、決着は相応しい場所で付けねばならない。

 己の得意とする狩り場の中で、あの巫女を仕留めてみせようではないか。

 

「楽しすぎだってあんた……!」

 

 笑いながら、七夜は四肢を突きながらケモノの如きスピードで背後にある森林に向けて疾走した。

 純粋な逃亡行為。男ならば情けないことこの上ない痴態だが、それでも七夜はあの巫女ならば付いてきてくれると信じていた。

 ……だって、あんなにも自分に殺意を向けてくれるんだから。心地いいことこの上ない!

 

「ッ、まだ動くっていうのッ!?」

 

 そんな七夜の背を見据えた霊夢は、呆然となる。

 霊夢は相手の状態を考える。

 見たところ、魔法などの術を行使している訳でも無いのにあの動き、確実に男の身体を蝕んでいる筈だ。

 おまけに弾幕だっていくつか被弾している筈である。

 ……それで尚、あの動きである。

 

「けど、逃がさないッ!!」

 

 霊夢もまた降り立ち、森林へと足を踏み入れる。

 手負いの獣ほど恐ろしい存在はいない。

 ――ならば、完膚なきまで滅してやらねば……!

 一人の獣は快楽を求めて逃走し、一人の巫女もまた憎しみのままに獣を追う。

 それが、踏み込んではいけない領域であると、霊夢が知るのはまだ先であった。

 

 木々のヴェールを突っ走る。

 霊夢は己の全速力を持って森林の中を飛んでいた。進むにつれて、その樹海は更に大きくなっていく。

 紅魔館周辺に位置するこの森林地帯は、紅霧異変の影響により、妖力の霧たる紅霧を吸い込んだことにより、一本一本の木がまるで一個の城の如き大きさまで成長していた。

 ――なるほど、自分のテリトリーにご招待って訳ね。

 七夜の意図を察した霊夢は、思わず己の腕の傷を見やる。

 少量の血が流れ出ているソレは、霊夢が忌み嫌う死者から付けられた、確かな屈辱の証だった。

 けど、それももうすぐ無に帰す。

 あれは、完膚なきまで叩き潰すと霊夢は心に決めた

 その瞬間、彼女の身体は全ての事象から『浮』いた。

 

 

     ◇

 

 

「ハ、かッ、ぐ、……」

 

 額から流れる血を袖で拭い、七夜は巨木を背に座り込んだ。

 あまりにも一方的だった。

 こうして獲物がやってくるの待っている七夜であったが、下手したらその前に七夜自身が失神死しかねない程だった。

 肉体的なダメージであるのならばまだしも、蜘蛛の体術といい、死を視る眼といい、七夜の能力は長時間使用し続けるとリバウンドが凄まじい類いのものばかりなのだ。

 さっきから、あのとてつもない量の弾幕の死を視すぎて、脳がどうにかなってしまいそうだった。

 

「なんて――無様……」

 

 自嘲する七夜。

 これは本当に死んでしまうかもしれないと、七夜は思った。

 七夜は、今までのことを思い返してみる。

 さきの殺し合いとは無関係――ようは柄にも無く感傷に浸ってみようと思ったのだ。

 自分の獲物には責任を持たないと行けない――そう己の言い聞かせてきながら、結局目を付けた獲物を解体することは一度としてなかったな、と七夜は思い返す。

 

「ハァ、メイド長だけでも解体しておくべきだったか……」

 

 思い浮かべるのは、この三日間で随分と世話になった銀髪のメイド。何だかんだで世話をかけてしまっていた少女。思えば、何も返してやることはできなかった。

 だからこそ、せめて解体だけでもするべきだったと思わずにはいられなかったわけだが。

 それを思うと、自分は未練ばかりを残してきたなと七夜は自嘲する。

 ――けれど、仕方ないじゃないか。

 そんな未練なんて、どうでもいい程の楽しい時間を、自分は今味わえているのだから。

 

 カラン、とそんな音が響いた。

 

 頭の中に未だに色はせない紅白の巫女を思い浮かべるや否や、七夜は突如として音のした方向へ目を落とした。

 そこには、割れたパンダのお面が落ちていた。

 燕尾服の内ポケットにしまわれていたパンダのお面。あの婦警を助けるために、町の住民に救助を願い出た際、顔を覚えられたら面倒と思い急遽古道具店から購入したお面であったが……。

 

「ああ、コイツのおかげだったのか……」

 

 割れたお面を見下ろし、七夜は思い返す。

 あの霊力を込めた掌底、咄嗟に反応が間に合って殺すことができたが、その一瞬の間がなければそれすらも叶わなかった。

 懐に忍ばせていたこのパンダのお面がクッションになり、掌底が腹に到達するのが一瞬だけ遅れた。その一瞬の間を、このお面は作ってくれたのだ。

 人生、何があるか分かったものじゃないなと七夜は空を見上げた。

 

 見上げた途端、小粒が降り注ぐ。

 瞬く間に小粒は大粒へと、降ってくる量もだんだんと多くなり、やがて雨という現象として形となった。

 

「ハハッ、こりゃ好都合」

 

 降り注ぐ雨。

 その源たる雨雲を見つめて、七夜は呟いた。

 唯一の光源たる日光が薄くなったのだ。おまけにここはただでさえ日光をあまり通さない樹海。

 七夜は背後にある木をトントンと叩いた。その手応えを感じ、笑みを深くする。

 曇天により薄くなった日光、更に日光を遮る樹海、それに加えてこの樹木の頑丈さ。

 

「狩り場にはうってつけ、か……」

 

 いよいよこれは運が向いてきたなと七夜は、この時ばかりは神に感謝した……最高の狩り場を与えてくれて有り難うございます、これで気兼ねなくあの巫女を解体することができます、と。

 後は、獲物を待つのみ。

 

 あの巫女は、おそらく本気を出してはいなかった。普段、異変解決に赴く時と同等か、もしくはその半分すら出していない可能性がある。

 それを考えて、七夜は自分とあの巫女のスペック差を想像して更に笑った。

 楽しすぎて、笑った。

 もはやあの巫女を待ち続けるこの時間すらもが愛おしい。あと少しで、自分の望む最高の時間がやってくると。

 子供じみた純真な笑いで、七夜は霊夢を待ち続けた。

 

 そして、巫女は姿を現した。

 

 七夜の遙か頭上の、木の壁を通り抜けて。

 

「は?」

 

 その、あまりにも非常識な光景に、七夜は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。

 幸い、巫女はまだ此方に気付いていない。

 七夜は木を通り抜けて現れた霊夢を凝視する。

 木を通り抜けるだけならばまだ分かる。雨粒が彼女をすり抜けているのもまだ分かる。

 精々霊体化しているのだろうと納得するだけで済んだ。

 

 七夜は、霊夢の死を視ることができなかった。

 

 そんな筈はない、と七夜は自分に言い聞かせる。

 死は万物の結果。どんなものにだって、存在の限界というものはあるのだ。

 それはあの巫女だって例外ではない。その証拠に、七夜の記憶違いでなければ、さっきまであの巫女の死は視えていたのだ。

 

 なのに、視えない。

 

「おい、何の冗談だ。 周りに“死”はあれど、あんたにだけ無いなんてまるで……」

 

 まるで、全てから『浮』いているかのように。

 

「ああ……そうか……」

 

 一人納得する七夜。

 短い思考の末、あの巫女ならば何があってもおかしくない、という結論に至る。納得というよりは、開き直ったというべきか。

 

「浮いているのか、あんた」

 

 既に霊夢はそこに在りながら、七夜の手の届かない次元に立っている。

 最早、視ることさえできず、触れられず、見ることしか叶わないのだろう。

 それでも、七夜は立ち上がる。

 七夜があの浮いた少女に触れられる手段は、それでも『死』以外にはあり得ないだろう。

 だから、死という概念からすらも浮いた、少女の死を理解するしかなかった。

 

「いいぜ、視えないのなら、視えるまで見てやるよ。俺は、ただ『殺す』だけだからな」

 

 それ以外に、自分の存在意義などない。

 七夜は霊夢を凝視する。霊夢はまだ七夜に気付いていない。ならば、全てが手遅れになる前に、七夜は霊夢の死を理解しなければならない。

 浮いた少女を、凝視する。

 ――途轍もない、頭痛が走った。

 まだ視えない。それでも少女を見る。

 ――脳症が、沸騰するように痛かった。

 まだ視えない。遠ざかっていく意識の中で、それでも少女の死を探す。

 ――脳の細胞が、壊死していくのが、手に取るようにわかった。

 

 それでも視続ける。

 それでも、ゼロに何を掛けてもゼロであるように、一向に少女の死は視えてこなかった。

 

「ッギ……、マッダッ……」

 

 視えない。

 いくら見ようとしても視えない。だがそれが何だ、それでも視なければならないのだ。

 故に、視えるまで見続けるしかない。

 

 ――溶けていく、脳細胞。その領域は既に七夜の記憶回路までに到達していた。

 

 自身に手を差し伸べた、物好きな吸血鬼の姿が、七夜の記憶から消えていった。

 さっき殺しかかった、赤髪の婦警の事が、もう思い出せなかった。

 自らに幻想郷のイロハを教えくれた、紫髪の魔法使いとは、誰だったか。

 

 最後には、この幻想郷で一番共に時間を過ごしたであろう、銀髪のメイドの事までもが、頭から抜け落ちた。

 

 蕩けたプリンが重力に耐えられず崩壊していくように、七夜の脳みそもまた痛みという熱と共に崩壊していく。

 いつしか、脳の機能そのものすらも歪曲していった。

 

「……ァ……ィ……」

 

 声を出す機能すら、そんな電気信号すらも、送る事は難しくなっていた。

 そして、ソレを気にする思考能力すらもが、既に抜け落ちていた。

 抜け落ちていく、全てが沸騰する血の熱に耐えきれず、蕩けていく。

 

 七夜は、既に失明していた。

 目の前は真っ暗。何がどこにあるのかさえ、いや見えたとしてもそれが何であるかを思考する事すら、今の七夜にはできないだろう。

 

 ソレデモ、視エナイ……!

 

 それでも、七夜のその執念は、かろうじて霊夢を認識することを可能としていた。

 真っ暗な暗闇の中で、死に近付けば近づくほど、『死』が視えて来る。

 何もない、失明しても尚も視えてしまう『死』。

 その『死』のみが支配する世界の中でも、七夜は尚も霊夢を認識していた。

 

 何故なら、そこにだけ『死』がないのだから。

 

 周りが闇ばかりだからこそ、一点の(ひかり)がよく視えていた。

 その姿を視認することは既に叶わないが、それでも七夜はその少女のことだけは覚えていた。

 己が解体すると決めた、その少女のことだけは。

 

 そして――

 

「見つけた」

 

 霊夢の声が響くと同時、七夜も。

 

――見ツケタ。

 

 死に囲まれた暗闇の中で、霊夢(ひかり)の、ほんの僅かの、薄い死の線を捉えた。

 

 

     ◇

 

 

あのさ ■■

 

『なんだ ■■』

 

今からさ

 

『今から?』

 

超えられるかな あんたの業

 

『……知るか』

 

自惚れかもしれないけれど

この身はもうあんたと並んだと思ってる

 

『…………………』

 

おっと 怒らないでくれよ?

 

『……別に 教えた覚えもねえのに勝手にヒトの業を真似てやがった小僧だ 怒る気も湧きやしねえよ』

 

ハハハッ ソレは 随分な親不孝を働いちまったな けどさ……

 

「けど なんだ?』

 

並ぶだけじゃ もう駄目みたいなんだ だから……

 

『……だから?』

 

今から あんたの背を追うのはやめにするよ

 

『ほぅ?』

 

俺はさ 正確には あんたの■■ですらない いうなればただの幻想(ゆめ)だよ

 

『……』

 

けどさ だからこそ そんなユメ物語があってもいいだろう?

 

『……いいや』

 

……うん?

 

『人生ってのは 巧くできてるもんだ そんな(ユメ)も 一回くらいはあるかもしれねえ』

 

……以外にロマンチストなんだな あんた

 

『そうか? ……いや そうだな』

 

だからさ

 

『だから?』

 

鬼神の名 俺に寄越してくれないか?

 

『……大きく出たな 勝手にしろ』

 

ああ 勝手にする どうせこの身は一抹の夢 ならいっそ悪夢にだってなってやるさ

 

『莫迦だな お前』

 

あんた程じゃないさ

 

『そうか? まあ そうだな そうだ 違いない』

 

違いないだろう?

 

『ああ 違いない』

 

それじゃ もうすぐそっちに逝くから 精々待ってろ 糞(おや)()

 

『――ハッ 逝ってこい 莫迦(むす)()

 

 

     ◇

 

 

 妙なユメを見た気がした。

 いや、そもそもユメとは何だったのか……そんな疑問を抱く思考も、七夜には残っていない。

 『死』を理解しすぎた彼の脳には、もはや『殺す』以外の機能など残ってはいなかった。

 七夜は立ち上がり、ゆっくりと霊夢へと歩み寄る。

 その、光を失ってなおも輝く蒼い虹彩の眼を、霊夢に向けた。

 正確には霊夢ではなく、死が少ない霊夢の『死』に、目を向けていた。

 光のない彼にとっては、死の少ないその光はまるで、最後の希望であるかのように輝いている。

 

――アア、ソウカ。

 

 余分な機能を捨て去った七夜の脳はそれでも思い出す。

 

――自分ハ、アレヲ■シタイ。

 

 僅かな思考、否、本能でそう思った七夜は、虚ろな表情の上に、そっと薄ら笑いを乗せた。

 

「ッ!?」

 

 その笑みがあまりにも不気味で、浮いていた筈の霊夢は身をたじろいでしまった。

 さっきまでの彼とは、全然様子が違う。

 元々死人のような空気を漂わせていた七夜であったが、今の彼はまるで、霊夢のよく知るグールそのものだった。

 ふらりと、緩慢な動作で、七夜は霊夢へ一歩踏み出す。

 

「貴方ッ……」

 

 悪寒が迸り、霊夢もまた下がる。

 

 少しだけ、昔の話をしよう。

 ある所に、二人の鬼神がいた。

 一人は殺戮技巧を以て、“殺す”ことを探求した鬼神。

 もう一人は圧壊の腕を以て、“壊す”ことを究極とした鬼神。

 

 “殺し”と“壊し”。ベクトルの違い故、比べる事すら間違っているが、それでも基準として比べるのであれば、前者は後者に大きく劣っていた。

 生まれつき持たぬが故に“探求”した前者と、生まれながらにして“究極”を持つ後者では雲泥の違いがあった。

 それ故に、前者の鬼神にしか辿り着けない地平も確かに存在していたが、圧倒的な“究極”の前であと一歩及ばず、敗れ去ってしまった。

 “探求”では、“究極”には遠く及ばないのだ。

 

 ずさり、と七夜は一歩前進する。

 

「――ッ」

 

 冷や汗を流す霊夢はその分後退する。

 

 霊夢は『空を飛ぶ程度の能力』を持った巫女である。

 この場合はただ文字通りに空を飛ぶのでなく、霊夢が周囲の事象から文字通り“飛ぶ”のだ。

 一番分かりやすいのは重力、呪い、死、接触……ありとあらゆる事象から、法則から、その世界から、彼女は抜け出す事ができる。他の意識体は霊夢に指一本触れる事は叶わず、霊夢は上から一方的に干渉することができるのだ。

 鬼巫女とも呼ばれる彼女はさしずめ、物事を『俯瞰』する事を究極とした鬼神とも言えよう。

 

 七夜の持つソレは、霊夢の持つ究極には到底敵わない。

 その殺戮技巧も、死を視る眼も、生まれ以てのものではない。生まれ以ての究極を持つ霊夢には、絶対に敵わない。

 こうしてかろうじて霊夢の死を視ることできていても、触れられないのならば同じだろう。

 それでも、生まれ以てのものでないという条件を視野に入れて、七夜もまた究極に至らなければならなかった。それが霊夢に対抗する唯一の術なのだから。

 

 かの鬼神は、殺戮技巧を極めた――それは、ただの探求に過ぎない。

 ■■■■は、二度の臨死体験を得て、死を視る眼に目覚めた――それは、ただ違う視点(カメラ)を手に入れたに過ぎない。

 それら二つを持つ七夜をしても、『究極』には程遠い。

 ならば、今から七夜はソレを手に入れなければならない。かの鬼神とも、■■■■とも違う、七夜自身の極致を以て、『究極』にたどり付かなければならなかった。

 しかし、生まれ以ての究極を持たない七夜が、以下にしてそれを手に出来る手段を持とうか。本来ならば、そんな手段など存在しない。

 

 ――ならば何故、生まれ以ての究極を持つ霊夢が、こうして七夜を相手に退がらなければならないのか?

 

 殺しに最高の業、殺しに最高の眼……後一つ、ピースが欠けている。

 “探求”を“究極”たらしめる最後のピース、その欠けたピースが前の二つと合わされば、あるいは……たどり着けるかもしれない。

 この幻想の箱庭ならば、それも可能かもしれない。

 

 ソレを、七夜は、ついに――

 

「ッ!!!!!!」

 

 その、得体の知れない恐怖に耐えきれず、霊夢はついに周囲に陰陽玉を展開し、四方八方から七夜を鉢の巣にせんと、その光を放った。

 最早、口もきけず、声も出せず、思考すらできない七夜は、ソレを捌く術などない。

 だが、ここに宣言しようではないか。

 

 ここにまた、一人の鬼神が生まれたと。

 

 この後、霊夢は『七夜』を知る事になる。

 何の神秘も持たない、脆弱な人間の身でありながら、魔の血を引く者達から恐れられた由縁を。

 ただ一石を投じる程度の存在でしかない、使い捨ての超能力者の扱いに否と答え、夜の頂点に君臨し続けた業の果てを、霊夢はこの後思い知る事となる。

 

 ここに、生まれ以ての『究極』と、探求の果ての『究極』がぶつかる!

 




現在の七夜の状態。
・諸々満身創痍
・霊夢の死を理解した反動で、脳細胞が色々壊死、失明という代償を得て辛うじて霊夢の死を理解できている状態。
この幻想郷に来てからの記憶も全部抜け落ちてます。

……どうすんのさこれ!

どんな結末をお望み?

  • 諸々あった末くっつくルート
  • 諸々あった末殺し愛ルート
  • 直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート
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