双夜譚 月姫   作:ナスの森

11 / 12
再び、鬼神となり夜の頂へと

 その一瞬の出来事は、まさしく霊夢にとっては未知だったと言わざるを得ないだろう。

 周囲に陰陽玉を展開すると同時に、上下左右の360°包囲から七夜を弾幕で蜂の巣にしようとした瞬間――七夜の姿が、霊夢の視界から消えた。

 否、おそらくは消えたという認識すら、霊夢は持つことができなかっただろう。

 瞬く間に、周囲に展開した筈の陰陽玉が“殺”された。

 

「――」

 

 目を見開く霊夢。

 先ほど七夜が自分の視界から消えたのだという認識を、再び元の位置に着いた七夜を視認することで、ようやく霊夢は持つ事ができた。

 何が起こったのかが分からず、霊夢は頭の中で先ほどの状況を整理する。

 彼が何をしたのか自体は分かる――おそらく、自分の結界を消した時と同じように、周囲の木々を足場にしながら自分の展開した陰陽玉をナイフで消していったのだろう。見たところ、彼は既に投擲用のナイフを全本使ってしまっている様子。ならば、直接陰陽玉に近づいて消していったと見るのが自然だ。

 ……不可解なのは、それ以外の事柄だった。

 

「……」

 

 恐る恐る、霊夢は元の位置に立った七夜を見下ろす。弾幕がかすれてボロボロになった燕尾服、額から流れている血、その他弾幕による掠り傷。おまけに身体強化もなしになし得たあの無茶苦茶な動き。

 不可解なのは、何故それほどのダメージを負っておきながら、自分が反応する間もなくソレを実行できたのかという事。

 ――何かが、違う。

 そう直感するや否や、再び七夜の顔が霊夢を見上げる。

 ただひたすらに、霊夢のよく知る死者のような瞳孔のない目。その目からは既に光を失っている。

 それでも、七夜の眼は霊夢の方を向いていた。

 瞳孔をなくしても、それでもその蒼い虹彩の輝きだけは如何ともしがたく消えない。光の届かない樹海の中で、それは月光を反射する刃物の如く煌めいている。

 

「貴方……一体ッ」

 

 目の前の彼は、霊夢の知る死者ではない。死者など生ぬるい。それらとは比べものにならないくらいの、“死の気配”を放っている。

 一方的に死を与えてくるような西行寺幽々子の気配ともまったく異なる……あらゆるものの死という理不尽を内包しているかのような……言うなれば、“死”そのもの。

 

「――ッ」

 

 絶え間なく警告を鳴らす自らの勘に従い、霊夢は再び七夜の周囲に陰陽玉を展開する。

 例え避けようとその陰陽玉は地の果てまでさえ獲物を追い続ける――術者たる霊夢はただそれを上から『俯瞰』するだけで良いのだ。

 だが、霊夢は安心できなかった。更に札を掲げて自らの十八番とも言える術を発動する。

 

――夢想封印

 

 放たれるは七色の光。それぞれ別の色を持つ七つの光弾が、出現する、その前に。

 その光は。

 斬、という刃音に瞬く魔に消え去った。

 

「な……!」

 

 先ほどとまったく同じ現象。

 今度は偶然などではない、七夜は今の霊夢すら見きれないスピードで、陰陽玉や夢想封印の光弾を消していったのだ。

 それらが動き出す前に、それよりも速く、七夜の身体は疾駆していた。

 霊夢の真下にいた七夜の身体が崩れ落ちる。

 明らかな疲弊。しかし、それによる荒い呼吸は一切ない。いや、呼吸をしていないというよりは。

 まるで、呼吸する機能を失っているかのようだった。

 

 故に、一息つく事すら無く、七夜は立ち上がって再び霊夢を見て――

 それを認識する前に、霊夢は『浮』いている身体を後退させた。最早勘に縋る暇すらない。言うなれば、身体が勝手に動いていた。

 前方に何重にも結界を張りながらの後退。

 その結界の光を視認した瞬間、結界が消されたという認識が生み出される前に、凶刃が霊夢の眼前へと躍り出た。

 その兇刃が迫っているのだと認識する前に、霊夢の身体は消えた。

 遙か後方の場所に霊夢の身体は出現する。

 『浮』いている筈の霊夢の身体。後退する必要性など何処にも無い。だが、それでも博麗霊夢は退いた。

 アレに当たってはならないと、霊夢の勘ではなく、それより先に身体が動いた。

 

「な、何が……」

 

 襲いかかる悪寒。

 霊夢は思い返す、先ほどの一瞬を。

 三回だ、三回もその一瞬を垣間見た。その三回を味わい、霊夢はようやくある事に気付いたのだ。

 ――何で、ナイフの刃音よりも、弾幕の光が消えるタイミングの方が速いのよ……。

 振るわれる刃の音すらも置き去りにする斬撃。明らかに人の域を超えている。

 おかしい、こんな事はおかしいと霊夢は頭の中で繰り返す。七夜の蜘蛛の動きや獣じみたスピードは確かに人の域を超えた体術だ。だが、霊夢からすればそれは曲芸の域を出ない動きだった。

 如何に動きが奇怪なれど、そのスピードはケモノが精々。空を飛ぶ少女達や、ましてや天狗の逃げ足と比べれば赤子に等しい速さだ。

 この変化は明らかにおかしい。ここに来て隠し球を用意していた、なんて様子も見受けられない。

 一体、何が彼を変えたというのだろうか。

 霊夢は知らなかった。それは確かに、彼女の知らない領域だった。

 

 ここに、自分と対をなす鬼神が生まれたのだという事実に、霊夢はまだ気付かない。

 

「ッ!?」

 

 そして、その速さを獲得しながら、その隠形形態の式神じみた気配遮断は未だ健在であった。いつの間にか己の真下まで移動していた七夜の姿に、霊夢はまたもや目を見開いた。

 霊夢の身体が取った突発的な瞬間移動は、紛れもなく線ではなく点の動き、つまり文字通りの瞬間移動だった。

 それに対し、七夜の動きは言うまでも無く線。その線の動きが、点の動きに追随するなど、あってはならない筈だった。

 

 だが、ここに万に一つの鬼神がいた。

 

 木々を足場に気配を悟られる事無く、瞬間移動という理不尽に追随する速さを持って追いついた蜘蛛が、そこにはいた。

 それほどの無茶な動きをしておきながら、七夜の息は上がっていない。だが、明らかに疲弊していた。

 いや、疲弊していたというよりは、自らが思うよりも力が出て、どう制御すればいいのか分からない、といった方が正しいだろう。

 だが、それも時間の問題だった。

 ナイフを持っていない方の、七夜の手が握ったり開いたりを繰り返している。

 ゆっくりと、光の失った蒼い双眸が霊夢の方へ見上げられる。

 

 その笑みは、まるでリラックスでもしているかのような、穏やかな笑みだった。

 

 その刃物のような目付きと、穏やかな口元は決定的に釣り合っていない。

 そのアンバランスな笑みが、余計に霊夢の恐怖を引き立てる。

 

 霊夢の勘が騒ぐ。

 次は、もう今までのようにはいかないだろう。弾幕を展開すれば、それを消されるには飽き足らず、この身は解体されてしまうだろう。下手したら、消される事無くこの身が先に殺されてしまうかもしれない。

 

 七夜の身体が闇に消える。

 周囲の木々を伝って、まるで世界を死が支配しているかのような、猛烈な殺気が霊夢に降りかかった。

 

「……ッ」

 

 ソレは、霊夢が知らない世界。

 霊夢が体験した中で一番近い世界は、間違いなく西行寺の異変。だが、それすら生ぬるい。

 その身を捨ててでも己を殺しにかかろうとする存在を、霊夢は初めて見るのだった。

 故に、その恐れもまた霊夢の限界というパラメーターを振り切った。最早周囲と言わず、世界全体を歪める弾幕。

 『浮』いた霊夢の身体と同じように、何にもとらわれることなく、樹海という蜘蛛の巣すら通り抜けて蜘蛛を圧殺せんとする弾幕の群れが七夜に襲いかかった。

 

 

     ◇

 

 

 頭痛がする。目が見えない。息ができない。音が聞こえない。

 あらゆる五感が薄れてゆく。

 ならば『死』という第六感の他に頼る存在はなかった。

 

 七夜の視界は、死で埋もれていた。とうに失明した七夜は世界を色や形で捉える事は既に叶わず、蠢き動き回る黒い線や点だけが七夜の見える世界だった。

 その世界の中で、一点だけ光があった。その光だけは、死が僅かにしか存在しない。その光は、少女のようなヒトガタのシルエットを保っている。

 その光には死の点はなく、細い死の線だけが数本通っている。

 

「ク……アハハハッッ……!!」

 

 ――ああ、世界が死に満ちている……! なのに、アレだけは如何ともしがたく色褪せない!

 きっと、如何ともしがたく高尚な存在なのだろう。自分のような地を這いつくばるのがお似合いな蜘蛛など、比べものにならないくらいの高嶺の花なのだろう。

 決して手の届かない月に向けて、必死に糸を吐き続ける憐れな蜘蛛……それが今の自分なのだろうと七夜は僅かに残った意識でそう思考する。

 

 その光が、一体何であったのかは七夜は思い出せない。

 自分が恋い焦がれた存在なのか、それとも憎い存在であったのか。それすらも七夜にはもう分からない。

 死を理解しすぎた脳は、それを思い出す機能など既に存在しなかった。

 それでも、だからこそ、七夜は分かった。

 ――自分は、アレを殺したいのだと。

 ならば、解体しよう!

 この身が燃え尽きようとも、あの光だけは何としても己の手中に収めて見せようではないか。

 死という闇の中で、色褪せず輝いている霊夢(ひかり)を愛おしそうに見つめ、七夜はその恋慕(さつい)をぶつけた。

 

 樹海をすり抜けて七夜に襲いかかる弾幕。

 避ける隙間などない、そもそも避け切れる速さですらない。避けたとしてもありとあらゆる邪魔者をすり抜けてそれらは追随してくる。

 だが、それらは七夜の動きに追いつけなかった。

 

 音を置き去りにする疾風、ケモノなど生ぬるい疾走を以て三次元的な動きを展開し、弾幕を殺し、避け、受け流し、驚異的な運動と反射神経を以て弾幕の雨をくぐり抜け、その愛おしき光の死を捉える。

 

 その光は、一つの『究極』だった。

 七夜が持ち得ない『究極』の持ち主。存在が違いすぎるあまりに近づいただけでその断層に飲み込まれる。

 立っている位置があまりにも違いすぎる。

 俯瞰する事を究極とした光は本来、七夜の手の届く存在ではないのだ。

 

 それでも、七夜はその執念を以てして、その究極に手を届かせるために、自らもまた『究極』となった。

 殺しに最高の業、殺しに最高の眼。そしてあと一つ、『探求』を『究極』たらしめるあと一つのピースを、七夜はようやく手にしたのだ。

 熟考するまでもない。

 業、眼――ならば次に来るのは、殺しに『最高の肉体』であろう。

 言い換えるのであれば、その殺しに最高の業を最大限まで発揮するための肉体だったのだ。

 その肉体を手にし、七夜はかの鬼神ですら『探求』止まりだったソレを、ついに『究極』にまで昇華してみせた。

 

 問題は、その肉体を手に入れるための手段。

 七夜の急激な身体能力の向上――その方法は至って単純だった。

 幻想郷が博麗大結界に囲まれるよりも遙かな昔。古来の侍たちは殺し殺されるような事を当然のように受け入れたという。それは武士としての心構えにあらず、刀の柄を握った瞬間に、彼らは覚醒するのだ。

 試合の前に気を引き締める、というレベルの話ではない。彼らは刀を抜く事で脳の機能を切り替えるのではない。脳が、肉体を戦闘用に作り替えるのだ。

 かくして肉体は生物が使用すべきではない方法で活動し、血脈は血液の循環ルートを変えて呼吸さえさせなくなる……そう、戦いに無駄な「ヒト」としての機能は全て排除され、戦闘用の部品に作り替えてしまう。

 

 一言で言えば、七夜はその古来の侍達と同じような手法で、自らの肉体を作り替えたのだ。

 

 あくまで、一言で言えば。簡単に聞こえるが、これはそういった単純な話ではない。

 まず前提として、侍が使う剣術とはヒトが扱う武術である。その人が剣を振るう事を前提とした動きに特化するように、古来の侍達は自らの肉体を変革せしめる。

 だが、七夜の扱う体術は根本的に違う。

 七夜の扱う蜘蛛の体術は、四足獣であるのならば体得可能であると言われている……逆に言うのであれば、その手の人間以外では、四足獣でなければ体得不可能なのだ。元四足獣の妖怪では駄目、四足獣そのものでなければ体得は不可能。ヒトガタの妖怪になった時点で体得する可能性は閉ざされる。妖怪という存在に昇華すればそれ以上の恩恵があるのだから、体得する必要もない。

 その動きに特化するように肉体を作り替えるのは、さすがに古来の侍たちといえど容易ではない。

 人間の限界の動きとも言われるその体術は、言い換えるのならば人間がギリギリ体得できる体術であって、人間が扱うのに適した体術ではないのだ。

 ヒトが扱う事を前提とした剣術を最大限発揮できるように肉体を作り替える事と、ヒトがギリギリ体得できる人外的な体術をソレ向きに作り替えるとでは、肉体の作り替わり方が根本的に異なる。

 七夜に流れる血はその体術を扱うのに適した身体ではあるが、『最高』の身体ではない。

 最適の身体から、最高の身体に作り替える……殺しに特化した業に最適な肉体ではなく、それを扱うのにこれ以上ない肉体に作り替える……その荒技を、七夜は成し遂げた。

 

 その肉体の作り替わり方は、古来の侍達とは根本的に違うだろう。

 肉体の活動の仕方も、血液の循環ルートも、作り替わる部品も根本的に異なる。

 侍達が行った変革など比べものにならないくらいに、根本の部分から肉体を作り替えた。

 ヒトではなく、戦闘のためだけに生まれたケモノそのものの身体に、自らを変革せしめたのだ。

 

 死を理解しすぎた事によって、『殺す』以外の余分な機能は脳から削ぎ落とされ、その細胞は蕩け、壊死し、脳機能そのものが大きく歪曲した。

 大きく歪曲したその脳機能が、七夜の身体を、その業を扱うのに最高の肉体に作り替えたのだ。

 古来の侍達が刀という武器を持って自らを変革したように、七夜もまた『死』という武器を持って自らを変革した。

 

 この幻想の箱庭であるからこそ実現できた奇跡。

 ここに、三つの奇跡が揃った。

 殺しに最高の業、殺しに最高の眼、殺しに最高の肉体……三つの奇跡(ピース)が合わさり、七夜はついに『究極』へと至った。

 かの鬼神ですら、殺す事は『探求』止まりだった。

 七夜はその『探求』を『究極』へと昇華させた。

 

 ここに、殺す事を追求した鬼神の名を継ぎ、殺す事を究極とした鬼神が生まれたのだ。

 

 本来、この死を視る眼ですら殺せなかったヒトと人外の境界。

 七夜は、その境界すらも殺して見せた。

 その境界を殺し、七夜はついに鬼神となった。

 

 その動きは、先の七夜の比ではない。

 木々の間を縫って跳び回る蜘蛛の姿が、霊夢にはまったく捉えられないでいた。動きそのものはまったく変わらない。

 ただ速さが、力が、反射速度がまったく違う。

 殺すという電気信号のみを発信する脳により作り変わった肉体の影は、霊夢の五感に捕らわれる事を断じて許さない。

 速さだけならば、まだ霊夢にとっては問題にはならなかった。だがそもそもの話、如何に瞬発力を高めようとケモノ程度の速度しかないから霊夢の相手にならなかったのであって、その肝心の速度を高められては一気に脅威度が増す。

 

 その速度が既にあった瞬発力、気配遮断、および蜘蛛の動きと合わさり、霊夢は七夜の影を捉えられないでいた。

 分かるのは、ただひたすらに木々という蜘蛛の巣を伝って突き刺さる殺気。

 

――コイツ、なんで止まらないのよ……!!

 

 その殺気は今まで感じていた殺気とは、“質”が違った。

 紅霧異変の時に、吸血鬼のレミリアから感じた自分を見下す高圧的な殺気とも違う。

 春雪異変の時に、西行寺幽々子の従者・魂魄妖夢の、主を守らんとその剣を振るう美麗な殺気ともまた違う。

 “生粋”の殺人鬼としての、単純で、他の意が混じらぬ鋭くて、純粋な殺気。

 こうして自らの弾幕で世界を埋めているにも関わらず、未だその殺気が衰えない。つまり、この地獄絵図の光の中で、蜘蛛は未だに己を付け狙っているという事だった。

 

 それは、確かに霊夢の知らない領域だった。

 『俯瞰』する事を究極とした鬼神と、『殺す』ことを究極とした鬼神。

 基準として比べるのならば、同じ究極を以てしても後者は前者に大きく劣る。俯瞰とはすなわち全てを見下ろす事である。

 全てを上から凌駕し、干渉し、制圧し、自らを侵す者は誰一人として存在しない。その究極は、殺すというただ一点の究極など比べものになりはしないだろう。

 

 そもそも、生まれ以てしてその究極を持ち得た霊夢と、高すぎる代償を払ってようやくソレにたどり着いた七夜では雲泥の差が存在する。

 それでも、確かに、その存在は霊夢にとって未知だった。

 自らを殺し得るかもしれない存在……そもそもとして、霊夢は博麗の巫女という立場上、命を侵される心配がない。

 幻想郷において異変を起こした者は、博麗の巫女という絶対の存在に挑むという事を意味する。しかし、その巫女を倒せば幻想郷は維持できなくなり、自らもまた死ぬ。

 つまり、異変を起こす者は、自分は博麗の巫女に敗れるという前提を受け入れた上で異変を起こさなければならないのだ。

 そして、その異変を起こした者の中に、自らの消滅を省みる輩が殆どだったのは言うまでも無い。所詮、スペルカードルールという遊びを前提としたお祭りみたいなものなのだ。

 霊夢とて面倒と思いつつも、心の何処かでは退屈な日常に魔を刺すように起こる異変を楽しんでいる節もある。

 

 だが、ここに万に一つの鬼神がいた。

 

 自らの消滅も厭わず、自己すら失い兼ねないほどの代償を払ってでも、博麗霊夢を抹殺しようとする者がここにいたのだ。

 その到底理解し得ない所業も、殺気も……どれ一つを取ってしても、それは確かに霊夢の知らない領域だったのだ。

 極論を言うのであれば、そのルールを霊夢から破ってしまった時点で、その領域に自分から足を踏み入れてしまった時点で、博麗霊夢は敗北していたのだと言えよう。

 

 それでも、依然として霊夢は七夜を圧倒したままだった。

 辛うじて霊夢の死を理解できているとはいえ、その線の数はほんの数本。それの源たる点は一切視認できず、その線を断ったとしても即死に至るような箇所ではない。

 その死の少なさ故に七夜は霊夢を認識する事ができているのはまさに怪我の功名と言えるだろう。

 それでも、七夜は止まらない。

 弾幕や結界は次々と殺され、ダメージを逃れようと死を見続ける代償は遠慮なく七夜にのし掛かる。

 それでも尚、七夜は止まらなかった。

 失明した眼はそれでも死が近づく度に爛々とその蒼を煌めかせ、笑みは深くなっていく。

 

 その笑みを垣間見た霊夢は、更に身を震わせ、叫んだ。

 

「いい加減……止まってよッッ……!!」

 

 それは未知から抜け出したい一心での叫び。

 ここに来て、霊夢自身もまた逃走(とうそう)から闘争(とうそう)へと切り替えた。一刻も早くこの死の気配から抜け出したい。それでも抜け出せないなら、叩くしかない。皮肉にもその判断は英断と言えた。

 死に近すぎた彼に弾幕をぶつけた所で、神速のごときナイフ捌きで殺されるだけ。移動速度だけであれならば、その腕が振るうナイフ捌きの速さなど想像に易い。ならば死の少ない霊夢本人が出向いた方が、向こうから獲物が迫ってくるという意味でも効率的と言えよう。

 

 自分が、その動きを見切れたらの話であるが。

 

「いいえ……」

 

 思い直す霊夢。

 できるできないの話ではない。あの動きを見切るしかないのだ。勘すら間に合わぬ程の速さであっても、ソレに対応しなければならない。博麗霊夢は、そうやって異変を解決してきたのだ。ソレを当然のようにこなしてきたからこその博麗なのなだから。

 影が闇から飛び出す。認識する事すら叶わないソレを、霊夢は紙一重で躱した。勘よりも先に、身体が動いた。

 ――これでは駄目だ、次はちゃんと勘で躱さないと。

 

 二度目、再び暗闇からの強襲。

 弾幕を消しながらも尚も衰えない速さで迫る影を、霊夢は()()躱した。

 ようやく、勘で捉える事が叶った。

 この対応能力もまた、彼女を博麗の巫女たらしめる所以であるのだろう。

 

 三度目、正面からの強襲。

 その姿を捉える事は叶わないが、霊夢の勘はソレに反応しようとして、その勘すらもが欺かれた。

 神速で迫る蜘蛛は、突如として霊夢の目前まで接近した直後に、空中を蹴って別方向から再び霊夢に迫った。

 

「ッ!?」

 

 しかし、霊夢はソレに反応する。

 勘に従い、その方向へ霊力弾を飛ばす。弾幕にあらず、威力と速度を集約したソレは、七夜と並ぶ速度をたたき出す。

 だが、脚力でたたき出される速度がこれならば、そこから振るわれるナイフの速度は語るには及ばず、その霊力弾すらも殺された。

 それを認識する前に霊夢は身体を捻らせていた。

 白銀の刃が、浮いた身体を通り抜けてゆく。

 

 ここで、霊夢の第六感が迸った。

 

 自分は確かに、あの刃に対して“死”を感じた。だが、振るわれた刃はその予感に反して、『浮』いた身体を通り抜けてゆくだけだった。

 ならばこの恐れは単に自分の思い違いなだけだったのか……いや、それはない。

 先ほどは不覚にも接近を許してしまったが、その兇刃が霊夢の身体を切り裂く事はなかった。……しかし、その身体は確かに悪寒に従って回避行動を取っていたのだった。

 その勘に従った回避が、正しいのだとすれば。

 霊夢の頭の中で、ある一つの仮説が過った。

 

 ――もしかして、どこでも切れる訳ではない?

 

 霊夢は思い返す。彼がそのナイフで消していった代物は……結界、弾幕。大凡霊夢の霊力で構成している全ての代物を彼はその一振りのナイフで消し去っている。

 だが、それにしては狙う所が妙ではなかったか? 今思えば、最初に結界を消されたときも、結界そのものというよりは、まるで別の『ナニカ』を見ていたような。

 今もこうして、あの蜘蛛は自分を狙っているというよりは、その別の『ナニカ』を狙っているような、そんな気がしてならなかった。

 

 ――それに加えて、あの戦法。

 

 一つの勝機が霊夢の中で浮かび上がり、霊夢はそっと微笑んだ。

 おそらく、相手は自分の『ナニカ』を狙っている。その『ナニカ』は偉く限定的で、ソレに触れられなければ相手は自分に手を出せないのだと。

 それを見出した霊夢は、周囲の弾幕を全て解いた。陰陽玉も、札も、封の杭も、結界も。展開していた全ての霊力の放出を止めた。

 結局、あの蜘蛛に対しての有効戦法はこれなのだ。有り余る弾幕を放っても姿を眩ませる障害物として逆に利用されてしまう。

 ならばこそ、こうして責めを解いて出方を待つのが一番だったのだ。

 

 霊夢は、自らの身体に浮いたままに身を任せた。

 勘とそれに従う身体。これが導くままに、解は見出されるだろう。

 一合目、上からの強襲。それを見切れたわけではない。勘に従ってそれを捌く。姿は視認できなくとも、()()()()()()()()()は判別が付く。

 二合目、後ろからの奇襲。同じく避け、霊夢はその影が狙っていた箇所を頭に焼き付ける。

 三合目、左横からの突き。同じく避ける。狙われた箇所をきちんと焼き付ける。

 

 そして、以降はその繰り返しだった。

 多少順序に変化はあるものの、七夜が狙ってくる箇所は、霊夢の予想通りに“限定的”な箇所のみだった。

 ようやく、霊夢は相手の弱点を掴んだ。

 

 何かしら有しているであろうその能力と、そのケモノのような縦横無尽を駆ける戦法は、決定的に釣り合っていない。

 あらゆる角度から責めるその体術と、限定的な箇所しか狙えないその能力は、この場においてはまったく噛み合っていないのだ。

 その体術はその能力を想定した上での動きではない。何方が後付けであるのかは霊夢にはどうでもよかったが、これは大きなアドンヴァンテージであろう。

 

 再び、兇刃が迫る。

 霊夢にはもう恐怖はなかった。見えずとも、狙いは絞られている。そこに意識を割いていれば、後は自らの勘が回避を促してくれる。

 その兇刃が自分の身体の『ナニカ』に当たらぬよう少しだけ筋と肉を捻らせ、カウンターをお見舞いしてやればそれで仕舞いだ。

 

 だが、蜘蛛は霊夢の予想を上回った。

 

 予期していなかった、まったく別方向からの奇襲。

 霊夢から見て右からのその奇襲は、さっきから執拗に狙っていた箇所とは真反対の方向からのものだった。

 

「ッ!?」

 

 それを察知した霊夢はその方向へ向くが、既に刃が『浮』いた霊夢の身体の中に食い込み、やがて霊夢が警戒していた箇所へ届こうとしていた。

 ――しまッ!?

 先ほどまで執拗にその箇所を、ソレを狙いやすい方向から狙っていた蜘蛛が、突如として反対の方向からその箇所を狙って飛び込んできたのだ。

 『浮』いているが故に、例え別方向からでも身体がすり抜ければその箇所を狙える。

 全ては七夜の計算通り、相手に先入観を植え付け、その上で相手の能力の特性を利用してでの奇襲。

 

 蜘蛛の身体が、霊夢の身体をすり抜ける。

 身を翻した霊夢は七夜の身体を思い切り蹴飛ばした。俯瞰しているが故に、例え相手は霊夢に触れられずとも、霊夢からは相手に触れることができる。

 七夜の身体が霊夢の身体をすり抜けている状態のまま、その蹴撃だけが七夜に干渉した。

 吹き飛ばされた七夜はそのまま樹木に叩き付けられる。その状態となって、霊夢はようやく七夜の姿を視認する事が出来た。

 ……七夜は、笑っていた。そこにあるのは苦悶や絶望ではなく、狂喜に歪められていた。

 

「こいつッ……!」

 

 ――何で、笑っているのッ!?

 潜在一隅の好機を逃したというのに、何故そうまでして笑えるのだ。

 これ程生きていると――これ程厭な時間などないというのに、この男にとってはソレは快楽だとでもいうのか。

 

「消えろッ!」

 

 夢想封印・瞬

 霊夢の18番である術に加え、不可視の要素が加えられた弾幕。

 七つの不可視の霊力弾が木の壁にめり込んだ七夜に向けて殺到するが、次の瞬間にはその七つの大玉は殺され、七夜の姿は見えなくなっていた。

 

「なんて……ッ!?」

 

 やつ、と続けようとした途端、自分の身体に異変が起こっているのを霊夢は感じ取った。

 ――身体が、重い?

 ナニカが、身体に流れ込んでくるかのような感触。そのナニカは毒のような、とにかく自分にとってはよろしくないものなのだと霊夢は感じ取った。

 そして、自分のある箇所に違和感を持った霊夢は、その箇所にそっと手を当てる。

 それは、四ミリほどの傷だった。

 

 それは、あり得ない現象だった。

 『浮』いている彼女に傷を付ける事は本来叶わない。本気の彼女に対してスペルカードルールでなければ誰も敵わないと言われるその所以が、破れようとしていた。

 ならば、この身体の重さにも説明が付くだろう。

 干渉されない筈なのに、干渉されてしまった――その矛盾を受け入れてしまったのだから、その先にあるのは崩壊のみだった。

 

「……何処に、いるの?」

 

 もうこの術も長くは続かないと悟った霊夢は、再び影から七夜が飛び出してくるのを待った。

 いつ、その暗闇から七夜が飛び出してくるのかは分からない。

 ガチリ、ガチリと震える霊夢の身体。その原因は決して身体の異常だけではない。

 その原因は恐怖だ――その執念を、その果ての集積回路を見せられ、その未知の領域に霊夢は震えているのだ。

 浮いている筈の自分が、僅かとはいえ傷を負ったという事実に。

 今まででも勘でソレは分かっていたが、こうして直に味わえば実感の度合いは何倍も違う。

 

「次こそは――」

 

 消す、と決意を新たにし、霊夢は再び暗闇の中から七夜が飛び出してくるのを待った。

 

     ◇

 

 

 雨に打たれている中で目を覚ました十六夜咲夜は、轟音が鳴り響く森林の中へと急いでいた。時間の止まった灰色の世界を駆けながら、咲夜は樹海の中を疾走していた。本来、時間を止めている間ならば急ぐ必要はないのだが、そんな事は彼女にとってどうでもよかった。時間を止める直前まで戦闘音が聞こえていた事から、おそらく七夜はまだ無事なのだろうという確信は咲夜の中に存在していたが、それでも万が一の時もある。

 そして、とある樹木の下に目が入った。

 

 その樹木を背に座り込んでいる影。

 黒い燕尾服はとうにボロボロに破れ、その中からおびただしい量の血を流して座り込んでいる影がそこにはいた。

 

「七夜っ!」

 

 時止めを解除して、世界に色彩が戻ってきた瞬間、彼の名を叫びながら咲夜は七夜へ駆け寄った。

 間近で見れば、その傷は更に凄惨だった。土手っ腹が抉れたように真っ黒に染まり、右腕はとうに潰れて骨や神経組織にむき出しになっていた。それに加えて全身に負っている弾幕の掠り傷。

 そして――当の七夜はまるで糸の切れたマリオネットのように動かない。

 

「七夜っ、七夜っ! 生きているのなら返事してください」

 

 必死に呼びかける咲夜であったが、七夜はうんともすんとも言わない。

 咲夜はいったんに七夜から目を反らして周囲の状況を確認する。……そして、座り込んだ七夜の身体から伸びている血痕が、草陰の奥まで続いているのが目に入った。

 そのような傷でありながら、そのボロボロの身体を引きずってここまで避難したのだろうか。

 そして、更に咲夜は気付く……七夜が呼吸をしていないという事に。

 

「うそっ……!」

 

 慌てて咲夜は七夜の左手を手に取って、脈を確認する。

 ――脈は、確かに動いていた。

 だが、明らかに生き物のソレから感じるような脈動ではない。どれに形容していいのかは咲夜には分からなかったが、少なくとも七夜は死んでいないのだという確認は取れた。

 

 そして、目の前が、真っ白になった。

 意識が、朦朧となっていく。

 やがて、その白い風景の中で、蒼い靄のようなものが浮かび上がった。その靄は時間が立つにつれて大きくなり、やがて一つの映像を映し出した。

 

『これで終わりだ、殺人貴』

『……』

 

 映像の中にいたのは、二つの人影。

 一人は黒い鎧と身に纏い、更に右手には魔剣と思しきものが握られていた。

 もう一人は両目を赤い包帯で巻いて隠した青年らしき男。その手には――例のナイフが握られていた。

 

『だが、ここで貴様を■すのは少し惜しい。その万物を殺す眼……精々我が姫のために役立て貰おう。それに――貴様には、少し問い質したいこともあるしな』

『―――――っ』

 

 黒騎士の言葉を聞き、苦渋の表情で抵抗を試みる包帯の青年であったが、圧倒的な力の前ではそれも無意味。

 黒騎士の牙が、青年の首筋が噛みつかれる。

 どくり、ごくり、と……大凡3リットルあまりの血液が黒騎士に吸われると同時――

 

『ぬ、ぅっ!?』

 

 突如として、黒騎士は苦しみ始めた。

 再び、映像は靄となって消えていく。今度は逆戻りするかのように、空白の世界の中へと遠ざかっていった。

 そして、咲夜の意識は再び現実に戻された。

 

「今の、ヴィジョンは……?」

 

 七夜の脈に手が置かれたまま、咲夜は呆然とする。

 ただの幻であれば咲夜だってそこまで動揺はしない。だが、何故か咲夜はそれをただのヴィジョンとして片付けることができなかった。

 あそこに自分はいなかった筈なのに――何故か、妙な懐かしさを咲夜は感じていた。

 いや、それよりも気になる点がある。

 ――包帯で眼を隠していた男は、七夜?

 気になるのは、あの黒騎士らしき人物から血を吸われていた男。その包帯の男の服装が、紅魔館の燕尾服を着る前の七夜の格好と瓜二つだったのだ。黒い縦セーターに灰色の長ズボンというコレと言って特徴のない服装であったが、目を覆い隠す包帯を除けば風体もそっくりだった。

 考えを巡らせていた、その時。

 

「……やれやれ、随分と、懐かしいモノを……」

「七夜っ!?」

 

 咲夜の前で、ようやく七夜が息を吹き返していた。

 いや、七夜の呼吸は依然として止まっている。呼吸できないというよりは、まるで呼吸する機能を捨て去ったかのようだった。

 よって、息も上がってはいないが、それでも目に見えて疲弊はしている。それくらいは七夜の傷を見てみても自明の理であった。

 

「無事ですか、七夜っ! さっさとここから逃げ――」

「――ん? 誰か、そこにいるのか?」

「何を言って――七夜、まさか……」

 

 七夜の言葉に、咲夜の頭の中で最悪の事態が浮かび上がる。

 よく見れば、七夜の眼は爛々と蒼く輝いていたが、それでも、ナニカが違った。七夜の眼は、咲夜の方に焦点がまるで合っていない。

 

「見えて、ないのですか?」

「ああ、そうだが。それ以前に――あんた誰だ?」

 

 その言葉で、咲夜の頭の中が更に真っ白になったのは、言うまでも無いだろう。

 七夜は現在失明している。それは誰が火を見ても明らかであるが、更なる最悪の事態が咲夜の中に浮かび上がる。

 

「七夜、私が分からないのですか!? 十六夜咲夜です。貴方の上司で、紅魔館のメイド長で、貴方に首輪を付けている者の一人です!」

「ああ、悪い。何を切り捨てちまったかも分からないんだ。クククっ、混沌と、混沌となってな」

 

 咲夜の呼びかけに、七夜は意にも介さない。

 辛うじて声を聞こえているみたいだが、それが何を意味しているのかは七夜には最早分からなかった。如何に七夜が咲夜を認識できた所で、彼の眼に映るのは『死』しかないのだ。その死に埋もれていない霊夢だけを、辛うじて獲物として認識できているのだ。

 『死』に埋もれた有象無象である咲夜など眼中にも入れられないだろう。

 

「まったく、死が近づいてくると、コレだけはよく見えるもんだ。ハハハッ、全部ラクガキだらけだ。いいじゃないか、こんな世界も……!」

 

 自嘲するように嗤う七夜。

 その眼は、咲夜を見てはいない。全てを皮肉と嘲笑う彼の心は、死の少ないただ一つのヒカリへと向けられている。

 死に埋もれた世界にあって、尚も色褪せないヒカリを、七夜は解体することを夢見る。ただそれだけの存在と成り果てていたのだ。

 

「なな、や……」

「さて、と。とりあえずこの腕が邪魔だな」

 

 見えずとも、己がどのような状態かくらいは分かるのだろうか。

 彼は左手に持ったナイフを振りかぶる。その蒼い眼が、だらんとぶら下がった右腕を獲物の如く睨み付け――その腕を、切り落とした。

 

「な――」

 

 呆然とする他ない咲夜。

 昔、あの少年に渡したナイフがこのような形で使われるというショックも、ソレを促していたのだろう。

 だが、それ以上に理解できないのはその行為そのものだった。

 妖怪や吸血鬼のような化け物であるのならば分かる。いらなくなった部分を切り離して利用したり、使い魔の一部として使役したりと、人間である咲夜にも使い道はいくらでも思いつく。だが、それはあくまでどのような傷でも致命傷になり得ない化け物だからこそできる芸当であって、空も飛べない只の人間がする所業ではない。しかも、ナニカに利用する訳でも無く、ただ邪魔だからという理由だけで己の腕を切り離すなど、狂人以外の何物でもないのではないか。

 

「――――」

 

 七夜は痛そうにする様子もなく、ただ平然と破れた燕尾服の布きれを拾い、切り落とした箇所に巻き付けて止血をした。目が見えていないはずなのに、あっさりと応急処置をこなしてみせるのはさすがと言った所だろう。

 

「ハハっ、ああ、最高、だ! 最高だよ、あんた……」

 

 咲夜が呆然とする懐で、七夜はただただ嗤う。

 死にまみれた世界の中で輝く存在。既に名も姿も忘れてしまったが、それでもその存在だけは覚えている。

 自身が解体すべき、標的だけは。

 

「さあ、ケリを付けよう」

 

 出来ることならば、もっと続けていたいと七夜の心は願っていたが、それでもこの身はあと数分と持たない事を七夜は自覚している。

 呼吸する機能も、記憶も、目の光りも、生命維持の機能も、全てを捨て去って手に入れた究極は、その奇跡はもう長くは続かない。

 だからこそ――ただ一つ見出したその勝算に七夜はかけることにした。

 七夜は立ち上がり、暗闇の中へと姿を消す。

 

 咲夜は、置き去りにされた七夜の右腕を見つめ、未だに呆然としていた。

 恐れでは無く、理解できないモノの片鱗に触れてしまい、ソレを受け入れ切れないでいた。

 

 

     ◇

 

 

 七夜がゆっくりと現れた。

 霊夢は自分の目を疑う。

 こんな正面。距離は一瞬で詰められるからともかくとして、こんな真正面から現れるなど、最早自殺行為もいいところだろう。

 

「……やっぱり。正気じゃないのね、貴方」

 

 そうとしか霊夢には思えなかった

 よく見ると、七夜の右腕は切り落とされていた。

 ……おそらく、もう使いモノにならぬと自分で捨てたのだろう

 一瞬、七夜が前に倒れ込む様子が目に入った途端、消えた、という認識すら置き去りにして七夜は霊夢の視界から消え去った。

 地面が弾け飛び、音すらも置き去りにする、極限の前傾姿勢を保ってでの疾走。動きは蜘蛛、速さは素早い天狗のソレと同等以上。ヒトの身でありながら、既にヒトの境界を跳び越えた動きは、霊夢には到底真似できない境地だ。

 

 だが、霊夢にとってはそんなものは関係なかった。

 霊夢は既に決心していた。本来ならば、ソレは博麗の巫女としては行ってはならない所業――この地をまるごと焦土にする術を行使しようとしていた。

 巣の中の蜘蛛を捕らえられないというのであれば、その巣ごと焼き払ってしまえばいいという発想に結びついたのだ。

 霊夢の勘は、既に七夜の位置を捉える事を可能としていた。

 分かる――どんな暗闇に潜んでいようと、あの蜘蛛の如き暗殺者の居場所が手に取るように分かっていた。だが、その足さばきと速さにより姿そのものを捉えるのは困難。ならばこその一手。

 その霊夢の勘では、蜘蛛が此方から遠ざかっているのが分かった。

 今から自分がやろうとしている事が分かったのか、どうやら勘がいいのは向こうも同じらしい――しかし、遅い。

 

 お祓い棒を掲げ、霊夢は宣言する。

 地を迸る凄まじい霊力の奔流、広がる結界。やがて、全ては光に包まれる。

 

「夢想封い――っ!?」

 

 ――しかし、ソレが発動する事は無かった。

 当たりを焦土に変えようとしていた術式は消され――更に、ある違和感が霊夢を襲った。

 蜘蛛の位置が、分からないのだ。勘で分かる筈のソレが、分からないのだ。

 いや――これではまるで。

 

「勘が、働いて、ない?」

 

 それはとてつもない違和感だった。今までソレが普通であったからこそ、その違和感は不安となって霊夢に襲いかかる。

 ――まるで、ナニカとの“つながり”を断ち切られたかのような、そんな物寂しさと、不安が上り詰めた。

 

 その直後。世界が、殺された。

 

 

     ◇

 

 

 七夜は、霊夢と相対して、兼ねてからある違和感を感じていた。

 死の線や点の位置が自身とまったく同じの分身を作り上げていたこと、式神じみた気配遮断で奇襲しているのにソレを察知された様子もなく反撃されること。この作り変わった肉体を得てもそれだけは変わらなかった。

 ――まるで、博麗霊夢がそう思ったから、世界が自分にそうさせている、そんな違和感が七夜にはあった。

 ならば、どうするか? それがある限り、例え死が視えていようと七夜が霊夢に一矢報いるのは不可能であろう。

 ならば簡単だ。

 

 そうさせているモノを、殺せばいい。

 

 この世界が霊夢の勘通りに事が運ぶのであれば、そうさせている要因を殺せばいい。その死を探すため、七夜は作り変わった身体の性能をフルに活かして、ソレの死を探し回った。死しか見えない世界の中で、まるで森の中に隠されたたった一本の木を見つけるかのような所業であった。

 そして、ついに見つけた。

 霊夢と幻想の地のパイプライン。博麗大結界が存在する限り、その地が存在する限り、博麗の巫女が最強であるというのであれば、そのパイプラインを殺してしまえばいいのだ。

 草むらの中に潜んでいたその死点を、七夜は戸惑うこと無く突いた。

 

 その瞬間。世界が、殺された。

 

 

     ◇

 

 

 その異変は、突如として起こった。

 霊夢が発動しようとした術式は解除され、全ては無に帰す。今まで頼りにしていた勘が突如として機能しなくなり、不安に包まれる中で、ソレは起こった。

 七夜が突き刺した地面を中心に、辺り一帯の地面が崩れ始める。

 まるで、既に定められていたのような亀裂が辺り一帯の地面に走り、ソレが崩れ、崩壊してゆく。

 その地はただの現実でもなく、幻想でもなく、ただただ無に帰って無くなってゆく。

 しかし、地面が崩れた所で元より『浮』いている霊夢には何ら問題などない。……あくまで『浮』いたままであればの話ではあるのだが。

 問題があるとすれば――ソレは一つ。

 

 木々が、倒れていく。

 

 ソレは、今までの霊夢と七夜の攻防を見たモノならば、誰もが愚かと思うだろう。

 せっかく自らの巣を壊される危険性のある術の発動を阻止できたというのに、結局巣が壊れてしまうのならば本末転倒に他ならない。

 おそらく、霊夢もそう思っただろう。

 

 だが、その倒れていく木をすり抜けた途端――霊夢は七夜の狙いに気付いてしまった。

 

 働かなくなった勘――それを差し引いても霊夢は才能に富んだ博麗の巫女だ。例え勘で迎撃される心配はなくとも、念には念を入れておいて然るべきだろう。

 気付いた時には、もう遅かった。

 

 落下してゆく木々が、霊夢の身体をすり抜けた途端、その視界が開けた途端に迫って来た白銀の刃。

 態々自身の巣を壊してでの、たった一度きりの奇襲。

 勘が働かなかった上、元々反応する事すら難しい速さで振るわれたナイフは、確かに霊夢の『死』へと届いた。

 蜘蛛の糸のように細いその線を、霊夢の左腕に走るソレを、七夜は一瞬のうちに寸分違わずなぞって見せた。

 

「――え?」

 

 霊夢は間の抜けた声を出す。

 恐る恐る、欠損したソレを見つめる。

 ソレは、矛盾だった。全てを俯瞰する筈の存在が、俯瞰すべき対象から逆に干渉された。全てを見下ろし、上から一方的に叩き潰すだけの存在が、下からの干渉を許してしまった。

 そうあるべき存在なのに、その前提が崩れた。

 

「あ、あぁ――」

 

 本来入ってこない筈の情報が、切断面を通じて霊夢の中へと入り込んでくる。まるで窓を空けた途端にその気圧差に耐えられないかのように、乱入する大量の情報が霊夢の身体の中へと入り込み、蝕んでいく。

 その『死』の切断面は、霊夢の浮いた身体と世界の境界線でもあったのだ。その境界線を殺されたとあらば、襲ってくるのは矛盾。

 その矛盾を世界が修正せんと、今まで受けてこなかった干渉、その情報が一気に霊夢の身体の中へと入り込んできたのだ。

 

「ア、アァァァァッ!?」

 

 ヒトの身では、その急な修正に耐えられる筈もない。

 痛み以上に、自らの能力を破られたリバウンドは、躊躇なく霊夢の身体に襲いかかった。

 痛い、とてつもなく痛い、だが、それ以上に霊夢は苦しかった。矛盾のツケを受け入れた霊夢の身体は、耐えきれずに悲鳴をあげつづける。それは、常人など想像も付かぬほどの激痛に他ならなかった。

 激しいリバウンドと共に能力が解除され、霊夢は奈落の底へと落ちていく。

 落下する木に張り付き、ソレを見下ろす蜘蛛が一匹。

 

 その図は、幻想の調停者(バランサー)を沈め、かの一族が再び夜の頂に君臨したかのようだった。

 

 その日、霊夢は『七夜』を思い知った。

 




評価がオレンジに落ちてしまった→まあ、仕方ない……
その後、評価一覧を見る→1~6までの評価の評価話数がみんな一話→どういう事だおらぁん!?

どんな結末をお望み?

  • 諸々あった末くっつくルート
  • 諸々あった末殺し愛ルート
  • 直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。