双夜譚 月姫   作:ナスの森

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その蜘蛛、殺人鬼なり

 ――――……眠い……。まったく、死人をおいそれと起こすなよ。

 弦月に満たない月の下、巨大な樹木が立ち並ぶ森の中で目覚めた“彼”は、気怠げに、不機嫌そうに呟く。

 月の冷たい光が僅かに届く森の下、彼は仰向けに倒れていた自分の上体を起こし、周囲を見渡す。……人の気配はない。……獣の気配はない。

 だがここに、否、この世界にいるだけでどうにも体が疼く。まるで媚薬を飲まされた獣のように、とにかく『コロシタイ』と。

 この体が、この魂がそう叫んでいる。

 どうやら自分はそういう存在であるらしい。

 ならばこの衝動に従う他ないだろう。

 

「高揚して忙しない血流、音はすれども人の姿はなし、生命(いのち)閃光(ひかり)はあれど血の匂いはさして、か……まるでお伽噺に迷い込んだかのような奇怪さだね、まったく」

 

 この舞台の主催者は何を考えているのやら、とぼやきながら彼は自分のコンディションを確認する。

 ここに来る前の記憶は無い……どうでもいい。

 ポケットに一振りの飛び出し式ナイフ……これで殺せるな。

 そして、周囲の木々、地面、空間にすら見える黒いツギハギ……これが『死』か。

 

「……十分」

 

 満足そうな薄ら笑いを浮かべた彼は、立ち上がり、ナイフを片手に歩き出す。

 何処に行くべきかなど決まっていない。何をすべきなんて分からない。己が何者であったのかも、この気持ちの悪い『線』や『点』が視えていることも、そしてそれらがみんな『死』だとなぜ理解できるかも、彼には何も分からない。

 だが、ヤりたい事なら決まっている。

 

 数刻ほど歩いただろうか、遠くに紅い館が見えてきた。

 広大な湖の向こう側、亡霊を映し出しているかのような霧に包まれて、うっすらとその紅い館は見えていた。

 その瞬間、己の血の高揚が更に高まっていくのを彼は感じた。

 アレはいけない、アレは異常だ、アレはいてはいけない……ああ、なんてこった、あんな誘蛾の如き輝きを魅せられちゃ、此方へ来いと言っているのと同じじゃないか。

 ――――だから、俺のような蜘蛛を引き寄せる。

 男は笑みを深くし、湖を回り込むようにして、紅い館を目指した。

 

 ――――匂う、死の匂いだ。なんだ、ちゃんと血の匂いもするじゃないか。

 木々に囲まれた細道。紅い館へ一直線へと続くその道を目指しながら、彼はそう思考した。いつの間にか、館へ向ける彼の歩のペースは速くなっていた。

 ――――少なくとも、さっきまではしなかった匂いだ。はてさて、一体どのような催し物が行われている事やら。願わくば、俺を仲間はずれにしないで貰いたいね。こう見えても寂しがり屋なんだ。お仲間がいなきゃ生きていけない。

 ……そう考えながら、とうとう館の門前が見える距離までたどり着いた時。

 

 その舞踏会は行われていた。

 

 群がるひとがたの群れ……いいや、あんな()()()()()()()()出来損ない共など人間とは呼ばない、例えるのなら死人といった所か。

 ならばあいつらは何に群がっているのだろうか、と一人の死者が自分の足下まで吹っ飛ばされてきたのを視認し、彼はその方向を見据える。

 そこには女がいた。紅いロングヘアーを腰まで伸ばした少女。いい体をしているのが遠目からでも目に取れた。特に冷たい月光に照らされてチラチラ見える太ももは、生まれたての子鹿のようで解体しがいがありそうだ。

 ――――ああ、駄目だ。我慢できそうにない。

 見ただけで分かる。あれは人ではない。おそらく、正面からでは到底敵わないだろう。化け物であるだけなら問題ないが、あの動きは明らかに武を研磨してきたものの動きだ。不意打ちが効くかどうかでさえ怪しい。

 さて、どうするかと彼は考える。

 彼女の周囲に障害物は見当たらない、だからと言って正面から当たるのは愚の骨頂だ。そんな事を考えていると。

 残り少ない死者たちが、一斉に彼女に肉薄しているのが見えた。

 ――――いや、あるじゃないか。文字通りの障害物が。

 彼女に不意打ちを仕掛ける上で使える障害物、そして、彼女と殺り合う上で邪魔な障害物。まさに一石二鳥。

 故に。

 ――――あんたも、そんな人形どもじゃ満足できないだろう?

 だから。

 

「その首、俺が貰い受ける」

 

 そう呟くと当時、彼は一番近くにいた死者の体を足場に跳び移り、解体すると同時、また次の死者に跳び移り、解体し、また跳び移る。

 零から最速へ、最速から零へ。

 大凡視認する事が困難な程の動きで、少女の目前に迫っていた死者たちも一斉に解体する。それを囮に彼女の後ろにある門に跳び移り、彼女の脳天目がけてそのナイフの先端を突き出した。

 

 

     ◇

 

 

 頭上には弦月に満たぬ欠けた月。

 その凍えた薄い月光は、塵となって消えていく死者達の亡骸を延々と照らし続ける。

 

「初めまして、かな?」

 

 その薄ら笑いとは到底釣り合わぬ優しい声音で、蜘蛛は美鈴へと語りかけた。

 彼の周囲にある死者の亡骸たちが、月光に照らされて塵となっていくのを確認して、美鈴はようやく己の目の前にいたモノ以外の死者たちも彼の手によって葬られたのだと気付いた。

 そう、直前まで美鈴に気付かれることなく、ソレを成し遂げていたのだ。

 この自分が接近を許してしまった事といい、この男の気配遮断能力は隠形に長けた式神に匹敵するか、もしくはソレ以上か。

 

「何者ですか?」

 

 美鈴は突然現れた蜘蛛に対して警戒度を上げると同時、蜘蛛に聞いた。

 

「どうでもいいだろう、そんなこと」

 

 パチン、と柄からナイフの刃を取り出し、再び構える蜘蛛。

 

「せっかくこうしてお互い出会えたんだ。なら、やる事は一つだろう?」

「外来人の方ですか? 何故こんな事を?」

「あんたを解体したいから」

「手合わせを申し込むなら、礼儀の作法を学んでから出直して下さい。先ほどの不意打ちは見事でした。ですが――――」

 

 美鈴は重心を低くして構える。

 

「先の攻防で貴方の動きには慣れました。次来るのであれば、この拳が貴方の頭蓋を打ち砕くと知りなさい」

 

 刺し傷を負った腕が煙を立てて再生する所を敢えて見せつけながら、美鈴は遠回しに最後の警告を促した。これで退いてくれるのならばそれでいい、人里へ行きたいのであれば、地図も譲り渡そう。この男の腕ならば人里にたどり着くまでの自衛くらいは造作もないだろう。だから、これは警告。

 退くのならば手は出さない、これ以上進むのであれば、命はない。

 

「そうなりたくないのであれば、お引き取りを」

「まったく、連れないな」

「貴方のためを思って言っているのです」

「こっちは態々邪魔者まで排除したっていうのに、お駄賃代わりに殺り合ってもくれないのかい?」

「……何を言っても無駄のようですね。では、お覚悟を」

 

 しかし、そう言われては美鈴も断る事はできなかった。先の不意打ちはともかく、お膳立てのために邪魔者を態々片付けてやったと言われれば、武人としての美鈴に断る口実はなくなってしまう。熟々厭らしい男だと美鈴は内心で舌打ちする。

 そこから先は、互いに言葉はいらなかった。

 

 蜘蛛がまた構える。

 膝よりも重心を低くし、そのまま美鈴の視界から消えた。その姿勢を保ったまま、静から動へと、動から静へと激しく変化させる。

 ――――まったく、馬鹿げた動きだ。

 驚愕を表に出さす、美鈴は蜘蛛を待つ。武術とは呼べない。が、到底一世代で磨き上げられるような動きではない事は確かだ。明らかに人間の運動法則から逸脱している。

 だが、それでも美鈴の敵たり得ない。その動きは既に散々見た代物だ。

 

 後ろからの奇襲に対し、美鈴は視線で追う事無く振り向き、最小限の動きで決しの拳を放つ。

 ――――っ!

 その驚愕は果たしてどちらのものだったか。再度奇襲を察知された蜘蛛の方か、それとも拳を再び躱された美鈴の方か。

 蜘蛛は獣を思わせる反射神経で体を捻って奇襲を察知したカウンターを紙一重で躱し、反撃を顧みることなく月写しの凶器を美鈴の腕を切り落とそうと振るった。

 人間の限界まで突き詰めた蜘蛛の体術は、並の魔の体など瞬時に解体する。それを察した美鈴が易々と食らう訳がない。重心を落としまま身体ごと回転させて受け流し、それに併せて返される刃を叩き落とす。

 しかし、蜘蛛はナイフがたたき落とされた反動を利用し、再び地面に四肢を付いた姿勢になる。その姿勢のまま再び獣以上のスピードで美鈴を翻弄し始める。

 

「その動きは慣れたと言ったはずです!」

「こっちもな」

「っ!?」

 

 またナイフで攻撃してくる、と思った美鈴の予想を裏切り、蜘蛛は四肢を付いた状態から体を反転させて下から、バネのように跳躍しながら美鈴の腹を蹴り上げた。

 閃走・六兎。

 驚く美鈴であったが、咄嗟に自身も飛び上がって衝撃を和らげる。そのまま蜘蛛の足を掴んで握りつぶそうとするが、蜘蛛はもう一方の足で掴もうとする美鈴の足を蹴りつけ、美鈴よりも速く地上に降り立つ。

 ……まるで、空中で意図的に体重を移行するかのような急降下着地だった。次々とヒトとは思えぬ挙動を見せつけられ、呆れる美鈴。

 束の間、美鈴よりも先に着地した蜘蛛は、水面を弾ける飛礫のような、低く速い獣じみた跳躍で美鈴の着地予定地点へと跳んだ。

 ――――着地を狙いますか……ならば!

 空中で体勢を整える美鈴。

 何をするのかと蜘蛛は思えば、美鈴は落下してゆく筈の身体を()()()()、蜘蛛のナイフを避けた。

 ――――っ!?

 驚愕を見せたのは蜘蛛の方。着地ざまに美鈴の足を切り落とす筈だったナイフは空振る。

 跳び込んできた分、蜘蛛の立て直しは美鈴よりも明らかに不利だ。

 蜘蛛が着地するよりも速く、命を刈り取るような一撃が蜘蛛を襲った。

 

「っ!」

 

 防御と同時に受け流しがかろうじて間に合ったのは、蜘蛛が生来持つ獣のような本能故か、それとも本人が知らぬ内に修羅を乗り越えてきたからか。

 弾き飛ばされるナイフ。しかし、蜘蛛もまた反動を利用して弾き飛ばされたナイフと同じ速さで跳び、地面に刺さる前にナイフを回収する。

 ザザザ、と地面に四肢を付けて吹き飛ばされた衝撃を殺しながら後退していく蜘蛛。

 

 再び、両者は死合を始める前の位置に戻った。否、実際はそれよりも遙かに距離が開く事となったが、結局振り出しに戻ったのである。

 人間と妖怪。その力差の一端を味合わされた蜘蛛は、恐怖と絶望に屈する所か、その笑みを深くするばかり。

 ――――何故、そんなに笑えるのだ?

 そんな蜘蛛の様子を見た美鈴は、赤色のロングヘアーを掻き上げ、汗に濡れた肌を空気に晒しながら、不意にそう思った。

 相手に戦意の喪失はない。

 ならば、と美鈴は再び大きく息を吐き、重心を低く構えたまま距離を開けた蜘蛛を睨み付けた。

 暫しの沈黙の後、先に口を開いたのは蜘蛛の方だった。

 

「……なあ、さっきから疑問に思っていたんだが、何故()()()()()()()()?」

 

 先ほどまで愉しそうに戦っていた蜘蛛が、幾分か不満そうな表情で美鈴に問う。

 そう、蜘蛛は確かに果敢に美鈴を責め、美鈴はソレに応えている。

 だが、これまでの攻防で美鈴が最初に動くことは決して無かった。その姿勢はどちらかと言えば受け身。

 自分ばかりが攻めている状況が蜘蛛にはつまらないようだった。

 

「武人である以前に私は門番を任されている身ですから。ここを離れる訳にはいかないのです」

「そんな事をしなくても、俺はあんたに夢中だぜ?」

「そう言いながら何とか私をやり過ごしてこの館へ侵入せんとしてきた者を、私が何人見てきたと?」

「……そうかい。ああ、片思いの恋慕ほど虚しいとよく言ったもんだ」

 

 肩をすくめ、皮肉げに笑う蜘蛛。

 ――――まったく、悲しいね。

 こっちはこれ程までにあんたを想っているのに、これ程までに殺したいのに、これ程までに解体したいのに。その頭蓋を突き刺し、攪拌し、喉を裂き、背骨を断ち切り、首を胴体までめり込ませ、最後にその月光を反射して煌めく股を解体したいと切望しているのに。

 先の攻防で殺され掛かった事はあれど、それはヒトの身ならざるものの一撃であるからに過ぎず、美鈴自身には積極的に蜘蛛を狩りに行こうという気概がないのだ。

 ならば、と蜘蛛は薄ら笑いを浮かべた。

 

「いいぜ」

 

 構えを解き、両腕をだらんと力なくたれ下げる蜘蛛。

 ようやく諦めてくれたかと思った美鈴であったが、その直後。

 

「あんたがその気になってくれないのなら」

 

 蜘蛛はナイフをくるりと逆手に持ち替え、刃を地面に向けるように掲げる。

 何をする気だ、と身構える美鈴。

 あくまで門番として相手の出方を見てから応える姿勢を保ち続けようとする彼女であったが。

 

 ぞわりと、背筋を迸る悪寒が彼女を襲った。

 

 逆手に持ったナイフの刃を地面に向ける蜘蛛。

 一瞬だけ、その地面に向ける眼が、蒼く煌めくのが美鈴には見えた。

 ――――アイツは地面を……いや、『何』を視ている?

 ただ何の変哲も無い地面を見ている筈だ。美鈴が戦った感触では蜘蛛の身体能力は人間の領域を片足踏み越えてこそすれ、持っている武器もただ頑丈なだけのナイフ、そして幻想郷の住民に見られるような能力も持ってはいないように見えた。

 

「こっちからあんたを誘うとしようか、ねっ!」

 

 蜘蛛がかがみ込み、地面にある『ナニカ』を睨み付けてそのナイフを振り下ろす。

 ナイフの刃先が地面に突き立てられるその直前。

 ――――アレハナントシテモ阻止シロソウシナケレバオマエガマモルベキ主ノ城ハ――!!

 考えるよりも早く、美鈴の身体は蜘蛛へと肉薄していた。

 

「っ!」

 

 気が付けば、蜘蛛の体は目前。

 持ちうる限りの全速力。

 虹色の闘気をまき散らしながら流星のごとく、美鈴は蜘蛛のいる地点まで瞬く間に移動していた。

 

「よっと」

 

 肉薄してきた美鈴の一撃を間一髪で躱す蜘蛛。

 その瞬間、蜘蛛のいた地点には巨大な窪みが出来ていた。大きさにして半径7メートル。蜘蛛の身体能力を持ってすれば一足たらずで移動できる距離であったが、並の人間であればとっくに粉々になっていたであろう一撃だった。

 

「ハァ、ハァ……ッ!?」

 

 その窪みの中心に拳を突き当てていた美鈴は荒げた息を落ち着かせた後、はっと我に返った。辺りを見渡せば自分の拳によって凹んだ地面があった。

 ――――私は、何をしている?

 ただ目の前の青年が地面にナイフを突き立てようとしていただけだというのに、なぜ慌てて門から離れた?

 ……門から?

 

「おや、おかしいな」

 

 距離を取った蜘蛛が、優しい声音で美鈴へと語りかける。

 

()()()()()()()筈じゃなかったのかい、お嬢さん?」

「キサマッ……」

 

 優しい声音だが、明らかに小ばかにされている。思わず屈辱に表情が歪む美鈴。

 紅魔館を守る門番として門から動かずに守り続ける事を誓ったというのに、それを目の前の青年に宣言した筈なのに、あろう事かそれを崩された。

 蜘蛛の意味不明の行動によってそれはあっさりと瓦解した。

 

「ハハハ。それにしても、枷を外しただけでこれとはね。やっぱあんたに番人なんざ不釣り合いだよ」

「お嬢様は!紅魔館は! 私の枷なんかじゃないっ!」

「ああ。あんたみたいな化け物を飼い慣らす怪物だ。さぞ殺り甲斐があるのだろうな。此処からでも身体が疼いて仕方が無い」

「――――」

 

 瞳から色が消える美鈴。いや、色が消えるのでは無く、一色に染まっていく。怒りの赫が蜘蛛を射貫いた。

 ――――もう殺す。

 標的が美鈴一人だけならばよかった。だが、この男は今口にしてはいけない言葉を口にした。人間が、あろう事か何の能力も持たない、ちょっと身体能力が優れているだけの人間がそれを口にする事。人間ごときが、吸血鬼を殺すと宣言する事。

 それが何を意味するのか。

 

「……いいでしょう。貴方のおかげで私を縛り付けるモノはなくなった。ここが人里でない事を悔いながら逝きなさい、人間」

「いいねえ、らしい目になってきたじゃないか! やっぱり片道通りの想いなんて詰まらない。互いの本性を曝け出し合ってこそ殺し合いってもんだ!」

 

 門番という“枷”から解放された美鈴。並の人間ならば見るだけで窒息する程の虹色の闘気を前にして、蜘蛛はただ笑う。絶望でも、恐怖でもなく、その嗤いはただ歓喜に満ちている。先までは自分から手を出すだけだった戦いが、今度は相手からも手を出してくれるというのだ。

 ――――ああ、やっぱ殺し合いってのはこうでなくちゃな。

 拳に虹色の気を宿らせ、戦意を滾らせる美鈴を前にして、蜘蛛は三日月状に口を歪めて嗤う。

 

 虹色を纏った少女が蜘蛛に走り寄った。

 蜘蛛もソレに合わせて動く。美鈴の動きは先ほどとは段違いだった。蜘蛛の奇襲に対してただ応じるだけであったのが、今度は美鈴から蜘蛛に殺しに掛かってきた。

 完全に、立場は逆転していた。

 虹色の気を纏う美鈴の拳の威力は先ほど門番として戦っていた彼女の比ではない。避ければ視界は霞み、掠れば甚大なダメージを受ける。だからといって避けきれる速度でもない。

 故に、蜘蛛は同時に3つの行動を以て美鈴の攻撃を捌かなければならかった。蜘蛛の如く重心を低くし、そしてナイフによる受け流しと回避を同時に行う。しかも手持ちのナイフは一本のみ。

 明らかに分が悪い。チキンゲームに程がある。それ程のスペックの差が蜘蛛と美鈴の間に存在していた。

 それでも、蜘蛛は美鈴の攻撃を捌いていた。先に挙げた3つの行動を同時に易々と行い、美鈴の攻撃をナイフ一本という少ない手数で捌ききっていた。目の前の蜘蛛の技量に美鈴はただただ呆れるばかりである。

 しかも、捌ききるばかりか蜘蛛もまた美鈴の動きに慣れてきたのか段々と反撃に転じてきている。押している割合は美鈴の方が圧倒的に多いが、美鈴の身体にもほんの浅い切り傷が刻まれていく。

 

 蜘蛛の動きもまた美鈴と同じように違っていた。最初は蜘蛛のような低重心のまま獣のスピードで地を這っていただけなのが、戦闘場所が僅かに移動したせいか、周囲の木々や障害物などを足場に超常的な反射神経のなす運動で跳び回り、段々と美鈴を翻弄し始めたのだ。

 その動きは視界を慣らす事を許さぬ、さながら空間を扱う蜘蛛のよう。ここに来て美鈴はようやく己の失策に気付いた。

 自分が門を離れこの蜘蛛を仕留めんと追いかけ続ける内に、自分は狩り場に誘われたのだと。全ては蜘蛛の策に他ならなかったのだと。

 ならばどうすればいい。

 動きは捕らえられぬ。動きは蜘蛛、スピードは獣をゆうに超えている。おまけにここは相手の狩り場の中。

 ならば答えは1つ――――蜘蛛の巣ごと、相手を押しつぶしてしまえばいい。

 その答えにたどり着いた美鈴は不意に立ち止まる。ソレを訝しんだ蜘蛛もまた立ち止まり、美鈴を見つめる。

 おそらく好奇心なのだろうが、好都合だと美鈴は内心でにやりとほくそ笑み、両腕の掌を対にしながら大きく回転させる。

 その円の中心に、美鈴の能力による虹色の気が集束していく。

 

「はっ……!」

 

 それを見た蜘蛛の笑いは果たして絶望か、興奮か、歓喜か。いずれにして美鈴には関係がなかった。

 こいつはここで仕留める。その蜘蛛の巣ごと叩き潰してくれる。武人として磨き上げた技を放とうとしながらも、美鈴の思考は完全に魔の側へと傾いていた。結局の所、自分がこういう思考に陥るのも目の前の蜘蛛の策略の内だったのかと思うと少し癪に触る美鈴であったが、それももう関係ない。

 

 そして、ソレを放たれた。

 美鈴の妖力を能力で練り上げて集束し、放たれた気の集合体。濃厚な密度までに練り上げられたソレは、地面を抉りながらも速度を緩めず、周囲の木々すらもなぎ倒して蜘蛛へと迫る。スペルカードで扱うべき必殺の一手でありながら、弾幕ごっこでは禁じ手である、宣言なき砲撃。

 避けるのであれば、選択肢は左右の二択のみ。周囲の木々を吹き飛ばしていくこの状況では蜘蛛の足場となるものは地面のみ。つまり、その選択が成された時点で畳みかければ、容易に終わる。

 そう、美鈴は思っていた。

 ――――()()()

 それは一体、誰が呟いた言葉だっただろうか。己の気弾を避けた蜘蛛に対し畳みかける未来を幻視した美鈴のものか、それとも……。

 

 次に、美鈴は信じられぬ光景を目にした。

 己の前を直進していた、身の状を優に超える気弾。それがいきなり()()()、そこには悠然とナイフを構えた蜘蛛の姿があったのだ。

 

「は……?」

 

 思わず呆然とする美鈴。

 相殺されるのならばまだ分かる。まだ納得できない訳じゃ無い。自分程度の妖怪が放った弾幕など、容易に相殺できる、それ所か押し返す存在さえこの幻想郷では珍しくない。

 だが、何の力もない人間の、ただの変哲のないナイフ一本の一振りで、ソレが消滅させられたのだ。

 幻かと思った美鈴であったが、己の足下から蜘蛛の足下まで続いている地面の抉り後が、紛れもない現実を語っていた。

 

「い、一体なにを……」

 

 した、と蜘蛛に思わず聞こうとして、美鈴は蜘蛛の目を直視した。

 冷たい氷湖のような、蒼い虹彩を放つその眼を直視してしまった。

 似たような悪寒はこれまでも感じ取っていた。初めてかち合った時の攻防でも、この蜘蛛が地面に向けてナイフを突き立てようとした時も。思えば、美鈴はその悪寒に従ってこの蜘蛛の攻撃に対処していた。

 だが、今度は直死してしまった。

 己の死を連想させる、その蒼い眼を。

 

「何を呆けている?」

「……っ!」

「俺もあんたもまだここに立っている。ならやる事は一つだろう?」

「……なに?」

「さっきは肝が冷えたよ。だがその調子だ。さあ、続けようぜ? 要らぬ煩悶を抱く必要なんてなし。あんたの本性をもっと俺に曝け出してくれ!」

 

 呆けている美鈴の視界から、蜘蛛の姿が消えた。

 気付いて、美鈴はしまったと我に返った。呆けている場合ではない。先の一撃で標的は仕留められなかったはおろか、相手の足場すらも大して奪えてはいない。気弾が放たれてから消されるまでの飛距離は決して長いものではなかった。そのため、彼の足場となり得る木々(蜘蛛の巣)は僅かにしか破壊できていないのだ。

 ――――殺サレル

 

「あっ……」

 

 殺される、呆けていたら自分の方が殺される。蜘蛛の足場を破壊する筈だった気の弾幕はあっさりと消滅させられた。相手はナイフの一振りで自分の弾幕を消滅させられる。しかも相手はこの空間を自由自在に跳び回れる。

 自分も能力により空を飛ぶことはできるが、この空間においては瞬時に、自由に足場を伝って方向転換できる相手に圧倒的に分がある。下手に空を飛ぼうとすれば、死角を増やすばりかで、それこそ相手の餌食になる。

 ――――私ハ、ココデ殺サレル。

 

「アアアアアアあああああぁぁァァアっ!!」

 

 狂ったように、美鈴は拳から気の弾幕を放ち続けた。

 幸い相手に飛び道具はない。ならば接近させなければいい。

 だが、弾幕は当たらない。巣を張り終えた蜘蛛は、木々をはじめとした障害物を足場に跳び、避ける。

 接近されたとしてもそれに対処できる自身は確かに美鈴にはある。

 それを考慮しても、相手を近づけさせる訳にはいかないのだと、美鈴の第六感は告げていた。

 気を濃縮した必殺の一撃が一振りで消滅させられるのならば、今度は手数で攻めることにした美鈴は、弾幕の密度を上げた。

 周囲の木々をえぐり取っていく程の威力を込めた弾幕は、確実に蜘蛛を追い詰めていく。ナイフ一本では対処できる弾幕の数にも限界はある。

 目の前の弾幕をナイフで消すことはできても、別の場所に飛んでいく弾幕はナイフでは届かない。その弾幕は、確実に蜘蛛の足場を削っていく。

 元々、森という程木々が密集してはいない空間だ。美鈴が守るべき門がある場所から少し移動した程度の所の距離だ。

 やがて、追い詰められた蜘蛛は、美鈴の目の前に地面に足を付いた状態でその姿を晒してしまった。

 

「好機!」

 

 周囲に最早足場となる木々は存在しない。彼に頼れる足場はもはや地面のみ。

 ――――ここで、仕留める。

 再び、美鈴は拳に気を溜め、ソレを解放した!

 先ほどのような気を濃縮した一撃ではなく、米粒の弾幕を幾重にも重ね合わせた極彩色の弾幕。

 何も威力を重視する必要は無い。相手は人間。耐久は妖怪である自分の足下にも及ばない。この逃げ場のない空間で、数で押しつぶす!

 

 そして、辺り一面が虹色に爆ぜた。

 一つ一つ消す事は叶わない。だからと言って避けれるほどの範囲も、隙間もありはしない。

 虹色一色の光景が消え、焦土と化した目の前の風景が美鈴の視界に映った。

 

「……」

 

 周囲に気を配る美鈴。

 人の気配は見当たらない。あれ程感じていた『死』の気配も今は感じない。

 そう認識した美鈴は、一息ついて荒ぶる己の心を静める。

 次に来たのは安堵。あの蜘蛛に対して門を守り抜いて見せた事、そして自分が殺されずに済んだという安堵だった。

 故に、己の身体に纏っていた虹色の闘気を解除する。

 それが、いけなかった。

 

 ――――極彩と散れ

 

 その隙を、蜘蛛は見逃さなかった。

 死を狙わない、ただ純粋な決死の一撃。

 水面をはじけ飛ぶ飛礫のような、獣じみた低空跳躍で一気に草むらから躍り出て、美鈴へと肉薄する蜘蛛。

 その決死の一閃は、美鈴の首筋を寸分違わず切り裂いた。

 

 

     ◇

 

 

 弦月一歩手前の月光の下、立っていたのは蜘蛛。多量の血を首筋から吹き出しながら倒れていたのは美鈴だった。

 

「へえ、まだ息があるんだな」

 

 こひゅー、こひゅー。

 美鈴の口から返答はない。ただ歪な呼吸音を上げながら、視線だけで蜘蛛の方を見上げるだけだった。口を動かそうとしても、そこから吐き出されるのは言葉という音からは程遠い、赤い液体のみだった。

 それでも、蜘蛛は美鈴の言わんとしている事を悟り、片目を閉じて皮肉げな笑みを浮かべる。

 

「ああ悪い。喉ごと裂いちまったら声は出ないわな。で、あそこからどうやって生き残ったかって顔をしているな、あんた?」

 

 それはそうだ。足場は潰した、逃げ場は潰した。

 なのに、この蜘蛛は何故生きている?

 何故、自分はあの一撃を避ける事ができなかった?

 言葉に出来ない疑問が頭の中を駆け回り、されど口には出せずに美鈴の意識はただ混濁とするばかりであった。

 

「簡単さ。逃げ場なら態々あんたが作ってくれたからね。あんたが俺に最初に放ったアレ、覚えているか?」

「……」

 

 美鈴は思い返す。

 おそらく最初に気を濃縮して放ったアレの事だろう。一体アレがどうしたと

――――っ!?

 こひゅっ、こひゅっ。

 言いたげに言葉を割ろうとして、口から血を吐き出す美鈴。相変わらず表情に変化はないが、その今にも死にそうな虚ろな目が僅かに見開かれたことから、蜘蛛は彼女がようやく悟ったのだと見抜き、続けた。

 

「そうだ。あんたは念を込めて俺が避けれぬよう、地面付近も隙間なく埋めたつもりだったんだろうが、それ以前にあったよな。あんたが最初に放った弾で出来上がった、()()()()()がさ」

 

 その抉れた地面に、彼は避難していたのだ。念を押して地面が抉れるほどの量の弾幕を放っていた美鈴であったが、その抉れる深さは最初に放った高濃度の気の弾には到底及ばない。その僅かな高低差、大凡20センチメートルくらいしかない深さの安全地帯に、蜘蛛は避難したのだ。

 結果、弾幕は僅かに髪を掠る程度に止まり、驚異が過ぎ去った瞬間に美鈴の背後の草むらに身を潜めた。そして油断した美鈴は、背後からの奇襲を許してしまった。

 それでこの現状が生まれたのだった。

 ――――最も、原因はそれだけじゃないがね。

 蜘蛛は内心でそう付け加える。この女の一番の敗因はそんなものではない。普段の彼女ならば先の奇襲だって余裕で対処できただろう。

 一番の敗因は、この女が『死』に敏感になりすぎた事だ。長い年月をかけて磨き上げられたせいか、元々勘がよかったのが災いしたのか。美鈴の死を狙って振るう蜘蛛のナイフに対して、美鈴は敏感になりすぎた。

 本格的にそうなったのは、蜘蛛が地面の死にむけてナイフを突き立てようとし、紅魔館ごと倒壊させようとして、彼女がそれに対して門番の役割を放棄してまで無意識に反応して見せた時だろう。

 死を狙う一撃と、死に至る一撃の区別が、彼女の中で曖昧になっていた。

 故に、()()()()()()()()()()()を許してしまった。それでも反応して、こうやって間一髪で生き延びているのは見事という他ないが、それでも動けないようでは同じだ。

 僅かでも、自分に最高の時間を与えてくれた彼女に対する義理を果たし終えた蜘蛛は、ニヤリと嗤ってその美しい女体を見下ろした。

 

「さて。約束通り、あんたの身体を思う存分解体させてもら――――っ!?」

 

 再びポケットに忍ばせた飛び出し式ナイフを手に取ろうとして、思わず蜘蛛は呆然としてしまった。

 美鈴の姿が突如として消えたのだ。まるで最初からそこにいなかったかのように、突然移動したかのように消えた。まだ余力を残していたのか、と周囲に気を配る蜘蛛であったが、そんな気配はしなかった。

 

「森の狐狸どもに化かされた、って感じじゃあないな……」

 

 おびただしい量の血が残っている事から、少なくとも彼女がそこにいたという痕跡は残っている。彼女が致命傷を負い、しばらく動けないだろうという事も。

 

「……ん?」

 

 ふと、自分の足下の地面にナニカが突き刺さっている事に蜘蛛は気付く。月光を反射して美しく銀色に輝くソレを、蜘蛛は手に取る。

 ソレは一振りのナイフだった。

 冷たい月光を反射する銀のナイフが、そこにあった。

 はて、こんなものさっきまであっただろうか、と腕に手を当てて考える蜘蛛であったが、刀身を裏返すと、その刀身には文字が掘られていた。

 

 ただ一言、『これ以上近づくな』と。

 

「……へぇ」

 

 思わず、蜘蛛は愉しそうな薄ら笑いを浮かべた。

 これは狐狸どもの仕業ではない。あの紅い館に住んでいる何者かが自分の足下に置いていったのだと悟る。

 ――――そんな事を言われちゃ、余計に覗きたくなるってもんだ。

 そう呟いて蜘蛛は館の方を見る。異彩を放つ、紅い館を蜘蛛は見つめた。

 

 どんな手品を使ったのかは知らないが、仲間を一瞬で安全地帯に避難させた芸当。

 あれを見せられて、近づかない方がどうかしている。

 

「ク、ハハハ。どうやら、俺の仕事はここからが本番らしい……」

 

 こんな望まれない役者を、一体どんな舞台が待ち受けているのやら。

 今にも興奮でどうにかなりそうなどぎまぎを押さえながら、蜘蛛は紅い館の敷地へと足を踏み入れた。

 

どんな結末をお望み?

  • 諸々あった末くっつくルート
  • 諸々あった末殺し愛ルート
  • 直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート
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