双夜譚 月姫   作:ナスの森

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七夜を名乗る

 ――――やはり、お嬢様の言う通りになってしまったか。

 首に幾十にも包帯を巻き付けられて意識を失っている美鈴をベッドに寝かせ、咲夜は眉を潜めた。

 危なかった。あと一歩遅ければ間違いなく美鈴は死んでいた。

 不意打ちとはいえ、美鈴が人間相手に一本取られた。しかもその一撃は美鈴の首が飛んでしまう一歩手前までに深く刻まれており、美鈴の反応があと少し遅ければ完全に首を刎ねられていた所だった。

 咄嗟に時を止めて美鈴をここまで運んだ咲夜であったが、頭の中は美鈴をこのようにした侵入者の事で一杯だった。

 

警告(メッセージ)は残しておきましたが、おそらく無駄でしょうね……」

 

 時を止めて美鈴を回収するついでに侵入者の足下に書き置きを残した咲夜であったが、おそらくあの侵入者はここまでやってくるだろうと咲夜は結論付けた。

 現在、紅魔館の玄関は咲夜の手によって幾重にも施錠され、更にはこの館の主人の友人の魔法使いであるパチュリー・ノーレッジの貼った結界によって触れようとすれば自動的に扉から侵入者をはじき返す仕掛けになっている。

 それでも侵入者は、この美鈴を打ち倒す程の手練れ。

 それに加えて彼女の主人であるレミリア・スカーレットはその侵入者を出迎えろと命令してきた。それは即ち、侵入者は美鈴を退けて必ずこの館に入ってくると明言している事に他ならなかった。

 あの月見で、咲夜の主であるレミリアが一体どのような運命を視たのか、咲夜には分からない。お嬢様こそ自分の全てを理解して下さるという自負は咲夜にはあるものの、逆に咲夜の方はレミリアの全てを理解しているとは言い難い。

 それでも、主の意向に従うのが従者の務めだ。

 そう自分に言い聞かせたその時、不意に咲夜は自分の名前を呼ばれた気がして、美鈴の方を向いた。

 ――――さ、く、や、さ、ん。

 まだまともにしゃべることなど出来ない。喉ごと裂かれては声など出はしないだろう。それでも、美鈴は咲夜の名を呼んでいた。

 ――――もう、し、わけ、あり、ま、せん。

 声に出なくとも、その口の動きで咲夜には分かった。

 

「無理はしないで、美鈴」

 

 美鈴の頬を撫でながら、咲夜は彼女に自分の存在をアピールする。今の自分の声が美鈴に聞こえているのかは咲夜には分からなかったが、美鈴の表情は心なしか安心するような様子になり、再び深い眠りに落ちた。

 妖怪である彼女ならばこの程度の傷は1、2日ほどで完治するだろう。門番という業務に復帰できるまでには時間は掛からないものの、それまでは紅魔館の庭の掃除や花たちの世話も咲夜が担当する事になりそうだった。

 ――――庭の管理に関しては本来管轄外だけど、仕方ないですね……。

 肝心の門番兼庭師がこの状況では、そうも言っていられないと咲夜は結論付けて再び頭の思考を美鈴から侵入者に関することに切り替えた。

 

「さて、ナイフは何本必要になるかしら……」

 

 主の城に侵入する不届き者について、咲夜は考える。

 姿自体は時を止めて美鈴を回収する際に確認している。美鈴と戦った後だというのに、ほとんど無傷であった事に驚きを見せた咲夜であったが、それを吟味していかにして侵入者を串刺しにするかを考える。

 ここは人里ではない。しかも相手は外来人。配慮する要素は何処にもない。

 そう考えていたら。

 

「……来たわね」

 

 知らせにより、咲夜は侵入者が玄関のドアを開けた事を察知した咲夜は、能力でその場から消えた。

 ――――わ、た、しは……ま、だ……。

 声の出ない口をそう動かす美鈴だけが、その場に取り残された。

 

 

     ◇

 

 

 再び門の前に立ってみれば、先ほど感じていた美鈴の気配があの館の中から感じ取れた蜘蛛。やはり生きていたかと蜘蛛は笑う。

 となれば、その彼女を避難させたのは間違いなくこの館の住民に他ならない。随分と仲間思いなのか、それとも彼女ほどの腕っ節を失うのが惜しいだけか。いずれにせよ、蜘蛛には関係のない事だった。

 常人ならば乗り越えられない高さの門を一足で跳び越え、蜘蛛は館の敷地へと入る。

 冷たい月光に晒されて、綺麗に掃除された庭や、手入れをされた花が花壇で蕾を閉じて安らかに眠っているのが目に入る。

 これもあの門番の仕業だろうか……だとしたら随分と芸の多い女だな、と蜘蛛は更に美鈴に対する評価を引き上げた。

 一通り庭の鑑賞を終えた蜘蛛は、館のドアの前に立った。

 幾重にも施錠が施された玄関の扉。

 おまけに魔術的な施錠までもが施された厳重なソレを蜘蛛は見つめる。その蒼い眼で、その扉をしばし見つめた後。

 

 先ほど回収した銀のナイフを取り出し、手首のみを動かして。

 ひゅん、と上から下にそっと刃を振り落とす。

 それだけで、この玄関の施錠は解除された。

 

 がちゃり。

 取っ手に手をかけ、蜘蛛はその扉を開ける。

 中に入ると、外より入る月光に照らされたエントランスが蜘蛛の目に入る。その光景に蜘蛛は目を少し見開いた。

 明らかに、外から見るより館の中が広い。まるでそこだけ別空間であるかのように、空間だけがあたかも広められたかのように、とにかくそれだけでもこの館は異常だった。

 そして、何より異常なのは――――

 

「ハハハ、何だこれ。()()()()()じゃあないか……」

 

 何より目に奪われるのは、この空間の所々に走る死の線。館の外にも薄らと見えていたが、この館の空間に走る死の量は尋常ではなかった。

 今にも壊れそう空間、今にも壊れそうな世界。

 今にも真夏の雪に千切れて消えてしまいそうなその世界に、さしもの蜘蛛も笑うしかなかった。さしもの蜘蛛にとってもこれは視界に悪い。意識的に焦点をずらさなければ、瞬く間に狂ってしまいそうだった。

 ちょっと撫でただけでこの世界を壊してしまえる……これ程愉快な事があるものか。

 大凡、何らかの能力か術でこの空間を無理矢理広めているのだろうが、そのツケでも表すかのように、空間に尋常でない程の死の線が走っていた。

 ならば、この出鱈目な芸当を成し遂げてしまう術者とは一体――――。

 

「人の館に侵入して早々にその一言とは。随分と失礼なお客様ですね」

 

 その声が蜘蛛の耳に入った途端。

 蜘蛛の目の前に、一人のメイド――十六夜咲夜が現れた。

 蜘蛛は多少の驚きを見せながらも、大きな動揺は見せなかった。むしろ突然現れたそのからくりに興味を持ち、蜘蛛は女性に話しかけた。

 

「いや、これは失礼。急にこんなけったいな箱庭に放り込まれちゃ愚痴の一言も言いたくなるもんさ」

「そのけったいな箱庭でいきなり見知らぬ館の門番に襲いかかる貴方の方が、よほどけったいじみているかと」

「ハハハ、違いない」

 

 片目を閉じながら皮肉げに笑う蜘蛛。

 それをただ冷淡に見つめる咲夜。

 

「その言動、自分が外の人間であるという自覚はあるようですね」

「ああ、やっぱり? ま、それはどうでもいいことだろう。俺にとっても、あんたにとってもさ」

「ええ、重要なのは――――」

 

 瞬間、咲夜の姿は消える。

 それと同時、自分の首筋に冷たい何かが接触するのを感じ取った蜘蛛は間一髪で跳んでその一撃を躱した。

 

「貴方が美鈴を打ち破り、お嬢様の城に侵入したという事実のみ」

 

 気がつけば、蜘蛛がいた所には銀のナイフを構えている咲夜の姿が蜘蛛の目に映った。一瞬、反応が遅れてしまったことに冷や汗を搔く蜘蛛。

 一方、自分の不意打ちを避けた蜘蛛の超常的な反射神経に咲夜は内心で驚愕するも、表に出すほどでは無かった。不意打ちとはいえ、美鈴と体術で渡り合った男だ。この程度の不意打ちは捌けて当然だろう。

 咲夜が気付いた時には男は一足で15メートルも距離を取っていた。

 その身体捌きを視た咲夜は蜘蛛に対してこう評価を下す。

 ――――能力を除いた反射神経、および身体能力は明らかに自分を上回っていると。

 

「危ない危ない、一体どういうカラクリなのやら。ああ、そういえば……」

 

 冷や汗を搔きながらも距離を取った蜘蛛は、何かを思いついたかのように咲夜に話しかけた。

 

「あの門番のお嬢ちゃんは元気かい? あんたのおかげで解体し損ねちまったもんで、このままじゃちと不完全燃焼なんだが……」

「それを貴方様に答える義理が、こちらにあると?」

 

 ナイフを握る手に若干の力が入る咲夜。

 理由は二つある。

 一つは純粋に美鈴が殺されかけたことによる怒り。

 そしてもう一つは、この殺人鬼が美鈴が突然目の前で消えた事が自分の仕業であると見抜いていることだ。

 ――――腕は立つ上に勘も回る、面倒な相手ですね……。

 こういう相手は速攻で仕留めるに限る、と咲夜は右手の指の間にナイフを三本挟みながら侵入者を睨み付ける。

 

「さて、無駄だと分かりつつも念のためお聞きしますが。お客様、先に対しての返答は以下に?」

「ハっ」

 

 鼻で笑った蜘蛛は回収した銀のナイフを取り出し、それを咲夜へ投げつけた。刀身に咲夜が掘った蜘蛛へのメッセージが書かれたナイフが、その切っ先を咲夜の胸元に向けて飛んでくる。

 その向かってくるナイフの刀身を、咲夜は左手の指で挟み込むようにつかみ取り、その返答を見た。

 『これ以上近づくな』と咲夜自身に掘られた刀身の裏側を、咲夜は覗き込む。

 そこには――――。

 

「受け取れよ、あんたへの『手向けの花』だ」

「フっ――――」

 

 薄ら笑いを浮かべる蜘蛛に対し、咲夜もまた鏡合わせのように笑う。

 『手向けの花』……咲夜に向かって返されてナイフの刀身に刻まれたその言葉こそが、蜘蛛の答えだった。

 

「ならばその花、千本にしてお返ししましょう。貴方の血ともに」

「そりゃあいい。俺の血を代金に一手踊ってくれるのかい、お嬢さん?」

「生憎奏者はこの私。踊るのは貴方一人だけですわ!」

 

 咲夜がそう言い終えると同時、咲夜の周囲に大量の銀のナイフが展開される。

 千本、二千本は下らない。空間を埋め尽くす程の量のナイフが、その切っ先を蜘蛛の方へと向けられていた。

 その光景の中心にて、まるで惑星を回す恒星のごとき輝きを放つ咲夜を見上げ、蜘蛛は口角をつり上げた。

 ――――この規模は、先の門番の比ではないな。

 前髪を掻き上げながら嗤い、蜘蛛は姿勢を低くして咲夜へと躍りかかった。

 

 

 殺到する大量の銀のナイフ。その中心に立つ美しき奏者と、そのワルツに身を投じる一匹の蜘蛛。

 まるで羽虫一匹を潰すためにこのエントランスホール全体に毒ガスをばら撒くかのような所業。そんな絶望的な絵面を前にして蜘蛛は笑っていた。

 

「まったく、本当に堪らない!」

 

 対して蜘蛛は、逃げるでも防ぐでもなく、前方のナイフの弾幕に向かって駆ける。自殺を選び取り、迷う事の無い滑走。全身をナイフが串刺しにせんという距離まで縮まった時、蜘蛛はその重心を下に下ろした。

 地面とナイフの弾幕の、大凡ちゃぶ台の下くらいの高さしかない隙間にその身を投じる。安全地帯に身を潜めた蜘蛛はそのまま驚異が過ぎ去るのを待つ……わけがなかった。

 銀のナイフの奏でる狂騒曲を目くらましに、蜘蛛はその隙間をその低い重心のまま駆けた。その体勢のまま、速度を零から最速に、最速から零に。前へ、後ろへ、真横へ、本物の蜘蛛のような自在な移動を展開する。

 大凡人間の運動法則を無視した体術は最早人外に達する動き。やがてナイフの弾幕が薄くなったことを確認した蜘蛛はエントランスの階段の手すりや壁を足場に立体的な跳躍移動を展開。

 中心に佇む咲夜の死角に瞬く間に回り込み、目も追いつかぬ速度で背後から奇襲をかける。その心の臓を貫かんと切っ先を振るう。

 が、それは瞬く間に潰された。

 

「っ!?」

 

 キィンっ!

 鳴り響く音は金属と金属が衝突する音。いつの間にか咲夜の姿は無く、空中に制止したナイフだけが蜘蛛のナイフの刃を止めていた。

 運動の勢いをあっさりと殺されたその瞬間、勘に従うままに蜘蛛は空中に静止したナイフを蹴りつけて天井へと張り付く。いつの間にか空中に静止したナイフの姿はなく。自分がいた地点に向けて大量のナイフが降り注いでいたのを目視した。

 

「ハ――――」

 

 いよいよ持って狂ってやがる、と蜘蛛は笑った。

 その感情は驚喜。得体の知れない敵に対して、蜘蛛は恐怖ではなく歓喜の情を抱いた。何て殺し甲斐のある相手なんだ、と。

 天井に張り付く蜘蛛に向かって再び向かってくるナイフ。

 下方の全方位からナイフの包囲網が迫ってくる。ソレに対して、蜘蛛は天井を蹴って急降下した。

 自身の身体を掠るナイフは無視し、最初に遭遇した相手のナイフを掴み取り、両手のナイフで自身に迫り来るナイフの弾幕を弾く。

 全てを弾ききれる訳では無い。迫るナイフの雨が蜘蛛の身体にかすり傷を付けていく中、蜘蛛は左手に掴み取った相手のナイフを、ナイフの雨の隙間から一瞬見えた咲夜に向けて投げつけた。

 無論、それは届く訳がない。飛び交う他のナイフによって弾かれ、あらぬ方向へと向かう。

 だが、それで十分だった。これで相手の動揺を誘おうなどと蜘蛛は考えていない。

 その規則正しいナイフの雨の中で、一瞬でも綻びができれば、ソレで十分だったのだ。

 

「疾っ!」

 

 向かうナイフを弾いて蜘蛛は空中で体勢を整えないまま、足下に迫っていたナイフを足場に、跳んだ。

 投擲したナイフによってできたナイフの雨の隙間。その乱れ、綻び。蜘蛛の巣よりも複雑難解なその道を蜘蛛は空中のナイフを足場に蹴りながら、咲夜の死角へと回り込んだ。

 

「っ!」

 

 これで決まったと思った咲夜は、その動揺の隙を突かれた。さっきのように空中に静止させたナイフを足場にするのはまだ分かる。いや、本来足場にできる大きさではないのだが、この男なら何ら不思議ではない。

 だが、動いているナイフについては話が別だ。初っぱなから最高速を維持しながら投げているとはいえ、そのナイフにはきちんと物理法則が働いている。

 にも関わらず、この動き。

 空間に巣を張る蜘蛛というよりは、まるで空中に巣を張る蜘蛛のよう。

 

 動揺している咲夜の死角から、首筋を狙ったナイフの一閃が飛んできた。

 動揺している懐ら、咲夜は思わず手に持ったナイフでその一撃をなんとか捌いた。空中でかち合う二人。

 既に身体中にかすり傷が見られる蜘蛛であるが、その表情の歪みは苦痛ではなく、快楽。蜘蛛の狂気を垣間見た咲夜は、両手に持った六本のナイフで蜘蛛に斬りかかる。

 しかし、蜘蛛が振るうナイフ捌きと、咲夜が振るうナイフ捌きでは天と地の差があった。

 咲夜のナイフ捌きが下手な訳では無い。むしろ幻想郷においてナイフ捌きは誰にも負けないという自負が咲夜にはある。それは近接でのナイフ捌きでも同様の事。

 それでも、蜘蛛のソレには及ばなかった。

 元々体術のレベルが違う事と、更に言うならば男と女の筋力の差。

 高速で振るわれる六本のナイフの手数が、蜘蛛の振るう一本のナイフの手数に負けていたのだ。

 しかし、咲夜とて素人ではない、致命傷になる一閃を捌き、身体の所々にナイフのかすり傷を刻み込まれただけで終わる。

 そのかすり傷の数も、蜘蛛のものと比べれば圧倒的に少ない。

 現状でどちらが有利かは誰が見ても明らかだった。

 

 それでも、咲夜は恐怖した。

 この蜘蛛の在り方を、この稀代の殺人鬼の狂気を。

 先の行動はまさしく正気の沙汰ではないのだ。

 

「くっ!」

 

 僅かに出来た隙を突いて、咲夜は懐中時計のボタンを押す。

 瞬間、彼女の世界が広がる。

 色のない、白黒の冷たい世界が広がった。

 距離を取り、再び時を再生させる咲夜。

 急にその場から消えた咲夜に対し、蜘蛛は動揺する様子もなく、空中に肉薄していたナイフを蹴りつけて壁へ跳び移り、既に距離を取った咲夜の方を睨み付けた。

 咲夜もまた蜘蛛を睨み付ける。

 

「あんた、手品師にでも転職したらどうだ? 給仕なんぞよりもそっちの方が儲かると俺は思うがね」

「生憎、同じ事を知り合いからも言われましたわ。断りましたけど」

 

 まさか、あの日の博霊の巫女から言われた事と同じ事を言われると思わなかった咲夜は、幾分か和らいだ笑みで答えた。

 

「そうかい。まあ、俺は今のあんたの方が断然殺し甲斐があると思うが、な!」

「口説くのならもう少しましな文句を考えて下さい、と!」

 

 蜘蛛も消える。

 咲夜も消える。

 蜘蛛と咲夜の距離は、蜘蛛が一足で詰められる距離。

 だがそれよりも早く、咲夜は時を止めて空中へと()()()

 

「……まさかとは思ったが、あの門番といい、ここの連中はみんなあんたみたいに飛べるのかい?」

「それをお答えする義理はありません」

 

 言うと、咲夜は手に持ったナイフを再び投げつける。

 瞬間、蜘蛛には一瞬だけ灰色の世界が広がったかのような感覚を感じ取った直後、ナイフは何千本にも増殖していた。

 迫り来るナイフを弾きながら蜘蛛は咲夜へと肉薄する。

 先ほど彼女の隙を突けたのは、あくまで彼女の動揺があったからに過ぎない。

 

 だが、気になるのは先ほど、彼女がナイフを投げた瞬間に見えた、あの()()()()()。はて、と蜘蛛は自分の目に手を当てて考える。

 この目は、常人では見えないモノを映し取る事ができる。こんなツギハギだらけの世界が自分に見えているように、彼女はあの灰色の世界を常に見ているのだろうか?

 この目は、あり得ざるモノを見る事ができる代物だ。

 ならば、一瞬だけ見えたあの灰色の空間は、決して幻などではない……。

 

 ならば、見させて貰うとするか……。

 

 肉薄して斬りかかった途端、彼女の姿がまた消え、また別の場所に現れる。そして、その瞬間に彼女が投げたナイフもまた消えているという現象に蜘蛛は気付いた。

 そして――――蜘蛛の中である仮説が立った。

 急に現れるナイフ。しかも初動の速さではなく、最初から加速しきっているかのような速さで飛んでいく。

 次に空中で静止しているナイフ。一瞬だけ見えた芸当だが、蜘蛛が足場にしてもソレはびくともしなかった。

 極めつけは彼女の瞬間移動。

 そして、突き刺さっては一斉に彼女の手元に戻るナイフ。

 

 まだ確信には至らない。

 ならば答えを無理矢理引きずり出してやろうか、と蜘蛛は薄ら笑いを浮かべて。

 

 蜘蛛は突如として、そのまま咲夜の正面に立ち止まった。

 左手をポケットに突っ込み、ナイフを持った右手をだらんと力なくぶら下げながら、咲夜の方を見た。

 ――――一体、何のつもりですか?

 その自殺行為にも等しい蜘蛛の愚行に、咲夜も攻撃の手を止め、立ち止まってしまった。

 訝しんで蜘蛛を見つめる咲夜。

 蜘蛛は相変わらず笑っていた。まるで歌舞伎に使うような能面がそのまま薄ら笑いを浮かべたかのような不気味な笑い。

 まるで、何かを待ち望んでいるかのような、そんな笑いだった。

 蜘蛛の背後には壁がある。既に咲夜のナイフを入れられる程の隙間はない。

 つまり、背水の陣という事だ。

 ――――正面から受けて立つ、という事ですか……。

 愚かな、と咲夜は内心で蜘蛛を嘲笑う。勝負を破棄し、ただ派手に散ろうとするだけの、愚者の考え。

 

「……いいでしょう」

 

 ならば、そんな暇もなく散らしてやる。遊びはもう終わりにしよう。舞台は終幕へ。ただ彼女だけ見る事が出来る、灰色の世界で幕を下ろそうではないか。

 灰色の世界が、彼女を中心に広がった。

 何も動かない、色彩もない、彼女だけの世界。

 全てが止まったその空間で、咲夜は不気味な笑いを浮かべる蜘蛛を睨み付けた。暢気なものだ。

 ――――貴方はその笑いを浮かべたまま、己が死んだ事にすら気付かず、無様に散っていく!

 

「人間から怖れられ、忌み嫌われてきた力、本気で振るえば……!」

 

 その言葉を口にした瞬間、一瞬だけ、咲夜の脳裏に紅色の着流しの少年の笑顔が過った。

 ――――そうだ、彼だけは、志貴だけは違った。

 こんな私に母から貰ったという大切な宝物をくれた。こんな化け物みたいな私を、笑顔で受け入れてくれた。誰も寄せ付けないこんな私と、嫌な顔一つせず遊んでくれた。

 一緒に隠れん坊をしたときも、能力を使ってズルをしていた私を一生懸命になって見つけてくれて、叱ってくれた。あの少年のおかげで、咲夜は殺人鬼をやめる事ができた。

 そして、敬愛する素晴らしい主と出会うことができた。

 ああ、なんだ。十六夜咲夜になる前の“私”にも存外素敵な思い出に溢れかえっているじゃないか。

 ――――だから、ごめんなさい。志貴。

 ――――今の私にとっては、お嬢様こそが全て。そのためならば、貴方との約束だって破ってみせる!

 

 決意を固めた咲夜は飛び上がり、蜘蛛を見下ろす。

 己が持ちうる限りのナイフを蜘蛛に向けて投擲する。

 投擲されたナイフの雨は、速度を保ったまま蜘蛛の面前で停止する。

 如何な蜘蛛であろうと、いきなり目前に現れた大量のナイフを一斉に捌ききる事などできはしないだろう。

 

 既に数えるのも億劫なくらいのナイフが、その切っ先を蜘蛛に向けたまま静止していた。次に咲夜がこの灰色の世界を解除した瞬間が、この蜘蛛の最後だ。

 

「あなたはこの冷たい世界で、何も理解できぬまま死ぬ……!」

 

 懐中時計を掲げ、揺らしながら咲夜は宣言する。

 

「私を理解できるのはお嬢様だけ……解除!」

 

 そして、時は動き出す。

 その瞬間、ありえない事が起こった。

 迫るナイフに蜘蛛は対処仕切れず、その笑いを保ったまま、何も出来ずに息絶えるというのが、咲夜が幻視した未来だった。

 その筈だった。

 

 ――閃鞘・八点衝――

 

 蜘蛛が放つは、斬撃の乱舞。

 己の腕が動く最大範囲までを襲う鋼の乱れは、まさに狂気を宿した暴風の渦。不協和音と聞き間違うくらいの金属音を響かせながら、その斬撃の暴風は咲夜のナイフの雨を迎え撃った。

 それだけならば、まだ驚かなかった。

 蜘蛛のナイフが咲夜のナイフに触れる懐から、咲夜のナイフが刀身ごと切られていくのだ。切られていくナイフは形ばかりかその慣性すらも殺され、床へと落ちていく。

 咲夜は目を見開いた。蜘蛛は自分のナイフをたたき落としているのでは無く、解体しているのだという事実に。

 そして、全てのナイフを捌ききった蜘蛛は、その笑いを崩さずに咲夜を見つめた。

 ――――どうした? 俺はまだまだ踊れるぜ?

 そんな事を言わんばかりの目付きで、咲夜を睨み付けた。

 

「なにを、したのですか?」

 

 今度こそ、動揺を抑えられない咲夜。

 たたき落とされるだけならばまだ分かる。だが、迫り来るナイフを切られた。

 切られただけならまだ分かる。その次は、その慣性を、投擲されたナイフという意味すらもが殺された。

 

「なに、少し線をなぞっただけさ。それであんたのナイフはみんなこの様だが……()()()()()()()()()()()?」

「ッ!?」

 

 蜘蛛のその一言で、咲夜は悟ってしまった。

 自分の能力を、力を、見破られた。

 見破られる事自体には痛手はない。問題は、相手がそのタネを分かった上で、自分のナイフを軒並み解体してしまった事だった。

 これではナイフを回収した所で、殆ど使い物にならない。

 

「時を操る、ねえ……。人間が扱うにしちゃあ少々過ぎた力だが、そこいらの魔よりも化け物じみてるな、あんた」

 

 化け物じみているは、此方の台詞だと咲夜は内心で叫ぶ。

 どんな手品を使ったのかは知らないが、あれほどの量のナイフを捌いてみせるナイフ捌き。おまけにたたき落とすに飽き足らず、解体する始末。

 咲夜は確信する――――この男も、何らかの能力を持っているのだと。

 それが何なのかは分からないが、この男が幾重にも施錠された玄関をナイフの一振りで突破してきた時点で、警戒はすべきだったのだ。

 

 何をやっている、愚かなのは自分の方ではないか。

 咲夜は先ほどの自分の思考を吐き捨てる。この男は勝負を捨てたのでは無い。

 むしろその逆――勝負に打って出たのだ。

 咲夜とやり合う内に、咲夜の動きを、戦い方を観察して己の中で仮説を立てて、それが正しいかどうかを確かめるためにあえて勝負に出たのだ。

 そして、咲夜は蜘蛛の思う壺に嵌まってしまった。今思えばあんな隙だらけの仁王立ち、分かりやすい挑発以外の何物でもなかっただろうに。

 ――――つくづく無能ですね、私は……。ですが……。

 だが、咲夜は諦めない。

 むしろ勝機を見いだし、後一本のナイフを取り出した。

 七つ夜と掘られた鉄の棒から、パチン、という音を立ててその刀身が現れる。

 

 最後に取り出した咲夜の得物は、奇しくも蜘蛛が持っているモノと同じ飛び出し式ナイフ。

 

「ハハハ……」

 

 己の得物を全て解体されて、それでも戦意を滾らせる美しき銀の少女に、蜘蛛は思わず見惚れて笑いを零した。

 

「やっぱり最高だよあんた。メイドにしておくのが勿体ない」

「生憎、お嬢様からは貴方を迎え撃つよう命じられています。ここで退くわけには行きません」

 

 そこから先は、言葉などいらなかった。

 互いに消える。

 咲夜が見出した勝機。

 それは長期戦に持ち込み、相手を消耗させる事。幸い相手が負っているかすり傷は此方が負ったものより遥かに多い。あの勝負でも蜘蛛は全てのナイフを裁き切れていた訳ではない。元からあったかすり傷に加え、更に重なり上塗りにされたかすり傷からの流血は、確実に蜘蛛の体力を削っていく。如何に性能に支障をきたさない傷であっても、長期戦になれば自ずとその差は現れて来る。

 そのためには、時止めで距離を取りつつ、さりとて乱用せず、相手が消耗した所を七つ夜でその首を掻っ切る!

 

 だが、それを差し引いても咲夜は不利だった。

 如何に彼女の空間といえど、この屋内は既に蜘蛛の独壇場であった。あの速く、かつ立体的な動きを展開されれば面倒だ。

 咲夜が一歩引く頃には、相手は瞬く間に咲夜との距離を詰めて来る。得物が互いに制限されている中で、この体術の差は苦しいものがある。

 故に、咲夜は最後の手段に出た。

 

「如何にここが貴方の惨殺空間となり得ようとも、この空間は私の空間! 故に、貴方の時間が私の時間であるように、貴方の空間もまた、私の空間!!」

 

 瞬間、それは巻き起こった。

 空間が広がっていく。

 蜘蛛が立体的な動きを展開できないように、この紅魔館のエントランスホールの空間そのものが広がっていく。

 これこそが咲夜の能力の真骨頂。

 時止めそのものよりも、彼女がこの紅魔館において重宝される最大の理由だった。

 時間を操れるという事は、空間も操れるのと同義。

 

 元より狭い屋内戦闘に特化した体術を扱う蜘蛛にとって、咲夜の能力は大の天敵。ソレを今まで行使しなかったのは、咲夜の最後のプライドが邪魔をしていたのか、それはもう蜘蛛には分からない。

 だが、蜘蛛は笑った。

 ――――遅すぎるよ、あんた。

 最初からソレをしていれば自分に勝ち目はなかったというのに、能力の種が割れた今となってはもう無意味に等しい。

 蜘蛛は視る。

 空中に走る“死”を。元々無理矢理個人の能力によって広められた空間。固有結界と呼ばれる魔術空間が世界からの修正を受け続けて脆くなるように、咲夜の空間もまた脆い。

 故に、教えてやろう。

 

「これが、モノを殺すという事だ」

 

 蜘蛛はその空間に走る“死”にナイフを通す。

 その瞬間、咲夜の世界は終わった。

 空間は元通り。むしろ蜘蛛がここに入ってくる前よりも狭くなっていた。これが、この館本来のエントランスホールの広さ。

 正に蜘蛛の惨殺空間にはうってつけだった。

 

「っ!?」

 

 動揺を隠さない咲夜。

 その隙を蜘蛛は逃さない。

 だが、同時に蜘蛛は咲夜に敬意を抱いていた。

 ――――あんたは、あの門番以上だよ。

 その意志も、能力も、それ以上。

 故に、自分の最大限の礼を持って応えようではないか。

 

――――極死

 

 ナイフを持った腕を振り上げる蜘蛛。

 己の世界が通じないと知り呆然と立ち尽くす咲夜。

 振りかぶった腕が真横に動く。

 必殺の威力を込めたのか、蜘蛛は振るった腕の勢いを殺し切れず、無様にその背中を向ける。

 くるり、と独楽のように反転する蜘蛛。

 シュン、と風を切って飛んでくるナイフの光。

 

「――――」

 

 その軌跡を視認して、咲夜の意識は蜘蛛の方へ向いた。

 動揺していた反動か、時止めも用いずに真っ直ぐに飛んできたナイフを七つ夜で弾く。

 

「――――え?」

 

 そこで、咲夜の動きは止まってしまった。

 弾いたナイフが宙で回転している。

 そのナイフを間近で見つめてしまった。

 

 ――――どうして、このナイフがここに……?

 

 そのナイフは、咲夜が持っている七つ夜と同じ飛び出し式ナイフ。

 日本刀のような刃紋が走り、中心を走るように掘られた細い窪みを持つ両刃の刀身は、見間違えようもなかった。この七つ夜と同じように、こんな珍しいナイフは世の何処を探しても何処にもない。

 そのナイフは紛れもなく、あの日に自分があの少年に渡したナイフで……。

 

 時は既に遅く、いつの間にか咲夜の頭上に飛んでいた蜘蛛が咲夜の頭部を鷲掴みにしていた。

 

「――――あ」

 

 ぐぎり、と。首の骨が、捻じ曲がる、おと。

 

――――■■

 

 蜘蛛が唄う。

 ……もともと化け物じみていた蜘蛛の動きは、ここにきて奇跡のように美しかった。

 片手で胴体から離れた頭を鷲掴みにされたまま、咲夜の視線は蜘蛛の眼へと移った。

 綺麗な、蒼い眼だった。透き通るような、蒼い虹彩の眼だった。その眼はどうしようもなく、あの日出会った少年の眼と寸分も変らぬモノだった。

 

「し、き……?」

 

 思わず、その名を呟いた瞬間。

 

 その“運命”は、否定された

 

 

     ◇

 

 

「な、に――――」

 

 その声は誰のものだったか。

 咲夜の薄れゆく筈の意識は、突如として現実に引き戻された。

 

「えっ?」

 

 こんな素っ頓狂な声を上げるのは、今日で何度目だったろうか。

 咲夜は目の前の光景が信じられず、思わず自分の首筋を手で何度も触って確認した。

 ――――首が、繋がっている!?

 続いて、蜘蛛の方を見る。

 蜘蛛の方も目に見えて動揺していた。先ほどまで掴んでいた咲夜の頭の感触を手を握っては広げては繰り返して確認し、そして信じられないような目で、再び首が繋がっている咲夜を見た。

 ――――あんた、一体なにをした?

 ――――そんなの、こちらが聞きたいです。

 殺し合った由縁か、お互いの気持ちが合致している関係か、いつの間にか眼で会話できるようになっていた二人。

 暫し、お互い見つめ合う。

 

「あ……」

 

 そして、再び蜘蛛の蒼い眼を見た。

 美鈴を回収した時はそっちに意識がいっており、彼のナイフにも、彼の眼にも気づかなかった。しかし、こうして間近で見る機会を得て、咲夜は思わずその眼に見入ってしまった。

 ――――キレイ……。

 抱いた感想は、奇しくもあの日初めて少年の眼を見つめた時と同じものだった。まるで、あの事に戻ったかのような感覚に陥る咲夜。

 そして、次に咲夜の眼に映ったのは、彼の手に握られている、あの日自分が少年に渡したナイフだった。

 

「貴方、し……」

「そこにいるあんたの仕業かい、吸血鬼?」

 

 言いかけたその言葉は、皮肉にも主の登場によって遮られた。

 蜘蛛の言葉にハっとなる咲夜。

 思わず蜘蛛の視線が向いている方に、咲夜もまた視線を向ける。

 

 パチ、パチ、パチ。

 

 聞こえてきたのは、ゆっくりとした拍子の拍手音。

 手を叩きながらエントランスホールの階段を降りて来るのは、背中に蝙蝠の翼を生やした少女。人間で言えば10歳にも満たぬであろう見た目の少女。

 シャンデリアから映し出された紅い月をバックに佇むその影の正体は、紛れもなく咲夜の敬愛する主だった。

 

「見事な舞だったわ、二人とも」

 

 まるでショーを見終わったかのような口調で、咲夜の主ことレミリア・スカーレットは二人を見下ろす。

 その眼に2人を侮蔑する意図はない。純粋に二人を称賛している……そんな眼だった。

 そんなレミリアに対し、先に立ち上がって口を開いたのは蜘蛛の方だった。

 

「御満足頂けたなら結構だ。それで、もう一度聞くが。これはあんたの仕業かい、吸血鬼?」

「ふん、人聞きの悪い事を言うな」

 

 微笑むレミリア。

 

「私はただ思っただけに過ぎないわ。貴方も、咲夜も、ここで朽ち果てる()()()()()()ってね」

「ッ!?」

 

 レミリアの言葉に驚愕の表情を浮かべる咲夜。

 未だに訝しむ蜘蛛。

 その中で、咲夜だけが自分が助かった理由に気付いた。

 『運命を操る程度の能力』……詳細は分からないが、因果律に関わるその能力に、咲夜は救われたのだ。レミリアが意識してか、しないでかはともかくとして。

 確かにレミリアは、咲夜を救っていた。

 でなければ、自分の首は今頃胴体から落ちている筈である。

 ――――また、お嬢様に救われた。

 その事実だけが、咲夜の頭の中にストンと落ちた。

 

「ククク、まあいいさ。それで、次はあんたが俺の相手をしてくれるのかい?」

「その傷で、尚向かってくるというのか、殺人鬼?」

「ああ。館の外からでもあんたの気配ははっきりと感じ取れた。それが目の前に現れたとあっちゃあ、我慢できずにはいられないよ」

「無理だな。咲夜はともかく、お前では私を殺す事はできん」

 

 全身の掠り傷から血を滴らせながらも揺るぎない殺意を向けてくる蜘蛛に対し、レミリアは止めておけと制止する。咲夜を相手にしたばかりだというのに、その殺意を緩ませるばかりか、むしろ増し増しになっていっている事には感心するレミリアであったが、人間である彼が自分を殺せるわけがない。

 そう思っていた。

 

「……どうかな? 少なくとも、俺はこのナイフをあんたに通せば殺せると思っているぜ?」

「ッ!?」

 

 血に滴る前髪を掻き上げ、蜘蛛はその眼でレミリアを見つめた。

 咲夜が見惚れたその蒼い眼は、不死者や長寿者である者にとってみれば、己の死を連想させる。そんな恐怖を抱かせるものだった。

 その突然感じた恐怖にレミリアは思わず目を大きく見開けた後、腹を抱えて可笑しそうに笑った。

 

「ふ、ふふ、アハハハハハッ!」

 

 笑うレミリア。長寿である吸血鬼にとっては、退屈は最悪の毒。故に死に近い日常を退屈凌ぎとして捉える傾向がある訳なのだが、いざ自分が殺せる程のナニカがあるのだと認識すれば、その話は変わる。

 レミリアは、本当の死の恐怖を一瞬でも味わったそんな自分に対しておかしくなって笑ってしまった。

 

「面白い眼を持っているのね、貴方。ああ、やっぱり私は間違っていなかった!」

「……お嬢様」

 

 笑い続けるレミリア。

 愉快、愉快だとその口は告げる。

 

「夜空にて輝く二つの月。それが先ほど私が見えた運命……そこに、貴方が現れた」

「……」

 

 自分を見下ろすレミリアに対し、蜘蛛は黙って聞き続ける。ナイフを握った手が震えている事から、レミリアを殺したいと我慢しているのは丸見えなのが、そこは主に変わって咲夜が警戒する。

 

「私は見てみたい。あの満月の日に現れた咲夜のように、この弦月に現れた貴方の行く末を見てみたい」

「運命、ねえ……」

「あら、胡散臭い言葉に感じるかしら?」

「いいや、こうしてあんたをバラせる機会に巡り合えたんだ。だったらその運命に感謝するさ……」

 

 相変わらずな薄ら笑いを浮かべる蜘蛛の思考も、相変わらずだった。

 先ほど殺し合っていた咲夜を無視して、今か今かとレミリアを解体する事を望んでいた。それほどまでに、このレミリア・スカーレットという少女は魔的だったのだ。

 

「フフフ、咲夜を殺しかけたその殺気はさすがね、けれど……」

「ッ!?」

 

 瞬間、反転する蜘蛛の視界。

 気が付けば蜘蛛の身体は床へと叩きつけられていた。

 下手人は、レミリアではない。

 もしレミリアだとすればソコに意識を向けていた蜘蛛はとっくに反応できている。

 だとしたら……。

 

「これで、チェックメイトです」

 

 床に投げつけられた蜘蛛の首筋に、七つ夜を突き付けた咲夜の姿があった。

 

「他の女に気を取られてデートの相手を疎かにしちゃ、紳士は務まらないわよ?」

 

 倒れた蜘蛛に向けて、レミリアはくすりと妖美な笑みを浮かべながらゆっくりと歩み寄る。

 ハッ、と蜘蛛はそんな無様な己を自嘲した。

 ――――いや、本当に下手だね。どうも……。

 一度は殺した相手。それが何の因果か、今度は自分がその相手に殺されかかっている。

 

「時を操るだけが、私の取り得ではありません。気付きませんでしたか?」

 

 咲夜とて元々暗殺者だったのだ。

 己に意識を向けていない相手に対して奇襲を仕掛けるなど造作もない事だ。……その相手が本来ならば自分を殺していた筈の人間である事は、少し情けない気が咲夜はしたが。

 ともあれ、今度こそ咲夜は蜘蛛を見逃すつもりはなかった。

 床に組み伏せ、身体を拘束し、首筋にナイフを突きつけた。

 

 その突き付けられた七つ夜を見て、彼がナニカ反応してくれるかもしれないという、そんな淡い期待も込めていたのは内緒だった。

 

「ク、ハハハ……」

 

 自嘲するように笑い続ける蜘蛛。

 

「それで、どうするのかしら殺人鬼。ここで誰も殺せぬまま朽ち果てるかしら?」

「……それは、頂けないな。死んだらもう誰も殺せない」

 

 やれやれ、と言った感じで蜘蛛は皮肉げな笑みを浮かべながら、手に握ったナイフを手放した。

 すかさず時を止めてナイフを回収する咲夜。

 それを降参の意と見たレミリアは咲夜に命令した。

 

「いいわ。離してあげなさい、咲夜」

「ハッ」

 

 命令通りに咲夜は蜘蛛を解放し、距離を取った。

 その後ろ姿を、ずっと見つめた。

 

「それで、あんたは俺に何をさせたいんだ、吸血鬼?」

「さっきも言った通りよ殺人鬼。私は運命を見た。夜空に浮かぶ二つの月……だが、私が見れた運命はここまでだった」

「……」

「私に仕えなさい。その身を捧げろとはいわない、血を寄越せとも言わない。私は謂わば観客。貴方という役者を遠くから眺める観客に過ぎない。これからどうするかは貴方次第。それでも私は最後まで見てみたい。貴方と、咲夜の運命を……」

「お嬢様……」

 

 レミリアの目は、真摯に蜘蛛を見つめる。

 その目が気紛れでなく、本気で見たいのだと語っている。

 それを見た蜘蛛は皮肉げな笑いを深くして、その膝を着いた。

 それは服従の意。貴方に仕えるという服従の意を示す姿勢だった。

 

「いいぜ。精々従者らしく振舞うとするさ。けど……」

 

 その蒼い眼だけを見上げ、レミリアを睨み付ける蜘蛛。

 それに対し、レミリアもまた鏡合わせのように笑った。

 

「ええ。我慢できなくなったら、いつでもこの寝首を掻き来るといいわ。そうなる日は来ないと、私は信じているけど……」

 

 そうかい、と蜘蛛も薄ら笑いで答える。

 自分から厄介事を抱え込みに来るとは、ずいぶんと物好きな吸血鬼もいたものだと、蜘蛛はレミリアをそう評価した。

 

「さて、お互い吸血鬼と殺人鬼じゃ語呂が悪い事だし、そろそろ名乗るとしましょうか。

 我が名はレミリア。レミリア・スカーレット。この館の主にして、ツェペシュの末裔と言われる一族の一人だ。

 貴方の名前を、教えてくれないかしら?」

「生憎、ここに来るまでの記憶が曖昧でね。そもそも名前以前に前があるかどうかすらも怪しいんだ。好きに呼んでくれ」

 

 遠回しに、自分の記憶喪失を告げる蜘蛛。

 素直に覚えていないといえばいいだけなのに、その一言だけで目の前の殺人鬼に捻くれ具合がレミリアには伝わった。

 

「そうねえ。咲夜、今日は新月から何日目かしら?」

「七日目ですが……お嬢様?」

 

 月見をしていた時と同じ質問をされ、思わず訝しむ咲夜。

 ふむ、と考えるレミリアは思い付いたかのように、再び視線を蜘蛛に向けた。

 

「決めた。今日からお前は“七夜”と名乗れ。あの夜空の月からやって来たお前には相応しい名だ」

 

 レミリアが蜘蛛に名付けたその名に、咲夜は思わず見開いた。

 その名は、とても懐かしい響きだった。

 これは、果たして偶然か、それともレミリアの言う運命なのか。

 呆然とする咲夜を余所に、蜘蛛――七夜は膝を着いたまま答えた。

 

「はいはい。精々あんたを退屈させぬよう立ち回るとするさ、ご主人様?」

 

 こうして、紅魔館に一人の執事が誕生した。

 




咲夜の持つ七つ夜:まんま原作の七つ夜。
七夜の持つナイフ:リメイク版七つ夜

七夜のコンボムービーで有名なTaMaさんが2019年になって新しいコンボムービーを出していて驚きに固まるナスの森であった。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm34721603

どんな結末をお望み?

  • 諸々あった末くっつくルート
  • 諸々あった末殺し愛ルート
  • 直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート
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