双夜譚 月姫   作:ナスの森

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人里

 さんさんと降り注ぐ日光。ギラつく刃物のように鋭い光は二人の歩きゆく道を照らす。照らされるは道だけにあらず、周囲に敷き並ぶ田んぼや庭園、はたまた草むらなどもまとめて照らし、豊かで鮮やかに緑の世界を形作る。

 幻想郷ではさして珍しくないこの光景も、外から来た者が見れば感嘆の声を上げることだろう。都会ではめったに見られる事のない光景。

 だからこそ、例に漏れず外から来た彼もこの光景に感動の意を示すかと思えば、そうでもなかった。美しい光景を照らし出す日光などなんのその、むしろ肌が焼け付いて身体の性能に支障が出ないかと心配にさえなる。刃物の煌めきだったらいつまでも眺めていられるというのに、こうも上から照らし出されては堪った物では無い。

 つまり何が言いたいのかというと、その男は朝が弱いのだった。

 

「空を飛べたり時を操れたりするんだったら、態々俺を引っ張り出す必要なぞないと思うんだが……」

 

 ただでさえ普段から気怠そうな影を持つ七夜の表情は、ここに来て更に覇気を感じさせぬ形相だった。……それでもその『今すぐにでもお前を殺したい』と言わんばかりの目付きは変わらないが。

 

「文句を言わない。せっかく男手が入ったのですから、精々荷物持ちとして役立って頂きます」

 

 隣を歩く咲夜が愚痴る七夜に一瞥しながら答える。

 現在の二人の出で立ちは館にいる時と変わらない。

 咲夜は白と青を基調としたメイド服を、七夜は黒を基調とした燕尾服を。特に七夜の黒は日の光を吸収しやすいため、余計に日の光の弊害を受け入れる羽目になっていた。無論、その程度のことで七夜は根をあげたりはしないが。

 

「雁首持ちなら喜んで引き受けるんだが、米を担いだ殺人鬼が押し入ってきたら番犬もさぞ仰天するだろうな」

「嫌味を動かす口があるのなら、まず足を動かして下さい。それとも、淑女と歩く朝はお気に召しませんか?」

「夜明け前なら大歓迎だ。……という訳で、今夜また殺り合ってくれないか? こっちはあんたの首の抱き心地をもう一度味わいたくてね」

「……その挑発には、もう乗らないわよ」

 

 目を閉じてうんざり、と言った様子で拒絶の意を示す咲夜。冗談まじりの挑発ではない、この男は本気である。

 この男、見た目平静に見えてレミリアに自分との殺し合いを邪魔されたことを相当根に持っている。事実、レミリアの介入がなければこの男の曲芸じみた業で咲夜は死んでいた。いくらこの男のナイフを間近で見てしまったことによる動揺があったとはいえ、そこについては咲夜も言い訳するつもりはない。

 故に、今更首をねじ切られたことを恨むつもりはない。

 ……恨む筋合いはない、きっと、おそらく。

 敬語が崩れているので実際はかなり我慢の限界であることは、内緒である。

 

「言ったはずです。お嬢様は日中も活動される事が多いと。今日は快晴なのでさすがに出歩く事はありませんが、今の内に慣れておくとよろしいかと」

「なら、いつも通りあんた一人で行けばいいだろう。こっちはあんたほど便利な性能はしてないし、昼間は狩る事ができないから基本的に夜行性だよ」

「分かっています。そのためのこの時間を選んだのです。貴方が幻想郷の夜の空気に中てられて余計な気を起こさぬようにと、ね……」

 

 夜の時間は、魔が騒ぎ出す時間。

 そんな時間にこの男を野に放ったらどうなる事やら。

 いくら記憶喪失といえど、退魔一族の名を持つこの男がそんな夜に大人しくしている筈が無いのだ。

 だからこそ、外に出すならばこの時間が良いと咲夜は判断した。

 チ、という小さい舌打ちが咲夜の耳に入る。

 どうやら咲夜の言っていることは図星のようだった。

 

「なるほど、確かに俺の扱いを心得ているな。効率的な活かし方とは思えないが、腐らせ方はピカイチだよ」

「あら、そうでもないわよ? もし貴方が人里まで付き添ってくれるというのであれば、昨日の貴方の要求を飲んであげようと思うのだけれど……」

「……おまけに首輪の繋ぎ方も上手いときたもんだ。今の言葉、忘れるなよ?」

「交渉成立、ですね」

 

 渋々ながらも了承する七夜に、咲夜は内心でガッツポーズを決めつつ、表面は静かに微笑む。こう見えても殿方と一緒に出歩くのは初めてなのだ。相手は目付きが壊滅的に悪いのが玉に瑕だが、顔は悪くない。

 元々この男の能力については咲夜も買っている。人間離れした体術も、隠形に長けた式神を思わせる気配遮断能力も、自分の空間を破って見せた能力もそうだが、特に咲夜が気に入ったのは接近戦において自分すらも上回るナイフ捌きだ。

 相手が少なからず自身が認めた男である、というのも一つあった。

 

「ではお嬢さん、不肖ながら人里までエスコートさせて頂きます。暫し幻想(ユメ)の旅路をお楽しみくださいませ」

 

 咲夜の手を取り、目線がそこまで間近にするように腰を下げながら、さながら本物の紳士のような口調で七夜は言う。

 慇懃無礼。

 明らかに形から入っているだけの、芝居じみた口調だ。

 それでも、この男には様になっていた。

 ニヒルながらも優しく甘い声音は普通の女であれば虜にされても不思議ではない。

 

「……形から入るのは結構ですが、その、心にもない事を言うのはやめて頂きたい」

「これは手厳しい。まあ、俺も素で言える程物好きじゃない」

 

 恥ずかしくなった咲夜は、顔を逸らしつつ断りを入れる。

 言われてあっさりと咲夜の手を離し、立ち上がる七夜。

 あれ程キザったらしい台詞を吐いておきながら、本人に恥じる様子は一切ない。本当にお遊びの感覚で言った言葉なのだろう。

 

「さて、いつまでも立ち往生なのは頂けない。この世界の人の営地とやらを拝みに行こうじゃないか」

「……まったく、さっきまで乗り気では無かったというのに。ああ言った手前、無理して私の前を歩こうとしている訳ではないのでしょうね?」

「勿論。あんたに前を歩かれたら、その綺麗な背中についナイフをぐさりって事になりかねないからね」

 

 冗談交じりに聞く咲夜。しかし、帰ってきた七夜の返答が予想斜め上をいき、いや、ある意味では予想通りで、つい肩を落としてしまった。

 ――――聞くんじゃなかった……。

 この殺人鬼にまともな返答を期待するのがそもそも間違いだった。

 咲夜は自分の前を歩く七夜の背中を見つめる。

 そもそも、咲夜は一度とて七夜に人里への道を教えたことはない。そもそも咲夜もめったに徒歩で人里へ行く事は無いので、ある意味では初めて道らしい道を通って人里へ行く事になる。

 にも、関わらず、七夜は迷わずに歩を進めていた。

 目的の場所が何処かを分かって歩いているというよりは、本能に身を任せて彷徨い歩いているようにも見えた。まるで幽鬼のよう。今を生ける生者という空気からはほど遠い。

 ――――なら、その本能に、任せてみましょうか。

 

幻想(ユメ)の旅路、か……」

 

 七夜の言葉を反復する咲夜。

 七夜は冗談交じりに言ったのかも知れないが、確かにいいかもしれない。異変解決として、はたまたお嬢様の気まぐれとして幻想郷を飛び回ることは数合ったが、歩き回った体験は確かに少ない。

 せっかく、自分の目の前に空を飛ぶ事ができない憐れな蜘蛛が一匹歩いているのだ。ここは彼にエスコートされてみるのもいいかもしれない。

 

「では、御言葉に甘えてエスコートして頂きましょう、新人執事さん?」

「ハッ、仰せのままにってか、メイド長?」

 

 先行する七夜。それに付いていく咲夜。

 本日は快晴。

 二人の主である吸血鬼は館で眠り、二人の夜が朝の道を歩く。

 紅い月を映し出すために存在する二つの夜は、かくして幻想の地を共に歩く。

 ひとっ飛びで向かうのではなく、人里までの徒歩の道のりは、咲夜にとっては存外新鮮なものとなった。

 

 

     ◇

 

 

 人里までは、思った程掛からなかった。

 人の活気に満ちた里。とても妖怪たちの跋扈する地に囲まれた者達の空気ではない。いやそれとも単に、呆けているだけなのか。

 ただ妖怪達の怖れを満たすためだけに、この箱庭の、更に窮屈な辺境に押しやられているのかと思えば、ちらほら出入りしている妖怪も見かける。

 危険度が低いと見なされている妖怪は里の出入りが許可されているらしい。おかげで人里のただ中だというのに身体が疼きやがる。

 弱小妖怪くらいなら判別が付くって程度なんだが、やはり腐っても箱庭の要の一つと言うべきなのか。何匹か力のある妖怪も出入りしているようだ。いつナイフが軽くなっちまうか分かったもんじゃないね、こりゃ。

 まあ、この衝動に身を任せるっていうのも癪だ。殺しってのは自分でやるからこそ意味がある。解体しがいのある獲物ほど特に、な。

 

「ここが人里か。思ったより普通だな」

「無常を怖れる者達の集まり、妖怪達の怖れの糧、一種のシステムのようなものですから」

「ある意味こいつらも飼われているって事か?」

「さあ、それは管理者に聞かない事にはなんとも。白黒魔法使いのように、人里の外で暮らす事を好む人間も少なくありませんし」

 

 白黒魔法使い、上司であるメイド長や門番の嬢ちゃんから度々聞く単語だ。このメンツの口から数度名前が挙がる当たり相当手こずる輩らしい。さぞや解体しがいのある獲物なのだろう。

 よく出没する場所はあの紫魔法使いが居座る大図書館だという。どのように巣を張り、絡め取ってご馳走しようか、考えるだけでゾクゾクする。

 ……そんな考えを読まれたのか、横にいるメイド長からジト目で睨まれた。……勘のいい女は嫌いじゃないがね。

 

「それで、これからどうするんだいメイド長? 俺とあんたが一緒にいて少々目立つように思えるが?」

 

 さっきから周りからの視線が鬱陶しい。

 俺に対しては精々奇異の目線で見られる程度だが、メイド長に関してはその限りではない。忌避、憎悪、羨望、憧憬。種類は様々だが、特に前者二つは多く感じられる。

 まあ、この見てくれだ。嫌でも目立つのだろうが、何かここの人間たちと憩いでもあったりしたのだろうか。

 

「……そうですね、貴方の言う通りです。七夜、貴方はこの紙に書いてある通りに店を回って、必要なモノを買い足して下さい。私は別用がありますので、終わったら、あそこの寺子屋前に待ち合わせましょう」

「買い出し以外にも用があるのか?」

「ええ。お嬢様の食用の血を採取しに、契約した住民たちを回ります。時間はそんなに掛からないでしょう」

「契約するための血のやり取りだろうに。血を吸うために契約するのは本末転倒じゃないのかい?」

「お伽噺の定石(セオリー)も通じない、とは誰の言でしょうか?」

「……仰る通りで」

 

 人間にとっちゃ住みがたい世界だと思っちゃいたが、逆もまた然りということか。元より、悪魔の契約というものは悪魔側に有利なように出来ている。それをさせないための処置というわけか。

 ご主人様が変わっているだけなのか、それともこの箱庭の管理人が定めた掟なのか、真実は闇の中、か。……まあ、どちらにせよ殺すのだから些細な事だろう。

 

「では、いったんお別れです。くれぐれも寄り道はしないように」

淑女(レディ)との逢瀬に遅れたりはしないさ。じゃあな」

 

 背を向けて去って行くメイド長。

 それだけで鬱陶しい視線の多くは向こうへ免れた。その背中はどこかバツが悪そうだった。ふむ、ここに来るまではそれなりに楽しそうだったんだがな。やはりここの住民と何かあったのか。

 ……ご主人様絡みの何かか? いや、だとしたらご主人様がこの問題を放置しているとは思えない。さりとてご主人様がこの事を把握していないとも考えにくい。

 ……となると、これはあいつ自身が撒いた種、もしくは問題と考えるのが妥当かね。見ている分にはなんとも思わんが、目を付けた獲物が肝心な時に解体しがいもなく、というのは頂けない。

 ……柄じゃないが、俺からも少し踏み込んでみるとしよう。

 

「失礼」

「あら、ここじゃ見ない顔ね」

「ああ。本日付けで紅魔館の飼い犬となった七夜という。よろしく頼むよ、瑞々しいお姉さん?」

「あらまあ! 咲夜さんの所の……通りで見ない服装だと思ったわ。さあ、どうぞどうぞ! 好きなだけ買っていって頂戴!」

 

 メモに言われた通りの八百屋を訪れ、敢えて紅魔館の名を出してみる。

 ……あまり悪い印象はない。むしろ人里における知名度はご主人様よりもメイド長の方が高そうだ。

 この八百屋の女性だけ特殊な可能性もある。

 もう少しだけ踏み込んでみるか。

 

「それじゃあ、これをお願いするよ。メイド長も足りないとぼやいていたからな」

「毎度あり♪ また来てね、執事のお兄さん!」

 

 執事、という単語が出てくるあたり、この女性はかなりメイド長と懇意にしていると思われる。何にせよ、誰もがメイド長を疎ましがっている、という訳では無いようだ。あの仏頂面からは想像も付かないが、人当たりは悪くは無いのだろう。

 ……だが、これだけじゃ参考にならない。

 メイド長が俺がこう行動する事を見越して見回る店を指示しているのならば、さすがは瀟洒なメイドと言ったところだが……。兼ねてからメイド長が懇意にしている店ばかりを回っていては、好意的な意見しか聞けないのは自明の理。

 だが、ならば俺にやらせるよりもメイド長本人が買い物をした方が何倍も効率がいい。態々夜型の俺を起こしてまでやらせる意味はない。

 逆に言えば、それこそ知らない店の物も買えるいい機会にもなり得るだろう。

 ……それをさせないという事は。

 

「……はぁ、俺は何を考えている」

 

 買い物袋片手に呟く。

 俺も焼きが回ったかな。本来なら、潔く消える陽炎が定め。あの館でメイド長に首を刎ねられて、それで死ねればよかったのに、ご主人様の気まぐれで生かされちまった。無論、あそこで死を拒んじまった俺も俺だが、おかげで今は狩り時でない事も相まってか、余分な思考が頭に過りやがる。

 だが、何故かな。あのまま何も殺せずに死ぬのはやはり未練なのだ。

 気、時、運命、魔法、この眼によく似た魔眼。あの館だけでこれだ。あんな脳漿を蕩けさせる程の香りを味わせておきながら、口にする事が許されないなんて生殺しにも程がある。

 もっと料理を味わいたい。

 もっと他の異能者とも殺し合ってみたい。

 この身に生きている実感と、それ以上の死を味わいたい。

 分かっている。この身は生きたいと言っているのだ。

 どうしようもなく、極彩とその命を散らすために、生きたいと思っている。

 ならば、生きると決めた以上は、自分がやると決めた事ぐらいはやり通さないと後味が悪い。……という訳で、何だかんだ思いつつ俺は買い物ついでの聞き込みを実行するのであった。

 

『毎度あり!』

『咲夜さんところの人かい? 安くしとくよ!』

『あー、吸血鬼のお嬢さんの所か? 珍しいな、いつもはメイドさんが来るってのに……』

 

 残り数店、という所まで回った。

 相変わらず好意的な意見しか聞かないが……それでも、少しだけ分かった事がある。

 それは、彼らの意見が()()()()()()()()()()()()()ということだ。いや、これは十分な収穫だよ。

 何が収穫かって、今まで回った店の数々。それは単にメイド長が懇意にしているだけの店ではない。

 店の経営者が皆、この幻想郷に来てからそんなに時間が経っていない者達だという事だよ。憶測の域だが、紫魔法使いの大図書館で勉強した知識じゃあ、人間の里に住んでいる人間っていうのは、大半が元々ここが幻想郷と呼ばれる前から住んでいた人間たちの末裔であり、外から迷い込んできた人間は大半が食われるかであり、ここにたどり着けるケースは少ないらしいね。

 メイド長が懇意にしている店ってのは、その少ないケースの人間が経営しているのが大半だった。本人たちから聞いた訳じゃないが、大体空気の違いでその辺りは分かる。諸々から感じ取れる仕草や文化の相違。素人目でも案外分かるもんだ。

 

 ……となると、後はもうこれしかないよなあ?

 メイド長からは寄り道はするなと言われているが、ここまで来たら何のその。ようは同じ物を同じ値段で買えれば何の問題もないという訳だ。

 買い物手帳を片手に周囲を見渡す。

 お目当ての品は……アレか。本来ならあの店の品物を買い寄せるところだが、ちと趣向を変えて同じ物を売っている違う店を探してみる。

 ……まあ、近くに商売敵がいる所に店を構える道理もなし、少し手間だが、離れた場所を探してみるのが得策だろう。

 そう思い探してみてから数十分が経過した頃だろうか、同じ物を売っている店を見つけ出す事ができた。

 ……あのメイド長ならば見破ってきそうなものだが、その時はその時だ。

 明らかに排他的な空気を漂わせ、大凡客を引き付けられるとは思えぬ店の看板を潜り抜ける。

 

「失礼」

「……うん、オメエさんは?」

 

 真っ暗な店の角っこにその男はいた。

 老年の男。

 目を瞑りながら腰かけ、さながら地蔵のように生きているの死んでいるのか分からない風貌であったが、此方が近づくと気配を感じ取ったのか、ギョっと見開く魚のように目を開け、此方を睨み付けた。

 

「本日限りで紅魔館の飼い犬になった、七夜というものだ。ちょいとここの品、見て行っても大丈夫かな?」

「紅魔館……だと? ケッ、悪魔の犬がここの店に何の用だ?」

 

 ……ここまであからさまだとはね、逆に参考にならん可能性の方が高いかもしれない。この手の輩はどんな客にもこのような接待態度である可能性が高い。ちょっと無駄足だったかな。

 だが、個人的にこのご老人に少し興味が湧いたので、少し会話を続けてみようか。

 

「いやなに、犬らしく厄介事らしい匂いを嗅ぎつけてね。それと、その接客態度は客を引き寄せんぞ?」

「オメエさんのその目付きに比べれば何倍もマシだ。オメエさん、一体何人殺してきた?」

「さて、この身が潔白なら今頃地獄で八熱巡りにされた後だろうよ。だが、何の因果か俺はここにいる」

「なら、聞き方を変える。……一体()()殺ってきた?」

「……ほぅ?」

 

 生憎、この身が犯した罪に覚えなどない。記憶が真っ白なのだ、前すらあったかどうか分かったもんじゃない。

 だが、俺は何故かこの老人の問いを無下にすることはできなかった。

 何人ではなく、何匹か。まるで人ではなく化け物を殺してきたかのような言い草だ。……いや、この眼を以てすれば不可能ではないか。

 だが、生憎此方はその問いに答えられる材料(きおく)を持ち合わせちゃいない。あの夜に門番の嬢ちゃんやご主人様を殺る事ができれば少しは会話も弾んだんだのだろうが、まったく、殺せなかったこの身を恨むばかりだ。

 

「逆に聞くが、何故そう思う?」

 

 故に、此方は聞き返す事しかできない。

 

「ただの直感よ。オメエさんは若ぇが、それにしちゃあ厄介な業を背負っているようにも見えるんでな」

「業、とな?」

「ああ、それも個人単位じゃねえ。何年も磨き上げ続けてきた業。まるで執念のようにねばっちぃ、退魔(ヒト)の業だ」

 

 ヒトの業、か。

 この身にそんな余計なしがらみがあるとは到底思えんが、まあ、老人の戯れ言程度に頭の片隅に置いておくとしよう。

 

「そして信じられねえのは、その業を背負って平然としているオメエさんだよ。殺しに意志は不要か、殺人鬼よ?」

「まさか。自分じゃないものに獲物を預けられるかよ、俺はいつだって俺が殺したいから殺す、それだけさ」

「……化け物の犬は、化け物って訳か……」

 

 納得したように頷く老人。

 さっきまでの此方を疎むような雰囲気は割かし成りを潜めている。……どうやら、入店を許可されたらしい。

 

「七夜っつったか? 懐かしいな名だな。オメエさんに似た眼つきの奴を俺はよぉく知ってるよ。外にいた頃にも、今のオメエさんとよく似た業を背負った奴と会ったことがある。外見もそっくりだ。最も、業に対する姿勢は正反対と言った所か。奴は業を受け入れた上で殺す、オメエさんは業をねじ伏せた上で殺す。……似てはいるが、どっちが生粋の殺人鬼なのやらな……」

 

 どうやら、少し当ては外れたらしいな。

 この老人も例に洩れず外から来た人間らしい。だが、この老人の話は些か興味深い。オレと似たような業に、似たような眼つき、か。

 案外、血縁者か何かだったりしてな。

 

「心しておけよ小僧。その業はここで暮らす上で邪魔でしかない。何せ、この人里を自然災害から妖怪達が守る事さえある、そんな世界だ。人間にとっても、妖怪にとっても、互いの存在は不可欠。この幻想の世界には、猶更オメエさんやオレのような存在は不要だという事だ」

 

 確かに、この身は時々人外に対して殺害衝動を起こす事がある。この老人の言う業とは、正にソレを指すのだろう。この衝動の由来についても知っていそうだが、ソレについては興味はない。

 解体しがいがあるかないか、程度の指標にならこの衝動は些か便利なのだ。人間に対しては効果がないっていうのは玉に瑕だがな。

 

「ちなみに参考程度に聞くが、あんたはどう思っているんだ? この、ネバーランドについて」

「下らねえ老婆心の成せる代物だ。時代に置いていかれたくねえ婆の発想。端的に言って反吐が出る」

 

 あのスキマ妖怪は胡散臭く笑って聞き流すだろうがな、と老人は舌打ちしながら答える。俺が言うのも何だが、こんな素敵な舞台を用意してくれた主催者様に対してそのような言い草はないのでは。

 婆の隠居先としては少々デカすぎるのでは、とは思うがね。

 

「まあいいさ。せっかく来たんだ。仕方ねえから、オメエさんをお得意様として扱ってやらあ。せいぜい好きなもん見っけて持っていきな」

「それは有難い。高嶺の花ばかりじゃ退屈する。たまには草っ原の毒も必要だろう」

「追い出されてえか小僧!」

「おや、こいつは失敬」

 

 つい口が滑ってしまった、と。

 では、面白い話が聞けたついでに目的のモノを買うとしましょうかね。確かここらへんに置いてあった筈なんだが……ああ、あったあった。

 目的の品を手に入れた俺は、さっそく老人に持って行って鑑定をお願いした。

 

「こいつを貰えないかな」

「……こんなもん、何処でも売ってんだろ?」

「ここらじゃああんたしか取り扱っていないだろう? 探すのに手間かけたんだ。安く頼むよ?」

「……どうにも釈然としねえなあ。小僧、正直に答えろ。ここに何を求めてきた?」

 

 やれやれ、鋭い爺さんな事だ。

 普通、それくらいの事で見抜くかね。確かに目的はこの品だが、俺自身の探し物は違うとこの爺さんは見抜いてきやがった。

 益々興味が湧いて来る爺さんだ。つい解体したい衝動に駆られる。……だが、今はこっちの事が先決かな?

 この際好都合だ。悪魔の犬だとか叫ぶくらいだし、メイド長について知ってることがあったら洗いざらい吐いてもらおうか。

 

「単刀直入に、メイド長について少し聞きたくてね。本人に聞いても出て来るものなんざなし、ここは第三者の意見を聞きたくてね」

「生憎あの紅い館の犬について教えられる事なんざないし、そいつはオメエさんについても同じだ。……あくまで、里の一住民としてしか答えられねえが、それでいいか?」

「ああ、何でも構わない。話してくれ」

 

 むしろ、ソレが一番聞きたい事柄だしな。

 

「紅霧異変っつー事件の後だったかな、あの嬢ちゃんが人里にやってくるようになったのは……」

 

 紅霧異変……ね、概要として紫魔法使いから聞いちゃいるが、実際はどんなもんだったのか。当事者でない俺には栓なき事だが、とにかくそういう事件があったとだけ分かっていればいいだろう。

 

「で、あの嬢ちゃんの俺達に対する態度だが……それはまあ酷いもんだった。こう、なんだろうな……愛想がないのはともかくとして、とにかく冷たいんだよ。無論、あの嬢ちゃんだけが悪いんじゃねえ。先に邪険にしたのはそもそもここの奴等だ。あの異変を起こした紅い館の主の従者って事もあって……それでもなんとか歩み寄ろうとする奴等だって少なからずいたのさ」

 

 なるほど、必ずしもあいつ自身だけの所為というだけではないようだ。

 しかし、吸血鬼の従者と分かっていても歩み寄ろうとする人間たちがいたとはね、さすがは幻想郷の住民と言った所か。

 

「だが、そんな奴等に対してもあの嬢ちゃんの態度は冷たいままだった。むしろ此方を見下して内心で嘲笑っているようにも見えた。無論、それに関しちゃ完全にここの奴等の被害妄想だろうがな。とにかく、他人に冷たかったんじゃよ、あの娘は」

 

 懐かしむように虚空を見上げて話す老人。

 天は二物を与えないというが、従者としての能力はともかく、対人関係はそれほどでもか。あれほどの能力がありゃあちょっとした事じゃ常人たちと馴染めないと思うが、それに関してはどうなのだろうか。

 

「だが、そんな嬢ちゃんも変わった」

「……変わった?」

「ああ、今じゃ嬢ちゃんの態度は改善されて、ここの奴等に対しても人当りよく振舞うようになったさ。だが、だからと言ってそれ以前の印象が簡単に変わるわけがねえ。それにいきなり人が変わったように、今まで冷たい氷のようだった人間が、いきなり表情を解して対応してきたら不気味だろう。その不気味さも相まってか、何か裏があるんじゃねえかと疑われ、結局また避けられるのさ」

「……」

 

 それはまた、なんというか……。

 

「おそらく、嬢ちゃんには何かがあったんだろう。今までの態度がいけないと思わせるキッカケが。だが、それをするにゃ遅すぎたし、嬢ちゃんも今までの印象を変えるにはどうすればばいいか分からねえままなんだろうな。いきなり態度を変えても、かえって避けられる事くらい分かるだろうに……不器用な娘だよ、本当に」

 

 なるほど、大体話は読めてきた。

 これは確かにご主人様も関与しないわけだ。吸血鬼の従者、という肩書は確かに邪魔になっただろうが、メイド長本人の対応でどうにでもなった事柄ではある。で、メイド長もこのままではいけないと思って態度を改善してみたが、結果はご覧の有様。

 人当りのいいメイド長を受け入れてくれるのは、それ以前のメイド長を知らない外からの新参者のみという訳か。やれやれ。

 

「まったく、どうしようもない」

「そう言ってやんな。オメエさんの上司だろう。男を見せて何とかしてやれ」

「生憎、それができる甲斐性なんざ持ち合わせちゃいないよ。この身に出来る事は限られてるんでね。……で、会計は?」

「……初来店記念だ。只で持っていけ薄情小僧」

 

 おや、聞きたい話を聞くついでにタダで貰えるとはいい買い物をしたものだ。

 言い付けを破って寄り道をした甲斐があったな。

 さて、聞きたい話を聞けたことだし。さっさと残りの物を買って寺子屋前で合流と行こうかね。

 

「んじゃま、世話になったな、ご老人」

「ああ。また来い、名も無き七夜よ」

 

 最後に、後ろから意味深な言葉をかけられた気がしたが、特に興味もなかった俺はそのまま店を後にした。

 途中、後ろからのご老人の意味ありげな視線が鬱陶しかったが、この何もない背中に思う所でもあったのかね。

 まあいい。後は必要な物を買って、寺子屋前で合流するだけだ。

 

 

     ◇

 

 

「んじゃま、世話になったな、ご老人」

「ああ、また来い。名もなき七夜よ」

 

 背を向けて店から去っていく燕尾服姿の少年の背を見送って、その背中が見えなくなると、老人はハァっと溜息を吐いた。

 懐かしい、なんてものじゃない。

 あの少年に見た面影、背負う業、まさしくあの男ではないか。

 

「まったく、一目でアイツの子だと分かったぞ……」

 

 煙管の煙を吸い込み、吐きながら老人は呆れるように呟く。

 表情は動かずとも、あの『すぐにでもお前を殺したい』と嗤う眼、忘れられる筈がない。あれこそ生粋の殺人鬼というのだろう。

 あの男と先の小僧、どちらがより生粋の殺人鬼かは、分かったものではない。

 

「やれやれ、子は作らないと言っていたお主が、どういう腹積もりか子を作るとはな……。だが、どこまでいっても、蜘蛛の子は蜘蛛という事か。

 あの小僧、お前以上に壊れとるぞ」

 

 もう一度煙管の煙を吐き、老人は呟く。

 

「皮肉な事じゃ。そうは思わんか――――黄理よ」

 

 悪態と共に吐かれた煙は、虚空の闇へと消えていった。

 

 

 

どんな結末をお望み?

  • 諸々あった末くっつくルート
  • 諸々あった末殺し愛ルート
  • 直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート
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