七夜は殺しという自分の意思だけで成立される行為よりは、殺し合いという互いの殺す意思によって成立する儀式の方が好みだった。かの鬼神との違いはこれだった。
かの鬼神は将来、自らの脅威たり得るだろう相手の右目めがけてその殴打器を叩き付けた事がある。しかし、あくまで彼の行為は殺人鬼ではなく、暗殺者としての行動原理がそこにはあり、殺すには至らなかった。そして、その鬼神の直感は当たったのか、その未来で二人は殺し合う事となった。
七夜が今行っている行為は暗殺者としてではなく殺人鬼としての行動原理故、こうして赤髪の女性を相手に遊んでいた。しかし、やっている事は皮肉にもかの鬼神が行った事と似ている。将来殺し合うかもしれない相手に対する行為とこれから殺し合うための行為。似て非なるものだが、少しだけ似ていた。殺しには至らせない致命傷一歩手前のギリギリの一撃を獣じみた動きで全方位から女性に浴びせてゆく。
その行為を持って自らの意思を女性に示しているのだ。
――――このままでは死ぬぞ?
――――俺を捕らえるというのであれば、殺す気で来い。
そう、そのつもりだった。
態々十手を奪って不利を悟らせ、それでも逃げ場がない以上、目前にいる殺人鬼を殺さなければお前には未来はないのだと、七夜は蜘蛛の足捌きで女性に語りかける。
七夜が女性から奪った十手は、最早本来の用途からはかけ離れた運用がなされている、相手の得物を絡め取る防具としてではなく、相手の骨を砕き、時には風穴すらもあける蜘蛛の牙と化していた。
最早鈍器ではなく、その業を以てして刃物そのものの鋭さを身に纏っている。もう一方の手に握られたナイフについては、語るにも及ばずである。
その七夜の足捌きを以てして、女性は標的を見失っていた。見えない恐怖、今まで力あるものは皆弾幕という派手な演出を持って対応してきたために、このような舞台には慣れていないのだろうか。
――――やれやれ残酷だね、幻想郷って奴は。
殺させないための弾幕ごっこ。力あるものでも、力なきものでも同等に渡り合える、勝負というよりは美しさを競うもの。
――――だが、そんな神秘、
弾幕すら撃てない真の意味でも力なきものだからこそたどり着ける境地があるという事に、ここの連中は疎い。
それを思い出させようという気概は自分にはないが、そういった者がどのような行動を起こすかは、言うまでもないのではなかろうか。
そのくせ里にいる人間はともかく外から迷い込んできた人間はルール上食っても良いと来たか。そんな事はほとんどないと聞くが、実際はどうだかは検討も付かない。
少なくとも、この里の人間にそういったことは知らされていないだろう。怖れられてこその妖怪、自然の歪みではなく人の歪みによって生まれた妖怪はとりわけそれに縋っていくしか生存する方法がない。食われることは殆ど無いという事が知れ渡れば、それだけでこの箱庭は瓦解する。
――――なるほど、よくできた箱庭だね、まったく。
人は妖怪を怖れ、妖怪は人の消滅を怖れる。なまじ人間の数より妖怪の数が多いだけに、常に死活問題を妖怪達は迫られている。恐れは人の数だけある。その絶対数が少ないのだから、この人里を襲う自然災害を妖怪達が密かに守っているというのは頷ける。
妖怪たちはこの里を「動物園」と喩えることがあるらしいが、どちらかというと
閑話休題――ついに女性は覚悟を決めたのか、七夜に背を向けて路地裏の出口へと一直線に向かった。
その様子に七夜は失望しない。むしろ期待を持った。その背中からは逃亡の意思は感じられない、むしろ決死の覚悟すら感じたからだ。
――――面白い、あんたの勝負に乗ってやるよ。
式神じみた気配遮断を解き、あえて一直線の殺気をぶつけながら七夜は女性の背中へ跳びかかる。水面を弾ける飛礫のような獣じみた低い跳躍。10メートルを1足すらかけぬ疾走を以て女性へと跳びかかった。
七夜から見て女性の身体は既に満身創痍の域を超えている。いくつも骨に食い込んだ切り傷や、骨を粉砕された打撲、果てには十手により空けられた点穴も複数。中にはちょっと触れただけで本体から切り離されそうな部位さえある。白い小袖は既に真っ赤に染め上がり、赤と混じった紫の打掛は黒に変色している。
普通の人間なら幾度と死んでいるか分からない傷、下手したら並の魔でも失血死しかねない程に、凄惨だった。もし里の住民が目撃しようものなら、人間ではなく何処かの妖怪の仕業だと勘違いしかねない。だが、女性をここまで凄惨な姿にしたのは、他ならない人間であった。……故に、女性はこの直後に思い知る事となる、自身をここまで無残な姿に変えた、男の能力の正体を。
「ッ、掛かったァッ!」
くるり、と独楽のように身体を反転させる女性。
間近まで迫っていた七夜を睨み付け、まだ損傷を負っていない左手を七夜の方へ掲げる。
来るか、と七夜は目を見開く。
さて、何が来るのやら、と待ち望む七夜に向けて飛んできたのは、案の定弾幕だった。鋭い三角形の形をした弾の幕が至近距離から七夜に襲いかかる。
七夜にはそのような攻撃手段はない。故に弾幕勝負においては七夜は勝負相手として成立しない。
だが、それ故にたどり着けた境地を七夜は持っている。
咄嗟に低空を飛んでいる状態から慣性を無視して急降下、四肢を地面に付いた体勢から立体的な動きを展開する。
見るモノを魅了する、蜘蛛のような、鼯のような、獣のような動き。
弾丸のごとき速さで迫る弾幕をそんな奇怪な動きで躱しながら、七夜は眉を潜めた。
――――何だ、この見た目に反して豆粒のような威力の弾幕は……。
当たれば人間一人がかろうじて気絶する程度、当たり所が悪ければ精々致命傷程度……そんなレベルの威力だった。
そして、七夜は気付く。周囲の建物に弾幕が当たっても、後は微々たるもので倒壊させる規模の威力はないという事に。
「……戯けが」
女性に対する失望と、自分の呆け具合に呆れる。
七夜は決して女性を軽く見てはいない、むしろ獲物としては上物。人間であるため、この眼を使わずして解体の味を堪能できるのも七夜としては点数が高かった。
初撃を防いだ反応だって捨てたものじゃない。普通の人間であれば何回死んでいるか分からないほどの傷を負っても立ち上がってくる勇気もある、七夜の攻撃も見えていない筈なのに捌いてみせている。
だが、七夜と女性には決定的な違いがあった。
それは、互いの了見の違いである。
おそらく女性は七夜を殺す気など毛頭ないのだろう。人里であるが故死人を出せば大問題になること、そして、この騒ぎを周囲に知られないこと。
それに意識を割いているからこその有様。
――――阿呆が。その気になればその弾幕で俺の巣を破壊する事くらい容易だろうに。余計なしがらみに捕らわれて何を呆けている?
だが、この結果を招いたのはその互いの了見を考慮しなかった自分にも問題があろう。
弾幕を避け続けながら、そういえばと七夜は思い返す。
――――そういえば、この身も飼われたままだったな。
ふと、上司と主人を思い出し、弾幕を避けながら天を仰ぐ。
ああ、なんて様だろうか。向こうは自警団という立場故に縛られ、此方もまた首輪に繋がれた身だ。お互い厄介なしがらみを抱えた状態で、しかも了見をかみ合わせない状態でこうして相対しているのだ。
愉しみも何もあったものじゃない。
やはり昼は、狩る気が起きない。せっかく自分の巣に入り込んでくる物好きな淑女を手元に収めたというのに、絡め取るばかりで食欲が沸かない。蜘蛛の名もさぞかし嘆こう。
強引に寝床に誘うだけでは、相手がその気になってくれる筈が無い。誘うにしてももっと紳士的なやり方があっただろうに。
――――ひとまずはお開きかな?
己の不利を悟った女性が叫び声を上げながら弾幕の密度を濃くする様子を一瞥し、そう思った七夜は獣じみた動きで弾幕をくぐり抜けて一気に女性へと肉薄する。
そのまま、十手で女性の左腕を貫き、杭のように先端を地面に刺した。そして、死のイメージを刻まんともう一方の得物を振りかぶる。
「ぃ、ヒィッ……」
飛んでくるナイフの軌跡を視認し、顔面を蒼白にさせながら眼をつむる女性。
そうだ、この恐怖を脳裏に刻み込め。この刃がお前を殺す筈だった蜘蛛の牙だ。
その
その傷こそが――
「……え?」
――再戦の証だ
女性の首に薄くも無く、深くも無い一閃を刻み込む。致命傷には至らないが、まぎれもない切り傷。だが忘れるなかれ、この一撃が本来、お前の首を刈り取るものであったという事実を、屈辱を、脳裏に刻み込め。
「……はぁ」
刻み込んだ傷をしかと確認した七夜は一息ついて立ち上がり、女性に背を向けた。
後少しで死んでしまいそうな女性を一人置き去りにして、その背を向けて距離を取っていく。
「ちょ……ぢょっど――――ッ!?」
その背を追わんと立ち上がろうとするが、身体中が軋んで動けない。
いや、それ以上に左腕に刺さった十手が杭になっていて身動きがまるで取れない。痛みと屈辱に顔を歪めた女性は、涙目ながらもその十手を引き抜こうとするが。
「おっと、抜かない方がいい。あんただからよかったが、普通の人間ならとっくに十数回は死んでいる傷だよ。これ以上血を流したらどうなるか、分からない程愚かじゃないだろう?」
まるで暴れる子犬を宥めるかのような小ばかじみた口調で、耳元から囁かれる。前方にいた筈の男の影はなく後ろから耳元で囁かれる声だけが女性の世界を支配する。
「ッ……!」
更に顔を歪める女性。
七夜に言われずとも分かっている。後数十分いや下手したら後数分でも他の誰かが発見してくれなければ、自分は確実に死ぬだろう。
屈辱のあまり地面の土を握りつぶしたくなるも、それすらも叶わない。
女性が、七夜に対してできる術など、何一つとして存在しなかった。
乱れる息、自身の生命の危機を訴える心臓の鼓動、熱い汗の代わりに流れる多量の冷たい血液――女性の身体全てが、女性の心にお前はもうすぐ死ぬのだと訴えかけている。
「まあ、そういう事だ。助けを呼んどいてやるから、大人しくしていろ」
「―――――」
「それでは、本日はご来店頂き真に有り難うございます。お客様はお忘れ物の無いようお帰り下さい。
――じゃあな」
そんな芝居じみた台詞だけ残して、男は女性の視界から姿を消した。
ここは路地裏。あの奇怪な体術を以てして、壁や屋根を足場に離脱したのだろう。
一人、左腕に杭を刺された状態で、一人取り残される。
女性の視界に映っているのは、ただただ己の血で汚し尽くされた血塗れの路地裏のみ。ただ一人、その世界に置き去りにされ、女性はただただ呆然としたまま俯く。
「なに、それ」
痙攣するように震える喉を、かろうじて動かして、女性は悪態を付く。
女性の表情は呆然としたままで、流れる血と共に朦朧としていく意識の中で、喉だけが怒りに震えていた。
――これだけ、傷物にしておいて?
――これだけ、風穴を空けといて?
――これだけ、切りつけておいて?
――これだけ、骨を砕いておいて?
――これだけ、乙女の身体を汚しておいて?
「さいご、にく、びに、軽い、傷、だけ、残し、て――――置いていく……だけ、ですって……!?」
頭が、どうにかなってしまいそう。
何だ、今までの自分の努力は何だったのだ。
――ここまでやっておいて、最後は放置?
――ここまで滅茶苦茶にしておいて、最後はまるで興味をなくした玩具みたいに廃棄するっていうの!?
今まで流してきた血の全てが、頭に逆戻りして登ってきそうだった。
もう血は少ない筈なのに、脳漿が沸騰して溢れそうだった。
生命の危機を訴えてくる筈の各器官は、冷たくなってゆく身体に反して、狂うような業火の熱を訴えているかのよう。
「ふ、フフフ」
そして、女性は――
「ア、 ハハハハハハハッ、ハハハハッ、アハハハハハハハハ、ク、ヒハハ、フフフッ、アハハハハハッ!!!」
嗤った。せり上がるような屈辱の涙、ねっとりとあふれ出す憤怒の笑い。
およそ女性が持てる限りの全ての負の感情を込めて笑い、嗤い、ワラった。
こんな感情は初めてだった。捕らえた者から痛いしっぺ返しを喰らう事はあった、捕らえようとした者から逆にしてやられる事もあった。だが、今回はどうだ。
肌を切られると共に精神を切られ、骨を砕かれるごとに心も砕かれていった。最後はボロぞうきんのように捨てられた!
捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた捨てられた
捕まえるのも、釈放するのも本来此方の筈なのに!
それをあろう事か此方を巣に捕まえて散々いたぶった挙げ句最後までこの首を刈り取らず、まるでボロ雑巾のごとく捨てやがった!
どうせならこんなボロ雑巾、とっとと切り捨てればいいものを、あろうことか破棄しやがった!
「いッ、ハハ、いい、ワァ、名も知らぬ殺人鬼さん!」
思い浮かべる、あの憎たらしい貼り付けたような薄ら笑いを脳裏に刻みつける。この首の傷も、この右肩を貫いた点穴も、この右腕を潰した傷も、この左腕を貫いた風穴も、足に骨まで食い込んだ切り傷も、この打撲も風穴も切り傷も!! 一カ所たりとも忘れるものか!!
「ああもう、怒りで腹が捻れて死にそうっ!! フフ……フ、ふふふっ、アハっ♪」
女性には分かっていた。
この世をどうでもいいと考えているあの男の唯一の嗜好は“殺人”であると。あの男にとってはその殺意こそがまっとうな愛情表現であろうということも。
なのに、自分にはそれすら向けられなかった。
こうして自分を甚振ったまま捨てやがった。
この身体も、警官としてもプライドも、女性としてのプライドも、その全てを女性はあの男にズタズタに引き裂かれてしまった。
「許さない……赦さない、ユルサナイっ!! 絶対に貴方を赦したりなんてしないっ!!」
血塗れの路地裏を睨み付ける。屈辱の涙に濡れた顔を上げ、もう既にいない筈の人物を睨み付ける。
「いいわ……絶対に捕まえてやるっ! 他の誰かにくれてやるものですか……貴方は、貴方だけは……この小兎姫が捕まえるっ!!」
屈辱、恥辱、憤怒、憎悪……それら全ての感情を乗せて女性――小兎姫は啼く。
殺人鬼の残す面影糸を辿る彼女の追走は、始まったばかりである。
この後、駆けつけてくれた人里の住民から「パンダのお面を被った変な男の人から貴女を救出してくれと頼まれた」と聞き、再び小兎姫が呆然とするのは、また別の話である。
◇
「……だいぶ寄り道をしてしまったな」
慌てて近くにあった小道具屋から仕入れたパンダのお面を懐にしまい、七夜は割と本気で蜘蛛の体術を駆使し、寺子屋前へと急いだ。
目立たないように建物の壁と屋根を伝って空間を扱う蜘蛛のような移動を以てして、ようやく目的地へとたどり着いた。目的地には既に、足踏みをしながら立っている自分の上司がいた。
――ああ、間に合わなかったか。
「遅い。何をしていたのですか」
メイド長の前に姿を現した七夜に、咲夜はジト目で睨み付けながら聞く。
「おまけに買い物袋もほっぽり出して。私が来たからいいものの、誰かに盗られでもしたらどう責任を取るおつもりで?」
「面白い催し物に誘われてさ。こっちが退けども押してくるんでつい、な」
――まあ、誘ったのは何方かといえば此方なんだがね……。
だが相手も無理矢理押し通してきそうな雰囲気だったので、何方でも大差はないだろうと七夜は結論付ける。
「寄り道はするなと言った筈ですが?」
「悪いね。淑女に、しかもあんな目で誘われちゃ断れなくてさ」
「そーですか、へー、女性からの誘いだったのですか、ふーん?」
余計に目が鋭くなる咲夜。
墓穴を掘ってしまったか、と七夜は内心で焦る。
思えば、目の前にいるメイド長も立派な淑女である。と考えると、七夜は身近な女性との約束を放棄して、見知らぬ女性との逢瀬を愉しんでしまったという事になる。
――確かに、コイツはちと無責任にも程があったかな……。
表情は変えずとも、珍しく心の底からメイド長に対して申し訳なさを感じる七夜。
「参考にお聞きしますが、その女性とは一体……?」
「年は俺やあんたより少し上って所だろう。大体二十代前半と言った所かな。髪は赤いロングヘアーで、白い着物の上に紫色の羽織を掛けていたよ」
「そうですか……注意しないといけないですね」
「まあ、本業は警官だっていうし、アレはおそらく変装の類だろうね。にしてはちと派手すぎる気がしないでもないが」
「そう、警官……待って下さい、警官ですって?」
それは、聞き捨てならない単語であった。
ゆっくりと、咲夜は頭の中で自分がいない間に七夜に起こった事柄を今ある情報で整理する。
七夜、殺人鬼、警官、面白い催し物……厭な汗が咲夜の頬を迸る。
「まさか……七夜、貴方っ……」
「ああ、別にあんたが心配するような事はしていないよ。あんただってそのためにこの時間を選んだだろうに……」
「あの貴方が、殺す事以外に興味が惹かれるとでも?」
「こう見えても色々な事に興味を持ちたがる年頃でね。特に、厄介事の香りには、否が応でも引き寄せられるよ」
「血沙汰ではなくとも、面倒事には違いないという事ですか……あぁ、まったくもう……!」
頭を搔きたくなる衝動をすんでの所で押さえる咲夜。
――――やっぱり、連れてくるのではなかったか。
この男を館にほっぽいて出かけるのも何か心配なので共に人里に来た訳だが、別行動を取った途端にこれである。
勿論、七夜だけの問題ではないのだろうが、彼には自分もその手の輩を惹きつける匂いを持っているということを咲夜は自覚して欲しかった。本人もその手の匂いにホイホイと誘われる質には違いないだろうが、それ以上に七夜もその手の悪臭を放っているのだ。
だからこそ、警官という犬が彼の匂いに引き寄せられたのだろう。
殺人鬼という、悪臭に。
「とにかく、ここから出ましょう。話はそれからです」
「ああ。あんたに言われたものは全部揃えたしな。ここにもう用もないだろう」
「ええ、お嬢様のための献血も済ませました。貴方と一緒にいたら余計に私がこの里に居づらくなる」
「おや、自分が煙たがられているという自覚はあるのかい?」
「……その口、縫って差し上げても構いませんよ?」
「おぉ怖い怖い。じゃ、さっさと行くとしようかね。ここであんたと一緒にいたら、いい加減俺もナイフを押さえられない事だろうしな」
周囲の視線を見渡しながら、七夜は鬱陶しそうに言う。
咲夜への忌避の視線とついでに、己にも向けられる奇異の視線。目立つなりである事は確かだが、こうまで見つめられたらさすが鬱陶しいという奴だ。
そんな七夜の言葉も聞いて咲夜もバツを悪くしたのだろう。早足で人里の門へと向かっていく。七夜もソレに続いた。
◇
人里からの帰り道。
来た道を二人は無言で歩いていた。空を飛ばない慣れない道のりであったが、さすがに一度通れば覚えられる。
七夜の野生じみた勘に感謝しつつも、咲夜は七夜に声をかけられないでいた。
聞きたいことは山ほどある――自分と別れている間に一体何が起こっていたのか、どうして自分が里の住民からあんな風に見られているのを聞かないのか。
だが、七夜の表情は相変わらず分からない。
感情も、行動も悟らせぬ能面の薄ら笑い。
暗殺者、殺人者としては理想的な顔つきなのであろうが、対人という観点でみればこれ以上に無い厄介な空気を醸し出している。
そんな咲夜の気持ちを察したのか、七夜の方から口を開いてくれた。
「ところで、少し聞いていいか?」
「……何でしょうか?」
「実の所、あんたがどうしてあんな視線を向けられているのか、その事情は概ね理解している」
「寄り道のワケは、それですか?」
「ああ。あんたから直接聞き出してもよかったんだが、やっぱり第三者から聞いてみないとな。買い物ついでに回って聞かせて貰ったよ」
「……」
行きの時点ではやる気のなさをこれ見よがしに訴えていた男が、まさか人里の中で自分について聞いて回っていたとは予想できず、咲夜は思わず固まった。
さっきまでのやる気のなさはなんだったのだ。ただ買い出しをするだけなのに、何故この男はそういう余計な所でアグレッシブさを発揮するのだ。全く以て解せない男だと、咲夜は内心で吐きつけた。
「そう、ならそれでいいではないですか。人の黒歴史を聞けて、さぞかし満足でしょう?」
「なるほど、そういう所か。生憎俺にそんな趣味はないよ。それに、満足するにはまだ早いしな」
「これ以上、何を知りたいと?」
「こればかりは、あんたから直接聞かないと分からない。聞いても大丈夫かい?」
「……お好きに」
「あんたの奴らに対する態度の急変、その切っ掛けはなんだ? ちょっとやそっとで自分の対応を変える程、柔な質じゃないだろうに」
よりもよって、あろう事か一番厭らしい所を、七夜は聞いてきた。
別に七夜はどうしても知りたいという訳では無い。むしろ興味はなさげだ。聞けるものならば聞いておくか、程度のものである。
つまり、ここで咲夜が答えなくても、この会話はそこで終了する。だが、咲夜はせっかく切り出せたこの会話を中断させたくなかった。
故に、咲夜は敬語を崩し、素の口調で話し始める。
「……私がどの時期から豹変したかは、もう聞いた?」
「いいや。ただある時期から態度が変わったとしか」
「そう。正確には、ある異変が切っ掛けだった。60年に一度に発生する幻想郷の幽霊の増加によって起こった異変なのだけれど、詳細は省くわよ。それで、その異変の原因を突き止めるためにある場所に赴いたの」
「ある場所?」
「赴いたというよりは、たどり着いたという表現の方が正しいかしら。異変の原因を探る内に、とにかくその場所に着いた。そこで、閻魔と出会った」
「……ほぅ?」
閻魔という単語を聞いて、興味深そうな反応を示す七夜。
案の定の反応だったので、咲夜は気にすることなく続けた。
「閻魔様はご丁寧に、その異変の原因を説明してくれたわ。元々
「口ぶりからするに、動いたのはあんただけではないようだが?」
「どうかしらね。私は一人でたどり着いたけれど、もしかしたら前後に他の誰かも来てたかもしれない。それはともかく、さすがは閻魔様といった所かしら。自身の義務を全うするだけでは飽き足らず、私に長い説教までしてきたのよ……。おまけに弾幕ごっこまでに発展する始末……スペルカードを発動する最中も口が休まらなかったわ」
「釈迦が説法してくるとは、余程お節介な
真顔で皮肉を零す七夜。
彼なりの相づちなのだろうと咲夜は納得し、続けた。
「その説教の内容なのだけれど、私は少しに人間に冷たすぎるらしいの。血の通わない金属といっても何のその、そんな皮肉にも取り合わず、あの閻魔は一方的に言いつけてきた」
今思えば、なんとも下手な皮肉返しだと、咲夜は自分で思う。
ナイフは血の通わない金属。しかし、ナイフは時に血を流させるためにあるもの。そしてその血の中にも鉄分という金属は含まれているのだ。
ナイフと血は切っても離せない関係であると、他ならない咲夜自身が一番よく分かっていた筈なのに。
今思えば、そういう思考すら鈍ってしまう程に、あの時の自分は頭に血が上っていたのかもしれない。これでも血の通わない金属だと宣おうものならば、それこそ失笑ものだ。
だが、それも仕方なかろう。
「それから、かしらね。
「思う所があって、態度を改めたという事か」
「ええ、そうよ。閻魔様の話では、私はこのままじゃ地獄にすら行けないらしいわ。そんな先の事を考えるなんて、私らしくないとは思ったのだけれど……確かに、私があの人たちに対しての態度を改めたのはソレが切っ掛けかもしれない」
「……その割には、あまり成果は芳しくないように見えるが?」
「余計なお世話よ。これでも、少しは改善したのよ? 以前の私を知らないヒトは、ちゃんと私を受け入れてくれてるし。中には人づてに以前の私を聞いても、それでも態度を変えないでいてくれる。そういう人たちの有り難さだって、ちゃんと分かっているわ」
言っている内に、咲夜は少しばかり顔を俯かせた。
恥ずかしさではなく、己の情けなさにため息が出る。
結局、自分は生ける人間の一人なのだ。どれだけ己に吸血鬼の従者と嘯こうが、どれだけ他人に冷たくしようが、この血も、体温も、心も、全ては十六夜咲夜という人間のものなのだ。
ソレを否定するという事は、自身の敬愛する主も、そしてあの日笑顔を向けてくれた少年も同時に否定することになる。
「貴方は、そういう考えとは無縁そうね。今の自分が消える事に対しても、一切の恐怖がない貴方には」
「まあな、地獄に送られて当然の人でなしと考えてきたが。何もする事無く消えられるのなら、俺はそっちの方を取るよ」
如何にも、この男らしい答え。
咲夜すら怖れる“地獄にすら行けない”という、文字通りの魂そのものの消滅。六銭が足らずに、断罪すら赦されず三途の川に溺れて消えていく。
この男はソレが一番いいのだと己に語る。
生の更にその先があるのなど、この男にとっては冗談じゃないだろう。
「それに、人の一生は化け物に比べて短い。そんな人間に生の後がないんだったら、夢とほぼ変わりが無いな。俺に相応しい在り方じゃないか」
ククっと自嘲するように嗤う七夜。
そんな七夜を、咲夜は少し羨ましそうに見つめる。
この男がたどり着くであろう結末ではなく、自分と違って本当の意味で“
生きている今を夢と受け入れる事ができる精神。覚めればその先はただの無。それを尊いとは思えなかったが、だからこそ羨んだ。
“死後の生活を良いものにするという考えが、人生を善い物にする唯一の方法だと知れ!”
あの時の閻魔の言葉が咲夜の脳裏に過る。
おそらく、今が一番いいというスタンスの咲夜に対して出た極論なのだろう。
だが、咲夜はその言葉を受け入れる事はできなかった。だからといって、それを今の生き方を以て証明することもできていない。
血の通う人間にもなりきれず、血の通わないナイフにもなり切れない。
――――なら、私は一体何なのだろう?
答えは出ない。
それでも唯一あるのは、自分は死ぬまで人間なのだという当然の帰結のみだった。
「変な話になったわね。早く帰りましょう」
「咲夜」
「何ですかって――今、名前……」
その声からは一生聞こえないと思っていた単語が耳に入り、咲夜は一瞬だけ呆然とする。
今まで誰も人の名前を呼んでこなかった七夜の口から、自分の名前が呼ばれたということが信じられなかった。
呆然と口を開ける咲夜に構わず、七夜は言葉を続けた。
「あんたが自分が血の通った生き物だと受け入れられないのなら、俺がここで殺してやるよ」
「……は?」
更に、その言葉で頭が真っ白になる。
「俺はあんたの血を知っている、あんたの肌にナイフを切りつけた。あんたの首をへし折ってすらみせた」
「―――――」
「俺と共に血を流したあんたの姿を忘れちゃいない。あの時のあんたは、間違いなく生きていたよ。あんたを殺した俺が言うんだ、間違いない」
この男は、何を言っている?
まさか、慰めのつもりで言っているのか?
「受け入れられないのなら、俺に殺された時の事を思い出せよ。その時に流れた血を思い出してみろ」
言われて、咲夜は思い出す。
投擲したナイフと同時に、背面跳びで咲夜の真上に跳躍した七夜の姿。
当たれば心臓を貫くナイフに気を取られ、上から迫ってきた真の死神。その死神は確かに、咲夜の首を捻り切っていた。
首が離れた己の胴体、男に抱かれた熱の感触。
咲夜は、確かに覚えていた。
「あっ……ぁ……」
知らずの内に、咲夜の身体は震えていた。
それは、血の通う人間ならば誰もがする反応。
死に対する拒絶。一度死んであの世から引き上げられたが故の、絶対的な恐怖だった。
身体が覚えて無くとも、その心は、魂は、あの冷たさを覚えている。
これじゃあ、確かに死ねないではないか。
「思い出したか? 血が流れれば死ぬ、つまりは殺せるってことだ」
「……七夜?」
「それでも受け入れられないんだったら、
それだけ言って、七夜は咲夜から背を向けた。
それきり七夜は何も言わない。
呆然とする咲夜にも構わずただただ進んでいくだけだった。ぼーっとしていたら、瞬く間に見えなくっていきそうな勢いである。
そんな七夜の背中を見た咲夜は思わず。
「フフフ……何よ、それ……」
あまりにも可笑しすぎた。
あまりにも笑えなさすぎて、いっそ清々しくなって笑いに堪えた。
「それで、慰めているつもりなの?」
おそらく、本人にその意図はない。
精々目を付けた獲物が解体し甲斐がなくなってしまったら困る、というものだろう。死に抗わなくなったら、それはもう殺し合いとは言えないのだから。
ああ、だけど、今のは卑怯だと咲夜は思う。
あんな事を言われたら、あんなのを思いだしたら……もう死ねないではないか。
その死に恐怖しながら、自身が血の通った人間である事を自覚せざるをえないまま、生きなければならないではないか。
――――本当、馬鹿な殺人鬼。
心の中で悪態を付きつつも、咲夜は七夜の後を追おうとして、立ち止まった。
光が見えた。
七夜の頭上から見えてくる、否、迫ってくる七色の光が、咲夜の視線に止まった。
「七夜っ!!」
それが危険なものであると察した咲夜は、七夜に呼びかける。
七夜も咲夜に言われるまでも無く気付いていたのか、ソレに対応しようとナイフを抜きかけるまで咲夜の目に映るが、その瞬間。
光が、爆ぜた。
広範囲に、大凡たった二人ぽっちの人間を捕らえるには大きすぎるくらいの、結界が広がった。
「っ!?」
張られた結界から伸びてきた札が咲夜の身体を拘束する。
身動きの取れないことを悟った咲夜は時を止めて脱出を試みるが、結果は同じだった。
あの時と同じだ。時を止めて術者の動きを止めることはできても、術の効果を止めるには至らない。こんな出鱈目な術を行使してくる人間など、咲夜は一人しか知らない。
どうすれば、と思った矢先に、咲夜と同じように結界に捕らわれかけていた七夜の腕が、あらぬ方向に振りかぶられているのが、咲夜の目に移った。
――――一体、何をしようとしているのだ?
そう疑問に思ったが、自分が何もできない以上、今は七夜を信じるしかない。
そう思った咲夜は、時止めを解除した。
瞬間、七夜が振りかぶったナイフは地面へと突き立てられ……それだけで結界は“殺”された。
「七夜……!」
「やれやれ、今日は厄介ごとのオンパレードだ、と!」
蜘蛛の如き動きで咲夜の所までざざっと身を退ける七夜であったが、その表情は驚愕ではなく、歓喜。
こんな状況で喜ぶな、と突っ込みたい咲夜であったが、後にして先ほどの結界を張った犯人を見つめた。
上から、空を飛んで二人を見下ろす赤い巫女。
「退きなさい、咲夜」
それは咲夜の知る彼女ではなかった。
いつものようなのほほんとしたような安穏さはない。異変の元凶を懲らしめんとする憤怒とも違う。
言うなれば、憎悪の目。
その目は咲夜ではなく、隣にいる――
「私は今から、そこにいる男を退治しなければならないわ」
――七夜へと、向けられていた。
ここから、運命は狂い出す。
メルブラの七夜の閃鞘・迷獄沙門(AAD)って、なんで何時までも投げ判定が残っているのか考察してみた。
そういえば歌月十夜の赤い鬼神でも黄理が紅摩に決死の一撃を仕掛けた時、ギリギリで仕留め損なって、黄理が逆に遠投されたっけ。
つまり、七夜のAADは赤い鬼神の忠実な再現だったんだよ!(暴論)
どんな結末をお望み?
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諸々あった末くっつくルート
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諸々あった末殺し愛ルート
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直死で幻想郷から出て七夜の誇り清算ルート