メギド72オリスト「太古の災厄と新生する憤怒」   作:水郷アコホ

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44「はきだめ」

 エリダヌスが滑落していった斜面を、無事に下り終えた一行。

 

 

ガイード

「皆さん、全員居ますね。体や防寒具に異常はありませんか?」

 

フォラス

「ひい、ふう、みい……人数は問題ねえな」

 

バルバトス

「パッと見た所、誰も目立った変化は無さそうだよ」

 

ソロモン

「ただ、装備に異常は無いんだけど……」

 

ウェパル

「これだけ着込んでるのに、洒落にならないくらい寒いわ……」

 

ガイード

「こんな所、幾ら何でも前人未到ですからね。本来なら、この装備で踏み込んで良い場所じゃぁないんでしょうな」

「正直、あっしも長居するには少し厳しいくらいですが、こればかりはどうにも……」

 

バルバトス

「今更、引き返すわけにもいかない。覚悟を決めて、事態解決に専念するしか無いね……」

 

シャックス

「みんなみんなー、それよりそれより、ウジウジがどこにも居ない居ない!」

 

モラクス

「落っこちてもまだ逃げ回る余裕あんのかよ。早く追いかけねえと!」

 

フォラス

「幸い、地面や壁に盛大にコスった跡がある。かなりフラついてるな」

 

ソロモン

「これを辿っていけば道に迷う心配もないな。みんな、行くぞ!」

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 斜面から行き着いた空間は、ソロモン達が降り立った地点の数メートル先から幾つにも枝分かれしている。

 

 

モラクス

「ここの通路……何か、変な形してるよな」

 

バルバトス

「確かに、通路が不自然な角度に曲がっていたり、地面が隆起してたりヒビが入ってたり……」

 

ガイード

「原因はわかりませんが、恐らく大昔に地震か何かがあって、このあたりだけ形が変わったのかと」

「今、歩いてるこの通路なんかも、手前から奥にかけて地面と天井の真ん中にヒビが走ってるでしょう?」

「多分、通路の左右から押し合う力が働いて、通路が狭まった跡でしょうな」

 

ソロモン

「通路が狭まったって……この岩だらけの通路を、横幅だけグシャッと……?」

 

ガイード

「はい。殆ど学者先生の受け売りですが、今のロンバルドが出来たのもそんな理由だとかで」

「ここの標高が高いのも、そうやって大昔に地面同士がぶつかり合って盛り上がった部分だからだそうです」

 

モラクス

「すっげぇ……」

 

バルバトス

「エリダヌスも両腕と脚数本を失って居なかったら、今頃は道幅に引っかかって立ち往生してただろうね」

 

フォラス

「だったらそもそも、別の道を通るんじゃねえのか?」

 

バルバトス

「どうだろうね。それにしては、通路の選び方に迷いがない」

「クラゲほどでないにせよ、あのウジも知能はかなり低いはずだ」

「なのに、どの道が通れるか迷ったり、慌てて右往左往したような跡は見当たらない」

「見ての通り分かれ道1つにつき、痕跡は一方向限りだ」

 

フォラス

「そういやそうだな。何か目標があって移動してるのか……?」

 

バルバトス

「あるとすれば……ゲートかな」

 

ソロモン

「ゲート……!?」

 

バルバトス

「元々、フォトン不毛の地での活動を想定された幻獣のはずだからね」

「最悪、最低限のフォトンさえ現地で得られなくても対処できるよう、非常時にはゲートから流入するフォトンを頼るように仕組まれていた可能性がある」

「恐らくメギドラル側のゲートも、ウジが飢えない程度にとはいえ、当時から既にフォトン不足だった土地で展開されている」

「そのフォトンがパエトンの足しにでもなったりしたら本末転倒だからね」

 

ソロモン

「じゃあ、この先には、もしかするとパエトンの魂を送り出したゲートが今も……」

「いや、でも変じゃないか?」

「それじゃあゲートがあるのは、『無傷』のエリダヌスじゃ通れない道の先って事になっちゃうんじゃ?」

 

バルバトス

「『当時』は、通れた道なんだよ」

「恐らく、パエトンが大空洞を取り込んだ時の影響で大空洞の形が変わったんだ」

「水晶のようにメギド体を形作ろうと無理に働きかけて、深部の地形が歪んだんだ」

 

フォラス

「じゃあ、このアチコチのヒビも、全部パエトンの仕業って事か……!?」

 

バルバトス

「そういう事になる」

「しかし結局、余りに無理があるのを感じ取って『放置』したんだろうね」

「そしてその影響で、ある時ゲート周辺を徘徊していたエリダヌスは、ゲートへの道を塞がれた」

 

ソロモン

「それで、ついさっき俺達に殺されかけて、無我夢中でゲートに引き返そうとしたのか……」

 

フォラス

「負傷したお陰でたまたま、通れなくなった道も通れた、と」

 

モラクス

「よくわかんねえけど、とりあえずエリダヌスを追ってけばゲートも見つかるって事だな」

「だったらゲートも塞げて一石二鳥じゃねえか。ますますやる気が──」

「……っと!? アニキ、この先、どっち進めば良いんだ?」

 

 

 先頭に立っていたモラクスが道の先を指差している。

 仲間たちが追いついて確認すると、道は直進と右折の二通り。

 

 

バルバトス

「ふむ……一見して、エリダヌスの痕跡が見当たらないな」

 

ガイード

「真っ直ぐ進んだ奥の道、壁が意図的に砕かれてますな。あっちでは?」

 

モラクス

「いや、多分ちげえんじゃね? 壁の手前に石ころメッチャ落ちてるし」

 

フォラス

「良いぞ。ちゃんと覚えてるなモラクス」

「だが今回の場合、あの岩は大昔にエリダヌスが『向こう』から開通させた可能性もある」

「だとすれば残念だが、かつて行った道を帰るだけなら破片は問題にならねえ」

 

モラクス

「あ、そっかあ……」

 

ウェパル

「いっそ二手に分かれたら? さっきの『段差』降りてからクラゲにも会ってないし」

 

フォラス

「いや、油断はできねえだろ。この辺りにもコケがあるし、ここまで会わなかったからつっても──」

 

ソロモン

「……いや。まずは右の道を覗いてみて、その後、二手に分かれよう」

 

フォラス

「お、何か根拠でも見つかったか?」

 

ソロモン

「ああ。多分、この辺りにクラゲは居ない。居たとしても、ほんの僅かだ」

「この辺り、『段差の斜面』の上より、目に見えてコケが少ないんだ」

 

バルバトス

「コケが少ない……言われてみれば、確かに」

「そういえば、シャックス。このコケの繁殖条件は確か……?」

 

シャックス

「フォトンのある環境じゃないと中々増えてくれないんだよ! えっへんえっへん!」

 

フォラス

「サンキュー、シャックス先生。すると、この辺はフォトンが少ないって事か?」

 

ソロモン

「そうなんだ。少ないと言っても、並のフォトンスポットくらいには豊富だけど」

「それでも多分、面積あたりだと、コケの繁殖条件を満たせる量じゃないんだと思う」

 

バルバトス

「そうか、なるほど。生息地が変わったんだな」

「一度、クラゲは大繁殖して、この辺りのフォトンを殆ど取り尽くしてしまったんだ」

「だからクラゲは主な生息地を、ここよりやや上の空間に移したんだ」

「パエトンが凍結から復活したとすれば、このクラゲの移動と同じ時期と考えれば辻褄も合う」

「そしてクラゲが去ったここら一帯は、水晶に少しずつ吸い取られはしても、再びフォトンが循環していった」

「数百年の歳月をかけて、ようやく現在の状態まで持ち直したんだな」

 

フォラス

「フォトンスポット並に復活しても、クラゲにはそんな事は『わからなかった』わけか」

「多分、ここは地底湖の底よりかなり深い所だ。クラゲは地底湖に居るパエトンの魂を追うしか能が無い」

「コケで繁殖するように適応しちまって、絶滅の危機から生息地を変える事は出来ても、元の生息地が持ち直したからって戻ってこれる謂れが無い」

 

ウェパル

「でも、たまたま流れ着けばそれまでじゃない?」

「パエトンが手こずってるくらいだから、一匹紛れ込めばカビみたいに見る見る増えると思うけど」

 

ソロモン

「原因は、さっきのエリダヌスだよ」

「ゲートへの道を締め出されたエリダヌスは、この辺りを延々と歩き回るしか無かったはずだ」

「そうなると、敵味方の区別も無く漂ってるクラゲは、エリダヌスにとっても邪魔になる」

 

バルバトス

「司令塔の権限と生存本能とが噛み合って、巡回経路からクラゲを遠ざけたわけか」

「生息地のズレと幻獣の習性。この2つがあれば、確かにクラゲが見当たらないのも納得だね」

「居たとしてそいつは、本当に偶然に流れ着いて、そして遠からず司令塔に追い返される『はぐれ』でしかない」

 

ウェパル

「納得。じゃ、とっとと調べてみましょ」

 

ソロモン

「ああ。モラクス、引き続き先頭を頼む」

 

モラクス

「任された!」

 

 

 分かれ道の手前に移動した一行。

 

 

モラクス

「さて、向こうは、っと──」

「って、おわあぁぁあ!?」

 

 

 右折の道の先を覗き込んだ瞬間、モラクスが大きく飛び退き、そのままバランスを崩して尻もちをついた。

 すかさず身構える一行。

 

 

ソロモン

「モラクス!? どうした!」

 

モラクス

「な、な、な、何で! いつの間に! どうやってここに!?」

 

ソロモン

「モ、モラクス!? 驚いてないで説明を──」

 

 

 曲がり角の先から、スッと影が躍り出た。

 

 

ソロモン

「あ……!」

 

フォラス

「どうりで会わねえと思ったら……」

 

一同

「ミカエル!」

 

 

 相変わらず傷一つない姿のミカエルだった。

 しかし、ベレトを追う直前のような芝居がかった明るさは感じられない。

 

 

モラクス

「びっくりしたー……覗き込んだら、ぶつかりそうなくらい目の前で突っ立ってんだもん」

 

ミカエル

「トゥーゥ、ロング……待ちかねたよ」

「話は聞こえていたよ。傷ついたエリダヌスなら『こちら』へ向かった。パエトンもね」

 

ソロモン

「右折が正解か」

 

シャックス

「じゃあじゃあ、あっちの真っ直ぐの道は?」

 

ミカエル

「あれは、パエトンと共に怒れるレディが拓いた通路だよ」

「私としても咄嗟の賭けだったが、私の残した『道標』は、ある意味では功を奏したようだ」

 

フォラス

「道標……あの、壁に空いた穴で見つけた矢印か?」

 

バルバトス

「……わかった。ミカエル達は、あの壁の穴を滑り降りて、ここまで行き着いたんだ」

 

モラクス

「え!? じゃあ、あの矢印なんだったんだよ?」

 

バルバトス

「穴から移動したのは、パエトンの本来の移動経路から外れた『想定外の事態』のため。そうだろう?」

 

ミカエル

「ザッツライッ。追いついたレディがパエトンを捕まえ、パエトンは抵抗して跳ね回り、弾丸の如く壁を砕いた」

 

フォラス

「そのままこんな所まで滑ってきて、壁をブチ破って出てきたってわけか」

「で、ミカエルも穴から追って、ここで俺達を待っていたと」

 

ガイード

「岩ってなぁそこまで滑らかじゃありませんから、滑り台みたいなモンじゃなかったでしょうな」

「モグラみたいにパエトンが這い進んで、あのお客さんは、脚にでもしがみついてたって塩梅では……?」

 

ミカエル

「イグザクトリー。まさしく、言葉通りの有様だったよ」

 

ガイード

「そうなると、一本道とはいえ、思うほど早くは移動できないはずですな……」

 

ソロモン

「もしかして、壁を破った時と俺達がここに着いた時……そんなに時間は開いてないとか?」

 

ミカエル

「イエス」

 

モラクス

「じゃあ、俺の推理当たってたってことじゃん!」

「偽の目印なんか無けりゃ、がっかりする必要も無かったんじゃねえか! 何だったんだアレはよお!」

 

フォラス

「そいつなら俺にもわかる。俺達にエリダヌスを退治させるためだ」

「ベレトと揉み合ってる内に偶然入り込んじまった穴だ。その先でパエトンの『目当て』に出会える保証はない」

「それに、穴の向こうが地底湖前の通路みたいな大穴かもしれねえ。後を追わせるのはリスクしかねえんだ」

 

モラクス

「あ、そっか。たまたま見つかった道なんて、何があるかわかったもんじゃねえしな……」

 

フォラス

「どこかに出るまでに俺達に本来の道を辿らせて、うまいことエリダヌスを撃破させる方が得策だ」

「それでパエトンがエリダヌスの居場所を見失えば、少しは大人しくなったかもしれないしな」

 

ウェパル

「それで、この変質ハルマは何で私達と呑気にお喋りなんてしてるわけ?」

「パエトンとエリダヌスが『そっち』に行ったならボサッとしてる場合じゃないでしょ。それにベレトもどこ行ったのよ?」

 

ミカエル

「怒れるレディなら先程まで、ここでパエトンとセカンドラウンドの最中だった」

「そこへ飛び込んだエリダヌスに、パエトンが反応して後を追い、レディもパエトンを追った」

 

ソロモン

「ミカエル以外、全員がこの先に……」

「じゃあ、もしかして……パエトンはエリダヌスを……?」

 

 

 ミカエルが耳に手を添え、もう一方の手で「静かに」のサインを送った。

 ミカエルが視線で示した道の先から、反響して正確に聞き取れない声が届く。

 

 

ベレトの声

「……ッ! ……ッッ! ……ッ!!」

 

ソロモン

「叫んではいるけど……いつもの、戦ってる時の調子じゃないな……」

 

ミカエル

「……ヴィータよ、心の準備をしておいた方がいい」

「私にも『アレ』は、正視に堪えない」

 

ソロモン

「やっぱり、もう『食ってる』……」

 

フォラス

「なんで止めさせなかったんだよ! エリダヌスもその『中身』も、食うのは『ポーの体』なんだぞ!」

 

バルバトス

「気持ちはわかるが落ち着け、フォラス。護界憲章にもかからないほど弱っていても、メギドはメギドだ」

 

ミカエル

「ソーリー。万一にも、メギドとハルマの力が接触してしまう事を避けるため、私はその場を離れ、君たちを待つ事にした」

「……ノー。『個人的な感情』としても、その場を離れる理由が欲しかった」

「とにかく、私の選択は一部において正しかった。君たちのお陰で、君たちを待つだけの時間を確保できた」

 

ウェパル

「どういうこと?」

 

ミカエル

「セカンドラウンドは、明らかに怒れるレディの方が優勢だった。圧倒的にね」

 

バルバトス

「そうか……俺達が、中途半端にエリダヌスを弱らせたから、パエトンを『延命』できているのか」

 

ガイード

「『延命』って……」

 

バルバトス

「ガイードさん。俺達メギドは基本的には、単独では『力』を発揮できない」

「ここにいるソロモンの支援があって、初めて十全に戦えるんだ」

「パエトンを追ったベレトは一部例外ではあるけど、それでも基本、支援なしでメギドと渡り合うのは無茶だ」

「ベレトが余裕で撃退できる相手と言うのは、他所から大空洞に飛び込む類の化け物達と同程度の存在だ」

「つまり、メギドは化け物なんて問題にならないほど強い。しかしミカエルの話からすると今のパエトンは、メギドであるベレトよりどうしようもなく弱い」

「恐らく今のパエトンは、怪物一匹とも渡り合えない。ヴィータなら、ネズミ一匹追い払えない状態に近い」

 

ガイード

「そ、そんなの、死ぬのを待つだけじゃないですか……!」

 

バルバトス

「結果として俺達は、エリダヌスの撃破に失敗した。しかしお陰で、パエトンに死にかけの『餌』を寄越す事ができたんだ」

「その場に居るだろうベレトには辛いだろうけど、おそらく今、エリダヌスはパエトンにも何とか『狩れる』貴重な獲物だ」

 

ミカエル

「怒れるレディが見かねて極端な行動に出る可能性はあるが──」

「今は、あのままの方が『先延ばし』にはできる。エリダヌスの『サイズ』を考えれば──」

「こうして語らう時間は、誤差の範疇でしかない。幸か不幸か、ね」

 

ウェパル

「バカなの!? 時間があるからって気休めにもならないじゃないの!」

「一分一秒も浪費してないで、早く現場に向かうべきだわ!」

 

ミカエル

「ハウエヴァー! それでも……今一度、『覚悟』してほしい」

「『アレ』を見た私は一瞬、何をすべきか……『考える事』さえ見失った」

 

フォラス

「ただ『食ってる』ってだけじゃ、『覚悟』が足りないって言いてえのか……?」

 

ミカエル

「……生と死の境は、『生かす』という答えも『殺す』という答えも相応しくない」

「準備が出来たら、駆けつけてあげたまえ」

 

 

 踵を返し、パエトン達が向かった通路の先へ、優雅に歩いていくミカエル。

 

 

モラクス

「相変わらず、何言ってんだ、アイツ……?」

 

バルバトス

「その目で確かめろって言いたいのは確かだろうね」

「いつもの飄々とした様子がだいぶ鳴りを潜めてる。あんなミカエルは、それこそ赤い月以来だよ」

 

ソロモン

「……多分、今の俺達じゃあ、どんなに『覚悟』したつもりでも足りない」

「みんな、何があろうと、とにかく行こう!」

 

 

 走り出す一行。

 振り向くこともなく、ゆったりと脇に退いて一行に先を行かせるミカエル。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 通路を行き着いた先。高く広い空間。

 100m弱ほど聳える壁の所々に穴が空き、穴からは水が細々と流れ壁を伝っている。

 水は空間の所々に広がり、大小の水たまりを形成しているが、最終的に空間中央に走るヒビに吸い込まれて消えていく。

 

 

バルバトス

「(この空間は……恐らく、元々は流れ着いた地下水で満たされていたんだろうな)」

「(大空洞でも特に大きく、深い水場だった。それがパエトンの『取り込み』で変異した)」

「(空洞の水路全体が変形し、ここに流れ着く水量はごく僅かになり、ここに元々有った水も──)」

「(ベレト達がいる『あそこ』から、流れ出ていってしまったんだろうな)」

 

 

 空間中央のヒビの上に、パエトンとベレトと、エリダヌスの残骸が居た。

 

 

ベレト

「ポー! やめろとッ! 言っとるだろうがッ! 止まれぇッ!!」

 

 

 ベレトはソロモン達の到着にも気付く様子は無く、背を向けて、しきりにパエトンを引っ張ったり引っ叩いたりしている。

 通路から入ってきた一行から見て、パエトンは真横を向いて座り込み、自身の周りに土手のように円形に積み上げたエリダヌスの残骸から、一部を両手で掴み上げて齧りついている。

 

 

パエトン

「ガリュッ……バキッ……ガリ……ボリ……ビキッ……!」

 

 

 エリダヌスのパーツを構成していた金属を、トラバサミのような顎で、煎餅のように容易く噛み砕いていくパエトン。

 

 

ガイード

「うっ……!」

 

バルバトス

「……確かに、想像以上に……」

 

ソロモン

「一心不乱というか……朦朧というか……」

 

フォラス

「ベレトの声も半泣きになっちまってる……」

 

シャックス

「ひえ~……あんなの食べたらお腹壊しちゃう壊しちゃう……」

 

ウェパル

「相手はパエトンなんだから、そこだけは心配はいらな──」

「ちょっと、何よパエトンのあのお腹……!?」

 

モラクス

「風船みたいに膨れてるっつーか……デコボコ……?」

 

ミカエル

「なら……そろそろだ」

「パエトンの内に眠るレディのためを思うなら、しばらく目を背けた方が良い」

 

バルバトス

「幾らでも詰め込めるはずの体が膨れ上がり、『ポーのため』……」

「ッ! ガイードさん!」

 

ガイード

「え、は、はい?」

 

 

 呼ばれて振り向いたガイードの目元を、押し倒し気味に塞ぐバルバトス。

 

 

ガイード

「ちょ、な、何を!?」

 

バルバトス

「良いから目を閉じるんだっ! そのまま耳も塞いで! みんなも早く!」

 

ソロモン

「ど、どうしたんだ急に! 一体何が起こるって──」

 

ウェパル

「ハァ……わかっちゃった」

 

 

 呟いたウェパルがソロモンの膝に軽く蹴りを差し込んで折らせ、一瞬、逡巡しながら、ソロモンの耳を塞いだ。

 

 

ソロモン

「痛って……ウェパル!?」

 

ウェパル

「ジッとしてなさい。せめて『音』くらいは聞かないであげるべきよ」

 

 

 ミカエルがそっぽを向き、目を覆われたガイードが言われるままに耳を塞ぎ、そのまま自ら目も閉じたのを確認したバルバトスが同じように耳目を閉じた。

 事態が呑み込めないモラクスとフォラスとシャックスは棒立ち、ウェパルは苦々しい顔でパエトンを見届け、やはり察しがつかないソロモンは、光景だけを目の当たりにした。

 

 

パエトン

「ゴギュッ……ゲブッ、ゲ、グ……」

 

ベレト

「うっ……ポ、ポー……」

 

パエトン

「グ……ォォォゴボェォッ!」

 

 

 首を倍近く太らせて、喉をせり上がり、顔の下半分を著しく歪ませながら、ゴトンと重い音を立ててエリダヌスの残骸が吐き落とされた。

 吐瀉された金属片を覆う粘液がたちまち凍りついていく。

 

 

パエトン

「ガッ、ゲェブブッ……ゲッボ……ガボロボボボ……」

 

 

 感覚は徐々に狭まり、遂には頭全体が歪に波打って見えるほど、内蔵ごと垂れ流すかのように絶え間なく吐き戻していくパエトン。

 自身の頭数個分以上に膨れた腹がそのたびに、ガチャガチャと音を立てながら揺れ動き、萎んでいく。

 腹に収めた物を返し終えたパエトンは、右手側にやや旋回して、別の金属片の山に手をかける。

 拾い上げた金属片から、明らかに有機物で出来たペースト状の物体がボタボタとこぼれ落ちる。

 恐らく、一度咀嚼し終えた蛆の成れの果てだろう。

 

 

パエトン

「ガギュッ、バギッ、ガヂン、ガリ、ゴリ……」

 

ベレト

「やめ……もう……もうやめろぉ……!」

 

 

 ウェパルがソロモンの耳を開放した。

 その後ろでは、ミカエルがガイードとバルバトスを軽く叩いて、嵐が過ぎた事を伝えていた。

 途中から目を覆っていたフォラスが悲痛に歪んだ顔を上げ、モラクスは口をあんぐりと開けて固まり、シャックスはその場にへたり込んでいた。

 

 

ソロモン

「……ごめん。ウェパル」

 

ウェパル

「言う相手、私じゃないでしょ」

 

シャックス

「う、うえぇ……」

 

ガイード

「い、今……何が起きて……?」

 

フォラス

「パエトンが、食ったモノを残らず吐いたんだ……」

「そうして……また別の残骸を食い始めてる」

「周りの残骸も、妙な霜を被ってやがる……全部、一度吐いた後だ」

 

ガイード

「な、何でそんな事を!?」

 

フォラス

「わからねえ。わかりたいけど、わかりたくねえ……」

「取り込めるはずじゃねえのかよ……クソッ、頭がこんがらがって全然まとまらねえ!」

 

バルバトス

「飢え死に寸前のヴィータには、いきなりまともな食料を与えてはいけない……」

「食べた物を消化吸収するにもエネルギーを使う。食べた瞬間に底を尽いてしまう事があるんだ」

「それに、ろくに役目を与えられなかった内蔵も弱りきって、受け付けなくなっている事もある」

 

ソロモン

「『受け付けなく』って、もしかして……」

 

バルバトス

「もう、自力で『飢え』から回復できる状態じゃないんだ……」

「恐らく、食べた物を分解し、フォトンに置き換える『力』がまともに機能してない」

「ほんの僅かに残った『力』に縋って、生存本能のままに食らいついて──」

「『消化』が間に合わなくなれば、吐いてまた食べ直す。一秒でも長く食べ続けないと、死ぬからだ」

 

フォラス

「大昔の飽食みたいな真似して、それでも何の足しにもなってねえってのか……」

 

モラクス

「そんなの、もう何のためにメシ食ってんだかわかんねえじゃん……」

 

バルバトス

「『死なない』ためだよ。『生きる』ためじゃなくね」

「多分、ああやって、戻すたびに食べ物を細かくして、消化しやすくしてる面もあるのかもしれない」

「それでも、無駄だろうけどね。蛆はクラゲ同様、低コストの幻獣だ」

「蛆が生きてる内に取り込めたとして、フォトン量的にヴィータほどもあるかどうか……」

 

ウェパル

「そうまでしても、隣のベレトを襲おうとはしないのね」

 

バルバトス

「それも、『見つけてない』だけかもしれないけどね」

「飢えて動くのもままならない時、近くのリスやウサギを追うのと、手元の雑草を頬張るのと、どっちを優先するかの違いだよ」

「彼女はたまたま雑草を選んで、そしてまだ咀嚼してる最中なだけかもしれない」

 

シャックス

「じゃあじゃあ、このままだとベレベレも食べられちゃう……!?」

 

バルバトス

「あるいはね。それか、まだ一抹の理性が残っていると……俺は、そう願うよ」

「見なよ。パエトンの顔。エリダヌスを貪っている間、ずっと目を閉じている」

「あれが多分、最後の抵抗の跡だ。せめて、形振り構わず貪る光景を『ポー』に見せまいとしたんだ」

 

モラクス

「じゃあ今、パエトンは周りが見えてねえのか?」

 

バルバトス

「恐らく見えてる。『額の石』が『エリダヌスの眼』とそっくりなのはそのせいだ」

「多分アレが、パエトン固有の感覚器官なんだ。アレで周囲の情報を読み取ってる」

「覚醒以降、メギド体を取り戻すために、作れるモノは機能まで再構築したんだろうね」

 

ウェパル

「何にしても、ベレトが『食べられる』恐れがあるのは変わりないのよね?」

「無理矢理にでも引き剥がした方が良いと思うけど」

 

ソロモン

「うん……ベレトには悪いけど、このままじゃ埒が明かないのも事実だ」

「ゲートは……有った。ずっと向こうの壁だけど、予想してた通りかなり小さい。塞ぐのは後でも大丈夫そうだ」

「ひとまずベレトをこっちに呼び戻して、それからパエトンを『助ける』方法を考えよう!」

 

バルバトス

「(助ける……か……)」

 

ソロモン

「ベレト! 聞こえるか、返事してくれ!!」

 

ベレト

「……!!」

 

 

 気付いたベレトが振り返る。

 

 

ガイード

「む……!?」

 

 

 ベレトを見るなり、ガイードが肩を強張らせ、身を乗り出して一層強く目を凝らした。

 

 

ベレト

「ソ、ロ……召喚者ぁ……」

 

モラクス

「何だありゃ……!? ベレトのやつ、防寒具が前だけ無くなっちまってんじゃん!」

 

シャックス

「マスクも付けてないない!」

 

ミカエル

「穴の中で、レディはうつ伏せの状態でパエトンにしがみついていたのだよ」

「パエトンが暴れようとも決して離さず、磨き抜かれた岩の上を引きずられるままにね」

 

バルバトス

「だから前だけ岩に擦れて、完全に引き裂かれたのか……」

 

ソロモン

「ベレト! パエトンが心配なのはわかるけど、まずはこっちに来てくれ!」

 

ベレト

「なっ……!」

「絶対にイヤだ! こんなままで、こいつの元を離れるなどできるものか!」

 

ソロモン

「ワガママ言ってる場合か! ずっとそうしてたって何も──」

 

ガイード

「……いかん『やっぱり』だ。失礼!」

 

 

 ガイードがベレト達の元へ駆け出した。

 

 

ソロモン

「ガ、ガイードさん!?」

 

ベレト

「あいつは、案内役の……?」

「も、もう誰でも良い! 早く来い、ポーが、ポーがもが!?」

 

 

 走りながら、ガイードは身につけた道具類の中から毛布を引きずり出し、ベレトを包むとそのまま脇に抱え、ソロモン達の所へ駆け戻ってきた。

 全力疾走で戻ってきたガイードは息を切らしながらも、暴れるベレトを降ろそうとはしない。

 

 

ベレト

「は、離せ! 儂なんぞよりポーを止めさせろ!!」

 

ガイード

「ハァ……ハァ……そ、そちらのお客さん!」

 

バルバトス

「俺かい?」

 

ガイード

「はい。お客さん、いつだったか、治療がご専門と聞いたと思うんですがね」

 

バルバトス

「ああ。本職の医療とは毛色が違うけどね」

 

ガイード

「こちらのお客さん、今すぐ治療してやってください!」

 

 

 あくまでベレトを地面に降ろさず、抱えあげて毛布を解くガイード。

 ベレト自身が暴れるので、すぐに毛布が剥がれた。

 

 

フォラス

「!? おいベレト、その顔……!」

 

シャックス

「ほ、ほっぺたと鼻が、ブクブクのまっかっか!」

 

ウェパル

「口の中まで真っ赤だわ。マスク無しだと口の皮が剥がれるって、マジだったのね……」

 

モラクス

「靴がブッ壊れて、何か、足の指が黒っぽくなってんだけど……!」

 

ガイード

「凍傷です。恐らく、手袋の下もひどい状態です」

「このままだと、手足の指に、鼻も切り取らなきゃならなくなります……!」

 

ソロモン

「き、切り……ッ!?」

 

バルバトス

「弱ったな。アンドラスやユフィールの領分だ……」

「とにかく、やるだけやってみる。ソロモン、フォトンを!」

 

ソロモン

「わ、わかった!」

 

ベレト

「そんなフォトンがあるならポーに回せ! アレを見て何とも思わんのか!」

 

ソロモン

「まずベレトをどうにかしてからだ。悔しいけど、俺は両方一遍に『手』を回せるほど器用じゃない!」

 

ベレト

「だから先にポーだと言っとるんだ!」

「いっそ使い物にならなくなる指なら、引きちぎってポーに──」

 

フォラス

「ふざけんなっ!!!」

 

ベレト

「ッ!?」

 

モラクス

「な……!?」

 

シャックス

「フォ、フォラフォラが、怒った……!?」

 

フォラス

「さっきから自己犠牲ぶった事ばっか抜かしやがって……」

「指を引きちぎって……? 『ポーに』何だって……?」

「お前が持ってる『石』も関係ねえ。これ以上、ポーに『変なモノ』食わせようなんて抜かす気なら──」

「俺だって何しでかすかわからねえぞ……!」

 

 

 鬼の形相でベレトを見下ろすフォラス。

 

 

ベレト

「ぐ……ぁう……」

 

ガイード

「これ以上……?」

 

バルバトス

「無事にポーを連れて帰れたら、改めて説明する……」

「それより、治療するよ」

 

 

 バルバトスの『力』で治療を試みる。

 ベレトが顔を歪めた。

 

 

ベレト

「うくっ!? 急にアチコチがチクチクと……!」

 

ソロモン

「患部に余り変化は無さそうだけど……」

 

バルバトス

「感覚が戻っただけでも御の字だ。やっぱり、『傷跡を残さない』方法は分野が違う」

「治せない事は無いと思うけど、現実的じゃない手間がかかるだろうね」

「それでも……ガイードさん。最悪の事態を防ぐまではできそうだ」

「ひとまず、時間稼ぎ程度でも構わないから、処置を頼む」

 

ガイード

「はい……!」

 

 

 ベレトを連れて、一歩退こうとするガイードだが、ベレトが暴れまわる。

 

ベレト

「くっ……」

「手は尽くしたんなら、早くポーを何とかしろ!」

「『儂なんかに構う前に』、死人を出さん選択を選ぶのが貴様らのやり方だろうが!!」

 

シャックス

「ベレベレが、普段とアベコベなこと言ってる……?」

 

モラクス

「ベレトのやつ、マジでヤバいんじゃあ……」

 

バルバトス

「……」

「ベレト。『君のせいじゃない』」

 

ベレト

「……!」

 

バルバトス

「パエトンを追って、逃走を止める。それは絶対に必要な事だった」

「例え君がパエトンに手出ししなかったとしても、あの結末は遠からず訪れていたものだ」

「君がポーのために『背負いこめる』、そんな『責任』は今、一つもないんだよ」

 

ベレト

「なら……なら……!」

「なら儂は、ポーをみすみす苦しめただけではないかぁッ!!」

「うぅ……う゛~~~~~~~……!!」

 

 

 泣き出すベレト。

 

 

ソロモン

「(そうか……ベレトがパエトンを止めようと、奮闘したから……)」

「(だから結果として、パエトンの衰弱を早めてしまったのか)」

「(ミカエルの言ってた第二ラウンドの時点で、ベレトもそれに気付いて──)」

「(それで今まで、不死者の力も使えず、どうして良いかもわからず、パエトンの傍に……)」

 

ウェパル

「……」

 

 

 ウェパルが歩み寄り、グシャグシャのベレトの顔に手を差し出した。

 

 

ウェパル

「せい」

 

ベレト

「ぁづっ!?」

 

モラクス

「何でデコピン!?」

 

ベレト

「な、何をする貴様ぁっ! こんな時に儂をバカにしとるのか!?」

 

ウェパル

「ちゃんと『怒れる』じゃない」

「『怒る』のと『パニクる』のを一緒にしてんじゃないわよ」

 

ベレト

「は……?」

 

ウェパル

「『おねえさん』なんでしょ」

「ポーが大変な時に、急におキレイに献身ぶったって、ポーに何の得があるのよ」

「『らしい』ところ見せないでどうすんの。目を閉じてたって会話は丸聞こえかもしれないわよ?」

 

ベレト

「ぅ……」

「い、い……言われるまでもないわ、バカ者!」

「おいヴィータ、さっさと儂を運べ! 丁重に手当しろ!」

 

ガイード

「え、あ……はい」

 

 

 ベレトがガイードに運ばれていく。

 

 

ソロモン

「……ありがとう、ウェパル。ベレトを気遣ってくれたんだな」

 

ウェパル

「知らないわよ。私、一人っ子だし」

「このままじゃ話が進まないから、ぎゃーぎゃー喚くなって言ってやっただけ」

 

ソロモン

「ハハッ、そうか」

 

ウェパル

「何?」

 

ソロモン

「何でもない。改めて、パエトンを助けてやらないとな」

 

 

 パエトンに向き直る一行。

 食べて吐いての時計回りは、先程より三手ほど進んでいる。

 

 

フォラス

「さっきまでのやり取りから逆算すると……これっぽっちの間にも、かなり食うペースが落ちてるな」

「それに、齧っといてかなりの量を口からこぼしてる」

 

ソロモン

「あのギザギザの顎、犬みたいに頬まで開いてるからな。尚更食べにくいはずだ」

「とにかく、一刻の猶予も無い。不意の暴走に備えつつ、パエトンにフォトンを回す」

「それで意識が戻れば、召喚に応じるよう説得してみる」

「でも、フォトンハイとかで上手くいかない可能性もある。みんな、念の為に戦闘準備だ!」

 

モラクス

「頼むぜアニキ! あんなの何度も見てらんねえしな!」

 

バルバトス

「……」

 

 

 ソロモンの背中を、苦々しい顔で見つめるバルバトス。

 

 

バルバトス

「……ウェパル」

 

ウェパル

「何?」

 

バルバトス

「俺は今、非常に『嫌な予感』がしてるんだが……君はどうだい?」

 

ウェパル

「……」

「決を取ったって、結果は見えてるわ。やる事はいつもと一緒」

「ソロモンが選んだ方で、とっとと結果を出す。努力は惜しまないつもりよ」

 

バルバトス

「やはり、君もか……」

 

ウェパル

「……私、一言も言ってないわよ」

「『パエトンを救うべきだ』なんて」

 

 

<GO TO NEXT>

 




※ここからあとがき

 ソロモンが「面積あたり」なんて言葉や概念を知っているかどうかがちょっと微妙かなと思いましたが、説明の簡潔さを優先しました。
 マルマルやフォラスあたりから教わってる可能性も十分あるでしょうし。

 アンドラスが傷を「元通り」に出来たのに対し、バルバトスの場合は治した傷痕が残る事になった描写が原作にあったので、戦闘中の効果は似ていても能力によって実態は変わるのだろうと解釈して描写しています。

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