メギド72オリスト「太古の災厄と新生する憤怒」   作:水郷アコホ

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49「別個」

ベレト

「フーッ……フーーッ……!」

 

 頭突きを中断したベレトは肩で息をしながら、いまだ傷一つ無く艷やかな『眼』を見下ろしていた。

 ベレトの乱打が効いてきているのかパエトンの反応は鈍く、呆けたように顎を半開きにして横たわっている。

 すぐ隣で異常気象の火柱が噴き上がろうと、ベレトは微動だにしない。フォラスやウェパルがどこかへ行った事にも気付いているのかいないのか、まるでこの場に自分とパエトンの2人しか存在しないかのように、再び拳を振り上げた。

 ベレトがパエトンの顔を殴るたび、殴られるまま頭が右に左に踊る。ただのヴィータなら首がとうに90度を超えて捻れているだろう不死者の腕力で、それでもベレトは躊躇する事無く殴り続けた。

 ベレトの拳は指全てを可能な限り掌中央に丸め込むような、素人の握りだった。その上、尚も硬く握り込もうと、親指を中指の第二関節に引っ掛け、中指が根本から自分の握力で脱臼せんばかりに締め上げている。

 そんな手で殴られるパエトンの顎は、唇などヴィータ体のディテールを残していながら金剛石のように硬い。所構わず打ち込み続けたベレトの拳だけが、一番高い位置にある人差し指の関節から皮も肉も削られ、今にも骨が見えんばかりだった。

 パエトンの顔を血で汚しながら、額が割れてとうに血塗れの自分の顔も血飛沫で上塗りしながら、吠え続けるベレト。

 一打ごとにベレトの髪から睫毛から、毛先へ目尻へ流れるように大量の霜が舞い散る。そして舞い散るそばから寒気に煽られ、際限なく新たな霜が溢れ出てくる。

 

 

ベレト

「それで満足か! ええ!?」

「護られて! 甘やかされて! 我の1つも張らんで! 己が身一つ恨んで死ぬのが! それがお前の『誇り』か!?」

「ヴィータ如きの教えに振り回されて 飢えて野垂れて狂い果てて! それで世界に合わせてやったつもりか!?」

「それで『シンカ』のつもりか! 儂を見ろ! 望め! 怒れ! 突き進め!!」

「このベレトが、重用してやっとるのだぞ! それを……! それをぉっ!」

 

 

 ぐったりと傾けていたパエトンの首が、ゆっくりとベレトを見据えた。

 数瞬の間を挟み、肉食魚類の如き速度で齧りつくパエトン。

 常人には捉えきれない動作を先読みでもしていのか、頭突きを合わせて岩肌に叩き返すベレト。

 その反撃は、未だもってベレトの言葉の1つとして届いてはいない証左だった。

 

 

ベレト

「ハァ……ハァ……!」

「お前が……お前のために……やり抜く事の1つも持たぬままで……!」

「『不甲斐ない』とは、思わんのかぁっ!」

 

ソロモン

「……!!」

 

バルバトス

「!? い、今のは俺にも見えたぞ、ソロモン……!」

 

ソロモン

「ああ。指輪が光った……!」

「今度は間違いない! ベレトだ!」

 

 

 特大の大振りで拳を振りかぶるベレトを確認し、視線を指輪に戻すソロモン。

 まだ弱々しいが、5つの指輪全てに青い光が瞬いている。

 直後、もはや聞き慣れてしまった、ベレトの殴打の音と、パエトンの顎が噛み合わされる音とが重なって響いた。

 

 

ベレト

「ひっ……!?」

 

 

 指輪の光が消えた。

 

 

ソロモン

「な、何だ……ベレト、どうかし……うわっ!?」

 

 

 ソロモンのすぐ眼前から異常気象による岩の柱がせり上がり、視線の先を完全に覆ってしまった。

 同時に飛び退き、大事を避けたソロモン。

 

 

バルバトス

「ソロモン! 怪我は!?」

 

ソロモン

「だ、大丈夫。前髪を掠っただけだよ」

「それより、ベレトが……」

 

バルバトス

「ベレト? 一瞬、悲鳴のような声が確かに聞こえたけど」

 

ソロモン

「その時、指輪の光が消えたんだ」

「再召喚できそうな感じだったのに、ここまで来てウンともスンとも言わなくなって……こんなのは始めてだ」

 

バルバトス

「念の為、召喚してみるかい?」

 

ソロモン

「そうしたいところはあるけど、そうするとフォトンの操作にまで手が回らない」

「ここでフォトンを途切れさせると、他の皆にも危険が及びかねない」

「慎重に岩の柱を回り込んで、確かめようと思う。ついてきてくれ」

 

バルバトス

「わかった」

 

 

 大樹の幹のように聳える岩柱から移動を開始する2人。岩柱の所々から弾ける火花に度々目配せし、急ぎたい心を堪える。

 一方、ベレトとパエトン。

 右手をパエトンの顔面に押し付けたまま、震える左手を彷徨わせ、やがてパエトンの前髪を弱々しく握りしめ、顔は苦渋の色に満ちている。

 

 

ベレト?

「くっ……ひぅ……っ!」

 

 

 ベレトの拳は、親指で中指を押さえつけるように握られ、人差し指の第二関節と親指の指先がほぼ同じ高さにあった。

 その形で拳の頭、即ち指の根元で殴りつけ、先程、向かい合うパエトンの左頬の辺りに横薙ぎの一発を打ち込んだ。

 しかしパエトンの抵抗か、何かの反射か、不意に顎を噛み合せてきたそのタイミングが、拳の直撃と一致した。

 ベレトの親指の爪半分ほどが、潰れながらパエトンの大顎の間に挟まり、残る半分がまだベレトの指にくっついたままだった。

 親指から黒ずんだ血が滴った。噛み潰されて内側へ乱雑に折りたたまれた爪半分の縁が、先程まで保護していた場所を強く引っ掻いていた。凍傷で血行が滞っていなければ出血は更に増したと思われる。

 

 

ベレト?

「はっ……はっ……ぐ……」

「うぅぅぅっ!!」

 

 

 目を強く瞑って、細い唸り声と共に右手をパエトンから引き離すベレト。

 

 

バルバトス

「ベレトの声だ! ひとまず、まだ動ける状態ではあるみたいだね」

 

ソロモン

「でも、声に覇気が無いって言うか、いつもと何となく違うような……」

 

 

 岩柱に沿って移動するソロモン達には、歪な円柱形の岩柱が死角になって、まだベレト達の姿は見えていない。

 

 

ベレト?

「く……ふぅ、ぐ……ひゅ……!」

 

 

 凍傷で感覚を失ったはずの指先から、痛みが骨の髄を通って背筋まで広がり、瞬間的に頭が熱くなるのを感じた。

 爪を食われた瞬間に味わった独特の痛痒を、再び自ら引き起こす対価に、ベレトは食いつかれた右手の自由を得た。

 爪は根本外側のごく一部を残して、爪母を覆う皮膚まで巻き込まれた。

 パエトンを見つめる視界と異常気象に晒される聴覚とを上書きしていた、醜い男の笑い声と下卑た顔が、実時間にして一秒ほどを費やして薄れていく。

 

ベレト

「わ……わっ……」

「儂はっ! メギドだぞ! こんなチンケなモノ、蚊ほども妨げになるものか!」

 

 

 嚥下のためか追撃のためか再び開かれようとするパエトンの顎を、両手で挟んで封鎖するベレト。『餌』から奪い取った『一部』が、岩肌にこぼれ落ちた。

 ベレトには、この類の痛みに覚えがあった。幼い頃からよく知っていた。

 精神と肉体とは価値観が異なる。精神が如何に根底から忘れ去り、あるいは克服した事象であろうと、肉体の知った事ではない。生命維持のための「仕組み」が自動的に働くのみだった。

 意思と関係なく震えて脱力しようとする体を隠すかのように、無意識による力の抑制解除というヴィータ特有の作用を乗せて、押さえつけたパエトンの顎が軋むほどの握力を発揮するベレト。

 

 

ベレト

「聞け! 起きろ! こんなところで自分を見失うな!」

「こんなドン底にまで儂を連れ込ませて……これ以上……これ以上、儂に何をしろと言うのだぁっ!」

「いい加減にしろっ! もう沢山だっ! もう……もう何でも良いから、返事くらいしろぉっ!!」

 

 

 パエトンが背を反らしたり上体を捩らせたり、まるでヴィータのような冴えない抵抗を始めた。無論、ベレトを引き剥がすには不足だった。

 ベレトは背を丸め、顔をパエトンに近づけ、無意識に肩から腕に力の入りやすい姿勢を取り、ますます強く顎を締め上げた。

 パエトンの頬骨辺りから構成される硬質な大顎と、瞼周辺との境の、ヴィータとしての感触を残す僅かな皮膚が引っ張られ、ベレトの指とパエトンの顎とに挟まれて血を滲ませている。

 引き下げられた下瞼から覗く瞳は微動だにしていない。

 やがて、不死者の握力がパエトンの顎の一部にビシリとヒビを入れた。

 

 

パエトン?

「……」

 

 

 途端、パエトンのヴィータとしての目が開いた。

 

 

ベレト

「……!?」

 

 

 ずっと間近で睨みつけていながら、ベレトがそれに気付くまで数秒を要した。

 開かれたパエトンの瞳が、ベレトの瞳を虚ろに覗き込んでいた。

 指に、先程までの抵抗とは異なる弱い力を感じるベレト。ゆっくりと顎の拘束を解いた。

 

 

パエトン?

「……お姐……さん?」

 

ベレト

「……ポー……ポーか? お前、ポーか、ポーなのだな!?」

 

 

 今しがた入れたヒビ以外、凹みも掠れもまるで付かない顎で、上から描いたように残る唇が音に合わせて動いている。しかし、あ行を発音する時など少しでも口を開けば、トラバサミ状の顎が頬までかけて小さく開閉する。滑稽にも見えるそんな動作だが、今のベレトの目には入っていなかった。

 胸にこみ上げるものをどうして良いかわからないベレトは、とにかくポーの顔にかけた指を持ち替え、助け起こすような温めてやるような、そんな形にしてみた。

 

 

ベレト

「み、見えているな!? 聞こえているんだな、ポー!」

 

ポー?

「お姐、さん……私……」

 

ベレト

「ああ! 何だ、言ってみろ!」

「どこが痛むでも寒いでも何でも良い。儂が聞き届けてやる! 儂がお前に代わって──」

 

ポー?

「私……お姐さん……みたいに……」

 

ベレト

「儂……?」

「そ、そうか、なるほど。良いぞ怒れ」

「憎しみでも悲しみでも存分に滾らせろ、振り撒け」

「なんならさっきまでお前を叩き起こしていたこの儂にでも良いぞ。儂が許す!」

「お前の望む全てを、このろくでもない世界にわからせてやれ。この儂のように──」

 

 

 ポーが微笑むように目を細めた。

 

 

ポー

「……なれ……なかっ……」

 

 

 水が透き通るように緩やかに、瞼が完全に閉じた。

 安らかな面立ちを歪ませまいと、しかし力の逃げ場もなく、ポーを抱く指がわなないた。

 歯を食いしばっているのか、あるいは呆けたように力なく開いているのか、自分がどんな顔をしているのかさえわからなかった。

 

 

ベレト

「……の……」

「この……大馬鹿者がぁああああっ!!!」

 

 

 フォトンの奔流に煽られ、ベレトの怒髪が沸き立つように舞い上がった。

 その手の内の少女から溢れるフォトンが、少女を飲み込むように、物質化して膨れ上がっていく。

 

 

<GO TO NEXT>

 

 




※ここからあとがき

 対話イベを読みました。
 こうやって二次解釈に対して正答が供給されるのは、何だかえも言われぬ快感がありますね。

 オクトパロスが古代大戦からの記憶を継承していて、その上で本物のエリダヌスを模造したという事は、まさに「エリダヌス」というメギドが実在したと考えるのが妥当ですね。
 戦闘ではあくまで「アカマル」でしたが、これは大人の事情的なあれでしょうし。

 ただ、せっかく考えた意地があるので食い下がってみます。
 一番簡単な方法は、エリダヌスと古代大戦は同時期の出来事ではなく、かつオクトパロスの得た知識が完全な事実では無いという可能性に賭ける事です。

 例えばまず、1000年前に護界憲章発効と考えれば、古代大戦時代はそれ以前となります。この頃にパエトン討伐から追放までの一連の流れがあったとします。
 それから時代が下り仮に数百年後に、追放当時から残ったパエトンのメギド体を活用したメギド体の模倣技術が発達し、一般メギド用にデザインや性能を調整し直した現在のエリダヌスの姿が完成。
 そしてこれを初めて実戦運用して戦功を挙げたメギドあるいは纏っているパエトン複製体の名前が「エリダヌス」であったとして、更にオクトパロスが実物のパエトンを確認していなければ、本物のメギド・エリダヌスとパエトンの両立は矛盾しなくなるかと。

 更に妄想を掘り下げて、当時のメギド・エリダヌスはたまたま複製パエトン初号機との相性が抜群だったために活躍できただけで、個々に特徴が違いすぎるメギドが装備するには余りにピーキーだったため、初号機の打ち出したパフォーマンスを敢えて犠牲にして汎用性を重視、現在の形に落ち着いたという事にすれば、現在のトレミーナンバーズの不評とのつじつま合わせにもなるかと。

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