メギド72オリスト「太古の災厄と新生する憤怒」   作:水郷アコホ

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58「仇散らすだけの命」

 パエトンの腕がベレトの胸を貫き、背中から飛び出した。

 それと同時に、風船に針を刺したようにベレトのメギド体が霧散する。

 パエトンの勢いは止まらず、突き出した拳は更に、空間の出入り口側の岩壁目掛けて直進した。

 フォトンの渦によって射線から逃れていたバルバトスとソロモンは、青ざめた表情でパエトンの猛進を眼で追うしかなかった。

 

 

ソロモン

「ベ……ベレト!? ベレトォ!」

 

バルバトス

「ベレトのメギド体が立っていた位置に姿がない。パエトンの『技』が本体に直撃したか……!」

「ソロモン! 指輪だ! まだ意識があるかもしれない。岩壁に挟まれる前に召喚するんだ!」

 

ソロモン

「そ、そうか! ベレト、来い!」

「……」

「こ、来ない……反応はあるのに、召喚に応じない!?」

 

バルバトス

「だが、まだ意識はあるって事だね。そうなると……」

「信じるしかないか。例の『度胸試し」……!」

 

 

 ソロモン達が慌てふためく間に、パエトンの握り合わせた両手が岩壁に直撃した。

 先だってパエトンがヴィータ体で「技」を披露した際には、ベレトに足を止められ、転んだ拍子だけでも足元の岩盤を易易と貫いていた。

 それがメギド体のスケールで、完璧なプロセスで遂行された。

 岩壁から、硝子と雷を混ぜ合わせたような爆音が轟いた。

 

 

ベレト

「ゴゥブッ!!?」

 

 

 パエトンの両手の先には、確かにベレトが貼り付いていた。

 バルバトスの懸念通り、岩壁と拳とで蚊のように潰され、顔中から血が直線を描いて飛んでいくベレト。

 ソロモン達がベレトの所在を確認できたのは、パエトンが衝突をもって進撃を止めた後だった。

 遠目からでもはっきりと分かるほどの血飛沫に、泣きそうな顔になるソロモン。同じく、直視せねばならない惨状に目を細めるバルバトス。

 

 

バルバトス

「そうか……庇い通すために召喚を拒否したのか」

「ウェパルの時のように岩壁深くまで貫かれ、衝撃を伝われば、出入り口通路が天井から一斉に崩落しかねない」

「ベレトが間に挟まって、しかも止めてみせた。お陰で岩壁の被害は表面のヒビとクレーターだけ」

「これなら、そこから壁が崩れても道が完全に埋もれたりはしない。後から仲間に撤去させられる程度の瓦礫で済む……」

 

 

ソロモン

「れ……冷静に考えてる場合じゃないだろ!? ベレトが……ベレトが!!」

 

 

 錯乱気味にバルバトスに怒鳴るソロモン。

 仲間の危機にも死にも立ち会って来たが、ベレトの受けたこの仕打ちは、今まで経験してきたものとはスケールが外れていた。

 ソロモンにとって、およそヴィータ1人分に向けられていい暴力を遥かに逸脱していた。

 

 

バルバトス

「落ち着いてくれ、ソロモン。思い出すんだ」

「リジェネレイトしたベレトが最初にパエトンと対峙した時──ウッ!?」

 

 

 グラインダーと金属を触れ合わせたそれとほぼ同質の、甲高い音が会話を遮った。

 パエトンが足先から、先程より小規模なフォトンの渦を吹き散らし、火花を伴って後退した。

 圧迫から開放されたベレトの体が、重力に従って落下していく。

 

 

ソロモン

「くっ……ベレトが……どうすれば……」

 

バルバトス

「(原型を、留めてる……やっぱりだ!)」

「違う! それは先入観だ、ソロモン!」

 

ソロモン

「でも、どう見たって……それにまだ生きてたって、あの高さから落ちたら……!」

 

バルバトス

「ベレトから離れて置きながら、パエトンはこちらを振り向いてない……ベレトはまだ『餌』じゃない、『敵』なんだ!」

「見ろ!」

 

 

 バルバトスが指差した先、ベレトが人形のように落下している。

 が、地面に激突する直前、ベレトが両足を肩幅大に広げた。

 

 

ベレト

「ぬぅっ……ぐぅぅぅっ!」

 

 

 腰を深く落とし、踵が岩にめり込むほどの衝撃を踏ん張り、どうにか2つの足で立ってみせる血塗れのベレト。

 

 

ベレト

「ぐ……ぅぐ……がぼっ! がほぉっ!」

「はっ……ぐ、はぁっ……!」

 

 

 間もなく胃袋一杯ほどの血を吐き落とし、意志と関係なく硬直する体に力ずくで呼吸を強いる。

 

 

ソロモン

「ベレト……動けるのか……!?」

 

バルバトス

「俺がリジェネしたベレトを最初に見た時、彼女は明らかに攻撃する気のパエトンに仁王立ちしてみせていた」

「あの時は結局、俺はパエトンを妨害したけど、もしやとは思ってたんだ」

「予感は的中だ。踏みとどまる『技』を既に仕掛けてたんだよ」

「フォトンを奪い取るような攻撃に、ヴィータの体にあそこまで無茶させて、俺だって今も不安ではあるけども……!」

 

 

 パエトンが両腕を高々と掲げた。

 

 

バルバトス

「来る! ベレトがまだ動けるとは思えない、ソロモン!」

 

ソロモン

「わかってる! 皆を召喚して……!」

 

???

「させっか、よぉ!!」

 

 

 ソロモンが指輪を使うより早く、パエトンとベレトの間に人影が割り込み、人影が腕を一振りした。

 光球が一つ、パエトンの胸元に命中した。殆ど効いている様子はなかったが、パエトンが身を捩って人影に狙いを定めた。

 

 

ソロモン

「フォラス!?」

 

バルバトス

「ベレトが渦に囚われてる内から回り込んでいたか」

「フォラスは身のこなしは良い方で無いけど、判断力と行動力は物凄いからな」

 

フォラス

「ぼんやりしてんなソロモン、今の内に──!」

 

 

 フォラスの声が、横っ面に感じた風圧に、本能的に引っ込められた。

 横目でフォラスが確認した時には、既にパエトンの掌が弧を描き終え、肩に激突する直前だった。

 

 

フォラス

「(しまった、さっきまでとは素人目に見ても動きが速え……さっきの『技』でベレトのフォトンを吸い上げたからか?)」

「(間に合うか……? 頼むぜ、ベレト……!)」

 

 

 フォラスの体が、パエトンの質量を完全に受け取る直前、パエトンの手の軌道がフォラスの更に奥へとブレて虚空を空振った。

 腕のみならずパエトンの上体が大きく前方に傾き、フォラスを払おうとしていたその腕で肘を突くようにして倒れ込んだ。

 パエトンの背中──先程、フォラスが光弾をぶつけた胸のほぼ真後ろの位置。その一点に、金属の髑髏が一斉に突撃し、パエトンのメギド体に新たなヒビを刻んでいた。

 

 

ソロモン

「ベレトの、メギドの武器!」

 

バルバトス

「ベレトの追撃がまだ生きてた。フォラスはこれに賭けて囮に出たのか!」

 

 

 間もなく、髑髏達もフォトンの粒子に還って消えていく。

 フォラスが改めてソロモン達に呼びかけた。

 

 

フォラス

「今の内だ! フォトンを頼む!」

「この『体』じゃ気休めにもならねえ、準備は出来てんだ早く!」

 

ソロモン

「『体』……メギド体か! よし!」

 

 

 パエトンが、倒れた姿勢そのまま、足先から火花を散らせた。

 

 

バルバトス

「起き上がるまでもなく、2人まとめて轢き潰してから『喰う』魂胆か……ソロモン!」

 

ソロモン

「もう送った! 頼むフォラス、すぐに皆を呼ぶ!」

 

フォラス

「買って出たからにゃあ、気張ってみせるさ……!」

「インドアだからって、いつまでも突っ立ってるだけと思うなよ!」

 

 

 パエトンがロケットスタートを切るのと同時、フォラスのメギド体化が完了した。

 戦鎚を携えた、パエトンと居並ばんばかりの鋼色の闘士となったフォラスが立ちはだかる。

 変身と同時にフォラスは戦鎚を上下逆さに持ち替え、杖を鳴らすようにヘッド部分を地面に打ち付けた。

 パエトンの走破が、戦鎚とフォラスの巨体にせき止められた。

 フォラスの背後に投げ出された腕は、倒れた時のまま、ベレトの鼻先で停止している。

 ベレトは気丈にパエトンの腕を睨み返しているが、まだ体が言う事を聞かないらしく、歯を食いしばったままその場を動かない。

 

 

フォラス

「ぐっ……おおぉっ!」

 

 

 前進そのものは止められたが、戦鎚の、大樹の幹をそのまま切り出したような柄が無様に折れ曲がり、殆どフォラスとパエトンが四つに組んだ状況だった。

 パエトンの脚の火花は留まる所を知らず、ホバークラフトの要領で摩擦を殺し加速を続け、パエトンの後ろ足が推力で浮き上がり、つんのめる姿勢になっている。

 

 

フォラス

「(やべえ、体中変な感覚が押し寄せてやがる)」

「(同じ所を同時に振り回されながら縛り上げられてるみてえな……押しても引いても邪魔して来やがる)」

「(フォトンの渦の中心に立つとこうなるのか。このまま力が強まったら、マジで身動き一つ取れなくなる!)」

「(なおさらこのまま睨み合いってわけにはいかねえ……!)」

 

ソロモン

「みんな、フォラスとベレトを頼む!」

 

 

 ソロモンの指輪が輝き、フォラスの背後に召喚されるモラクス、ウェパル、シャックス。

 

 

シャックス

「よーし、今度こそビリビリの……うおっぷぅ!?」

 

モラクス

「また変な風が吹いてやがる! フォラスのおっさんの陰でなきゃ、まともに動けねえ……!」

 

ウェパル

「前に出れないなら、まずはベレトの前まで来てる手を叩く!」

「私が回り込んでベレトを連れ出すから、2人はその間に──」

 

シャックス

「ウェパル危ない!」

 

 

 飛び込んだシャックスがウェパルを押し倒すのと同時、ベレトを遮るように放置されていたパエトンの手が動き出した。

 ウェパルが立っていれば首があったろう高さを掠めて水晶の掌が、指が、フォラスのメギド体の背に突き刺さった。

 

 

フォラス

「ぐあっ!?」

 

 

 フォラスが怯んだ隙に、パエトンがもう一方の手でフォラスの頭を掴んだ。

 パエトンの頭はほぼ完成し、瞳の位置に残るポーの顔を埋めるのみとなっていた。そのメギド体の大顎が開き、フォラスを頭頂から食らいつきにかかった。

 

 

フォラス

「そ、れ、だ、け……はぁぁっ!」

 

 

 フォラスが中腰気味に姿勢を屈め、頭の位置を落としてパエトンの手から抜け出した。

 更にガラクタと化した戦鎚を投げ捨て、空いた両腕をパエトンの両脇に通して抱きつくような姿勢で固めた。

 首から上の顎では相手が低すぎて食らい付けず、密着しているのは両者ほぼ胸周りのみなので、腹の大顎も届かない。

 捕食は避けられたが、ベレトのような法外な特性も持たないフォラスのメギド体は長くは維持できず、既に崩れ始めていた。

 

 

フォラス

「図体と、重ねた歳だけが大人の特権だ!」

「子供が全力でぶつかってくんなら……受け止めてやれなきゃ、生きてる甲斐がねえだろうが!!」

 

 

 雄叫びで自らを鼓舞しながら、フォラスが渾身の力で足を踏みしめた。

 全身を縛めるフォトンの渦に抗い、パエトンを寄り切りの要領で押し返していく。

 

 

シャックス

「おおー……」

 

 

 味方ながらフォラスの気迫に押され、呆気に取られるシャックス達。

 事態を把握したパエトンも、踏みとどまるために脚の火花を止めた。同時にフォトンの渦も治まる。

 フォラスを眺める面々の背後で、硬い物を突き破る音が聞こえ、振り向く。

 

 

ベレト

「フッ……フッ……!」

「む……ぅんっ!」

 

 

 ベレトが旗竿で地面を突いた音だった。

 更に震える足を、まだ動くことを確かめるようにじっくりと持ち上げ、唸り声と共に踏み込み、岩盤を更に砕いた。

 

 

ベレト

「好、機だ……」

「好機だ! フォラスの変身が続く間に、勝負を着ける! 貴様ら手伝え!」

 

モラクス

「お、おう……」

 

ウェパル

「やるしか無いのは同感だけど……本当に、やれるのよね?」

「顔から耳から血が滴りっぱなしだし、その足だって原型は残ってるけど、血管浮き彫りで物凄い色よ」

 

シャックス

「髪の毛からも血が出てる……ベレベレハゲちゃうぅ……」

 

ベレト

「無駄話しとる暇はない! やると言ったらやるのだ!」

「モラクス、武器を貸せ! 儂を投げろ!」

 

モラクス

「はぁ? お、俺の武器貸して、ベレトを投げるぅ?」

 

 

 モラクスの理解を待たずに、モラクスへ一直線に走り出すベレト。

 

 

モラクス

「いやいや待てって、多分フォラスのおっさんの方にブン投げろって事なのまでは分かるけど、何で俺の武器が……!」

「あ……分かったかも? こ、こうか!?」

 

 

 斧の柄の端を握って、地面に斜めに寝かすように構えるモラクス。

 

 

ベレト

「よおし!」

 

 

 モラクスの斧の面部分に乗り上げ、刃の一方に旗竿の下端を引っ掛けるベレト。

 

 

モラクス

「うっし、これなら完璧分かった! こうだな!」

 

シャックス

「な、なになに? どゆことどゆこと!?」

 

ベレト

「わめいとらんで貴様らとっととフォラスの後を追え!」

 

 

 全てを把握したモラクスが、斧を握り直し、ベレトが旗竿を引っ掛けた側の方向へ勢いよく振るった。

 

 

モラクス

「いぃっけぇぇーー!」

 

 

 数回転ほど遠心力を加え、掛け声を合図に、モラクスが斧を手放した。

 斧の先端側、刃の無い部分に足指を引っ掛け、更に旗竿でもって回転の慣性を堪えたベレトが、斧諸共に飛んでいく。

 ただでさえベレトが乗っている事で斧の重心は先端に偏り、重量で手首のスナップは抑制され、ジャイアントスイングの要領で、ベレトを乗せた斧が真っ直ぐにフォラス達の方角へ飛んでいく。

 

 

シャックス

「おお~~~!! 面白そう面白そう!」

 

ウェパル

「言ってないで走って! いくら『技』で踏み止まったからって、ベレトは明らかに無事じゃない!」

「パエトンの足止めも出来てないのに突っ込んだって事は、限界見越しての一か八かよ。手当たり次第でも何でも動くわよ!」

 

モラクス

「どのみち俺の武器も拾いに行かなきゃだしな!」

 

 

 ベレトを追って走るウェパル達。

 斧は飛距離を伸ばしつつ上昇を続け、最高到達点でパエトンより数メートルほど上空に到達していた。

 後は下降するばかりと肌で認識したベレトは落下地点を目測する。

 軌道と速度からすれば、パエトンの鳩尾あたり。しかし今は、そこにフォラスの背中が広がっている。

 

 

ベレト

「フォラス! 変身を解け! 後は儂がやる!」

 

フォラス

「余計な心配……と言いてえとこだが、流石に、もう……!」

 

 

 直後、フォラスは組み付きを引き剥がされた。メギド体も姿を保っているだけで、悲しいほどに脆弱化している。

 フォラスの背中に突き刺さったままのパエトンの指がメギド体を引き裂き、上半身と下半身を二分した。

 更にもう一方の手が再びフォラスの頭を捕まえにかかる。だが、叩きつけた手はフォラスの消滅間際の頭を粉々に打ち砕き、そのまま突き抜けた。

 地面に落下したフォラスのメギド体の上半身がフォトンに消え、ヴィータとしてのフォラスが蹲った姿で残った。

 

 

ベレト

「よくやった! そして……しめた!」

 

 

 空中でベレトが、斧の両刃の片側を強く踏み込んだ。紙飛行機のように横へ広がっていた両刃が傾き、縦になり、足場の均衡を自ら捨てたベレトが宙に浮く。

 重力加速度のみの世界でヴィータの浮ついた体は受け止める物を失い、地面と並行に傾こうとする。

 ベレトは何も狼狽える事なく、軽快にヴィータを置き去りにする斧を、空気抵抗を突き抜ける質量を持ったその斧の柄を捕まえた。

 同時に落下予測地点を見据える。当初のベレトの想定より飛距離は伸びず、僅かに届かない所だった。

 しかし今そこには、フォラスのメギド体の頭を砕いたパエトンの腕が、伸び切ったまま静止している。

 一方、前線を離れてソロモンとバルバトス。フォラスの押し返しでパエトンとの距離が縮まっているが、それでもまだだいぶ距離がある。

 バルバトスが演奏を止めずに口を開いた。

 

 

バルバトス

「……ソロモン、本分を違えるようだけど、『備えて』もらえるかい」

「この状況で俺たちに被害が及ぶ可能性は低いけど、それでも少しでも確実に演奏を続けられるようにしたい」

 

ソロモン

「ああ、わかってる。出来ることは少ないけど、瓦礫くらいなら代わりに受けられるはずだ」

「後は……」

 

バルバトス

「大丈夫さ。この『炎』の中でも、『彼』がヘマするはずがない。それだけは信頼できる人物だろ?」

 

ソロモン

「ははっ、それは確かに」

 

 

 軽く笑いながら、庇うようにバルバトスと前線との直線上に移動するソロモン。

 前線、パエトンの足元で、フォラスがベレトを見上げている。

 

 

フォラス

「(俺に出来るのは、『真似事』までだ……)」

「(そんな事に悔いはねえさ。それでも……ここまでやってみせたんだ)」

「(頼むぜ。『鍵』を持ってるのは、お前さん『達』だけなんだからな……!)」

 

 

 斧がパエトンの腕に突き刺さった。実際の飛距離は、突き出したパエトンの前腕、その手首寄りだった。

 ポーへの距離は伸びたが、斧の衝撃で腕全体に一本の深い亀裂を刻み、手首から先が2つに割れて落下した。

 予想外のダメージに、パエトンが腕を振り上げ咆哮する。

 ベレトは斧の柄を握り直そうとしたが、すぐさま手放した。

 更にパエトンの腕に走った亀裂に四指をかけ、親指を亀裂の外に置き、挟むようにして保持。腕力で体を引き寄せ、パエトンの腕に足裏を密着させ、木に留まる猿のような格好で踏み止まった。

 見た目には愉快だが、散々振り回され放り投げられたベレトの本能が導き出した、遠心力を最低限に抑える最大限の対処だった。

 ベレトが危惧した通り、自ら刻んだ亀裂で足場の緩んだ斧はすぐさま抜け落ち、どこへともなく落ちていく。

 2,3度の往復を経て、パエトンの腕が不意に止まった。すかさず立ち上がり、今度こそと、目指すゴールを見据えるベレト。

 

 

ベレト

「ポーの体は……まだ残っている! なら今度こそ、儂の勝ちだ!」

 

 

 パエトンのヴィータ体が未だ辛うじて露出しているのを確認したベレトは、片手を後ろ髪の内側、うなじの辺りに持っていき、勢いよく引っ張った。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ベレトの回想。

 大空洞地底湖への移動中。手に持ったキンチャクを眺めながら歩くベレト。

 

 

ベレト

「あいつ……家族代わりまでほっぽり出して、一体何を考えて……」

「っっ!?」

 

 

 よそ見して歩いていたので、足を滑らすベレト。

 咄嗟に声を押し殺し、周囲を見渡して、誰か自分の失態に立ち会ったりしてはいないか確認する。

 

 

ベレト

「よ、よし……誰も見ていなかったな?」

「いかん、このまま持ち歩いていたのではコケた拍子に落として失くしかねん」

「いや、それどころか中身はちっぽけな石ころだ。ぶつけたり尻に敷いたりでもしたら砕けて潰れるかもしれん……」

「幻獣共の自爆にも備えねばならんし、かと言ってこの服にポケットなんて大層な物もないし……ぐぬぅ……」

 

 

 落とさないよう両手でキンチャクを握りながら、拙いヴィータの脳を痛めながら考えるベレト。

 

 

ベレト

「待てよ? こう、儂の首輪とキンチャクの口紐を結んで……」

「いや、儂の事だから解くのが面倒で腹立てて紐を引きちぎりかねん」

「手早く解けるような、しかも丈夫な結び方……無茶だ。そもそもまともな紐の結び方なぞ一つも知らん」

「首輪みたいに口紐をグルっと……長さが足りん。というか、これとてうっかり引っ張ったらちぎってしまう……」

 

 

 しばらくキンチャクを持った手をグルグルと、首のあちこちに当ててみるベレト。

 

 

ベレト

「む、ピンと来た! 後ろ髪の何本か、キンチャクの紐の輪っかになってる所に通して……」

「む~~よし、手元が見えんが、ここまでは造作もない」

「後は、この髪を更に首輪に通して、それから適当な後ろ髪と適当に結ぶ。それならどうだ!」

「こ、こ~して……む、完全に手探りで手こずるが、できん事もない……!」

「いけるぞ。ふふん、解くことなど考えなければ儂だって物くらい結べる。輪っか作ってキュッとやるだけだ」

 

 

 丁度、仲間たちはクラゲと足元に警戒して歩みが遅い。前進は一行に任せ、ベレトはさり気なく最後尾に下がりノロノロおざなりに歩きながら、キンチャクの固定に専念する。

 

 

ベレト

「……よし、出来た。だが一本ずつ髪を通したのではまどろっこしい。次は三本くらい捻ったやつで結んでみるか」

「これで後は必要な時にキンチャクを引っ張れば、紐より細い髪の方が先に切れるはずだ」

「幻獣が自爆しようと、まずは儂のキューティクルが盾になる。これならキンチャクも無傷だろう」

「くっくっく……今に見ていろ、ポー。儂のこの女子力、たっぷりと褒めちぎらせてやるからな」

「……しかし」

「……獣同然の忌まわしい首飾りが、今では臣下に世話焼くための便利グッズか」

「いや、それだと儂のアイデンティティがアレなのだが……だが、不思議と悪い気はせんな」

 

 

 回想終わり。

 

 

 ・ ・ ・ ・ ・ ・

 

 

 ベレトの手には、多少血で汚れているが、ここまで無傷で守り抜いてきたキンチャクが握られていた。

 口紐には、ベレトが調子に乗って結び倒した何十本もの髪が絡みついている。それだけの髪を仕込んだのが却って、ここまでの戦いの中でもキンチャクを保持し続けた事に繋がったのだろう。

 肩口へと駆け上るベレト。何故パエトンが振り払うのを止めたのかは、既にベレトにも原因が見えていた。

 パエトンがもう片方の腕を構え、開いた掌はベレトに照準を合わせている。光弾が来る事は明らかだった。

 それでもベレトは足を止めず、むしろより強く、前へ前へと踏み出し続けた。

 

 

ベレト

「チッ……キンチャクを取り出すのが少し早すぎたか……」

「だがやってみろ! いざとなれば口にでも含めば焼けたりはすまい!」

 

ウェパル

「バカ言ってるんじゃないの!」

 

 

 ウェパルが水流を呼び出し、光弾を充填するパエトンの腕へと、持てる限りのスピードで突撃した。

 突き出した銛の柄には、何やらシャックスが服の背に柄を通す形でぶら下がっている。

 

 

ウェパル

「シャックス!」

 

シャックス

「ムッホー! やっぱりコレ楽しい楽しーい!」

 

 

 吊り下げシャックスが剣鉈の切っ先をパエトンへ構えた。

 ウェパルの銛がまずパエトンの腕に突き刺さり、衝撃で腕が揺らぐ。

 そこに慣性に取り残されたシャックスが柄を滑るように前進し、剣鉈が続いてパエトンに刺さる。

 その瞬間、剣鉈から短時間、高電圧の電流が爆ぜた。

 電圧の凄まじさから、着弾地点の周囲が弾け飛び、銛と剣鉈も通電の反動で抜け、持ち主2人諸共パエトンから離れるように飛んだ。

 遅れて、パエトンの掌で形成が始まっていた光球が霧散した。更に、その腕からシャックスの「技」とは異なる色の電流が走り、パエトンが狙撃を取りやめて悶え始めた。

 シャックスの「技」のみならず、自分の光弾が纏った電流までもが逆流したようだ。

 

 

シャックス

「やったやったー、今度こそビリビリ成功だー!」

 

ウェパル

「ベレト! 人の大切なものに汚らしい事すんじゃないわよ!」

 

ベレト

「人をばっちいみたいに言うな! 歯だってちゃんと、確か……三日前に磨いた!」

 

ウェパル

「ア・ウ・ト!」

 

ベレト

「こんな時につまらん事を……って聞けぇー!」

 

 

 茶番を交わす間にもウェパルとシャックスは落下してその場を逃れ、ベレトも足を止めず、すぐに互いの姿が見えなくなった。

 幸いに、ベレトが駆けている側の腕に至る前に、電流はパエトンの脚から地へと逃げたようで、ベレトは支障なく走り続ける。

 

 

ベレト

「毎度毎度、ウェパルのやつは腹を立てるに事欠か──」

「がふぅっ!?」

 

 

 背中を強かに打ち付けられ、宙に浮くベレト。

 遅れて、自分の背に当たる岩のような感触と、一秒にも満たない直前にすぐ背後で足場が崩れる音がしていた事を知覚する。

 

 

ベレト

「(くっ……『技』が使えんと見るや、腕ごと巻き込んで儂を引っぱたきおったか!)」

「(この一発……少なくともこの一発までは『踏みとどまって』みせる。だが……)」

「(だが……この馬鹿者が! この軌道……顔面のポーまで叩き潰してしまうではないか!)」

 

 

 感電で光弾を妨げられたパエトンが、手首を失った腕の表面を削りながら、駆け上がるベレトの背に平手を見舞った。

 恐らくは、再びベレトを捕獲しようとしたのだろうが、精密な動作を失った手はベレトを握る事叶わず、更にはブレーキも見失っていた。

 ベレトの背に感じる勢いは、明らかにパエトン自身に激突するまで止まるものではなかった。

 

 

ベレト

「(衝撃と風圧で、身動きもままならん……! い、意識……が……!)」

「(この……この状態で、もう一発……しかも、ポーを庇いながら……!?)」

 

 

 強がろうにも、圧倒的に絶望感が勝っていた。

 背を打たれる前に取り出しておいて良かったと、縋るようにキンチャクを握るしか無かった。

 

 

モラクス

「うおおおおおぉおおおおおおおおぉぉっ!」

 

 

 雄叫びと共に、ベレトの体が宙に浮いた。

 斧を回収したモラクスがメギド体に変身し、大戦斧でパエトンの腕を肘から叩き崩した。

 パエトンの腕は支点から解放されてパエトンの背後へと飛び、ベレトは投石機に乗せられたように当初の軌道で、ポーの元へと打ち上げられた。

 

 

ソロモン

「ベレト! あと一歩なんだ! 耐えてくれ!!」

 

 

 モラクスへ送り続けていたフォトンの行き先を、すぐさま可能な限りベレトへ移すソロモン。

 

 

ベレト

「……ポ、オ、オオオオォォォォオオオッ!!」

 

 

 背後の圧力を免れ、フォトンでもって力ずくで繋ぎ止めた命を、今一度フォトンで振り絞るベレト。

 パエトンのヴィータ体、額の眼がギョロギョロと動き、ベレトを捉えた。

 両腕を失う大損害の折、餌が向こうから飛び込んできている。活きの良い獲物は栄養価も高い事は本能で学習していた。

 傷を修復するに最適の餌を、パエトンは大顎を開いて出迎えた。ただし、ヴィータ体のそれと、メギド体のそれとが同時に。

 パエトンがやや上を向いて口腔の高さを調整し、ベレトの着弾地点は僅か残るポーの顔から、巨大なメギドのウロへとすり替わる。

 

 

ベレト

「そこに……!」

 

 

 空中で足掻く他にないベレトが振りかぶったのは、キンチャクではなく旗竿を握る方の腕だった。

 振り下ろした旗竿が、メギド体の下顎、トラバサミのように顎と一体化した牙に命中した。

 牙は旗布を突き破り、先端のほんの一部が、意匠の隙間を潜った。

 大顎の中へと直行する軌道は、牙に引っ掛かった旗竿に押し返され、曲げられ、旗竿の意匠を支点として弧を描く。

 ベレトは慣性を肌で読み取り、見出だせる限り最大のタイミングで旗竿を手放し、メギドの大顎を飛び越え、同時に開かれていたヴィータ体の顎へ到達した。

 

 

ベレト

「直れええええええええええええええっ!!!」

 

 

 後は、握りしめたキンチャクと腕とを、僅かに位置修正する体力があれば充分だった。

 ヴィータ体の大顎へダンクシュートを打ち込み、ベレトの腕が口腔を過ぎ、肘までパエトンにねじ込まれた。

 

 

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※ここからあとがき

 戦闘中の素早さの反映を考えるにあたって、戦闘慣れしてるメギドよりも一般人生活してるメギドの方が素早かったりする理由について少し考えてみました。
 素早さの基準は瞬発力ではなく、行動力と考えれば説明がつくかもです。

 例えば、
 アガリアレプトやフォラスが素早いのは、知性に裏打ちされた自信でもって動くべき時にすかさず動ける。
 モラクスと同じ斧持ちで怪力まであるハルファスが遅いのは、フォトンを受け取って指示を受けてもなお、優柔不断で実行に移しきれない。
 明らかに荒事は領分でないマルバス始めとしたサポート役が素早いのは、ヴィータとして戦場の勘が身についていない事で、敵の動きを気にせず、悪く言えば軽率に動けるため。
 同じ筋骨隆々な体格でもハックとブネでスピード差が大きいのは、ハックは隙を晒したり防御や反撃を試みられるリスクを進んでチャンスに変えようとするため。
 ザガンが盾役の中では素早い方なのは、仲間を守るために敵の動きに常に気を配りながらも、興行精神から目立つタイミングと咄嗟の機転を優先するため。
 アスモデウスが場馴れしている割に緩慢なのは、敵味方の戦況関係なく自分の気分で行動しており、そもそも負けるとか死ぬとかリスクに備える発想が殆ど無いため。

 と、このような具合かなと。


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