自転車に乗れるようになったその日のように。どんなパイロットにも、その転機はある日ある時、訪れる。


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 超軽量動力機(ウルトラライトプレーン、ULP)と言うスカイスポーツの1ジャンルがテーマです。

「自転車に乗れるようになったその日のように。どんなパイロットにも、その転機はある日ある時、訪れる」


飛ぼう、ただ楽しむために

「NOTAMを伝える。許可空域は天鹿野場外離着陸場より半径3km、高度上限は対地1200m、下限は離着陸時を除き150m。許可時間は本日10時から17時」

 

 木示川の河川敷。

 

 目の前に広がる草地の滑走路を見渡しながら初老のインストラクターが電話の結果を教えてくれた。

 

「そしてこの天鹿野場外を除くどこにも着陸してはならない、ですね」

 

 超軽量動力機、いわゆるULPを飛ばす上で厳守する事項のひとつを答える。

 

「そうだ。ULPはどこにも行ってはならない。別件に注意。形夷公園のグラウンドで試合をやるらしいから上空通過禁止」

 

「了解です。取狛寺のドローン飛行場は?」

 

「上空通過は避けてくれ」

 

「はい。本日のソロトレーニング課題、ウインドシア対応訓練を行うために河川敷の上空を角香橋と米猿橋の間で往復します」

 

 自分は『たとえ人や車両が全く居ない道路や橋であっても上空通過は禁止』という制限を課されるULPパイロットの第一段階はもう卒業している。堤防道路を飛び越えて良いし、下流にある角香橋を飛び越えても良い。だが角香橋の向こうに形夷公園の河川敷グラウンドがある。

 

 いかなるULPも人が集まっている場所の上空に入ってはならない。

 

 そして今の自分の技量では風に流されてその上空に入りかねないから、角香橋の手前で引き返す。

 

 同じく、上流にある米猿橋の前で引き返すことにする。その向こうにある取狛寺のドローン飛行場を未然に避ける。名のとおり、近くに寺がある。

 

 空中衝突はもちろんゴメンだが、ULPはいかなる場合にも民家や物件の上空を飛んではならない。

 

 熟練者、たとえばこのインストラクターならそんな問題を起こさずに難なく飛べるだろう。だが、自分にはまだその自信も実力もない。

 

「よろしい」

 

 常どおりに穏やかな口調でインストラクターが答え、そして10時を目処に飛行前点検を行うようにと続けた。

 

 自分がそれに応じて駐機場--河川敷の草地の一角に過ぎない--に係止された機体の点検に掛かってからしばらくして、背に声が掛かった。

 

「初めて見に来たときに何と言ったか、覚えているか?」

 

 良く覚えている。

 

 1年前に堤防道路を通りかかって興味を持ったときも、自分が点検している今も。この体重移動式のULP、スカイトライクの姿は同じ。

 

 特大の3輪スクーターの、スクーターなら荷台があるだろう場所にエンジンとプロペラがあり、エンジンとリアシートの間に柱が立っていてその上にハンググライダーが載っている。

 

 だからはいと答えた。以前も今もスカイトライクの姿は特大のスクーターにハンググライダーと動力源を足した奇妙な乗り物に見えると付け足す。

 

「なら、最初の飛行練習のときに掛けた言葉は覚えているか?」

 

「覚えています。しかし未だに意味が判りません」

 

 初めてスカイトライクのリアシートに乗って飛び、空中で生まれて初めて飛行機と言うものの操縦を体験したときから、第2段階の単独飛行訓練が10回目を数える今に至るまで毎回のように聞かれている。

 

「自転車に初めて乗れたときを覚えているか?」と。

 

 

 外部点検を済ませてスカイトライクのフロントシートに座り、フライトデッキ点検を行っている間に10時になった。

 

 離着陸場へ通じる道路を閉鎖してきたインストラクターが滑走路脇に吹流しを掲揚する。

 

 これで、この場所は単なる草地から「仮設飛行場」になった。

 

 

 ブレーキペダルを強く踏みしめる。スイッチを順に閉じて、エンジン始動。

 

 機の後ろでスカーレット星型エンジンがのんびりとした音を立てて動きだした。3400ccもあるが、重量はバイクのエンジン並みだ。

 

 エンジン計器と飛行計器を交互に確認しながらエンジンが温まるのを待つ。

 

 無線機を用いて、この小さな飛行場、天鹿野場外の安全管理者であるインストラクターから滑走路への進入許可を取り付ける。

 

 ブレーキをリリース。

 

 スカイトライクはプロペラで空気を蹴って進み始めた。クローバーを植えて描かれた滑走路サイドラインを越える。

 

 滑走路の風下の端で方向転換、停止。左ヒザに括りつけたキッチンタイマーを叩く。

 

 停止位置は滑走路エンドの中央、機首方位は両サイドラインと平行。

 

 滑走路の右手遥か前方に七山の、連峰と言うにはあまりに低い稜線が見える。

 

 ブレーキが冷えるまでの時間をキッチンタイマーで数えて待ち、最終点検を行い無線で報告する。

 

 離陸許可を得てスロットルを全開まで開く。エンジン音が緩やかに確実に強まり、そしてエンジン計器に赤ランプが点った。フルパワー。

 

 ブレーキリリース。

 

 

 スカイトライクは弾かれたように走り出す。身体がシートの背もたれに強く押し付けられる。路面の凹凸に揺さぶられる。

 

 50mほどの滑走で離陸速度を超えた。

 

 コントロールバーを素早く上げる。

 

 頭上で翼が上を向き、そして機体が釣り上げられ、身体が押し上げられた。同時に揺れがふっつりと消える。上げたコントロールバーに身体と機体が追いつく。

 

 右手の路面に落ちていた自身と機体の影が、離れてゆく。

 

「天鹿野場外、JR7C21。今離陸した。速力90km/h、上昇率300m毎分」

 

『JR7C21、天鹿野場外。離陸を確認。以降、報告は任意』

 

 離陸から10秒ほど後、何かが切り替わった。地面は単なる景色の一部に変わり、高い場所から地上を見下ろす不安が消え、別の不安が取って代わる。

 

 別の不安がひとつ、すぐにやってきた。七山を見下ろす高度まで上がるのと同時に、山から海へと向かう強い風が吹き付けてきた。飛行機はまるで風見鶏のように、勝手に風上を向こうと動き出す。

 

 ウインドシア。

 

 風力と風向が高度や場所によって変化するこの現象に、パイロットは対処せねばならない。そうでなくては風に流されあるいは風上へ勝手に飛んでしまう。

 

 視線を数秒ごとに落とし、景色の中から木示川の堤防を探す。

 

 七山と沿町山の間を流れ下ってきた木示川は曲がりくねっているが、それを挟む堤防は火条海岸までまっすぐだ。

 

 高度300mでスロットルを戻し水平飛行に移る。赤ランプが消えて緑が点る。クルージングパワー。

 

 コントロールバーの角度と高さを何回も修正して、飛行経路を木示川の堤防に沿わせた。

 

 上流へ、米猿橋の方へと進む。

 

 堤防と米猿橋と、ずっと向こうに見える七山と沿町山を見比べながら進む。

 

 風の強さが変わる。その都度、蛇行してしまう。楽しいが、どうにもみっともない。

 

 流され始める兆候を捉えて最小限の操作で修正を掛ければほぼまっすぐ飛べるはずだ。インストラクターがやってみせるように。自分にはそれがまだ出来ない。

 

 直進と蛇行を繰り返しながら米猿橋に近づいた。手前で機を傾けて旋回に入る。違う、世界が傾く。

 

 旋回すれば、自分から見た風向きも変化する。

 

 直進に戻るときにまた蛇行してしまう……そう覚悟しながら、景色が周囲で回転してゆくのを眺める。

 

 ふいに、自転車に初めて乗れたときのことを思い出した。ある日を境に突然……。

 

 操縦に集中することにした。180度旋回の終わりに近づき、機の傾斜を緩めてゆく。

 

 自然に、滑らかに、飛行針路が堤防に沿った状態で直進に戻った。

 

 またウインドシアが来たが、身体が自然に動いて針路を保ってくれる。

 

 脚を不規則に地面についたりせずに自転車で走れた時のように、つい先ほどまでの苦労が嘘だったかのように。

 

『自転車に乗れたな』

 

「はい!」

 

 ULPはどこにも行けない。

 

 だが飛ぶことが、それ自体が、楽しい。

 

 

 

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2019年11月26日、「ハーメルン」にマグネット版を転載。

 

2019年11月25日、「小説家になろう」にマグネット版を転載。

 

2019年11月10日、「マグネットマクロリンク」にて公開。

 


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