レーナは焦った様子で朝食を食していた。一人が欠けた食卓。本来いるべき一人がいないのだ。ポーリン、メーヴィスに至っては焦りから食事が手に付いていない。この違いが、一人と二人の抱える事情において決定的な差を暗喩する。
「馬鹿な女たち……」
ポーリンとメーヴィスを見てしたり顔をするレーナの内心は心底から彼女たちをこき下ろしている。
彼女たちもまさか目の前の仲間が行方不明のマイルを監禁しているとは考えが及ぶはずもない。レーナ自身もそうだったように、仲間想いが過ぎて事の本質を見定める能力を欠いているポーリンとメーヴィスには真相を突き止める事は限りなく不可能だと、経験者は確信をもって自信への糧とする。
雄大な自然を蹂躙しながら、そこにはいるはずもないマイルを探す彼女たち。
「マイルちゃん、見つかりました?」
ポーリンの震える声がレーナとメーヴィスの鼓膜を打つ。
「いや、影も形もない。気配すらさっぱりだ」
メーヴィスの発言からポーリンの表情が蒼ざめるのを横目に、犯人のレーナの口元が緩む。のし掛かるような雰囲気には似合わない爽やかな風を感じてから、はっと思い付いたようにメーヴィスが口を動かした。
「レーナの方はどうだった」
必死の形相でメーヴィスはレーナの身体を激しく揺さ振る。その背後には物々しい雰囲気のポーリン。
早くマイルに愛を囁きたい。マイルにキスしたい。レーナを取り巻く劣情がすでに限界を迎えている。彼女において、メーヴィスとポーリンは仲間ではない。ただの邪魔者。
ハンター試験で倒したホーンラビット。レーナにとって目の前のそれらの価値はそこにまで暴落していた。
「見つからないわ。今日も空振りかしら……マイル」
レーナが肩を落とし、俯く。もちろん彼女のそれはメーヴィスたちを欺く演技である。涙を流し、彼女たちと同じ被害者面をするのは騙しにおける常套手段の一種だ。メーヴィスたちはまんまと彼女に騙され、レーナを信用していく。
「あたしの所為なの!」
感情を吐き出すようにレーナは声を荒げる。それでいながら笑みを堪え切れずに口が綻んでいる彼女だが、マイルの捜索に夢中な彼女たちにはその思惑が看破される心配はない。
仮にバレても構わない。レーナの日和見主義がそう告げる。
バレたら、始末すれば良い。
レーナの悪意が枷を外していく。
マイルを監禁してから、そんなものはないのかもしれない。そんな事最早考えるだけ無駄な段階まで来ている。マイルを解放する選択肢はない以上、後戻りはできないのだから。
レーナはかつての仲間たちに嘘を吐く。
マイルに対しては良心の呵責があり、それ故に思うところもあるが、価値が無いと切り捨てたメーヴィスとポーリンに容赦は無い。
「あたしが、マイルを夜中に連れ出したから」
華に甘梅雨を溢すような儚げな視線をかつての仲間へ向け、同情を誘う。未だにレーナを仲間だと思っているであろう彼女たちは見事にレーナの話を間に受けている。仲間の仮面を被ったレーナは夜中に魔石探しをしようとしたばかりにマイルを誘拐した部分を改竄し、強い魔獣に連れて行かれた。マイルに提案した石探しも実際に探した架空の石の話ではなく、現実にある石の話に置き換えて不審がられないように手を打った。
ストーカー化したレーナにおいて先鋭化された洞察力をもってしてようやく手に入れたマイルの前世を知るのは、後にも先にもレーナだけである。
「それは本当なのか!」
マイルの強さは周知の事実で、魔獣に遅れを取る事が誰にとっても違和感が強い。無論、そうやって疑われるのはレーナには想定内の出来事であった。
キーは赤き誓いを結ぶ絆。なんとしても事実を隠し通したいレーナはここに目を付ける。
仲間想いと言えば聞こえは良い。だが言い方を変えればお人好しという事。レーナは、彼女があれだけの仕打ちをしておいて助けを求めていたマイルとメーヴィス、ポーリンが同類であると考え、嘘を交えて彼女たちを謀る魂胆を胸に秘め、上手く言い包めていく。
「にわかに信じ難い話だな」
首を傾げるメーヴィス。
「ですがレーナちゃんがこの目で見たって言っていたし」
ポーリンも同じく、半信半疑の渦中にて眉を潜めている。
大分揺らいでいる二人に、トドメとレーナが頭を下げた。
「ごめんなさい!」
オドオドと忙しない様子を偽りながら、森の静寂を崩壊させんとばかりに声を張り上げる。それにより静寂に身を休めている魔獣たちが驚き、羽を大きく拡げて声の主を威嚇するが、猿芝居に興ずるレーナの耳には入っていない。
「お、落ち着いて下さい!」
「レーナは悪くないよ。悪いのは攫った魔獣だ」
レーナの話を信じている事が彼女たちの口から確認でき、内心ニヤニヤが止まらない彼女。仲間を疑う事はマイルに教わっていない彼女たち。その弱みをレーナは狡猾に利用し、彼女たちに一杯食わせたのだ。
「ポーリン、メーヴィス……ありがとう」
励ましてくれるメーヴィスたちの想いを陰で踏み躙るレーナは張り付いた泣き顔で頰を腫らす。
目元の水を感慨も無く適当に拭うレーナは感情が抜けていくように思う。もうマイルしか見えない。レーナの身体はマイルを求めて仕方がない。
仕組まれた捜索は当然難航し、夜まで引き延ばされる。
休む間をも惜しんだ三人の体力は限界を迎えていた。百戦錬磨のハンターたちも体力は有限。それが尽きればただの人間に逆戻りだ。
「また明日にしよう」
「ええ……夜は危険ですし、その方が良いですね」
メーヴィスの判断に従い、ポーリンは捜索を切り上げる。煮え切れない思いとの葛藤が彼女たちに垣間見られ、やるせない想いに二人は歯軋りをしていた。
その意向に反して、夜の捜索を強行する。犯人である彼女は疑いの目を逸らすために策の暇は無かった。
「元はと言えば夜中にマイルを誘ったあたしの所為だから。二人は先に戻っていて」
「さっきも言ったけど、レーナに非はないって」
「そうですよ、だから……」
「あたしは自分が許せないの!」
手を強く握り、レーナは反論する。彼女が向けた、人睨みで魔獣をも黙らせるような視線に、メーヴィスたちが一歩退がる。
彼女の威勢に飲まれたかのごとく、木が、動物が、空が慟哭する。
周囲は見えず、音だけが伝える闇夜に包まれた情景と、レーナの目の前で固まっている二人の女たち。
「あんたたちのお陰であたしの考えが大分改まった事は認めるわ」
レーナは小さい頃、大切な人を二回に分けて失った。実の父親に、厚意にしてくれたハンターギルドの人たちを盗賊連中に殺されたのだ。
あの頃から成長しても、盗賊たちに対する恨みは消えなかった。殺したいくらいに憎くなっていた。復讐が間違いだと分かっていても、身体はその気持ちに徹底的に嘘を吐き、恨みを募らせていった。
その考えを改めたのはつい最近の事。マイルと元仲間たちの説得に感銘を受け、盗賊を許さない姿勢はそのままながらも、殺したいと思う事はなくなった。
「でも自分の事は自分で始末を付ける。あたしがあたしでいるためにこれは必要だから、そこを譲るつもりはないわ」
レーナの強い決意は嘘に塗り固められた虚像の中で唯一、芯の通った真のものだ。そんな彼女の気迫に気圧されてしまったメーヴィスとポーリンの中で反論できる者はいなかった。
それからは何も語らずに一人茂みの奥へと消えていくレーナ。
二人と別れ、一人になったレーナが向かったのは古城。城といってもかつての隆盛の残り香は欠片も無く、崩れ去った瓦礫の山が積み重なっている。
その中を歩いていく彼女はやがて一つの瓦礫の山の下、そこに眠る地下への扉。一見何も無いが、レーナが施していた隠蔽魔法を解除すると、隠れていたそれが姿を現す。
「マイルマイルマイルマイルマイルマイル……」
呪文のように愛しい者への愛を呟くレーナは地下に潜り、指の先に得意の炎魔法を灯して明かりにする。
「レーナさん……もうこんな事は止めて下さい。今ならまだ間に合います」
レーナは捕らえたマイルをここに監禁していた。瓦礫で入口をカモフラージュし、場所をある程度特定されても見つかり難い上、レーナの魔法もある。何も知らない者が捜し、見つけ出すのは至難の業だ。
「ポーリンさんにもメーヴィスさんにも今回の話はしませんから、だから!」
捕らわれたマイルはそんな事はいざ知らず、なおも罪を背負ったレーナを正道へ戻そうと身体を張っていた。どうしようもないお人好しだ。レーナは改めてこれを利用して間違いは無かった、そう確信してしまい、笑いが溢れる。
「なんで他の女の話をするのかしら。今はあたしを見る時間よ、マイル」
一方で目の敵にしている元仲間たちの名前がマイルの口から出て来ると、自然とその笑みが引いていく。ポーリン、メーヴィス……どちらの名前を聞いても目が開き、冷や汗が流れ落ちる。
「ポーリンさんもメーヴィスさんも仲間じゃないですか。そんな言い方!」
「あんな女たち、もう仲間じゃないわ……」
「っ!」
焦りだ。
二人にマイルをいつ奪われるかを予期する度に怖気が奔るのは、一括りにそれが元凶だ。
パーティを組んでマイルたちと過ごす最中、レーナはしばらくして克服したトラウマが蘇るようになった。眠る度に、一度は決別したはずの亡霊に手招かれ、あの頃に引き戻される。
元から悪目立ちしていたつまらないプライドから彼女たちに言えないまま、日数が経つ。
『マイルの服だ』
ある日、宿のベッドの上にてマイルの服が畳んであるのを見かけた。
ストレスを溜めていた彼女は取り敢えず気晴らしができるものを求めて、それに手を伸ばす。
『なんでこんなもの、手に取って……』
そんなもの、現実逃避だ。
追い掛けてくる悪夢が思い起こされ、レーナは思わず服で視界を塞いだ。
視界に代わって充満するのは、服から漂うマイルの匂い。それがレーナを唐突に、即座に狂わせた。いつの間にか鼻に優しく当てた服の芳しい匂いにレーナの思考が、視界が、書き変わっていく。
誰もいない部屋でそんな事をやる背徳感に彼女は浸る。そんな事と彼女が断定するのは、仲間を失望させるような行為をしてしまっている自覚がレーナにはあったから。それでも、怖さと悲しさを埋めるものとなってしまったこの聖骸布を手放す勇気は到底、この時の彼女が持てるはずもなく、少しずつ、着実に堕ちるだけだった。
『マイルの匂い……何これ。悪い事が全部どうでも良くなりそう』
頭が多幸感に包まれ、トラウマたちが一斉に棺桶へと帰っていく。それらが消えた後も、レーナは再度のフラッシュバックを恐れるあまり、当人が帰ってくるまでマイルの服を手放せなくなっていた。
『マイルマイルマイルマイルマイルマイルマイルマイル……』
彼女のマイルへの想いは、当初の仲間という関係性を瞬く間に跳び越えていった。そこで抱くようになった恋心は彼女がこれまで恋を知らなかった事が災いしたために、行き場の無い狂愛へと姿を変えた。このような些細なきっかけで生まれたのだから、世の中は、いや、人間は珍奇に満ちている。
『マイル……可愛いなぁ……あたしを助けてくれたマイルだから、それもそうか』
レーナはマイルたちが知るも及ばないまま、勝手に病んでいく。
好意が日に日に肥大化していき、やがて自他共に収集が付かない域へと到達する過程において、レーナは相変わらずの自分を演じる一方で、マイルへの歪んだ愛と、マイルを奪おうとしている恋敵だとする、メーヴィスとポーリンへの逆恨みの情念を募らせた。
『またポーリンたちと話してる……女狐め。盗賊よりもマイルを奪うあいつらが憎くなってきたわ』
マイルに飢えたレーナ。彼女はかつての仲間をこの手に掛けたいとまで思い始めている。