「牛乳こぼしたの?」
「流石はモモンガ様」
「ぐふっ、俺の胃が……」
今回はハムスケの話。
サブタイの続きは「されど友の凄さを知る」です。
「ねぇ、モモンガ。ハムスケって何をあげたら喜ぶかな?」
ある日の事。少し困った表情をしたネムから、モモンガは相談を受けた。
「ハムスケは食べ物なら何でも喜びそうだが…… 何かの記念日か?」
「ううん、違うよ」
ネムは普段から好奇心旺盛なので――そのせいで偶に姉をドキッとさせる事もあるらしいが――自分に質問をしてくる事は珍しくない。
だが、今回はいつもと少し毛色が違う。
知識を求めて疑問をぶつけるというより、純粋に相談事のようだ。
「……今までハムスケと一緒に、何度もお仕事してきたよね」
「まぁそうだな。冒険者の依頼を受ける時は、基本的にハムスケも誘っていたからな」
なんにせよ、モモンガの取る行動はこの時点で既に決まっている。
ネムが何かに悩んでいるのだ。内容は分からずとも、協力するの一択だ。
「それがどうかしたのか?」
「あのね……」
何かを言い辛そうにしているネムに、モモンガは先を促すように問いかける。
ただでさえネムが自分に助けを求めたり、お願い事をしてくる事は滅多にないのだ。
日頃からネムという存在に助けられているので、自分がお返しに手を貸したいと思うのは当然であった。
「私達、ハムスケに報酬渡してない……」
「……あっ」
バツが悪そうに目線を外したネム。
一拍置いて、モモンガも気づいてしまった。
ハムスケは別にモモンガの部下ではない。ネムの友達兼、相棒枠にいる魔獣だ。
だが、モモンガ達はハムスケを一人の冒険者仲間として扱っていたつもりのはずが、実際には分け前を全く渡していなかったのだ。
「忘れてたね……」
「私もだ。完全に忘れてたな……」
これは会社で例えるなら、社員に給料を全く払っていないのと同義。
――究極のブラック企業だ。
もはや会社とすら言えないレベルだ。あのリアルですらそんな会社は存在していなかった。
社蓄として苦労しながら生きていた自分が、そんな物を認める訳にはいかない。
「よし、すぐに報酬を準備しよう」
「うん、私も手伝う!!」
働けば報酬を貰えるのが当然。
いずれはナザリックをホワイト企業化するためにも、自分がそれを実践していかなければ。
(あいつらも何か望みが出来ると良いんだけどな。『お仕え出来る事が何よりの褒美です』とか、みんな同じ事言うし…… やっぱり休暇だけでも取らせてみるか?)
あわよくば、ハムスケに報酬を与える姿をNPC達にも見せて、ナザリック内の意識改革に使えないか考えるモモンガだった。
◆
「――と、いう訳で、ハムスケは何が欲しい?」
「して欲しい事でもいいよ?」
「唐突でござるなぁ」
いきなり自分の住処にやってきた二人の要求に、ハムスケは頭を捻った。
ネムとモモンガの話を要約すると「今までの仕事の報酬を渡したい」そうなのだが、自分には使えもしないお金は必要ない。
そしてドラゴンなどの種族と違い、ハムスケは財宝などにも興味はない。
「急に言われても難しいでござるよ。某は報酬が欲しかった訳でもござらんし……」
そもそも自分はネムやモモンガと一緒にいるのが好きなだけだ。冒険者の仕事を手伝っていたのも、それが大きな理由である。
いわば趣味でやっていただけなので、最初から見返りは求めていないのだ。
「何か望みはないのか? 大抵の願いなら叶えられるとは思うが…… 武器とか鎧とか、魔法の道具でもいいぞ?」
「某、武器は使わないでござる」
寝床はある。食べ物も自分で手に入れられる。生きるために困っている事は特にない。
森の奥深くに現れたドラゴンについては不安だが、これに関しては近づかなければ良いだけだ。
「ネム殿にいつもブラッシングしてもらっているので、報酬というならそれで十分でござるなぁ」
「うーん、出来れば私からも何かしてやりたいのだが……」
他に唯一望みがあるとすれば、同族の番いが欲しいくらいか。
だが、仕事の報酬で自分の伴侶を願うのは流石に気が引けた。
「お願い事、他に何もないの?」
「強いて挙げるなら、力が欲しいでござるな」
このまま何も無いと言っても、二人は納得しないだろう。引け目を感じて冒険に誘われなくなるのはちょっと寂しい。
よって、ハムスケはいくらあっても困らないモノを望んだ。
「ハムスケはもっと強くなりたいの?」
「そうでござる。生物として、生き残るために力を欲するのは当然でござる」
自分は既にかなり強い。なので今すぐに更なる強さが必要かと言われると微妙だが、強くなりたいという願い自体は嘘ではない。
物理的な物ではないので、自分の狙い通りなら「じゃあみんなで特訓しようか」と、そんな流れになるはずだ。
「――ほぅ、力が欲しいのか」
――魔王がニヤリと笑った。
いや、仮面の奥の表情は見えないのだが、明らかにモモンガの声音が弾んだように感じた。絶対にこの骸骨は何か良からぬ事を考えている。
もしかして、自分は何か判断を間違えただろうか。
「強くなる事が望みなら、私の家――ナザリックに来て、私の仲間達と修行をしてみないか?」
「モモンガ殿の仲間でござるか……」
「私の部下にも色々いるからな。きっとハムスケも得るものが多いだろう」
思ったよりも予想通りのお誘いだが、自分の狙いとは若干ズレている。
モモンガの提案について考えながら、チラリと自身の相棒の顔を見た。
「ハムスケと見た目は違うけど、モモンガの家には魔獣とかもいっぱいいるよ」
なんて事のない、いつものニコニコとした表情だ。
ネムは何度も行った事があると話していたし、この反応からすると危険な場所ではないのだろう。
「……ちなみに、そのナザリックなる場所には、モモンガ殿より強い者はいたりするのでござるか?」
「デミウルゴスさんはモモンガが一番凄いって言ってたよ。モモンガは至高の支配者で、自分達シモベでは足元にも及ばないんだって」
「ふむふむ。やはりモモンガ殿は別格なのでごさるな」
「あいつそんな事話してたのか。デミウルゴスの言葉はちょっと、いやかなり誇張があるんだが……」
ハムスケは念のために確認したが、モモンガを超える存在がいるとは微塵も思ってはいなかった。
その足元に及ぶような存在ですら、あの森の奥で見たドラゴン以外にいるとは考えてもいない。
もしそんなのがポンポンいたら、この世界は終わりである。
「では、それでお願いするでござる」
やや不安はあるものの、自分は『森の賢王』と呼ばれ、長年恐れられた大魔獣。
ドラゴンという生まれながら強者である種族などの例外を除けば、自分はこの森でも最強であるという自負がある。
正直なところ、森の外でも自分に勝てる者はほとんどいないと思っている。
「了解だ。まずはコキュートスあたりと模擬戦をさせて、戦士としての素質でも見てもらうか」
「モモンガの仲間はみんな優しくて凄いから、ハムスケもきっと強くなれるよ。特訓が終わったらまたブラッシングしてあげるね」
「それは嬉しいでござる。某、期待は裏切らないでござるよ」
そんな自分が絶対に勝てないと断言するのが、目の前にいる顔を隠した骸骨だ。
このモモンガという男は強い弱いの話ではなく、正直生まれる次元を七つくらい間違えたとしか思えない程の
しかし、自分に対する扱いが少々雑な気はするが、なんだかんだ親切で優しい骸骨でもある。
「ハムスケもやる気は十分だな。では早速行こうか」
ネム以外で自分に気安く接してくれる、唯一の存在と言っていいだろう。
「某の才能と成長に刮目するでござるよ!!」
ここは一つ、修行の中でモモンガの部下とやらを圧倒して、少しは自分の事を見直してもらおう。
魔獣も沢山いるようだが、同じ魔獣としてそんじょそこらの奴に負ける訳にはいかない。
ネムにも自分の強くてカッコいい所を見てもらおう――
◆
「――サァ、何処カラデモカカッテクルガイイ」
「これは無理でござる」
――そんな風に考えていた時が、某にもあったでござる。
修行のために案内されたモモンガの家――ナザリック地下大墳墓。
その第六階層にある闘技場で、ハムスケは一人の武人と対峙していた。
「……一見無防備ニ見エルガ、ソレガ構エナノカ?」
「はっ!? 思わずひっくり返ってしまったでござる!!」
その相手の名はコキュートス。
棘の付いた尻尾の生えた二足歩行の昆虫――ライトブルーの甲殻で覆われた巨漢の異形種だ。
全身の甲殻はまるで鉄壁を誇る鋼の鎧のようだ。そして四本ある腕の内、一本には白銀のハルバードが握られている。
その堂々とした立ち姿は一振りの剣を思わせ、遥かな高みにある戦士としての強さがありありと感じられた。
「ハムスケー、頑張れー」
「コキュートスよ。レベル差があり過ぎるから、加減を間違えるなよ」
「ハッ。オ任セ下サイ、モモンガ様。決シテ殺サズ、コノ者カラ潜在能力ノ限界ヲ引キ出シテ見セマス」
「お、お手柔らかに頼むでござる……」
命の危険もありありと感じた。
ネムの軽い声援に応えて、服従のポーズから何とか起き上がったが、近付けば一撃で真っ二つになる未来しか見えない。
これほどの存在が絶対の忠誠を誓っているとは、自分はまだモモンガの事を甘く見ていたのかもしれない。
「っまずはこれでござる!!」
本能は生命の危機を訴えているが、これはあくまで修行である。そのはずである。
ハムスケは逃げ出したくなる気持ちを押し殺し、距離を取ったままコキュートスに自慢の尻尾を全力で叩きつけた。
今までの経験上、この尻尾の一撃だけで大半は決着がついた。
さらに、万が一初撃を防がれたとしても、そこから尻尾を折り曲げて追撃が可能。
二段構えの完璧な技だ。
「フム、遅スギルナ……」
「なんとっ!?」
しかし、そんな自慢の一撃も目の前の化け物にはあっさりと見切られた。
ハルバードを動かす素振りもなく、淡々と空いた片手で尻尾の先を掴まれてしまった。
「自在ニ操レル尻尾ヲ武器ニスルノハ良イ。ダガ、ワザワザ真正面カラ打チ込ムノハ勿体ナイ。ソシテソノ程度ノ威力デハ、私ノヨウナ格上ノ相手ニハ――」
掴んだ尻尾を強引に引き寄せられ、自身の巨体が軽々と宙に浮く。
コキュートスとの距離が強制的に縮まっていく中、ハムスケは相手の動きがスローモーションになっている様に感じた。
「――通用シナイト知レ」
さらば我が獣生。
同族に会えなかった事、子孫を残せなかった事など、心残りが脳内を一瞬にして駆け巡る。
コキュートスから漏れ出た吐息は、白い煙の様に広がり霧散していく。
ハルバードを振りかぶり、自身の脳天めがけて真っ直ぐに振り下ろされ――
(人型の昆虫とは、もう二度と戦わないでござる……)
――役に立たない後悔と共に、自分の意識はそこで途絶えた。
◆
コキュートスとの模擬戦が終わってから数分後。
無事に意識を取り戻したハムスケは、ネムに頭のあちこちを撫でられていた。
「ハムスケ、大丈夫? まだどこか痛いの?」
「体はピンピンしてるでござるよ……」
ハムスケにとって死を覚悟する程の一戦だったが、その恐怖に反して自身の体には傷一つない。
自分を心配そうに見つめる相棒の優しさが、今だけはとても痛かった。
「コキュートスはちゃんと寸止めしたから、怪我一つ無いはずだが?」
「うぅ、面目ないでござる」
この場所の支配者、モモンガの容赦ないツッコミも痛い。
武器が当たってもいないのに、イメージだけで気絶してしまった情けない自分の心に深く刺さる。
「さて。ハムスケが気絶している間に、コキュートスからアドバイスを貰っておいたぞ。『狩猟ではなく、戦闘経験を積め』だそうだ」
「戦闘、でござるか……」
「ハムスケって結構戦ってるよね?」
「作業ゲーではなく、対人戦をしろ――では伝わらんな。えーと、要するに同格以上の相手と戦えって事だ」
中々手厳しい指摘だ。確かにここ百年近く、本当の意味で戦闘と呼べる物はしていない。
食べ物を得るための狩りでも、基本的に自分より弱い存在しか狙っていなかった。
そもそもハムスケと対等に戦えるような存在は、森の中にはほぼいないというのもある。
「最近は襲ってくる冒険者もいないでござるし、ちょうどいい相手はあんまりいなかったでござるよ」
「まぁ、ハムスケは三十レベルに近いからな。並みのモンスターでは相手にもならんだろう」
一応自分の他にあと二体ほど、トブの大森林の東と西を支配している実力者がいるらしい。
その者達ならいい勝負になるのかも知れないが、ハムスケは縄張りの外に興味がないので戦ったことはなかった。
「――っという訳で、あたしの出番だね」
闘技場の席から突然響いてきた明るい声。
そこから飛び降りてきたのは、左右の瞳の色が違う
活発な子供にしか見えない普通の姿だが、彼女は十数メートルの高さを平然と飛び降りている。その身体能力は異常としか言えない。
今更だが、やはりここはヤバイ場所だ。
そんなナザリックの支配者であるモモンガはもっとヤバイと、ハムスケは生きている事に感謝しながらしみじみと思った。
「アウラお姉ちゃんが手伝ってくれるの?」
「そうだよ。実際に相手をするのは、あたしのペット達だけどね」
「結果は予想は出来るが…… うん、良い経験にはなるんじゃないか?」
「同じ魔獣同士なら、某ももうちょっと頑張れるでござる!!」
「へぇ、気合十分だね。おーい、出番だよ――」
その話を聞いてハムスケは気合いを取り戻す。
次の修行の相手は、アウラと呼ばれた闇妖精のペット――自分と同じ魔獣らしい。
(アウラ殿はペットと申した。ならば、そんなに化け物じみた者は出てこないはずでござる!!)
先程戦ったコキュートスと違い、同系統の種族なら少なくとも同じ土俵には立てるはずだ。
というか、あんな強さを持っている方がおかしいのだ。
モモンガの言葉に若干の不安は残るが、今度こそ自分のカッコいい所を見せられるかも知れな――
「この子があたしのお気に入り、神獣のフェンリル。一応大雑把な分類では魔獣だから、ハムスケと近いのかな? 名前はフェンだよ」
「これは無理でござる」
――うん。某も分かってたでござる。
アウラに呼ばれて現れたのは、自身と遜色ない大きさの獣。美しい漆黒の毛並みに、所々金の模様が入った巨大な狼だ。
自分に近いと言われたが、自分と近いのはその大きさだけ。
主人であるアウラに対して犬の様にじゃれついているが、真紅の瞳から感じる威圧感は自分と同じ魔獣とは思えないレベルだ。
そして自分の相棒であるネムは、そんな神獣の毛皮に顔をうずめてモフモフしている。
相棒のメンタルが強すぎてびっくりでござる。
「フェン、くれぐれもやり過ぎて殺さないようにね。――あとは好きにしていいよ」
その一言を合図に、じゃれついていた犬は怪物に変貌した。
フェンがこちらを見る目は、完全に獲物を見つけた捕食者のそれだ。
先手必勝――ハムスケは相手が動き出す前に、全力で逃走を開始する。
「つ、捕まったら絶対に死ぬでござるー!!」
「ちょっとー、少しは戦わないと経験にならないでしょー」
「無理でござるよー!!」
アウラが無理難題を言ってくるが、自分は足を止める気は無い。
これはただの逃走にあらず。自分にとっては生きるための闘争だ。
相手が飽きるまで延々と続く、地獄の鬼ごっこの始まりである。
「ふむ。この世界では敵を倒さずともレベルは上がるようだが、強敵から逃げるだけでも経験値は手に入るのか? どうなるか分からんが、結果が楽しみだな」
「フェンから逃げ切るなんて不可能なんだから、ちょっとくらい戦えば良いのに……」
「今のハムスケには酷だろう。うーん、少し可哀想だから、バフくらいはかけに行ってやるか」
ちょっとだけ不憫に思えたモモンガは、ハムスケの手助けに向かった。
だが、如何にモモンガの魔法によるサポートがあろうと、フェンとハムスケのレベル差は実に二倍以上。
ハムスケがフェンに抵抗出来たかは、悲しいかな御察しの通りである。
「ハムスケ、大丈夫かな?」
「加減するように言ってあるから大丈夫でしょ。モモンガ様から魔法をかけて頂けるなんて、羨ましい奴……」
「モモンガの魔法、凄いもんね」
「その通り!! モモンガ様はこの世で最も偉大な魔法使いだからね。さてっ、おいで、ネム。待ってる間、あっちでハンバーガーでも一緒に食べよ」
「うん!!」
ハムスケが命懸けで修行している一方で、こちらの少女達はほのぼのとした雰囲気で時間をつぶしていた。
ネムはアウラと一緒に仲良くハンバーガーにかぶりつき、終始ご満悦だったとか。
◆
おまけ〜守護者と話してみよう〜
ナザリックの第九階層のとある場所に用意された特設スタジオ。
クリーム色を基調とした、華やかで明るい雰囲気の空間――どこかのお茶の間で見た事があるようなセット――が、見事な完成度で作り上げられていた。
もちろんソファーに座っているネムには、元ネタなど知る由もない事だが。
「始まりました、『ネムの部屋』。記念すべき第一回目のゲストは、アルベドさんです!!」
「トップバッターは私ね」
元気な挨拶と共に「るーるるー」と、何処からか流れる肉声のBGM。
『ネムの部屋』と題されたこの企画。
これは異形種だらけのナザリック内に広がるある問題――行き過ぎた人間軽視やナザリック至上主義――をどうにかしようと、モモンガ自らが考案したものである。
(一応ネムと面識もあるし、最初は守護者達のまとめ役でもあるアルベドでちょうど良いだろう。これをきっかけに少しでも変わってくれると良いんだが……)
NPC達に人間についてどう思うか尋ねると、返ってくるのは「下等生物」、「ゴミ」、「玩具」と、散々なものだ。
そんな彼らでも最低限の演技くらいは出来ると思っているが、外で活動させる時に問題を起こさないか不安でしょうがない。
(あいつらが外で遊ぶ様子はあんまり思い浮かばないけど、もし道でぶつかられた程度で即抹殺とかやられたら困るからな。度々頼ってすまないが、頼んだぞ、ネム!!)
そこで、外の世界の人間であるネムとの交流を通し、外部の者に対する嫌悪感や侮りを少しでも減らす。
――減らせたら良いなと、モモンガは魔法で完璧な黒子に徹しながら期待していた。
「くふふ、この機会を待っていたわ。今日はよろしく頼むわね」
「はい、よろしくお願いします」
淑女然とした佇まいを見せるアルベド。
普段と変わらない表情で微笑んでいるが、ネムがペコリと頭を下げたその一瞬、彼女の黄金の瞳は怪しく光った。
しかし、この場にいる者は誰も気が付かない。
「今日はアルベドさんに質問したり、色々お喋りをしたいと思います」
「ええ、モモンガ様からも簡単なご説明は頂いているわ。それに他ならぬネムとのお話だもの。なんでも答えてあげるわよ」
ちなみにナザリックの者達にとって、ネムは『至高の御方であるモモンガのご友人』にして『モモンガを救った大恩人』である。
もはや外の世界のただの人間という枠からは、完全に外れた存在だ。
つまり、企画段階でモモンガの計画は破綻しているのだが、残念ながら本人は気が付いていない。
「わぁ、ありがとうございます。いっぱい質問しますね!!」
「その代わりと言ってはなんだけど、後でちょっとだけお願いを聞いてもらえないかしら?」
慣れない司会進行役に張り切るネム。
そんなネムに優しく微笑みながら、アルベドはすかさず布石を打ち込んだ。
「お願い? なんですか?」
「簡単な事だから深く考えなくて大丈夫よ。さぁ、始めましょうか」
「は、はぁい」
疑問の言葉はやんわりと流され、ネムはとりあえず頷く。
「じゃあさっそく、アルベドさんの好きな物は何ですか?」
「モモンガ様よ」
「そ、即答…… えっと、普段はナザリックで何をされているんですか?」
妖艶な美しさを持ちながら、強く凛々しい表情を見せるアルベド。
短い言葉の中に込められた強い想いに、質問したネムは思わずたじろいだ。
そしてこの話題が危険だと即座に判断し、深堀せずに話を切り替える。
その切り替えの早さに、モモンガは内心で拍手を送っていた。
「守護者統括として、シモベの管理や実務の調整などを行っているわ。内務で私の右に出る者はいないと自負しているわよ。もちろんモモンガ様は別ですが」
「へぇ、すごーい。アルベドさんはとってもお仕事が出来るんですね」
「仕事だけじゃないのよ? 私は家事全般も完璧。裁縫だってお手の物よ」
突然の女子力アピール。
アルベドは腕前の証明として、どこからともなくデフォルメされた骸骨のヌイグルミを取り出す。もちろんモモンガをモデルにしたものだ。
どうやらネムが気を遣おうと、アルベドとの会話ではモモンガ関連の話題から逃れられないらしい。
これを隠れて見ているモモンガは、精神の沈静化が起こらない程度の微妙な羞恥心に襲われていた。
「うわぁ、モモンガにそっくりですね」
「他には抱き枕とか、もっと精巧に再現した物だってあるわよ。それ以外にも将来のために子供服だって、もう五歳までの分は作ったわ」
少し興奮した様子のアルベドは、残念な美人と言って差し支えない表情をしている。
そんな彼女を前にしては、普段から好奇心旺盛なネムであっても「何のための子供服ですか?」とは、軽々しく質問出来ない。
「あぁ、女の子でも男の子でも、何人でも、アルベドは大歓迎します。モモンガ様……」
「アルベドさん、凄いです……」
感心したような、引いているような、どちらとも言えないネムの感嘆の声が、彼女の残念感を際立たせていた。
そして、夢の中へトリップしていたアルベドが、突然現実のネムへと向き直る。
「ねぇ、ネム。仕事も家事も両方出来る女の方が、至高の御方であるモモンガ様には相応しいと思わない?」
「え?」
「さっきのお願いなんだけど、ちょっとだけで良いの。ほんの少しで良いから、モモンガ様に私の事をアピールしてくれないかしら」
まだギリギリ肉食系の美人と言える表情で、アルベドはにじり寄りながらネムにお願いを告げる。
別々のソファーに座っていたはずの二人。
しかし、その距離は今、その気になれば手を握れる程の至近距離だ。
「貴女が推してくれれば、モモンガ様もきっと納得してくださるわ。そう、私を正妃に……」
「も、モモンガは結婚に興味なさそうだからっ、ちょっと無理だと思うなぁ」
「問題ないわ。それなら夫婦生活の素晴らしさも一緒に伝えてちょうだい。安心して、悪いようにはしないわ。ほんの先っちょだけよ。さり気なく私の魅力を伝えてくれるだけで良いのよ?」
ゆっくりと離れようとしたネムの肩を、ガッチリとホールドしたアルベド。
腰から生えた黒い翼がバサバサと動き、鼻息荒く少女に迫る姿はヒドインとしか言えない。
「あの偽乳で頭の悪いシャルティアより、モモンガ様に相応しいのは公私共に支えられるアルベドですと、そう伝えてくれるだけで良いの!! 上手くいけばもちろんお礼もさせて貰うわ。手付金としてこれを――」
「買収しようとするな!!」
モモンガは思わず飛び出してしまった。
勢いのままに手に持った杖でツッコミを入れてしまい、攻撃を行った事で〈
ちなみに杖はアルベドの頭部にクリティカルヒットしていたが、完全にノーダメージ。怯みすら発生していない。
流石は防御最強の守護者統括である。
「……アルベド、私の言いたい事は分かるな?」
「あぁ、も、モモンガ様!? これはその、えーと――そう!! 恋愛相談というものでございます!!」
「アルベド、謹慎三日間」
モモンガは薄々そうじゃないかと気づいてはいたが、アルベドは自分が関わるとポンコツになるらしい。言い訳も下手すぎるし、普段の冷静で賢い彼女からは想像もつかない慌てぶりだ。
慌てふためくアルベドを強制的に退出――レベル八十を超える本来は護衛用の忍者系モンスター五体がかり――させ、モモンガは深くため息をついた。
これは元々の彼女の設定上、仕方のない事なのか。
それとも、最終日に自分が少し弄ったせいなのか。
(いや、ビッチ属性を消して『実は妹という存在に甘くて優しい』って一文を追加しただけだぞ? それでこんな事になるのはおかしいだろ。元々の性格か、それとも創造主であるタブラさんの影響が強く出ているのか? でも、タブラさんはこんな暴走の仕方はしないし……)
ゲームが現実となった事で起こる差異。いまだに明らかになっていないNPCの性格や能力と設定の関係性に、モモンガは頭を抱える。
――タブラさん、ギャップ萌えってなんですか。
彼がアルベドにどんな思いを込めたかは測りかねるが、今は自分がどうにかするしかない。
リアルでの上司とのやり取りを思い出しながら、モモンガは部下を教育する事の難しさを酷く痛感した。
「はぁ…… すまん、ネム。アルベドは少々疲れているようだ。三日ほど姉の所で休養してもらう事にする」
「あはは…… 愛されてるね」
「重いなぁ。そろそろ本気で食べられそうだ。私はただのアンデッドで、体も骨なのに……」
ナニも無いモモンガでは、サキュバスであるアルベドの情熱的な愛に応えるのは無理だ。
もちろんアルベドだけに限らず、シャルティアの変態的嗜好にも応えられないし、仮に普通に求愛されたとしても自分では応える事が出来ないだろう。
元よりナザリックにいるNPC達は、ギルドメンバーの残した子供のように思っている。
そのため、モモンガは彼女達の事をそういう対象としては見辛いのだ。
そもそも強い感情はすぐに抑制されるので、自分には恋愛すら不可能だと思っている。
「よいしょっと」
「どうした?」
モモンガが黄昏れていると、ネムはいそいそと靴を脱いでソファーに登る。
そして、自分の肩にポンと手を置いた。
「頑張れ、モモンガ」
友からの軽いエール。その気軽さが、今のモモンガには却ってありがたかった。
アルベドの欲望に満ちた笑顔とは違う、慈愛に満ちたネムの笑みに僅かだがモモンガの心が軽くなる。
少し情けなくもあるが、自分はやはり恋人よりも友を求めているのだろう。
「今日は上手くいかなかったけど、私はまた手伝うよ」
「ありがとう、ネム……」
ネムの部屋、第一回目の結果。
――アルベドが氷結牢獄に入れられた。
ハムスケがついにナザリックの凄さを知りました。
今作のアルベドはマイルド仕様です。
設定を書き加えた際、それを考えたネムの優しさがほんの少し混じっているので、ギルメンへの憎悪とか裏切りとか不穏な要素は一切ありません。
ただしデミウルゴスの仕事は増えました。