「聖王国で昇級試験だ」
「某の出番が無くなってしまったでござる」
「仕事の調子も肌の調子も良いよ」
引き続き昇級試験編です。
ローブル聖王国での仕事も、連日続けばある程度流れが出来てくる。
午前は主に工事現場を手伝い、午後からは三人で城壁周辺の見回り。
その日の仕事が終わるとモモンガに魔法で送ってもらい、自分はこっそりと家に帰って寝ていた。
そして朝になると、また魔法で迎えに来てもらっていた。
「もうちょっとでお仕事も終わりだね」
「正直少し拍子抜けだったけどな。まぁ
今日も午前中は工事現場の仕事を担当し、主に資材を運ぶ手伝いをしていた。
自分もハムスケと協力してしっかりと働き、お昼を跨いでそろそろ陽が傾き始めている。
「国が違うと当然文化や風習も違うが、特に困ることはなかったな」
「うん。周りの人もみんな親切だったよ」
今は最後の仕事として、三人で城壁の内側の見回りをしている最中だ。
長いような短かったような仕事も今日で最終日。
あとは残りの砦を回って、最後に担当の人に報告をすれば終わりだ。
「壁の件については、大した情報はなかったでござるな。突然現れた悪魔を亜人と人間が協力して倒した事くらいでござる」
「この国が襲われるちょっと前に、亜人の集落とかも襲われてたんだって。それもあってこの国の人と亜人が協力したみたい」
「私の方もそちらについてはほとんど収穫なしだ。耳にしたうわさから予想すると、壁を壊したのは炎系の魔法かスキルだったようだが……」
見回りと言っても、ぼぼ等間隔で並ぶ小砦にいる人達に声をかけるだけの簡単な仕事。
そもそも常に気を張らずとも、何かあれば誰よりも早くハムスケが気づいてくれる。
大体は「異常無し」の一言で済んでしまっていたので、自分達は完全にお気楽モードだった。
「こちらの周辺は異常無しです」
「報告ご苦労さん。そうだ、アンタら国に雇われた冒険者だろ? 見回りの途中で悪いんだが、ちょっと手を貸してくれ」
このまますんなり終わるかと思いきや、何個目かの小砦に行った時、近くの工事現場の助っ人を頼まれた。
どうやら内容的にモモンガの出番らしい。
「全員で残ってもいいが、時間が無駄になるな…… 私がここに残って作業をするから、残りの報告は任せていいか?」
「うん。ハムスケと行ってくるね」
「見回りは某達に任せるでござる」
モモンガからの信頼に少しだけ胸を弾ませ、自分はハムスケと先を急いだ。
そして、更に二つの砦で問題なく報告を終わらせ、残るは一箇所。
モモンガは手伝いが終われば直ぐに追いかけると言っていたが、まだ追いついていなかった。
「もし早く着いたら砦で待ってようか」
「その方が良さそうでござるな。……むむ?」
「どうしたの?」
この分だと急いで戻るより最後の砦で待機している方が、途中で入れ違いにならなくて良いかもしれない。
そう思ってゆったりと進んでいたのだが、最後の砦向かう途中、急にハムスケの足が止まった。
「……ネム殿。多分でござるが、なにやら向こうの方から悲鳴のようなものが聞こえた気がするでござる」
「えっ、誰か怪我したのかな?」
「そこまでは分からないでござる。かなり微かな声だったので、某の思い過ごしかもしれないでござるが……」
ハムスケも今回は自信がないのだろう。
今はもうその声が聞こえないのか、難しい顔で悩んでいる。
「もしもの時のポーションもあるし、とりあえず急いで確認しに行こう!!」
「了解でござる!!」
でも、自分達の役割は見回りだ。
緊急事態かもしれないし、モモンガを待っている余裕はないかもしれない。
目的地からは少し離れるが、声が聞こえた方向に向かってハムスケは勢いよく走り出した。
◆
ハムスケの感覚を頼りにぐんぐんと進んできたが、この辺りにはもう人気がない。
仮設の休憩所なども見当たらないので、工事もまだ手を付けていない範囲なのだろう。
特に被害が大きかった場所なのか、周りにある建物もほとんど残骸のような有様だ。
「この匂い…… 嫌な予感がするでござるな」
途中からハムスケの進み方に迷いがなくなったけど、その代わり鼻を鳴らして何かを気にするようになった。
自分には分からないけど、魔獣の嗅覚は鋭いから嫌なものを察知したのかもしれない。
そうしてハムスケに揺られてしばらく進んだ先で、ぽつんと立つ人影を見つけた。
「――あら?」
こちらに振り返り優しい微笑みを見せたのは、白を基調とした修道服を着た人物。
猫をイメージするような可愛らしい容姿で、金色の髪をボブカットにした女性だ。
「……まぁ。こんなに小さな冒険者さんは初めて見るわ。それに立派な魔獣を連れているのね」
女性は見た目通りのお淑やかな声をしており、所作からもどことなく育ちの良さが窺える。
「迷子という訳でもなさそうですが…… こんな所までどうされましたか?」
自分の首にあるプレートに気付いていたからか、はたまたこの地の女性はみんな肝が太いのか。
ハムスケに乗ったまま近づいても、女性が怯えるような事はなかった。
寛容な聖女といった佇まいを崩さず、にっこりとこちらに問いかけてくる。
「あの、実はハムスケが悲鳴みたいな声に気づいて、それで……」
「ああ、驚かせてごめんなさいね。私がさっき叫んでしまったの。お祈り中に変な虫が飛んで来たから、つい――」
「ネム殿、気をつけるでござる」
ハムスケが短く後方に飛び、女性の言葉を遮った。
危ない。本当にいきなりだったから、危うくハムスケの背中からずり落ちるところだった。
「もう、急にどうしたの? ……ハムスケ?」
ハムスケは何も答えない。
普段は気ままに揺らしている尻尾を盾のように構え、明らかに目の前の女性を警戒している。
荒事なんて全く出来そうもない、どう見てもか弱そうな修道女を相手に、あのハムスケが脅威を感じて距離を取ったのだ。
「……某が聞いたのは、"男の悲鳴"でござるよ」
「へぇ、驚いた。喋れるなんて、かなり賢い魔獣なのね」
緊張を孕んだハムスケの指摘に、明るかった女性の声がワントーン低くなる。
浮かべた笑顔は変わっていないが、その瞳には薄らと獰猛さが宿っていた。
「その女の気配、ただ者ではござらんよ。――血の匂いが染み付いているでござる」
「――ぷっ、ふふ。アハハハハッ!! あーあー、バレちゃったかぁ」
まさに豹変という言葉が相応しい。
聖女から狂人へ。小さな笑みを湛えていた口は、裂けるように吊り上がった。
辺りに響き渡る甲高い笑い声には、不安を煽る狂気が満ちている。
「まさか魔獣如きに看破されるなんてねぇ。せっかく風花のやつらを撒いたのにぃ…… まぁ撒いたっていうか、殺しちゃったんだけどね」
「え?」
「なぁに驚いてんの? もしかしてまだ理解出来てなかった?」
恐ろしい自白にネムは呆然となった。
ただの修道女ではなく、この女性は殺人鬼だ。
聞き間違いではないかと思ったが、相手の態度がそれを明確に否定している。
「もうちょっとこの街で遊んでたかったんだけどなぁ。ここならテキトーにやっても、外に捨てれば亜人の仕業になって都合が良かったのに。そういやここだけで何人殺したかなー?」
女性は一人二人と人数を数え始める。
指折り数える動作が五つを超えたところで、もう覚えてないとでも言うように首をすくめた。
「みんな拷問される直前までは『おお、神よ』とか、『天罰がくだるぞ』なんて言っちゃってさ。大爆笑だったよ。――神が助けにくるかっての。ちなみに一番新しいのは、そっちの瓦礫の下だよ」
世間話でもしているかのような女性のトーンに、ネムは背筋が凍る感覚を覚える。
この女性は目的のために殺すのではない。
まるで趣味のように――殺すために殺すのだ。
それに気がついた時、ネムは無意識の内にハムスケにしがみ付く手に力が入っていた。
「近づいて来る某達に気づいて、慌てて隠したようでござるな。血の匂いと本性は隠し切れなかったようでござるが」
「なんでそんなこと……」
「人を殺すことに恋していて愛しているから、なんちゃって。うふふ、君はどう思う?」
女性の表情は笑ったり残念がったり、コロコロと変わり続けている。
「いやぁ、神に仕える神官とか聖騎士ってアホだよね。盗んだこの服着てるだけでそれなりに信用されちゃうし。まっ、別に貴女に恨みがある訳じゃないけど……」
何を考えているのか全く分からない。
最初は違和感のない修道服姿だったはずなのに、今ではこの女性が修道服を着ている事が不自然極まりない。
「――目撃者は消さないとね」
一瞬だけ真顔になった女性は、自分にも分かるくらい明確な殺気をこちらに向けた。
こんなのは普通の人間が出せるものじゃない。
自分が感じているこの感覚は、武器一つ持ってない人間に感じるものじゃない。
「お、お姉さんは……」
「自分を殺す相手の名前くらいは知りたいって? いいよー、教えてあげる。私の名前はクレマンティーヌ、よろしくねー」
言葉が上手く出てこない。
自分の形を成さない問いかけに、心底愉しげな女性――クレマンティーヌはニンマリとした笑顔で名を名乗った。
「元漆黒聖典で、元ズーラーノーン十二高弟だったりもしたかな。こう見えてかなり強い戦士だよ? 好きなことは人殺しでーす。あっ、拷問も大好きだよ。だけど、私ね――」
ハキハキと元気よく、時に囁くように。
質問もしていないのに、クレマンティーヌは自身のことをペラペラと喋り続ける。
――怖い。
悪い人という括りでは同じかもしれないが、そこらにいる野盗やチンピラとは質が違う。
「ビーストテイマーって、大っ嫌いなんだよねぇ!!」
残忍で恐ろしい自己紹介の途中、クレマンティーヌの嘲笑で歪んだ顔が憤怒に染まった。
「弱いクセに、たまたま持って生まれた才能ってやつ? ご立派な魔獣なんか使役して、ムカつくんだよ。強い道具に頼るだけの雑魚がっ」
これが彼女の本性なのかもしれない。
先程までの愉しそうな様子と違い、クレマンティーヌは明らかにイラついており、そこに彼女の本音を感じる。
でも初対面の自分相手に、どうしてここまで怒り抱いているのかは不明のままだ。
魔獣に嫌な思い出でもあるのか。いや、それにしては自分を見る目が憎々し過ぎる。
「は、ハムスケは道具じゃない!! 友達だもん!!」
「その通りでござる!! 某にとってもネム殿は友であり、大切な相棒でござる!!」
相手の狂気に呑まれまいと、ネムは勇気を振り絞った。
――大丈夫。自分は一人じゃない。
モモンガは今いないけど、頼りになる相棒が一緒だ。
「ネム殿。この者に対して加減は出来ないでござる。捕縛は諦めて、最初から首を取る気でやるでござる!!」
「う、うん!!」
「おっ、もしかしてやる気? このクレマンティーヌ様とやり合おうっての?」
精一杯の威嚇としてポケットからパチンコを取り出し、照準を合わせる。
同時にハムスケも臨戦態勢となり、全身に力を漲らせてクレマンティーヌを睨んだ。
「この服動き辛いんだけど、まぁ丁度いいハンデ…… 全然足りないくらいかな? 武器も一本でいっか」
クレマンティーヌは自身の服装を一瞥すると、余裕を取り戻した表情で笑う。
そして、服の袖に隠し持っていた武器を取り出すと、片手でもてあそび始めた。
「んふふ。それじゃあ、遊んであ・げ――」
その右手に握られた武器は短剣のようだが、よく見れば刃の部分が太い針のようになっている。
斬撃ではなく刺突に特化した武器、スティレットだ。
恐ろしく鋭い先端をチラつかされ、ネムは無意識に視線を引き寄せられる。
「――るっ!!」
瞬きの間にクレマンティーヌの姿が消え、気づいた時には目の前で腕を引いた彼女がいた。
――速すぎる。
全く反応出来なかった。あまりのスピードにパチンコを構え直す暇もない。
「ぁ……」
ハムスケの背中でネムは口をポカンと開けてしまい、完全に体が固まっていた。
時が止まったような感覚の中、自分はこのまま刺されると、ネムは他人事のように理解する。
それでも動けない。僅かばかりの気の抜けた声が出ただけだ。
「っ甘いでござるよ!!」
だが、友が襲われるのをそう簡単に見過ごすハムスケではなかった。
スティレットがネムの体を貫く前に、ハムスケの尻尾が頭上からクレマンティーヌを強襲する。
相手は既に飛び上がった状態。
空中での回避は物理的に不可能。
多少の重量と幅がある剣と違い、細く軽量なスティレットでは防御も不可能と思われた。
「そっちがね――〈不落要塞〉」
「なんとっ!?」
しかし、その予想は容易く覆されてしまい、ハムスケも驚愕を隠せない。
――尻尾がスティレットに弾かれた。
咄嗟に放った一撃とはいえ、スティレットの何倍もの太さと重さがあるハムスケの尻尾を、クレマンティーヌは受け流さずに真正面から防いだのだ。
しかも、尻尾を弾いた後もクレマンティーヌの体勢は全く崩れていない。
「はーい残念でした。私が本気なら今ので二回は死んじゃってるねー」
クレマンティーヌは間近で勝ち誇った笑みを見せつけると、ハムスケの顔を踏みつけて大きく後ろに飛び退いた。
「某の尻尾を完全に防ぐとは、なんという剛力。それでいて獣のような身のこなしでござる……」
「ちょっとー、力だけで防いだみたいに言わないでよぉ。今のは武技に決まってんじゃん」
これは駄目だ。あまりにも相手が悪すぎる。
自分はクレマンティーヌの動きを目で追う事すら出来なかった。
伝説になるくらい強いハムスケの攻撃ですら、簡単に防がれてしまった。
「でも見れて良かったねー。〈不落要塞〉が使える戦士って滅多にいないから」
前にデミウルゴスから教えてもらった話だと、武技とは鍛錬を積んだ才能ある戦士だけが使える技らしい。
つまりこのクレマンティーヌは――凄く強い戦士だ。
「――あの世で自慢したら?」
修道服を纏った獣はスティレットをぺろりと舐め、爛々とした瞳で獲物を見つめている。
自分とハムスケが無事なのは、クレマンティーヌの気まぐれの結果。
相手は今の攻防で自分達を殺せたのに、わざと見逃しただけだ。
(この女の人、危険すぎる……!!)
敵前で固まってしまった自分を叱責しながら、ネムはどうするべきか考える。
自分達は完全に遊ばれている。即座に勝負をつけないというのは、いつでも殺せるという自信の表れだろう。
正直なところ、逃げの一択かもしれない。
「ならばっ〈
「ちぃっ、精神系か!? こんな、手が……」
クレマンティーヌが再び距離を詰めてくる前に、ハムスケは即座に次の手を打った。
魔法の発動に合わせてハムスケの体にある模様が光り、油断していたクレマンティーヌの動きが僅かに鈍る。
凄い。モモンガといつも一緒にいるせいですっかり忘れかけていたが、ハムスケも魔法が使えたんだった。
「――効くかぁ!!」
しかし、咆哮を上げてクレマンティーヌはハムスケの魔法を
なんて無茶苦茶な人間だろうか。
何かタネがあるのかもしれないが、気合いで振り払ったようにしか見えない。
「ネム殿、ここは一時撤退でござる!!」
「うん!! 逃げよう!!」
手札を使い切ったハムスケの判断は早かった。
力強く大地を蹴り、一番頼りになる存在と合流するべく全速力で走り出す。
その反動で体が振り回されそうになるが、自分だって同じ失敗はしない。
こんなこともあろうかと、ネムはあらかじめハムスケの背中にしっかりとしがみ付いていた。
(っ早く砦の人達に、モモンガに伝えなきゃ!!)
見回りを任された以上、こんな危険人物は放置出来ない。
でも、自分達で相手をするのは危険過ぎる。
力になれなかった無力感に苛まれ、気持ちだけが先走る中、ネムはしがみ付く両手に力を込め続けた。
◆
走りながら背中にしがみつくネムを尻尾で固定し、ネムの体が耐えられるギリギリの速度までさらに加速しようとするハムスケ。
行きと同じ道を折り返しているが、モモンガと合流出来そうな場所まではまだ距離がある。
それでもこの速さなら、五分もしない内に辿り着けるだろう。
「しばしの我慢でござるよ!! この速度なら、あの女には追い付かれないはずでござるっ」
ハムスケは先ほどの攻防でクレマンティーヌの瞬発力を体感したため、仮に追いかけられても振り切れる想定の速度を出している。
おかげで吹き付ける風と振動が強すぎて、もはやネムはまともに返事をするのも難しい。
だが、乗り心地は最悪でも安心は出来る。
土煙をあげ爆走するこのハムスケに追い付ける人間など、普通はいないはずだ。
「――逃すかよ」
しかし、風の唸りに混じった冷淡な声を、ネムは聞いてしまった。
「っぁが!?」
「ハムスケっ――!?」
意識外から体に走った鋭い痛みに、全力疾走中のハムスケは驚きも含んだ悲鳴をあげる。
驚異的な速度で追いついてきたクレマンティーヌが、ハムスケの右後ろ脚をスティレットで突き刺したのだ。
一度相手の動きを見たからこその、人間相手には追いつかれないという僅かな油断。
そしてネムを気遣い、走る事に意識を割き過ぎたのが仇となった結果だ。
「これでおーしまいっ!!」
狩人の如き目をしたクレマンティーヌの追撃は止まらない。
そこから跳ねるように跳び上がると、スティレットを逆手に持ち替え――
――ネムの無防備な背中に突き出した。
「――んぐぐっ。……ね、ネム殿っ!! ネム殿大丈夫でござるか!?」
ハムスケは体勢を崩し、勢い余って顔から地面を引きずるようにして止まる。
背中に乗っていたネムも急停止と背中に受けた衝撃には耐えきれず、ハムスケの前方へ転がり落ちていた。
「――う、ん。い、痛い……けど大丈夫。でもハムスケが……」
「ネム殿ぉ、すまないでござる。某が油断したばかりに…」
ネムは軽く咳き込みながらも顔をあげる。
背中に受けた一撃は呼吸を忘れるくらいの衝撃だったが、奇跡的に軽い打撲と擦り傷で済んでいる。
一方でハムスケが後ろ脚に受けた傷は深く、傷口からはとめどなく血が流れていた。
即座に体勢を整えてはいるが、もう先程のように走るのは無理だろう。
「もう、いきなり逃げるなんて酷いじゃん。追いかけるの大変だったよ?」
ネムがふらついた意識をはっきりさせるまでの間、幸いにもそれ以上の追撃はなかった。
軽口を叩きつつも、クレマンティーヌが襲いかかる気配はない。
「それにしても、硬かったなぁ。今、肉に刺さんなかったよね?」
クレマンティーヌも平然を装ってはいるが、武技を重ねがけして全力でハムスケを追ったため、かなりの体力を消耗していたのだ。
もう一つの理由として、ネムが予想外に軽傷だった事も関係している。
(武器に異常はない。防御系の武技で防がれた? ……んなわけないか。あんなガキに武技が扱えるはずもないし)
少し息を切らしたクレマンティーヌは目を細め、手に持ったスティレットの先を眺めた。
本体は上質なミスリルで出来ており、さらに希少金属のオリハルコンでコーティングまで施された強力な武器。
これまで何人もの命を奪ってきたお気に入りの凶器でもあり、自身の手に非常に馴染んでいる。
「魔獣にはちゃんと刺さったんだけどなぁ。魔法で防御された感覚でもなかったけど……」
馬鹿にしたような台詞とは裏腹に、クレマンティーヌは真剣に考察していた。
自身の鍛え上げられた技と力を合わせれば、鉄板程度なら容易く貫通出来る。それだけの鋭利さがこの武器にはあるのだ。
現に魔獣にはしっかりと傷を与えている。
防具も装備していないただの少女を貫けず、疑念を抱くのは当然だ。
「お嬢ちゃん背中に何背負ってんのさ。魔獣の皮膚より硬いとか、もしかしてアダマンタイトの板でも仕込んでた?」
即死させるほど強く刺したつもりはないが、無傷で済ませるほど優しくしたつもりもない。
狂気的な行動や性格に反して、クレマンティーヌの戦闘に関する判断は冷静で慎重だ。
クレマンティーヌは自身でもありえないと思いながら、うつ伏せに倒れたネムの背中を凝視した。
(……残りの可能性としてはマジックアイテムくらいか。マントの下に見えてるのは、バックパック?)
ネムが着ている特筆すべき点のないマントと、その下にある荷物袋――背負っていたリュックには、ちょうどスティレットの幅と同じサイズの穴が空いていた。
しかし、服に血は一滴も滲んでいない。
「っハムスケ、早く手当てしなきゃ」
「これくらい問題ないでござる。それよりも隙を見せない方がいいでござる。薬はまだ温存するでござるよ」
クレマンティーヌが訝しげに観察を続ける中、ネムは痛みを堪えながら起き上がろうとする。
その時、衝撃で開いていたリュックの口から、ネムを守った物の正体がこぼれ落ちた。
「あ、これ……」
ネムが拾い上げたのは、金属光沢を放つ折り畳まれた物体。
ハムスケをブラッシングする時にネムがいつも使っているブラシで、とある露店の店主から閉店の記念にと貰った物だ。
「は? なにそれふざけてんの?」
それを目にしたクレマンティーヌのこめかみに、ピクリと血管が浮かび上がる。
まさかとは思うが、状況証拠が信じ難い奇跡を彼女に叩きつけていた。
「偶然剣先がブラシに当たった? そんな理由で……」
英雄の領域に足を踏み入れた、戦士として超一流の自負がある自分の刺突。
――それが日用品如きに防がれた。
「運が良いだけで、この私のっ!! クソがクソがクソがぁ……」
しかも、本気でなかったとはいえ、自分の一撃を受け止めたはずの道具には、目立った傷すら付いていない。
――クレマンティーヌの中で何かが切れた。
もはやネムを守った物が本当にブラシだったのかどうかは関係ない。
事実として、自分の攻撃で無傷の少女がいる。
既にクレマンティーヌのプライドはズタズタに傷付けられていた。
「ムカつくにも程があんぞ。……ぁあ、もう簡単には殺してあげないよ」
クレマンティーヌは怒りで歪んだ顔を意志の力で一旦真顔に戻し、不敵な笑みを浮かべ直す。
だが、その内側では煮えたぎる感情が渦巻いていた。
銅級程度の小物に抱く感情ではない。なんて殊勝な考えは、クレマンティーヌの中には微塵もなかった。
そもそもビーストテイマーというだけで、ネムはクレマンティーヌの思い出したくない過去に触れているのだから。
「……この威圧感。人間でこれ程のものを発する存在には、某も今まで会った事がないでござる。本気で不味いでござるな」
「うん。何考えてるのか分かんないし、あの人、変だよ……」
呪詛のような苛立ちを吐き出し、今日一番の作り笑顔で少女と魔獣に微笑みかけた。
そして、クレマンティーヌは誓いにも似た決意を固める。
ただ拷問するだけでは腹の虫が治らない。
その瞳から光が消えるまで、決して殺しはしない。
じっくりとゆっくりと追い詰めて、僅かな希望すら奪い尽くして、絶望させてからが本番だ。
「全力で苛めてあげるから、精々死なないように頑張ってね?」
――二人の身も心も、徹底的に壊してやる。
◆
まさに絶体絶命の大ピンチ。
狂った殺人鬼から逃げる事も叶わず、ハムスケも負傷してしまった。
きっとまともに戦っても、自分達が無事でいられる確率は低い。
「ハムスケ、耳貸して――」
だけど諦める訳にはいかない。
首にある冒険者プレートを握りしめ、ネムは密かに覚悟を決めた。
一つ思いついた事があるが、上手くいく可能性は低い。でも、やるしかないのだ。
クレマンティーヌの憎悪の高まりを感じ取りながら、ネムは今しかないとハムスケに顔を近づける。
「――なっ!? 無茶でござる。今の某でも、足止めならなんとかやってみせるでござる。ネム殿だけでも先に逃げた方が……」
「ダメ!! それだとハムスケがやられちゃう!! 早くやるの!!」
「わ、分かったでござる」
いつまでもこうしていられる保証はない。
自分の提案を拒むハムスケを、ネムは勢いで押し切った。
「まさか作戦会議? アハッ、まだ何とかなるとでも思ってんの? いーよー、待っててあげるから好きにすれば」
相手の考えは分からないが、クレマンティーヌは今ダラダラしている。
気は抜けないけど良かった。今襲い掛かられたら、一巻の終わりだった。
「こうなれば一蓮托生。某も賭けに乗ったでござる!! さぁ、気合を入れるでござるよ、ネム殿!!」
「うん!! お願い!!」
言うが早いか、ハムスケはネムに尻尾を巻き付け、空に向かって真っ直ぐに伸ばしていく。
普段のネムが耐えられる高さを軽く超え、それでも上昇は止まらない。
震えが尻尾を通して伝わってきても、ハムスケはネムを信じて尻尾が伸ばせる限界まで、高く高く伸ばしていった。
(こ、こわっ――いけど怖くない!!)
地に足がつかない浮遊感。
いつもより強く肌で感じる風。
そして圧倒的な高さ。
落ちたら死ぬという恐怖を生きる希望で無理やり押し潰し、ネムは辺りを見渡した。
視界を遮る物は何もない。シズに教えてもらった通り、これだけ高ければ遠くまで見えるはず。
――見つけた。
自分の手のひらよりも小さいサイズだが、遠くの地表に黒い塊が見える。
早歩き程度の速度で、ゆっくりと小砦の方向に向かっている。
あの黒光りした塊は、きっと鎧を着たモモンガのはずだ。
「っモモンガーーっ!!」
遠過ぎて声が届かないのは分かっている。
それでも届けと願いながら、ネムは思いっきり息を吸い込んで力の限り叫び――パチンコを撃った。
(お願い。気づいて……)
石でも木の実でも、何でも同じように飛ばせるのが、この魔法のパチンコの凄いところだ。
だからネムは首から外したプレートに、自分の血を付けた上で飛ばした。
たとえ声は届かなくても、高い所からなら弾は届くかもしれないと信じて――
「いやぁ、さっきのは大道芸? 休憩にちょうど良かったし、けっこう面白かったよー」
ハムスケに地面に下ろしてもらっても、早鐘を打っていた心臓の鼓動は中々戻らない。
一番心配していたのは妨害だったが、自分が戻るまでクレマンティーヌは動かなかったようだ。
「ああん、でもどうしよう。お仲間を呼ばれたら流石の私も困っちゃう!!」
「ぐぬぬ…… いちいち癇に障る女でござる」
クレマンティーヌは自身を抱きしめるようなポーズで体をくねらせ、わざとらしい悲鳴を上げた。
自分達が何をしていたのか、相手にもしっかりバレている。
でも、クレマンティーヌはカケラも困っていない顔だ。むしろ獲物が増える事を楽しんでいるのだろう。
「笑ってられるのも今のうちだよ!!」
「そうでござる。モモン殿が来てもその余裕が保てるか、見ものでござるな」
「うわー、あんなやり方で助けが来るとかマジに思ってる? モモンとか知らないし、そもそも私とまともにやりあえる奴なんて、世界中探してもほとんどいないよ」
少しだけ分かった事もある。
クレマンティーヌは戦士として自信家で、凄くおしゃべりだ。
実力に見合った高いプライドがあるのだろう。
こちらが何か反応を示せば、必ずと言っていいほど言い返してくる。
だから少しでも長く時間を稼ぐため、自分はちょっとでも口を開き続けた。
「モモンはすごいもん」
「だからそんな無名の奴なんか知らないって。仮に誰かが来ても無駄。この国だと…… レメディオス・カストディオとかなら良い線いってたけど、一回死んで弱っちゃったらしいし、今は相手にならないだろうなぁ」
もしかしたら、時間稼ぎをしている事すらお見通しなのかもしれない。
こちらに打てる手を全て使わせて、その上で全部叩き潰してやるとでも言いたげな瞳だ。
だとしてもこっちはその油断と慢心につけ込むしかない。
「でも、助けが来るかもとか信じてる奴をいたぶるのって、最高に笑えるんだよねぇ」
「来るかもじゃなくて、来るよ。絶対に」
「へー、随分と信頼してるのね」
クレマンティーヌは無駄な足掻きと決めつけたように、ニヤニヤと笑いながらこちらを眺めている。
「お仲間が来た時に君がボロボロになってたら、そいつどんな表情するんだろうね? よくも仲間をっ!! とか言って激昂したり? すっごい楽しみー」
「そんなこと某がさせないでござる!!」
クレマンティーヌの挑発をかき消すように、脚を負傷しているハムスケは無理して力強く立ち上がった。
苦痛に顔を歪めたが、ハムスケの闘志は死んでいない。
自分もそんなハムスケを援護するべく、しっかりと相手を見据えてパチンコを構えた。
「おっ。てっきりオモチャかと思ってたけど、もしかしてそれ魔法の武器?」
「当たったら痛いよ」
「ふーん。じゃあ、そろそろサービスタイムはおしまい。当てれるもんなら、当ててみな――!!」
狙いを付けていた場所から、突然クレマンティーヌの姿が消えた。
本当に同じ人間とは思えない、目にも止まらぬ移動速度だ。
でも、自分には無理でもハムスケなら対応出来る。
「そこでござる!!」
クレマンティーヌの突進を妨害するように、ハムスケの尻尾が横薙ぎに振るわれた。
――〈不落要塞〉
尻尾と金属がぶつかり合う音が響く。
あんな細い腕でどうやって受け止めているのか、クレマンティーヌはまたしてもハムスケの攻撃をスティレット一本で防いだ。
「ネム殿!!」
「当たれ!!」
だけど自分達の攻撃はまだ終わりじゃない。
ハムスケの声を合図に、相手の足が僅かに止まったところへパチンコを二連射。
一発目は外してしまったけど、もう一発はクレマンティーヌの胸元に向かってちゃんと飛んでくれた。
しかし、それもあっさりとスティレットで弾かれてしまう。
「なーんだ。期待して損しちゃった。魔法の武器なんか使ってる割に、しょっぼい攻撃ねぇ。ていうか、ほんとに攻撃?」
悔しいなどの感情はもはや湧いてこない。
ネムは少しでも時間を稼ぐべく、ハムスケの尻尾攻撃に合わせてがむしゃらにパチンコを撃ち続ける。
ストックしている弾が尽きそうになれば、そこらに落ちている石でも木片でも、それこそ何でも拾って撃ち込んだ。
でも、一発も当たらない。擦りもしない。
自分達の攻撃を同時に捌きながらも、クレマンティーヌには明らかな余裕があった。
「ほらほら、ちゃんと狙わないと当たんないよ? 魔獣の方も精度が落ちてんじゃない?」
相手は挑発を続けながら、動き辛い修道服で軽やかにステップを刻んでいる。
いくらでも隙はあるはずなのに、クレマンティーヌは仕掛けてこなかった。
襲い掛かるフリだけして、自分達が右往左往するのを見て楽しんでいる。
攻撃をスティレットの先端で弾くという、無意味に高度な技を見せつけて、こちらの心を折ろうとしてくる。
「なんか疲れてきたなぁ。もう他に作戦とかないの?」
無残な攻防が続き、どれくらい時間が経過したのか。
相手は微塵も疲れていない態度で欠伸をして、言外にこちらの行動が無駄だと伝えてくる。
事実、いくらパチンコを撃っても手応えがなさ過ぎて、他の不安まで連鎖して頭に浮かび始めていた。
「全然当たんない……」
「当たらずとも牽制にはなっているでござる。それに諦める程ではないでござるよ、ネム殿。あの方々に比べれば、こんな奴雑魚に等しいでござる」
「あァ?」
アレがちゃんとモモンガに届いたのか。
届いていたとして、意図がちゃんと伝わるのか。
助けがいつ来るのかも分からない状態で、延々と耐え続けるのは精神を削られる。
「ここを耐え凌げば某達の勝ちでござるよ。もう一踏ん張りでござる!!」
「うん!!」
ハムスケは励ましてくれるが、返した返事と裏腹に自分の体は重い。
気力と体力を激しく消耗したせいで、段々とパチンコを操る動作も遅くなってきた。
「……尻尾振るしか能がない獣が、この私に向かって雑魚だぁ? そっちのガキも強がってないで、そろそろ諦め――」
「まだまだでござるよ!!」
不意に、後ろ脚を負傷しているハムスケが片脚だけで地を蹴って、クレマンティーヌに飛びかかった。
尻尾で攻撃するばかりでハムスケ自身はもう動けないと思っていたのか、急激に迫る巨体にクレマンティーヌの目が少しだけ見開かれる。
「ちぃっ!!〈不落要塞〉!!」
「今度こそ、もらったでござる!!」
繰り出されたのは、尻尾と爪を合わせた多段攻撃。
散々尻尾を武技で防がれ続けたからこそ、ハムスケが見つけた僅かな勝機。
――この武技の連続発動には限界がある。
先程までと同じように尻尾は一方的に弾かれてしまったが、続くハムスケの爪はクレマンティーヌを射程内に捉えた。
「――〈流水加速〉」
しかし、両手を交差するように放たれた叩きつけは、ほんの僅かな隙間を縫うようにして躱されてしまう。
まるでクレマンティーヌの時間だけが加速して、ハムスケの動きが遅くなったようだ。
「てめぇの策なんか無駄なんだよ!!」
「がっ――!?」
躱した勢いそのままにスティレットが振るわれ、鋭い先端がハムスケの鼻先を切り裂いた。
そして、クレマンティーヌが隠し持っていた二本目のスティレットを手にする。
「死ね」
ぞっとする言葉を添えて、怯んだハムスケの肩に二本のスティレットが突き立てられた。
「まだ終わりじゃないんだよ!!」
さらに、クレマンティーヌが捻るようにスティレットを動かした瞬間――真っ赤な炎が刀身から溢れ出した。
「アハッ、アハハハハッ!! ついでにコイツも喰らっとけ!!」
爆炎に包まれ、もう片方のスティレットからは電撃まで迸り、ハムスケの悲鳴はかき消される。
代わりに響き渡ったのは、狂ったように笑う女の声。
そして、それを目にした自分の悲鳴だった。
「……ぐっ、がはっ」
「おー、さすが魔獣。生命力すごいねー。〈
「……無念で、ござる」
焼け焦げた匂いが周囲に広がり鼻につく。
クレマンティーヌが飛び退くと同時に、巨体を包んでいた炎と電撃が消え、ハムスケは仰向けに崩れ落ちた。
「ネム殿…… 早くっ、に、逃げるでござる……!!」
苦しさと悔しさが混ざった目で、ハムスケは自分に訴えかけてくる。
しかし、自分はすぐに動けなかった。
今の一瞬で何が起こったのか、まるで飲み込めなかった。
ハムスケが突進したと思ったら、急に燃えてビリビリと光って倒れた。そんな風にしか見えなかった。
「ハム、スケ…… っすぐに、すぐポーションを使うからっ!!」
「来ちゃ、ダメで、ござる……」
呆然と相棒の名前を呟き、一拍置いてネムは意識を再起動させる。
一刻も早くポーションを使わないと不味い。
ハムスケの肩周りは黒く焼け焦げ、部分的に毛皮がなくなりピンクの肉が見えている。
痺れたようにぴくぴくと体を痙攣させている。
いくらハムスケが頑丈な魔獣でも、このまま放置すればきっと命に関わる。
「させると思う?」
ハムスケの言葉を無視して近づこうとした自分の前に、両手にスティレットを持ったクレマンティーヌが立ち塞がった。
あと少しで手が届くのに、自分とハムスケの距離はずっと遠くなってしまう。
「もう助けてくれる人はいないよー。あっ、そいつは人じゃなくて魔獣だったか。ごめんね、お姉さん間違えちゃった」
腕をだらりと脱力させ、裂けるような笑顔を見せるクレマンティーヌ。
先端からポタポタと血が垂れている二本のスティレットは、ネムが意識しないようにしていた"死"を思い起こさせた。
「ぁあ、ぁぁ……っ!!」
――ここで泣いたら折れてしまう。
邪魔しないでと、ネムは消えかけている戦意を込めてパチンコを撃ち込んだ。
至近距離からの射撃。これなら絶対に外さない。
痛手にはならないだろうが、ちょっとでも怯んだ隙にポーションを使えれば――
「当たるわけねーだろ。武器を持つんなら、せめて
駄目だった。目の前の敵にとって、距離など関係なかった。
クレマンティーヌのお腹辺りに飛んだ弾は、あっさりと片手でキャッチされ、握り潰された。
「さっきから気になってたんだけどさぁ。それ、ちゃんと使ったことないでしょ」
「……あるもん。いっぱい練習したもん!!」
自然と構えていた腕は下がり、視線も地面を向いていた。
自分はまだ五体満足で、武器だってある。
なのに、パチンコを強く握り締めているのに、次を撃つ気力が湧いてこない。
相手の顔をまともに見ることも出来ず、残された僅かな意地で、項垂れたまま言い返す事しか出来なかった。
「アホか。アンタ戦い舐めてんの? 下手くそなのか無意識なのか知らないけど、顔とかの急所、全然狙ってないよね?」
根本から間違えているのだと、馬鹿にしたように言葉を吐き捨てられる。
絶望的な状況での指摘は、嘘か本当か分からずとも自分を酷く混乱させた。
「ぬるすぎて反吐が出る。テメェの攻撃には殺意がねぇんだよ。相手を殺す意思も、戦う覚悟もない」
「そん、な……」
クレマンティーヌから放たれる、体を射抜くような威圧感。
たとえ目を合わせずとも、それは自分の体の自由を簡単に奪った。
「ビーストテイマーだろうがなんだろうが、戦う者として失格ね」
自分はダメな冒険者だったのだろうか。
こんな命の懸かった瀬戸際でさえ、覚悟が持てない弱い存在だったのだろうか。
「君がもう少しまともに支援できてたら、そこの魔獣も負けなかったかもねぇ」
その姿が見たかったと言わんばかりに、クレマンティーヌは楽しそうに語りかけてくる。
家族には守られて、友達にも助けてもらうばかりで、自分は一つも役に立てない。
せっかく冒険者になったのに、約束したのに。
結局あの時から、自分はちっとも成長出来ていなかったのか。
「手札はぜーんぶ使い切って、何も出来ないってどんな気分? 自分の弱さに絶望しちゃったぁ?」
「……某の友を、侮辱するなでござる」
「魔獣のいないビーストテイマーとか役立たずでしかないでしょ。……あの男も、このガキもっ、ビーストテイマーなんて所詮は自分一人じゃ戦えないゴミなんだよ!!」
「ネム殿は、戦うために冒険者になったのではござらん。ゴミなんかじゃないでござる!!」
ガリガリと土をひっかく音が聞こえる。ハムスケはまだ頑張ろうとしている。
でも体を震わせるのが精一杯で、まともに立ち上がれていない。
――自分がもっと強かったら。
煽り言葉だと頭で分かっていても、クレマンティーヌの嘲笑は自分の心に深く突き刺さる。
「……そーだ。コイツ見捨てるなら、君は見逃してあげよっか?」
優しい声で紡がれる、甘い毒のような台詞。
生存という、一筋の希望が急に目の前にぶら下げられた。
きっと罠だ。
罠に、違いないのに。
「ほら、友達だか相棒だかを見捨てて逃げればいいじゃん。しょせんは使役してるだけの魔獣でしょ?」
「ち、違う。ハムスケは……」
「ネム殿。某は気にせず、行くでござるっ。早く!!」
――やめて。
弱い心が内側から溢れそうになる。
――やめて。
これ見よがしなクレマンティーヌの言葉は、自分の死にたくないという気持ちを、これでもかと刺激してくる。
――やめてっ。
そんな自分に、苦しそうに掠れた声で、ハムスケは必死に逃げろと伝えてくる。
「ほら、魔獣も逃げろって言ってる事だしさぁ。逃げてもいいんだよぉ?」
可能性は低いけど、今逃げれば本当に助かるのかもしれない。
そうだ。家族とは必ず無事に帰ると約束していた。
今逃げたって、モモンガさえ来てくれれば後からなんとかなるかもしれない。
ごめんね、ハムスケ。自分が残っても――
「……ぃ、ゃだ」
口から漏れた小さな本音は、折れかけた自分にとって意外なものだった。
弱くて役に立てなくても、自分は家族に顔向けできないような最低な存在ではなかったようだ。
「声が小さくて聞こえないなぁ…… 最後のチャンスだけど?」
クレマンティーヌの脅すような声に、自分の体は震えて負けそうになる。
だけどあの日、騎士に立ち向かった両親はきっとそんなこと考えなかった。
自分の手を取って走った姉は、命を捨てて盾になろうとした姉は、こんな気持ちに負けなかった。
「嫌だっ!!」
ネムは顔を上げて叫んだ。
もし倒れているのが見知らぬ誰かなら、自分は逃げていたかもしれない。
自分のこれは、意味のない我儘かもしれない。
だけど、家族や友達が危ない目に遭っているのに、見捨てて自分だけ逃げるのは――もう嫌なのだ。
「ふーん。それでいいんだ」
「……っ!!」
顔を上げた自分の視線と、こちらを見下ろすクレマンティーヌの視線がぶつかり合う。
まとわりついてくる肉食獣じみた気配。
次の瞬間にも、自分はあの凶器で貫かれているのだろう。
それでも自分はただ真っすぐ、今にも涙が零れそうな顔に力を入れて、クレマンティーヌの冷たく残忍な目を真正面から見つめ返した。
「つまんないの。……弱い奴が意地張っても意味なんかないんだよ」
お互いに動かぬまま、一秒が経ち、二秒が経ち、三秒が経ち――クレマンティーヌは当てが外れたように悪態をつく。
「あーあー。仲間見捨てて逃げる馬鹿を後ろから刺すのが最高なのに……」
そして、心底つまらなそうに視線を逸らした。
「ホント興醒め。魔獣も無駄に足掻くし。友情ごっことかくだらない。テメェも役立たずの雑魚らしく、手足潰してさっさと拷問して――」
再びこちらを向いたクレマンティーヌが短く息を吐くと、一際強い強い殺気が溢れ出す。
段々と勇気が底をつきかけ、ネムの目から涙が零れそうになった。
しかし、その前にスティレットを構えたクレマンティーヌの体が、何かを察知したようにピクリと動く。
『――それは違うな』
風に煽られた布がバサバサとはためく音が聞こえ、自信に満ちた力強い声が木霊する。
ネムとクレマンティーヌの間に黒い影が落ち、点のようだった影は急速に大きくなっていく。
「某達の、勝ちでござるな……」
「うん…… うん!!」
顔を顰めて警戒するクレマンティーヌとは真逆に、満身創痍のハムスケは力を抜いて安心したように呟く。
ネムも同意するように頷き、待っていた希望に顔をゆるませた。
「どこから…… まさかっ!?」
一瞬だけ空を見上げたクレマンティーヌは、舌打ちをして後ろに飛び退く。
――次の瞬間、盛大な地響きを立てながら、漆黒の全身鎧がネムの前に着地した。
「……ハムスケの行動は無駄ではない。ネムも決して役立たずなどではない」
土埃の中で漆黒の輝きが希望のように煌めく。
来てくれた。
自分に勇気をくれる優しい背中。
いつも自分を助けてくれる、心強い友達が来てくれた。
「他にも色々と言ってやりたい事はあるが――」
着地の衝撃に身を屈めていた、漆黒の全身鎧を纏う戦士――モモンガが、真紅のマントを翻して立ち上がった。
「私の敵は、お前だ――なぁぁあっ!?」
「いきなり出て来て説教とか、興味ないんだけど」
「モモーンっ!?」
「モモン殿ぉお!?」
――そして顔面をスティレットでぶっ刺された。
人類最高峰の戦士、クレマンティーヌとの戦い。
どうあがいても勝てないので、ネムとハムスケにとってかなりの試練になりました。
モモンガも冒険者中はある程度の怪我などは仕方ないと考えています。
それでも、もしネムが重症を負わされてたら相手は悲惨な結果になってたはず。
モモンではなく、モモンガとしてネムと遊んでいる時に遭遇していたら、クレマンティーヌは即殺されてるかも。