邪神様が見ているin米花町   作:亜希羅

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 時計塔の先は漁村だった。しとしと降りしきる小雨。出迎える住民は青ざめた肌に磯臭い魚面だった。
 漁村と言っても、明らかに魚じゃない、ナメクジとイカのあいのこのような海産物がたるにガン積みにされて、人間など一飲みにできそうな巨人めいた魚人と、下半身の巻貝を引きずる貞子みたいな女がそこかしこを徘徊する、住民の村落である。
 時計塔の向こうは漁村だった。悪夢でしかない。
 こんなところ二度と来るかと、私は手にしていたそれを井戸に投げ捨てた。巨大魚人がそれを追って二匹ばかり井戸に飛び込んでいたが、知った事か。

 コナン本編に入る前に番外編です。#2における赤井さん視点の話です。
 最初、こちらで書き上げたのですが、ドチャクソ長かったので、番外扱いにしました。
 番外編はこんな感じで、他キャラの視点になります。読まなくても多分、本編進行には一切支障はありませんので、あしからず。


阿鼻叫喚の探索者たちによる番外編
【番外編α】インスマスより邪悪を込めて


 インスマス。

 

 それは、知る者が聞けば、何より忌み嫌う土地だとピンと来るだろう。

 

 腐った海草の臭いが満ちた、取るに足りない小さな港町。しかし、そこに住まう住人は、悪性の皮膚病を風土病さながらに患い、魚、あるいはカエルに似たような面構えの持ち主ばかりなのだ。(加えて非常に排他的である)

 

 1927年から1928年にかけての冬に、彼の地を邪教の吹き溜まり、化物の巣窟として、爆弾の投下、沖合にある悪魔の暗礁の破壊に、政府並びにウィルマース・ファウンデーションが直々に乗り出したことを思えば、彼の地がどれほど忌まわしく邪であるか、お分かりいただけるであろう。

 

 

 

 かく言う、コードネーム:ライ、偽名:諸星大、本名:赤井秀一という男も、それは重々承知している。

 

 ・・・何しろ、FBIの履歴書からも消してはいるが、彼は大学時代を、アーカム市はミスカトニック大学で過ごしたのだから。

 

 加えて、人類の切り札と銘打たれるラバン=シュルズベリィ教授が自らの後継と称するほど、彼に気に入られ、在学中はしょっちゅう神話事件に巻き込まれ、あるいは自ら首を突っ込んでいたのだ。(700ヤードも可能とする狙撃能力も、このドサクサで培われたのだ)

 

 自らの旺盛な好奇心を、赤井はその当時はひどく恨んだらしい。

 

 

 

 閑話休題。

 

 父の死の真相を知るという目的のために、FBIに入るという目標を掲げていた赤井は、どこまでも愚直であった。

 

 ゆえにこそ、大学、そしてその背後にあるウィルマース・ファウンデーションの引き留めを振り払い、当初の目的通りFBIに入った。

 

 もう二度と、あんな超常の世界に係わるまい。

 

 赤井は強く誓った。

 

 ゆえにこそ、悍ましい知識の詰まった大学時代のレポート(大学の図書館に所蔵してある魔導書からの抜粋編集文書)は、他者の目の届かない場所に保管する必要こそあれど、好き好んで手に取ろうとはしなかった。

 

 ・・・一度だけ、恋人(一応)である宮野明美がそれを手に取っていたのを目撃した時は、心底肝が冷えた。(幸い、目は通してなかったのだが)

 

 あわてて取り上げ、絶対に手の届かない金庫に放り込んだのは、記憶に新しい出来事である。懇々と、二度と触るなと言い聞かせたことも忘れてはならない。

 

 怪訝な顔をしつつもうなずいた宮野明美であったが、その柔和な顔に差した焦燥と、垂れ目が物欲しげに金庫を見やったのを、赤井はけして見逃さなかった。

 

 一度、人智の外れ、蒙を啓いた先の世界を知ってしまえば、けして人は後戻りできない。多かれ少なかれ、それを抱えて生きていくということを赤井は知っていたが、余波を広げるのは彼の本意ではなかった。

 

 大学を卒業してから、その手の怪異に遭遇したことは全くなく、父の仇である犯罪組織への潜入捜査も極めて順調であり、ようやく自分も本来の目標に集中できると安堵していたのだ。

 

 

 

 だから、こんな形で再び関わることになろうとは、まったくもって想定外だったのだ。

 

 

 

 「断る」

 

 そう言葉を発した自分の口元が引きつってはいないか、赤井は思ったが、それよりも声が普段の淡々調子よりも幾分も硬いことに自分でも気が付いた。

 

 「ホー?いつからテメエはそんなに偉くなりやがった?」

 

 煙草を加えてニヤニヤと言い放つジンを、この啓蒙低いクソガキが、と罵倒したくなるのを堪え、赤井――ライは口を開く。

 

 「情報を持ち逃げされたのは、そちらの落ち度だろう。

 

 百歩譲って俺たちが追って始末するのはわかる。だが、行先がインスマス?バカも休み休み言え」

 

 「何だよ、ライ。インスマスってところ、知ってるのか?」

 

 不思議そうに尋ねてきたのは、チームを組んでいるスコッチというコードネームの男だ。

 

 無精ひげの、温厚そうな男は、その見た目とは裏腹に的確なスナイプをする。

 

 「大方、怖気づいているんでしょう?

 

 何しろ、あの町は地元民の間では、忌避されてると有名ですから」

 

 肩をすくめながらしれっと言ったのは、探り屋と名高いバーボンだ。情報通であり、その早耳ぶりはライですら舌を巻くほどだ。

 

 どこか自分が気に入らないのか、突っかかってくるのはまだいい。

 

 だが、こんな時まではやめてほしい。ライは切に思う。

 

 「ホー?ライ、テメエ、あの辺りの出身か?」

 

 「ふん・・・耳にしたことがあるだけだ。あの町に行って、ロクな目にあったやつがいない、とな」

 

 自分を含めて。

 

 内心、ライは吐き捨てる。

 

 

 

 大学時代、ライ――赤井は、諸事情(例にもれず大学に持ち込まれた依頼)からインスマスへ行ったことがあるが、例にもれずひどい目にあった。住民総出で追い回され、危うく殺されるところだった。

 

 挙句、ダゴンとハイドラ――すべての深きものの父と母と遭いまみえたのだ。よく五体満足でいられたものだ。今思い返してもそう思う。

 

 二度と、あんな街行くまい。そう思っていたというのに。

 

 

 

 「では、臆病なライは置いていきましょうか。

 

 ジン、ターゲットの詳細を」

 

 「よせ。どうせ、行ったところで無駄足で終わる。とっくの昔に死んでるだろうさ」

 

 渋るライをよそに話しを促すバーボンを止めようとするが、まあまあとスコッチが話に割って入る。

 

 「ライ。お前が慎重なのはわかる。俺はインスマスってところを知らないが、いい話は一つも聞かないんだろう?

 

 けど、仕事は仕事だ。それに、大丈夫だろ?」

 

 「何を根拠に」

 

 「お前が慎重だからさ」

 

 しれっと言ったスコッチに、ライは思わず目を丸くした。

 

 「何かありそうなら、お前が撤退を進言する。そうだろ?」

 

 パチンッと茶目っ気たっぷりにウィンクしたスコッチに、ライはしばし黙し、ややあって深々とため息をついた。

 

 「・・・あの町は排他的だ。聞き込みなどはほとんど意味がないと思っておけ」

 

 そう言って、ジンを見やってから口を開く。

 

 「ターゲットの生死は問わないんだな?」

 

 「まるで奴が死んでるような口ぶりだな?」

 

 「単純に死んでるだけならいいな」

 

 この世には、死よりも恐ろしいものが、星の数よりもある。蒙が啓かれたライは、それをとっくに悟っていた。

 

 ライのどこか思わせぶりな言葉に、バーボンは眉をしかめ、スコッチは怪訝そうな顔をする。

 

 「どういうことです?ターゲットが誰かに拷問を受けて半死半生にでもなってると?」

 

 「行けばわかる」

 

 行きたくないけれど。

 

 短く言って、ライは踵を返した。話はもう十分だろう、煙草が吸いたい。

 

 

 

* * *

 

 

 

 1週間後、ウィスキーの名を冠するコードネームを持つ男たちは、腐った海草の臭いに満ちた港町、インスマスへと訪れていた。

 

 かび臭くて古びたホテル『ギルマンホテル』の1室を借り、部屋に荷物を降ろした一同に、ライが口を開いた。

 

 「・・・この町で食事はとらない方がいい。

 

 食い物ならナショナル・ストアがあるはず。そこで買える産地のはっきりしているものを食べることを勧める」

 

 「何ですか、ライ。あなた、いやに神経質ですね。

 

 まさか、この町で集団食中毒が起こったことがあるとでも?」

 

 「・・・あったのか?」

 

 小ばかにしたようなバーボンの言葉に、ライは静かに問い返した。

 

 「そんな記録はありませんでした。つまり、衛生的に保証されています。わざわざそこまで警戒する必要があるとは思えませんが?」

 

 バーボンの言葉に、普段なら煽り交じりの皮肉を返すはずが、ライは沈黙をもって返答とした。

 

 おかしい、とスコッチは感じる。

 

 この町に来る直前から、ライはひどく神経質なのだ。

 

 元々口数の多い方ではなかったが、輪をかけて無口・無表情、常にピリピリと張りつめているようなのだ。

 

 ――確かに、この町の連中、妙だけどさ。

 

 スコッチは道中見かけた街の様子を思い返す。

 

 真昼間というのに、人通りはほとんどなく、このホテルの受付にしろ、潤んだような大きな眼には眉もまつ毛もなく、魚のうろこを連想させる痘痕のある、やたら大柄で猫背の男――まるで魚と人間を掛け合わせたような、不気味な容姿の男が一人。

 

 警官を自称する男も、似たり寄ったりだった。

 

 インスマス面、とライが言っていた。この土地特有の風土病じみた遺伝病で、ああいう容貌になるのだ、と。

 

 だからと言って、ああまで神経質になるだろうか?

 

 バーボンはライを臆病呼ばわりして笑い飛ばしていたが、スコッチはどうにも嫌な予感がぬぐえなかった。

 

 

 

 命令はあっさり果たされた。

 

 発狂して、恐怖から逃れるためか酒びたりになって裏路地に座り込んでいた浮浪者同然のターゲットをあっさりと発見したのは、バーボンだった。

 

 男にとどめを刺そうと、スコッチが拳銃を向けた直後、ターゲットの浮浪者が動いた。どこにそんな瞬発力があったのか、バネ仕掛けのように動いた男はスコッチから拳銃をもぎ取るや、その銃口を蟀谷に押し当てて自らの頭蓋に穴をあけたのだ。

 

 「いあ!いあ!偉大なるクトゥルゥよ!我を導きたまえ!」

 

 そう断末魔を残して。

 

 あまりの異様さに、ターゲットに気を取られていたバーボンとスコッチは気が付かなかった。

 

 ライが苦虫を百匹余りかみつぶしたような顔をしたということを。

 

 

 

 そういった些細なトラブルはあれど、どうにか奪われていた情報は取り返し、男の死体も車のトランクに詰め込み、3人は帰路につくことにした。

 

 ・・・その翌朝、車の調子を見るというライをよそに、バーボンとスコッチは少し遅めの朝食をとり、その後帰路についた。

 

 こうして、ライが拍子抜けするほど、彼の二度目のインスマス訪問は無事に済んだのだ。

 

 

 

 ・・・だが、本当の問題は、ここからだった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 「スコッチ、大丈夫か?」

 

 バーボンが心配そうに、スコッチの自室をノックするのを、シャワーから上がったライはミネラルウォーターを呷りながら横目で見やった。

 

 

 

 インスマスから帰還して間もなく。

 

 突然、スコッチが体調を崩し、部屋から出てこなくなったのだ。

 

 風邪をひいたらしい。伝染るといけないからと心配するバーボンをよそに、スコッチは部屋に閉じこもったままである。

 

 一応、二人の目がない時を見計らって用は足しているようだし、ドアの前に食事を置いておけば、いつの間にか部屋に持ち込んで食べてはいるようなのだが。

 

 ・・・余談だが、ライ、バーボン、スコッチの3人は、チームを組んでいるため、任務の都合もあってルームシェアをしている。

 

 

 

 「もう1週間じゃないか。あんまり長引くようなら医者に」

 

 「医者はダメだ!!」

 

 バーボンの言葉を遮るようにスコッチが叫んだ。金切声というに近い絶叫だった。

 

 「あ・・・いや、その、い、医者なんか頼ったら、お前らの迷惑になるだろ?

 

 だいぶ良くなっては来てるんだ。も、もうちょっとだから・・・」

 

 「・・・わかった。無理はするなよ」

 

 そう不安げに返して踵を返すバーボンをよそに、ライは視線を伏せて思い返す。

 

 

 

 スコッチが体調を崩したのは、インスマスから帰還した、直後だったのだ。慣れない土地での任務で、ストレスが重なったのだろうとバーボンは判断したようだが、ライには一つ、気がかりがあった。

 

 

 

 その夜、バーボンは単独で入った(別の幹部と急造チームを組むことになったらしい)任務のために、渋々セーフハウスを後にした。

 

 くれぐれもスコッチから目を離すな、とライに言いつけて。

 

 そして、これ幸いとライもまた、行動を起こすことにしたのだ。

 

 

 

 ライはスコッチの部屋のドア鍵を外し、悠々と中に侵入した。

 

 奥のベッドの上には、スコッチの体格にしては妙に大きなシーツの塊が一つ。そこから、赤井はよく知る声で、よく知る呪詛がこぼれ出ていた。

 

 「いあ・・・いあ・・・くとぅ・・・ああ!違う!違うんだ!」

 

 恍惚とした詠唱は、我に返ったかのような言葉に打ち消される。

 

 直後、シーツが跳ね飛ばされる。

 

 ずんぐりむっくりした、大柄なそれは額は平たく頭は大きく猫背となり、頭部からは眉やまつ毛が消失し、腫れぼったく肥大化した唇と耳まで裂けた口角、退化したように小さくなった耳。魚の鱗のような、奇妙な痘痕。

 

 それは、ライがインスマス面と称した、魚と人を掛け合わせたような独特の容貌である。

 

 だが、それは確かに、かつての面影を残していた。

 

 「スコッチ・・・」

 

 そこまで来て、その男は、ライが侵入してきていたことに気が付いたらしい。大きく息を飲むや、急ぎシーツをかぶり、震えながら叫ぶ。

 

 「見るな!見ないでくれ!俺を!見るな!見るんじゃない!ライ!頼むから!」

 

 「落ち着け、スコッチ」

 

 静かにライが声をかけるが、最も見られたくないものを見られて混乱するスコッチは聞こうともせずに叫ぶ。

 

 「うるさい!お前に何がわかるんだ!いきなり、こんな、俺の、俺の体が!!

 

 何だよこれ!どうして、こんな!」

 

 「落ち着け!」

 

 滅多に声を荒げないライに一括され、流石にスコッチも大きく体をふるわせて黙り込む。

 

 そうして恐る恐るシーツの隙間から、ライを見上げた。

 

 「落ち着け、スコッチ。どんな姿をしていても、お前はお前だ」

 

 凪いだように静かな緑の目に射抜かれて、変わり果てたスコッチはノロノロとシーツから這いだした。

 

 「わからないんだ・・・朝、起きたら、こんな・・・!」

 

 震える声で呻くスコッチは、視線を伏せながらぽつぽつと語る。

 

 「最初は、変なできものができたって思ったんだ。け、けど、そのうち、朝起きるたびに、変になっていって・・・。

 

 すぐに治るって思って・・・。俺、どうなってるんだ・・・?」

 

 すがるような視線を向けてくるスコッチに、ライは視線を伏せる。

 

 「・・・答える前にいくつか聞かせてくれ。

 

 スコッチ、お前、インスマスで魚介を食べたか?」

 

 「は?な、何でそんな」

 

 「真面目な話だ。答えろ。」

 

 「・・・食べた。お前が、車の様子を見に行ってた時、バーボンと一緒に、朝食に出されたフィッシュ&チップスを」

 

 「バカが!」

 

 反射的に、ライは罵りを口にする。

 

 「あの町の沖合にはな、悪魔の暗礁が!ルルイエがあるんだ!

 

 深きものどもや封印されている旧支配者の影響を受けた海産物など口にする奴があるか!」

 

 あの町で採れた海産物は口にしてはいけない。

 

 それは、インスマス近郊に住まうものの、不文律だ。

 

 いや、だとしても、それだけでスコッチだけが変貌するなどおかしすぎる。(バーボンだって一緒に食事したはずなのに)

 

 ライの言っている意味が分からず、スコッチは目を白黒させるが、それでも、これだけはわかった。自分は、何かまずいことをやらかした、と。

 

 「・・・スコッチ、お前、御先祖にインスマス――いや、アメリカの出身がいるんじゃないか?」

 

 「え?あ・・・ええっと、そういえば・・・俺、祖父さんがそうらしいんだ。

 

 ちらっと聞いたけど、沖縄に来た米軍の軍人で、ちょっと変わった顔をしてて、行きずりの恋で父さんができたって」

 

 「Oh・・・」

 

 今度こそ、ライは頭を抱えた。

 

 

 

 彼の中の結論はこうだ。

 

 スコッチは、隔世遺伝の、後天的インスマス面。

 

 そのまま普通に過ごしていれば、何事もなく済んだのだろうが、よりにもよってインスマスに行って、深きものやルルイエの影響を受けたであろう海産物を口にした。

 

 おそらくそれが魔術、あるいは魔力的トリガーとなって、スコッチの肉体を変質させたのだろう。

 

 

 

 とはいえ、ライはその結論を口にしていいものかためらう。

 

 何しろ、常軌を逸しているのだ。

 

 ライ自身はすでに慣れているうえ、承知の出来事だ。

 

 だが、スコッチは何の覚悟も持たない、一般人なのだ。

 

 たとえ、肉体的には、“あちら側”に近づいてしまおうと。精神が、耐えられるかはまた別の話だ。

 

 

 

 「・・・なあ、ライ。お前、インスマスのことを知ってるんだよな?」

 

 「・・・一応な」

 

 突然、話を切り替えてきたスコッチに、ライは怪訝に思いつつ頷いた。

 

 次の瞬間、彼はスコッチが投げかけてきた質問に絶句した。

 

 「じゃあ、クトゥルフって知ってるのか?」

 

 「・・・・・・・・・・・・・・・は?」

 

 たっぷり5秒沈黙し、やっとの思いでライは聞き返した。

 

 まさか、彼の口からそんな言葉――ルルイエに眠る旧支配者の名が飛び出すとは思わなかったのだ。

 

 「夢を見るんだ。変な黒い石の、幾何学的な遺跡で、怖いけど、惹きつけられる。行かなきゃって気分になるんだ。

 

 聞こえるんだよ、頭の中に。

 

 いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!

 

 ふんぐるい むぐるうなふ くとぅるう るるいえ うがふなぐる ふたぐん!

 

 悍ましいはずなのに、唱えずにはいられない。

 

 いや違う。唱えなくちゃいけないんだ。だってこんなにも心休まる」

 

 バーボンがいなくてよかった。

 

 半ば思考停止したライが、現実逃避気味にそう思っても無理はなかった。

 

 何しろ、一連の言葉を唱えるスコッチは恍惚とした陶酔しきった表情を浮かべていたのだ。その魚の目によく似た目玉には、既に狂気が映り始めていると、ライはいやおうなしに悟っていた。

 

 「・・・しっかりしろ、スコッチ!そこに行ったら、二度と戻ってこれなくなる!

 

 バーボンを放り出していいのか!」

 

 肩を掴んでのライの怒声に、次の瞬間スコッチは大きく喉を鳴らし、頭を抱えていた。

 

 「あああああ・・・だめだ、ダメだ・・・ライぃ・・・」

 

 大きく首を左右に振って涙声で呻いて、スコッチは大きな眼に涙を浮かべながら、囁くように懇願していた。

 

 「助けてくれ・・・!」

 

 

 

 この時ほど、ライは自身の無力さを恨んだときはなかった。

 

 邪法、化物、蒙が啓けた先に対する知識はあろうと、それで苦しむものを救うことなど、できはしないと突きつけられた気分だった。

 

 やっと縁を切ったはずの世界が、追いかけてきて、インスマス面のスコッチの形をとって嘲笑って見せている。

 

 お前が逃げ出そうと、見ないふりをしようと、苦しむものは何一つ守れも救えもしないのだ、と。

 

 

 

 沈黙して立ち尽くすしかできないライを涙ながら見上げたスコッチは、ややあって力なくほほ笑んだ。

 

 「・・・悪かったよ、お前にだってわかるわけないよな。変なこと言って悪い。忘れてくれ」

 

 違う、とライは首を振った。

 

 知識はあるはずだったのに、助けられなかった。そもそも、もっとしっかりと、彼らに忠告しておけば――例えば、オブラートに包んで、風土病は遺伝子由来で、そのトリガーになりうるからここのものは食べない方がいいと、インスマスにいた時にもっとしっかり忠告しておけばよかったのだ。

 

 結局、ライは無力なのだ。

 

 いつだったか、あの美貌の邪神が嘲笑ったように。

 

 「なあ、ライ。バーボンには伏せておいてくれ。頼むよ。

 

 ・・・あいつにだけは、知られたくないんだ」

 

 はかなげに笑うスコッチに、しかしとライは逡巡する。

 

 すでに閉じこもって1週間近く経つ。これ以上は、誤魔化し切れない。相手がバーボンであれば、なおのこと。

 

 どうにかするには、彼が留守である、今しかない。

 

 「どう、する気だ」

 

 「・・・もう一度、インスマスに行く」

 

 「っ!」

 

 「頼むよ、ライ。俺を少しでも憐れに思うなら、連れて行ってくれないか」

 

 体を震わせながら、涙目でスコッチが笑う。

 

 恐怖を堪え、平気だというかのように。

 

 「本当は、さっさと死ぬべきなんだと思う。あの、ターゲットのように、拳銃で自分を撃ち抜けばいい。

 

 けど、死体も、残したくないんだ。だから・・・頼む」

 

 ライに残された道など、一つしかない。

 

 

 

* * *

 

 

 

 3度目のインスマスへの旅路は、ライにとって最も苦痛だった。

 

 忌まわしくもあったが、1番最初の時は噂に名高いインスマスの実態に迫れると、己の浅はかで愚かな好奇に、不謹慎ではあったが、多少浮ついていたのだ。

 

 しかしながら、その後の騒動のせいで二度と行くまいと、インスマスの地をブラックリスト入りさせた。

 

 2度目の時は言わずもがな。

 

 そして、3度目の今。

 

 4Lの黒い雨合羽でどうにかずんぐりむっくりした体躯を覆い、深々とフードをかぶったスコッチを助手席に、ライは革のステアリングを握っていた。

 

 少し前までは、共用シャンプーの爽やかな香りを漂わせていたスコッチは、今や腐った魚のような体臭と陰鬱な沈黙をふりまいている。

 

 

 

 もはや、時間はなかった。

 

 準備をしようと一度スコッチの部屋を離れていたライのもとに届いたメール。

 

 それには、スコッチが裏切り者のNOCであり、至急捕縛の上、古巣を聞き出し抹殺すべし、とあったのだ。

 

 その時にはすでに準備は終えていたため、急ぎライはスコッチを連れ出し、車に連れ込んで出発した。

 

 今や、組織のあらゆるメンバーが、裏切り者のスコッチを、血眼になって探し回っていることだろう。

 

 ・・・スコッチと仲のよかった、バーボンを含めて。

 

 

 

 「・・・なあ、ライ。何で、連れて行ってくれるんだ?」

 

 「・・・お前、今の自分の格好を見て言ってるか?これが裏切り者のスコッチだと言って、誰が信じるんだ?」

 

 既に自分の正体がばれたことを悟っているのだろう、うなだれたまま呻くように尋ねてきたスコッチに、ライは百も承知で問い返した。

 

 「今のお前の死体をジンに見せたところで、“これのどこがスコッチだ。影武者ならもっとうまい奴を使え”とでも言われて、まとめて裏切り者扱いされるのがオチだ」

 

 「そう、だな・・・」

 

 苦笑しようとして失敗したらしいスコッチに、ライは咥えていた煙草の煙をため息代わりに軽く吐き出す。

 

 

 

 いっそミスカトニック大学に連れて行こうかと思いもした。大学の教授陣――正確には、シュルズベリィ教授ならうまい知恵を貸してくれるかもしれない、と。

 

 だが、瞬時にライはその可能性を却下する。

 

 スコッチが蝕まれているのは、見た目以上の問題だ。蒙が啓かれた彼の内面は、彼の邪神クトゥルフの呼び声をたやすく受け取れるようになってしまったのだろう。

 

 正気でいられる時間もだいぶ短くなってきているらしく、ともすればあの呪詛めいた忌まわしき祝詞をブツブツとつぶやいている。

 

 バーボンを案ずる気持だけが、彼を正気の世界につなぎとめているのだ。

 

 ・・・そして、バーボンに現状を知られてしまえば最後、彼は完全に狂気の虜になるだろう。

 

 そうなる前に。

 

 

 

 数日をかけて車で移動し――不幸中の幸い、今のライたちはアメリカを拠点に活動していたため、セーフハウスもアメリカにあった。ゆえにインスマスは十分に移動可能な場所であったのだ。

 

 ・・・時間さえあれば。

 

 ライがスコッチを連れ出しているのは、既にばれているだろう。

 

 おそらく一緒に手配されているだろうが、ライはもちろん手をうっていた。

 

 「・・・なあ、ライ」

 

 「何だ?」

 

 「あそこに停まってたの、ジンのポルシェじゃなかったか?」

 

 「だろうな。あの黒いドイツの雨蛙は目立つ」

 

 「・・・何で奴はこっちを見向きもしなかったんだ?」

 

 ギョッとしているスコッチに、ライは「ちょっとした裏技だ」と一言言って、信号で止まったのをいいことに、短くなった煙草を携帯灰皿に押し付け、新しく咥え直す。

 

 ちなみに、路駐されていたジンのポルシェは持ち主が乗り込むなり、まるで違う方向に向かって去って行った。

 

 

 

 ライの言う、裏ワザは魔術である。

 

 呪文≪平凡な見せかけ≫は、生物や物体を見る者にとって全くありふれた、取るに足らないものに見せてしまう、というものだ。

 

 この魔術は維持にこそコストがかかる。いくらライが魔導書モドキを持つ魔術師の端くれといえど、長時間保たせるのは至難の業だ。

 

 ゆえに、もう一つ、保険を使っている。

 

 ダッシュボードの内側には、触っただけで凍傷になるほど冷たい、エルダークリスタルが収まっている。エルダークリスタルは魔力を貯蔵する性質をもつ水晶だ。呪文をかけることによって貯蔵された魔力を引き出せる。

 

 これにより、≪平凡な見せかけ≫の維持コストをカバーしているのだ。

 

 

 

 つまり、ライが運転する車は、外から見れば、まるで無関係な人間が運転する、その辺の自動車にしか見えないのだ。

 

 ついでに運転席と助手席の人間も、黒い長髪に鋭い目つきの男と、雨合羽のフードを深々とかぶった大男ではなく、その辺にいそうな有象無象にも見えること請け合いである。

 

 

 

 魔術の怖いところは、それが起こす超常を他者に認識させた場合、その者の精神にダメージを与えるのだ。

 

 例えばこの≪平凡な見せかけ≫であっても、対象が滅多にとらない行動をとったり、偽装したものをよく知る者が見てしまえば。強烈な違和感を感じさせ、魔術が破られてしまう。

 

 そして、そうなれば、見破ってしまったものの精神に強烈なショックを与えるのだ。

 

 便利であろうと、邪法は邪法。

 

 ゆえに、ライは今まで使おうとしなかったのだ。

 

 だが、今は変貌したスコッチを組織の者たちにさらす方がさらに問題である。ゆえに、自ら禁じ手としていた邪法を使うことにしたのだ。

 

 ・・・金庫におしこめていた抜粋編集の手書き魔導書は、今はライのコートの懐に収まっている。

 

 

 

 「ライ・・・お前、何者なんだ?」

 

 「何者でもないさ。ただ、人より蒙が啓かれてしまっているだけだ」

 

 「蒙が、啓かれる?」

 

 怪訝そうに訊き返すスコッチに、ライはシニカルに口の端を引き上げる。

 

 

 

 この言い方をしていたのは、ライの父方の祖母だ。母からはキ●ガイ呼ばわりされていた、少しばかり変わった女性だ。

 

 思えば、ライ――赤井が超常の存在に遭っても、常人より少しばかり肝の据わった反応ができたのは、彼女にいろいろ教わり聞かされていたからだろう。

 

 

 

 「本来の啓蒙とは、無知蒙昧を啓発して教え導くことだな?

 

 蒙とは、覆い、暗いということを意味する。

 

 平時の俺たちが見ている世界は、覆いに覆われた暗い世界なのさ。

 

 それが啓かれるということは、知らなくていいことを知ってしまうということでもある」

 

 「・・・今の俺のように?」

 

 尋ねたスコッチに、ライは煙草の煙を深く吸い込んで言葉を返さなかった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 ほとんど止まることなく――時折運転を交代して仮眠をとる程度で、車を走らせ続け、インスマスに到着したのは明け方近い夜中のことだった。

 

 昼間は不気味なほど人通りのない街中だったが、夜は違った。

 

 どこにそんな人数が隠れていたのかと言いたくなるほどの、人影が、路地を、道路を、堂々と闊歩している。

 

 ただ、総じて猫背で、ずんぐりむっくりとしていた。灯りがあれば、総じて彼らがインスマス面と呼ばれる独特の容貌の持ち主――あるいはその先の存在に成り果てていると気が付いたことだろう。

 

 もっとも、ライは車を市街に近づけることなく、少し離れた岬へ向けたため、そんな光景を目の当たりにすることはなかったのだが。

 

 「このあたりでいいだろう」

 

 車を止めて、降りたところで、水平線の彼方が金色にきらめいた。

 

 日の出だ。

 

 「きれいだな・・・」

 

 そちらを見やってぽつりとつぶやくスコッチに、ライは無言で煙草を携帯灰皿に押し付けた。

 

 そうして、フードを降ろしたスコッチに静かに向きなおった。

 

 「・・・ありがとうな、ライ。

 

 俺がまだ正気でいられるのは、お前のおかげだ」

 

 「・・・礼を言われるようなことはしていない」

 

 ライは静かに首を振った。

 

 そう、彼はスコッチを元の姿に戻すこともできなければ、彼を蝕む狂気を取り払う術も、何もできなかった。ただ、彼を望む場所へ連れてくることしか。それが、人間としての彼の最後の希望であると知りながらも。

 

 「そうか?こうなった俺と普通に接してくれたの、ずいぶん救われたんだ。

 

 NOCだってばれても、ここまで連れてきてくれたしな」

 

 「・・・俺もNOCだからな」

 

 ぽつりと言ったライに、スコッチは目を見張った。

 

 ここまでくれば、隠すこともあるまいと、ライは静かに己の正体を明かす。

 

 「諸星大は偽名だ。本名は赤井秀一。FBI所属だ」

 

 「FBI・・・?

 

 ああ、それで俺の変貌にも驚かなかったのか?X-FILEにでも同類が載ってるとか?」

 

 「ドラマの見過ぎだな。

 

 ・・・ウィルマース、あるいはHPL案件と言えば分るか?

 

 俺は関係者だ。大学がミスカトニック大学でな。ウィルマース・ファウンデーションの傘下なんだ」

 

 「ああ。あのノータッチたらい回しの代名詞のことか。なるほど?今の俺は、そっちの方面に含まれちまうのか」

 

 自嘲気味に笑ったスコッチは、ややあって雨合羽の下から端末を取り出す。GPSで居場所を悟られたらいけないからと電源を切っていたそれを、静かに見つめ、ややあって。

 

 「ごめんなぁ、ゼロ・・・」

 

 小さくつぶやく。

 

 そうして彼は赤井を見て、手に持っていた端末を彼に渡す。

 

 男らしく骨ばって、銃胼胝のあるはずの手は、指の間に水かきが張り、爪が鋭くなっていた。これでは、かつてのようにライフルを握ることもままならないだろう。水かきが邪魔で、トリガーガードに指が入らないのだから。

 

 「ライ、いや、赤井だったか?ゼロを・・・バーボンを、頼む」

 

 「ゼロ?」

 

 「あいつの渾名だよ。幼馴染なんだ。

 

 この端末には、俺が集めた組織の情報が入ってる。あんまり役に立たないと思うけど、少しでも足しにしてくれ。

 

 だから、あいつを、頼む」

 

 「彼も?」

 

 「そうさ。同じ、NOC。本当は黙っとかなきゃいけないんだけど、さ。

 

 ・・・もう、一緒にいてやれないからさ」

 

 そう言って、彼はうなだれる。

 

 「情けないよな・・・あいつよりも後に組織に入ったのに、先にリタイヤとか。しかも、殺されるんじゃない。身も心も化物に成り果てるんだ・・・」

 

 わなわなと肩を震わせ、怖くてたまらないというようにスコッチがうめく。

 

 本当は叫びたいだろう。逃げたいと。化け物になんかなりたくないと。助けてくれと。

 

 だが彼はしない。できない。そうできる気力すら、失われてしまったのだ。

 

 「・・・全力を、尽くそう。

 

 奴らを潰し、バーボンも守ろう。

 

 もっとも、彼が大人しく俺に守られるのをよしとするとは思えないがな」

 

 「あはは!お前ら仲悪いもんな!」

 

 付け加えたライの一言に、スコッチは肩をゆすって笑う。

 

 「けど、お前も悪いんだぞ?そのザ・悪人な見た目で、初対面のあいつのことティーンのボウヤ呼ばわりしたんだからな!

 

 そりゃ、ゼロも根に持つって!」

 

 「悪かった。確かに彼は、ボウヤなんて柄じゃなかったな。

 

 彼も立派な狼――狩るべき獲物に突き立てる牙をもつ存在だ。侮りは失礼だな」

 

 苦笑を返すライに、スコッチも笑みを返す。

 

 「そういや、俺の名前、言ってなかったっけ。

 

 俺の本名は――」

 

 忘れない、とライは思う。

 

 忘れない。けして。自分が助けられなかった、この男の名を。

 

 「ああ、そうだ。もう一つ」

 

 「何だ?」

 

 「ライ。お前がスコッチを粛清したことにしろ」

 

 「?!」

 

 しれっと言ったスコッチに、ライは大きく息を飲んだ。

 

 「これが今の俺にできる最後にして最大のアシストだ。

 

 こうすりゃ、お前のNOCの疑惑は薄れるし、もっと組織の深いところにまで食い込める」

 

 「・・・いいのか?」

 

 「俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ。

 

 それに、俺に付き合ってお前も行方不明になってるんだ。

 

 俺を仕留められたってことにでもしとかないと、お前の言い訳も立たねえだろ?」

 

 「・・・感謝する」

 

 「それは俺のセリフだってーの」

 

 ライの言葉に、スコッチは苦笑を返す。

 

 そうして、二人はしばし沈黙した。

 

 「・・・そろそろ、行くわ」

 

 口を開いたのはスコッチだった。

 

 「・・・そうか」

 

 「元気でな、赤井。

 

 ゼロをよろしくな」

 

 そう言い残すや、彼の目から正気の光が消え去った。

 

 「 いあ!いあ!くとぅるふ ふたぐん!

 

 今御許へ参ります!!」

 

 そんな絶叫とともに、彼は水面に派手な水柱を残して姿を消した。

 

 ライはしばらくその場にたたずんだまま、黙って海面を見下していた。

 

 紺青の海面に描かれる白い泡の不規則な模様。やがてそれをかき消すように、黒い雨合羽を始めとした、スコッチが身に纏っていた衣服が浮かび上がる。

 

 ライは黙ってそれを見つめていた。

 

 

 

* * *

 

 

 

 とあるビルの屋上にて、標的を仕留めたことを確認し、ライは静かに銃口を下す。

 

 ようやく身辺が落ち着いた先の、久方ぶりの暗殺任務だ。

 

 もっとも、これがまともと言えるかははなはだ疑問だが。

 

 

 

 とはいえ、あの忌まわしきインスマスから帰還して、抜粋編集魔導書(という名の羊皮紙の束)をまたしても金庫の奥に押し込み、スコッチの死亡報告とその精査のために拘束されていたクソのような時間と比べればだいぶマシなはずだ。

 

 ライは、スコッチの“最後のアシスト”を受け入れた。

 

 そのために、インスマスから帰還するわずかな時間に、ミスカトニック大学に連絡を入れ、スコッチの死亡を偽装したのだ。

 

 大学、というよりその背後のウィルマース・ファウンデーションがその手の隠ぺい工作を得意中の得意としており、ライ=赤井から事情を聞くなり、その手の偽装魔術が得意な魔術師の派遣と、情報操作を一遍にやってのけた。

 

 おかげで、ライは“逃げ回ったスコッチを数日かけて追跡。しぶとく、ライが嫌がったインスマスへ逃げ込もうとしたところを追い詰めたが、銃で情報端末ごと自殺。死体は処分の手間を考え、海へ落として処理。あの辺りは潮の流れが強く、その発見はまずない。ただし、証拠として破損した情報端末の回収と死体の写真を納めたインスタントカメラを提出した”ということとなり、めでたく数日の失踪は不問に処された。

 

 ・・・ちなみに、インスタントカメラであるのは加工が不可能という証左である。デジタルデータならば改竄を疑われるが、アナログは加工不能ということでデジタルが主流となっている今でも警察の鑑識などでは用いられ続けている(この需要がある限りアナログフィルムの生産が廃れることはないだろう)。

 

 スコッチが残した情報端末からは、中のデータはキッチリ抜いてから、銃で肉体ごと撃ち抜いたように破壊して血をつけている。

 

 確認が取れるまでライは拘束されることになったが、情報の精査が完了してからは、晴れてNOCを始末した幹部としてジンと行動する機会が増えた。

 

 ・・・もっとも、疑り深いジンはいまだにライのことを疑っているようなのだが。

 

 まあ、組織に近づいた手口が手口なので、無理もないだろう。

 

 

 

 そんなことを徒然に思い返しながら、ライフルを手早くしまい、撤収しようと踵を返した。

 

 が、間もなくその足をすぐに止める。

 

 「やあ、相変わらず元気そうだね?

 

 今は、諸星君と呼んだ方がいいのかな?それともライ君かな?」

 

 「あ、ライさん、お疲れ様です・・・」

 

 屋上から降りる階段の前に陣取る二人の人影。

 

 一人は、ライも知っている組織の下っ端だ。まだコードネームすらない、末端の男。今回の任務に合わせて、急遽連携を取ることになった男で、ライとしては「まあ使える」というレベルの男だ。

 

 そしてもう一人は。

 

 ライは、普段あまり動かさない表情を嫌悪にゆがめて吐き捨てた。

 

 「馴れ馴れしく呼ぶな。貴様にそうされる覚えはない」

 

 「ひどいなあ。私はこれでも君のことを気に入ってるんだよ?お気に入りの様子を見に来るのにイチイチ理由がいるのかな?」

 

 にこやかに笑うのは、僧衣〈カソック〉に黒い聖帯〈ストラ〉を首にかけた、黒人の大男――ナイ神父と名乗り呼ばれる人物だ。

 

 「君も、ここまで案内してくれてありがとう」

 

 「いえ、ナイ神父のお力に慣れたなら幸いです」

 

 にっこりと末端の男を見下すナイ神父に、彼は濁った眼のまま笑みを返す。

 

 次の瞬間、ライは動いた。猛スピードで末端の男にとびかかり、振り抜いた拳で首を穿ってその意識を刈り取る。

 

 ライフルバッグを担いだまま、静止状態からトップスピードに瞬時に加速という化け物じみた芸当を息一つ乱さずやってのけたライは、男の気絶を確かめもせずにすぐさま距離を取り、ナイ神父と対峙する。

 

 「相変わらずひどい子だなあ。彼は私のために一生懸命動いてくれたっていうのに。

 

 ・・・それに、どうせ起きたら思い出せなくなっているっていうのに」

 

 「そうか。貴様のような害虫のことを記憶にも残さないというのは幸いだ。

 

 いいや、害虫というのは生態系に組み込まれた、一種の必要な存在だ。

 

 貴様は害虫以下の害悪中の害悪だ。これでは害虫に失礼というものだな。

 

 そうだろう?ニャルラトホテプ」

 

 静かに、その名を口にしたライに、ナイ神父はニチャアッと笑う。唇を割り、異様に白い歯列を見せ、取るにたらなくちっぽけな、それでいて自らが認める男に、その深淵の闇じみた双眸を向ける。

 

 「フハッ。相変わらず手厳しいなあ、君。それでこそ、だろうけどねえ」

 

 両手を腰のポケットに突っこんだまま、余裕たっぷりのナイ神父に、ライは身構えたまま答えない。

 

 「何、ショックで寝込んでいるんじゃないかと思って会いに来てみたんだ。

 

 まあ、君があの程度で寝込むような殊勝な人柄じゃないというのは、百も承知だけどねえ。

 

 久しぶりのインスマスは楽しかったかい?」

 

 「何?」

 

 思わぬ相手から思わぬ単語が出たことでとっさに聞き返した赤井に、ナイ神父は右手をポケットから引き抜き、その手のひらを天に向けながら語る。

 

 「最近ね、面白そうなお気に入りの子ができてね。

 

 彼から、インスマスからの祖父がいるっていう幼馴染の話も聞いたんだ。

 

 だから、おススメしておいたんだ」

 

 その両目を、不気味な三日月の形に歪ませて、彼は愉悦と嗜虐に満ちた声で語る。

 

 邪なる悪意を込めて。

 

 ぐにゃりっと、そのハンサムな黒人の顔の一部が、日本人めいた女性――手取ナイアのものに変形し、その声を男女の2重の物に重ねさせて語る。

 

 「インスマスに行く機会があるなら、ぜひ魚介を嗜むべきだ!

 

 『ギルマンホテル』のフィッシュ&チップスなんていいんじゃないかって」

 

 瞬時に、ライは動いていた。

 

 懐から取り出したリボルバーをナイ神父の歯列の隙間にねじ込み、斜め上に向けた銃口からの銃弾をもって、その頭蓋を吹き飛ばしていた。

 

 バラバラになった肉片と骨片、破裂した水風船さながらに飛び散る血液と脳漿は、至近距離にいるライも当然降りかかりそうになるが、次の瞬間、まるでビデオの逆再生を見ているように、それはあらゆる物理法則を無視して、ナイ神父に収束して元通りのハンサムな顔を作り上げる。

 

 「あははっ。君はそういう顔が一番だ!その、怒った顔!

 

 最高にセクシーでゾクゾクする!マゾヒストの気分がわかるよ!」

 

 ライの銃口を手で払いのけて外し、のけぞってケラケラ笑うナイ神父に、ライは無言のままだ。

 

 ただ、その深緑の双眸は、おそらく黒の組織と呼ばれる犯罪組織の者ですら、誰ひとり見たことがないであろう、険しく、嫌悪と殺意に満ち満ちていた。

 

 「・・・バーボンをどうする気だ?」

 

 「おやあ?ライともあろうものが、あんなNOCと仲良しこよしだったボウヤのことを気にかけるのかい?」

 

 銃口を向けたまま唸るように尋ねたライに、からかうように尋ねるナイ神父。

 

 内心でライは吐き捨てた。よく言う、と。この邪神は全てわかったうえで言っているのだ。

 

 ライがスコッチを助けられず、その死を利用していることを負い目にしていることも、バーボンを守ろうと彼なりに気をかけているということも・・・それとは知らずバーボンがスコッチ変貌のトリガーを引いてしまったということすら。

 

 いや、この邪神にそそのかされて、か。

 

 「この場で君と遊んでもいいんだが、今の君は面白くなさそうだ」

 

 やれやれと肩をすくめる邪神の化身に、ライはぐっと言葉に詰まる。

 

 

 

 まったくもってその通り。

 

 ライが持っているのは“商売道具”――ライフルと携帯する拳銃くらいだ。

 

 抜粋編集魔導書モドキは相変わらず金庫の奥だし、神格を相手にするには火力も準備もないない尽くしだ。

 

 先ほどは怒りのあまりとっさに銃を出してしまったが、本来ならこれは悪手中の悪手だ。

 

 神格と只人は、蟻と人以上の、隔絶した差があるのだ。手を出すなんて、自殺行為でしかない。

 

 もっとも、この下劣で邪悪な愉快犯のことだ。きっと、あそこでライが怒りのあまり手を出してくることすら、確信でありスパイスであったに違いない。

 

 

 

 「まあ、元気そうでよかったよ。

 

 今はお互い忙しい身の上だから、このくらいにしておこうかな」

 

 クルリッと踵を返し、ナイ神父は黒い聖帯〈ストラ〉を揺らして、屋上から出る階段に向かう。

 

 「次は、お互い全力で遊びたいね?」

 

 小さく振り向いて笑って言ったナイ神父に、ライは無言のまま答えなかった。

 

 そうして、その黒い背中が完全に消えたのを確かめ、ライは力なくだらりと銃を下した。

 

 ポツリッと、その黒い肩を、雨粒が穿つ。

 

 元々あまり天気が良くなかったが、最後の一線を越えたか、ぽつぽつというわずかな滴は、すぐさま大雨となり、茫然と佇むライの黒衣と長い髪をしとどに濡らす。

 

 

 

 蒙が啓かれた人間は、結局どこまでも逃れられないのか。

 

 あるいは、周囲を巻き込まざるを得ないのか。

 

 どこで間違えたのか、いくら考えてもライには分からない。

 

 インスマス行きを、どうにか別手段をもって辞めさせるべきだったのか。

 

 あそこで魚介を食べてはならないと、もっと強く言って目を光らせておくべきだったのか。

 

 バーボンが、あの邪神とかかわりを持っていると、もっと早期に見抜くべきだったのか。

 

 それとも、最も手っ取り早い、かつアイビー・リーグにもカウントされるミスカトニック大学へ入学してしまったことか。

 

 愚かな好奇の言いなりになって、怪奇事件に首を突っ込み、シュルズベリィ教授と係わりを持ってしまったことか。

 

 知らずにいれば、蒙を鎖したままであれば、少なくともここまでの苦しみはなかったであろう。

 

 ・・・それが、何の解決にもならない、ライ一人の平穏にしかならずと、思わずにはいられなかった。

 

 そして、そんなことを考えてしまう自分さえ、たまらなく嫌だった。

 

 

 

 「すまない、スコッチ・・・」

 

 大雨に穿たれながら、ライは小さな声で、海の底へ行ってしまった友に、謝罪した。

 

 

 

我々は、思考の次元が低すぎる。

もっと続きが必要なのだ。





【SANはチートだけど、メンタル削られ放題な赤井ことライさん】
 ミスカトニック大学出身のベテラン探索者(SANチート)な前歴を隠して、FBI所属の潜入捜査官という盛り過ぎ設定持ちな男。
 自作の魔導書は、大学時代必要に迫られて、自分で作った。大学の購買では普通に羊皮紙売ってたから、万年筆で書き込んだ。もっとも、大学卒業後はしまいこんでる。明美さんに触られそうになってからは金庫の奥に押し込んだ。(多分、他にもいくつかアーティファクトをもってそう)
 今回、ジンからの無茶ぶりで、久しぶりのインスマス行き(大学時代に経験済み)にアバーっ?!となりかけた。
 絶対なんかトラブルあると戦々恐々としていたが、滞在中は何もなかった。安堵してたのに帰ってからスコッチさんが後天的インスマス面に覚醒して、アイエエエエ?!となりかけた。
 その後、発狂しかけのスコッチさんをこっそりインスマスの海にリリースしてから、大学の伝手で死亡偽装工作する。
 ・・・なお、彼はこの時、バーボンが殺意に満ちた目で自分を見てきていたことにも真っ先に気が付いたが、それがスコッチを助けられなかった自分への罰として当然のことと甘んじることにした。
 後日、仕込み人の邪神様と屋上トーク。ムカついたから頭蓋を吹っ飛ばしてやったが、さしたるダメージにもなってなかった。
 ・・・俺はなぜ、こんな目に遭うんだろうな?大学から間違えちゃったのかな・・・?

【原作よりも悲惨で、磯が似合う感じにワープ進化なさったスコッチさん】
 大体は原作通り。ただし、父方の祖父(沖縄に出向してたアメリカ海兵)がインスマス出身の魚面だったという捏造設定を追加。
 おかげで、インスマス産の魚介を食べたことをトリガーに、後天的インスマス面に変貌。
 普通に暮らしている分には問題なかったので、彼のご家族もよほどのこと(今回のような)がない限り、普通の人間として一生を終えられると思われる。
 加えて、ルルイエからの毒電波も受信するようになってしまい、ガリガリSANが削れていった。
 部屋に閉じこもっていたところを、強行侵入してきたライさんに変貌を見られ、恐慌状態に陥るが、どうにか落ち着かされる。
 その後、もう自分が長くないということを悟り、ライに依頼する。ライちゃん、私をインスマスに連れてって!こんな浅●南ちゃんいやだ。
 インスマス行きの車中でも、たびたびSANチェックが発生。よく一時的狂気に陥らなかったものである。あるいは、態度を変えなかったライと、幼馴染への心配が、最後の一線を守らせてくれたのか。
 ・・・何で、ライはあんなに落ち着いてるんだろ?ジンとすれ違っても、あいつに気が付かれなかったみたいだし。
 その後、ようやくたどり着いたインスマス近郊の海辺で、ライと最後の言葉を交わし、いくつかの願いを託し、晴れてSAN0=永久発狂して、海へと消える。
 ・・・おそらく、今の彼は海の底で、深きものへの完全な変貌を遂げながらも、彼なりに幸せに暮らしていることと思われる。

【原作以上の蚊帳の外感を醸し出しながら、やっぱり絶対殺すマンにクラスチェンジなさったバーボンさん】
 ええー?ライってインスマスが怖いんだープークスクスしてた。
 インスマス行きでライがすごいピリピリしてるのも、しばらくこのネタでからかえるくらいにしか思ってない。
 インスマスって、前にナイア姉さんが魚介で有名なところって言ってたし、いい機会だから食べていこうかな?ライは神経質すぎるから、あいつ抜きで。
 ・・・それが致命になるとは、思っても見なかった。
 その後、体調崩したスコッチを心配してた矢先、任務が入って渋々ながらも離脱。
 やっと終わったと思ったら、今度はスコッチがNOCバレしてふぁ?!状態。
 スコッチどこだあぁぁぁとあちこち探しまわるが見つからず、フラッと一緒に失踪してたライだけが戻ってきて「俺が追跡して殺した。裏切り者には死を・・・だったよな?」と言われて絶句。
 証拠とばかりにライが見せてきた写真に、強烈な違和感を覚える。
 ・・・魔術による偽装は、それをよく知る者が見れば強烈な違和感を覚えさせ、下手をすれば偽装の看破につながる。幸い、看破はしなかったが、なんだか変と感じ続ける。
 写真はジンが持って行ってしまったため、彼は精査できなかったが、この違和感のことを考え続けた(いわゆるアイデアロールをした)結果、ライがスコッチに自殺を強要したんじゃね?と考えつく(つまり致命的失敗〈ファンブル〉した)。
 そうして、赤井殺すべし!慈悲はない!という考えに至る。
 いくら邪神様との接触でのSANチェックが入らなかったとはいえ、自分の行動が幼馴染を化け物に変貌させる切っ掛け作ったと知れば、1D100のSANチェックは免れられないと思われる。
 原作以上の拗れ具合に突入してしまったが、救いはあるのか(クトゥルフであることを念頭に置いて考えてみましょう)

【仕込みはばっちり、大体コイツのせいという言葉がお似合いなナイ神父】
 今回はこっちの化身〈アバター〉で登場。一応舞台が、米花の外=日本国外であるため。
 本来の彼は、自分の所業をこうまでペラペラとしゃべらないのだが、お気に入りの一人=赤井さんの前で、彼をからかうためというのが大きかったため。
 以前彼はM寄りじゃないと言っていたが、こうしてみるとM寄りに見える。
 なお、彼に利用されてライさんのもとへの案内役にされた下っ端さんは気絶されただけなので、生きてはいる。多分起きたら、何で俺ここにいるんだ?と首ひねること請け合い。
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