タリス王に俺はなる   作:翔々

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しばらく内政がわりの地盤固め回が続きます。茶番回ともいう。


12.欲望の町の聖者

アカネイア暦538年 モスティン9歳(i)

 

 ワーレン滞在二日目にして、俺は早々にギブアップ宣言をする羽目になった。

 

「くっせぇ……!」

 

 忘れていた。村の共用スペースは俺の執念により、常に消臭炭をセッティングする習慣を根付かせたのを。そんな環境から離れた先がどうなっているか、まるで考えもしなかった。

 

 ワーレンにも消臭グッズはあるのだが、いかんせん都市の規模が村とは比較にならず、ほとんど普及していない。トイレの利用者層はガテン系や運搬業のおっちゃん達ばかりで、アンモニア臭なんぞ気にしてたら仕事にならん、とひっどい有様である。そこを発生源に拡散していくものだから、街中のいたるところで鼻をつまみたくなる。これが都会の洗礼かよ。

 

 田舎者の俺だが、村では結構な綺麗好きの部類に入る。潔癖症とまではいかないが、使ったトイレや水場の備品まできっちり手入れする。衛生面の問題もあるし、次に使う人間の気持ちも考えてのことだ。

 

 初めは「なんでわざわざそんなことするの?」と気味悪がられたりもしたが、何年もかけて認識を変えていった。綺麗な方が良くない? と女達をひとりずつ説得したり、子供達にご褒美をかけた掃除レースを毎日開催したりと、村の生活態度から改善していったのだ。そうした涙ぐましい努力がようやく実り、いまでは俺が何もいわなくても当番制が設けられ、自分から掃除するまでになった。俺は男泣きに泣いた。キモい、とマックスに相撲でぶん投げられるまで泣いた。あの野郎、技のキレ味が増してやがる……!

 

 そしていま。ド田舎とは思えないくらいに清潔な村から遠く離れた都会に来た俺達は、久方ぶりの悪臭にぶっ倒れかけていた。いや無理だよ。思い出したくなかったよこの感覚。やっと忘れかけてたのにちくしょう!

 

 にっちもさっちもいかなくなり、トワイスとロレンスのふたりへ対策するように直訴したところ、ぽかんと口を開けて固まってしまった。

 

「……そういえばそうでした。あの村ではほとんど嫌な臭いがしませんでしたね」

「確かに、帰ってきてからは妙に鼻がツンとしますな。気のせいだと思っていたのですが」

 

 自覚がなかったのかよ。

 

 快適に過ごせたのならありがたい。おかげでここの環境がいかに汚臭まみれか、身をもって理解したはずである。それをどうにかするための消臭炭。はやく用意してくれ、と説得を始めたのだが、ふたりはお互いに顔を見合わせたと思うと、意味深にうなずきあった。

 

「モスティン殿、そのネタを売りましょう」

「ネタ?」

「あなたの炭の話が本当なら、原価もそれほどかからずに商品として販売できます。包装と形状を揃える手間はありますが、専用の工場を用意すれば雇用も生み出せますし、新たな流行にもなり得る。そうですね、トワイス?」

「間違いなく。加えて、ワーレンの衛生改善につながるとなれば、多くの客層からも支持を集められる。労働の効率も上がるなら、と雇い主も反対はしないでしょう。定着させれば一定の需要が見込めるのもすばらしい。真珠よりも手堅く、地に足をつけた商売といえるでしょう」

 

 話を持ちかけた俺の目の前で、ふたりの会話がトントン拍子で進められていく。原価計算、初回生産、客層分析、販売範囲、宣伝告知、と難しい単語のオンパレードが続き、いよいよ俺の脳内がパンクしかけたところで、

 

「では、そちらの取り分はいかほどに?」

 

 目を金貨のマークに変えたふたりに詰め寄られ、大急ぎで爺様にヘルプを求めた。村のみんな、都会は怖いところです。

 

「せっかくなので『タコワサ』もツマミで売り出しましょうか。滞在中に食べて以来、なぜか癖になってしまいました。漁の悪魔として捨てられていますし、元手もゼロで仕入れられますよ。ワサビも調味料店をあたりましょう」

「トコロテンも良いと思いますよ。栄養が足りないのと薄味なのが若者には物足りないでしょうが、美容を求める婦人層には期待できます。何より、あの透き通る色が良い。着色料で複数の種類を販売するという手もある」

「それでモスティン殿」

「他に」

「ネタは」

「無いのですか?」

 

 む ら に か え り た い。

 

 駄目? そうですか、じゃあトコロテン作るのに余った木材の水鉄砲とかどう? 筒の後ろからスコスコ突いて小穴から水を飛ばすやつ。マックスに作らせたら村の子供達のおもちゃになったんだけど。え、これもやるの? 作って実演しろと? いまから?

 

 ……マジでやるの?

 

 

 

「怪我人にノコギリ持たせるとか、鬼かよあいつら……」

 

 成し遂げてやったぜ。商会の工場に連れ込まれて、道具と素材に四苦八苦しながらも玩具をこさえて実演に成功。ロイヤリティ(権利使用料)になるならって爺様まで加担するとは思わなんだ。俺だって真珠以外の収入は喉から手が出るほど欲しいけどさ。少しは手加減しなさいよ、と愚痴を洩らしつつ町中を歩く。

 

 時刻は夕方。市の露店はとっくに店をしまい、軒屋は従業員が明日の準備を早々に始めている。あと一時間もしないうちに、ワーレンは夜の町へと変貌するのだ。男達が日の出の内に稼いだ金を、女達が日の沈む内に受け止める。ただの一銭も無駄にはしない。道にこぼれた銅貨一枚をかけて殴り合う、そんな光景もめずらしくないのがこの町である。

 

 当然ながら、9歳の俺が夜の町を歩くのは厳禁とされている。子供の窃盗団にでも絡まれたら、片腕が使えない状態ではろくに抵抗できない。急ぎ足でトワイスに用意してもらった宿場へと向かっているのだが。

 

「もし、そこの人」

 

 悪意のかけらもない、耳に心地よく残るテノールの声をかけられ、無意識に立ち止まってしまった。

 

 この町で声をかけてくるのは知り合いか、それ以外はタチの悪い客引きだとロレンス達から何度もいわれている。その忠告に従っていたのだが、足が自然に止まるのは初めてだった。

 

「良かった。お急ぎのようですが、止まってくれましたか」

 

 年頃は14、5歳か、青地のローブをまとった少年だった。ところどころに布を当ててはいるが、薄汚れた印象はない。艶々と光る茶髪を後ろにまとめて垂らし、背筋はピンと伸びている。品行方正、いたって誠実な修道士にみえる。

 

「急いで宿に戻らないと叱られるんだ。おれに用?」

「はい。その腕が痛そうに見えたので、手助けをできないかと」

「薬の行商か何かで?」

「たまにやりますが、いまは違います。いかがでしょう。お辛いのでしたら、多少でも楽になれるよう、私がおまじないをしてさしあげます。もちろんお代はいただきません」

 

 おまじないときたか。妙なのに出くわしたな、と思ったが、腕の痛みが酷いのは確かだった。俺が安静にしていないのが悪いとはいえ、状況がそうさせてくれないのだから仕方がない。ずっと耐えてきたが、このままだとまずいかもしれない。楽になれるなら治したいのが本音だった。

 

「じゃあ、頼もうかな」

「わかりました。では、杖を軽く当てますね」

 

 少年が節くれだった杖の先を持ち上げ、俺の肩に触れるか触れないかの位置で止める。迷いのない動作だった。何百回と繰り返してきた自然体。もし振るうのが剣だったら、と一瞬寒気が走る。

 

「我らが神に祈り奉る――――」

 

 何かの祝詞が歌うように唱えられる。テノールの声が耳から脳をくすぐるように浸透していき、目の前の少年から意識が離れない。信仰心には縁のない俺でも、不思議と心の安らぐ気がする。リラックスで眠くなってしまいそうな視界の端で、

 

 杖の先がぼんやりと光っていた。

 

「!」

 

 眠気が一気に覚めた。ガルダ海で見た黒装束の魔道を想起する。あれとはまったく違う、聖なる光のような力。これも魔道の一種なのだろうか?

 

「終わりました。腕はどうでしょう?」

 

 俺の警戒を知ってか知らずか、少年が柔和な顔で聞いてくる。

 

「……痛くない」

 

 治った。治ってしまった。あの海戦以来、何日経っても続いた痛みが、嘘のように消えている。愕然としつつも肩をぐるんぐるん回す。まったく痛くない!

 

「あ、ありがとう! あんた凄いな!」

「修行ですから」

「助かったよ! ……なぁ、いくら払ったらいい? いまは待ち合わせがないけど、しばらくしたら大口の契約がまとまるんだ。必ず払いに行くよ」

「先ほどいったように、お代は受け取りません。これは私の修行なのです。師はおっしゃいました。私がこの目で見て、善かれと信じた相手を探せと。通りすがるあなたを見たときに思ったのです。師はあなたのことをいったのだと」

 

 本物だ、と俺は確信した。目の前のこいつは何の打算も計算もなく、自分の信じた教えに従って動いているのだ。敬虔な修道士。人間の欲望で作られたこの町にも、欲望とはかけらも縁のない人間が存在できるのか。

 

「俺はモスティン。あんたの名前は?」

 

 聞かなければならない。この恩を忘れてはいけない。この場だけの繋がりにしないために、俺は名前を聞いた。

 

「リフといいます。どうかよろしく、モスティン君」

 

 艶やかな茶髪をふわりとまとめた少年が、柔和な笑みでそう名乗った。

 

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