タリス王に俺はなる   作:翔々

16 / 26
16.躾というもの

アカネイア暦538年 モスティン9歳(m)

 

「なぜそこまでやった!?」

 

 物心ついてからいままで、一度も聞いたことのない父の怒声が響いた。普段の穏やかで、誰に対しても角の立たないように接する気弱な姿からは想像もつかない。父の本気の怒りが俺に向けられていた。

 

「私が君達に任せたのは、村として取り決めた物資と人員の受け取りについてだけだ! なぜそれ以上の、村全体に関わる事案を私や古株達に相談もなく決めた!? そんな許可を出したつもりはない!」

「俺は村のために考えてやった! 父さんが村に残るっていうから、爺様と相談した上でやったんだ!」

「それこそ筋が通らない! 父さん、あなたもあなただ! どうして断りもなくそんな真似を許したんです!? 子供を守るだけじゃない、道理を教えるのが大人の役割でしょう!」

 

 矛先が隣の爺様に向けられる。黙ってうつむいていた爺様は、意を決したように口を開き、

 

 ―――――深々と頭を下げた。

 

「……すまん。今回はワシの独断じゃ。お前や村の者に反対されたとしても、絶対に叶えたかった」

「爺様!?」

 

 ショックだった。父に何の反論もせず、淡々と謝罪する爺様の姿が信じられない。それも、俺をかばって、すべては自分のわがままだったと責任を被ろうとしてまで。

 

 違うだろう。そうじゃなかった。俺も爺様も、ふたりで一緒に商談を進めたじゃないか。俺がネタを出して、爺様がそれを修正して、トワイス達にうんといわせるまで毎日悩みぬいた。俺も納得してやったんだ。爺様ひとりのせいじゃない。

 

 一カ月ぶりの村への帰還。マックス達と再会のあいさつを交わし、ワーレンでの活動を報告していたときに、和やかなムードは一転して険悪そのものになった。船大工と武芸の教官ふたりをスカウトしたこと、予定通りの物資を調達できたところまでは順調だったと思う。ところが、俺の考案した消臭炭や食事、玩具のロイヤリティについて触れた途端、父の態度は急変した。

 

「私がどうして怒っているのか、君にわかるかい」

 

 いわれなくてもわかっている。ただ単に、俺が納得できないだけだ。子供の言い訳でしかないのだ。俺の言い分など百も承知なのだろう、父は続けた。

 

「君が何の権利もなく、村の今後にかかわる契約を結んだからだ」

 

 今回の航海において、俺の役割は世間を知ることだった。ワーレンという大都会で見聞を広めて知己を得る。その体験を村に持ち帰って、マックスのような若者組、まだまだ動ける大人組に伝えてまわる。それ以上のことは任されていなかった。いや、許されてはいなかったのだ。

 

「君が自分ひとりのために働くなら文句はなかった。都会の空気を味わうのも経験になるからだ。しかし、君はいま、村のために契約をしたといったな!? 村長の息子でしかない君に、そんな権利があると思っているのか!? 君ひとりの独断で村を左右させる、そんな真似を許すはずがないだろう!」

 

 村に引きこもるだけのあんたにいわれる筋合いはない。

 誰のおかげでワーレン相手にコネを結べたと思ってる。

 俺がいなければ真珠以外の取引もなかったじゃないか。

 

 ……反論ならいくらでも浮かんでくる。けれど、いえない。いったら俺の負けになる。

 

『たとえ良かれと思った行動でも、全員が望むものとは限らない』

 

 ブラックリーに諭された言葉が頭をよぎって離れない。彼はこのことを予見していたのかもしれない。

 

 俺は何の権限もないままに夢を語るだけの小僧で、爺様は先代の村長であっただけの老人でしかない。そんなふたりだけで、どうして村のすべてを決められるのか。利に明るい者からみれば、とんだカモである。トワイスも助けられた恩こそあれ、商売人としてギリギリまで天秤にかけた利益配分を持ちかけたはずだ。

 

「……君の村を思う気持ちが悪いとはいわない。頑張っていることも知っている。家族だからね。けれど、必ず筋を通しなさい。道理をふまえて、ひとつずつ解決していきなさい。それを省いてしまったら、どんなに正しくても、すべてが無意味になるんだ」

 

 俺と爺様のしたことは、村長である父からみれば越権行為だった。父だけではない、村に生きる人々の総意も確かめないまま、村の責任で幾つもの契約を結んだ。村のために動いていたはずなのに、村に生きる人々を置き去りにしてしまったのだ。

 

 何もいえず黙り込んだ俺に、父が一瞬だけ穏やかな顔つきに戻った。すぐに強張らせて、

 

「次の定期便に乗せる面子だけれど。君と父さんが指名した面子は、村長として許可できない」

「なんでだよ」

 

 メンバーの選定はあらかじめ、若者優先の構成にしてあったはずだった。それも否定されるのか。

 

 不機嫌な声を洩らした俺に、父が懐から麻布に包まれた袋を渡してきた。指の腹にあたる感触が硬く、鋭い。注意して広げてみる。

 

 それは矢じりだった。黒く変色した血と、こびりついた脂肪の臭いが俺の鼻腔に突き刺さる。強烈な刺激臭に目がくらむと同時に、この凶器が誰を殺したのかを理解してしまう。

 

「ベンソンの肩の深くに残って、死ぬまでとれなかったんだ」

 

 背筋が凍る。あの海戦で二手に別れたとき、頭目の乗る船に向かわせたひとりの名前だった。肩に矢を受けて横たわっていたが、俺達の出発する朝には笑顔で見送ってくれたのに。

 

「ベンソンは二週間以上も高熱にうなされて、苦しみながら死んでいった。だが、君を恨むようなことは一言もいわなかった。俺のかわりに村を頼む、村を守れ、そう伝えてくれと私に言い残した。ベンソンに家族はない。彼の家は、彼の死をもって途絶えたよ」

 

 強烈な吐き気が胃の奥から襲い掛かった。全身の熱が一瞬で消え失せる。自分が自分でなくなってしまったような錯覚がする。掌に乗った小さな金属が、とてつもなく重いナニカに変わってしまった。

 

 持てない。

 持ちたくない。

 放り捨ててしまいたい。

 

 できない。それだけはやってはいけない。この重荷を捨てれば、俺は彼の遺志を踏みにじってしまう。商会とのコネが欲しいという、どうしようもなく自分勝手な俺の欲が彼を死なせたのだ。その事実から目をそらせば、村の跡継ぎとして俺がやってきたすべてが否定される。震える手を、もう一方の手で無理矢理おさえつけた。

 

「村長として伝える」

 

 父の言葉は平坦だった。いまの俺がまともではないから、そう聞こえたのかもしれない。

 

「モスティン、君は今晩の村会議を欠席し、明日の朝まで家から出ないように。おそらく深夜までかかるだろう。子供は先に帰らせるから、マックスが訪ねてくるはずだ。そのときに詳細を聞きなさい」

 

 掌中の塊を前にうなだれる俺を背に、父と爺様が家を後にする。茶を入れてくれた母がなにかいっている。耳に入らない。なにも聞こえない。ただ、血錆の苦味だけが意識を支配する。後悔というには重すぎる味だった。

 

 

 

 母もお手伝いさんも会議に出席するため、残されたのは俺ひとりという生まれて初めてなぐらい静かな家で待っていると、真っ先にマックスが来てくれた。

 

「どうしたんだ? やけに沈んでるな」

「……いや、大丈夫だ。会議はどうなった?」

「揉めたよ。あんなに大騒ぎになったのは初めてじゃないか?」

 

 ワーレン派遣組が無事に帰還したことで、今後の村はどうしていくべきか、村人全員の意見を忌憚なく出すようにと前もって伝達されていた。その結果、村長と中高年のまとめ役達のグループ、爺様とそれ以外の者達とで大紛糾がおこり、解散となったいまでも大論戦が繰り広げられているという。

 

 なぜそうなったのか?

 

「村長さん……お前の親父さんは、何日も前から村の爺さん達と話し合ってた。こうなることを予想してたんだよ」

 

 遠いワーレンの地で、俺と爺様が懸念していたように、父もまた準備をしていたのだ。当たり前のように、当たり前の段取りを踏み、当たり前のことをする。それが父なりの、村への筋の通し方ということか。

 

 村は二分され、村人全員が自分なりの旗色を掲げなくてはならなくなった。

 

 時が来たのだ。

 

「お前は慕われてるよ、モスティン」

 

 マックスが見たところ、俺を支持してくれる層はそれなりに多いらしい。子供達はもちろん、同年代から二十歳までの青年組は全員が味方するといってくれた。憧れの都会を経験したうえに、コネまで作ってくれた英雄だからだそうな。

 

 中年層でも、あの海戦で俺の活躍を見た全員が支持。意外なことに、高年層でも何人かが認めているという。どうしてだろうか?

 

「まだ幼いのに、村のために率先して戦ったから、だってさ。村を救ってくれた人間を信じなくてどうするって笑ってた。あの戦いが認められたんだよ、モスティン」

 

 まとめてみれば、村は改革派が7割、保守派が3割とまでわかった。思ったほど状況は悪くはない。

 

 なら、俺にもやれることがある。

 

「反対するみんなと、ひとりずつ話し合おう」

 

 中年層はまだ鞍替えの希望が持てる。頼りにするのは、連れて行った4人の漕ぎ手だ。彼らはワーレン滞在中、毎日を驚きと興奮で過ごしていた。会議中も、聞かれてもいないうちから都会の凄さを大声で広めたらしい。

 

「俺達はそれを止めない。むしろ、全力で応援する」

 

 ワーレンからの船は定期的に年3回、多ければ4回を目処に来てもらうことになる。その度に、新しい若者を連れて行く。たっぷりと贅沢してもらい、都会の魔力に首ったけになってもらおう。彼らが帰ったとき、また別の村人に吹聴して羨ましがらせる。これが一番の高い薬であり、毒でもある。

 

 一番厄介なのは老人達だ。俺が漁に出る前もそうだし、いまでも苦言が多いったらなかった。その割にはタコワサもトコロテンも美味そうに食うあたり、やりにくくてしょうがない。説得は相当骨が折れるだろう。

 

「俺はやるよ」

 

 懐の麻布に手をあてる。

 

 この重みを、俺は死ぬまで忘れない。

 

「何年かかるかもわからない。それでも、村のみんなを説得する。わかってくれるまで話し続ける。手伝ってくれるか、マックス?」

「わかりきったことをいうなよ、モスティン。付き合うに決まってるだろ」

 

 胸を叩いて応じてくれる親友に、俺は深々と頭を下げた。

 

 はっきりわかった。俺は、やり方を変えなくてはならない。文句はあっても、父の言葉は正しかった。自分ひとりでは変えられない。村のみんなと話して、話して、また話し合う。そうして理解者をひとりでも多く増やすのだ。

 

『筋を通す』

 

 それが父の教訓なら、従ってみよう。いまなら正直にそう思えた。

 


 

「……どうにか、体裁は整ったの」

「いささか無理のある筋書きでしたけどね」

 

 遅くまで討論していた村人達が解散した後、お互いの派閥を牽引してきた親子がふたり、やれやれと息を吐く。先ほどまで対立していたとは思えない、穏やかな空気だった。

 

「私のときは、もっと緩やかでした。誰からともなく集まり、なんとなく大人達に反抗して、辛い現実を思い知らされる。それを何度も繰り返して、そのたびに大人達から諭されて、さらに反発する。そしていつか気づくんです、世間とはそういうものだと」

 

 モスティンは知らない。誰よりも気弱で、温厚篤実な父親にも、かつては大人達と激しく衝突した過去があることを。都会に暮らしていた父を妬み、見たことのない世界に憧れ、単身海に飛び出しては連れ戻された。村でもっとも手のかかる子供だったのだ。

 

「世の中は自分の思い通りにはなってくれない。では、どうしたらいいのか。その中で自分は何を果たすべきなのか。不思議なもので、ひとりがそうやって悟ったら、他のみんなにも感染していくんですね。そうして最後のひとりが答えを出したとき、村は新たな形で団結する。それぞれが自分の責任を果たして戦うんです。みんなで生き残るために」

 

 若者と老人の対立。

 

 未開の地に開かれたこの村にとって、それはひとつの慣習であり、絶対に欠かせない儀式だった。

 

 若者はどんなに未熟であっても純粋で、熱く、夢に燃えた思いをぶつける。大人はそのすべてを受け止めて、あるいは流して、ときには身体を張ってでも現実を見せつける。絶対に手は抜かない。未熟なまま育ってしまえば、村を取り囲む脅威に食い殺されるからだ。これまでに何人もの若者が死に、助けようとした老人も巻き添えになった。そんな悲劇を起こさないために、大人は心を鬼にして若者の壁になるのだ。自分を育ててくれた、かつての大人達のように。

 

 今回は事情が違った。憧れでしかなかったワーレンという都会への道が開かれ、若者達が熱狂しつつある。このままでは、村を守ってきたタガが完全に外れ、未熟なままの子羊達が世間の狼に食い殺されかねない。それだけは断じて防がなくてはならなかった。

 

「厳しい躾になるぞ」

「恨まれる覚悟はしていますよ。私が敵役になりますから、父さんは妻と一緒にあの子を助けてやってください。どんなに優秀でも、まだ9歳なんです。厳しいだけでは壊れてしまう」

「任せておけい。そうやってきたのじゃからな、いままでも」

 

 集会場から遠く離れた家を眺める。おそらくは、怒りと後悔に苛まれているだろう息子を思い、父である村長は呟いた。

 

「この村に必要なのは、物語の中の英雄じゃない。地に足をつけた一人前の男なんだ。酷い父を許してくれよ、モスティン」

 




なんとかもう一話できました。しばらく更新は無いので、気長にお待ちください。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。