タリス王に俺はなる   作:翔々

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少年期 11歳
17.次世代達


(何年経っても変わらないわね、この町は)

 

 生まれ育ったガルダの街並みを屋敷の窓から見下ろすたびに、ブレンダは同じ感想を抱いてしまう。進歩のなさへの呆れと、ほんの少しの諦観。振り払うように思いを新たにするところまで一緒だった。

 

 海と山の恵みを存分に享受しながら、人々は満たされることなく争いを止めない。大陸から略奪した金銀財宝に高値をつけた詐欺まがいの取引を、時には暴力まで行使してふっかける。気の短い者は詐欺すらも行わず、ただひたすらに暴力でものにする。およそ真っ当な街とは程遠い。老若男女を問わず、誰もがその日を生きるのに必死な悪徳の華。

 

 だが、それがいい。そうでなければ一族の悲願はなし得ない。この荒れ狂った人でなしの群れだからこそ、道理を越えた野望は叶うのだ。

 

 鏡台に映された姿を眺める。海賊の都には似つかわしくない、貴族の令嬢がそこにいた。純白のドレスは透き通るような輝きを放つ鉱石細工が散りばめられ、艶やかな群青色の髪は美貌を際立たせる真珠のヘッドドレスにまとめられている。薄紅をひいた唇とたわわに膨らむ双丘を見れば、男達は是が非でも我が物にと望むに違いない。

 

 これが焦土と化した北の港で、一時はガルダの頂点に立ったバーンズに啖呵を切った女だと誰が信じられるだろう。海賊達が生き血をすするその街で、少女はひときわ異彩を放つ存在だった。

 

 白亜に染められた邸内をしとやかに歩く。好きでそうしているわけではない。幼くして母を失ったブレンダを育て上げた祖母の望みだった。

 

(それも、今日でおしまいかもしれない)

 

 一晩いくらの娼婦からガルダ有数の海賊に成り上がった女帝は、いよいよ心身が病み衰えていた。余命幾ばくもないと誰もが察している。どんなに馬鹿げたふるまいであっても、愛を注いでくれた唯一の肉親の願いなら叶えてやりたい。孫としての最後の孝行のつもりで、屋敷で過ごすブレンダは貴族の令嬢としてあり続けた。

 

 扉を二度ノックする。返事はない。もはや祖母の体力はわずかもなかった。一呼吸の間を置いて、ゆっくりと室内に踏み入れる。

 

「ただいま戻りました、お祖母様」

「ああ……お帰り」

 

 祖母は半身を起こしてブレンダを迎えていた。とうとうブレンダの名前も呼ばなくなってしまった。頰は痩せこけ、鼻もくぼんで死相が際立つ。それでも瞳の力だけは変わらなかった。ギラギラと光を放ち、映るものに噛みつきかねない攻撃色で染まっている。

 

 一礼し、寝台の座椅子に腰掛ける。一ヶ月の奮闘の報告をしなくてはならない。聞いて理解するかもわからないが、祖母の心に何かが響いてくれさえすればいいと思った。

 

「サムシアンとの交渉は滞りなく終わりました。すべてはガルダから離反したバーンズ一味がペラティ海賊と結んだ結果の凶行として片付きます。北の港の復興援助も要請されましたが、下積みの人足を派遣できると考えれば負担にはなりません。彼らにはせいぜい、アカネイア式の技術を磨いてもらいましょう」

 

 当のバーンズが消息を絶っているので、好きなように捏造できる。ペラティ海を東に逃げていくのを目撃した部下によれば、敗走中とは思えないほど大きな声でわめいていたという。次はペラティ海賊内でのし上がるかもしれない。

 

 それならそれで、こちらも願ったり叶ったりである。

 

「バーンズが敵対派閥ごと玉砕させたおかげで、いまのガルダは虫食い状態です。幾つも空いた地位に座ろうと、頭の回る者は活発に動き始めました。待ちに待った飛躍の好機です」

 

 こうなることを見越した上での封鎖離脱だった。置き土産にサムシアンへ情報をリークし、交渉の下地を用意させたのもブレンダの手際である。結局のところ、バーンズは彼女に利用されていたに過ぎなかった。

 

 にっこりと、労りの気持ちを込めて悪党が笑う。

 

「お喜びください。お祖母様の夢に、また一歩近づきましたわ」

 

 ブレンダの掌が強力に締め付けられた。船上での斬り合いでも動じない少女が驚愕するほどの力だ。枯れ枝のような、骨と皮だけの両腕が寝台から伸ばされ、ブレンダにすがりついている。

 

「ゆめ」

 

 ぜひ、

 ぜひ、

 

 かすれた声がする。潰れた肺に残った息が漏れ出す音。

 

「あたしの、ゆめ」

 

 わなわなと、骨の浮き上がった背が震えていた。落ち着かせなくてはならない。そう思って手を伸ばす。だが触れられなかった。指一本でも触れたら最後、首筋に噛みつかれるのではないか。それほどの殺気がブレンダに放たれていた。

 

「ころせ」

 

 違う。殺気はブレンダに向けて放たれたのではない。彼女の血の中に潜む、怨恨の対象に注がれているのだ。

 

「あいつを、殺せ」

 

 締め付けが緩む。汗に濡れた掌が解放され、手形をつけた両腕がぽとりと膝に落ちた。不気味なほどの静寂が室内を満たす。それもわずかな時間に過ぎなかった。

 

「ヒヒッ、ヒャッハハハ!」

 

 狂笑。

 

「ざまあみろ! ざまあみろ!! ざまあみろ!!! あたしを捨てたあの野郎! 何もかもやった! 全部くれてやった! 家も、金も、純潔も! すべてを捧げたあたしを捨てやがった、あのクソ野郎め! あたしは生きたぞ! この地獄の果てで、お前を殺す種を撒いてやったんだ!!」

 

 一瞬喉を詰まらせてから、ごぼりと鬼女が黒い血の塊を吐いた。焼けるように熱い呪詛が少女を濡らす。避けられない。いつの間にか、細い両肩は亡者の腕にしがみつかれていた。

 

 虚ろに開いた口が、何かを言いたげに二度、三度と開閉する。言葉にならない、少女だけが知る符丁だった。祖母のいわんとしている遺志を理解し、うなずいてみせる。

 

 死の間際まで妄執にとり憑かれた老婆が、口元を引きつらせた。笑おうとしたのだろう。笑みの形になるよりも先に、孫娘の胸の中へ崩れ落ちて、やがて動かなくなった。

 

 およそ40年前、ガルダに現れた女帝は、人肌の温もりの中で生涯を終えたのだ。

 

「安らかにお眠りください、お祖母様」

 

 真紅に染まった純白のドレスを脱ぎ捨てて、事切れた肉親の身体を包む。ヘッドドレスにはめられた最も大きなルビーを外して、胸の前に組ませた掌にそっと握らせる。すべて祖母に贈られた品だった。果たしてどれだけ心の慰めになったのだろう。ブレンダにはわからない。

 

 自分を守ってくれる存在は消えた。もはや帰る家の灯火もなく、たったひとりで嵐の海に乗り出さなくてはならない。その空虚さを予感した少女は、一度だけ背筋を震わせた。

 

 魂の欠けた双眸の奥で、暗い光が少女を照らしている。

 


 

「今日はもう出てけ! これ以上、お前らと話すことはねぇ!」

 

 張り手の一撃で家から押し出され、ふたりして地面に転がる。扉代わりのすだれが下げられ、望まぬ来訪者を拒んでいた。

 

 奥歯を強烈に噛み締める。完全にキレていた。転がっていた棒切れを握り、すだれどころか家の何もかもぶち壊してやると本気で思った。

 

 駆け寄ろうとした肩を羽交い締めにされる。

 

「マックス、よせ」

「止めんな!」

「止めるに決まってるだろ。ほら、頭を冷やしに行くぞ。今日は酒瓶の点検がまだなんだから」

 

 なおも暴れようとする幼馴染の首筋に、ささやくような声で伝える。

 

「見られてるぞ」

「!」

「目の前だけじゃない。右のトム爺も、左のアシュリー婆ちゃんもだ。後ろの木の上じゃ、ネイサンの坊やがウキウキして俺達を見物してる。このまま見世物になるつもりか?」

 

 トム爺は二年経ったいまでも若者ふたりを試して認めず、アシュリーは敵なのか味方なのかもはっきりしない。ネイサンは運動神経が抜群のうえに、やたらと目がよく見えるお調子者だ。今日も特等席で鑑賞するつもりなのだろう。

 

 頭が徐々に冷えていく。棒切れを放り捨てようとしたが、モスティンの咎めるような視線に負けて正しい場所に戻す。家から離れるにつれて、背中の視線がひとつずつ消えていった。

 

「よく我慢したな」

「いつ気づいた?」

「最初から」

「マジかよ」

「ずっと同じ面子だからな。またかよって気にもなる」

 

 自分が熱くなっている間に、親友は周囲の目線に感づいたという。驚く反面、感情的になるほど真剣なのは自分だけだったのかと、マックスは少しだけ疎外感を覚えた。

 

 それを察したのか、褐色に焼けた頬をニヤリと歪ませたモスティンが目を細める。

 

「それより聞いたか、マックス?」

「何が?」

「ジョンソンのやつだよ。昨日まで問答無用だったのが「今日は」に変わったぞ。思った通り、付け届けのワインが効いたんだ。おまけに気づいたか? また持ってきてくれないかって顔しながら、外の俺達を見てるんだよ。あいつは漁師より酒蔵の管理人の方が向いてるんじゃないか?」

「絶対反対。そんな奴に任せたら、三日で全部飲まれちまう」

「そりゃそうだ!」

 

 さっきまでの激昂が、マックスの胸から嘘のように消えていく。いつもそうだった。どんなに腹が立っても、隣を歩く友人のおかげで自分は踏み止まっている。モスティンがいなかったら、自分は三日と保たずに乱闘騒ぎを起こして村を追放されていたかもしれない。

 

 この二年、ふたりは毎日をともに活動している。朝の日が昇るよりも先に漁をこなし、昼飯をたっぷり摂ってから教官の稽古に参加する。その後は頭の運動が待っている。疲れた身体を引きずるようにして会合に混ざり、これはと思った村人と分け隔てなく話し合う。それが終わっても宿題は続き、村に関わる情報を自分の目で確認し、疑問を見つけて村長や爺様に問いただす。どんなに些細なことでも、解決しなければ先に進まない。自ら望んでの問答であり、修行漬けの二年間だった。

 

「賄賂用のワインなんて、まだあったのか?」

「あったんだなぁこれが。ロレンスお墨付きの白ワイン。マケドニアの山奥から獲ってきた葡萄で作るらしい。王都の貴族しか飲めないんだぞって脅してやろう。いい加減、あいつの旗色も明日ではっきりさせないとな」

 

 こいつは変わった、とマックスは思う。村を変えたいという思いは、物心ついてから今も変わらない。そこにもうひとつ、見えない何かが加わったようなのだ。

 

 最初は思いをぶつけるだけだった。聞いてもらえるだけマシな方で、たいていは力尽くで追い出され、道で会っても無視される。何度も繰り返す内に、だんだんとやり方を変えていったのはモスティンの発案だった。

 

「ベティは左足のケガを隠してる。漁のときに手伝ってやってくれないか?」

「なんでメイスンが反対派になったのかわかった。あいつ、こないだワーレンに行ったときに悪い女に捕まって財布ごと盗まれたんだよ。それで拗ねてるんだな。今度トワイスに頼んで、とびっきりの店に連れてってやろうぜ」

「ウッディは……なんていうか、男なら何人かにひとりが若い内に発症する心の病気になっただけだから。治るまでほっといてやろう。なんでわかるのかって? 聞くなよ」

 

 当時は横で見ていてもわからなかった。いま思えば、村人それぞれに最適な接し方を探るようになったのだろう。言葉で、態度で、あるいは物で意識を引き寄せる。そうして作ったスペースにするりと入り込んで、逃げられないように距離を詰める。気が付いたときにはもう遅く、相手は交渉の場に引きずり込まれている。ワーレンで聞いた詐欺師の手口とはこのことか、とマックスは合点した。親友に詐欺師扱いされたモスティンは海辺でひとり泣いた。

 

「あー、もう交流会の時期か。そろそろ連れていく面子を決めないとなぁ」

「これまでみたいに、村長さんが決めるんじゃないのか?」

「そう思ってたんだけど、今年から俺がやってみろって任されたんだよ」

 

 頭を掻いてそう話す幼馴染を、マックスは目を見開いて凝視した。

 

「それは」

 

 村長が代わるということか。

 

「俺、まだ11歳なんだけどな。父さんだってまだ若いのに、思い切ったこと考えるよなぁ」

 

 酒瓶を整理するモスティンの手が小さく震えているのを、マックスは見逃さなかった。

 

 何かが変わろうとしている。村が、人が、すべてが大きく揺れ動く瞬間を目の当たりにしつつあるのだと、マックスはただひとり理解した。

 


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