タリス王に俺はなる   作:翔々

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02.時には悩むより動くのも大事

アカネイア暦535年 モスティン 6歳(a)

 

 俺がこの村を変える! と誓ったのはいいが、いまの俺にできることは少ない。それでも動かずにはいられなくて、村の現状をつぶさに見ながら、少しでも改善できそうな案をひり出そうとうんうん唸る。

 

 坊ちゃん便所はあっちだぞ、とかいわれるのは気にしない。

 

 そうして観察するたびに、村の大人達の暮らしを見るたびに、このままではまずいと焦ってしまう。そんな心とは裏腹に、ロクな案が出てこない。

 

 爺様に連れられた釣りで水平線を眺めては、ため息が出る。

 

 村の入り口の看板を見つめたまま、石のように動かなくなる。

 

 あまりに悩むものだから、そのまま村から出ていくんじゃないかと大人達が心配したらしい。漁に出てみないか、と誘われた。

 

 漁。

 俺が、漁?

 

 6歳じゃ大した力にもなれない、子供が無理するな、と制止する声の中。朝一番の舟に乗せてくれるよう、土下座も辞さない覚悟で志願する俺がいた。自分でも不思議なくらい興奮している。

 

 朝日も昇らない内から家を出て、舟に積み込む投網や釣竿、銛などの仕事道具をひとつずつ確認。海の男たちに混ざって懸命に櫂を漕いで、漕いで、ひたすら漕ぐ。そして目的のスポットに到着したら、ウキの代わりのツボをセット。エサのミミズやネリエサをバラ撒いたら、

 

 投網を思い切りぶん投げる!

 

 子供だから全然距離が出ない。大人達がニヤニヤ笑って、より広く、より遠くに投げて見せる。大人と子供の力の差だ。(かな)うわけがない。

 

 胸の奥から熱いものが込み上げてくる。

 

 涙を流す俺の頭が、あやすようにポンポン叩かれる。悔しさで泣き出したと思われたらしい。違う、そうじゃない。

 

 嬉しい。

 楽しい。

 懐かしい。

 

 確信した。俺の前世は漁師だったんだ。はっきりした記憶なんてないが、きっと天職だったに違いない。

 

 だって楽しいんだ。舟に乗って揺られるだけでも快適だし、釣竿がぐんと引かれる感覚もたまらない。苦労して投げ込んだ網が失敗だったときの喪失感も、次に活かす一歩になる。

 

 これだ。

 

 俺は、これをやるんだ。

 

 夢中になって飛び回っていたら、あっという間に太陽が真上にあった。大人達も俺の浮かれっぷりに呆れたらしい。途中から指導の手も止めてしまい、俺が海に落ちてしまわないかハラハラのし通しだった。実際、村に戻る頃には疲れ果てて、危うく舟から滑り落ちそうになったのを支えられたので感謝しかない。

 

「坊ちゃん、これで初日って本当か?」

「船酔いもしねぇんだものな。漁師になるために生まれてきたみてぇな子だわ」

「村長も喜ぶで。跡取りの心配はねぇな」

 

 舟の真ん中で収穫した獲物と一緒に寝かされながら、村へと戻っていく。今日の漁は店じまいで、いつもより遅い昼飯をみんなで食べるのだ。疲れきって起きるのも億劫だが、それでも昼飯を食わねばならぬ。俺がとった獲物もあるのだから。

 

 陸に着くなり片付けを始める男達と、収穫を分類する女達。今日は貝が多かった。さすがに慣れたもので、指を挟まれることなくアサリやシジミ、ミルにアワビなどが分けられていく。

 

 積み上がっていく貝の山の中でひとつ、太陽に照らされて光る何かに気づいた俺がボーッと眺めていると、釣竿片手に爺様が寄ってきた。

 

「怪我はしとらんか?」

「全然。楽しかったよ爺ちゃん」

「ほうほう。では、爺からの贈り物といくか」

 

 萎びた指で貝が開かれる。ほほっ、と声が漏れた。

 

「とびきりじゃな」

「?」

「真珠じゃよ。ここにあっても金にはならんが、おなごにあげるにゃ丁度ええ。食っちゃならんぞ」

 

 掌で包むように珠玉を渡される。来た時と同じように、釣竿を揺らしながら去っていく爺様の背中を見ながら、俺は呆然と立ち尽くした。

 

 あるじゃん、売るのが。

 


 

 おかしなのが生まれてきたもんだ。老人がくつくつと笑う。

 

 思えば赤ん坊の頃から奇妙だった。泣いて、笑って、むずがって。普通の赤ん坊と同じなのに、回数がずいぶんと少なかった。手がかからなくて助かります、と息子の嫁はいうが、舅としては不安にさせられたものだ。こんな大人しさで海の男になれるのか、村長として村をまとめていけるのか。

 

 認識が変わったのは、家の外に出始めた頃だった。いつの間にか三人、四人と子供達が孫について回るのだ。村長の息子と紹介したわけではないし、言い含めさせた覚えもない。自然とそうなっていたという。

 

 息子の村長は良い傾向だと喜んでいた。順調に年を重ねれば、次の村長はあの子になり、同世代の幼馴染が手足として働く事になる。手足の数が多ければ多いほど、村の連帯感は大きくなるのだ。この閉鎖的な環境で村八分など起こっては致命傷になりかねない。何事もないといいね、と息子夫婦は笑っていた。

 

(そりゃあ無理な願いになるぞ、お前ら)

 

 予感が確信に変わったのは、アカネイアの歴史について聞かせた時だった。大陸に生きる誰もが子守歌に育つ物語。竜が支配し、人がそれに代わろうとして衝突した戦争譚。悲運の王女アルテミスと、彼女を助ける貴族カルタス伯に英雄アンリの武勇伝。集まった子供達が胸を躍らせ、目をきらきら光らせて続きをせがむ中で。

 

 あの子だけが冷えきっていた。

 

 人が竜に勝ったという華々しさ。その裏に流された血と、戦争を引き起こした人間の傲慢。あの目は間違いなく見透かしていた。虚飾にごまかされず、愚かなアカネイアの失態を蔑んでいたのだ。

 

(ワシとしてはそっちの方が良いがの)

 

 老人にとってのアカネイアは憎むべき敵であり、人生を狂わせた黒幕だった。

 

 昔、パレスで一番の職人になろうと修行中の青年が、身に覚えのない罪を着せられ、ペラティの囚人船に押し込められた。それまで親しく接していた人々から寄せられる、冷たく凍り付いた視線。投げつけられ、壊される自分の作品の数々。失意のままに乗せられた船で、実行犯から真相を告げられた。

 

 商売敵の職人に賄賂を贈られたアカネイアの貴族が、奴隷を雇って宝石を盗ませたのだ。その宝石を加工したのは商売敵その人であり、名声と技術に嫉妬した青年が盗んで売り払ったと、こじつけにも程がある動機を捏造された。抗弁する機会も与えられず、町中を引きずり回された末に投獄され、受けた覚えのない裁判で流罪になった。

 

 よくもやってくれたな、と激昂する自分を、使い捨てられた男が笑いながら指さした。

 

「初めから終わってるんだよ」

「俺は生まれてからずっと奴隷だった。お前だってしがない職人でしかなかった。遅かれ早かれこうなっていたのさ。罪もないのに地獄へ送られるなんて珍しくもない。どうしてかわかるか、ええ?」

「貴族じゃないからさ! 貴族じゃなかったら人じゃない。俺達は人じゃないんだよ。だからこうなったんだ。こうなる運命だったのさ! はは、はははははははは!!」

 

 怒りよりも恐怖が上回った。男の首に回した手が離れ、呆然と見つめる。男はずっと笑っていた。正気を失い、涙と鼻水と涎をまき散らして、汚物にまみれた床を転げまわっていた。他の囚人も止めようとはしない。船員も、兵士も、みんな同じだった。光を失った瞳で、何もない空間を見つめたまま、身じろぎ一つしなかった。

 

 その光景を、今でも忘れはしない。

 

 

 

 ……人生とはわからないものだ。どういうわけだか命を拾い、奇妙奇天烈な孫まで授かってしまった。生い先は短いにしても、残せるものはあるかもしれない。このまま釣りでもしながら死んでやろうと決めていたのに、なんと気まぐれな爺だろう。

 

 さしあたって、真珠の鑑定でも仕込んでやろうか。保管も教えなくてはなるまい。使っていなかった頭のどこかが、音を立ててブンブン唸りだしている。

 

 久々に酒が飲みたくなった。

 


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