アカネイア暦540年 モスティン 11歳(d)
捕虜の明かした絶望的な情報は、南の集落に滞在する俺達を恐慌状態へ突き落とした。次代の担い手達を失った集落も心配だが、俺達の村そのものが危険に晒されている状況で割ける余力はない。
非情と蔑まれるのを覚悟で出立しかけたのだが、さらなる不幸が発生した。
「う、ぐっ……!」
「先代!?」
たび重なる襲撃に息子夫婦だけでなく、部族の後継者たる孫まで失った心労がとうとう限界をきたしたのか。先代族長の老人が苦しげにうめくや、頭から昏倒した。数日前から心臓を抑えていたというから、兆候はあったのだろう。意識がいっこうに戻らないばかりか、脈が止まりつつある。素人目でも回復の見込みはない、その顔には死相がはっきりと浮かんでいた。
「……最悪だ」
集落の人々を見渡す。唯一指揮のとれる老人が倒れたことで、完全に戦意を喪失した羊の群れがそこにあった。ほとんどの人間が放心して座り込むか、のろのろと怪我人の介抱に従事している。
万一海賊が引き返してきたら、彼らはどうなる?
「モスティン、これを見捨てていくのは……」
「後味悪いよなぁ。うちも余裕ないってのに……ん?」
ぼやくしかない俺の袖が引かれた。下を見ると、まだ4、5歳ぐらいの少女が、真っ赤に腫れた目を一心に向けて俺を見つめている。
兄のタームが死に、祖父が重篤に陥り、たったひとり残されたわずか4歳の妹だった。さっきまで倒れた祖父にすがりついて泣いていた少女が、何かを覚悟したように俺達の元にやって来たのだ。
「おじいさまが、いいました」
舌足らずな声で、少女が懸命に続ける。
「わたしたちは、これいじょう、たたかえません。わたしたちだけでは、ほろびます。どうか、わたしたちをたすけてください。わたしたちを、つれていってください。あなたのむらにくわえてください。おねがいします。おねがい、します」
……俺はどうしたらいいんだ? 助けを求めてマックスを見る。俺と同じように硬まっていた。そうだよな、これが普通の反応だよな。
少女自身がどこまで理解しているのかはわからない。意識を取り戻した老人が、最後の力を振り絞って少女に伝えたのだろう。もはやそれしか集落の生き残る術がないと判断した、族長としての執念が為した決断である。
だが、状況がまずい。あまりにも切羽詰まっている。村の危機で一刻を争うときに、集落の命運までポンと渡されては困る。
どうしたらいい?
俺に何ができる?
いや、どこまで許されるんだ?
思考が真っ白に塗り潰される。焦りと困惑、苛立ち、無力感が胸を満たす。どうすれば。俺は、俺にできることは、俺がすべきことは――――?
「好きにやればええ」
爺様の声がした。普段の笑顔はない。集落の長が愛用していた杖を借りていた。若かりし頃のふたりは親友だったという。形見として譲り受けたのだろうか。
「村を出るときに、村長から言質をとっとる。いまのお前さんの決断なら、何であろうと村長として信頼する、とな。古株連中も同意の上じゃ」
「爺様」
「安心せい、前のようにはならん。お前さんがすべきと思うことをするんじゃ。みながそれに従う」
パニックになりかけた頭が冷静になっていく。爺様を、マックスを、家族を失った少女を見る。気がつけば、村と集落の人々が全員、俺のことを見つめていた。
覚悟を決めよう。
「敵も20人以上の被害を出している。この集落がいますぐ襲われる可能性は低い。とはいえ、ここで生活するのは危険過ぎる。怪我人も含めて全員、うちの村に避難してもらわないといけない」
「あ、ありがとうございま、」
「礼をいうのは早い。その前に、今度は俺達の村が襲われようとしてる。いや、もう来てるかもしれない。最悪、避難する先が無くなってるかもしれないんだ。そうならないためにも、俺達はひとまず村に戻らないといけない。これは絶対だ」
答えは出ているのだ。あとは人数の割り振りをするだけでいい。任せられる人間に任せる。それさえできれば、上手くいく。
「爺様」
「うむ」
「迎えをよこすまでの間、ここをまとめてほしい。この子の面倒を見ながら、いつでも全員が離れられるように準備してくれ。万一を考えて傭兵ふたりを置く。どう動いても構わない」
「任せい。村を頼むぞ」
昔からこの集落に親しんでいた爺様になら抵抗はないだろう。少女の心のケアも任せられる。
「ヴィンセント!」
世話役として来てもらった大人を呼ぶ。
「逃げ遅れた敵が隠れてるかもしれない。世話役5人でこの辺一帯を洗ってくれ。期間は一日。終わったら全員、爺様の指揮下に入るんだ」
「わ、わかった!」
集落はこれで良い。というか、現状できることが少ない。海に特化した俺達にとって、山や森は専門外なのだ。今後はそれも改善していかなくてはならない。
「他の皆は、俺と帰還する。村が襲われている可能性が高い! 強行軍になるから、覚悟していけよ!」
一旦言葉を切る。マックスをはじめとした若者達を見回してから、せいぜい勇ましく声を張り上げた。
「一刻も早く戻るぞ! 俺達が村を守るんだ!!」
「おお!」
傭兵を雇うことで、村もそれまでのあり方を変えつつあった。ワーレンからガルダ海へと抜ける航路に簡易な見張り台をこしらえ、当番制で傭兵に詰めさせる。交流会に10人の内5人が同行したため、現在は残り5人が交代で務めていた。
その日、当番の傭兵が見たのは、三隻からなる海賊の船団が北上してくる様子だった。ガルダ港へ帰還するにしては、東に寄り過ぎている。接岸の場所を吟味しているかのようだ。
――――村が狙われている!?
彼が傭兵として雇われてから約一年、これまでにも海賊の襲撃は何度かあった。規模は小さく、たいてい船一隻、多くても10人前後。迷い込んだついでに未開の原住民を拉致してやろうと襲ってくる小物ばかりで、返り討ちにするのにも慣れてきた頃合だった。
眼下を進む集団は、明らかに異常だ。およそ50人。いずれも屈強な体躯にふてぶてしい表情を浮かべ、獲物に襲いかかる瞬間をいまかいまかと待ち構えている。ひと目でわかる。あれは迷い込んできたのではない。襲撃者の群れだ。
知らせなくてはならない。あれだけの集団相手に、自分ひとりではどうにもならない。次代の担い手達が不在で何ができるかはわからないが、それでも傭兵としてのプライドがある。
見張り台から飛び退いた瞬間、左の二の腕に矢が突き刺さった。
「ぐっ!?」
激痛よりもショックの方が大きい。船からではない、まだ距離がある。どこから射られた?
「死ねや!」
「おうりゃ!」
左右からの挟撃。完全な不意打ちだった。右からの斧を転ぶように避けたが、ワンテンポずれた左の山刀が負傷した左腕を裂いた。たまらず苦悶の声が漏れる。
(こいつら、伏せていやがった!)
昨日今日の話ではない。敵はずっと前から村の周辺を偵察していたのだ。海側から巧みに隠された見張り台を発見し、襲撃の直前に排除しようと潜伏する。相当の手練れだった。
村への道をひとりが塞ぎ、負傷した左側にもうひとりが回り込みつつある。憎らしいほどに抜かりがない、実戦で培われた狩りの技。海賊にしておくのが惜しいほどの敵がふたり、自分の前に立ち塞がっている。
(……これは駄目かもしれん)
万全ならともかく、片腕では難しい。いまの自分には、村に行かせないよう粘り続けるのが関の山だ。
崖下から男達の雄叫びが聞こえる。
アカネイア暦540年 モスティン 11歳(e)
まともな隊列を組む余裕はなかった。動ける者が我先にとひた走る、がむしゃらな行軍。それでも最低限の統率のために、俺とマックスが先頭について小休止をとりつつ後続を合流させ、まとまったら再び走らせることを繰り返す。
村までの道のりは徒歩で三日、走れば二日。これまでにない急行軍に、戦士も兼ねる若者達の息は荒い。それでも脱落者はひとりもいなかった。自分達の村に、かつてない危機が迫っているからだ。
「目印の一本杉が見えた! 急げ、急げ、急げ!!」
焦りと疲労が、なけなしの理性を狂わせる。そんなつもりはないのに、冷静に出したつもりの指示が絶叫にしかならない。それを取り繕う余裕もない。誰もいない先頭を走れば走るほど、心の奥底の不安を自覚してしまう。
後手だ。後手に回されてしまった。
俺の意識が村の中にばかり向いていたせいで、ターム達の置かれた苦境を把握していなかった。それがこの苦境を招いたのだ。もっと連携しておけば、こんなことにはならなかったのに。
村。集落。海。山。森。
垣根だ。”あっち”と”こっち”の垣根が判断を鈍らせた。村は村、集落は集落で孤立してしまった。海の民と山の民、同じひとつの島で暮らしているはずなのに、互いに深入りを避けたせいで、同じ脅威にさらされていることを忘れてしまったのだ。
密にならなければいけない。
一にはなれない。そこまでは期待できない。ひとつの村の中でさえ不和は生じる。ましてや、海と山ではあり方が違い過ぎる。それでも、手をとり合って共通の敵に立ち向かい、同じ目的のために協力できたはずなのに。
変えるべきは、ひとりであるという認識だ。
孤立してはならない。我が物顔で海賊がのさばるこの世界で、閉ざされた環境は死を意味する。敵が集団でくるのなら、こちらはそれ以上の集団で動かなくては勝てない。それもバラバラでは駄目だ。いくつもの集団をまとめるリーダーが要る。
タームが死んだ。
重くのしかかってくる。ターム。俺に嫉妬していたのかもしれない。それでもあいつは友人だった。未来のある、集落を率いるリーダーになれる人材だった。もういない。あいつが率いるはずの集落は壊滅し、唯一残された家族は4歳の女の子ひとりだけだ。
あの子がどう成長するのかはわからない。だが、タームのように優秀だったとしても、そこまで育つのにどれだけかかる? その間、集落を預かるのは――――。
わっ、と声が響いた。
「見ろ、煙だ!」
「村が……村が燃えてる!!」
二日間を走り続けた俺達は、とうとう村の目前までたどり着いていた。俺の後ろから聞こえてくる声に喜びはない。
黒煙が昇っている。方角からして船着き場に停めた船か、フィットマン達の職人小屋。あるいは両方が燃やされたのだ。そこから村の出入り口までの家々が何軒か、同じように煙をあげている。
最初はごま粒のように小さかった幾つもの影が、近づくにつれて大勢の人影に変わった。村から逃げてきた女子供だとわかったのは、先頭を走るネイサン坊やの泣き腫らした顔を見つけたからだ。
「ネイサン! 村はどうなってる!?」
「来た! 来ちまったよぉ、モスティン! たくさん、たくさんだ! なんであんなに来るんだってぐらい大勢だよぉ!」
あの捕虜の言葉が正しかったのだ。ペラティ海を荒らしまわる荒くれ者50人、それが北の港を制圧した男に率いられて、思うがままに村を襲撃している。間に合わなかった。何人かが膝をつく音がする。
まだだ。
まだできることがある。
「武器をとれ!」
絶叫する。まともな指示を出せるのは、これが最後になるだろう。あとは理性も正気もかなぐり捨てて戦うことになる。
「俺達の村から、海賊どもを叩き出す!!」