タリス王に俺はなる   作:翔々

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23.受け継ぐということ

 人間ひとりの人格を解体してしまえば、バーンズという暴力の化身のような男はその実、どこにでもいるアウトローに過ぎなかった。

 

 小難しいことを嫌う、などとうそぶき、本人も信じて疑わないのだが、実際には自己欺瞞の陶酔でしかない。相手に逆らう気力を失わせるほどの力の差を見せつけて、自分に有利な取引を結ばせる。そこにいたるまでの過程で与える被害を考慮していないだけである。

 

 北の港を制圧した理由など、いたって単純かつ迷惑極まりないものだった。信じられないことに、当初の彼は交渉しようとしていたのである。ところがいざ襲撃を終えてみれば、ろくに統率せずに暴れさせたせいで港の有力者達が全滅していたという、あまりにもお粗末な現実が待っていた。

 

 普通なら不手際に頭を抱えるところだが、バーンズの算盤ではそうならない。いくら探しても話す相手がいないのだから、好きなだけ奪っていいだろう。本当にそれしか考えていなかった。ペラティ海賊達が『恥知らずのバーンズ』と陰口を叩くのも無理はない。

 

 大雑把で短絡的という、どうしようもない欠陥からの残虐性に隠されているが、それらのすべては暴力を交渉の駆け引きに使おうという打算である。化けの皮を剥がしてしまえば、根っこは“足を踏み外した常識人”でしかない。

 

 だからこそ、目の前に現れた本物の異常が理解できなかった。

 

 新たにやってきた、発育の良いガキと20人かそこらの集団。自分の傷と部下達の士気と比較して、いささか分が悪いと判断する。だが見たところ、リーダーらしきガキに生気がない。この憎たらしい夫婦の息子だろう。脅しにかければ難なく従うに違いない……ほんの一瞬で、バーンズはそこまで計算を働かせた。

 

 それが誤りであることを、彼は身をもって理解する。

 

「てめぇら、命が惜しくな――――」

 

 ヒトの形をした獣が翔ぶ。バーンズの左肩を貫通する剣を握りざま、より醜悪になった顔面に膝がめり込んだ。ひしゃげた鼻と、塞がれていた物体の抜けた空洞から大量の血が噴き上がる。血の道をつくりながら巨体が倒れ込む。

 

「か、頭!?」

「この野郎!」

 

 30人からなる群れに、無謀にも単身飛び込んできた少年を圧殺しようと部下達が動き出す。だが遅かった。まさか一言も交わさずに戦闘が始まるとは思わず、受け身の対応しかとれない。

 

「死ねや!」

 

 疾い。集団の中で、ひときわ動きの鈍い雑魚をめがけて剣を投げつける。銛で鍛えられた投擲が尋常ならざる速度で飛来し、たちまち心臓に突き刺さった。

 

 砂地に落ちたバーンズの大斧を握るや、全体重を乗せて振り回す。最も近くに迫っていた男が獲物ごと腕を両断され、ふたりの剣が折れた。親を殺した武器など要らないとばかりに放られた大斧が遠心力に従って飛び、不幸な海賊の顔面を破壊する。

 

 宙に飛ぶ剣を掴む。節くれだった腕を引き剥がして構え、息つく暇も与えずに飛び掛かる。

 

「死ねや! 死ねや! 死ねやぁ!!」

 

 もはや人外の魔性だった。人体を壊すことに一切のためらいもなく、自らに向けられた害意を徹底的に排除せんと凶器を振るう。影が動くたびに欠損された四肢が空に舞い、阿鼻叫喚の地獄と化した。

 

 狂気は伝染する。

 

「武器を取れ!」

 

 マックスの叫びがこだまする。この数日で驚くほど皮膚に馴染んだ得物を構えた一同は、それぞれの感情に思いを馳せた。

 

(どうしてあいつがこんな目に遭うんだ)

 

 肉親と旧友を失い、青春を捧げて育んだ村を破壊された少年の心が、どれだけ傷つけられたか。涙を流す者がいる。理不尽に怒る者がいる。

 

(お前のためなら戦える)

 

 たび重なる不幸に心折れることなく、その身ひとつで斬り込んだ姿に、どれだけ勇気を与えられたか。仇が討てると喜ぶ者がいる。恐怖に勝る悦びに笑う者がいる。

 

(――――あの少年を、死なせてはならない!)

 

 彼らの心は、いまひとつになった。

 

「俺達の英雄に続けぇ!!」

 

 鬼に魅せられた彼らもまた、鬼となって進撃する。息絶えた老人達の執念が憑依したような悪鬼の群れに、海賊達は心底震え上がった。

 


 

「ひい、ひいいっ……!」

 

 左肩にぼっかりと開いた空洞を抑え、顔面を破壊された男が見栄も外聞もなく逃げ惑う。合流した部下に足止めを命じて、自分だけは助かりたいと船着き場に走った。

 

 わからない。どうして自分が逃げているのか、激痛にさいなまれているのか。

 

 すべて順調だったのだ。文明から遠く離れたへんぴな漁村をひとつ、50人の腕自慢が蹂躙する。たったそれだけの、ずっと上手くやってきた仕事だった。なぜそれが失敗したのだ。わからない、わからない、わからない――――!

 

 背後から悲鳴が轟く。幾つもの刃先が肉を貫く音がした。

 

(ここは虎穴だ)

 

 人間が手を出してはならない領域だった。この世に恐れるものはないと自負していたバーンズは、生まれて初めて恐怖を自覚した。肉体の欠損と引き換えに、彼はようやく自身の愚かさを理解したのである。あまりにも遅い自己認識だった。

 

 化け物じみた頑丈さはここでも発揮された。常人なら失血死してもおかしくはない量の血を流しながら、バーンズの下半身は走り続ける。燃え盛る家屋を抜け、襲い掛かる村人達の槍に皮膚をえぐられながら、乗ってきた船に転がり込んだ。

 

「出せぇ! さっさと出しやがれ!!」

「け、けど、まだあいつらが……」

「出せっていってんだよぉ!!」

 

 いつまでも帰ってこない仲間が気がかりで、船出の準備を終えていたのが幸いした。頭の命令に従い、船体が船着き場から離岸する。置いていかれた部下達が、悲鳴と怨嗟の声をあげながら死んでいく。乗船していた10人全員が漕ぎ手となり、あっという間に島から離れていった。

 

 運はどこまでも彼に味方する。おりからの天候が時化に変わり、バーンズの乗る船は追い風を受けて速度を増す。天の配材とばかりに嵐のような豪雨まで発生し、雷雲が海を覆い尽くした。

 

 これでは浜辺から矢を打っても届かない。幾つかの流れ矢が船体に突き刺さるだけだった。村人達が歯噛みして小さくなる怨敵を睨む。その視線を受けながら、バーンズはようやく安堵の息を吐いた。手近なマストに背をもたれかけ、宙をあおぐ。

 

 その表情が、たちまち恐怖に染まった。

 

「バァァァァァンズゥゥゥゥ!!」

 

 地獄の底から響くような声とともに、見張り台から一匹の魔獣が吼えている。天の意思など知ったことではない、絶対に殺してやる。殺意に彩られた双眸が爛々と輝いている。男は思わずのけぞった。視界から逃れようと足をもたつかせながら、マストを盾にして隠れる。

 

「死ぃぃぃぃぃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」

 

 全身を朱に染めた鷹が翔ぶ。大海に身を投げうつのもためらわず、世界でもっとも憎悪する敵を抹殺するために全身が躍動する。その手に握られたのは、村とおのれの人生を変えるきっかけになった銛だった。

 

 雷が飛来する。驚愕に歪んだ男の左肩を今度こそ粉砕し、ちぎれた片腕が宙を舞った。衝撃に耐えきれず、2メートルの巨体も海中に投げ出される。

 

 轟々と降りしきる雨音に、ふたりの水没する音が埋もれて消えた。

 


 

アカネイア暦540年 モスティン 11歳(g)

 

 止まない雨はなく、日もまた昇る。誰かの不幸もお構いなしに、自然のサイクルは絶えることなく移ろう。アカネイア大陸であろうと、名も無き島であろうと、それは変わらなかった。

 

 嵐は何もかもを海に帰していった。人々が流し尽くした血も、黒煙を上げて燃え盛った家の火も、嘘のように洗い流された。延焼に悩まされなくて済んだのは、なけなしの幸いだったかもしれない。

 

 失った命の数だけ、墓が刻まれる。村の墓地に新しく建てられた慰霊碑の前で、俺は脱力して座り込んでいた。この数日があまりにも忙しく、ようやく落ち着いてここに来ることができたのだ。

 

 杖をついてきた老人が、俺の横にたたずむ。

 

「酷いの」

 

 爺様の呟きに、俺は無言でうなずいた。

 

 海賊の被害は目を覆いたくなる規模だった。俺の親、村長夫婦が亡くなり、父とともに戦った大人達の11人が帰らぬ人となった。逃げきれずに殺された女達は7人。15人いた古老達は、爺様を残して全滅。ワーレンで雇った護衛10人の内、村に残した5人が戦死した。最後の乱戦で死んだ若者は3人。120人いた村人は42人を失い、78人となった。

 

 長を失った南の集落はさらに酷い。爺様が指揮をとっている間に先代の長が息をひきとっただけでなく、傷口から感染症を患った重傷者が数人、あの世へと旅立っていった。残った人口は51人。もはや集落としての生活を維持できず、3日をかけて村に移住してもらっている。

 

 129人。村と集落、あわせて200人はいたはずの人口が、たった一週間で6割まで落ち込んだ。片方は生き字引の知恵を持つ老人達と、村を牽引してきた村長達を失った。もう片方は集落の基盤そのものを破壊され、つい先日まで対等だったはずの村に併合された。

 

 目を逸らすことはできない。この数字こそが村の置かれた現状であり、俺が、俺達が乗り越えなくてはならない現実だった。

 

「……これが、この島で生きるということじゃ。人々はいつ来るともしれぬ脅威に怯えながらも寄り添い、子を産み、育てる。危機が迫れば、子の身代わりとなって死ぬ。かつて自分が生かされたように、の」

 

 めっきり皺の増えた指先が、慰霊碑を寂しげに撫でる。

 

「あれも昔はやんちゃでなぁ」

 

 ありし日の父を思い浮かべたのか。爺様の顔は、透き通るように澄んでいた。

 

「閉鎖的な村を憂い、その中で生きる窮屈さを嫌って、何度も海に出ては連れ戻された。ワシの手で引きずって帰ったこともある。それがいつしか牙も抜けて、毒にも薬にもならない気弱な村長になりおったが……いつのまにか、あれも立派な男になっておったのじゃなぁ。ワシは、それが誇らしゅうてならん」

 

 撫でるたびに、思い出をひとつひとつ揺り起こしているのだろう。爺様の手は止まることがなかった。その姿がどうしようもなく哀しくて、俺は見続けることができなくなった。立ち上がり、すっかり小さくなってしまった背を後ろから抱きしめる。直に触れて、初めて理解した。

 

 爺様は震えていた。誇らしくもあるだろう。立派になった息子の成長を嬉しくも思うだろう。だが、その息子はもうこの世にいないのだ。親よりも先にあの世へと旅立った息子を、どうしてこの世から祝ってやれるのか。頭を撫で、背を叩き、よくやったなと声をかけてやることもできない。生者が死者にしてやれることなんて、たったひとつしかない。

 

 忘れないこと。

 

 それだけが、俺達にできる唯一の手向けなのだ。

 

(じい)

 

 腕の中の祖父が、ぴくりと震えた。

 

「変えるぞ」

「……」

「俺は、この村を変える。村だけじゃない、タームが遺していった集落も変えてやる。二度とこんな思いをしなくても済むように、俺が生まれ変わらせてやる。海賊なんて蹴散らせるだけの力を持って、見たことのない食い物や景色を、当たり前のものにしてみせる」

 

 失われた人々を想う。この2年で、俺は彼らに色々な思いを抱いた。理解されないことに悩みもしたし、分からず屋に怒りもした。憎んだことだってある。同じ村に暮らしているのに、どうして分かり合えないのかと心底苦しんだ日々もあった。

 

 この地の下に眠る命達、彼ら全員が村のために戦ったのだ。命を引き換えに、次代を担う者達に未来を託して散っていった。彼らの名前が大陸の歴史に刻まれることはない。どこにでもある、名も無き島で起こった過去の悲劇として、いつしか忘れ去られるに違いない。

 

 それでも思うのだ。

 

 彼らにバトンを渡された俺達だけでも、受け継ぐべきものがあるのだと。自分の命よりも大事なものがこの世にあるのだと、そう信じて逝った彼らが間違っていなかったのだと、証明するために生きていくのではないか。

 

 それこそが、この島で生きる俺達の宿命であり、果たすべき誓いなのだ。

 

「……ワシより先に、逝ってくれるな。誰かの死を見送るのは、もう御免じゃ」

 

 祖父の呟きが、潮風に乗って消えていった。

 




こちらが年末最後の更新になります。
みなさま、良いお年を!

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